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花楸樹の夢(英国出身の迷ヰ兎×迷ヰ犬怪異談)
薄らと雲のかかった青空。
気持ちの良い、とまでは行かなくとも、過ごしやすい天気だ。
此処はとあるカフェ。探偵社の女性陣が、美味しかったと強くお勧めして来たところだ。
何処かナチュラルな雰囲気のあるカフェは、和やかな音たちで満ちていた。
「うーん」
僕、ルイス・キャロルは大きく伸びをする。
何となくだけれど、レイラとの“アレ”に終止符が打たれてから疲れやすい気がする。
「バーンアウトとかいう奴なのかな……」
この前アリスに言われた事を思い出す。別に燃え尽きては無いと思うんだけど。
そんな事を思いながら、ちらりと窓の外に目を向ける。
ナナカマドが青々と茂っている。
「紅茶でございます」
「あ、ありがとうございます」
いつの間にやらやって来ていた給仕さんにお礼を言う。
カップを口元に持ってくると、ダージリンの芳香が鼻腔をくすぐる。
確かに。これはお勧めするだけあるな、などと思っていると。
「お客様!? 如何されました?」
何やら入口の方が騒がしい。
ちょっとした野次馬根性で首を伸ばすと、一人の女性がうずくまっているのが見えた。
纏っている藤色の着物の裾が少し汚れてしまっている。
だが、彼女はそんなことには構わずに自分自身を掻き抱いていた。
乱れた長い黒髪の隙間から、ほんの少し見えた顔を見て、僕は勘づいた。
(瞳孔が開いてる……其れに口で呼吸してる。パニック状態かな)
柄にもなく同情の様なものを感じて、僕は席を立った。
「すみません、ちょっと失礼します」
僕は立っている給仕さんに断りを入れて、その女性へ近づく。
ふわり、と藤の良い香りがする。
「すみません、僕の声が聞こえますか?」
出来るだけ刺激しないように声を掛ける。が。
「ッ……」
彼女には十分な刺激だったらしく、手で押し除けられてしまった。
けれど、此処で諦めてしまったら女性が危険な状態になってしまう。
「大丈夫ですよ。僕の目が見れますか? 僕に合わせて呼吸してみましょう」
最初よりも優しい声を心掛けながら女性に目を合わせる。
女性は混乱と恐怖を目に浮かべながらも、ゆっくりと落ち着いていってくれた。
数分後。
「すみません、ご迷惑をお掛けしました」
「いえいえ。大丈夫です」
深々と頭を下げる給仕さん。
元の席に戻っている僕。
まだ少し混乱している女性には、ソファに座ってもらっている。
「本当に、ありがとうございました。助かりました」
「いーえー」
結論から言うと、ものすごく感謝されている。
自分でも何故助けようと思ったのかよくわからないから、感謝されても、と言う感じなんだけど。
お礼だと言うケーキ一つをありがたく頂きながら僕は紅茶に口をつけた。
---
「そんな事があったんだよ……」
「ふーん、良かったじゃん」
嬉しかったでしょ? 感謝されて、と軽く笑いながら乱歩が言う。
「まあ、そうなんだけど」
感謝される事をできた自分が嬉しかったのも事実だ。
まるで、僕が──
(人間として認められたみたいで)
なんて少し思ってしまう。
皆から認められていると分かってはいるけれど、僕が、きっと人間では無いのも事実だ。
この世界にはいなかったはずの僕が、皆から感謝されている。
奇跡の様だ。
「でも、気をつけた方がいいよ」
ぽん、と乱歩が放った言葉に首を傾げる。
「何について?」
「自分について」
如何言う意味だろう。
はて、と首を傾げたその時。
「ッ!? ……、 」
電撃が走る様な、ピリリとした感覚が全身を走る。
「ルイス?」
「ご、めん、乱歩」
異能だ、と。僕の勘が告げていた。
如何しようもなく眠い。
抗いようのない睡魔が襲ってくる。
頭の中で焦るアリスの声が聞こえた。
けれど、其れを聞き取ることも既に叶わない。
僕は引き摺り込まれる様に床に伏した。
