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11~20
**手をつないだ日**
交際が始まって、最初の週末。
柚子月と蓮は、静かな公園を歩いていた。
喫茶店で少しおしゃべりして、帰り道に“手をつなぐか”迷っていたとき——
「……いいですか?」
先に手を伸ばしたのは、蓮の方だった。
柚子月はそっとその手を握った。
あたたかかった。
やさしくて、少し不器用で、でもしっかりと力があった。
(ああ、ちゃんと“今”を歩いてるんだ……私たち)
その日は、紫陽花が静かに見守ってくれていた。
**元カノの名前**
付き合い始めて、初めての違和感。
駅前で蓮と待ち合わせていたとき。
背の高い女性が、蓮に向かって話しかけてきた。
「あれ? 久しぶりじゃん。元気だった?」
「……七瀬さん」
(七瀬?)
彼の声のトーンが明らかに下がった。
その女性は軽く笑って、「相変わらず地味な服ね」と言い残し、去っていった。
「……あの人が、元カノ?」
蓮は小さくうなずいた。
「向こうから告白されて、僕は流されて……。でも、途中から気づいてた。
ちゃんと“好き”じゃなかったって。」
それは、彼の後悔だった。
でも、柚子月の胸の奥には、見えない小さな棘が刺さった。
**あなたの知らない私**
柚子月にも、“誰にも言っていない秘密”があった。
——高校時代、演劇部で脚本を書いていたこと。
人前では目立たず、おとなしいと見られていたけれど、
その実、誰よりも“物語”に恋していた。
「私ね、ずっと誰にも話せなかったけど、脚本書いてたの」
「え、それ……すごい。読んでみたいな」
「だめ、恥ずかしいから」
そう言って笑い合えることが、心の距離を縮めてくれた。
「今度、一緒に“物語”書いてみませんか?」
蓮が、真顔でそう言った。
(この人となら、何かを“生み出す”恋ができるかもしれない)
**写真の中の彼女**
柚子月は、蓮のインスタをふと開いた。
最近はほとんど更新されていないアカウント。
過去の写真を遡っていくと、ある一枚に目が止まった。
それは、蓮と七瀬のツーショット。
笑顔。親しげな距離感。
キャプションには《たぶん、一生の友達。》の文字。
(……一生?)
胸がざわついた。
(私、まだ“過去”に勝ててない)
けれど——その夜、蓮が何の前触れもなく送ってきた写真。
紫陽花の坂道。傘を差して歩く、ふたりの影。
《今のほうがずっと綺麗だって思うよ。》
それだけで、柚子月の心はそっとほどけた。
**誕生日の嘘**
6月末。柚子月の誕生日。
だけど彼女は、なぜか蓮にその日を伝えていなかった。
(祝われるの、怖い。期待してがっかりしたくない)
でも——蓮は覚えていた。
学校帰りの坂道で、さりげなく紙袋を差し出してきた。
「……もしかして今日じゃなかったらごめん。でも……“6月27日”、ってあの“日記”に書いてあった」
中には、彼が手作りした詩集と、文庫本サイズの柚子月のための短編が一冊。
「……私、ちゃんと祝われたの、人生で初めてかもしれない」
嬉しくて、泣いた。
手が震えた。
言葉にならない気持ちが、全部その短編に詰まっていた。
**夏が近づく音**
夏が迫る。
蝉の声。湿った空気。
紫陽花がゆっくりと枯れていく季節。
だけど、柚子月の心はますます色づいていた。
「夏祭り、一緒に行きませんか?」
誘ったのは、柚子月からだった。
「浴衣……似合うかな」
「似合わないわけがない」
すぐに返ってきたその言葉に、胸がきゅっとなった。
**手を離したくなかった**
夏祭り当日。
柚子月は、薄紅色の浴衣にそっと身を包んだ。
蓮が目を見開いて、静かに言った。
「……綺麗です。ほんとに」
花火が打ち上がる夜。
人混みの中、二人はずっと手をつないでいた。
(手を離したくない)
その気持ちが、どんどん強くなる。
そして帰り道。
蓮が、ふいに言った。
「……キス、してもいいですか?」
柚子月は、黙ってうなずいた。
柔らかい音と、熱と、花火の残り香だけが、夜に残った。
**初めての喧嘩**
週明け。
「蓮、あの七瀬って人……まだ連絡取ってるの?」
「……取ってないよ。ただ、出版社の関係で顔を合わせることはあるかもしれない」
「そう……」
些細なことで不安になって、口調がきつくなってしまった。
蓮も苛立った声で返してきた。
「信じてくれてると思ってたから、何も言わなかった」
重たい空気。
帰り道、会話がなくなる。
初めての、すれ違い。
**それでも好きだった**
喧嘩から2日後。連絡はなし。
蓮のことを考えるだけで、胸が痛い。
(私、信じるって言ったのに。結局、不安をぶつけただけ)
そう思ったとき。
スマホに届いたひとつの写真。
紫陽花の坂道に咲いた、最後の一輪。
《あの花、もうすぐ散るよ。でも、僕はまだ、君を待ってる。》
走った。
あの日と同じように、全力で。
坂の途中に、彼はいた。
「……ごめん。全部、私が悪かった」
「……違うよ。僕も、ちゃんと話せてなかった。信じさせてあげられなかった」
そしてふたりは、何も言わず、抱きしめ合った。
**これが“恋”なんだね**
夜のベンチ。
蓮の肩にもたれながら、柚子月はぽつりとつぶやいた。
「これが“恋”なんだね」
「うん。……傷ついても、離れたくないって思えること」
紫陽花はもう咲いていなかった。
でも、二人の心の中にはまだ、ちゃんとあの色が咲いていた。
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🌸第2章完結(11話〜20話)
——“好き”のその先へ。すれ違いながらも、二人は強く結ばれていく。