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2.消えなかった刻印
すず
「どうしたの? そんなに自分のことを見て」
背後から、クスクスと場違いに明るい笑い声がした。
鏡越しに目が合う。お母さんは、まるで着せ替え人形を眺めるような瞳で私を見ている。
「……これ、私じゃない。誰なの」
震える声で問い詰めると、彼女は困ったように小首をかしげた。
「何を言ってるの。あなたは私のかわいい、世界でたった一人の娘よ」
その言葉に体温は宿っていない。彼女は私の手首を掴むと、拒絶を許さない力で部屋の外へと促した。
廊下を抜けると、そこには映画に出てくるような広いダイニングルームが広がっていた。
長いテーブルの向こう側で、新聞を広げている男の人がいる。
「おはよう。体調はどうだい、エマ」
お父さん、と呼ばなければいけないらしいその人は、顔を上げずにそう言った。
目の前に置かれたのは、湯気が立つパンケーキと、真っ赤なイチゴのジャム。
「あなたの好物でしょう? さあ、冷めないうちに食べて」
お母さんが私の椅子を引き、耳元で優しく、でも逃がさないように囁いた。
その時、私は思った
(私の名前は……ユキなの。そんな、エマなんてしゃれた名前じゃなかったはず……)
喉まで出かかったその言葉を、私は無理やり飲み込んだ。
目の前に座る「お父さん」の、新聞を持つ指先がピクリと動いた気がしたから。
「……いただきます」
私は震える手でフォークを持ち、真っ赤なジャムがたっぷりかかったパンケーキを口に運んだ。
ひと口食べた瞬間、頭の中が痺れるような、暴力的な甘さが広がった。
甘い。甘すぎて、吐き気がする。
ユキだった頃の私が好きだったのは、もっと安っぽくて、少し酸っぱい、コンビニのジャムパンだったのに。
気持ち悪さをこらえて、フォークを握りしめる。
その時、レースの袖口からチラリと見えた。
「……っ、え」
自分の白すぎる手首に、真っ黒な数字が刻まれていた。
まるで、スーパーの商品の裏にあるバーコードみたいな、不気味な黒い線。
『No.000』
ユキだった頃の私の体には、こんな汚れみたいなもの、一つもなかった。
私は思わず、フォークをカチャンと皿の上に落としてしまった。
その音に反応したのか、お父さんがゆっくりと新聞を閉じる。
冷たい、宝石のような瞳が、まっすぐに私を射抜いた。
お父さんがゆっくりと椅子を立ち、私に近づいてくる。
その足音は、無機質で、機械の作動音のように正確だった。
「……おかしいな。昨日の調整で、その番号は消したはずなんだが」
お父さんの大きな手が、私の細い手首をギュッと掴んだ。
指先は、お母さんと同じように氷みたいに冷たい。
「エマ。……いや、『0号』」
彼は感情の消えた瞳で私を見下ろし、残酷に微笑んだ。
「お前はまだ、自分が『ユキ』だというバグを抱えているのか?」
視界がぐにゃりと歪む。
私が私であるための記憶は、音を立てて崩れ始めた。