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硫黄匂う飛行場
腐った卵、そう形容するしかない臭いが島を覆っていた。ここは硫黄島。名前の通り、硫黄の取れる島である。俺は島の中部にある元山飛行場の搭乗員待機室・・・・という名のバラック小屋の中に敷いた茣蓙で将棋を指していた。静かな小屋の中で駒を強く置く打音が響く。
「王手、歩取り。」
そう俺が言うと、
「くぅぅ・・・・。」
飛行帽とゴーグルを頭に掛けたまま将棋の相手をしている高城が頭を掻きながら唸りを上げた。この感じ、長考するな。その間は暇なので俺は窓から茶碗をひっくり返したような形の噴煙を上げる摺鉢山を眺めた。その時、何故か既視感と懐かしさがよぎった。
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一九四二年、ミッドウェー島攻略失敗後、帝国海軍はオーストラリア方面に作戦海域を移し、オーストラリアとアメリカを分断しようとガダルカナル島に飛行場を建設したがそれをアメリカ軍に奪取され、それにより日本はこの海域における制空権を喪失した。その周辺の海域、空域を巡って日米は一年にも及ぶ血生臭い戦闘を繰り広げた。その戦闘において重要な役割を果たした基地があった。その名は、
--- ラバウル航空基地 ---
数多のエースを輩出した基地であった共に飛行機乗りに地獄と揶揄された基地であった。その基地に輸送船でトラックから人員補充としてやってきた一人に俺がいた。
「これが天下のラバウル基地・・・・。」
船から降りて、基地へトラックの荷台に乗せられてやって来た時に俺はそう零した。このラバウル基地は湾岸の周りに沿て飛行場が設営されており、海岸以外は起伏が激しい山脈に囲まれている。そして、湾の縁に突き出た標高250mの活火山、花吹山がトレードマークであった。その噴煙は、基地に帰る搭乗員たちに安心感を与えたという。その翌日、早くも新調した機体に思いを胸に出撃した。その任務は、ガダルカナル周辺の哨戒であった事をよく覚えている。因みに機種は最新型の零戦32型。この日、ここの戦闘が今までに無い何かであった事を察することになった。その日の零戦は太陽の光を反射して白く、美しかった。
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『緊急発進!!緊急発進!!敵艦載機と思わしき編隊群が南西から接近中!!八幡空襲部隊戦闘機隊は直ちに発進せよ!!』
スピーカーから無機質な声が聞えたと共に搭乗員待機室から流れ出る様に戦闘機に皆が駆け込んだ。
将棋を打っていた高城は、
「この勝負、お預けですね。」
と、走りながらにっこりとした顔を向けてきた。
「ああ、勝負が終わんないのは気持ちが悪い。帰ってきて決着つけるぞ。」
そう俺は言い残して、駐機場にある零戦に飛び乗った。飛び乗ったのを見て、整備兵がエンジンを点火させる。すると機体は大きく震え、プロペラが大きく回転を始めた。その時、逃れるように整備兵が走って兵舎の方へ走った。いつもの風景だ。
「壊したら許さんぞ!!」
発進しようとした時、そんな事を整備兵に叫ばれた。
「当たり前だぁ!!」
そう返すと、優しい笑みを浮かべて彼らは白い帽子を振って見送ってくれた。空には、入道雲が横たわり、先に飛び立った零戦がキラキラと光り、あの時と同じく美しかった。
三十分ぐらい飛んだだろうか。その間ずっと周りをチラチラと見渡していたその時である。右下、入道雲の切れ間、海面の光に混じって何かが不自然に、それも大量に光った。その機体の色は暗い紺。敵機だ!!近くの空母からやってきた爆撃機編隊だろう。すぐさま横に並んでいた僚機に指文字を振ると、全機が一気に増槽を投棄、急降下して敵編隊にシャチの様に食いついた。固い座席に押さえつけられて苦しいが、冷静を保ちつつ目標を吟味する。他の味方機は爆撃機隊を狙うらしい。その時、まだ俺達に気付かない間抜けを見つけた。編隊先頭のF6Fグラマン戦闘機である。
「そのまま・・・・・そのまま・・・・・。」
