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1「夜の時間」
夜。
それは日が落ちて人工灯が辺りを照らす時間。
夜。
それは昼間とは違う喧騒が街を包む時間。
夜。
それは奴ら──“吸血鬼”の時間。
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とある高層ビルにて。
立ち入り禁止と書かれた看板の掛けられた屋上の扉の先に、その二つの影はあった。
「……三回目だな」
片方の人影は溜息を吐きながら呟く。
長身で綺麗な顔立ちの《《その男》》は、モデルをしているといっても過言ではない姿をしていた。
黒い髪の奥で光る赤い瞳が、話す度に見える牙が、ただの人間ではないことを示唆している。
「その目、『今度こそは』っていう顔をしているな」
くすっ、と喉を鳴らしたかと思えば男はもう一つの人影へ歩を進めた。
「無謀で、無策で、それでも諦めない。……本当に、人間って面白い」
あと一歩ってところにで男は止まり、しゃがみ込んで《《彼女》》と視線を合わせた。
そして、首を傾げて楽しそうに笑う。
「安心するといい、今日《《も》》殺さない。代わりに、どれぐらい成長したか見せてもらおうか、“ハンター”」
ハンターと呼ばれた女は剣を構えて踏み込むが、避けられる。
暫く攻防は続き、男に生まれた一瞬の隙に銃を使えば《《初めて》》女の攻撃が入る。
「やった……!」
男は掠った銃弾で付けられた頬の傷から伝う血へ視線を向けたかと思えば、女の軸足を掛けて転ばせた。
一瞬で世界は裏返る。
視界は回転し、風切り落が遅れて聞こえてきた。
屋上の冷たいコンクリートの床が視界から消え、死を覚悟した女だが、いつまで経っても落下はしない。
ゆっくりと目を開くと、男に足首を捕まれており、まるでコウモリのように逆さまになっていた。
男の判断次第で、自身は落下して死ぬ。
「──あぁ、今のは“当たった”な」
上から聞こえた声に顔を上げれば、もう傷は消えかけていた。
「凄いじゃないか。この俺に“傷をつけた”人間は何年ぶりだろうな」
空いてる手で傷口をなぞる頃にはもう完全に消えている。
女を掴む手は強くも弱くもない。
どうやら、暫くは落とす気も殺す気もないようだった。
「その程度で喜ぶのがまた良い」
低く、愉快そうに笑う。
「普通は腰が抜けるか、助かったことに喜び泣きながら逃げる。でも、お前は戦うことを選んだ」
「うわぁっ」
くるっ、と回転した男と同時に女も回って冷たいコンクリートの床に投げられる。
「それに攻撃が当たれば、追撃ではなく『やっと届いた』って油断するときた。“俺が許した一発”に決まっているだろう。あの顔は良いな」
理解できない女に、男は屋上の縁まで歩いていく。
「気分が変わった。今日から殺戮中止だな」
振り返ったかと思えば、笑みを浮かべている。
赤い瞳が細められ、楽しそうに。
「代わりに暫くお前で遊ぶことにする。逃げるなよ、ハンター」
「──っ、誰が逃げるか!」
「ふっ、あははっ! 予想通りの返答をありがとう」
次の瞬間、男の姿が霧のように滲む。
気配だけが残り、背後──否、真横から顔を覗き込んでくる。
「その“瞳”だ。恐怖よりも悔しさが出る、今夜の月のような綺麗な金色」
肩越しに囁くほど近い距離。
触れない。触れないが、逃げるのは困難だろう。
「逃げない人間は好きだ。折れるまで時間が掛かるから、暇潰しにはちょうどいい」
ゆっくりと距離を取って、両手を開く。
浮かぶは“捕食者”の余裕の笑み。
「来い。次はちゃんと避けないかもしれない。ほら、さっき言った『誰が逃げるか』を見せてみろ」
ゆっくりと体勢を立て直した女は銃を構える。
銃声が響き渡り、銃口からは煙が上がった。
硝煙の匂いが冷たい夜に広がる。
「……避けないって言ったじゃん」
「《《かも》》、な。人間は条件付きの言葉を都合よく信じる」
男が移動して女の前に立つと、カランと音を立てて銃弾が落ちた。
爪の先で止め、傷一つ付いていない。
女がすぐ銃を構えるも、蹴られて床を滑っていく。
「でも安心しろ、今のはちゃんと“評価”した。わざと隙を作っても当てられるのは久しぶりだし、普通は最初で心が折れる」
視線はもう無い、最初の頬への傷へ向けられる。
「逃げない、諦めない、それでいて今もなお交戦する気がある。……面倒で、可愛いとも思う」
また距離を取ったかと思えば、蹴り飛ばした銃を投げてくる。
「ほら、続けろハンター。今夜ぐらいは付き合ってもらうぞ」
牙を覗かせ、笑う。
「──そう簡単に壊れるなよ」