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第一話 砕けて
「ごめん。……まだ、好きなの」
俯いて、そう呟く。
今日はバレンタインデー。昨日の夜一生懸命作ったクッキー。街の雑貨屋さんまで出向いて買った包装紙で綺麗にラッピングしたけど、鞄の中ではいつの間に少しよれていた。
そしてクッキーを持つ手は震えていた。悴んでいるのもあるけど、もうずっと話していない初恋の相手への告白。寒いはずなのに耳まで熱くて、でも足や手は寒くて。
「……ありがとう」
そう声がしたから顔をあげたけど思った通り喜んだ顔はしていないし、虚ろそうな顔で私ではなくクッキーを見つめている。
私の初恋の相手、琳。王に林と書いて、りん。男の子にしては珍しい名前だ。そんなりんに、私はかれこれ三年片思いをしていた。
去年一度振られちゃったけどどうにも諦めきれなくて、諦めるためにバレンタインを用意して思いを伝えた。
「ごめんね、ほんと急に。付き合って欲しいとかは…言わないから………ばいばいっ」
私は口早にそう述べて、鞄を抱き抱えて逃げ出した。イマドキ体育館裏なんて、古臭い。バスケ部にバレたらやばいし、早く帰らなきゃ。
どうしようもない思いで頭がいっぱいだ。
もう本当にどうしようも無かったのだ。
片思いして、両思いになったかと思って告白したら振られちゃって、拒絶されて、でも向こうは一向に恋愛をしないし、諦めようにも諦められなかったんだ。
林間学校で可愛いって言ってくれたことも、体育祭の借り物競争のお題が“可愛い子”が出た時に私の元へ駆けて来てくれたことも、ほぼ強制だけど一緒に帰ったことも、全部なかったことみたい。
まずまずりんは、恋愛する気なんて無かったんだろうな。周りがはやし立てただけだし。
そう。全部周りのせいだから。私のせいなんかじゃないから。
「なにも…間違ってなかったから…」
そう自分に、呪いをかけるように唱えるけど、蘇ってくるのは楽しかった、そして辛かった思い出ばかり。なにしてんだろほんと。明日には噂広がってるのかな。最悪最悪最悪!
気づいたら、顔面は涙と鼻水でぐちゃぐちゃ。下校してる同級生何人かとすれ違ったけど、冬は海風が強いおかげで髪が靡いて泣き顔を隠してくれた。
大嫌いな海風もたまには仕事するんだね。
もうどこに向かっているかも分からなかった。
家とは真逆の方向。多分、自然と足は海へと向かっていた。
砂浜には誰もいなくて、太平洋には既に月が反射して輝いていた。
自然と、本当に自然と海へ歩いていく。もう足はガタガタで、今にも転びそうだった。
「りん。りん……」
足が水に入る。冷たいけど、そんなの気にならなかった。靴も靴下も脱いでいないけど今すぐに海に入りたい。沈みたい。
このまま、死んでしまいたい。
本当にこれで最後になってしまったんだ。今まで何もせずにずるずる引きずってきた恋を、自分の手で終わらせてしまった。
三年間、りんがいない日など一日も無かった。辛いこともあったけどなんだかんだ優しかったし、大切にしてくれていた。
酷いことを言われた日もそれを思い出せば頑張れた。
でももう、本当に。
水が太ももあたりまで来る。本当にこのまま死んでしまおう。どうせ噂が広まって恥さらしだし、この先生きていく上で嫌なことの方が多いのは知ってる。何もかも恵まれていないんだ。きっとそう。なんで産まれてきちゃったのよ。
死にたいというか、産まれてきたくなかった。
「うぅ、うあああん、あぁ、、」
涙が海に溶けていく。
冷たさも何も感じなかった。
私も、このまま。
そう思って水に顔を沈めようとした時「え?」
後ろから声がした。
慌てて振り返ると、暗くて分からなかったけど、多分同じ制服の男子。がいた。「誰?」と男子は呟いた。私はこんな姿を見られてしまったと慌ててしまったのがいけなかったんだ思う。これからどうせ恥ずかしいことなどたくさんあるのに。
足を滑らせてしまった。全身が海に沈み、浅い所ではあったけど、慌ててしまったのと足場が悪かったのがあって死のうと思ってたのに、死を覚悟した。鼻に水が入って気持ち悪い。暗くて怖い。冷たくて怖い。
ああ、そうだ。もうこのまま_
ジャバッ!
