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戦場の大晦日。
史実の出来事を参考にしてます。
一九四三年、世界は燃えていた。だが、時は早くも過ぎて年末・・・・・それも今日は大晦日だ。故郷では雪降る頃だろうが、ここは雪も降らず、虫どもが羽音を鳴らして戦闘機編隊と共に飛んでいた。なぜならここは南半球にあるラバウルだからだ。視界に映るは椰子の木が生い茂る中、右にも左にも駐機場を埋め尽くす航空機。西には堂々と立つ花吹山。噴気をもうもうと上げて佇んでいる。故郷から遠い場所だが、正月に向けた準備はやっていて、そろそろ門松の設置が終わる頃だろ。門松をどうやって作ったかって?周辺に生えていた松と竹の代わりに椰子の木を使いました。しめ縄も枯草をつかってどうにか作った。その上、中々手に入らない米を使って餅も突いた。その最中でもここは最前線なのでもちろん空襲されるが、その時は潔く整備兵は防空壕へ退避。自分達は戦闘機に乗り込んで大空へ上がった。その時は作っていたものが壊されないように祈るのみ。そんな感じで過ごしていたがもう年末。今日も何機か敵機がきたし、祝日だろうが敵は待ってくれないし戦争は続く。
「今年も、もう終わりか・・・・・・・」
花吹山をかすめて落ちていく夕日に向かって独り言を呟いていると、誰かが来た。
「今日ぐらい楽しもう。正月と年末の夜ぐらい敵も休むだろうさ。」
横にいたのは整備兵のおじさんであった。彼の着ている白い制服についている茶色いシミ(多分だろうがグリース)から臭うやや変な(錆と油が混じった感じ)臭いが自分の鼻にこびりついた。まぁ、彼らがいなくては航空隊は運用できないのでもちろん感謝しているがこの臭いは慣れない物だ。彼はその後、本土の子どもたちが元気に育っているだろうかとか、彼らからの手紙が待ち遠しいと話していたが、輸送艦が潜水艦によって沈んでいき、ここが海上封鎖状態である現状、手紙が来ることは無いだろう。
そんな訳で、椰子の木と葉で作られた簡素で狭い宿舎で宴会が始まった。少ない酒をチビチビと皆で飲んで、振舞われる魚類に目を光らせて腹を膨らませるのであった。年が変わる時には、ドラム缶を改造して作った除夜の鐘が夜の基地に響いていた。
翌日。隊舎にある小さな神社に参拝をして、数少ない紙で書初めも行われた。参拝の時には真剣にした。自身の身の安全を祈願して。書初めも行われ、普段空襲ばっかりで暗い顔をしていた戦闘機隊の搭乗員や整備兵も今日は明るい顔で過ごしていたその時である。
「敵機だ!!」
上空監視用の櫓で上空を監視していた誰かが口走った時、ほのぼのとした空気が壊れた。すぐさま戦闘機隊の発動機音が談笑の声から入れ替わるように基地に響く。次々と戦闘機が滑走路へ向かい、発進した。発進後、整備兵はすぐさま防空壕へ直行。今日も戦場は戦場であったのだった。
・・・・・これは後日談となるが、輸送船がラバウルに寄港した時、軍需物資と共に家族たちの手紙が大量に届いた。そして、その中には整備兵のおじさんの子どもの物も。
「今日も頑張るか・・・・。」
ラバウルの日常は続く。
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「おい、弾薬まだか?!」
「敵が押してきてるぞ!!」
鉛の様に重い空が広がる雪降る廃墟に銃声と怒号が飛び交う。ここはスターリングラード。現在我がドイツ軍は包囲されている。四六時中砲弾が頭上から降ってきて、歩兵が、戦車が連日突っ込んできて地獄の様相を呈していた。その様な中で、私は崩れた家の煉瓦と木片の隙間に機関銃を設置して即席トーチカにして機関銃の引き金をかじかんだ指で引き続けているのだ。トーチカ内には故郷を思う、誰にも言わぬ哀愁と、補給も途絶え、見捨てられた絶望感が重い空気となってのしかかっている。それでも思う。クリスマスと新年ぐらい祝わせてくれ、と。クリスマスはそこらへんに落ちていた樅の枝を積もった雪に刺して祝ったけな。だが、ここは地獄の窯の中。何が起きても不思議ではない。だから「せめて」だ。
「クソ・・・・休みがねぇ!!」
新兵が暗い実質廃墟のトーチカ内で叫んだ。それに応じるようにここの古参兵がため息を吐きつつ答える。
「それよりも弾薬をだな・・・・・。」
「それ言うなら飯が食いたいです。家族に会いたいです。弾薬よりもこっちの方が良いです。」
確かに・・・・・・。新兵の本音に皆黙ってしまった。隠してしまっていた、手に入らぬと割り切ったと思っていた本音が静かに漏れ出ているのが分かった。まぁ、それは地獄の釜の中では手に入らぬものだろう。
それよりさっきからソ連兵による攻撃が止んでるような・・・・。
「伏せろ!!」
