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22 パンと水
零はトアの放つ空気感を察し、その場所から離れた。
「七一〇年か……」
後ろ手でがれきの穴に通ずるドアを閉め、教室内を歩く。心の中では呟けない。
「あまりにも長い足止め、ハズレの世界を引いてしまったな」
『世界渡り』の待機時間、|スキル再使用時間《リキャストタイム》は一日だ。たった一日我慢すればいいと考えていたが、そうは問屋が卸さないらしい。彼女の教授めいたつまらない授業を拝聴するに、女神の呪いである|停止世界《時ヲ止メ》の効果により、この世界では一日経つのに七一〇年も時間が膨らんでいるのだという。
完全に『ハズレの世界』だ。
やはり最初の見立て通り、この世界は廃れた世界であり、文明はすでに滅んでいる。もはやスキルでの解決は困難であろう。
零の当初の目的である『不死の病』を治す手段は見つからないだろう。そうなると、また別の世界に渡りたいのだが、そのための障壁として、すでに不在である女神の呪いが強固に阻まれる。
たとえ寿命が無いに等しい零であっても、七一〇年は長すぎる。何とかして、この時間を短くできないだろうか。手立てはないだろうか。
零は拠点内を考えながら歩いている。
ほら穴地帯から階段を降り、大教室の黒板のあるところに降りていた。
そこは上下に動く黒板がある教壇で、イスや机がない。少し開けたところだ。
「おい、新入り」
そこで零は誰かに呼び止められた。見ると筋骨隆々とした男が立っている。
「なんだ」
「あんた暇だろ。ちょっくら瓦礫をどかすの手伝ってくれないか?」
拒否を許さぬほどに、大男の眼光は鋭かった。
★
「ふう、と。これくらいでいいか」
がれき類を持ち上げ、その間に中へ人が入っていく。しばらくすると、人々は出てきて、なにやら袋状の物を抱え込んでいる。食料と飲料水らしい。
つまり、ここら一帯にあるほら穴地帯の一部が食糧庫になっているのだ。普段は入口を重いがれきで塞がれ隠されている。
「悪いな、人手が足りなくてな。新入りと気安く呼んで悪かった」
「気にするな。暇だったことには変わりない」
先ほどの男がすまなそうに礼を言い、零は短く応える。ひと通り、中にあった食料を取り出した後、零とともにがれきで入口をふさぐ。
教壇前の空間に、備蓄が山積みされる。
「おい、みんな取りに来てくれ。今日の分だ」
大男が拠点全体に声をかけ、居住用のほら穴からぞろぞろと人々が出てくる。
備蓄品に寄ってたかる。スラム街の一場面を見ているような感じだ。
「おいおい、そんなに焦るな。全員分はあるからよ」
大男は慣れているようでテキパキと配っている。それを零は遠くのほうでそれらの配給を眺めていた。
零が過去に訪れた世界には、このような貧困を目にしたこともあった。いわゆるスラム街と呼ばれていて、富裕層から目の|敵《かたき》にされていた。ゴミ同然、アリ同然、害虫同然。侮蔑するかのごとくの目線を向けられていたが、それでも彼らは雑草のように生きていた。
その時はただ流れ過ぎる風のごとき、邪魔立てすることもなく歩き去った。とくに用がなかったのだ。
「新入りの分もあるぞ」
大男は大きく育った胸筋を見せびらかしながら近づいてくる。少ないがな、とパンと水を手渡された。零は感謝の言葉をいった。
筋肉質の男は近くの小さながれきに腰を下ろした。
「災難だろう」
「ああ。ずいぶんと、長い足止めになる」
「スキルが使えるのか?」
零は目を向けずに、
「もとより、世界を転々とする旅人のようなものだ。目的はあるが急いでいない。悠長にもしていないがな。
時間が過ぎればスキルの試行はできる。短距離であればスキルは問題なく発動できる。回数は……、一戦闘あたり一回といったところだ」
「そうか」
零は世間話でもするように尋ねる。
「アンタはどれくらいになる?」
