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承認残高
軽い性描写、グロ描写ありです!
多分、R指定付けなくていいレベルだとは思うけど……
(やばそうだったら教えてね)
「じゃ、また明日」
俺はそう言いながら、目の前に映し出された同僚の顔をタップした。
“通話終了”、その文字が現れたのを確認すると共に、上半身だけにスーツを着た俺は自分の座っていたベッドに勢いよく倒れ込んで呟く。「ああ……今日も疲れた」
その時、がちゃり、という扉の開く音と共に、俺の妻が部屋に入ってきた。
「お仕事終わった?」
「ああ、たった今」
「そう……夜ご飯だからそろそろ降りてきてね。今日は手作りコロッケだから」
彼女の声を聞きながら、俺は耳たぶに埋め込まれたチップを触って映し出されていたAR空間を閉じる。こんな時代だろうと、やはり愛人が傍にいると心が安らぐものだ。
「ありがとう、楽しみにしておくよ」
俺はそう言ってベッドから起き上がり、妻と共に一階のリビングへと向かった。
西暦五千百年。深刻な大気汚染と環境破壊に晒された人類は、この“ポッド”へと移住を果たした。ここに住んでいる俺たちは生まれてから約三十年間、一度も外に出たことがない。いや、“出たくない”と言った方が正しいだろうか。
外の世界など、ポッド生活が始まって数百年が経った今では都市伝説のようなものと化していた。外に出るための手段はある。しかし、ネットワークが栄え、ありとあらゆる行為に困ることのなくなったこの環境から進んで脱却したいと思う輩など、恐らく一人もいないだろう。
そして生殖活動を行わせるため、成人済みの男には一人ずつ女が支給される。優生論の栄えたこの世界ではハズレの女を引くこともない。
ポッドの中で目を覚まし、ポッドの中で食事を摂り、ポッドの中で金を稼ぎ、ポッドの中で友人と話し、ポッドの中で性交し、ポッドの中で眠りにつく。
そんな至高の生活を俺……いや、人類は繰り返し行っていた。
「おお、美味そうじゃないか」
リビングに到着した俺は、目の前でほくほくと美味しそうな湯気をあげているコロッケを見て感嘆する。基本的に食事は支給品であるため、手料理自体がご褒美のようなものだ。
美味しそうでしょ、妻はそう言いながら、自分の席に着こうと俺に背を向けた。
「ああ、ちょっと待って」
俺はそう言い、振り向いた彼女の胸を軽く指で付いた。
ぴこん、と言う効果音と共に、グッドサインをした白い人間の手が俺の指の周りで一つ浮かび上がる。
「ああ、すっかり忘れていたわ。“いいね”、ありがと、あなた」
いいね——それはこの世界で使用可能な共通通貨単位の名称である。
他人からの評価を直接金として使用できる、非常に合理的で分かりやすいこの仕組みは、世間で“優しさを無駄にしないシステム”と呼ばれていた。
「ご飯できたよー!」
妻がそう、俺の部屋とは反対方向に叫ぶ。どたどたという階段を駆け降りる音と共に姿を見せたのは、三人の姉妹。俺の娘達である。長女は既に成人しており、相手の男探しの真っ最中だ。もうあと少しすれば、このポッドから娘が旅立っていく——、そう考えると、しみじみとした感慨深さを感じてしまう。
彼女たちも、俺と同様コロッケに対して嬉しそうな反応を見せながら、次々と自分の席についていった。俺も、目の前の椅子を引いて食卓につく。家族全員が揃ったのを確認した妻が、年齢を感じさせない可憐な声で言った。「いただきます!」
「「「「いただきます!」」」」
食器と箸の擦れる音。サクサクという咀嚼音。醤油やソースなど、多種多様なバリエーションの調味料がかかったコロッケは舌を飽きさせる事なく米を進ませていく。家族団欒も盛り上がり、あっという間に目の前のご馳走は俺たちの胃袋に吸い込まれていった。今日は長女の男探しに対する話で盛り上がった。
食事を終え次第、俺たちは各々のタイミングでごちそうさま、と言って席を立っていく。食器を洗う必要は無い。食器はプラスチック製品が義務付けられており、キッチンの横に設置された自動洗浄機にまとめて入れれば翌朝には綺麗になっているからだ。食べ残しがあっても、キッチンの残飯用シュレッダーにかければ問題はない。
