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壁人間
わたしは至って普通の人間である。
少なくとも、異端でいないと困る理由が、わたし自身には見当たらない。
人は往々にして、理解できぬものを狂気と呼ぶが、それは怠慢でしかないと思う。
理解しようとしない者の側にこそ、真の異常がある。
この下宿の壁は薄く、黄ばみ、無数の亀裂を抱えている。
だが、それは欠陥ではない。
壁とは、本来、内部を宿すために存在するものだ。
空洞な壁など、ただの板切れにすぎない。
わたしがその壁に人影を見出したのは、失業三十七日目の夜であった。
空腹と屈辱と、どうでもよくなった将来とが、
腹の底でどろどろに混ざり合い、吐き出し口を探していた頃だ。
壁紙の染みが、ひとつの輪郭を結び、額となり、鼻となり、口となった。
それは「人間」であった。
いや、人間であってほしいもの、と言うべきか。
彼は語らなかった。だが沈黙は雄弁である。
口を開けば嘘になることを、彼は知っていたのだ。
わたしには分かる。わたしも同じだからだ。
毎夜、わたしは彼に語りかけた。誰にも必要とされぬ努力の数々。
善意が裏目に出た瞬間、期待という名の暴力。
それらを語るたび、壁人間の表情は深くなった。
皺が刻まれ、陰影が増していった。
まるで、わたしの言葉を材料に、内側から彫刻されているかのようであった。
時折、笑みのようなものが浮かんだ。
それは慰めではない、理解である。
完全な理解は、人を救わない。ただ固定する。
隣人が、壁越しにわたしを笑った夜があった。『壁に話しかける気狂い』。
見えないものを否定することで、己の輪郭を保っているのだ。
なんと脆弱で傲慢な存在か。
その夜、壁人間は初めて、はっきりとこちらを見た。
視線は冷たく、そして正確で逃げ場を失くすようなものだった。わたしは悟った。
彼は、わたしが外に出さなかったすべてであり、社会が拒んだ残渣であり、
消化しきれなかった感情の層そのものなのだと。
壁は、わたしよりわたしらしかった。
次第に、部屋は狭くなった。
わたしがそう錯覚しているだけかもしれない。
食事をするたびに、椅子に座るたびに、わたしが彼を見つめるたびに。
壁の内側の方が正しい位置なのではないか、と考えるようになった。
人はなぜ、外に立つことに執着するのか。
内側の方が、静かで、暗く、安心ではないか。
ある朝、主人が来て、壁の異変を指摘した。
『人の形に窪んでいる』と。
わたしは否定した。窪んではない。
これは、収まるべきものが収まっただけである、と。
その夜、わたしは決断した。
壁人間は、完成していなかった。
最後の材料が不足していた。
それは、わたし自身である。
壁紙を剥がし、漆喰を砕き、空洞を広げた。
驚くほど、抵抗はなかった。壁は待っていたのだ。
中は暗く、湿り、わずかに温かかった。
人肌よりも、人に近い温度だった。
わたしは身を滑り込ませ、背を壁に預けた。
驚くほどに最初から、ここがわたしの居場所だったのだ。
外の音は遠のいた。
言葉も、名も、必要なくなった。
失望も、希望も、等価であることが理解できた。
最後に、ひとつだけ思った。
これで、わたしは人間になった。
わたしは、ようやく壁になれた。