電影照準器から映し出されるオレンジ色の照準からはみ出るまでソイツは気が付かなかったらしい。射撃をするその瞬間まで水平に悠々飛行していた。気が付いて機銃の射線から退避しようとした時には十三mm機関銃と二十mm機関砲によって尾翼を吹っ飛ばされ、そのまま海へダイブしていった。その時、奴から焦燥と衝撃、憎しみ・・・・そんな視線を向けられた気がした。
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美しいと思っていた空はこの日、一変した。次々と四方八方から撃たれまくって逃げるのが精いっぱいだった。今までやってきた空戦の相手と言えばグアム島にいた戦闘機数機との交戦だとか、偶に飛んでくる偵察機だったからだ。何度も死にかけたし、十二.七mm機関銃弾が首筋を掠ったあの瞬間は本当に恐怖であったし、帰還後の機体の風穴にはあと数センチずれていたらバラバラになっていたと思われるものもあった。だがその中で特に衝撃的だったのは新聞に「軍神」と載るほどのエースパイロットがこの日、落ちたことであった。その日の夕飯にはいるはずもないパイロットの席に御馳走が置いてあったことを今も思い出しては静かに涙を流した。
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数機が火を吹いたりキリモミ(急回転しつつ落ちていく事。)を起こして急降下する零戦を追い越して落下していった。すると爆撃機は編隊の形を急いで変えるように分散し、戦闘機はすぐさま零戦を追いかけた。敵機はF6F。こっちよりも時速五十キロメートル程優速の為、追いかけられたならまず死ぬだろう。あ、十二.七mm機関銃食らってるやつが一人。ただでさえ八幡空襲隊は飛行機が少ないのにやられるのは不味い。そう思って最大速度でそっちへ向かおうと操縦桿を振ったその時であった。後ろから重いエンジン音が聞えた。それは、間違いなくF6Fだ!!ハッと後ろを見ると二機で追っかけてきている。俺は操縦桿を引いた。急降下による加速を使って上昇をかけるのだ。さぁ、零戦五二型丙(零戦の重武装タイプ。武装は二十mm機関砲二門、十三ミリ三門)とはいえ零戦は零戦。時速三百五十キロ以下なら圧倒的な旋回性能で戦闘機同士の格闘戦を制する事が可能だ。さぁ、乗ってくるか?
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ああ、あれから何日が経っただろう。毎日が戦場で、毎日黒焦げの敵も味方もわからない死体を眺めて、朝元気に期待に乗ったと思ったら、夕方には潮風に乗った遺品が砂浜にあるだけで、何の為に君たちは死んだのか?そんな誰も答えてくれぬ疑問をずっと考えて考えて・・・・・。毎日死体の遺品整理をやっていると、不思議と復讐心が湧き、その復讐心を燃やして空戦をやっていた。
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敵機は二機で袋叩きにしようと思ったらしく、一機は上へ上り、もう一機は追っかけてきやがった。F6Fの発動機は二千馬力級の為、上昇力はそっちの方が上だが、こっちは急降下時のエネルギーを持っているから互角だ。だが、一対一ならともかく今は一対二。まずいと思ったその時、太陽の光を遮るように上ったF6Fが無理な上昇による失速でフラッと右に寄ってきた。そこは、俺の機体の目の前である。俺は棚から牡丹餅的な幸運を逃さない。この闘いに全力を振り絞るかのように電影照準器は、小さく、四角いガラスにオレンジ色の照準を浮かび上がらせた。射線に入ったその時、反射的に全ての火力をぶつけた。二十mmを翼の付け根に当たった思えば、その翼が吹き飛んで、機体は海中に落ちてった。それを見つめていると、復讐に燃える後ろにいた方のF6Fが十二.七mm機関銃弾を浴びせてきた。それは、シャワーの様な閃光弾であった。その、乱射とも思える機関銃弾を右に左に逃げながら避けていた時、撃ってきている敵の顔が見えた。その顔は涙と思わしき光る何かを流し、ぐしゃぐしゃな顔だ。俺は射線から逃れるためにダイブして急降下をかけて難を逃れようと自分の股に立っている操縦桿を大きく右に振った後に倒すと、機体が反転して急降下を起こした。コクピット内部の天地が動き回る。何発のも機関銃弾が自分の機体を掠めた。まだ追っかけてくるみたいだ。
「いい加減、引き返してくれんかな?」