「俺は……そうだな。拠点のなかじゃ新入りよりだ」
「ここに来てから短いのか?」
「ああ。おそらく、三ヶ月も経ってない。もちろんこれは『ネグロ―シア』換算じゃなくて、『実時間』の方だ。そうなると俺もまだまだ新入りだな」
『実時間』で三ヶ月、およそ一〇〇日か。そこに259,200倍したものが、彼の感じている日数……、時間経過になる。
「その次に短いのは「十年」とかだ」
「ほかは?」
零は突然「十年」という数字が飛び出してきたことにいくばくかの驚きを心に秘めた。大男は首を振った。
「すべて死んだよ。ここに飛んでくる奴らは度胸だけはあるんだがな。ある者は|NightCrawler《ナイトクローラー》に挑戦状をたたきつけ、返り討ちにされたり、またある者はこの世界の理を受け入れられず、拠点を飛び出し、そんときの指揮官に喰われこの世の埃と化したり。勇敢な勇者のまね事をしては墓石すらも役に立たなかった」
「|蛮勇《ばんゆう》か」
「はっ、難しい言葉を使うね。なら、俺たちはどう呼ぶ? 拠点内にいる者たちは皆しぶとい。タンスの裏に隠れてる害虫みたいなものか」
零はまだ一つの授業しか乗り越えてないのだが、授業にはバリエーションがあることが聞いていてわかる。
大男は、過去に起こった授業をいくつか語った。映画でも見ているような目をしている。
ある日突然、人々が苦しみだして絶命音を出す。それが伝播し不気味な大合唱のごとく広がってしまう……『|ゼツキュウゼッキョウゼッコウチョウ《絶級絶叫絶交調》』。
急激な寒波が学園全体を襲い、気温が低下。地表すべてが凍りつく……『|キョウジョウキョウキョウメンシアゲ《教場今日鏡面仕上げ》』。
前触れもなく廊下にパカッと穴が開く。校舎中、廊下中、奈落だらけになり、落下者の叫び声が続くたびに新たな落とし穴がどこかで複製される……『|オトシニタエ《落としに耐え》 |オトシニタエ《音死絶え》』。
隣の大男はそれぞれの詳細を述べる。時折旨そうに水を飲んだ。ごくごくと喉を鳴らし、容器を口から離した。
「……無いのか」
零はそれらをひと通り聞いた後、同情でも感想でもない言葉を呟く。それらを見事生存した者の昔話に興味はない、と単刀直入に言うように。
「何がだ」
「|スキル再使用時間《リキャストタイム》を短くする方法」
「そんな画期的な方法なんてないな。待つしかない」
大男はもうすでに結論付けているらしい。
「リーダーかサブ……、トアには会ったか」
「会った」
「そうか。なら話は早い。あの二人はとても長いんだ。特にリーダーは、この世界に赴いてから、すでに千年は経ってるっていう噂だ」
「……千年?」
「日じゃないんだぜ、年だよ年。無論、「実時間」でだ」
「ヤツは人間じゃないのか」
目線は彼女を一瞬指す。大男は自信ありげに口もとをあげる。
「この世界じゃ、時間経過がゆっくりだから不老みたいなもんさ。ま、不死じゃねえから簡単に『死ねる』がな」
「なら、どうしてそこまで待てる?」
「バケモンだからさ」
大男はがっしりとした腕を組む。
「まったく、リーダーはバケモンだよ。千年経とうが、一万年経とうが、リーダーは待てる、そういう胆力を持ってる。今は腐っちまったが大昔には世界樹があったそうだぜ。まさにそれを至近距離から見てるみたいな感じだ」
「ふうん」
「まあ、俺たち男の……人手の扱いには少々手荒いがな」
一口でパンを半分喰らう。豪快な喰い方をする。口の中の水分をかなり持っていかれるため、モゴモゴと口を動かした。
「さっきみたいに、瓦礫で食料を隠したり、ローテーションで拠点を移動したりとかな。念には念をっていう気持ちはわかるけどさ、その時の荷物持ちは俺たちなのさ。昔はもっと人手がいたんだがな、今では十人と少ししかいなくなっちまった」
「金髪男も年数は長かったようだな」