娘たちは部屋に戻り、リビングには妻と俺の二人だけ。心地の良い静けさが広がっていた。
ふと、俺は壁に設置されたデジタル時計を見る。現在時刻、二十三時過ぎ。そろそろ明日に備えて寝る支度を始めなければ。俺は立ち上がり、目の前に座る妻に向かって言った。「風呂に入ってくるよ」
洗面所に到着した俺は、服を脱いで奥の方に設置された機械に座る。ウィーン、という機械音と共に金属質な壁が両脇から現れ、顔以外を覆う形で俺の身体を包み込んだ。
風呂と言っても、完全自動で現れている感覚は皆無に等しい。どちらかというと、洗車されているような気分であった。結構激しく、これだけはいつまで経っても慣れることはない。しかし、すぐに洗浄は終わるため苦痛は一瞬だ。洗浄の終了した身体は数十秒ぶりの解放に歓喜し、一種の快感のようなものを感じさせる。俺は寝巻きに着替えてそのまま寝室へと向かった。
寝室では、いつものように妻が先に横になっていた。いつまで経っても性欲というのは湧いてくるもので、俺は服を脱ぎながら興奮気味にベッドへ向かった。
今日もするの……? そう、あどけない表情で彼女が言う。 理性を失った俺は、欲望のままに彼女の身体を貪った。子孫繁栄のために禁止されているので避妊はしない。喘ぐ彼女の汗ばんだ背中を見ながら、俺は勢いよく快感に及んだ。
年齢のせいだろうか、以前は何回も繰り返しできていたのに、今では一回が限界だ。彼女は満足できているのだろうか……そんなことを思いながらも、口には出せないまま気絶するように俺は眠りについた。
* * *
……何か、胸騒ぎがする。耳の奥でノイズが広がるような感覚。一体、何だ?
ビーッ! ビーッ! ビーッ! ビーッ!
次の瞬間、耳を破るかのように五月蝿い警報音に気付いた俺は反射的に飛び起きた。ポッド中に鳴り響く、この世のものとは思えないほど醜悪なサイレンは不安感を募らせて俺の心拍数を上げていく。部屋中のライトが赤く染まり、仕事机のモニターには俺ではない誰かが打ち込んだであろう明滅する大文字が書かれていた。
「システムエラー発生」
文字が告げる意味。それを瞬間的に悟った俺は、血の気が引いて震える手で耳たぶを押す。目の前に映し出される画面……その右下には、“いいね”の残高が表示されているはずだ。まさか……そんな……!
「いいね残高 : 0」
俺は現実を受け止められないまま、何度も何度も繰り返し画面を出し入れさせる。しかし、その数字は容赦なく、俺に現実を突きつけてきた。
唖然とする俺は、妻に確認を取ろうとする。もしかしたら不具合は俺だけに起こったものなのかもしれない。そう考えて左を向く。
しかし、彼女の目と口は大きく見開かれていた。涎を垂らしながら、唖然とした表情をしていた。聞く必要もない。彼女にも、俺と同じことが起こっているのだ。
「いいねが……消えた? どういうこと、どういうことなの⁉︎」
彼女はそう叫びながら耳たぶに触れ続ける。声は震え、次第に嗚咽に混じった発狂に変わっていった。繰り返し耳たぶに触れ続ける指先の力が段々と強まっていき、遂には血が流れ出した。
それを見た俺は、彼女を止めようとその腕を掴んで静止させる。
落ち着け! 俺はそう叫ぶ。その声は、自分の耳にも虚しく響いていった。そうだ、落ち着ける訳がない。目の前に映る掲示板には、妻と同じような絶叫がうねるように流れていった。。短い動画、長い動画。果ては、承認のために自傷を繰り返す者。そしてその誰しもが、泣きながら何かを訴えていた。
彼らと同じように、俺の手を振り解いた妻も自らの動画を上げ続ける。俺には見えない、彼女の空間に向かって“助けて”と懇願しながら。その動画は、数秒の遅延の後に俺の画面にも映し出された。だが、通知欄のいいね数は一向に増えていかない。PV数はたったの一。それも俺が見たことによってついた数値である。皆、訴えることだけに必死で他人など眼中にないのだ。
彼女の呼吸が段々と荒くなっていく。既に目の焦点も定まっておらず、俺がどんな言葉をかけても、帰ってくるのは断片的な言葉と奇声だけ。遂に彼女は自らの服を掴み、引き裂くようにしてそれを引き剥がした。そして、露わになった自らの身体を掲示板に晒し始める。
