公開中
〖溶ける解ける融ける〗
白兎が大きな額縁の前で止まった。
ふんすと鼻を鳴らして床に落ちた硝子、鏡の破片にぼさついた黒髪の男性が映ったのを確認した。
「...れ、異物......れ、異物.........お前は誰だ?」
始めは弱々しく掠れていた声が終わり際に力強く聞こえた。
桐山の後ろにいたミチルとイトが周囲を見回し、やがて気づいた。
その声が今は額縁だけになった鏡から聞こえていることに気づいた。
鏡がやがて咽び泣くように「`【アリス】`」と永遠に呟き続けた。
桐山だけが腰に吊った黒く硬いものに手をかけていた。
---
「...で、君ら〖アリス〗がここにいる理由は|女王《鏡》の|鏡の破片《白兎》集めのただの巻き込まれってわけ。
前に言ったはずだけれど、もう忘れたのかい?」
水を失った魚のように蠢く巨大な肉の上で懸命に爪を研ぐ汚ならしい猫。
|砂糖《シュガー》と|胡椒《ペッパー》をお互いに髪から撒き散らす人型がそれを慌てるように止めようとしている。その近くで匂いに釣られた数匹の白兎が右往左往していた。
「そりゃ、あんな長々とした説明の中で、ひっそりと言われましても...分かるはずがないでしょう」 (リリ)
「へぇ...美しい花に大量の水をやっても、うまく育たないかな?...ああ、これは...そうだね、分かりにくいか...|チャシャ猫《ブラザー》の方が上手そうだ」
「そのブラザーってあの猫ですか?綺麗な、方の...」 (結衣)
「...そうだね。太ってもっさりした方の猫だよ」
「兄なんですか?」 (結衣)
「兄弟なんかじゃないよ、それぐらい親しい...なんでそんなこと聞くんだ?!
君らはどっちが上か下か棲み分けることしかできないのか?!
言っておくけどね、僕らが話してる言語は君らに合わせてるだけであって、別に日本語_」
力がこもったのか爪をたてられている肉の身体が暴れ出した。
比例して止める手も激しさを増す。やがて、肉の皮膚が剥がれるように爪を立てた形で剥がれる。
組織液のように肉汁がその跡に染み出した。
ようやく離れたダイナが爪についた油を払う内に肉の暴走も止まり、皿の上で大人しく横たわる。
その横たわった肉を数匹の白兎が噛ろうとして、|砂糖《シュガー》と|胡椒《ペッパー》がその白兎を捕まえようとお互いの身体に触れたと同時に全ての白兎が|顔合わせ《鏡逢わせ》をした。
黙って見ていた|塩《ソルト》が急いで引き離し、肉の上で融合しかかった|砂糖《シュガー》と|胡椒《ペッパー》を助ける拍子に|塩《ソルト》が|胡椒《ペッパー》の方へ倒れ、完全に融合した。
塩胡椒と化した二つに|砂糖《シュガー》が急いで白兎の白砂を欠けた肉の上から払いのけた。
その様子にみかねたダイナと|砂糖《シュガー》の会話が続く。
「白砂だって、塩胡椒と変わらないだろうに...」
「変わる!というか、〖アリス〗!手伝ってくれ!|塩胡椒《■■■》は使いものにならないんだから!」
「...〖アリス〗...火鍋を鍋にかけてくれるかい?」
「...え?」 (結衣)
突然、ダイナに話を振られる結衣に代わり、リリが先に火鍋を火にかけた。
それを確認したダイナが肉に何かを囁き、肉がその火鍋に乗る。
そのまま白砂と塩胡椒、追った|砂糖《シュガー》が火鍋に入り、溶けるようにして全てが煮られていった。
砂糖や胡椒、塩の舞う髪が抜けて溶け、身体も徐々に溶けた液体に呑み込まれる。
液体の中で沈んだ肉は嬉しげに泳ぎ、狩り手のいなくなった鍋の中で偽夢である白砂だけを鍋から追い出して本物の|白兎《鏡の破片》だけを丁寧に落とした。
鍋の中で肉と黒くなった白砂と煮だった3つの調味料は火が止まるまで、鍋の中で泳ぎ続けた。
---
対比する黒と白のドールが嗤う。吊られた赤く、細い糸が対応するように首や手足を動かした。
「これは…なるほど、どちらだろうね?〖アリス〗」
