名前変換設定
この小説には名前変換が設定されています。以下の単語を変換することができます。空白の場合は変換されません。入力した単語はブラウザに保存され次回から選択できるようになります
公開中
#2 『episode R:舞台裏のララバイ』
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
--- 泡になって消えた ---
--- それでも意識は残っている ---
--- 人魚は叶わなかった夢を夢想する ---
--- ただ一人、|子守唄《ララバイ》を歌いながら… ---
---
目が覚める。またも知らない部屋だったが、今度はどことなく見たことがある雰囲気だ。どこだろう、どこで見たのだろうか。
カーテンに白いベッド、そして天井にはライト。先ほどのように無機質な印象を与えるものはあまりなかった。
とりあえず状況確認のために上体を起こす。と、腕に違和感があることに気がつき、咄嗟に腕を確認した。
「……点滴?」
腕に刺さっている管の行方を辿ると、よく見る点滴パックのようなものがある。ということは、ここは病院…??
でも、この部屋の雰囲気は病院とも違うような気がする。もうちょっとこう、生活感?があるというか……
「…あ、学校の保健室?」
「ここは医務室だ」
「ほぁ」
突然横のカーテンから人がにゅっと生えてきたので思わず反対方向へと身体を反らせる。び、ビックリした…気配が無かったから、気がつかなかった。
と、生えてきた人の顔がどこか見覚えがあることに気がつく。そうだ彼、僕を助けに来てくれた子だ。
「その、ありがとうございます」
「急に何、ビビらせたことに対する礼か?」
「い、いえその…助けに来てくださった方…ですよね?」
そう言うと、少年はそういえばそうだった、という風な顔をして視線をさ迷わせる。もしかして、何か聞いたらマズいことを聞いたのだろうか。
「……まァ、そうだな。でも俺だけじゃなくて他にもいたぞ」
「そうだったんですか?」
もしかしてたまたまこの子が早く見つけてくれただけで、シイさんもいたのかもしれない。そんな期待を乗せて聞いてみたけれど、物凄く気まずそうな顔をさせてしまった。
嗚呼、やっぱりいなかったのか。うう、期待してしまった分だけ落胆がつらい。
「…その、一応言っとくけど、アイツはそもそも所属してる隊が別の作戦入ってて手ェ空いてなかったんだよ。だから話も持ちかけてなかったし、多分お前が浚われてたのも今知ったと思うぞ」
「…!そ、そうですか。そうですよね…あ、すいません気を遣わせてしまって……」
「いや……別に、良い。疲れてるだろうし…」
疲れている?そんな風に思わせてしまったのか、こんなに小さな子に…と、なんだかひどく申し訳ない気持ちになった。
別に大丈夫ですよ、と言いベッドから降りようとする。しかし、ひどく焦った様子の子に止められてしまった。
「まだ寝てろ!自分が今、どうなってるのか分かってねぇだろ……!!」
「……そんなに、あれですか?」
「………悪い。その……無神経だった」
分かりづらいが、恐らく落ち込んでいるであろう彼に大丈夫ですよ、と声をかける。これは痩せ我慢とかじゃなく、本当に大丈夫なのだ。
自分が今どうなってるのか分かっていないのは事実だし、無神経さならシイさんの方がずっと上だから。……自分で言っておいて何だけれど、そんな無神経さに慣れてしまっているのってどうなんだろう。
「………お前、なんつーか、頭が低くないか」
「え、頭……ですか???」
頭、頭???頭が高いとか言うからまぁ、あるのだろうか?随分不思議な言い回しだと思っていると、目の前の子は驚いた顔をして、そのあと悩みだしてしまった。
「……頭、頭……ん?頭か?いや……」
「………ええと、その…?」
「…相手を見下さずに、謙虚で控えめ、な…身体の一部が入る慣用句って、何だ?」
突然のクイズに、少しだけ面食らう。……そうか、まだ彼は幼いから学校に行っているのかもしれない。
習いたての言葉なのかな?と思いつつ、彼の言葉に該当する慣用句を探し出す。ああ、もしかしたらあれだろうか。
「…腰が低い、ですか?」
「!そうだ、それだ。……ありがとう」
「どういたしまして」
思い出せなかった言葉が思い出せた時って嬉しいよね、と思わず微笑んでしまう。……そういえば、こんなに自然に笑ったのは久しぶりかもしれない。
言葉が分かった彼は心なしか嬉しそうな顔をしていて、それは年相応な表情だった。でも、こちらが微笑んでいるのを見るとすぐにしかめっ面に戻ってしまう。
「…あー、だからお前は…腰が低い」
「そう…なんですかね」
「そうだ。お前頭良いだろ、なのに心の底から謙虚で嫌味がねェ。俺がヤなこと言っても気にもしねェし……そういうの、腰が低いって言うんだろ」
「そ、そうですか………」
なんだか、物凄く褒めて貰っている気がする。顔以外を褒められるのはだいぶ久々だったからか、あまり慣れていなくて凄く……なんだろう、照れてしまう。
こういう時、なんと返せば良いか分からなくって、でも否定するのもあれだから「ありがとうございます」としか言えなかった。
「……照れすぎだろ」
「その、あまり褒められたことがなくて」
「ハ…??いや、おま……なんでだよ」
「なんでと、言われましても……」
頭が良い、だなんて言われたのは小学生以来だった。そもそも、ここでの頭が良いってどういう定義なんだろう。記憶力だろうか?
