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姿も見えぬ星
____アハハハッ… フフ…
キャ…キャ…
小さな子供の遊び声が聞こえる。
「シュテル!」
幼い誰かに呼ばれた気がして、目を開けると、そこは孤児院の庭だった。
「何ぼーっとしてんだよ!」
「遊ぼう!」
うん、と返事はできなくても、俺は直ぐに立ち上がった。
広くも狭くもない、高い塀に囲まれた、芝生が黄色く輝くほど、暖かな光のみが差し込む、懐かしい孤児院の庭。
何度四角い空を見上げては、早く外に出たいなんて思ったか。
だけど結局は、居場所はここだけとわかって、ミルクとパンを食べて眠って。
「シュテルが鬼!」
「シュテウからにげろー!」
俺は何故か、なかなか動けなかった。
どうしてか、動いてしまってはいけない様な気がして。
「どうしてうごかないの」
と言う声は、聞こえそうで、聞こえなかった。
あぁ、やっぱり。
これは夢だ。
「おはようございます…」
「おはよう、よく眠れたか。」
ラヴィカさんは珈琲を飲みながらくつろいでいる様子だった。
落ち着いた珈琲の香りが漂って俺に伝ってくる。
「そこにパン置いといから、ジャム塗って食べてくれ。」
皿の上に置かれた美味しそうなパンが、机の上に静かに置かれていた。
「ジャムも、いいんですか?」
「遠慮するな。」
だけれどやっぱり申し訳なくて、ジャムを塗らずに食べようとしたら、上からにょっと手が出てきた。
手はスプーン一杯のジャムを、パンの上に乗せて塗り広げた。
「わっ、ありがとうございます。」
「遠慮すんなって言ったろ。」
ラヴィカさんはまだいっぱいの珈琲を揺らし、むすっとした。
遠慮するなと言われても、雇われの身で、簡単にくつろぐなんて失礼にも程があるんじゃないか。
とりあえずパンをかじって、味わってみた。
甘すぎて一瞬頭が痛くなった。
だけど次第に、じわりと体に馴染んでくる感覚が、たまらなく幸せに感じた。
「美味しいです!」
そうか、とラヴィカさんは静かに呟く。
でもなんだか、あまり機嫌が良くないような…
「…なぁ、お前、苦いもんは得意か。」
「…え?まぁ、はい。」
「……珈琲飲んでくれ。ちょうど別のものが飲みたくなった。」
飽き性なのかな、変わった人だ…
「…いいですけど。」
「助かる。」
ラヴィカさんは、まだフチが熱い珈琲をそっと俺に渡した。
「俺、珈琲初めてです。」
紳士の人とかがゆっくり嗜んでるのを見たことはあるから、ちょっぴり憧れがあった。
「…苦い。」
あれを喜んで飲むなんて、人間の舌じゃない。
「苦いか。…じゃあ代わりばんこで交互にいくか。」
「えっ、でもさっき…てか、別のものを飲むじゃ…」
「…」
ラヴィカさんは下を向いて黙り込んだ。
俺は何か不味いことを…
「実は…」
ラヴィカさんはゆっくり口を開く。
「…ブラック、飲めないんだ…」
すごい申し訳無さそうにラヴィカさんはそう告げる…
「いつもミルクと砂糖入れるんだがな、珈琲淹れた後に切らしてるのがわかってだな、ほら、流すのも勿体ないだろ…」
「…わかりました。」
そうして、ラヴィカさんと苦いコーヒーを少しづつ飲んだ。
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さっきのことだった。
「今から買い出しに行くから、その間に部屋を掃除しておけ。」
そう言われて、俺は部屋を掃除していた。
昨日俺はここで働くことになり、空き部屋だったこの部屋を貸してもらえることになった。
物も何もなく空っぽの部屋は、新しい様な、どこか懐かしい様な空気を浴びていた。
とりあえず、窓を開けて、家具に敷かれた薄い埃をはたいて、床のゴミを箒で集めた。
立て付けのタンスの中も掃除しようと開くと、そこだけ、不思議なほど綺麗に残っていた。
「早く終わったな。…そういや、まだ仕事について教えてもらえてないような。」
なんだか悪寒がする。
今になって自分の行いを悔いた。
よくよく考えてみれば、怪しすぎないかこれ。
あの時は衣食住がついていたから即決したけど、賃金安いし、仕事キツそうだし…
そして肝心の仕事の説明をまだされてないし…!
いくら命の恩人と言えど…あんなずさんな…でも…
あの時、朝食で食べたジャムとパンの味を思い出すと、俺の頭はまた混乱に陥った。
カラカラカラ…
奥の方から、涼しげな心地いい音がわずかに聞こえる。表口の方からラヴィカさんが帰って来た様だった。
『ただいま』
「お帰りなさい。」
俺は表の方へ向かい、ラヴィカさんを迎えた。
青い瞳と目が合う。
云わなきゃ、大事な事だぞシュテル。
仕事について聞きたいことがあるんですが。
「あの…仕事について」
「そういや仕事の説明をしないとだな。」
俺が質問をする前に、ラヴィカさんから答えが出てくれた。
「まぁ、長くなるし、座りながら話そう。」
座れと言われるがままに、俺はラヴィカさんと向かい合わせになる様に、白い木の席に座った。
何故か、あの時の夜のラヴィカさんの顔が、鮮明に思い出された。