誰かが言った瞬間、爆音と共に立てぬほどの揺れに襲われた。パラパラと頭の上から粉塵が落ちてくる。また砲撃だ・・・・・・。クリスマスも、大晦日も、唯一のプレゼントがソ連軍からの砲撃か。皮肉だな。だが、兵士とはいえもう少し良いプレゼントは無いのだろうか・・・・・。そう思いながら耐えていたが、砲撃も無限に続く訳もなく数十分立てばスターリングラードは不気味な静けさを取り戻した。
その後、攻撃の合間に夕食がやってきた。今日は・・・・拳サイズのパンと、カップに注がれたクリームスープ。ここでは御馳走だ。クリームスープは、余りの寒さに既に少し冷めていたが美味しかった。ここに来て初めて私は生きていることを実感したのだった。
ここが地獄の窯であろうと、私たちはここに在るだ。
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芯から冷えた潮風に煙草の煙が乗るように流れていく。まるで「帰れ」と煙草が言う様に。煙が向かう先は祖国アメリカ。数日前に出航した地だ。私たちがいるのはイギリスへ向かう北回り航路を行く護送船団の護衛駆逐艦の甲板上だ。ここでは早朝に煙草を吸いたくてたまらない連中が狭い甲板に長蛇の列が形成されていた。
「ったく、大晦日の前日に魚雷食らうとかついてないな・・・・。」
誰かが煙草を吸いながらぼやいた。そっか・・・・今日は大晦日か。もうクリスマスも終わって、1943年も終わりか。思い返せば今年はクソみたいな年だったな。幼馴染の友人4人の内、2人今年死んだ。学生時代の友人は7人の内今年で4人も死んだ。幼馴染2人はドイツ海軍のUボート潜水艦の雷撃に乗っていた船があって共々沈んだらしい。4人は対日戦線の南の島で日本兵にやられた。俺の家に遺書の類が来たらしいが、その数日前に我が船団が出港したため読んではいない。早く帰りたいな。そんな事を考えながら、昨日食らった魚雷の破孔を見下ろした。爆発でめくれ上がった舷側の喫水の鉄板には巨大な破孔が出来ている。その周りには、焦げて茶色くなったはげかけの塗装がまとわりついていた。だが見た目よりは艦は軽傷であり、普通に航行が可能で、既に浸水も止まっている。多分だが、魚雷の炸薬量が少なかったのだろう。そう思いながら煙草の吸殻を海中に投げ捨て、(良い子はマネしないように!!)艦橋へ通ずる扉を開けて艦内に入った。艦内は駆逐艦の為通路は一人通れるぐらいしかなく、むき出しの配管が多数張り巡らされている。艦内には木製の物を置くのは被弾時の延焼を警戒して以ての外だが、両手サイズの小さなクリスマスツリーが小さな机の上に置かれていた。もうクリスマスは終わったのに。あれは・・・・・昨日の被雷で唯一死んだ乗員の少年がクリスマス前に置いたものだ。航海長から燃えやすい物は艦内に置くなと再三言われたが、少年は意見を曲げなかったため口論となり、結局艦長がOKを出したので置くことになったという事情がある。だが、あれの持ち主は死んだので誰もあれを捨てるのは忍びないとかいう消極的な理由でクリスマスを過ぎても置かれている。因みに彼の死体は発見されていない。多分だが、爆発と同時に即死、そのまま破孔から流れ出ただろうと思っている。それも捨てるに捨てられない理由となっているのだろうか。そんな事を思いながらまた小さなクリスマスツリーを眺めていた時である。艦内のスピーカーから、
『敵潜水艦探知対潜戦闘!!艦内非常閉鎖!!』
と言う放送と共に、艦内の電灯が一瞬消え、赤く変わると共に艦内の空気が鋭い刃物のような張り詰めたものに変わった。
「来やがった・・・・Uボート!!」
大西洋は今日も誰かを吞み込んでいく。
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駅前に大量の電灯によってイルミネーションが作られ、周辺の商店では年末セール用の品が棚を独占していた。ここは現代、日本。クリスマスは終わったが、まだまだ行事ラッシュが続いている。その中を独り、私は歩いていた。老いた私には少しイルミネーションの光が眩しく感じるが、その光は発砲炎でも、サーチライトの光でもなく、爆発炎でも無い、LEDの光であり、今が平和なことを伝えてくれている様で安心した。だが、近くのビル群の壁に貼り付けられているスクリーンには爆弾を落とす航空機、燃え盛るマンション、粉塵の中で泣き叫ぶ誰か・・・・・・全くと言っていい程今の此処とはかけ離れた光景が映し出されている。あそこでも誰かが絶望の中、新年に小さな希望を抱いて、正月を祝っているのだろうか。そんな事を思いながら私は人混みの中に消えていった。
あの頃の事を忘れた様に町は今日も輝く。
提督の決断(ゲーム)のED音楽を聴きながら作りました。
https://firealpaca.com/get/siR2zvgp
↑絵のURLです。(ドット絵です。)