霧がかる思考の中で思い浮かんだのは、何故だか大切な人たちの顔だった。
---
「……矢張りか」
嫌な予感は当たってしまったらしい。
僕、江戸川乱歩は思った。
背中に氷を押し当てられた様な感覚を覚える。
(予感、何ていう論理付けが上手くいかない感覚は余り好きではないけれど)
ルイスを何の異能が襲ったのか分からない。若しやすると、異能ではないものかも知れない。
(兎に角、社長に報告かな)
其れに、非力な自分ではルイスを運ぶ事ができない。
僕は棒だけになった飴を塵箱に投げ入れると社長室へと向かった。
---
『すみません、太宰くん。英国の方でも原因は分からないそうです』
「そう」
『お役に立てず、本当に──』
「別に良いよ、気にして無いから」
そうですか、と少し悲しげに答える安吾の声が聞こえる。
其れに私──太宰治は、突き放したことに僅かに、本当に僅かに申し訳なさを感じる。
だが、私には其れよりも優先すべき事があった。この事を報告しなくては。
「じゃあ、切るね」
『はい、では。太宰くん』
「……」
ピッと無機質な音を立てて通話が切れる。
其れと同時に、敦くんが側に寄ってきた。
「如何でしたか?」
「駄目だった」
明らかに落胆した表情の敦くん。
そりゃあそうだろう。
ありとあらゆる異能の集まる欧州。
其処の情報という命綱でさえも意味をなさなかったのだから。
ルイスさんが何らかの異能で、突如眠りに落ちてしまってから数日が経った。
姿は全く変わらず、ただ日にちだけが過ぎていく。
アリスさんも現れないところを見ると、二人ともが丸ごと眠ってしまっているのだろう。
正直言って、探偵社の空気は日に日に悪い方向に進んで行っている。
若しや、ルイスさんは一生このままなのでは無いか、と。
誰もが──ユイハまでもが──ルイスさんが二度と目覚めないのでは無いかという焦燥に駆られている。
何の手がかりも掴めない。
乱歩さんの話だと、ルイスさんが直前に会った藤色の着物の女性が関係している可能性が高いらしいが……。
(その女性を見つけられないからねぇ)
全く、どれほど逃げ足が早ければ表と裏を塞がれた状態で姿を隠せるのか。
表と裏。
つまりは昼と夜。
ポートマフィアでさえもルイスさんを目覚めさせるため、出来うる限りは尽力しているというのに、手がかりは見つからない。
ルイスさんのいる医務室に目を向ける。
(正直、少し羨ましい)
苦しみなく逝けるのであれば、自殺志願者にとってはこれ以上ないほど羨ましい。
不謹慎ながらに、そう思っている自分もいるのは確かだ。
けれど、其れを押さえつけるほどの感情が私の中にはあった。
(不思議なものだ)
死んでほしくない、と、私は焦っている。
失うことに、恐らくは怖れを持っている。
そのことに私は溜息をつくと、定時だからお先に、と探偵社を後にした。
国木田くんの咎める声が聞こえてきた気がしたが、気のせいだろう。
---
からん、と軽やかなベルの音が鳴る。
開けた先の空間にいた人物に、私はげえ、と顔を顰めた。
「一寸、何で君がここにいるわけ? 中也」
「そりゃこっちの台詞だ、太宰」
相手も私に負けず劣らず、嫌そうな顔をしているのでお互い様だ。
「あーあ、行きつけのバーだったのに。蛞蝓が来るなら変えようかなぁ」
「……手前に行きつけなんぞあったのか……」
「失礼だね、君」
よいしょ、と彼の席から一つ飛んだ席に座る。
マスターにウイスキーを頼んで待つ。
私の行動を中也はちらりと見ると、目を逸らした。
その行動が気に障って、つい彼に尋ねる。
「なに」
「……良いのかよ」
何を言いたいのかといえば、ルイスさんのことだろう。
妙に情に厚い彼は、渦中にいる私がこんなところで酒を飲もうとしている事が、気に食わないらしかった。
「ルイスさんのこと? 羨ましいかな」
「それだけじゃねェだろ」
自分の正直な気持ちを言葉にすると、そう言われた。
厳しい声色を出す彼に目をぱちぱちと瞬かせる。