突然視界が元に戻って、呼吸も出来ようになったかと思うと、目の前にはずぶ濡れになったキョウがいた。
キョウは、去年同じクラスだった男の子で、りんと仲がいい。お互い人見知りだからあんまり話したことは無い。漢字は…恭、だったかな。
キョウは、どうやら私を引き上げてくれたらしい。私の脇を掴んで持ち上げてくれている。
目が合って数秒経ってどう反応したらいいか分からなくなって、とりあえず掴まれたままの脇に目をやった。
するとキョウは「あ、」と声を上げて「ごめん」と言って離してくれた。
少し恥ずかしかったのか、顔を伏せて、長い前髪のせいであまり顔が見えなかった。
「あ、ありがとう…」
全然話したことがない二人が夜の海に二人きり、ずぶ濡れになって向かい合っている。
時々私たちを照らす灯台の光が眩しかった。
二月の海はやっぱり寒くて、身震いしだしたので「あがろう」と声をかけて二人で浜辺へ歩いた。お互いタオルなどもってないので制服までびしょ濡れのまま、身を震わせながら気まずい雰囲気を漂わせ海を眺めた。
綺麗な、広い、広い太平洋。見慣れてしまったけど改めて見ると悩みが全部吹き飛んでいきそうなほど壮大で静かだった。
「なんで海に入ってたの」
そうキョウが呟いた。
「死のうとしてた」
「は?」
キョウは少しはは、と笑ってこっちを向いた。
濡れた髪が滴っていつもよりいい男に見える。
「今どき入水自殺とか古いな。制服で入ってる感じだと遺書も書いてないでしょ。事故死にされるよ」
返ってきたのは意外な返答だった。私も面白くて少し微笑んで、
「死ねたらなんでもよかったんだ、死のうと思ったのついさっきだし」
「あぶな。俺もうちょいで第一発見者じゃん」
「ははっ、なにそれ」
案外、話せるタイプなのかもな。今までのキョウの印象が覆った。
キョウが浜辺に腰を下ろしたから、私も少し乾いてきたら手で浜辺に手をついてキョウの隣に座った。
あまりにも星空と海が綺麗だったから、気がついたらその雰囲気にあった好きなアーティストの好きな曲を口ずさんでいた。
「あっ」
私はあわてて口を抑えた。急に口ずさむなんて変な子だと思われてしまう。入水自殺未遂。既に変な子なのにこれ以上変な肩書きを追加されては困る。
そう思ってキョウの方を見ると、なんとも言えない顔で私を見ていた。
「アホくさ…」
「えっ?」
私が驚いたのは、キョウが急にアホくさいなどとボサいたからではない。私がさっき口ずさんだのは“あの星に釘を刺して”というバンドの曲。このバンド名には輝きを失わないように、という願いが込められているのだが、思いもよらなかっただろう、ファンからは“あ”の“ほ”しに“く”ぎを“さ”して、と、まあ略称といえば略称なのだがその名の通りアホらしい、「アホくさ」と呼ばれている。発音はアホくさ⤵︎ ︎ではなくアホくさ⤴︎︎︎なのでわたし的にはセーフだと思っている。
まさかこのバンドを、キョウが知っているなんて。
「あほくさ、知ってるの?」
「知ってるもなにも、俺めっちゃ好きだよ。それデビュー曲の“潮時”だよね。デビューなのに何潮時とか名付けてんだよって感じ笑」
そう笑うキョウはもう前のような人見知りのイメージは消えていて、笑った時に見える矯正器具がチャーミングだった。
私がキョトンとしていると、キョウはハッとして、
「え、引かないでくださいよ」
そう言って焦ったようなそぶりをした。
「はは、ごめん。もっと人見知りなイメージだったから…。この曲好きなんだよね。ずっとファーストばっかり聴いてる」
「ああ、確かに俺人見知りだけどさ。同級生が入水自殺しようとしてるトコなんて見たらなるべく明るくいてあげようと頑張るよ、俺だって」
キョウは体育座りをして腕を伸ばし、うずくまるようにして顔を埋めた。
そして横目で私を見て、困ったような顔をした。
「ごっ、ごめん!ほんとはただ海に入ろうと思ったんだけど、なんか、死んじゃえーって思ってどんどん足を進めて行ってただけっていうか」
「いやそれを入水自殺っていうんじゃないの、笑」
それも、そうか。
私は黙って、濡れてしまって冷えた体をさすった。
もう十八時を回るだろうか。二月にもなると日は伸びて来ていたが流石に辺りは暗く、夜と呼べる雰囲気だった。風は落ち着いてきたがひんやりとした空気に身が震える。
キョウはごそごそとカバンを漁って、学校のジャージを取り出した。
「これ、西条さん頭まで濡れちゃってるし寒いでしょ。俺今日体育ないし部活さぼってきたから使ってないやつ!多分臭くないしなんならいい匂いだし、多分。カバン自体が臭いかもだけど」
そう口早に言い放って冷たいジャージを渡してくれた。
「ありがとう」
私はブレザーを脱いで、まだ少し湿っているワイシャツの上からジャージに袖を通そうとする。
すると視線を感じたのでキョウの方を見ると、キョウがちらちらと私の身体を見ていることに気が付いた。濡れてワイシャツが透けて下着が見えているのだろう。
中学二年生なんてそんなもんかと思って何も咎めずジャージを着た。
「もう、キョウにはこれ以上恥ずかしいこととかないかも」
「えっ?」
「入水自殺未遂とか、結構えぐいことして、助けて貰っちゃったし」
「ああ…。いいよ別に、誰にも言わない」
「はは、ありがとう。キョウが部活サボったことも言わないね」
「助かります」
キョウは目を伏せて笑った。キョウから貰ったジャージは確かにいい匂いがして、安心することができた。
キョウは自殺の理由を聞かなかった。なんとなく分かっているのか、聞いてはいけないと思っているのか。
「私、振られたんだー。振られたっていうか…、終わらせたというか、当たって砕けたというか」
「あー、りんか」
キョウはりんと仲が良いし、私がりんの事を好きと言うか、私たちが良い感じだったのは去年、広まりに広まりまくったので学年の半数が知っている。キョウもそのうちの一人だ。
「まだ好きだったんだ、とっくに彼氏いるかと」
その言い方だと、私がりんに去年一度振られていることも知っているんだろう。これは学年で十人ほどしか知らないと思う。
「全然。なんかずっと引きずっちゃって。向こうに彼女でもできちゃえば吹っ切れたのかもしれないけど」
「死にたいほどりんが命だったんだ」
「はは、そーなのかも」
目の前で話している男の子はキョウだったけれど、頭の中はりんの事ばかりで苦しくて、死ねなかったという思いが頭をめぐっていた。