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デジタル・ブーケ 第一話『売れ残りの冬』
「ふと思うんだ。生命は運命に抗わず最期を迎えるからこそ命の美しさがあるのに、なぜ僕は彼らの死を先延ばしにしているんだろうって」
2025年12月24日午前7時
開店前の店内に、冷えきった水の音が響く。
僕、|鳴浜律《なきはまりつ》が営む小さな花屋【リナリア】は街の再開発エリアの端にある。
2025年という年は、花屋にとって過酷な一年だった。
物価は上がり続け、人は「すぐに枯れてしまうもの」にお金を払う余裕を失いつつある。スマホの中でのデジタルギフトや、枯れないプリザードフラワーが主流となり生花の瑞々しい香りは贅沢品になりかけているのだ。
僕はバケツの中で、パンジーの苗を手に取った。
花言葉は「私を忘れないで」。
この街から人が消え、建物が壊される中で、この花を求める客はもういない。
これは昨日、市場で「売れ残り」として安く引き取ってきたものだ。
「誰も見ないなら、僕だけでも撮っておくか。」
僕は濡れた手を拭い、スマートフォンを向けた。
レンズ越しにみるパンジーの紫は、店内の薄暗い空気の中で、驚くほど高潔に見えた。
シャッターをきると、味気ない電子音が店内に反響する。
撮った写真をSNSにアップした。
#2025年冬
#パンジー
#最後の一鉢
投稿して数十秒。
画面に、見慣れたアイコンが灯る。
『saku_02』
この一年、僕が上げた「売れ残りの花」の写真に、必ず一番にいいねをくれるアカウント。
sakuさんは、僕が仕入れた花が、誰の手にも渡らず萎れていく過程まで、静かに見守っているような気がしていた。
「…sakuさん、今日もはやいな」
独り言は、自分の白い吐息に溶けて消えた。
そのとき、通知音が鳴った。
DMだった。sakuさんからメッセージが届くのは、これが初めてだった。
「そのパンジー、少し寂しそうな色をしていますね。今年最後の雪が降る前に、誰かに見つけてもらえるといいのですが」
僕は画面を見つめながら、言葉を失った。
sakuさんは、僕がこの花を「売り物」としてではなく、半分諦めた形見のように撮っていることを見抜いている。
店の外では、もう重機の動く音が聞こえはじめている。
再開発の波は、もうすぐこの店にもたどり着く。
僕はスマホをポケットにしまい、凍えた指先でパンジーの柔らかな花びらにふれた。
冷たい、けれど確かにある。
デジタルの中のいいねよりずっと切実に、この花は僕の指先で呼吸をしている。
「...そうだね。最期の雪が降る前に」
僕は、店頭の「本日のおすすめ」と書かれた古びた看板に、一番安い値段でそのパンジーを書き加えた。
2025年のクリスマスイプ。
世界がどれだけデジタルに染まっても、僕は、この指に残る花の冷たさを信じていたいと思った。