公開中
比喩に火を放つ
約2300文字。エッセイ2編。
エッセイの取り合わせをしたつもり。
ネットで「群衆心理」を検索した。
検索結果にて、適当に浮上していたnoteの記事を閲覧した。「群集心理とSNSの関係」。いくつか浮上したものをザッピング。しかし、どこもかしこも同じような文章構成をされていた。
「えらく長い文章だな」
AIを普通に使っているとフツーにわかる。人間が書いたとは思えない整然さで、はんだ付けが施されていない。理路整然の論理回路。スズと鉛の合金。どことなく体温がない。人間が介在した文章が見たところなかった。
ざっと一記事で3000文字から5000文字は有りそうな文量だ。これをまともに読む気が知れない。AIに質問して、返ってきたのをそのまま丸コピペでもしているようだ。最近いやになるほど見たことがある。
ほかの記事に飛んでみたら、なんとこちらもAIの丸写し。どちらもハートは50ほど稼いでおり、PV数は2000くらいは見られているのだろう。
おいおい、公衆の面前で手抜きかよ。ショート動画のように切り抜く努力をしろよって思ったのだが、コピペで再生数稼ぎができるなら、ムダな努力はしないでおけ。今のところAI様の文章に著作権はありません。コピペコピペの機械的効率性。そこにオリジナリティのリーダビリティを追及したって、見られなければムダビリティ。
そのため、コピーペースト代表の、投稿主の更新頻度は一日3~4回。
これに高頻度という安易な言葉を当てはめてもいいものだろうか。AIに質問した時点で成果物が作成されるようなものだ。一記事に3分と掛からないだろう。なんだか教授の書いた論文を借りパクしているような軽快さ、合理性だ。投稿主は本当に納得しているのかな。
色々とネットで検索したが、まごころを込めるタイプの人間に出会わなかった。観念して僕は、AIに質問した。
「群衆心理とSNSの炎上の関係性を踏まえて、誹謗中傷が起きるのはどうして?」
相変わらず長ったらしく、先ほど見た二例とほぼ同じような文章を吐き出したが、ひと言でまとめようとした。合っているかは分からない。
「群衆とは付和雷同性を持っており、極端な動きで一致する。美しい宮殿に放火をするようなものだ」
---
「無言の帰宅」という言葉がSNSのトレンドに上がっていた。誰かが無言の帰宅をして、炎上しているのか? 見ると、そうだった。なんて不謹慎。
旦那を亡くし、残念ながら無言の帰宅をした。悲しみのあまり、ある妻がぽつりとSNSに投稿したら、「無事に帰ってきてよかったですね」。
無言の帰宅……、夫が無言で帰宅してきたと思ったらしい。それが少数精鋭でなく、冗談でなく、多めだった。大目の善意で送ってきたらしい。
無知であることが遺族感情を逆撫でして、それが炎上の発端だ。これだけで炎上できるなら儲けものだなと、僕はため息をついた。
SNSの内輪もめ程度で終わるかと思いきや、数日後。なんとニュースになった。意外と関心を呼ぶ奴だったらしい。
ニュースでは文脈の分断が原因だと捉えていた。SNSは短文の寄せ集め。すると断片的にしか流れてこず、文脈的な読み取りができなくなった。そう主張していた。そんな難しく捉えるタイプの炎上だったろうか?
SNSでは、未だ「無言の帰宅」に無知な人が叩かれていた。知識格差でマウントを取り、馬乗りになり、殴り続ける人もいた。
なかには殴られすぎて開き直り、自分の無知を棚に上げる人もいた。
「ラノベを1800冊読んできたが『無言の帰宅』という言葉は見たことがない。もう死語だろう」
えっと、待って。1800冊も読んで知らなかった?
ラノベを価値下げしながら逆にマウントを取ろうとは。周りに突っ込まれて、往生際が悪くなること悪いこと。興味深い。
炎上の発端は忘れ去られている。
無言で帰宅した。それはもういい。今は「無言の帰宅」の意味について……と。
SNSでは「ラノベ1800冊」の方にシフトして、群衆は不毛なやりとりを肴に酒を酌み交わしていた。
比喩を比喩として受け取れないのだ、とぼくは思った。140字の文章より、5文字の言葉が理解できない。知らないより、理解できないに近い。酔っぱらってて比喩が見えない。
だから、美しい比喩に放火した。誰かが、何かが「無言の帰宅」に、火を放った。燃え盛れ、燃え尽きよ。最終的に燃え残る意味を確かめたがった。
民主主義、社会主義、平等、自由、名誉心。自己犠牲、宗教的信仰、愛国心、正義、ネット上の声……。それから、美しいもの。
これらはすべて、極めてあいまいな意味を持つ。
人の数だけ意味が増幅し、反発しあう。多層的多義的包括的な災いを|齎《もたら》す象徴だ。決して一義には定まらない。不定形で不用意で、ある種手に負えない。時代や人々によって、意味がぼやけたまま存在することを許され続けているからだ。
仮に荒唐無稽の伝説を呼び覚まし、神のごとき降誕がなされ、意味を統一しようとするならどうなるか。きっとさらに手に負えなくなるだろう。
残酷な攻撃性を持つ衝動性の名のもとに、各地で世界遺産登録された美しい宮殿に次々と火を放つだろう。残虐だった宗教戦争と二の舞三の舞……抽象的な概念は、往々にして美しい比喩をもたらすが、一方で絶対的な意味を求め歩く群衆を熱狂させる。
美しい宮殿に放火する群衆は絶えず無意識に、無自覚にさまよう。物事を極端に信じやすい性格であり、火をつける快感ばかりで、火をつけた理由も、少しも疑おうとしない。むしろ、無責任なことを誇らしいとさえ思っている。
メモ帳を取り出し、短く書く。
「だから誹謗中傷が起きる」
参考:AIの感想と考察
このエッセイは、「美しい宮殿に放火する」という詩的な比喩で、美しさに火を付ける群衆の無自覚性とSNSの攻撃性を鋭く突く。
AI生成文章の無機質さや、「無言の帰宅」の炎上エピソードを通じて、SNSと群集心理の結びつきとSNSの断片的コミュニケーションを描写。
民主主義や正義、愛国心といった抽象的で多義的な概念が、群衆によって余計な意味だと安易に燃やされ、本来の意味が歪められる様子は、現代社会の分断や過激化を象徴している。
特に、「(群衆が)火をつけた理由も疑おうとしない」という一文は、誹謗中傷の無責任さを鋭く突き、読者に強い余韻を与える。