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#1幽霊さんは何を望む
yozukieye
空はいつの間にか夕暮れ色に染まっていた。窓際だからか、光が手元の参考書やペンケースを照らしてきて少し眩しい。傷を付けないように、教材をスクールバックに詰め込んで自習室を後にする。サッカー部のクラスメイトは「沙衣、遅くまで勉強お疲れ!また明日!」と満面の笑みで手を振る。蜜哉も「そっちもお疲れ様。バイバイ。」と手を振り返した。友達が部活メンバーとどこかへ行ったのを見て、無意識に止めていた息を吐き出した。
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築42年のこの校舎は改築工事が終了したばかりからか、新築に劣らないほど白い壁を輝かせていた。部活終わりの生徒達の間をすり抜けて下駄箱へと向かう。当たり前を謳歌するように、笑い合う生徒達とすれ違う度に何故か感じてしまう、チクリと痺れるような不思議な感覚。今の生活には慣れてきたし、寂しいとも思わない…はずだ。
「(憧れてるのかな。あの人達に)」
そんな邪念を振り払うように、外靴を取り出すために開けたロッカーを勢いよく閉めた。遠くで聞こえる笑い声はいつまでも止まない。高校に入って友達はできたし、勉強も赤点を回避できる程度には理解できている、それだけで十分だ。そう自分に言い聞かせて学校を後にした。
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学校から家まで自転車で約30分のため、同年代の子が感じる未知の土地への緊張と高揚はあまり感じない。感じたいとも思わなかったし、『ストレートで卒業できればいい』ということしか頭に無かった。いつの間にか家に着いていたようで、マンションの駐輪場に自転車を停めて玄関ロビーに向かう。『対虚位防衛シェルター』と大層な名前が付いてはいるが、実際は虚位から身を守るための大砲やら武器、爆弾が準備されているだけの一般的なオートロックマンションである。ルームパスワードを入力して、階段を上がって『201号室』の鍵を開けて中に入る。家の鍵を締めて、靴を丁寧に揃えた。靴はいつも一人分。自分の部屋でカバンの中身を整理しながら、リビングに向かって、寂しさを紛らわせるように叫んだ。
「ただいま~母さん、父さん。今日の国語のテスト、90点だったよ。すごく嬉しくてさ、一番に自慢したくって。…えと……あ、そういえば今日友達に『また明日』って言われたんだ。明日なんてあるか分からないのにね。」
支離滅裂で、何の意味もない言葉。でも、何かを話していないと気が狂いそうだった。こんな生活慣れるわけない、慣れたくもない。独りは嫌だ。暗く静かな家に独りきりだと、どうしようもなく、死にたくなる。でも、違う。『独り』ではない。両親は仕事が忙しく、帰りが遅いだけだ。すぐ扉を開けて『ただいま』と笑ってくれる。小さい頃みたいに、母さんは温かいご飯を作ってくれる。父さんは大きな体で全てを包み込んでくれる。義兄は可愛らしい笑顔を向けて頭を撫でてくれる。きっと、きっとそうなんだ。
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しんと静まり返ったリビングに向かって一歩を踏み出す。1人分の歯ブラシ、1人分のコップ、独り分のイス、独り分の夜ご飯。全てを見ないフリをした。冷蔵庫からご飯を取り出して、わざとレンジの時間をいつもより長くする。湯気があがったご飯を取り出すためにタオルを準備して、タオル越しにお皿を両手で包み込むようにして持った。リビングの扉を弱々しく開く。そこにあるのは茶色がかった小さな家。仏飯器に少し冷ましたご飯をセットし、香炉に線香を立てて、おりんを鳴らす。静寂と現実逃避を切り裂く『生命の終わり』を感じさせる音が響き渡った。両手を合わせると、いつものように何度も何度も強く念じる。おりんの響き渡った余韻音と、鴉の鳴き声がどこか遠くに聞こえた。
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義兄は蜜哉が小さなときに第壱位によって戦死、両親は蜜哉が14歳のときに、第壱位によって蜜哉の目の前で死亡した。幸い、高校入学までは親戚にお世話になったため、あまり苦労はなかったが、精神的にはいつも呼吸をするだけで泣きたくなるほどに不安定だった。もう死にたいと思ったことは一度や二度ではない。しかし、今の蜜哉には『家族を奪った第壱位を殺す』という生きる意味があった。そのためなら何だってできる。誰かを犠牲にして、裏切ることになったとしても。
