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傷と花束(前編2)
櫻井さんを観察して、少しわかったことがある。
まず彼女は、昼休みを必ず友人たちと過ごす。一見無意味に思える連れ立ってトイレに行く行為も、放課後の教室の机に座ってだらだらと中身のない話を続けるのも。人の輪があるところには必ずいるんじゃないかと思うほど、彼女は社交的な性格だった。
対する私はというと、まず休み時間なんて短い時間にわざわざ話すような関係性のクラスメイトはいなかった。授業が終われば、めいめい『輪』を作り、10分間を「ひとりぼっちだと思われない」ように過ごす。それに乗り遅れてはいけない。そして、万が一乗り遅れてしまえば、あとは「何かやることがある人」を演じるだけだ。やりたくもない自習をしたり、机で眠っているふりをしたり、鞄の中からあるはずのない何かを取り出そうとかき回してみたり。私はただ、そんなくだらない演出だけを身につけた。いつも心のどこかで、クラスメイトが自分を嘲笑い、惨めだと密かに見下す幻聴を感じながら。
つまるところ、私と彼女は対局に位置する人間だった。
円満、それが彼女の生き方だ。
彼女は全てのことに全力だ。それは人間として、とても好ましいように思えて、私は複雑だった。インスタグラムで自慢されるような生活は、全く違う世界のようにしか感じられない。画面の中の作り物としか思えないことなのに、彼女はそんな生活を送っているようだった。彼女に自慢したいという気持ちは微塵もないということは理解できるけれど、余裕のない私はどうしても湧き上がる醜い嫉妬を押さえつけることはできなかった。
対する私は、削ぎ落とされた生活を送っている。人間関係、娯楽、趣味、およそ高校生のうちにしかできないようなことは、軒並み諦めた。それらはもう私の手の届かないところに行ってしまった。いつからか、取り上げられるようになった。あとは一つ、手元に残されたものを、こなす、こなす、こなす。そうして生活を塗り固め、彼女に負けている今がある。
そのことにどうしようもなく腹が立ち、涙が浮かびそうになる。そんな時の喉の焼け付くような痛みは、なかなか消えてはくれないのだ。
時折、私の頭の中を掠めるものがある。それは例えば、休み時間に誰かと談笑することであったり、なんでもない休日に出かける約束をすることであったり──そんな断片的な映像は、私が実際に経験したことがないせいで、いつも不完全なものだった。
何度も頭の中で繰り返す映像。自習室、長い髪、平凡な私の名前を呼ぶ声。
私がもし彼女を誘えるような立場だったら、彼女は私に応じてくれるのだろうか。
そこまで考えて、嫌気がさしてやめた。