「見て……見て……お願い……」
虚な目でそう言いながら、繰り返し彼女は作り笑いを浮かべて撮影と投稿を繰り返した。狂気に満ちたような笑み。不釣り合いの瞳孔。繰り返しいいねを求め続ける彼女を見た俺は、たまらず彼女の肩を掴み、押さえ付ける。
「やめろ、落ち着け! 承認だって必要ない、俺がいるだろ?」
「やめて! いいねがないから、あなたの本当の気持ちだって分からない! あなたが、本当に私を愛しているかどうかも!」
その言葉に胸がざわめく。だが、次に彼女が吐いた声は、さらに俺の心を深く抉った。
「……あなたのせいで、私は何度も“劣化品”を産んだのよ! 何度、この手で子供を殺してきたか……、あなたには分からないでしょ!?」
それまで熱く興奮していた俺の心臓が、突然止まったかのように冷え切った。理解を拒むその言葉。妻は涙と唾を飛ばしながら声にならない悲鳴を喚き続ける。
……これ以上、耐えられない。
俺は、渾身の力を込めて彼女の頬を叩いた。鋭い破裂音が部屋に響き渡る。呆然とする彼女の姿を見て、俺は絶望した。また、やってしまった。
「……やっぱり、嘘だったんだね」
妻は嗚咽しながら勢いよく部屋から飛び出す。階段を駆け降りる足音。その直後、甲高い彼女の悲鳴が耳に入った。
「やめて———ッ!!」
呆然としていた俺の血が再び巡り始める。慌てて後を追い、階段を駆け降りるとそこには、地獄絵図が広がっていた。
長女と三女が床に倒れていた。長女は、虚な目で首元から雨のように血を吹き出していた。三女は、既に原型を留めていない。手足はずたずたに引き裂かれ、眼球はくり抜かれて地面に転がっていた。どちらも服を脱がされた状態で、腹を掻っ切られている。
傍には、不気味な笑みを浮かべながらナイフを握りしめた次女の姿が。独り言を元気よく発しながら何もない一点を見つめる彼女の姿を見て俺は、配信をしているのだと直感した。
俺の足元には、嘔吐しながら嗚咽する妻の姿があった。こちらにまで到達した血溜まりは、吐瀉物と混ざって地面を薄桃色に染めていく。
ゆっくりと立ち上がり、ふらつきながらキッチンへと向かう彼女を、俺は止められなかった。向かう先は、生ゴミ用のシュレッダー。彼女は、勢いよくそこに頭を突っ込んだ。がりがりという頭蓋の砕かれる音と、ぐちゃぐちゃと言う肉の潰れる音がこちらまで響く。彼女の身体は一瞬の痙攣の後、動かなくなった、キッチンに広がる三つ目の血溜まりを見て、俺は彼女が完全に死んだのだと確信した。
全てが壊れてしまった。そう、今になって実感する。笑い声、温もり、そして命。俺の世界は、あっという間に崩れ落ちたのだ。胸の中には、ここから逃げ出したいと言う感情だけが残っていた。
そんな時、俺は緊急用ハンマーの存在を思い出した。それは、ポッドの外に出るための唯一の方法であった。俺は立ち尽くす次女の横を通り、奥にあるデジタル時計を素手で破壊する。そこにあったハンマーを、俺は震える手で掴んで洗面所へと向かった。
外の存在を、噂ながらに聞いたことがあった。俺は、風呂に目掛けて躊躇いなくハンマーを振り下ろす。轟音が耳をつんざき、粉のような破片が俺に降りかかった。次の瞬間、厚い外装が崩れ、冷たい空気が洪水のように押し寄せる。
全身に纏わり付いた外気。それは懐かしい香りだった。嗅いだ事は無い。しかし、本能がそう訴えていた。胸の奥で長らく詰まっていた何かが一気に出ていくような感覚に陥る。
外に出た俺は、真上から降り注ぐ感じたことのないような眩しい光に襲われた。涼しい風は肌を撫で、髪を乱していく。鳥が、どこかで鳴いていた。奥で、話し声が聞こえる、複数の男たちが、ほとんど裸のような格好で立っているのだと俺は気づいた。
「ねえ……パパ……」
その時、「次女」が包丁片手にそう言いながら後ろに現れる。許しを懇願しているようであった。だが、俺は彼女を無視して男たちの元に向かった。許す、価値すら無いように思えたからだ。
「ああ、貴方がたも救われたのですね」
男の一人が、俺の存在に気づいてそう話しかけてきた。ここはどこですか、俺は彼にそう尋ねる。
