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数量限定チョコクリームメロンパン事件
ユーザー名:十七夜月満天
作品名:数量限定チョコクリームメロンパン事件
こだわり:事件の論理的解決と最後のオチ
要望:特に無し
|雨宮璃音《あめみや りおん》は今日も静かに本を読んでいた。
璃音にとって読書は単なる趣味ではない、処世術だ。
昔から人と関わることが得意ではなかったから、読書に集中することで誰も話し掛けてくるなと無言で周囲に訴えかける、これで相手に邪魔しちゃ悪いと思わせることが出来たなら璃音の勝ち。
人間関係に気疲れすることなく学校生活を円滑に進めることに繋がるのだから。
しかし、当然ながらこの処世術も万人に通用する訳ではない。例えば、お菓子のカゴを挟んで璃音の向かいの席に座る|竜胆日向《りんどう ひなた》はその代表例だ
日向は、毎朝、昇降口で友達と賑やかに話し、教室に入ってきても誰かにちょっかいを出し、教室の空気を一瞬で自分の色に染めていく。
璃音とは正反対の、一言で言い表すなら太陽のような女の子、そして璃音が最も苦手とするタイプの人間だった。
そして現在、日向と璃音は放課後の文芸部の部室で二人っきりなのである。
「あ、そうだ、ねぇ、璃音ちょっと良い?」
長机に突っ伏していた日向がいきなり顔を上げ、思い出したように口を開く、人がどれだけ集中して読書をしていても彼女はお構い無しである。
視線を上げると、日向は頬杖をついてこちらを見つめている。
窓から逆光で差し込む夕陽を背負い、ポニーテールに結われたライトブラウンの髪が輝いて見えた。
「……何?」
短く返すと、日向は待ってましたとばかりに身を乗り出した。
璃音は読みかけの文庫本に栞を挟み、日向をじっと見つめる。
「璃音は購買のチョコメロを必ず手に入れられる裏技ってあると思う?」
唐突な質問に璃音は一瞬思考が停止した。
チョコメロ、正式名称『なめらかチョコクリームメロンパン』
確か毎日三分で売り切れるという購買の大人気商品だ。あまり購買には行かない璃音でもその名を知っている。一度食べたらやみつきになる美味しさなんだとか。
ただそのチョコメロを必ず手に入れられる裏技なんて知らない。
「今日の昼休みにね、隣のクラスの西園寺さんがチョコメロを食べてたの! 西園寺さん特別足が速い訳でもないし、そもそもチョコメロ争奪戦に参加してないみたいなの、わたし購買で西園寺さんあんまり見かけないし、なのに中庭で勝ち誇った顔して頬張ってるの! おかしいと思わない?」
「……単に運が良かっただけじゃないの?」
「いや、運だけで片付けられる問題じゃないよ、だってあれ、限定二十個しかない超レア商品でしょ? 四限目終わりのチャイムと同時にダッシュしても買えないって、陸上部の子が泣いてたもん。なのに西園寺さん、今週に入ってから毎日食べてるの! わたしなんかもう二週間くらい買えてないのに」
話している内に日向の語気が熱を帯び始めた、彼女の表情は至って真剣だ。
興奮気味に両手を広げ、チョコメロを食べられなかったことが余程悔しかったのか、憤慨した口調で捲し立てる。
「それで気になって本人に直接聞いてみたの、そしたら、彼女なんて言ったと思う?『まぁちょっとした裏技かな』だって! なに裏技って、そんなの聞いたことないよ、購買のおばちゃんと裏で繋がってるとか!?」
「わかったから、落ち着いて竜胆さん」
璃音は興奮する日向に宥めるように声をかける、日向は「ごめん、熱くなりすぎた」と息を切らしながら笑って言う。そして、カバンから水筒を取り出すと、中身を一気に飲み干した。
日向は明るくて元気な子だけど、ここまで熱くなるのは珍しい、
「……でも、やっぱりおかしいよね?」
数十秒の沈黙の後、落ち着きを取り戻した日向は改めて口を開いた、璃音は先程の日向の言葉を反芻していた、確かに日向の話が全て事実だとするならおかしな点はある。
だけど、どうでもいい。他人が何を食べていようと、知ったことではない。
「ええ、おかしな話ね」、璃音は興味を失い、再び本を開こうと手を伸ばした、その手に日向の手が覆い被さる。突然触れる温もりに璃音の胸がドクンと跳ねた。
「そうだ、璃音、名探偵の謎解きに付き合ってよ!」
日向はいつも唐突に突拍子もないことを言う、璃音は「なんで私が……」と無気力に呟いた、しかし日向の耳には届いていないようだった。
「まずは聞き込みからだね、最初は購買のおばちゃんの所でしょ、それから──」
このままだと放課後の菫女学院ツアーが始まってしまう、その証拠に璃音の手を握る日向の瞳は、抑えきれない好奇心が目から溢れ出ているみたいにキラキラと輝いていた。璃音の去年一年間の観察に裏付けられたデータによると、こうなったら日向は自分が納得するまで止まらない。
こういう時、きっぱり断れないのが自身の欠点であると自覚しつつ、璃音は渋々ながら日向の謎解きに付き合うことに決めた。
但し、放課後ツアーは勘弁願いたい。可能ならこの文芸部の部室内で完結させるのがベストだ。
──そのためには情報がいる。
「……その前に今日の西園寺さんの様子、教えてくれる?」
「え、西園寺さんの様子? 良いけど、いつも通りだったよ。紙袋を大事そうに抱えて中庭のベンチでチョコメロ食べてた。あと、同じクラスの子たちにチョコメロを分けてあげてた、きっと二つくらい買えたんだよ!」
何気ない日向の言葉に璃音は違和感を感じ取っていた、それはこの謎を解く大きな手掛かりだった。
菫女学院の購買のパンは透明なビニールに包まれた状態で売られている、会計を済ませた後もパンは紙袋に入れられることはない、店頭に並んだ状態のまま渡されるのだ
では紙袋はどこから? 紙袋は西園寺さんが家から持ってきたものだと仮定して考えてみても用途が不明だ、パンを持ち歩くためだとしても校内の、それも一階の購買から中庭までの移動距離なんてたかが知れてる。
だが、購買から中庭よりももっと長い距離を持ち運ぶためだとしたら?
