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これからの日常
飛びかかってきた魔獣を切り捨てる。
モルズは今、クライシスにいた。
「……ふぅ」
結局、貯めた金貨は各地の孤児院に寄付してほとんど使い切ってしまった。今モルズの手元に残るのは、僅かばかりの金貨に食事代となる銀貨と銅貨だけ。
おかげで腰がすっかり軽くなり、魔獣を狩る動きにもキレが出ている。貯めた金貨と共に、何かモルズを縛っていたものがなくなってしまったようだった。
魔獣の残党を探しに、モルズは更に先に進む。
視界が開けた。
辺りに点々と残っていた茂みや草地すらもなくなり、人や獣に踏み荒らされた地面が延々と続いている。
襲いかかってきた魔獣を処理しながら、モルズは前線を目指して進み始めた。
◆
魔獣のしなやかな体から繰り出される鋭い一撃を紙一重で避け、その礼に短剣での一撃を叩き込む。狙いは首筋。
急速に勢いがなくなった魔獣の体に、後続の魔獣がつまずく。それでも奴らは止まらない。止まれない。
体勢を崩した魔獣は後続の魔獣に踏み潰され、その姿は見えなくなった。
勢いそのままに魔獣がモルズに飛びかかる。
モルズはそれを難なく回避し、魔獣の首筋を掻っ切る。
それを皮切りに、魔獣が次々にモルズへ突っ込んできた。同士討ちを厭わぬ決死の攻撃。
だが、その攻撃もモルズにとっては烏合の衆の悪あがきに過ぎない。多少攻撃がかすりもしたが、無事に攻撃をしのぎ切った。
一方、魔獣たちは互いの攻撃を食らってダメージが入っている。運良くダメージを負っていないものもいたが、ほとんどはダメージで体力が削れていた。
万全な状態で歯が立たなかった相手に、今の消耗した状態での攻撃が届くはずもなく。流れ作業のように首を断たれ、命を絶たれていく。
数分後には、辺りにモルズ以外の生命は存在しなくなっていた。
赤子の手をひねるような戦いであったが、それでも戦闘は戦闘。モルズは、昂った戦意の赴くままに次の獲物を探しに行く。
モルズの短剣が閃き、魔獣の頭と胴体が永遠の別れを告げる。
戦闘開始からどれだけの時間が経っただろうか。
いかに無尽の体力を持つモルズと言えど、流石に息も切れ始める。
モルズの動きは戦闘開始時点と比べると精彩を欠き、しかしその動きは洗練されていた。
後ろから忍び寄る魔獣を振り向かずに短剣で一刺し。ぐっと短剣をひねってやれば、傷口から大量の血が溢れ出し、魔獣は絶命した。
「はぁ……、ぐっ」
全身に負った傷も痛む。
ずっと命のやり取りをしていたからか、集中力も切れてきた。
ここらが切り上げ時だろう。――今までのモルズなら、そう思って切り上げていたに違いない。
だが、今のモルズにはそうする理由がない。帰る場所も、帰りを待ってくれる相手もいないのだから。
「さあ……来い」
その言葉の意味を理解したのか、魔獣の攻撃が苛烈さを増していく。
激化する戦闘。
果たして、最後まで立っていたのは――
どさり、と何かが倒れ込む音がした。意識を失ったモルズが倒れ込む音だ。
ならばモルズは魔獣に負けたのかと言えば、それは違う。
モルズの周囲から、魔獣が消え去っていた。
モルズは勝ったのだ。そして、それまでの疲労を回復するために眠りについた。
規則正しい寝息。
たまに魔獣が現れては、まどろむモルズに鎧袖一触にされる。
そんな戦場の一角にあるまじき穏やかな時間が、丸一日続いた。
◆
「ふわぁ……よく寝た」
寝起きの伸びの代わりに、ちょうど付近を闊歩していた魔獣を切り伏せる。
やはり一日も経てば魔獣も他所から移動してくるのか、それなりの数まで増えていた。
モルズは、準備運動がてらにそこらの魔獣を鏖殺した。
新たな獲物を求め、モルズは更に別の場所へ移動しよう。ひとまず、魔獣の数が多そうな方へ。そう考え、移動を開始しようとしたモルズを呼び止める声があった。
「待ってください!」
しかし、モルズは動きを止めず歩き始めた。
人間には興味がないのだろう。
モルズの冷たい対応にもめげず、声の主はモルズの前まで回り込んで言った。
「あなたにとって良い話があるんです!」
無視。
「あなたは傭兵さんですね?」
モルズの返事を待たず、勝手に話し始めた。
「……」
「更に! お金がないとお見受けできます!」
モルズの沈黙を肯定と捉えたのか、更に話を進めていく。
「失礼だな」
流石のモルズもこの言われようには我慢ならず、口を開いた。
失礼な勧誘者は「してやったり」と口角を吊り上げた。
モルズが失策だったと悟ってももう遅い。