彼が僕のことを頭が良いと判断した材料は、僕が彼の知りたかった言葉をすぐに伝えたから。それであれば記憶力、もしくは知識量だろう。
どちらにせよ、勉強をしていれば身に付くものであるし、ここは素直に努力を認められたと受け取っておく。…とても照れるが。
そういえば、彼は随分と素直な子だなぁと感心する。思ったことをすぐ口に出すからかだいぶその……無神経になりがちだが。
それでも、本心が一切分からないよりもずっと接していて心は楽だ。それにこのくらいの子は素直な方が可愛い。というかどんな性格でもこのくらいの子は可愛く見える。……あれ、もしかしてこれ、おじさん化の傾向か……???
「…あー、その……とにかく、起きたら伝えろって言われたから呼んでくる」
「え、呼んでくるって……誰を?」
「医療隊隊長。お前も知ってるぞ」
---
「…フーゾさん、でしたか」
「んだよ、不満か?悪かったなバカスカ殴る暴力男が医療隊の隊長で」
「ああいえその……どんな方なのだろうと思っていたので、純粋に驚いて…」
「あっそ。じゃあ、お前が今どうなってるか言うから気になったことがあったら聞け」
ドカ、とフーゾさんは目の前の椅子に座る。先ほどの子は、フーゾさんを連れてくるとそのままどこかへ行ってしまった。とても良い子だったので、少し寂しい。
フーゾさんは何やらカルテらしきものをペラペラとめくり、あーだとかうーだとか、意味の持たない言葉を呻きながら言葉を探しているようだった。
「………うし。説明するぞ」
「はい、よろしくお願いします」
---
「お前はまず、寝ている間にメーラサルペの奴らに身体をいじられた。といっても組み換え系じゃなく、付け加えるタイプだ」
「なるほど……あくまで元の素材を生かすというよりは、より強みを足されたんですね」
「…そう。それで、お前に付けられたパーツは…ざっと言えば「人魚姫」だ」
「人魚、姫…??それはその、人魚姫が持つ要素が僕に複合されたという感じですか」
「ああ、うん……まぁ、そんな感じ。お前の場合は…恐らく魔力の付与、そして眠っていた潜在能力の権限、あと多分……人魚姫の逸話からなんか要素が付け足されてるはずだ」
「つまり、基本的には魔法?の要素が強いんですね。ただ、聞いている感じだと複合の効果は一定では無いように思うのですが…」
「……まぁ、そうだよ。一応別の生きモンを無理やり混ぜるからな。運が良けりゃデメリット無く良いとこ取りができるし、運が悪けりゃ最悪死ぬ。…お前は運が良い方だ」
「なるほど。…人魚姫の逸話に出てくる要素と言うと、魚との意志疎通ができる、喋れなくなる、王子を刺せば人魚に戻れる、泡になって消える……ぐらいですかね?」
「………お前さ、なんでそんな冷静なの。普通もっとこう、動揺とかあるだろ」
え、と息が漏れる。ちゃんと聞いた方が良いと思ったから、余計なリアクション無しで聞いていたのだが…駄目だったのだろうか。その旨を伝えるとフーゾさんは「やけに他人事だな」とだけ言って、またカルテに視線を戻した。
「あーそんで、だ。お前に魔力が与えられたって言っただろ。…その影響で、今お前はちょっとでも動くとすぐに体力切れでぶっ倒れるようになってる」
「そうなんですか」
「そうだ。慣れてねぇモンに慣れるために、体がそっちにエネルギー使ってんの。一応、あっちの奴らが魔力臓器付け加えたっぽいから、しばらくすれば慣れる。そうすりゃ……魔法も使えるだろうな」
魔法も使える。魔法、魔法が使える。しばらく言葉の意味を理解するために考え込んで、そうしてやっとじわじわと喜びがやって来た。
魔法が、使える!!!僕もあの魔法を使うことができるのだ。凄い、とても嬉しい。思わず口角が上がってきてしまうし、興奮からか頬も暑い。ああ、こんな顔フーゾさんの前でしてたら怒られそうだ。
む、と頬を両手で抑えなんとか火照りだけでも収めようとする。が、なかなか上手く収まらなかった。
「………嬉しいのは分かるが、使えるようになるためには訓練がいる。そこは……リンに任せればお前も気が楽だろ」
「リン?」
「白黒のガキ。お前さっきまで喋ってたろ」
どうやら、彼はリンくんというらしい。…そういえば名前を聞いていなかったな、と今さら思い出す。
そうか、彼も魔法を使えるのか。…あの子に教えて貰えるのは、そりゃ凄く嬉しい。嬉しい、が……
「……その、フーゾさんにご指導賜ることってできたりするのでしょうか…?」
「…ハ?」
「ああいえその、お時間がある時で……嫌でしたらもう全然断ってください…」
「…いや、そうじゃなくて。俺で良いのか」
へ、と思わず口から音が出た。フーゾさんには前に一度魔法を使って貰ったけれど、まだ直接見せて貰ってはいないし…何より、彼はきっと教えるのが上手そうだから、という旨を伝える。
フーゾさんには少し考える素振りを見せた後「誰がやるか。そんなんしたらシイがうるせぇ」と結局断られてしまった。うう、残念…
「……お前、怖くないのか?」
