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ゆるりゆら
真っ暗な中、一つの人影。
夜の空には、三日月一つ。
薄い月が僅かに照らすのは、ゆらゆらと揺れる海面の淵。
白いワンピースを着た少女は、一人で砂をきしきしと踏み続ける。
前に、前に歩く。
今日も、一人で。
黒い、硬く柔らかい藍色の世界に浮かぶ、朧げな白い姿。
儚く舞う長い黒髪。
「今日、こそ__。」
そう、決意の言葉を溢して。
ゆらりゆらりと揺れながら暗い波打ち際を歩く少女に___私は声を掛けた。
「…あの、」
ふわり。
柔らかさを感じさせる動作で止まった少女は、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「どうか、されましたかっ_?」
そう不思議そうに、穏やかに口を開いた少女。
薄らと微笑む彼女の姿は、まるで、白い、薄い三日月の妖精のようで。
「…あの、毎晩ここの海に来られていたので」
そういうと、彼女は少し驚いたような顔もしつつ、鈴のような声で笑った。
「家が近所なんです…この海、昼間は人が多くて苦手だけど……この時間の、この場所は、とっても好きですから_!」
もう一度、へらりと笑う少女。
「あなたもここの近くに住まわれてるのですか_?」
そう尋ねられて慌てて口を開く。
「そう、なんです…あのマンションの、4階に」
私がそう言いながら指差すのは、割と最近に建てられた5階建てのマンション。
ずっと親子仲の悪い家庭だったため、高校生から一人立ちすることは決めていたのだ。
それから、今年の4月になってからこの街に引っ越してきた。
割と「町」といった感じのこの辺りに高い建物はここくらいで、おまけにその割に家賃は安かったため、即決でここにしたのだった。
海のすぐそばなのも、風情があると、ただそう思っていただけで。
「…本当に、すぐ近くなんですね、_!」
「、はい...」
にっこり。
先程よりもさらに笑みを浮かべた、私よりも少し幼い少女。
腕時計を見ると、既に23時を回った所だった。
「そろそろ...帰らなくて、いいの?」
気が付いたら口先を突いて出ていた、心配の言葉。
「!...はい、そろそろ帰りますね_!」
「気を付けてね、」
ふと、敬語を取ってしまった事に気が付きながらも、まぁ良いか、と一人納得して頷く。
うろうろと頼りなさげに歩き回る少女を見て、その白い素足には纏う靴下も靴もないのにハッとする。
「失くしちゃったの、それ…?」
お母さんに怒られるんじゃ、と続けて言おうとしたのを遮って、少女は言った。
「最初からなかったから、大丈夫です_お姉さんもそろそろ、帰った方が」
「あ...」
そういえば明日は部活の朝練があると言っていた。
「じゃあ、ね…早く帰るんだよ、?」
「はい_!」
頷いてもう一度笑う少女の声は、今度はふわりとしたものだった。
心配になって何度も振り向きつつ、自室へと戻っていく。
部屋に戻ってから窓を覗くと、もう既に砂浜に人影はなかった。
もう帰ったのだろうか。
なら大丈夫か、と安心しながら、眠りにつく_。
数日前から、ときどき見かけていた少女と今日、初めて言葉を交わした、。
ゆるりゆら。
海面で儚げに揺れる彼女の姿は、脳裏に焼き付いて離れない。
翌日。
翌々日。
そしてその次の日も次の日も。
私達は海辺で小さな笑顔と少しの会話を交わらせて、別れて、またその次の夜には再会する事を繰り返していた。
そして、今日。
大型台風が接近しているとあって、風も雨も物凄く強い。
暗いおまけにそんなものがついて来たら、視界は途轍もなく悪かった。
「…いない、っ」
いつも彼女がふわりふわりとたたずむ場所にも、柔らかく微笑んで月を真っすぐ見つめていた灯台の下にも、貝殻やシーグラスを細く白い手で一つ一つ拾っていた場所にも、
どこにも。
「…どこ、どこなの、っ」
昨日も、また明日、そう言って別れたのに。
なのに、その明日に彼女の姿はない。
台風でも、私は来るからっ、
そう言っていた少女の笑顔が眩しい。
私がずっと怖れていたことが。
恐怖していたことが。
突然、あの少女の纏う儚い雰囲気のまま、泡のように、人魚姫のように彼女が消えてしまう事だった。
そして、それが今現実になった。
霞み、ぼやけてくる視界を何度も拭いながら、砂浜を駆け回った。
探しながら、私とあの少女の関係がどれだけ脆いものだったのかを思い知った。
名前すら知らない。
はっきりとした歳も。
素性も。
本当は、何故ここにいるのかも。
あの後、学校の行事の一環でこの校区唯一の小学校に行った。
けれど、その中にあの子の姿はなかった。
単純に、休みだったのか。
名簿を見れば、あの11人だけで、全校生徒である事は分かった。
少し事情があって、祖父母の家のあるこの近所に来ているのか。
それなら話は飛んでくるはずだ。小さな”町”の情報網は恐ろしい。
そこから導き出される答えは、限りなく狭くなっている。
