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彩
おはよう。そう声を掛けられた。
これはいつもの事である。
いつもの事のはず…だった。
オレはやみら。そう|彼《ミラ》に呼ばれてる。この名前は彼がくれた。
今現在、朝6時くらい。
今日もバトルの練習があるくせにミラと来たら、ぐっすり眠っている…
「起きろミラ。また寝坊してる」
「ムニャァ…」
「起きてってば」
仕方なく揺すったり大声(お隣さんには聞こえない程度に)出したりして起こす。
ミラは簡単に言えば同居人だ。本当はそんな言葉では言い表せない複雑な関係ではあるが…
「あ、おはよう…今何時かなぁ…」
「もう6時回ってる」
「えっあっヤバ!?!?なんでもっと早くに起こしてくれなかったのさー!!」
ドタバタと準備し始める。それもそのはずコイツは朝食の支度やら皿洗いやらを自分でやらないといけないからだ。オレ?…極度の不器用で助けになれそうにない。できるものなら何でもしてやりたかった。
「えーっとブキは…」「ここにある」
「んとギア!」「それもここに」
「あとイカホとタンクも必要だね!」「全部あるっての」
これくらいなら、手伝ってやれる。
「ありがとー!やみらって気が利くね~」
「…目玉焼きが焦げてる匂いする」
「あっヤバ!!火止めてくるー!!」
そうして出来上がった目玉焼きを、あらかじめトーストで焼いてマーガリンをつけた食パンの上に乗せて、軽く塩を振る。こんなに忙しいのにオレの分まで用意してくるこいつの手際の良さには相変わらず驚かされる…
「よいしょっと…それじゃあ、行ってくるね!」
その小さな口にどうやってねじ込んだんだと疑問に思うくらい早いスピードで食べ終わり、ギアに着替えてあっという間に出掛けていく。オレはそれを見送る。
「昼ご飯は昨日用意したやつね!必要ならいつものとこで買い足してもらって…あと…」
「わかったから。さっさと行ってこい」
「うん!行ってくるね!」
お節介な奴だ。遅刻寸前だと言うのに。
こうして朝は忙しなく過ぎていく。
訳あって日中は外出を控えているオレは昼間、こうしてのんびりするしかできることがない。慣れない手付きで皿を洗って片付けた後、何も見ることのできない空に向かってため息をつく。
「オレも…普通のイカだったらどれほど良かったか」
オレはイカではない。かと言ってミラの言うタコでもない。ボーイでもなければガールでもない。正体は…分からない。
気付けばミラと一緒に暮らしていた。
普通じゃないオレはバトルはおろか外にすら行くのが難しい。この体が熱に弱くて、日の下だと黒いせいも相まってすぐダメになってしまう。
そんなんだからろくにすることもないのに手つきが不器用だと来た。だから日中は寝るしかすることがない。この暇な時間を何かに活かせたらと、毎日思うしかなかった。
時間がゆっくり過ぎていく。部屋の中を転がり回って壁に当たってを繰り返す。そう言えばと思ってテレビのリモコンを取り電源をつけてハイカラニュースを聞いたりもする。オレはテレビの画面は見えないから虚無を見つめているようなものだが。だからかすぐ飽きて、電源を消す。
たまに来客があってミラの代わりに出ることもあるが、そんなのそうそうない。ひたすら暇を謳歌する。
虚しい気持ちになりながら日向で昼寝をする。
そうしていく内に日が暮れたらしい。ミラの足音が聞こえてきた。すかさず玄関へ迎えに行く。
「ただいまー!」
「おかえり」
荷物を受け取ってソファーの横に置く。
「お昼食べた?」
「うん」
「良かったー!美味しかった?」
「まずくはなかった。…ちょっと味付けが濃いのを除けば」
「うっ…しょうゆ入れすぎちゃったんだよなぁ…あはは…」
いつもこんな会話をする。
限りある時間で少ないけれど、幸せだ。
「とりあえず、晩御飯買いに行こっか。」
「ザトウか?」
「うん!」
夕方から夜ならば涼しくて出掛けられる。軽く支度をして外出した。
「…買いすぎじゃね?」
ミラと二人で分担して抱える大荷物を見る。
オレは平気だがバトルで疲れているであろう彼にはかなりの負担だ。
「今日安いから買いすぎちゃった…えへへ」
「金欠だーって嘆いてたのはどこのどいつだ」
「ボクデススミマセン」
「反省しろバカ…」
最近ミラの金遣いが荒い気がする。気のせいだといいが。
「ほら、持つから。」
ミラからもう1つの荷物を受け取る。ズッシリとしていて一瞬腕を持っていかれた。
「…」
呆れてミラを見る。気まずさで目を反らした。こいつめ…
「と、とにかく早く帰ろ!」
呆けたオレをせっつくようにミラは急かした。
「今晩はオムライスだよ!」
晩御飯を作り終えたミラが明るくそう告げる。
実はこいつ、料理が上手い。一人暮らしで鍛えられたのか手際よく美味しい料理を作る。
オレの分はいいと毎回言っているが本音では食べたいと思ってしまうくらいには…
「ほら、冷めないうちに早く食べてー!んで、感想聞かせて?」
ニヤニヤとやらしい目で見つめてくる。
ヘマしなければ何が返ってくるかなんて分かりきっているくせに…
「うまい」
「えー!?それだけー!?」
「…それ以外に言うことねぇだろ…。」
「もう一声!何かない?」
「んー…ふわふわ」
「それも聞いたよー!!」
なんだ今日はやけにしつこいな。何か変わったところなんて…
「…卵。今日のはいいもの買ったんだよ?」
拗ねながらそう言った。言われてみればいつもよりコクがあるような?