「…ええと、それは何がでしょうか」
「俺だよ。…散々殴っただろ、お前のこと」
そりゃまぁ、怖いですけどもね???と言いそうになるのをグッとこらえる。確かに怖いけれど、でもそれくらいなら父でもう慣れているのだ。
「怖くないと言えば嘘になりますけど…慣れてますので」
「………そうか」
そう言うと、フーゾさんはカルテの1枚を僕に渡してくれる。そこには、僕の身体情報や改造された点、そして日常生活を送る上での注意点とやるべきことリストが分かりやすく並んでいた。
もしかして、僕のための資料だろうか。そう思い顔を上げると、もうそこにフーゾさんはいなかった。
また今度会ったとき、ちゃんとお礼言おう。そう思いながら、また資料に目を戻す。早めに内容を覚えておかないと、怒られてしまいそうだ。
(フーゾさん、なんかいつもより優しかった)
相変わらず言葉はキツかったけれど。それでも何となく、彼の態度が軟化したように思えるのは僕が慣れてしまったからだろうか。
---
「いや、おかしいだろ」
「えっ」
出会った当時のことを話すついでにリンくんにフーゾさんが優しかった時のことを話したのに。リンくんはバッサリ「おかしい」と切り捨ててしまった。その容赦の無さに、相変わらずだねと笑ってしまう。
あれから四年が経ち、僕は25歳になった。僕が保護されてから仲良く(?)なったリンくんは現在19歳。そう、彼は僕の6個下だったのだ。リンくんが小学一年生のとき、僕は中学一年生、年齢差を実感して死にそうである。
さて、この四年間僕はリンくんに魔法の指導を受けていた。
まずは魔力の流れを理解し、次にその流れを早くしたり遅くしたりする。慣れたら簡単な魔法を使ってみて、徐々にレベルアップ……と、そんな感じで四年間ゆっくりとやるつもり__だったらしいのだが。
思ったよりも呑み込みが早いというか、まぁざっくり言ってしまえば「才能がある」とのことらしく、結構すっ飛ばしながらなんと一年間でとても高いレベルにまでいけてしまった。
まぁこれに関しては学校の授業とかで人の言っていることを理解する力がついていたからかもしれないが……どちらにせよ、何かの分野で認めて貰うと言うのはとても嬉しいことだ。
そんなわけで魔法が実戦でも使えるようになった頃。僕はシイさんの勧めで軍の特攻隊に入ることになった。
四年前症状を聞いていた時には普通に聞き流していたが、僕はどうやら不老不死になっていたらしい。
不老不死で、かつしっかり戦うことができて、あとついでに油断しやすい見た目をしていること。これらの要素はとても特攻をするうえで役に立つことらしく、もしよければやってみないかと言うことだった。
もちろん最初は断った。死ぬのはさほど怖くはないけれど、不老不死の僕が特攻隊に入るのは、他の特攻隊の人たちの覚悟を踏みにじるような気がしたのだ。
けれど、そこからあれよあれよと説得され、結局は所属してしまった。まぁ、僕の命で沢山の人が助かると言われればやるしかないだろう。
そういえば、特攻隊に所属する件については僕の周囲の人たちはだいぶ賛成していたが……今一緒にお話ししているリンくんだけは最後まで反対していた。
実はリンくんも僕と同じ理由で特攻隊に入れられていたらしく、自分のようになってほしくないと思ったからだそうで。そんなに気にかけられていたんだと、場違いだけれどとても嬉しかったのを覚えている。
「おい!聞いてるのか?」
「あ、すいません。考え事をしていました」
「お前なぁ……」
はぁ、とリンくんを呆れさせてしまった。ごめんなさい、と謝ると、なんだか変な顔をされてしまう。
リンくんは、時々こんな風に変な顔をすることが多い。なんだか複雑といった表情で、あまりどんな感情なのか分からないのだ。
「言っとくけど、お前の基準はおかしいぞ。ステータスに関しちゃやけに理想が高いと思えば、対人関係のうんぬんは異様に低いし」
「は、はぁ……?」
「お前さ、何か一回でもアイツらと話してて幸せになったこととかってあんの」
幸せになったこと。そう言われるとあまり思い出せなくて、うーんと頭を捻る。急に言われるとなかなか出てこない、けれども…
「………魔法を褒めて貰ったとき?」
「へぇ、どんな感じで」
「おおすごいね、みたいな感じでした」
「軽っ?!!それでかよ……」
リンくんが驚き、次にしかめっ面になる。彼は表情は固いけれども結構感情が豊かだ。それに時々年相応の…幼い顔もする。とても可愛い。
「……お前さ、ちゃんとしたコミュニケーションを取る奴と会話したことってあるか」
「さすがにありますよ…?!例えば……えー、メーラサルペの総統さんとか」
「一回しか話したこと無いだろ!!!しかも敵国かよ」
「あ、リンくんもそうですよ」
僕がそう言うなり、リンくんはきっと僕を睨み付けてアホか!と叫んだ。…ここだけ見たら怒っていそうだが、リンくんは照れているだけである。キレデレというやつだ。
「あーもう!とにかく、お前の対人関係に対する期待値は低すぎ!!んでそれは……アイツらと一緒にいるからだろ?」