「手前は其れしか思わない様な奴じゃねェ筈だ」
的を射た発言に動揺する。
「……何で」
「勘」
嗚呼、矢張り中也は中也だった。
勘、だなんて。笑わせてくれる。
(だけど、その勘が合ってるのも事実なんだよなぁ)
本当に生意気なわんちゃんだ。
私は嘆息した。今日は溜息ばかりついているような気がする。
コトリ、と私の前にウイスキーが置かれる。
その琥珀色を眺めながら私は言った。
「……君なんかに当てられるのは癪だけれど、当たってるよ」
「そうか」
なら、良かった。
中也はそう言った。
その言葉の意味がよく分からなくて、私は問うた。
「如何いう意味」
「一個訊いて良いか」
「人の話聞いてる?」
「なら、手前は何でここに居る?」
息が詰まった。
もう、今日は厄日だ。こんなちびっ子に図星を突かれてばかり居る。
でも、こんな日くらいは、正直に答えてみても良いかも知れない。
「……怖いから、かな」
嘲るか、笑うかな。
そう考えた私の予測は大いに外れた。
彼は、何も言わなかった。
カラン、と、琥珀色の中の氷が鳴る。
「何か言いなよ」
「……正直言って、安心した」
「は?」
今日の彼は予測不能だ。否、私の頭が正常に作動していないだけなのかも知れない。
「ルイスさんも、思われてたんだな」
彼が溢した言葉に疑問符が頭に浮かぶ。
「そんなにルイスさんと親しかったかい? 君」
「手前がそうなら俺だって同じようなもんだろ」
「ふーん」
少しばかり興味が湧く。どんな話を二人はしていたのだろうか。
そう思ったのを知ってか知らずか。
酔った奴の戯言とでも思って聞け、と前置きすると、中也は話し出した。
「よく話してたのはな、太宰──手前のことだよ」
「私?」
私は驚いていた。
中也を弄り倒す揶揄いの言葉でさえも出てこない。
其れほど、ルイスさんが私のことを話していたという事実は大きかった。
「手前は知らねェかもしれないがな。ルイスさんは、手前が思っている以上に、手前を気にかけてるんだぜ」
だから、安心したのだ。
ルイスさんが、相手から、無自覚だとしても慕われていることに。
そう中也は言った。
「手前にも人間らしいとこが有ったんだなァ、太宰」
にやりと笑いながらいう彼から目を背けようと、ウイスキーのグラスを手に取ったが口に運べずにいた。
舐めるように私が口をつけた頃、中也が口を開いた。
「何か言えるのは、これが最後かも知れないぜ」
「……」
彼の顔が見れない。
「なら、何といえば良いの」
口から不意に溢れてしまったのは、正直な言葉だった。
もう嫌だ。今日は調子が狂う。
呑んで忘れることができたらいいのに、とウイスキーを口に含むが、生憎と酒に強い私は酔うことが出来なかった。
「知るか。そんな事」
彼方も、不注意で溢れてしまったように言った。
「けど──あの人は、人を見送ることを恐れてる」
「昔から見ていた、自殺嗜好者……其奴のことを、あの人は如何思ってるんだろうな?」
最後の方は、ほぼ独り言に近いような響きだった。
けれど、其れは確かに私の耳に届いた。
其の瞬間、 私の頭には何時もとは違う思いが浮かんでいた。
何時もの私が馬鹿馬鹿しいと一笑に付している思い。
其の思いに戸惑っていることを見抜いたのか、中也が此方を見た。
其の強い目の中に、微かな羨望が入り混じっているような気がして動きが止まる。
(中也は羨ましいのか。気にかけられている私が)
君こそあの人から気に掛けられているような気がするのだけれど。
でも、兎に角。
(何か言うなら、今……か)
「何か言うなら、今だぞ」
「ちょっと、私の心の声と同じこと言わないでくれないかい」
「否、知るかよ」
何時もの様なやり取りをしながら、私は席を立った。
行き先は探偵社。
ドアの方へと行く前に、私はふと思い立った様に言った。
「私は、君も気に掛けられていると思うけれどね」
その言葉に、僅かに彼が肩を揺らしたのを見て私はふふん、と笑みをこぼした。
---
