公開中
1-2 世界の不具合
――店の外には、悪夢のような光景が広がっていた。
好き勝手に暴れ回る魔獣。
逃げ惑う人々。
天高く吹き飛ばされる鎧。
魔獣の数が多すぎる。最悪、世界が滅ぶほどに。
そもそも、魔獣とは何なのか。俺は、世界の不具合が具現化したものだと理解している。魔獣が多ければ多いほど世界の綻びは大きいし、倒せば倒すほど世界の修復は進む。
とにかく、少しでも魔獣の数を減らさなければならない。
魔獣と対峙し、腰を抜かす人間を見た。横から突っ込み、速度を殺さず殴り飛ばす。
――妙だ。魔獣にしては、手応えが軽い。
魔獣は、邪術も使っていない今の俺が簡単に殺せる相手ではなかったはず。
魔獣を掴み、他の個体の元へ放り投げる。魔獣同士は、ぶつかって行動不能に陥った。
――弱い。
家の屋根に上り、助走をつける。助走の勢いを保ち、大きく跳躍した。鳥型の魔獣を地面に叩き落とす。
――弱い。
目の前の魔獣を殴りつけた。簡単に風穴が開く。
――弱すぎる。
本当に、これが魔獣なのか? 今まで俺が戦ったどの存在よりも、この魔獣たちは弱い。
『権限』。
もしこれが本物の魔獣なら、浄化後世界のエネルギーとして使われるはず。
邪神の権限を起動し、死後の扱いについて調べた。
「はぁ……」
結果を見て、俺はため息をつく。
――魔獣ではなかった。
何者かが人工的に作り出した存在。魔獣に似せて作られ、生まれた時から破綻している|怪物《モンスター》。それが、今回襲ってきた存在の正体だ。
「醜い」
だってそうだろう。殺傷力に特化した体で生まれ、誰かを傷つけるよう強制される。俺なら断固願い下げだね。
「消えろ」
俺は、醜いものをずっと視界に収めていたくはないんだ。
足を伸ばし、体重を前にかける。反対の足も同様に。
腕を上げ、軽く肘を曲げて、肩の後ろに回し、反対の手で引っ張る。
よし、準備運動はばっちりだ。
邪神の権限で消し去ることもできるが、生身の戦闘能力も確認しておきたい。ここは空気の重さが違うからな。
手頃な場所にあった頭を鷲掴みにし、俺は走り出した。走りながら、首をねじ切る。胴体とは永遠にお別れだ。
残った頭を手の中でもてあそび、上に向かって投げた。上空のモンスターに命中し、頭とモンスター両方が落ちてくる。不要な頭を蹴り飛ばし、落ちてきたモンスターの翼を掴む。
「一緒に空の旅行としゃれ込もうぜ?」
断ったらどうなるか分かるよな? と圧をかけると、モンスターはすぐに飛び立ってくれた。
「ははは! こりゃ楽だ!」
今まで飛行は移動手段の一つと割り切っていたが、いやはや。わざわざ地面を蹴って飛び上がらなくても空を取れるのは、魅力的だ。生物が空に進出した理由がよく分かるね。
「墜ちろ!」
モンスターの翼を掴んだまま、体を前後に揺らす。合わせて翼を掴まれているモンスターも揺れるが、耐えろ。
足先が、近くを飛ぶモンスターに当たる。進路をそちらに変更させながら、俺は一際大きく体を揺らした。
足をモンスターの体に引っ掛け、力を込める。モンスターの首がへし折れた。
死骸は下に落下し、真下にいたモンスターを下敷きにする。
「飽きた」
モンスターの上に飛び乗る。空を飛んでいるという感じはあまりしないが、やはりこれが一番楽だ。
俺を攻撃しようと近寄ってきた魔獣を蹴り落とす。
「お、当たった」
モンスター同士が頭から衝突する。首が折れ、二体とも死んだ。
鳥型のモンスターの上を移動しながら、辺りのモンスターを殺していく。
次第に、鳥型のモンスターが俺から距離を取るようになった。が、その程度で俺から逃げられると思うな。この距離なら――まだジャンプで届く。
鳥型のモンスターが逃げるのを追って、俺は街の上空を駆けた。
――徐々に人間の数が増えていく。避難民だろうか。
モンスターは人間がいる方に引き寄せられる性質があるようで、避難民に殺到していた。
避難民の周りをまた別の人間が取り囲む。ある者は剣を持ち、またある者は盾を持ち、手を組んで神に祈る者もいた。
その中で、一つだけ知った顔を見つける。ティナだ。
白いローブを脱ぎ、黒いワンピースに身を包んでいる。目を閉じ、手を組んで、必死に何かに祈っているようだった。
モンスターはティナの前で右往左往している。試しにその辺のモンスターを投げつけると、モンスターは弾き飛ばされると同時に黒く焦げた。
それに加え、この不快な感覚。嫌いなヤツの気配を全身で感じる。主神の力に間違いない。
相手の体内に作用するタイプの術かな。俺が近づけば、継続的にダメージを受けるだろう。
取り敢えず、ティナには祈りをやめてもらいたい。そのためには、モンスターを消せば良いだろう。
対象はモンスター。範囲は……この街全域で良いか。
「消えろ」
俺がその言葉を唱えた瞬間、空を飛んでいたものも、ティナの前で右往左往していたものも、剣士を殺そうとしていたものも、等しく消え去った。モンスターの体が分解され、エネルギーに還る。
だが、やはり――。
「残るか」
俺が使う邪気や、世界を構成するエネルギー。それらとは違うエネルギーであるため、モンスターのエネルギーはこの場に留まった。
後で浄化しなければならない。
まあ、今はティナと話そう。
「よう!」
俺が声をかけると、ティナは目を開けて俺を見た。祈りのために組まれた手は変わらない。
「魔獣から逃げてきた方でしょうか。それならこちらに」
どうやら、俺だと気づいていないようだ。
「いいや、その必要はないね」
見ろ、と俺は辺りを指し示した。
「え? 嘘……」
驚きのあまり、ティナは祈りを中断して呆然と座り込む。
これ幸いと、俺はティナに近寄った。
「クリス! 魔獣が……」
避難民を魔獣から守っていた剣士の一人が、ティナに駆け寄る。ティナの近くにいる俺を訝しげな目で見た。
「こちらは?」
「ノルさんです」
ティナに名前のみの簡素な紹介をしてもらい、手を差し出す。
「ノルだ、よろしく」
剣士は一瞬だけ逡巡した後、俺に向かって手を差し出した。
「リアムだ。こちらこそよろしく」
リアム。ティナの話によれば、最近帰還した街の英雄。街がにぎやかになった理由でもある。
「ところで、ノルは……あー、いきなり呼び捨てにして済まない、俺のことはリアムで良いから」
「構わないさ。分かった、リアム」
「ノルは、どうやってここに? さっきまで魔獣がうじゃうじゃいて、避難民が近寄れるようなところじゃなかったが」
俺の背筋に冷や汗が伝う。どうしよう。何も考えずにモンスターを追って来てしまった。
「俺も剣士だからさ」
邪神の権限発動! 生まれろ、剣!
