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第11話:梅宮一という、温かなノイズ
焚石が消えてから、数日が過ぎた。
蒼は、まるで魂が抜けたような顔で街を彷徨っていた。喘息の発作は出ない。けれど、自分の意志で呼吸をしている感覚もない。ただ、焚石が遺した「お前は強い」という呪いのような暗示だけで、かろうじて肉体を維持している状態だった。
「(……非効率。師匠のいない世界で生きるなんて、演算が成立しない……)」
どんよりとした曇り空の下、路地裏を通りかかった時だった。
激しい打撃音と、複数の男たちの罵声。
その中心に、ボロボロになりながらも、信じられないほど穏やかに笑っている男がいた。
「……ははっ、いい拳だ。でも、まだこの|街《家》には入れさせないよ」
梅宮一だった。
彼はたった一人で、街を荒らそうとする他校の集団を食い止めていた。その体は、素人の目から見ても限界に近い。
蒼の瞳が、無意識に「スキャン」を開始する。
「(……内臓損傷の疑い、右肋骨二本の亀裂、左肩の脱臼。……心拍数、アドレナリン過剰。なのに、なぜこの男の|精神《バイタル》は、こんなに安定している……?)」
蒼の演算回路が、初めて見る「矛盾」に火を噴く。
焚石のような冷徹な強さではない。この男から感じるのは、太陽のような、ひどくお節介で、非効率な「熱」だった。
「……おい、あんた。死ぬよ」
蒼は思わず、物陰から姿を現した。
梅宮は、血を拭いながら蒼に気づくと、パッと顔を輝かせた。
「おっ、お疲れ様! 君、この街の子? 危ないから、あっちに行ってなよ」
「……あんたの方が危ない。演算結果を言うね。あと三分、その姿勢で心臓に負荷をかけたら、あんたの余命はゼロになる。……非効率の極み。今すそこをどいて」
「……ははっ、厳しいなぁ。でも、俺がどいたら、後ろにあるパン屋のじいちゃんが泣くんだよ。……だから、どかない」
梅宮はそう言うと、最後の力を振り絞って敵をなぎ倒し、その場に膝をついた。
静かになった路地裏。蒼は駆け寄り、反射的に梅宮の手首を掴む。
「(……脈拍、微弱。なのに……温かい。……師匠の隣にいた時とは、別の意味で、息がしやすい……?)」
「……君、お医者さん? 助かったよ。……お疲れ様」
梅宮が、泥だらけの手で蒼の頭をポンと叩いた。
焚石の乱暴な撫で方とは違う、慈しみに満ちた、壊れ物を扱うような手。
その瞬間、蒼の瞳から、我慢していた涙が溢れ出した。
「……バカじゃないの。……死にかけのくせに。……お疲れ様、なんて……」
「……君、名前は?」
「……蒼。……茉莉、蒼」
「そうか、蒼。……俺は梅宮。今日から、ここがお前の居場所だ。……いつでも、遊びに来いよ」
この出会いが、蒼の「演算」を根底から変えた。
孤独な修行者から、街を守る軍師へ。
「焚石」という過去を抱えたまま、彼女は「梅宮」という新しい光を信じて、再び歩き出すことを決めたのだ。
🔚