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21 空
第21話です。
「――」
揺れる色。照度の色素が落ちた淡い色合い。夢気分より現実味を帯びる気配と湿り気。
「ん、……ん?」
目を覚ました。いつの間にかぼくは横になっていたようだった。
ああ、ここは祠のなかか。ということは夢か。ぼくは夢を見ていたことになる。しかし、いやにリアルな感じだ。追体験でもしていたかのよう。ぼくは身体を起こし……
「――あれ?」
からだを起こし……あれ?
いやにすんなりだ。ぼくの目線はちょうどお腹まわりに向けられている。クの字に折り曲げられたぼくの身体。通常時は立ち姿しか見せず、たとえなんかの拍子で倒れたとしてもころころと転がるだけしかできない人形。
人形では、絶対に不可能な形、カーブ、曲線、痛み。
手を動かしてみた。グーパーグーパーと。躊躇なく動く。
間近で観察してみる。皮膚……ではないな、人形のうっすらとした木の模様が顔をのぞかせる。でも、折り曲げられる節がある。関節がある。こんな指先のところに節なんてあったか今まで。
そうやって身体を動かし、人間のチュートリアルみたいな感じをしていた。外はずいぶん激しい音が鳴ってるな、とふと思った。雷と風。霧以外の久しぶりの要素。そこまで時が経ってないにもかかわらず、懐かしく感じる音たち。こんなに明瞭に聞こえたっけと自分の耳を疑う。
一番強く響き合うのは風だった。力強い風の音。強い風が『|建物全体《ここ》』をあおり、悲鳴をあげる。飛行機がどでかい雲に突っ込んだかのような白で満ちた視界と揺れている木の機体。
床の隙間からいくつもの白い筋が見えた。下から上へ、可視化された流入経路。凄まじい勢いの空気の煙が発生している。風にたなびくような弱いものではなく、風そのものの力を感じる煙だった。やや渦を巻いて、みしみしと、部屋の内装をはがそうとしている。
屋根が、木材が、床が。建物の叫び声が、低く呻いている。
やあ。
その煙から、何かが聞こえた気がした。軽く声をかけられた感じ。懐かしい文字の響き。でも、幻聴かもしれない。遠くで雷鳴が轟いて、それで邪魔されて。
明確な情報が欲しくて、ぼくは行動を開始した。
立て膝をついてその場に立って、横に長い窓のような隙間に駆け寄ってみる。床はなんか欠陥住宅のようにひどく傾いており、不安定だった。ちょっと足元が狂ってもつれそうになるも、なんとか古い窓辺にたどり着く。今さらだけど、もはやこの足は自分のもののように動く。
隙間から外を見た。轟然ととどろく。霧のなか、いや、雲のなかにいるようだった。傾いた祠に従って、外の景色も傾いている。斜め上から斜め下に流れゆく夜の曇天。高く耳をつらぬくキーンという風鳴が、まぶしく感じられる。
月あかりなどなく、分厚い雲の筒の内部にぼくはいる。勢いの良いロケットスタート。理由なんてないジェットコースターに乗せられ、霧のトンネルを通過している最中……。霧の筒は途切れを見せないままいつまでも祠の周りをまとわりついていて、自らはがれようとする努力を見失っている。
≪おやおや。どうして黙っているのかしら。やあって言ってるんだよ。やあって≫
しびれを切らしたように『彼』が言った。素直な気持ちを吐露する。「今は君と話しているどころじゃないよ」
それから尋ねた。「どこなんだ、ここは」
≪……ふーん?≫
状況がよく分からないぼくと、のんきに会話する彼との対比。
≪なーんか冷たい反応だね。待ちくたびれただろう? 数か月ぶりの再会なんだから。俺とのお約束事くらいやる元気はさすがにあるだろう。俺が ≪やあ≫ といったら、君も「やあ」で返さないと≫
「らちが明かないか。いったん外に出て様子を――」
≪ああ、それは止めといたほうがいいと思うよ≫
「うるさいな。黙って――」
彼の忠告を無視してぼくは格子戸をあけた。
骨組みのような、穴だらけの戸を開けただけだというのに、そこには透明な障壁があり、それが解除されたかのように一気に入り込む空気の塊を受けた。そして……
「うわっ」
バランスを崩して足が下に降りる。階段の一歩目のような姿勢。
長い一歩目。着地するはずの足場がいつまで経っても無い。
……片足がずり落ちる。身体が傾き、角度がエグくなり、そのまま落ちて、奈落へと落ちていく。
回転してしまって祠の土台が頭の上に見える。どんどんと離れていこうとしているとき、
≪ほら、言わんこっちゃない≫
空気の塊がまとわりついた。くんと、ロープが伸びて持ち上げられる気配がする。
≪ここは空だからね≫
「空って、あのそら……わっ」
徐々に引き上げられてぽいっと。中に投げ捨てられた。いてっ。
元通りに収まったけど、身体が壁に激突した。ぞんざいなことをしてくれる。頭に衝撃が走ったぞ。というか、ぼくの身体ってこんなに重かったのか? 木って重たいんだな……
≪……ああ。そろそろかな≫
「何がそろそろ」
≪『百聞は一見に如かず』。つらつらとしゃべるより見た方がずっと早い。抜けるよ〝雲〟から≫
瞬間、軽い音が聞こえた。徐々に分厚い霧の層が薄くなってきて、暗い色合いから明かるげになった。雲中から雲上に場面チェンジした。
神様のような、満月がぼくたちを見下ろしていた。眼下の世界を、宇宙から見守っている。何だ何だ、何が起こった?――と疑問の目を地表に流している。それに釣られたようにぼくも見下ろす。そこには何があったかというと……諸悪の根源があった。
なにやら黒いものがあった。尾の長い、黒いケモノ。
今しがた通り抜けた分厚い積乱雲が、ケモノの威嚇から逃げるように去る。雲の影で隠れていた夜の森が見えた。焔に侵されつつある面積の一部がさらに見え、明瞭になっていく。
どす黒い煙の束が立ち上っている。山火事のように。
どこから来たのか。そしてどこで燃えているのか。どうしてなのか。
それらの疑問は夜霧に隠れ、確認することも目視することも叶わないが、炎が居座っていることだけは現実だった。
≪燃やされそうになってたんだよ≫
冷静な声にぼくは振り返った。「燃やされそうに……?」
≪おやおや。前に言ったろう?