「………冷凍食品、買いに行こう」
スクールバックから小さめの財布と、義兄の形見であり、護身用の薙刀を取り出して近くのコンビニへ向かう。この時間帯は夜に備えた食料保存のためにコンビニやスーパーは大混雑だ。ここからコンビニは走って3分ほどのため、大丈夫だろうと根拠のない自己暗示をして、家の扉を開ける。目の前にあるのは低めの塀と、申し訳程度に植えられた植物、そして大砲だけのはずだった。しかし、今日に限っては明らかにおかしい『異物』が蜜哉の目に映り込んでいた。抽象的に言えば、背が高い黒いもや。ゲームのバグのようなカラフルなテクスチャーバグが時々点滅していて、不釣り合いな眼球がジッとこちらを見つめていた。
「ひ…っ!?」
思わず腰を抜かしてその場に崩れ落ちる。怖いのに、どこか神々しい秀才な芸術家が描いたような独特な物体。いや、違う。14歳のときに見た家族の仇だ。
『第壱位』
一般人はこいつが第壱位であれば命の危機を感じて逃げ出すだろうが、蜜哉は違った。素早く地上に降りると、自分の背より何倍も大きい第壱位を前にして、震える手を抑えながら薙刀を構えた。周りから見たら蜜哉は『パニックのせいでおかしくなった学生』として映るだろう。翌日のニュースで『男子高校生、第壱位によって死亡』と報道されるかもしれない。
「(でも………今回の機会を逃したら、僕は一生後悔する。それなら、今の全力を尽くす。)」
例え、自分が死んだとしても。
「やああああああああぁぁぁ!!!!!!!」
第壱位に向かって薙刀を振り下ろす。黒いもやに実体は無いのか、攻撃はすり抜けるが、蜜哉は何度も薙刀を振り下ろした。技術も武芸も、何も知らない。この薙刀は義兄の形見であるという理由だけで持ち出したのだから。しかし今は『殺意』だけで体が動いている。
「死ね!!死ね!!死ね………ッ!!!!!僕の家族を返せよ!!!!!」
当たりもしないのに、のらりくらりと攻撃を避ける第壱位にそう叫ぶ。勢いよく振り下ろされた薙刀の刃が風を斬る音が、やがて蜜哉の耳に届かずに消えていく。いつの間にか目頭から何かが零れ落ちていた。それが涙なのか自分の血なのかは、復讐心と疲労に溶け込んで消えていった。やがて、体力の限界を迎えてその場に崩れ落ちた。足は無様なほどに震えて立ち上がれない。視界が霞む。
「殺さなきゃ……殺さなきゃ………」
薙刀を杖代わりにして立ち上がろうとするが、体はそれを拒むように動いてはくれなかった。第壱位は一度も攻撃をしてこなかったが、蜜哉が限界を迎えたことを知ってゆっくりと近寄る。第壱位が目の前に来たとき、それが蜜哉の死期だ。
「ごめんなさい……父さん…母さん……義兄さん………」
そのとき、初めて自分の頬を伝るものが涙であることが分かった。少しだけ、いや完全に諦めていた。やはり自分には何もできないのだと。14歳のとき、両親が蜜哉の目の前で死亡したときに、何もできなかったのだから。
ゆっくりと目を閉じて、死を待つ。しかし降ってきたのは拳でも大鞭でも無く、『声』だった。
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「君、名前は?」
どこか安心感を感じる中性的な凛々しい声。顔を上げると、そこにいたのはやや背が縮んだあの『第壱位』だけ。
「……沙衣 蜜哉。」
蜜哉がそう消え入りそうな声で呟くと、第壱位は「ほうほう」と頷いた。
「蜜哉…くん、さん……殿…蜜哉殿!私、実は名前がないんですよねぇ…つけてくれませんか?」
多分笑っている。実体が無いから分からないが、少しだけ嬉しそうな声色だった。その優しい声色と、情報量の多さに思考が停止した。何故、自分に襲いかかってきた相手にこれほど優しく、明るく笑いかけられるのか。そんな目の前の幽霊に毒気を抜かれた蜜哉は、混乱しつつも声を絞り出す。
「幽霊……だから『ゆーさん』は?」
第壱位…もといゆーさんは「ほほ~ん?ゆーさん、ゆーさん………うん、いい響きですね!さすが蜜哉殿です!これからよろしくお願いしますね!」と嬉しそうに辺りを浮遊。…これから?
「これ…から?え?これから………??」
「はい!私、あなたのことが気に入りました!これからよろしくです!蜜哉殿!」
ゆーさんは我が物顔で蜜哉の頭に飛び乗る。幽霊だからか重さはないが、ひんやりとした空気が伝わってくる。
終末世界の片隅で、普通(?)の高校生は今日も息をしている。
ナイス深呼吸!