「そんなあなたにオススメ! 傭兵組合に加入しませんか?」
モルズにずいっと顔を寄せる。
「結構だ。それと、勧誘するならまず自分の身分を明かせ」
今さら組織に属し、縛られるのは嫌だった。
「はっ!? 失礼いたしました! 私は傭兵組合のスカウト、レイと申します!」
レイは勢いよく頭を下げた。
「傭兵組合への加入がダメなら、契約はいかがですか?」
取り付く島もない、といった様子で断ったモルズだったが、レイはまだ追い縋る。
「契約?」
興味を持ったモルズに隙を見出し、レイは更なる勢いを以てモルズに詰め寄る。
「はい! 期間を決めての契約で、内容は様々ですが、各人の能力に合った内容を提案します。報酬も働きに見合ったものが渡されますよ!」
「しがらみは?」
モルズは「期間を決めての契約」というところに興味を惹かれ、詳細を尋ねる。
「ありません! その代わり、組合からの支援も受けられませんが」
だから、傭兵組合と契約を結ぶだけという傭兵は少ない。いざという時の支援に期待できないからだ。
「ふむ……その話、受けても良い。案内してくれ」
モルズには金が必要だった。
「本当ですか!?」
「嘘じゃない」
レイは鼻歌を歌い始め、意気揚々とモルズを傭兵組合まで案内する。
「魔獣が寄ってきたらどうするんだ」
「はわっ!? そうですね!」
そんな一幕も交えながら。
歩きながらモルズとレイは互いに情報交換する。
「そういえば、傭兵組合って何のための組織なんだ?」
「それはですね……と、その前に! あなたのお名前を教えてくれませんか?」
相手に名を求めたのなら、自分も名を明かす。当然のことなのに、モルズはすっかり忘れていた。
「モルズ」
「モルズさん……ですね。それでは、傭兵組合についてお教えいたしましょう!」
やけに芝居がかった大仰な動作の後、レイが傭兵組合について語り始める。
「傭兵組合は、ここクライシスで魔獣に対抗するために作られたんです。魔獣は数と力で人間を上回っていましたから、組織力が必要でした」
「ん?」
モルズが疑問を感じ、声を上げた。
「どうしました?」
「いや、俺は国が戦力を出し合っていると聞いていた」
「そうなんですよ! はじめは傭兵だけでクライシスを守っていたのですが、今では他国の騎士団が守っているのです」
「へぇ」
「今の傭兵組合は、騎士団の手が及ばないところの魔獣の被害を抑える役割を担っています」
「ふむ」
そろそろモルズが魔獣を皆殺しにした地帯を抜ける。
モルズは魔獣への警戒を高めた。
「私からはお話ししたので、次はモルズさんですね!」
「得意武器は、見て分かるように短剣だ」
モルズはちょうど近くを通りかかった魔獣をロックオン。
滑るように体を動かし、魔獣の喉笛を掻っ切った。
「……とまあ、こんな感じの戦い方が多い」
「わぁ! お強いですね」
はしゃぐレイ。勧誘した相手が強いと、スカウトとしても嬉しいのだろうか。モルズは少し首を傾げながらも、先導するレイに従って戦地を進んでいく。
「――静かに」
こちらへ近づいてくる魔獣の群れ。数は十体ほどだろうか。それほど強くない。
相手にするのは簡単だが、傭兵組合に辿り着くまでそれを繰り返すのは骨が折れる。
レイも魔獣の接近に気がついたのか、口を閉じた。
「……こっちです」
レイが小声でモルズに伝えた。モルズは小さく頷く。
音を立てないよう細心の注意を払い、モルズたちは素早くこの場を立ち去った。
「ふぅ、もう良いかな」
魔獣が別の方向に行くのを確認し、モルズたちは一息つく。それでも足は止めず、前へ進んでいった。
「これは……」
街。今までそれらしきものは見なかったが、ちゃんと存在していたのか。
「はい、見えてきましたね。もうすぐ、クライシスに着きますよ」
「クライシス?」
クライシスは国の名前のはずだが。そう、モルズが疑問の声を上げると、レイが説明を始めた。
「はい! 私たちが生活するのはほぼ街の中だけなので、国の名前がそのまま街の名前になっているのです」
「なるほど」
かつて国だった場所。今、そのほとんどは魔獣が闊歩する戦地へと変貌した。
人が安全に暮らせる場所を確保するのはかつてと比べて遥かに難しく、一つの街を守るのにも手一杯。
土を踏みしめる音が変化する。整備されていない戦地の土から、整備こそされていないが多くの人によって踏み固められた土へ。
たったそれだけの変化だが、モルズは街にやって来たことを実感した。
「ここです」
街の入り口に差し掛かり、レイが足を止める。
「――ようこそ、クライシスへ」
1月中に続きを出せそうにないです。ごゆるりとお待ちくださいませ。