チャシャ猫が白いビスクドールの上に飛び乗るなり、黒いアンティークドールが赤い糸に従うまま、チャシャ猫をどかそうとした。
「どちらって、何を?」 (凪)
「そのままの意味だよ、君はどちらだと思う?…ほら、よく言うだろ?」
「…操り手が、どちらであるか?」 (光流)
「そう、それ!」
「それなら、糸ではないの?」 (凪)
「君、なにを見てきたんだ?此処は確かに真実を映すけれど、対比しなくちゃならない。分かるだろう?もう、何回も何回も何回も…繰り返してるんだから!」
「じゃ、ドールってこと?それじゃ、これは_」 (光流)
光流が言いかけた途端にチャシャ猫に乗られていない白いビスクドールが光流を見つめて、一斉に動き出した。
全員が白く、双子のように瓜二つの何も無い顔で繋がった赤い糸をぶちぶちと千切って光流の方へ進む。糸に繋がれたままの黒いアンティークドールがよたよたとした歩きで白いビスクドールを止めようとして、逆に転倒し、コピーのように全ての頭に強い圧力がかかり、沈むように白い足が潜ると嫌な音を立ててひび割れが入り黒いアンティークドールの頭が踏み潰された。
その混乱の中でビスクドールよりも白く小さい生物が潰れるのが見えた気がした。
「…ふむ…まぁ、歳をとると止められないからね。特にヤングは」
チャシャ猫が白いビスクドールの上で笑った。例の白いビスクドールは抵抗をやめて、ただ呆然と立ち尽くし、自分と同じビスクドールが相手になる黒いアンティークドールの頭を踏み潰すのを見ていた。
「…そのうち、白いのだけ動き出しそうって思ったんだけど
…その通りだったね」 (光流)
「そっちに来ているけれど、大丈夫なの?」 (凪)
「別に人型なら躊躇わないよ」 (光流)
「君、やったことあるもんな」
「……言った?」 (光流)
「君が来てから、54回目でね。今は123回目。出たら異物に気をつけるといい」
「異物…?」 (光流)
その話の中で凪だけが何も言わない間、白いビスクドールが光流の目の前まで到着して、敬うように綺麗なお辞儀をした。
お辞儀する白いビスクドールの何人かの足に白いビスクドールよりも白い砂がついていた。その砂に向かって赤く細い糸が群がった。
「…おや…へぇ、良かったな……ヤングってのは群れなきゃ何もできないわけだ。
君、認められたんだよ…いや、単なる押しつけか」
「あまり、嬉しくなさそうね」 (凪)
「そりゃあもちろん。個人的には、この下のビスクドールが相応しいと思うんだけどね」
「…それは…どうして?」 (凪)
「責任ってのが胸の中で成長して、成長して…大人になっちまうからさ。それを今の彼が追うには少し負担が大きいんじゃないかい?」
「子供だって言いたいの?」 (光流)
「そうじゃない。ただ、そうだな……追われる身のトップはリスクがあがるってことだ。下の方の鼠なら、こそこそと回るだけでいいだろう?
つまり、こうだ。行けよ、ボンクラ。お前だって違うだろう?」
チャシャ猫が下の白いビスクドールに語りかける。唆されたビスクドールを見ながら、外野の二人が交互に感想を述べた。
「貴女って、案外…口が悪いというか…」 (凪)
「……育ちの良い方が…ひどく調子が良いのと同じだね」 (光流)
白いビスクドールがお辞儀をするビスクドールに話し掛けるような動作のあと、お辞儀をしていた白いビスクドール達が互いの耳元らしきところに手を当て、ひそひそと話し始める。
やがて、考えがまとまったのかチャシャ猫が今まで乗っていた白いビスクドールの身体を黒く塗り始めた。
そうする内にまた赤く細い糸が上から伸び、主導権をまた握るように身体を動かし始めた。
赤く細い糸の中で数本だけがやけに白砂をまとわりつかせた糸が混乱の中で揉みくちゃにされた|白兎《鏡の破片》を差し出した。
光流の代わりに凪が手を差し出し、白兎は確かに〖アリス〗の手の中にあった。