『二か月以内に、君は燃やされることになる』と。予言は成就され、先ほどそれが起こっただけのこと≫
「……どういうことだ」
ぼくにはありえない事実だった。燃やした? そんなこと、あるわけがない。だって、
「だって神宮寺は……」
≪『じんぐうじ』? じんぐうじ……ああ、なるほど≫
タービンを回すように回転が速い彼。合点が言ったように、呟くように続けて、
≪いたよ。火をつけた後、颯爽と降りる、|白装束の姿《・・・・・》が≫
「そいつだ。でも、言ってたんだ、|神宮寺《あいつ》は、ぼくが欲しくて、別の人形を、身代わり人形を立てて……」
そう前日に言っていた。儀式を行いたくはない。建前ではない本音。
なのに、燃やした。どうしてだ。
昨日は燃やしたくないはずだったのに、一夜経ってその真逆のことをした。カメレオンのように態度が|翻《ひるがえ》っている。思考が急変している。「どうして」という言葉で頭が混乱した。
混乱すればするほどぼくを襲ったという炎から遠ざかっていく。眼下の世界は自然から平地へ。人間の過疎地から密集の発展地へと。
それでもケモノのような黒い尾は、高い空にたなびいていた。東の空が明るくなって、陽が起き出しているから煙はよく見えた。
≪――『|風のいたずら《あれ》』は関係ないよ≫
ぼくの態度を見て、彼が声の釘を刺してくる。≪一応、言っとくとね。あれにそういう|効果《の》ないから、考えすぎないように≫
「じゃあ何だってんだ、あれは……」
≪聞きたい? ああ、いやだなぁ『ネタバラシ』ってのは。何というか、釈明会見みたいな感じがしてイヤなんだよねー≫
ぼくはじっとりとした目で訴える。このままはぐらかされたままでいられたら居心地が悪いから。
彼は見えないが、どこにいるかなんてお見通しだ。僕には見えないだろうって油断して、目の前にいるに決まってる。
絶えず鳴り響く成層圏の風。沈黙の風に折れたのは、
≪あー、わかったわかった。いくらでも話してやるって≫
「……。君ならそう言ってくれると思ったよ」
≪いやー、そんな目をされるとちょっと|躊躇《ためら》っちゃうなー。まあいっか≫
「……ためらう? まあいっか?」
彼の変な言い回しに疑問の針が刺さった。
≪ほら君、サプライズはイヤっていってたでしょ?≫
なんか嫌な予感がした。下を見た。黒ゴマのように小さい街並み……
「まさか」
≪そのまさかだよ。だって、あんな隙間を通るなんて俺はまだしも『俺ら』には無理だろう?
明日会おうか、まあ『君が生きてたらの話なんだけど』≫
じゃ、〝着地〟は頑張ってね。ほいっと。
それが彼との別れの言葉になった。
一気に土台にあった浮力が無くなっていく。スピードはお亡くなりになり、ガクンと急停車して、それで……真っ逆さまに下へ。
下へ、下へ、奈落の底に向かっていく。一回転、二回転と、ゆったりとした回り方。地球が自ら回るように、ぼくらも真似して回った。
「お、おまえーーー!」
遠心力で振り落とされることはないだろうけど、叫ばずにはいられない。
どうしよ、どうしよ。
さっきまで「どうして」ばかり考えていたのに、今は「どうしよ」が頭の中にいる。のたうち回って叫び散らかしている。
下は急速に近づいている。ぼくらは回転している。
霧のような小さな集合が成長して、ゴマ粒くらいに。ますます豆粒くらいに大きくなって。それから目視できるくらいになると、亀裂のような溝が見えた。
黒い亀裂、ビル群の隙間。――そこに。
そこにすっぽりと入っていく。コンマ何秒の世界。覚悟の両目をぎゅっとつぶった。
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