「はいはい美味しいですね」
「もー!!」
5歳くらいの子どもみたいに拗ねた後、不貞腐れて皿を洗いに行ってしまった。
あまり素直に言いたくはないが、こいつの作るオムライスはいつでも美味い。だから違いに気付かなかった…
機嫌を直してもらうためにも、ちょっと手伝いをした。
「ふふ…ボクのこと見直した?」
「1ミリも」
「えー」
とか言いながら順調に皿洗いをこなす。
数分で終わる仕事だ。すぐにフリーになった。
ミラが風呂に入っている間、オレは字を書く練習をしている。日中にも一応やるがやる気が続かない。これで少しでも不器用を改善しようと試みている。
「…難しいな」
どうしてもまっすぐ書けない。曲がったり歪んだりしてしまうのだ。
筆跡が見えにくいのもあるかもしれない。ほぼ目隠しで字を書いているようなものだ。
これで手紙とかでも書けたらできることの幅が広がるんだが…
「上がったよ~」
ふとミラが帰ってきた。茹でイカになっている。
「いやーやっぱ試合後の疲れはお風呂で癒すに限るね!あははは!…ッゴホッゲホッ…」
「おいどうしたいきなり」
「ううん、なんでもない!むせちゃった!」
むせた?いきなり?
「…そう」
変だと思いつつスルーする。別に何もないし。
「とりあえず、明日も練習あるし今日は早めに寝るよ!」
「そうなのか、おやすみ」
「うん、おやすみ」
ミラは寝付くのが早い。ソファーで寝転がって数秒で寝落ちた。
少し羨ましいと思いながらオレも床で横になる。当然寝れない…
「…少し散歩しよう」
外に出た。
夜は涼しい。静かで、誰もいない。
誰もいないからこそ…これができる。
高い建物を見上げて壁を走る。かと思えば高所から落下して姿を変えて滑空する。
こんなの普通のイカにはできない。オレが…普通じゃないからできる。だからってこんなことできても活かせた試しはないんだが…
オレは自由に姿を変えられる。イカとかの枠組みを超えて、タコだろうが、クラゲだろうが、鳥であろうが。想像さえできれば何にでもなれた。たまに架空の生き物になってみたりとかも考えたけど、あれは想像がつかないからやめた。
思う存分体を動かし、本能のままに力を解放する。気持ちいい事だが役には立たない。ひとしきり動き終えた後すぐに家に帰った。
ミラはぐっすり眠っている。オレも隣に寝転がって夜を過ごした。
こんな毎日が続いていた。
でも突然終わりを告げたんだ。
ミラが、亡くなった。
…いや、分かっている。厳密には突然死んだ訳じゃない。あいつは日増しに弱っていたんだ。
別に病弱な訳じゃない。むしろ元気なんだ。
元気…だったのに。
だがここの所の違和感は納得だった。
お金は死ぬ前に使いきりたかっただろうし…
身辺整理もしていた。
手元には少しのお金と、使っていたギアとブキしかない。
もう何も、考えたくない。ずっと混乱していて、何て表現すればいいか分からない感情が渦巻いている。泣きたい。泣けない…。
昨日深夜に外出して少々人助けをしたのを最後に、ミラは弱り果てて死んだ。
まるで自分の命を投げ打って助けたかのような。どうしてそんな事したのか。
オレのいる意義は何なのか。きみに、ありがとうとも言えなかった…
いつものお礼も、恩返しもできなかった。
何より、素直になれなかった……
ショックのあまりかミラの遺体を抱えたまま眠ったように気を失ってしまった。
夢を見た。何も聞こえない。遠くでミラが手を振っている。何か言っている。
『キミは、自由であるべきだ。』
ミラが手を差し出してくる。ふとその手をとる。ミラが霧散して消えた…ところで目が覚めた。
なんとなく汗ばんでいるのが分かる。
手が、軽い。
気を失う前確かに抱きかかえたはずのミラの遺体がない。焦ったが、なんとなく分かっている。ミラの遺体は…自分の中にある。
そして手を見つめて初めて気づいた。
いつも見ていた景色ではない。自分の手は、柔らかな「色」をしている。
周りを見渡す。机や椅子、床や天井。全てに色がついている。今までは形を捉えることしかできなかった世界に、彩りが差す。
少し重たい体を起こして、明るいカーテンに手をかける。
ありったけ手を開いて外の光を迎え入れる。
すぐに青い空が見える。初めて見た大空はどこまでも綺麗で、広く…
「空って…こんな綺麗だったのか…」
気がつけばこんな言葉を漏らしていた。
ミラが言っていた(のかもしれない)自由というのはこういう事なのだろうか。
ミラの死で沈みきっていた心は既に晴れやかだった。失ったものは帰って来ないが、前を向いて生きる勇気をもらえた。
そしてふと思い出す。死ぬ前にミラが言っていた事を。
「キミには…広い世界を…知って、ほしいんだ…」
初めて分かったよ。この世界は広いんだと。
狭いこの家を出て暮らそう。そう思い立ってからは行動するまでさほど時間がかからなかった。
こうして長い、自由の生活が始まった。
「おはよう」
返事はない。当然だ。
一人暮らしだから。
でも、もう後ろは向かない。彼が背中を押してくれたから。
おさがりのモデラーを持って街へ。
輝かしい日がオレを見下ろしてくれている。