「ノースのことか。死んじまったらしいなぁ。ああ、長いぜ。それもリーダーよりも長かったらしい。先に転移したって話さ。それで、いつもリーダーと意見がぶつかってた。亀のように閉じこもってばかりのリーダーをなじっては単身拠点外に出て授業の指揮官をあおり、その後始末は追いかけたリーダーが片づけてた」
「『モズ』などもおびき寄せていた、か?」
「そうさ。ここが大所帯だった頃、牽制部隊と討伐隊、拠点防衛の三グループがあったんだ。戦えるものといったって、スキルが回復する時間が異様にかかるから、チャンスは実質一回。だから牽制部隊が討伐しやすいところへ移動させつつ時間を稼ぎ、一撃で仕留める、というのが主流だったわけよ。
ヤツはな、その時の牽制役として抜擢されたことがあったんだが。その時にヤツは『へま』をしたらしくてな。牽制部隊と討伐隊を全滅させちまった。拠点防衛をしてたリーダーが奴の尻ぬぐいをして『モズ』討伐はひとまず難を逃れることができたんだが……。その時から、もうヤツは『死にたがり』に変わっちまったかな。
奴については残念だが遅かれ早かれだったぜ。数少ない戦える者だからな、プレッシャーもあっただろう。そのミスもでかい。救出者を救いたいっていう気持ちにウソはないだろう。でも、それは本心じゃない。自分で死ぬのはプライドが許さない。だったら誰かの前に立ち、身を犠牲にして……ていう、そんな感じだ。まったく、残された|妹《イオリア》がかわいそうだぜ」
大男は目の前に目をやる。
備品の輪のなかに少数だが人が集まって座っている。リーダーのラビッドが黙々と食料を|食《は》み、イオリアが一方的に話している。それにトアが何かを言っている。遠くからでは会話の細部は聞こえない。だが、あそこの一帯だけ花が咲いたように空気が暖かい。
「あのこと、伝えてないのか」
イオリアはノースの妹になる。〝あのこと〟とは、兄が死んだこと。大男は零の目を見る。
「話したらどうなると思う? 十中八九、妹は兄のあとを追うだろうよ」
「だが、いずれ知らなければならない」
零は冷静に言った。
「いつまでも隠し通すのは無理だ」
「余命宣告された少女じゃないんだ。今すぐじゃなくたっていい。――と、リーダーが言っている」
大男は独白するようにいった。
「だが、俺、いつかイオリアを連れてここから逃げてやろうかと思うんだよ」
零はどちらでも構わない素振りでパンを口にする。
「この拠点はもう危ない。ノースがいなくなっちまった今、リーダー 一人では手に負えないだろう」
「ラビッドが言うには地下は安全らしいぞ。地上に出なければいいと」
「それはリーダー自身の勘さ。そう信じたいだけなのかもしれん。だからよ、その言葉で本当に安心するほど能天気じゃないんだ。別の巣穴を見つけにいく。そこで仲睦まじく『繁殖作業』でもするさ」
「アンタは戦えるのか」
「もちろん……と言いたいところだが、あそこのバケモンと比べちゃな。腕っぷしには自信があるが、戦闘となるとな。一人じゃ|竜翼族《ワイバーン》一匹二匹倒せるかどうかだな。
だから、俺と二人で駆け落ちするほどバカじゃない。すでに仲間は募ってる。徒党を組む予定だ。俺と|イオリア《姫》、少なくともあと三人は欲しいな。新入りは……ここに残ればいい」
「トアを連れていったらどうだ」
「奴はダメだ。リーダーに心底惚れてる。それに、もうすでにぶっ壊れた廃人を連れていくのが条件だとされたらたまったもんじゃない」
たしかに言いそうだと零は感じた。
「それにだ、さすがにイオリアと二人の逃避行じゃ、コワモテで悪党顔の俺だと避けられちまう。逃げられそうだ」
大男は破顔した。零は無感情に言った。
「そう簡単に行くと思うか」
「いくさ。それに、〝女神の唄〟もあることだ。まあ残酷な結果になるが、生き残る指針としては御の字ってとこよ」
零は疑問を持つ。「女神の唄?」
たしかそれは……
「『五人以下にはさせないよ』」
誰かがボソリといった。