「、で、でもそれは…あの人達は正しいコミュニケーション方法を知らないだけで……」
そう、彼らはきっと正しいコミュニケーションの方法が分からないのだ。特殊な施設で育ったと言っていたし、それに、殺し屋や軍人なんてやっていたらきっと心も荒むだろう。
もっと、もっと僕が《《ちゃんとすれば》》、あの人達の心労も減って、もしかしたらちゃんと接してくれるかもしれない。それこそ暴力や、性行為なんかに頼らずに。
「………お前、自分がおかしいことを言ってるって分かってないだろ」
「そんなに、おかしいですか」
「普通!!俺は殴られたらぶっ殺したくなるし、変なコトされてもぶっ殺したくなる!!自分が嫌だって思うことされたら、相手を嫌いになるし、謝られたって許したりしねェ」
「……それは、リンくんがそうなだけでは…」
確かに言っていることは正しいかも知れないけれど、でも彼らだって分からないのだから仕方がないだろう。…そう、仕方がないのだ。
「そもそも、ちゃんとしたコミュニケーション方法を知らねェって言ってるけど。お前、アイツらの他の奴に対する態度知らねェだろ」
「……どういうことですか」
そう言っておきながら、僕はその先を聞きたくないと思っていた。だって、聞いたらきっと耐えられなくなる。僕は、いや、彼らは知らないだけ。知らないだけなんだ。仕方ないんだ。だってそうじゃないと、《《仕方なくなくなってしまう》》。
まって、やめて、そう思いながら口には出せなかった。聞きたくなくて、聞くのが怖くて。それでも、リンくんは僕の心も知らずに言葉を続けた。
「シイは確かに下半身が緩いけど、全く見境がないわけじゃない。話すときはちゃんと話す。フーゾはそもそもキレたからって殴らねェし、怪我した奴には治癒魔法かけてる」
「………」
「お前にだけ、そういうことしても良いって思われてんだ、蔑ろにされてんだよ!!!いい加減目ェ覚ませ!お前が、縋ってるソイツらはお前のことなんかどうだって良いんだよ!!ちゃんと、自分を大事にしてくれる奴とつるむなりなんなりしろよ!!」
「そんな人どこにいたんですか!!!」
「…!」
「僕の周りにそんな人いなかった!!!誰も彼も僕のことなんてどうでも良いって、使える道具になれってばっかり……!!!人として、ちゃんと認めて貰ったことなんてなかったんですよ?!!!なのに、今更どうやって見つければ良いんですかそんな人!!!」
「……零」
「シイさんとフーゾさんが変なんてもうとっくのとうに分かってるんですよ!!!それでも、気づいてないフリしてるんです!!僕にはもう、あの人達しかいないから!!!だから気づかないフリして耐えてるんですよ!!リンくんには分からないでしょうけどね…!!!…ぁ」
さぁっ、と顔から血の気が引く。今僕、なんて言った?リンくんには分からない、なんて突き放すような言葉、あんなに寄り添ってくれていたのに。
誰かに怒鳴ったのなんて初めてで、怖くてリンくんの顔が見れない。どうすれば良いか分からなくって、リンくんが何か言っててもうまく分からない。
「……っごめんなさい…」
「あ、おい零!!!」
怖くて、分からなくて、僕はリンくんの制止も聞かずに走り出した。今はただ、そこから逃げてしまいたかったから。
結局、彼がどんな気持ちでそんなこと言ったのか、どんな顔をしていたのかは知らないままだ。
…フーゾさんが死んでしまって、それどころではなくなってしまったから。
---
記憶があやふやで、もうフーゾさんが死んでから何日経ったかもよく分からない。
リンくんにひどいことを言ったすぐ後だった。僕は特攻隊のお仕事でまた何度も敵の軍隊の中に飛び込んで、殺せるだけ人を殺して、そして沢山死んだ。……鮮明に思い出そうとすると、また吐き気が襲ってくる。
あそこには、戦場には殺し屋の仕事とはまた別な死が満ちていた。人が気軽に死んで、その死体を踏み固めていくようだった。
フーゾさんの死を知ったのはそのあと。頑張ってたくさん殺して、なんとか勝って、それで帰ってこれた時。誰かが噂しているのを聞いたのだ。
彼は傷ついた兵士の治療中に、頭がイカれた仲間に撃たれて死んだらしい。シイさんもその現場にいて、でも寸でのところで間に合わなくって、怒りで相手をめちゃくちゃに殺したって聞いた。
それからしばらくして。帰ってきたシイさんは、また僕をあの部屋に閉じ込めた。なんで、どうしてって聞いても答えてくれなくて、ただ瞳の赤が嫌に濁っていたのを覚えている。
シイさんはこの部屋にやってこないから、ご飯がなくてどんなにお腹が減っても死ねなくて、次第に空腹が分からなくなった。
てっきり骨と皮だけになるのだと思っていたけれど、どうやら身体の状態は変わらないらしい。便利な身体だ。
初めのうちは出たいと思っていたけれど、もうここまでくると諦めが強かった。僕はここから出られずに、そのまま、どうなるんだろう?死ねないから、ずっとこのまま?