「なるほど、じゃあ昼休みの前後は?」
「前後? 昼休みの前に出会ったのは朝の昇降口だったかな? うん、そうだ昇降口だ。スカートにひっつき虫がいっぱいついてた! オナモミっていうんだっけ? この学校、身だしなみにうるさいから取ってあげた、それからは会ってないんだ」
日向の言うように、菫女学院は服装に厳しい、毎朝校門には生徒指導の先生が立っている、多くの生徒は校門手前で身だしなみをチェックする、西園寺さんもその一人だろう、オナモミほど大きな実がスカートに付いていたのなら気付いて取るはずだ。
オナモミがスカートに付いたのは校門を通り抜けてからだろうか? そう言えば、旧校舎の方には一ヶ所だけオナモミが生えている場所があった……フェンス沿いに植えられたツツジの木の前だ。
日向は机に置かれたカゴから個包装のクッキーを一つ手に取り、口に入れた。バリバリという咀嚼音はすぐに聞こえなくなり、日向は再び話始めた。
「それで昼休みの後は五限目と六限目の間の休憩時間に友達と話ながら西園寺さんを観察してたんだけど、西園寺さんずっと自分の席でプチプチを潰してたの、ストレスでも溜まってるのかな、チョコメロを食べても解消されないなんて」
プチプチ——気泡緩衝材、潰してストレス解消という用途もあるが本来は衝撃の吸収のために使用される物。
より具体的に言うと壊れやすい物の保護、例えば中にクリームが詰まったパンのような……。
紙袋、オナモミ、プチプチ。
バラバラに見える三つのピースが、璃音の頭の中でカチリと音を立てて噛み合った。
世界が急速に収束していく感覚。
無関係なはずの雑音が、一つの旋律に変わる。
璃音は無意識のうちに、右手の人差し指でメガネのブリッジをくい、と押し上げていた。
「……竜胆さん」
「ん? なに?」
「その裏技、種明かしをしてあげましょうか」
「えっ?」
日向が目を丸くする。
璃音は小さく息を吐いた。本当は、静かに本を読んでいたい。
けれど、日向が持ってきたこの「パズル」は、解かれることを待っているような気がした。そして何より、日向のあの期待に満ちた顔を無視して読書に戻るほど、璃音は器用ではなかった。
「西園寺さん、日向に裏技があるって言ったのよね? 細かい所まで覚えてる?」
「細かい所って言っても……何を聞いても『ちょっとした裏技』としか答えてくれないんだよ」
日向の証言に嘘は無いだろう、西園寺さんは裏技があるとしか言っていない。そして日向は購買に関係した裏技だと思っている節がある。まぁ、それも当然だ、実際メロンパンは購買で売られているものだからだ。
「竜胆さんは、思い込みに囚われてある可能性を見落としていると思う」
「かのうせい?」と日向は小首を傾げる。ポニーテールがさらりと揺れた。
璃音は静かに言葉を紡ぐ。
「それは、西園寺さんの言う裏技は、購買で必ずメロンパンを手に入れる方法ではないという可能性。だから私はこう考えた、彼女の裏技は誰にもバレずに学校の外からパンを運び入れる方法なんじゃないかって」
「ええっ!?」璃音の言葉によほど衝撃を受けたらしい、日向はオーバー過ぎるリアクションで驚いていた。
「だって西園寺さん、昼休みに紙袋を抱えていたんでしょ?」
その問いに日向は短く「うん」と頷く、璃音は「購買でパンを買うときのことを思い出して」と淡々と告げる。
日向は「あっ」と声を漏らす。日向も紙袋の不自然さに気付いたようだ。
「その紙袋は恐らく毎朝菫女学院にパンを卸しているベーカリーのもの」
西園寺さんは登校中にそのベーカリーに立ち寄ってなめらかチョコクリームメロンパンを購入した、パン屋はだいたい朝早くから開店しているから登校中に立ち寄ることも可能だ。こうして西園寺さんは入手困難なパンを手に入れることに成功する。
「でも昇降口で会った時は紙袋なんて持ってなかったし、校門には鬼の鎌田が居るんだよ」
呼び捨てにしている辺りどうやら日向は生徒指導部の鎌田が嫌いらしい。
「西園寺さんが校門を通る時、すでにメロンパンは校内にあった」
璃音の推理に日向は「えぇ?」と怪訝そうな声を上げる「まさか、転移魔法を使ったとか言わないよね?」
「……それは、とても現実的な方法、メロンパンは空を飛んだの」
現実的の意味知ってる?とでも言いたげに日向は見つめてくる、
