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第一話:ふたりの距離、春の始まり
第1話:「ふたりの距離、春の始まり」
春の風が、窓のすき間からそっと入り込んで、カーテンをふわりと揺らした。
三年生になった教室。黒板の上の時計の針が、何の躊躇もなく進んでいく。昼休み。教室のざわめきの中で、私はただ、窓の外の桜を見ていた。
「今年も、もうそんな季節なんだなあ……」
ぽつりとこぼした私のつぶやきは、誰にも聞かれず、風にさらわれていった。
桜の花びらが、ひとひら、校庭に落ちる。
新しいクラス、新しい席。だけど、あの人とは、また……同じクラスだった。
「白石さん、ノート……ありがと」
声がした。ふり返ると、そこには――
「うん、いいよ。どうせ暇だったし」
私はそう答えて、無理に笑った。
立っていたのは、宮坂 悠真(みやさか ゆうま)。
クラスの中心にいるようなタイプじゃないけど、どこか周囲と自然になじむ、不思議な空気を持つ人。
そして――私が、一年のときから、ずっと好きだった人。
でも、私と彼の距離は、いつだって「友達の少し手前」で止まっていた。
「てか、白石って、いつも綺麗な字書くよな。理科のとこ、マジ助かった」
「そ、そうかな……」
自然体で話しかけてくれる。優しい言葉をくれる。
だけど、それは、きっと私だけにじゃない。
悠真くんは、誰にでも同じように接する。だから、私はいつも一歩踏み出せずにいた。
高校最後の一年が始まったばかりなのに、
もう「終わり」の気配が、背中をそっと撫でてくる。
卒業まで、あと11ヶ月。私はまだ、何も伝えていない。
放課後。教室に残っていたのは、私と悠真くん、そして数人のクラスメイトだけだった。
「白石、進路決めた?」
不意に問われて、心がざわりと揺れる。
「……ううん、まだ」
「そっか。俺は、とりあえず地元の国立目指すつもり」
「すごいね。……ちゃんと、将来のこと考えてて」
「いや、そんなカッコいいもんでもないって。ただ……時間って、あっという間だろ?」
彼の横顔は、どこか遠くを見つめていた。
その目の奥にあるものを、私は知らない。
でも、それを知りたいって思ってしまう。この気持ちは、恋じゃないと言い切れるだろうか。
「白石って、さ。……なんか、変わった?」
「え?」
「いや……なんか、雰囲気? 大人っぽくなったっていうか」
「……うそ。からかってるでしょ」
「本気。俺、嘘つくの苦手なんだよ?」
そう言って笑った悠真くんの笑顔は、ずるいくらいにまぶしかった。
ずっと好きだった気持ちが、今、胸の奥で苦しいほどに膨らんでいく。
私は、変わりたい。
ただ見ているだけの私から。
好きって言えない私から。
夜。部屋の窓から見上げた空に、星は少なかった。
でも、その分だけ、願いごとは強く胸に浮かぶ。
――今年こそ、伝えたい。
そう思った私は、日記の最後のページに、こんな言葉を書き残した。
「私は、悠真くんが好きです。高校三年、始まりの春に――」
桜が散り始めるころ、私の恋も、少しずつ動き出す。
これは、私と悠真くんの、最後の一年。
まだ終わらせたくない、まだ始まったばかりの、恋の物語。
(第1話・了)
✅ 次回予告(第2話)
「部活と選択と、放課後の嘘」
放課後の部活勧誘、進路アンケート、そしてふと聞こえた「気になる人」の話――白石の心は、静かに揺れ始める。
お楽しみに!