「…もっと、もっと楽しいことしたかった」
人間、死ぬ間際になると心残りが出てくるとはよく言うが、僕の場合は出られずに死んだように過ごすことが決まってからだった。
もっと、世間一般的に楽しいと言われることがしたかった。
カラオケって、どんなところだったんだろう。友達と一緒に帰ったことも無かったし、授業をサボってどこかに遊びに行くなんて考えたこともなかった。
……ああでも、一番の心残りは
「…シイさんに、ちゃんと人として認めて貰いたかったな……」
ずっと、気づかないフリをしていたこと。シイさんは、きっと僕のことを愛玩動物程度にしか思っていないこと。人として対等に認めてくれはいないこと。
蔑ろにされていることなんて分かってる。都合の良い奴に成り下がってるって、痛いほど分からされている。それでも、させたのは僕も原因の一つだ。
自分に何か起こっても他人事感覚で、なんだかんだ惰性で生きてきた。その時の感情に身を任せて、ちゃんと考えて決めたことなんて殆どなかったんじゃ無いだろうか。
これは、自分の人生に対して無責任だった僕への罰なのだろう。そうに決まっている。
そう思わないと、辛くて苦しくて堪らなくて、リンくんの時みたいに「どうして僕だけ」って醜い気持ちが溢れてしまいそうだった。苦しいのは僕だけじゃないのに。
叶わない願いでも良いじゃないか。どうせ、今となってはもう全部手遅れなんだから。自暴自棄な気持ちになっているのを見て見ぬフリして、退屈を凌ぐために目を瞑る。
きっとこのまま、真綿で首を絞められるみたいに、じわじわと僕は死んでいくんだろう。先に死ぬのが心なのか体なのかは分からないけれど、死ねるなら、もうどっちでも良かった。
微睡みに身を任せて、意識を深く深く落とす。`このまま、目が覚めなければ良いのにな…`
---
体が揺られている感覚で目が覚める。あれ、いつの間にシイさん戻ってきてたんだろう。寝てる間に何度か体を好きにされたことがあるからこの状況には慣れているのだけれど……いや、だからこそなんとなく、なんとなく違う感じがする。……ここどこだ?
本格的に目を開けると、そこは森だった。…え、森?!!!森だ。いや森、森すぎて頭が混乱してきた。
もう一度状況を理解するために瞳を閉じる。ここは森、しかも知らない森。この国に森なんてあったんだ……と感心してしまうが、問題はそこではない。
問題は、今僕が揺られていることだ。縦揺れ、それも性行為によるものではなく、誰かにおぶられながら移動しているからなもの。え、誰…??パッと見頭が見えなかったから、僕より小さい人……???
もう一度目を開けたが、やはり前を見ても誰の頭も見えなくて、下を見る。
目に入ってきた光景に、思わず「え」と声が漏れた。右は白、左は黒のツートンカラーという特徴的な髪の色に、僕と違ってふわふわさらさらな猫っ毛。
「…リンくん?」
「ってめ、いつから起きてた?!!」
「ついさっきだけれど……」
リンくんは、なんでも無さそうな声色で「早よ言えや」だとか「重いけど軽い、飯食え」とか「走れるなら走れ」と言っている。あんなにひどいこと言ったのに、どうして?そう聞くと「別に気にしてない」と言われてしまった。
「てか俺の方が悪いだろあれ。…無神経だったし、ちょっとガス抜きした方が良いと思ってやったけど……逆効果だったっぽいよな。本当にごめん」
「……リンくん……」
6つも年下なのに、僕よりもずっと大人びた返しに思わず涙が出そうになる。そんなに気にしてくれていたなんて、彼は天使か何かなのだろうか。
ごめん、と言いかけて少し考える。あんまりにも僕が謝りすぎているせいで、以前リンくんに「謝りすぎて謝罪の価値が下がる」と言われたのを思い出したのだ。
そのため、敢えてごめんではなく「ありがとう」と伝えた。彼はぶっきらぼうに ん、とだけ返したけれど、多分照れ隠しだろうから気にしないことにする。
「…それはそれとして、いい加減降りろ!!自分より重てェ奴おぶって全力で走るなんざ初めてだわ!!!」
「あああそうですよね!…でもどうして走ってるんですか?」
「まだ見てなかったのかよ後ろ見ろバカ!!!寝惚けて状況確認怠りやがって…!」
確かに状況確認を忘れていたので、リンくんに言われたように後ろを振り向く。僕は部屋の中にいたのに今は外だから、もしかしてシイさんが追っかけてきてたり……???などと予想をして振り向いた。のだが……
「…え」
そこにあったのは、影も光も何もない、まっさらな白色だけだった。
---
「な、なんですかあれ」
「知るか!!!知らねェけど、そこに呑まれたら絶対に`消える`ってこたァ分かる!!!」
「き、消える?!そ、そんなどうしたら」
「それを!!!今!!!聞きに行くんだよ俺の知り合いに!!!だから降りろ!!!」
「は、はい!!!」
「ア"~クソ体が軽ィ…!!!ほらこっち!!早くしろ`消える`ぞ!!!」
「わ、分かりました…!!!」
「この先にいる俺の知り合いに、こういう不可解な現象にヤケに詳しい奴がいる!!今からソイツに事情を聞きに行く!!」
「こっちだ!こっちの木に突っ込め!!」
「え、つ、突っ込む?!!」
「あ~も~俺が先行くから着いてこい!!」
「は、はい!!!」
「ほ、ほんとに抜けれた…」
「気ィ抜くなまだ迫ってきてる!早く!!」