走り回って走り回って、ようやく私は浜の端にある一つの場所に辿り着いた。
「…これ、っ」
「あーぁ...見つかっちゃったかぁ_」
思いきり振り向くと、そこにはあの少女がいた。
「…どういう事、なの…?」
震える手も声も、滝のような雨と風を無視しているような感覚にさせていた。
私の前に立つのは、昔この地域に台風が来た際、大きな被害が出て__なくなった方への慰霊碑、そしてその方々の名前と顔の写真の、一覧のようなもの。
初めて来た、このモニュメントの場所に。
__この写真の一覧の右端にいるのは、
「あなたとそっくりな顔の女の子」
そっくりなんかじゃ言い表せない。
生き映し、そのもの。
この子の写真をそのまま切り取ったような、そんな。
「…やっぱり、そうなりますよね_っ」
諦めるような表情を浮かべた後、少女はあの柔らかい笑顔に戻った。
「バレちゃった」
「見いつけた、美代ちゃん」
美代。それが、この顔写真の女の子の名前だった。
「…美代ちゃん、あなたは__幽霊、なの?」
「…へ?」
突然、素っ頓狂な声を上げた少女におどろく。
「え、?」
「私、美代じゃないです」
--- 「美代は私のおばあちゃんですよ_?」 ---
告げられた言葉に余計困惑するばかり。
思わず今降る大雨のことも一瞬忘れていた。
「でも、おばあちゃんこんなに若、?」
「たっての願いだったんです、位牌には若い頃の写真を使ってほしい、って」
まだ20代半ばの位、だったらしいのにですね、と仕方なそうに笑う少女。
けれど、そう言っていた内に台風が来て、位牌どころではなくなってしまって、だからその代わりに、ここには若い頃の写真を、と__。
「なら、今ここに来ていたのは」
「ちょうど、この時期だったそうですから...お墓参りに」
「き、近所の情報網に引っかからなかったのは…!」
「多分、昔のことですから皆さん忘れてるし…おばあちゃん、あの時一人暮らしだったそうですから」
なるほど、情報網には引っかかるにも引っかからなかった、ということだ。
「じゃあ最後に、…どうしていつも、こんな夜遅くにここに?」
強い風雨はいつの間にか止んでいた。
いや、台風の目に入ったのかもしれない。
夜空を見上げると、ここ一帯だけが美しい星空になっていた。
「…おばあちゃんに、会える気がするんです」
その言葉に、モニュメントを改めて見た。
一九‐‐年__二十三時三十九分__
所々かすれて読めない字も、何よりここの人々がこの場所を段々と忘れ、記憶を風化させて行っている証拠だろう。
振り向いて少女を見ると、矢張り少女は儚げに笑っていた。
「…お母さん、そろそろおばあちゃんのお墓の撤去、した方がいいんじゃないか、なんて言うんです__骨すら入っていないんだから、って」
私は黙ってその声に耳を傾けていた。
「それで…お墓参りしにこっちに来ても、この意見の食い違いで、喧嘩してばかりで…お母さんは昼間は忙しいから、家に居る夜に喧嘩が多いんです」
「喧嘩して、毎晩家を出てきてる、の…?」
「…はい_、流石に今夜は引き留められたけれど、やっぱり一緒にいるのも喧嘩するのも嫌で、でてきました」
台風の中、まだ中学生程の娘を、おまけに毎晩__外に出したくはないのだろう。
「…おばあちゃんに、会える気がする…というのは、?」
「このモニュメントじゃ__この年の、何月何日にこの出来事が起こったのか、分からなくて」
優しく優しく、そうっとモニュメントに触れながら、悲しそうに少女は笑う。
「だから、毎晩、この辺りの日かな、という時期に差し掛かってからは喧嘩して家を出る先にこの海辺を選んでいたんです」
ここなら、会ったことのないおばあちゃんの命に触れられる気がする、と少女はそう言う。
段々と風が強まってくる。
高い波におののきつつ、先程この中を走り回っていた自分に驚く。
「…ね、今日は危ないから、また明日の夜...」
「おばあちゃん、もしかしたらこんな気持ちだったんでしょうか」
まっすぐ海を見つめるその瞳に、心を撃たれた。
悲しさと、憂いと、理不尽な自然に対する怒りと、少しの寂しさ。
「…そうだね、その通りかもしれない」
ゆうるりと微笑んでこちらを向いた少女。
「そうだったら、いいな…おばあちゃんと、同じ気持ちになれてたら」
その後、彼女を家まで送り届けた。
母らしき人は心配して家の外を傘もささずに探し回っていた。
少女も、その姿を見て少し控えめに駆け寄った。
幾度も幾度も頭を下げられて、少し気後れしながらもぺこりと頭を下げて家に帰った。
また強まっている雨足に暴風。
やはり、さっきのは台風の目だったのか。
一つだけまだ残っていた星をチラリと見やって顔を落とした。
美代、さん。
”これからだんだんと雨足は弱まっていくでしょう”というテレビの音を小耳にはさむ。
次の日の夜にはまた、いつものようにゆるりゆらと穏やかな海面に映る彼女の姿を見るのだろう。
儚くゆるりと岸辺を舞う少女の名前を知るまで、あと少し__。
✓受験生中間期間につき予約投稿×活休
✓わけわかんない文章ですみません