俺は懐から取り出したように見せかけて、手の中に短剣を生成した。到底実戦で使えるようなものではないが、ごまかすだけなら十分なはず。
「あいにく、メインの方は折れちまった」
軽く左手で頭をかく。
「……すごいな。言っちゃあ悪いが、その程度の武器でここまで無傷で来られるとは」
「まあ、運動には自信があるもんでね」
セーフ、か? 「戦闘の途中でメインの剣を失い、サブの短剣を使って必死に魔獣から逃げ延びた身体能力の高い剣士」という設定で通せたか?
「それで、一つ聞きたいことがある」
リアムが話題を変える。俺は少し身構えた。
「さっき、戦っていた魔獣が急に消えた。何か心当たりはないか?」
何を隠そう俺の仕業だ。が、それをそのまま言えば、せっかく押し通した設定がなかったことになってしまう。
ここは知らないフリを――無関係の第三者のフリをさせてもらおう。
「そう! 俺もそれを聞きたかったんだ! 実はさっきの話には続きがあってな、さすがの俺でも逃げ切るのは難しく、魔獣にやられかけたんだ。もう駄目かと思ったその時――ってやつさ」
口がよく回る。一から十まで全てが出任せだが、設定に合わせたストーリーを作ることのなんと楽しいことか。
特に、これが命に関わらない駆け引きだというのが良い。地獄にいた頃は、誰かとの会話全てが駆け引きの一部だった。失敗すれば即死の。
「まあ、お前がそれを聞いてくるっていうなら、知らないんだろうな」
わざとらしく肩を落としてみせる。
「悪いな。しかし、魔獣が一斉に消えたということは、魔獣より遥かに強い存在がこの街にいるということ……ノルも気をつけろよ?」
「ああ、分かった」
俺だけどな。
さて、リアムはすっかり俺を信用してくれたようだ。俺がほっと胸を撫で下ろしていると、
「あれー? モドキが全部消えてる」
この場の惨状にそぐわぬ、少女の明るい声が響いた。
こげ茶色の上下に、また同じ色の帽子。所々に金色の糸で刺繍がしてある。
皆がぼろぼろの中、少女だけがほつれすらない服を着ている。少女は、ひどく浮いていた。
「モドキ、か」
モンスターが魔獣に似ていることから付けたのだろうが、良い呼び名だ。俺はモンスターの方が気に入っているが。
「うーん、いらないやつも残ってるなあ……」
少女が顎に手を当て、悩む仕草をした。
おもむろに口を開く。
「死んじゃえ」
その言葉と同時に、辺りを鮮血が彩った。乾き始めた血の上に、明るい色の血が広がる。
鈍い音を立てて、避難民が地に倒れ伏した。それから、ある程度腕に覚えがある連中も。
「……魔法」
俺たち三人と少女しかいない中、ティナが掠れた声で呟いた。
「だぁいせいかい!」
少女が顔に喜色を浮かべて叫ぶ。
「目的は何だ!?」
リアムが俺とティナの前に出て、剣を抜いた。
魔法を使うのは魔界のやつらだけだ。わざわざ人間界に来ている以上、目的は――
「侵略、ってやつだね」
少女は、あっさり答えた。
「くっ! 俺がお前を止める!」
「私も協力しましょう」
リアムが脚に力を込め、ティナが祈りの手を組む。
「あはは、自分の世界を守ろうとするのは結構。だけど、本当にみんな守る必要がある人たちかな? 例えば後ろの彼とか、ね」
少女がリアムとティナの心を揺さぶりにかかる。
俺は動かない。どちらにつくべきか、考えあぐねていた。
ティナたちと一緒に人間界を守る。
少女の側に付き、人間界を侵略する手伝いをする。
どちらの味方もせず、全てを敵に回す。
どうなっても俺に不利益は発生しない。
「そういえば、つい最近地獄の封印が解けたらしいね?」
「まさか……」
ティナが息を呑む。
そうか。俺は地獄から出てきた。つまり、邪神の勢力。だから、主神の敵、つまり主神に祈るティナの敵なのか。
「まあいいや。全員来てもらうよ」
少女が薄く笑みを浮かべ、
「眠って」
俺たちは意識を失った。抵抗すらできずに。