「ど、どこに向かってるんですか…?!」
「《《ここじゃないどこか》》だよ!!」
「だー!着いたァ!!!」
「こ、ここどこですか…!?教会…??」
「良いから入れ!早くしろ!!」
---
バタン、と重たいドアが閉まる。教会特有の重たい扉は開けるのに苦労したけれど、その分閉まってしまえば心強い。リンくんに急かされながらも、なんとか息を整えつつ奥の方へと進んでいった。
教会というものに入ったことはなく、また存在も本で読んだくらいのものだったので、こんな状況でなければちゃんと隅々まで見たい気持ちになりそうだ。勿論そんなことをすれば横にいるリンくんに渇を入れられてしまうのでしないが。
「ドリーム、ドリーム!!どこにいる!今この世界に何が起こってるんだ!!」
リンくんはどこか色んな方向へと叫んでいる。知り合いは…ドリームさんと言うのだろうか。リンくんがなかなか出てこないからとイライラしているのを、まぁまぁと宥める。
『ここだよリン。よく来たね』
「ほぁっっっ」
突然ぬ、と後ろから人が出てきたので、とても驚く。一切音も気配もしなかったから完全に油断していて、背後まで取られてしまうとは。
呆然としながら見上げていると、推定ドリームさんはこちらにも笑いかけてくれる。その笑顔が妙に穏やかというか、こちらの柔らかい部分まで溶かしてしまいそうな感じに「ああ、この人きっと教祖とかだろうな」と察してしまった。
いやしかし、対面していながらも気配が一切無い。というかまず影がないな???ということはだいぶ高位な人ならざる者。なるほど確かにこれなら先ほどの不可解な現象にも詳しそうだ。
教祖が身に付けるような服…あれは何というのだろうか、それを身に付けて、よく見れば羊の角や羊の目をしている。柔らかいミルクティー色の髪は優しい印象を与えるけれど、琥珀の瞳は獣らしい光を放っていて、なんだか不思議が感じがした。
「説明しろ、今何が起こってる。どうすれば《《あの光》》は止められる?!」
『残念だけれどもね、リン。落ち着いて聞いて欲しいんだが…』
「落ち着けるか!!あーもう分かったよ!!あれは止められない、逃げられない、そうなんだろ?!」
ダン、とリンくんが強く地団駄を踏む。当のドリームさんは少し困った顔をしているけれども、さほど動揺はなさそうだった。
何故動揺しないのだろうと思ったが、もしかしたら死ぬのが怖くないのかもしれない。でも、どうして?そう思っていると、ドリームさんに『私は`消えない`からね、まだ心は凪いでいるんだ』と言われる。
どうして考えが分かったのか分からなかったが、きっとそういう生き物なのだろうと気にしないことにした。
それはそれとして、もしリンくんの予想が当たっているとしたらだいぶ絶望的な状況だが、これからどうしよう。いや、普通に消えるしかないのだが。
それでもきっと、この空間は`消えない`だろうという強い信頼が、ここにいると沸いてくるのだ。それはそう信じたいからなのか、それとも実際そうなのかは分からない。
『…そうだね、あれは止められないよ。でも逃げる方法あるんだ』
「!!本当か」
バ、とリンくんが顔を勢いよく上げる。が、逆にドリームさんの顔色はあまり優れない。言いづらいことを言う前のように、ゆっくり言葉を探しているような……きっと、これは……
『……ただね、その方法では一人しか逃げることはできないんだよ。それに、この世界に戻ってくることだってできなくなる』
「な………」
「そ、そんな…」
ああ、やっぱり思った通りだった。ドリームさんは、残酷な選択を僕たちにさせてしまうと悩んでいたのだろう。優しい人だな、とやけに俯瞰した感想を抱く。
リンくんには、色んなものを貰いすぎた。心強い言葉も、素敵な考え方も、魔法の知識も何もかも。いつまでたっても返せなさそうなその恩を、どうやって返したら良いのだろうと悩むほどに。
きっと、今がその時なのだ。貰いすぎたものを、少しでも彼に返す時がやって来たんだと冴えた頭で考える。
『この世界は、今消滅している最中なんだ。人も神も建物も、歴史でさえも関係なく、無差別に消えていってるんだよ。だから、生き残るためにはこの世界から逃げないといけない』
リンくんが、ゆっくりとこちらを振り向く。その瞳には迷いが宿っていて、ああやっぱりこの子はまだ子供なのだと実感する。
そうだ、彼はまだ幼い。それに素直で優しくて、けれど聡明だからきっと見知らぬ世界でもやっていけるだろう。彼の方が、よっぽど未来がある。
「…リンくん、僕の分まで生きてください」
「なっ……お前、それ、どういうことか分かってるのか?!!」
「分かってます。…この世界で、色々やりたかったことはあったけれど……この分も、リンくんに託すことにしました」
背中を押す気持ちで、彼の肩をとんと軽く押す。彼は目をこぼれ落ちてしまいそうなほど大きく開いて、その後にぐっと泣きそうな顔をした。
ドリームさんが、後ろから『もう時間がない、申し訳ないけれど今ここで決めてくれ』と本当に申し訳なさそうに言う。リンくんの方をもう一度見ると、その目には迷いはなく覚悟が宿っていた。
「……分かった」
「ありがとう。…じゃあ、お願いします」
くる、とドリームさんの方を振り返る。ドリームさんは僕たちをゆっくりと一瞥して、それから深く頷いた。その奥には、どこへ繋がっているのか分からないほど黒い穴がぽっかりと空いている。