そんな事を言ったって引き返してくれるはずもなく、敵の機関銃が焼き付くんじゃないかと思ってしまう程撃ってくる。・・・・・・その杞憂は現実となった。急に機銃掃射が終わったのだ。多分だが、機関銃が焼き付きか、撃ちすぎてジャム(弾詰まり)が発生したのだろうか。だが俺にはそんな事を考えたり気にする必要はない。その、巡ってきた幸運を手に掴むのみだ目の前に獲物を見つけた鷹の様に襲い掛かる。機関銃の一斉射でマトモな思考を失った敵機はあっけなくまた、海の中に消えてった。俺は、その姿を見ずにすぐに上昇した。まだ、味方は空戦中。まだ弾数には余裕があ余裕があるから、味方の援護と爆撃機隊の漸減(こっちの方が任務)をやるのだ。だが、点けた無線からは決していい報告ばかりではない事から、上空の戦いは優勢ではないと察した。上では、太陽を背に戦闘機が入り乱れている。一方の爆撃機隊は幾つか穴が開いているが、やはり戦闘機にかかりきりで爆撃機編隊を崩せていない。俺は数秒の判断で爆撃機を狙う事にした。爆撃機を狙ったら、戦闘機隊の幾らかはこっちに食いついて味方機にも余裕が生まれるだろうからだ。隠れつつ接近して下から撃ち上げてやろうと考えた。ややかかった雲の中に息を潜め、その瞬間を待った。上を通ったたった数秒を俺は見逃さずに、零戦に気付かずに飛ぶ敵機に向かって・・・・・・操縦桿を引いて射撃ボタンを押して機関銃弾を撃ち込みまくると、それに敵編隊も反応して爆撃機の後ろについてある機銃の雨霰にあった。皆必死にこっちに撃ってくるが、編隊内部に入り込んだ戦闘機は暴れまわれる。特に、護衛の戦闘機がいない状況だとな・・・!!零戦の小回りを生かして編隊後部に回り込んでは何機も銃砲で蹴散らしてやった。
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君たちの死は無駄ではなかったのだろうか?君たちの守ろうとしたものは守れているのか?そんな事を漠然と考えたが、答えは今だ見つからない。だが、この戦争が終われば必ず分かるはずであり、その未来はここよりも勝とうが負けようか幾分かよい未来のはずだ。何故なら、君たちが命を懸けて死んでも守ろうとした未来なのだから。
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だが、弾薬と気力が付きかけたその隙を突かれた。気が付けば、俺は袋叩きに会っていた。もう、逃げ道も塞がれ、落ちるしかないとも一瞬思ったが、俺は戦闘機乗り。死ぬまでに一機でも道連れに。そう思って絶対絶命の空戦に身を投げた。愛機も、この時は一番調子が良かったと思う。それはまるで死地に征く事を知ってなお抗う戦士の様に・・・・・。下を見ると、硫黄島の飛行場は爆炎に包まれ、対空砲弾がさかんに炸裂して必死の抵抗をやっていた。戦闘機隊も負けてはいられぬ。「八幡部隊」・・・・・南太平洋最後の航空隊。その名に恥じぬ戦いを。そう思って、何倍もの敵機に格闘戦を仕掛けた。一機、また一機と屍が海底に落ちていく。だが、抗い続けた運命は余りにも悲惨であった。エンジンが急に黒いオイルや燃料をぶちまけたかと思えば、零戦のエンジンがプスっと止まった。目の前の風防は真っ黒い液体で汚れ、エンジンは黒い煙をまき散らした。それを見逃してくれるはずなく、落とされた。俺は、燃え逝く機体の中で静かに、静かに人生の幕を閉じたのだった。
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海の中は・・・・・・皆の眠るところは、傷を温かく包み、静かに奈落へ落とされていく。意外と、優しい所なんだな・・・・・深海は・・・・・・。高城・・・・整備兵のおじさん・・・・・生きているだろうか。それと、少しは泣いてくれると嬉しいなぁ・・・・・。
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椰子の木の生い茂る場所に、一機だけぽつんと零戦がいた。緑の塗装が長時間飛行と潮風で剥げたその姿は、戦士と言うよりも傷ついた化け物の様な雰囲気を醸し出している。ここは・・・・ここは・・・・・。
ユーザー名:一般人なのかも―
作品名:硫黄匂う飛行場
こだわり:空戦シーンの感情描写
要望:特になし(何をこういうのって書けばいいのか分かりません・・・・・・。すいません・・・。)