もう空も暗い。
探偵社は既に明かりが落とされている。
私は鍵を取り出すと探偵社の中へと入った。
医務室のドアをゆっくりと開ける。
私は部屋の中に入ると、寝台のそばに椅子を引き寄せて座った。
寝台の上で、ルイスさんは微動だにしない。
「ルイスさん、聞こえてますか」
(なんて、返事が来る訳ないか)
私はそう思った。
けれど、その横顔は「聞いてるよ」と返事をしたように思えた。
私は口を開いた。本当なら、当たり障りもないことを話すつもりだったが、耳に届いたのは考えていたこととは違うことだった。
「今日、中也が」
こんなこと言ったんですよ、と私は続けた。
「『手前は知らねェかもしれないがな。ルイスさんは、手前が思っている以上に、手前を気にかけてるんだぜ』──全く、生意気にも程があると思いません?」
先刻のことを思い出して私は少しばかりむっとする。
けれど、其れに少なからず思うものがあったのも事実だった。
(また喧嘩したの? 全く)
そんな言葉を発する人物は、今眠っている。
「でも……」
「若し、若しですよ? そうなのだとしたら。私は……《《僕》》は、あなたに目覚めてほしい」
私はそこで言葉を区切った。
何故だか、胸が詰まる。
もしかしたら、案じているのかもしれない。
織田作のように私を案じてくれていた人の生死を。
「目覚めたあなたと、気にかけてくれた人と、ちょっとくらい予定よりも長く生きてみても、良いかもしれません」
そう思うと、そんな言葉が口をついて出てきていた。
気にかけてくれていた、そのことに、恩を返したいと。そう思ったのかもしれない。
「じゃあ」
私はそう言って椅子から立ち上がった。
その時だった。
「ん……あれ?」
聞きたかった声が耳に届いて、私は急いで振り返った。
---
「ルイスさーん、これ見てくれませんかー?」
「はいはーい」
僕──ルイス・キャロル──は呼ぶ声に返事をして敦の元へ向かう。
僕は数日前、太宰のある言葉によって目醒めた。
目醒めた後、組織も国籍もさまざまな知り合い達から安堵の言葉とお叱りが飛んできたのは言うまでもない。
あの異能者の正体は、不明のままだった。
若しかすると、僕の様に他の世界から来た者なのかもしれない。
あんなに混乱していたのも、突然他の世界へとやってきたからだとすれば説明がつく。
真偽は定かではないが。
「ほら、ちゃんと仕事して」
「分かってますよー、ルイスさん」
嫌そうにしながらも机に向かう太宰。
真面目に(其れでも彼にしては、だが)仕事をする彼に、最初の頃は天変地異が起こるのではないかと囁かれたものだ。
だが。何も変わらない毎日の連続記録を無事、更新中である。
僕が眠っていた間に、彼が何を思ったのか、知る由もない。
けれど、彼に別れを告げる日が少し遠くなったかもしれないことは、嬉しいことだった。
『ルイス』
頭の中でアリスの声がする。
「なに?」
『あなたは、今、幸せ?』
其の言葉に僕は答えた。
「──さあね」
其の声色が、清々しいものだったことは、当事者の二人しか知らないことだった。
了
眠り姫です!
タイトルの理由はこちら。
ナナカマド……1月27日の誕生花(史実ルイス・キャロルさんの誕生日です)
花言葉……私はあなたを見守る
花言葉から探したら、こんな偶然に。
天泣様、私にこんな素敵な機会を下さって、本当にありがとうございました!
本当に、本当に感謝しかありません!
他の方とコラボすると言う楽しさを感じました。
本当に、もう、嬉しすぎて……
(主の狂喜乱舞ぶりは日記で見れるぞ)
だって、嬉しかったからさぁ……
そして。
私にしては長かったですね! すみません! いやもうこれはごめんなさい。本当に。
自分でもこんなに長くなると思わなかった!
特に中也と太宰の会話が……自分でも掘り下げたくなって……いつのまにか中也さんがイケメンに……あ、元からか。
読んでくれたあなたと、そして天泣様に!
心からのありがとうを!