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走れ、心の声で――逃走中 THE MOVIE 小説版
逃走中の映画の小説版です。ほんのちょっとだけ変えてます。
第1章:錆びついた手首、届いた招待状
引きちぎれた赤と青の糸が、夕暮れのグラウンドに落ちていた。 かつて僕たちの手首を固く結んでいたそれは、ただの古びたミサンガだ。
「もう、あいつらと一緒に走ることはない」
橘大和は泥のついた糸を拾い上げることなく、踵(きびす)を返した。あんなに広かったはずの空が、その日から急に狭く、息苦しいものに変わった。とある事件をきっかけに、エースだった大和、冷静な瑛次郎、熱い賢、瞬発力の陸、寡黙な勇吾、そしてリーダーの譲司の6人は、音を立ててバラバラになった。
それから数年。高校を卒業し、鬱屈とした日常を送っていた大和のもとに、一通のメールが届く。
『賞金総額1億円以上。「逃走中」へご招待いたします。舞台は東京23区』
「面白そうじゃん!」 大和は画面を強く押し込んだ。それが、地獄の幕開けになるとも知らずに。
ゲームが始まり、東京の街を走る大和は、懐かしい顔ぶれと再会する。瑛次郎、賢、陸、勇吾、譲司。気まずさと懐かしさが交錯する中、突如、街中の巨大モニターがジャックされた。画面に現れたのは、不気味な仮面をつけた「ゲームマスターK」。
『これは命と金を天秤にかけるデスゲームだ。生存者で100億円を山分けする【逃げ切りボタン】か、すべてをなかったことにする【リセットボタン】か。ワイルドハンターを投入する。ココカラハ、命ヲカケテ、走ッテモライマショウ』
黒いスーツにサングラスをかけた無数のハンターが、牙を剥いて参加者たちに襲いかかった。
第2章:声を持たない少年
「はぁ、はぁ……何なんだよ、あのハンターの数は……!」 路地裏で息を潜める大和と瑛次郎の前に、必死の形相で走る女性と、その手を引かれる小さな男の子が飛び込んできた。本郷マリと、弟のカイだ。
マリが濡れた路面に足を取られて転倒する。背後からワイルドハンターの手が伸びた。 「動くな!」 大和が陸上部仕込みの爆発的なダッシュでハンターの死角から飛び出し、マリを引き上げる。瑛次郎がハンターの進路を遮るようにスライディングで割って入り、4人は間一髪、ビルの隙間へと滑り込んだ。
恐怖に怯えるカイは、大和の手を拒むようにしてリュックの紐を掴んだ。 ピコン、と電子音が鳴る。 『……いやだ』 機械的な合成音声だった。カイのリュックには、「うるさい」「ごめん」「いやだ」「ありがとう」「だいすき」という5つのボタンがついたキーホルダーが揺れていた。
「ごめんなさい」とマリがカイを抱きしめる。「この子、都会に転校したときに方言をからかわれて、心の傷で喋れなくなってしまって……」
それを聞いた瑛次郎が、カイの目線に合わせて優しく微笑んだ。 「驚かせてごめんな。でも、もう大丈夫。俺たち陸上部でさ、走るのだけは負けないんだ。君たちのことは、俺たちが絶対に守るから」
カイは怯えていたが、瑛次郎の綺麗な目を見て、そっと小さな指を動かした。 ピコン。『……ありがとう』
たった5文字の機械音。けれど大和たちの胸に、少年の心の震えが確かに伝わった。 「行くぞ、みんなと合流する」 大和は自分の手首に残る、あのミサンガの跡を強く握りしめた。
第3章:極限の絆
ワイルドハンターの追撃は苛烈を極めた。 しかし、極限状態の中で、6人の体に染み付いた「陸上部の連携」が自然と蘇る。 陸が囮になってハンターを引きつけ、賢がルートを確保し、勇吾が背後を警戒し、譲司が的確な指示を出す。
「大和! 後ろは任せろ!」 「瑛次郎、右の路地へ抜けろ!」
かつてぶつかり合い、バラバラになったはずの絆が、カイとマリを守るという目的のなかで再び強固に結ばれていく。互いの本音をぶつけ合い、ちぎれかけていたミサンガが、心の中で再び結ばれていくようだった。
