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感情論と感情の違いは何か。
感情論と感情の違いは何か。
「感情は情動で感情論は論、つまり感情をどう扱うかの違いだという人もいる」
「感情と感情論は同一ものだよ。論じようと議題自体が感情に左右されるからね」
「うん。だから議論の焦点になるのは、感情がどういうものであるのか、感情とはどういう現象なのかということだな」
「感情とは何か。それが問題だね」
「そう。そして感情とは何かは定義によって変わるだろうし、感情とは何かが変わることで感情そのものも変化してしまう」
「そうだね。じゃあ、感情とは何かなんてことを問題にするのは無意味かな?」
「いや? 感情とは何かに拘泥ること自体は意味のあることだと思うよ。でもその感情が何であるかについて論じることは無意味だ」
「どうして?」
「それはもう感情じゃないからだ。感情には形がない。だからどんな形であれ、それを論じたところで何の意味もないんだよ」
「ふうん……?」
釈然としない顔で尚隆を見上げる六太を見て、尚隆はくつくつ笑う。
「では訊くが、お前にとって感情は何だ?」
「えーと……喜怒哀楽とかいうあれのこと?」
「ああ。それらの感情のうち一番強いものはどれだ?」
「うーん……喜が一番強くて、あとはみんな同じくらいだけど」
「ほう。なぜ?」
「なんでって言われてもなぁ……」
六
「俺、たまに思うんだよね。人が死ぬ時さ、本当に悲しいと思うのはその人が死んだときなのかなって」
ぽつりと言った六太の言葉に、陽子は瞬いた。
「どういうことですか?」
「だってさ、おれたちはいつまでたっても年を取らないわけじゃん? ずっと生きてて、ずーっと死なないでいるとしたら、親しい人は死んでいく一方なのにさ。そんなふうにして死んだ人を悲しんで泣いて、そしたら自分が一人ぼっちになったときにすごく辛い思いをするんじゃないかと思って」
「……そうですね」
「だったら最初から一人で生きていくほうがいいような気がして」
言って六太は苦笑した。
「……まあ、こんなこと言ってると親不孝者みたいだけどな。実際、母ちゃんが死んだときは辛かったけど、やっぱり父ちゃんが死んでからは淋しかったもん」
陽子は何も言えず、
「……そういうものでしょうか」
とだけ呟いた。
「そういうものだろ。人の気持ちなんか誰にも分からないんだからさ。大事な人と別れる日のことを思って悲しむより、最初から誰もいないと思ったほうが楽じゃないか?」
六太は言いながら手近にいた女官の手を取る。
「なあ? おまえだっていつか誰かと結婚するかもしれないしさ。そうなったら旦那が死んだり子供ができたりするだろ? そのときも同じように泣けるのかねえ」
六太に手を握られた女官は困ったように笑いながらも小さく首を振る。
「わたくしはご結婚などなさらないと思いますけれど……。でももし万一、そのようなお話がございましたなら、やはり悲しく思ってしまうのではないかと存じます」
六太は不満げに鼻を鳴らしたが、それ以上の反論はなかった。
──確かに。
陽子もまた溜息をつく。
自分の両親や
「主上」
は、いずれ必ず死ぬのだと思っていたほうが気は楽だ。
「わたしもです」
陽子が言うと六太は意外そうな顔をしたが、すぐに破顔した。
「うん。でも俺たちはみんなそうだよな。だから今のうちに遊んでおかないと損かもなー」
「遊ぶ、ですか?」
六太は悪戯っぽく笑ってみせる。
六太は陽子を伴って外殿を出る。内殿へと続く回廊の途中で立ち止まると、辺りを見回してから声を落とした。
──実は、と前置きをして六太は陽子に耳打ちをする。「……え!?」
驚いて陽子が叫ぶと、六太は慌てて口を塞いだ。
「ばかっ! 大声出すなって!」
陽子は口を押さえたままこくこくとうなずく。
「どうして……そんなことを」
「だって、どうせ暇なんだぜ? 何かしないと勿体ないじゃん」
六太があまりにもあっけらかんと言うので、陽子は呆れてしまった。──この方は……。
だが考えてみれば、これはある意味ではとても正しい考え方なのだ。
陽子はこの国の王である以上、一生を終えることはできないだろう。そしてそれはおそらく尚隆も同じことだ。ならばその長い生の中で何をするかといえば、何もせずに過ごすしかないのだから。
そう考えるとひどく虚しい気分になるのだが、それでもどこか納得できる部分もある。
そういえば以前、尚隆にも同じような話をされたことがあったと思い出した。
「……あの人は、あなたに何と言いましたか?」
「ん? 尚隆?」
六太はきょとんとして、それから思い当たったらしく笑う。
「あいつ、なんて言ったかなぁ。確か、『お前には分かっているはずだ』とかなんとか」
「そう、なんですか?」
尚隆が六太の考えを読み取っていたとは驚きだ。だが言われて見れば、尚隆は他人の考えを読み取りすぎるくらいだ。そのせいで誤解を受けることも多い。
だとすると、ひょっとしたら尚隆にだけは自分とは違う景色が見えているのではないか、と陽子は思った。
「……あたしも、そうかもしれません」
六太は嬉しそうにうなずいた。