「ここは、外の世界。地球が汚染されてから数百年。人間と隔絶されたこの地は既に、元の状態へと回帰しているのですよ」
彼はにこやかな笑顔を浮かべながら続けた。
「もう、ポッドという名の閉鎖空間に縛られる必要はない。人類はもっと、自由になるべきなのです。そう考えた私たちは、つい先ほど人為的なエラーをこの世界中で引き起こしました。あなたが初めての“救済者”です。よかった、我々の弛まぬ努力は無駄ではなかった!」
そう言って感激し、目の前で涙を流しながら天を仰ぐ。俺は、何も思わなかった。こいつらのせいで家族が滅茶苦茶になったと言うのに、何も感じることが出来なかった。あの場から逃げ出した今の俺には、ただ無力感と、“死にたい”という気持ちだけが残っていた。
「で……助けたんですから、いいねをくださいませんか?」
その時、彼は薄気味悪い笑みを浮かべて、揉み手をしながらそう言った。
俺は、その言葉を反芻。数秒かけて飲み込み、理解しようとする。
——ああ、こいつらも狂っているんだな。
この世界はいいねの数でしか人間を測れない。結局、俺の家族も、俺自身も、そして目の前にいるこいつも、所詮はただの“数字”だったのか。
その時、女の悲鳴が背後から聞こえた。ふと振り向くと、そこにいたのは包丁を構える一人の少女。周りでは裸同然の男たちが、息を荒くしながら彼女を囲んでいた。
必死の形相で包丁を振り回す彼女。しかしその抵抗も虚しくあっさりと手足を掴まれ、押さえつけられる。群がる男たちに服を脱がされ、そのまま繰り返し犯される。嗚咽があたりに響き渡り次第にその声も弱くなっていった。俺は何も感じなかった。むしろ、気分がいい。せいせいとした気分に俺の心は満ち溢れていた。
そして好都合なことに、少女から奪い取ったであろう包丁が、俺の足元に放り投げられた。俺はしゃがみ込み、それを手に取って首に突き立てる。手に伝わる冷たい感触。光を反射した刃先は銀光に輝いていた。
「あの……動画を撮らせていただいても?」
そう、男が俺に向かって言った。
好きにしろ、そう告げた瞬間、俺は気づく。
——こいつらにはチップがない。全員、片耳が削られている。
彼らは、いいねを求めることすらできない存在であった。目の前で動画を撮る仕草をする彼の動きにも、どこか違和感が残っている。その全てが、ただの幻覚——いいねを失い、妻や娘と同じように狂った者たちが見ている、ただの虚構なのだ。
俺にはもう、何もない。
目の前で散り散りになる男たち。残ったのは、四肢がありえない方向に曲がり、酷い傷を負いながら目を見開いて息絶えた全裸の娘。俺は迷わなかった。ゆっくりと力を抜いて、そのまま包丁を首に差し込む——。
血が勢いよく吹き出した。そのまま俺は地面に崩れ落ちる。
だが、痛みを感じる事は一切無かった。
* * *
次の瞬間、俺は目を覚ました。
酷い脂汗。目の淵からは涙が溢れ出している。
首元に手を当てるが、血は出ていなかった。地面も、先ほどとは違う。土ではなく、いつも通りのベッドだった。
「あなた、どうしたの……?」
横には、全裸のまま布団を身体に巻いた妻の姿が。
なんだ、夢か——。
俺は安堵して涙を流す。妻曰く、俺は酷くうなされていたそうだ。嫌な夢を見たんだ、そう俺は彼女に伝え、その体を抱きしめる。
痛いわよ——そう言いながらも、彼女は俺の抱擁を受け止めてくれた。ああ、これ以上の幸せはない。
俺はそう思いながら、そっと自分の耳たぶに触れた。右下のいいねに異常はない。全てが正常だ。それにしても、酷い明晰夢だった。
俺は妻の体温を感じながら、慣れた手つきで掲示板を開いた。そこで、昨夜見た悪夢の内容を自動執筆していく。指示は出した、後は完成を待つだけだ——。そう思いながら、俺は妻と口付けを交わした。いつもとは違う俺に驚いたのか、彼女はふふっ、と微笑んだ。
その時、執筆終了を示すぴろん、という効果音が鳴り響く。俺は迷わずその文章を投稿し、耳たぶを触って目の前の空間を閉じた。今は妻に集中したい。
さあ、どのくらい「いいね」がつくだろうか——。俺はそう考えながら、妻とひたすらに愛し合った。
昔と違って、承認されないと不安感が募っていく現代人を風刺した作品? そんな感じ。