第4章:最後の選択
静寂が支配するコントロールルーム。生き残ったのは、カイただ一人だった。
巨大モニターにゲームマスターKが映し出される。 『実に見事な逃走劇だった、本郷カイ。さあ、勝者の権利を選べ』
カイの前に、二つの大きなボタンがせり上がる。
* 【逃げ切りボタン】:生存者(カイ一人)で賞金100億円を独占する。ただし、消滅した仲間たちの命は戻らない。
* 【リセットボタン】:すべてがリセットされ、日常に戻る。ただし賞金はゼロ、命懸けで戦った記憶もすべて消え去る。
『100億円を手に入れて孤独な富豪となるか、すべてを忘れて退屈な日常へ戻るか。選びたまえ』
画面の向こうでKが嘲笑う。 かつてのカイなら、恐怖に震え、何も言えずに立ち尽くしていただろう。だが、今のカイの胸には、自分を信じて背中を押してくれた大和たちの、あの熱い走りと笑顔が焼き付いていた。
「……あ」
カイの喉が、微かに震えた。 カサカサに乾いた、彼自身の本当の声。都会の方言をからかわれて以来、ずっと心の奥底に閉じ込めていた肉声が、静かな部屋に響く。
「み…な、と……」
ぽろぽろと、大きな涙がカイの頬を伝う。 みんな、ありがとう。僕に、もう一度前を向いて走る勇気をくれて。 たとえ、みんなが僕のことを忘れてしまっても。この絆の記憶が、僕だけのものになってしまったとしても!
「みんなと……また、あいたい……!」
カイは小さな拳を強く握りしめ、まっすぐ前を見つめた。100億円の大金など、大和たちが命を懸けて教えてくれた「絆」の輝きに比べれば、ただの紙切れに過ぎない。
カイは迷うことなく、右手を振り下ろした。 ガチリ、と重い音が響き、【リセットボタン】が深く沈み込む。
『バカな……! 100億円を捨てるというのか……!?』 驚愕するKの声をかき消すように、視界が真っ白な光に包まれていく。消えゆく意識の中で、カイはそっと微笑んだ。手首には、幻のような、赤と青のあたたかいミサンガの感触が残っていた。
エピローグ
チチチ、と小鳥のさえずりが聞こえる。どこにでもある、普通の、少し退屈な朝の光。
「……ん」 カイはベッドの上で目を覚ました。胸が妙に熱く、なぜか目尻に涙の跡が残っている。けれど、どうして泣いていたのかは思い出せない。 リュックを背負い、いつものように都会の雑踏へと歩き出す。
ふと、駅前の交差点で、カイの足が止まった。
向こう岸から歩いてくる、6人の若者の姿。 彼らは何かを楽しそうに話し合いながら、時折、互いの肩を小突き合っている。大和、瑛次郎、賢、陸、勇吾、譲司――高校時代のわだかまりなど最初からなかったかのように、すっきりとした笑顔で、かつての「良きライバル」として笑い合っている。
カイは彼らを知らない。彼らもまた、カイを見ようともせず通り過ぎていく。リセットボタンは、正しく世界を巻き戻したのだ。
すれ違う、その瞬間。 風が、ふわりと吹き抜けた。
大和の手首に、なぜか結ばれている「赤と青の古いミサンガ」が、朝日にキラリと反射した。
カイの胸に、言葉にならない温かい感情が突き上げた。 声は、もう怖くない。自然と、唇が動いていた。
「……がんばれ」
小さな、けれど確かな肉声の独り言。 その声に反応したかのように、すれ違ったはずの大和が、ふと足を止めて振り返った。
「? どうした、大和?」 瑛次郎が不思議そうに顔を覗き込む。 「いや……なんかさ」
大和は、少し離れたところを歩いていく小さな少年の後ろ姿を見つめ、それから自分の手首のミサンガに目を落とした。なぜか、胸の奥が熱い。
「……最高の仲間(チーム)に、応援された気がしてさ」
大和はいたずらっぽく笑うと、「よし、行くか!」と再び前を向いて歩き出した。それぞれの道を、けれど今度はしっかりと繋がった絆を胸に、彼らはまた走り出す。
青空の下、歩き出すカイのリュックが小さく揺れていた。そこにはもう、5つのボタンのキーホルダーはついていなかった。