校門では生徒指導部による服装と持ち物の検査が行われている、この学校ではお菓子やジュースは持ち込み禁止、欲しければ購買で買えというスタンスだ、故に購買で買えるメロンパンは高確率で検査に引っ掛かるだろう。
西園寺さんはどうにかしてこの問題をクリアしなければならない。
「ここでプチプチの出番、西園寺さんはベーカリーから校門までの間にメロンパンをプチプチで包んだ、理由は落下の衝撃を吸収するため」
「落下って……まさか、西園寺さんはフェンスの上から投げ入れた?」
「その通り、そしてその場所は旧校舎のフェンス沿いに植えられたツツジの木の前、彼女にはツツジの木がちょうど良いクッションに見えたのね」
メロンパンに細工を済ませた西園寺さんは旧校舎側の閉ざされた旧校門付近、彼女専用の搬入口へと向かう、そしてフェンスの上からメロンパンを投げ入れた、プチプチで厳重に包まれているとはいえ二メートル以上の高さからクリーム入りのメロンパンが地面に叩きつけられれば中のクリームは飛び出て悲惨なことになる、だから落下場所の選定は慎重にしなければならない。
彼女が選んだのはツツジの木だった、と言うよりそれ以外の選択肢はなかった、あの場所でクッションになりそうな低木はツツジ以外に有り得ない。
「先にメロンパンの搬入を終えた西園寺さんは、後から何食わぬ顔で校門のチェックをすり抜け、メロンパンを回収する、スカートのオナモミはこの時付いたもの」
さらに言うと、西園寺さんは誰かに見つかってはならないと、内心かなり焦っていたはず、スカートのオナモミに気を配る余裕はなかった。だから日向に目撃された。
「あと、回収したメロンパンだけど、そのまま教室に持ち込んだら匂いでバレるから、昼休みまでどこかに保管しないといけない、私なら旧校舎の下駄箱を選ぶかな」
これで、正誤はともかくとして日向の証言が一本の線に繋がった。
璃音の説明が終わると、日向は感嘆のため息をつき、目を輝かせて私を見つめた。
「すごい……すごいよ璃音! 全部繋がった! 名探偵は璃音だった!」
「……ただの消去法よ。騒がないで」
璃音は照れ隠しに、わざと冷たく言い放ち、再び本を開こうとした。
それにしても、と璃音は思う。
「しかし、理解できないわね」
「え? 何が?」
「たかが菓子パン一つに、そこまでのリスクを冒すなんて。西園寺さんは成績優秀な生徒だと聞くし。もし見つかったら、ただじゃ済まないのに」
厳格な校則を破り、裏門から物を投げ込むなど、停学までは行かないにしても教師からの評判は大きく下がり今後の学生生活にも影響するだろう。
そこまで彼女を駆り立てる理由が、璃音には分からなかった。
すると、日向はきょとんとした顔で、何を当たり前のことを、というように言った。
「えっ、だってあのパン、すっごく美味しいんだよ? 食べるためなら何だってするよ!」
「……そんなもの?」
「そんなものだよ! だって、先月私が放送部のお昼の放送にゲストで出た時、『この世で一番美味しいパン!』って全校生徒に紹介したんだもん! みんな食べてみたいに決まってるじゃん!」
日向は屈託のない満面の笑みを浮かべた。
璃音は頭痛を覚え、こめかみを指で押さえた。
つまり、こういうことだ。
日向がパンを宣伝して入手困難にしたせいで、西園寺さんがパンを買えなくなり、追い詰められた西園寺さんが「裏技」を編み出し、その奇妙な行動を、元凶である日向が「不思議だ!」と騒ぎ立てて私のところに持ってきた。
マッチポンプにも程がある。この太陽のような少女は、無自覚にトラブルの種をまき散らし、それを自分で拾い集めて楽しんでいるのだ。
「……璃音? どうしたの、怖い顔して」
「……竜胆さん」
「ん?」
「つまり、そのパンが入手困難な『幻のパン』になったのも、西園寺さんがあんな危険なトリックを使わなきゃいけなくなったのも……」
璃音は深いため息を一つついて、メガネの縁を押し上げた。
「……全部、あなたが元凶なんじゃない」
「えっ!? ……あ、あはは! 言われてみればそうかも!」
日向はテヘッと舌を出して頭をかいた。
璃音はもう一度ため息をつき、今度こそ本の世界へと逃げ込んだ。
この先、この調子で彼女に振り回される未来が、ありありと見えた気がしたからだ。