リンくんを見送るため、穴の前まで一緒に向かう。彼と横並びになり、僕は彼の背中をもう一度優しくとんと押して促した。
「……なぁ、零」
「なんでしょうか」
「お前の、やりたかったことってなんだ?」
リンくんが、こちらをゆるりと見上げる。やりたかったこと、閉じ込められている間はあんなに出てきたのに、今になるとなかなか出てこなかった。
「……そうですね。強いて言うなら…世間一般で言われている"幸せ"を感じてみたかったです。美味しいものを食べて笑うだとか、適当にふらふらと街中を歩いて好きなものを食べるとか……」
「食うモンばっかだな。腹減ってんのか」
「あはは、そうですねぇ…リンくんが来るまでもう何日も食べてなかったので」
「…なら、まず飯屋を探さねぇとな」
「え?」
どういう意味だろう、リンくんもお腹が空いているのかしら。そう思ってリンくんの方を見ようとすると、突然背中にドン、と衝撃がやってきた。
ふら、と足がよろめいて、勝手に体が前へ……穴の中へと吸い込まれる。慌ててリンくんの方を向くと、左手が僕の方へと伸ばされていた。その手は手を掴もうとするよりも、まるで押した後のような形をしていて…
彼は、穏やかに微笑んでいた。そんな顔、見たこともなくって、ただどうして、なんでって気持ちだけが強まっていく。
スローモーションのように流れていく景色の中で、リンくん達のいた教会が白い光に呑まれていくのが見える。逃げてと言いたいのに、僕の口もゆっくりになってしまったのか僕の声は聞こえなかった。
「俺に背負わすくらいなら、お前がちゃんとやってみせろ!!俺の分まで、幸せになってこいよ!!」
に、と悪戯っ子のように笑う彼の年相応な顔を最後に、渦に呑まれるような感覚が襲ってくる。彼の姿は白い光に呑まれてしまい、その後白ごと強い黒が塗りつぶしていく。
待って、まだ恩返しができてないのに。そんな気持ちで強い睡魔に耐えようとしても、どうしても耐えらなくって、結局瞳を閉じた。
---
--- 幸せになれ、と言われた ---
--- 幸せになるための方法だって分からないのに ---
--- それでも、もう僕を送り出してくれた彼はどこにもいないから ---
--- ただ一人、幕引きから取り残されて ---
--- 舞台裏でいつまでも、幸せを探すのだろう ---
---
ぐるりと闇の中を一回転して、どさりと背中から地面に落ちる。落ちたときの衝撃が強すぎて、なかなか戻ってこれない。
それでもなんとか起き上がって、そうして今いるところがどこかの草原であることを認識する。ここは、どこだろう。
さぁ、と心地よい風が吹いた。混乱的城市の風のように冷たすぎず、かといってかつてフーゾさんに見せて貰った風魔法のような暖かさもない、温くて、でも心地よい風だ。
そういえば、久しく草原に来ていなかったな、と思い出す。最後に訪れたのは…きっと、小学生の時だろう。このふかふかとした草が沢山いる感覚は、なんだか懐かしかった。
辺りを見回しても、周囲に何か建物があるようには見えない。途方にくれてしまうようなそのだだっ広さに、なんだか笑いが込み上げてきてしまって、気が済むまで僕はひとしきり笑った。
気が済むまで笑って、笑って、嗤い疲れた頃に。周囲は暗くて、きっと夜なのだろうと思われるが……一体どのくらいの深さなのだろうと思って空を見上げる。
「……きれい」
空には満点の星空が大きく大きく広がっていた。あの国のように建物も何もない所だから遮るものが何もなくて、その分だだっ広く見える。
前の方を見ても、上の方を見ても終わりがなくって、終わりを探して後ろへ後ろへと目線を向けるうちに、後ろを向きすぎてバランスを崩してしまう。
とっさに後頭部に手を回したから痛くは無かったけれど、代わりにごろんと寝そべる形になる。
「…どこか何座なんだっけ」
起き上がるのも面倒になって、星座を探してみたがすぐにやめた。習った星座の配置なんて、もう覚えてはいなかったから。
あまりにも綺麗なのに、大量の人が死んでも世界が一つ消滅しても、決まった周期に沿ってでしか変化しないであろうその星空に、なんとなく無機質な感じを覚える。
こっちがどんだけ辛いと思ってるんだ、そうぼんやり呟く。当然星空は応えてくれるはずがないし、期待だってしていない。でも、その様子がなんだか凄く気楽に思えた。
「……あ」
ぼろぼろと、涙が出てくる。どこに泣く要素があったのか自分でも分からなくって、それが逆に面白くなってきて笑ってしまった。
泣きながら笑っている。端から見ればおかしな人間であることに間違いはないのに、今の気分にはその状態が一番似合っているんだから不思議な話だ。
「ふふ、うふふ…あはは、は………あ~…」
ここにいるのは、僕と草と星空だけ。星空はこちらのことなんてどうでも良いのだから、僕だって気にせず好きなだけ泣いて笑ってしまおう。
思いっきり、笑って泣いてまた笑う、こんなことしたのは初めてで、でも嫌に気分がスッキリとする。
「……ひとまず、ご飯屋さんを探そうかな」
す、と起き上がって涙を拭く。気分がさっぱりしたお陰で頭も冴えたからか、ここに来たばかりの時の手詰まり状態よりもいくらか先が見えるような気がした。
