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物書きは安らぐ
viti
初めて書く小説。好きなものを好きなだけ書いてます。素っ頓狂なことを書いていても温かい目で見ていただけると、それは僥倖です。
夢を見た。だが、もはや覚えてすらいない。寝ぼけ眼をこすり、顔を洗い、歯を磨き、そして慣れた手つきで服に袖を通す。何度繰り返したことだろうか。物書きとして生活し、もう10年の歳月が流れていた。本を出版し、大小問わずそこそこの数賞をもらい、生活に困ることはなく、いわゆる普通の生活ができている。夏の日照りが、部屋に篭もりっぱなしでろくに日光を浴びなかった白い肌に突き刺さる。カンカン帽を手に取り、久しぶりの外出を試みる。まだ7月とだというのこの暑さは勘弁してほしいものだ
街をぶらりと散策していると、不意に喫茶店に目が留まる。なんてことはないどこにでもありそうな喫茶店だ。ただなぜかとても惹かれてしまったのだ。「次の打ち合わせに使えるかどうか下見してみるか。」などと言い訳らしいことをつぶやきながら、喫茶店の扉を開ける。カランと乾いた音が、静まり返った店内に響き渡る。なぜこんなに空いているのかなど思ってみたが、すぐに理解できた。部屋に缶詰になり、外のことはシャットアウトしていたので、今日が平日なことをすっかり忘れていたのだ。バイトの学生らしき若い女性に窓際の席へ案内され、とりあえず、おすすめらしいブレンドコーヒーを注文する。一息ついては、少し観察してみた。…いい店じゃないか。青々とした観葉植物。目を引くおしゃれな壁紙。なるほど、この店のコーヒーは手作業なのか。店長のこだわりが垣間見える。窓から見える街の喧騒に思いを馳せながら小説の構成を考えている自分に、職業病だと叱りたくなる。運ばれたコーヒーはすこしほろ苦く、疲れた体に染み渡っていくようだった。
程なくして、常連らしき、活力の満ち溢れた若い一人の男が店に入ってきたようだ。その男の声は気持ちいいほどよく通る声だった。バイトがその男を私の隣の席に案内し、注文も聞かずメロンソーダと小さめのパンケーキを提供した。男は嬉しそうに「やっぱりここのパンケーキが一番美味しいんだよな」と、見た目に沿わない器用さでパンケーキの上でナイフを滑らせ、一口サイズにして頬張っている。すると急に不思議そうな顔をしながら私に「なんかついてますかね…?」なんて恥ずかしそうに声をかけてきた。「あぁ不快にさせてしまっていたら申し訳ない。仕事柄、つい人をまじまじと観察してしまう質でね。」「そうなんすね!なんのお仕事してるんすか?」…グイグイ来るなこの子「しがない物書きですよ。」「かっこいいっすね…!自分本を読むの好きなんですよね」「では私の本を読んだことがあるかもな」「なんて名前なんすか?」「アルスというペンネームを使っている」「アルス先生!?すげぇ!」…賑やかしい少年だな。「あそうだ。へいマスター!先生にもパンケーキ!!!」最近の若い子ってすごいな…私にもこんな時期があっただろうか?なんて考えていると彼と同じサイズのパンケーキが目の前に置かれた。「実にありがたいが…いいのかい?」「ぜひぜひ!これ食べて頑張ってください!」折角の機会だ、と思い切って一口。…なるほど。あの少年が常連になるわけだ。少年がメロンソーダを片手にマスターと世間話する声を聴きながら、ぺろりと平らげてしまった。あまり長居をするつもりもなかったので、足早に会計を済ませ、「美味しかった。また来させていただく」と挨拶をし、店をあとにした。とても充実した時間を過ごせて満足だ。たまの外出も悪くないな。家までの足取りは、心做しか軽かった。今ならなにか、新しい小説がかけそうだ。