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第2章:バビロン会議――血塗られた地図
王の遺体が安置された隣の間では、帝国を無惨に解体しかねない激しい応酬が続いていた。後に「バビロン会議」と呼ばれるこの談判は、秩序の再構築などという高潔なものではなかった。それは剥き出しの欲望を「妥協」と「形式」で包み隠し、誰がより大きな肉片を毟り取るかを決める、血の匂いのする饗宴であった。
円卓の最上席には、王から指輪を預かったペルディッカスが、自らを全軍の最高司令官であり王の代理人であるかのように装って座っている。彼の提案は狡猾を極めていた。王の異母兄である、知的能力に欠けるアリダイオスを「フィリッポス三世」として即位させ、さらにロクサネ王妃の腹にいる未だ見ぬ子を共同統治者とする。そして、自身が「摂政」としてその全権を振るうという、操り人形による統治だ。
「誰が王を継ぐかという些末な議論に時間を浪費してはならん。我々が今なすべきは、この大帝国を蛮族の反乱から守ることだ。我々は結束しなければならぬ」 ペルディッカスが、重厚な声を響かせ、居並ぶ将軍たちを冷徹な視線で威圧する。しかし、その言葉が消えぬうちに、場を白けさせるような乾いた笑い声が響いた。
アンティゴノスである。隻眼の老将は、切り傷の絶えない太い腕をテーブルに叩きつけ、そこに広げられた巨大な羊皮紙の地図を指さした。 「結束だと? 笑わせるな、ペルディッカス。貴公がその玉座の近くで甘い蜜を吸う間、俺たちがどれだけの血を流してこの地図を広げたと思っている。俺たちが知りたいのは、誰がどの領土を支配し、誰から税を徴収し、誰の軍勢を率いる権利を持つか――それだけだ。俺はアジアの長官(サトラップ)として、この肥沃な大地を任せてもらう。小細工をするなら、この剣が黙っていないぞ」
「強欲が過ぎるぞ、アンティゴノス。年長者の特権を盾にするつもりなら、この場にいないアンティパトロス殿はどうなる」 地を這うような冷たい声で応じたのは、リュシマコスだ。彼は椅子に深く腰掛け、鋭いナイフで爪の間の汚れを落とすように、微動だにせず場を観察していた。 「貴公がアジアの富を独占するなら、私は北のトラキアへ行く。あそこには不服従の山岳部族と、骨を凍らせる冬の風しかない。だが、そこはマケドニア本国の喉元を握り、黒海の交易を監視できる地だ。そこを私の独立した領土として承認せよ。さもなくば、私は貴公らの背後をいつでも突ける位置に留まることになる」
会議は数日間に及び、広間には汗と、焦げ付くような殺意が充満していた。 マケドニア本国とギリシアの支配権は、不在の老将アンティパトロスに委ねられたが、その息子カッサンドロスは、父からの書簡を通じて、この会議に冷徹な毒を注ぎ込んでいた。 カッサンドロスは大王を憎んでいた。自分たちを奴隷のように扱い、東方の文化に染まった王への嫌悪だ。彼は「王家という存在そのものが、新たな秩序の邪魔になる」という過激な思想を密かに同志たちへ漏らし、次世代の権力者としての椅子を狙っていた。
議論が完全に膠着し、ペルディッカスの苛立ちが剣の柄に手をかけようとしたその時、それまで沈黙を守っていたプトレマイオスがゆっくりと右手を挙げた。 「私は、エジプトの総督に任じられたい。あそこはナイルの恵みがあるが、一方で砂漠と海に囲まれた孤立した土地だ。帝国の中枢を争い、王座を巡って殺し合う諸君の邪魔にはならんだろう。私はただ、静かに歴史を記録し、ナイルの夕陽を眺めていたいだけなのだよ」
ペルディッカスはプトレマイオスを疑いの目で見据えた。プトレマイオスは大王の幼馴染であり、誰よりもその本質を理解していた男だ。そんな彼が権力の中心から退こうとするのは、あまりに不自然に見えた。しかし、強力なライバルが辺境へ引きこもるという申し出は、ペルディッカスにとって自らの摂政権を安定させる好都合な譲歩に思えた。
「よかろう。プトレマイオス、貴公にエジプトを預ける。ナイルの流れに身を任せ、砂漠の王として余生を送るがいい」
この瞬間、世界地図は正式に、無惨に切り裂かれた。セレウコスは、この時点ではまだ大きな領地を与えられず、ペルディッカス直属の「千人隊長」という、位は高いが実効支配地を持たない地位に封じ込められた。しかし、彼が会議の席で地図を凝視していたその瞳の奥には、冷めやらぬ執念の炎が灯っていた。
会議が終わり、将軍たちがそれぞれの任地へと向かう喧騒の中、プトレマイオスはセレウコスの隣を通り過ぎる際、聞き取れないほどの小声で囁いた。 「地図は決まった。だがセレウコス、支配の正統性は羊皮紙の上には載っていない。それは、あの奥底に眠る『王の体』の中にあるのだ」
セレウコスは足を止め、背筋に走る戦慄を覚えた。 王の遺体は、マケドニアの伝統に従えば、黄金の霊柩車に乗せられ、数年かけてマケドニアのエガイへと運ばれるはずだ。それは帝国の連続性を象徴する聖なる行軍となる。 だが、もしその「神の器」を別の場所へ運び、自らの土地に埋葬する者が現れたら。アレクサンドロスの遺体を持つ者こそが、神の遺志を継ぐ「最強の者」としての最強の免罪符、そして正統性を手に入れるのだ。
「……本気か、プトレマイオス。それは全マケドニア、全ディアドコイを敵に回す行為だぞ。ペルディッカスは貴公を逃がしはしない」
「敵に回して、かつ。それがアレクサンドロスに学んだ唯一の戦法だ。世界を敵に回してこそ、一国の主と言えるだろう? セレウコス、君もこのバビロンで腐るつもりはあるまい。次に会う時は、王座を賭けた戦場かもしれんな。あるいは、私の墓を君が作ることになるか」
プトレマイオスは、夕闇に包まれ始めたバビロンの喧騒を背に、王の遺体が安置された方角をじっと見据えていた。その瞳には、黄金の霊柩車を伴って砂漠を往く、自らの輝かしい葬列がすでに映し出されていた。