もう一度だけ星空を見上げる。やっぱりどの星が何なのか見当もつかなかったけれど、それでも良かった。
空をぼんやりと眺めていれば、全ての問題が解決したような気分になってくる。実際には何も解決していなくたって、気持ちだけでも軽くなれればそれで良いのだ。
どんなに迷ったって、不老不死だから時間はたっぷりある。ゆっくり、ゆっくり幸せは見つけていこう。そんな気持ちで一歩、また一歩と足を踏み出していった。
---
何度目なのか分からないほどの世界転移を終え、路地裏で目が覚める。僕の世界とよく似たその景色に「やっと見つけた」と声が漏れた。
すっかり伸びて、三つ編みをしてもなお胸の高さまである髪の毛をするりと弄る。もうシイさんはいないのだから伸ばしていなくても良いのだけれど、ここまでくると愛着が沸いてきてしまったのだ。
路地裏を、ゆっくり、ゆっくりと歩き出していく。次第に足が早まって、そうしているうちに長く感じた路地にも終わりがやって来た。
暗かった路地裏から出たことで視界が一瞬で明るくなり、反射的に目を瞑る。恐る恐る目を開くと、そこにはあの日消えてしまった懐かしい街並みが広がっていた。
街中には見慣れた服装の人が各々好き勝手歩いている。鮮やかな赤色ときらびやかな金色、それらを引き立てるような深緑は目を刺すようにあちこちに散らばっていた。
その懐かしい眩しさに思わず涙が出そうになるが、人の往来もあるのでぐっと堪える。足元にあるゴミも避妊具も慣れたもので、するするとそれらを避けて歩いていった。
「……シイさんに会うには、どうしたら良いんだろう」
いやその、別に彼に会うために旅はしていないし、会っても顔を見るだけだし。そう思いながらも、足は軍の基地へと進んでいく。
大丈夫、何か言われたら気絶させれば良いし、顔を見るだけだから……
と、いつの間にか軍の基地に着いてしまっていて驚く。そ、そんなに早く歩いていたつもりはないのだけれど……そう思いながら、フードを急いで被った。
(はぁぁぁなんで僕何にも考えず来ちゃったのもっと髪の毛とか整えて…あ~変装して来れば良かった…!!!)
辺りをキョロキョロと見回す。シイさんは見たところいなそうだし……うん、やっぱり出直そう。まずは宿を探さねば。そう思いながら、僕は踵を返した。
「あれ?ウチになんか用じゃなかったの?」
「誰かに面会希望?それとも…スパイ?」
その懐かしい声色に、思わず足を止めてしまう。ああ、会うだけで話すつもりなんてなかったのに。
ゆっくり深呼吸をして、そろそろと後ろを振り向く。認識阻害の魔法を二人にかけて、一応フードも被り直して、あああ髪の毛結び直したい!!!でももうこれ以上時間はかけられないので、覚悟を決めて振り向いた。
「………私、他の国から来たものでして…この国の軍の基地が凄いと聞いて、見物したかったのですが…何か許可証が必要でしたか?」
「ああ…いいえ、大丈夫ですよ。ただ、あんまりジロジロ見られると軍の奴らも警戒しちゃうんでね、控えめにお願いします」
「でもセンス良いわぁ、ウチの基地カッケ~からね!めっちゃ見てってよ」
「シイ、控えめに。確かにカッケーけどさ」
少し性格は柔らかいけれど、敬語が使えないところも、駄目なことをちゃんと理由付きで教えてくれるところも同じで、とても懐かしくなる。
名残惜しくて、けれどもずっといるわけにもいかないから、二人に礼をしてここを離れた。
---
「やっぱり、違ったんだ」
自分に言い聞かせるように、そう呟く。もう自分は、表舞台にはいない存在で。彼らと一緒に並ぶこともなければ、認めて貰うこともできない。
元よりそのつもりだったじゃないか。それなのに。嗚呼、人間って欲の生き物だ。顔を見るだけが話すだけになって、そうしてついには認めて貰いたいなんて気持ちにまで膨らんで。
ぐちゃぐちゃな気持ちになって、ああ、この世界で生きていきたかったな、なんて馬鹿な願いを抱いてしまう。この世界の、落安零になれたなら……
そこまで考えて、はたと気がつく。そうか、この世界に落安零がいてもおかしくないのか。
もし、もしもこの世界の落安零に、僕がなれたのなら。あの二人に認識阻害の魔法は通じた、ならきっと他の人だって大丈夫。同じ落安零なんだから、違和感だって抱かれづらい…だろう。
でもその場合、元の落安零はどうする?殺すことも考えてみたけれど、こっちだってただぬくぬく守られて生きているわけじゃないはずだ。ならば交戦になるだろうし、長引いてあの人達に見つかりたくはなかった。
「…元の世界に戻す、とか……」
そうだ。僕が待望して止まなかった、日本への帰還。その名目で誘って連れ去って成り代わってしまえば。道がさぁ、と開けた気がした。
やる気はある。技量もある。あとは度胸と念入りな準備だけ。
まず、この世界に落安零がいるかどうか調べよう。僕の世界との共通点と違う点を探して、すり合わせをして。
できるかどうかなんて分からなかったけれど、賭けてみる価値はある。
僕らしくないけれど、でも、僕の幸せのためにやれることはやろうと決めたのだ。
(…リンくん、どうか見ていてね)
空をき、と見上げ消えてしまった優しい彼に語りかける。路傍に咲いた弟切草が、柔らかく揺れた気がした。
◇Thanks for reading and to be continued…?