ある傭兵の大戦記
編集者:kisuke
幼い頃に両親を失った青年。
ある日、傭兵として受けた護衛依頼中に、魔獣の不可解な動きを見かける。
だが、それが本当だと示す証拠がなく、信じる者はいなかった。
妹のもとへ帰り、ある約束を交わした。
そして、世界規模で起こる異変。
これは、その他多数に埋没するはずだった傭兵が、大戦を終わらせる英雄となる物語である。
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目次
戻れない日常
短編カフェ2周年記念作品。
目の前で、さっきまで笑いながら一緒に歩いていた人が倒れた。
「――――ぁ」
溢れる血。それは、あっという間に地面に赤い水溜まりを作り上げた。
それを為した狼の魔獣は、既に道の遠くに見えるのみとなっている。
すぐ側にいた少年の履物が赤く染まった。
助けなきゃ。
そう思って手を伸ばしても、ただ水面を叩くだけで。
「――――ぁ、ぁあ」
この出血では、もう助からない。
そう、頭の冷静な部分が告げてくる。
遠くに、子供の――幼い妹の泣き声が聞こえた。
すぐ側にいるはずなのに。
父の傷口を押さえた。
全身の熱がそこから出ているのではないかというぐらい熱かった。
母の手を握った。
さっきまで握っていたそれは、信じられないくらい冷たかった。
異変に気がついた村の人たちが集まってくる。
運良く、この村には治癒魔法を使える人がいた。
その人が両親と向き合う中、少年は近くの大人に抱かれる形で両親から目を背けさせられる。
「ぁぁあ、ぁぁぁぁあ!」
少年は、どこまでも無力だった。
そうして、どれだけの時間叫んでいただろうか。
いつの間にか、治癒魔法を使った治療が終わっていたらしい。
彼がこちらにやってきて、首を力なく――横に、振った。
そして、口を開く。
嫌だ。聞きたくない。
耳をふさぎたい。
しかし、少年の手が動くことはない。
その耳ではっきり聞くまでは、両親の死を信じようと思っていなかったから。
たとえ結果が見え切ったものだったとしても、つきっきりで両親の治療にあたってくれた人の口から事実を聞きたかった。
「申し訳ありません。力及ばず……お亡くなりになられました」
オナクナリニナラレマシタ。
言葉の意味が理解できない。脳が理解するのを拒絶している。
理解できないのに、感情が塗り替わっていく。
心配から、悲しみへ。そして、悲しみから、身を焦がす大きな怒りへと。
「ぁぁぁああぁぁあ!!」
――この日、少年――モルズは両親を失った。
◆
「ん……」
あの日の夢を見た。
あれから十年は経つが、未だに毎日この夢を見る。
未だ眠気で意識が朦朧とする中、モルズは枕元の短剣を手の感覚だけで探し当てた。
柄に染み込んだ血のにおい。
それにより、モルズの意識は即座に覚醒する。
あの後、モルズの妹――リーンは村の孤児院に入った。そこに入れば、少なくとも食べるものには困らないから。
モルズは入らなかった。リーンにはできるだけたくさん食べてほしかったから。人が増えれば増えるほど、一人当たりの食事の量は減ることになる。
依頼人の顔と仕事内容を思い出しながら、モルズは天幕の外に出た。
今のモルズは傭兵。どれだけ嫌な気分だろうと、今できる最高のパフォーマンスで仕事しなければならない。
「おはよう」
モルズは同じように雇われている他の傭兵に挨拶する。必要以上に仲を深めてはいけない。だが、傭兵同士で連携を取れるようある程度のコミュニケーションは必要だ。
特に、今回の依頼は護衛依頼。より連携を求められる依頼だ。
「よぉ」
ダウニはモルズに挨拶を返してくれた。デアは反応なしか。
「貴方たち、もう出発時間になるわよ」
デアの言葉にモルズが慌てて空を見れば、なるほど確かにそうだ。もう太陽がかなり高くまで昇っている。
挨拶をして、などとゆっくりしている場合ではなかった。すぐに所定の配置につかなければ。
「お、そうだな。教えてくれてありがとよ」
急いでいても礼は忘れない。人として当然のことであり、信頼に関わる部分だからだ。
モルズは護衛対象の商隊の後ろの方へ、ダウニとデアは前の方へついた。モルズは後ろの見張り兼荷物の護衛、ダウニとデアは商人の護衛。
正直言って、この仕事で戦うことはほとんどない。通るのは人通りの多い街道で、盗賊も魔獣も見つけ次第殺されているのだから。
そうは言えど、油断して依頼失敗となるのはまずい。
報酬がもらえないからではない。違約金を払わなければならないからでもない。
信用が落ちるからだ。信用が落ちれば割の良い依頼を受けることができなくなり、稼ぎが落ちる。そうなれば後は負の連鎖だ。
「くあぁ〜」
荷台の後ろに乗ったモルズは、その場で大きく伸びをする。体の隅々までしっかりとほぐれ、モルズはなんとも言えない気持ちよさを感じていた。
荷物に背をもたれたモルズは、腕を組んであたりを見回す。短剣も腰にぶら下げ、襲いかかられたときは躊躇なくこれを使うつもりだ。まともな人間なら、血のこびりついた短剣を腰に下げた人間が乗る馬車を襲うことはなかろう。それでも襲いかかってくるのは、知能のない魔獣か盗賊だけだ。
「平和だな」
俺がこうして暇してられるのは良いことだ、とモルズは呟く。
だが、それでも警戒は怠らず、時折周囲の動物が立てる物音に反応し、短剣の柄に手を運んでいた。その物音が害のない動物によるものだと分かると、即座に手を離すところまでが一セットだったが。
そんなモルズだからこそ、気づけた。
「――――っ」
森の方の茂みががさがさと音を立て、その原因がモルズの方へ近づいてくる。
狼の魔獣。その赤い瞳がモルズの姿を映した瞬間、魔獣はモルズへ飛びかかった。
モルズは短剣の柄に手を当て、そのまま抜剣。一閃し、魔獣の胴体を半ばまで断ち切った。
失速する魔獣。遥か後方に流れていくその亡骸を見ながら、モルズは呟いた。
「『血狼』か」
血狼。
狼の姿形をした魔獣であるそれは、普通の魔獣とは一線を画した性質を持っている。
他に類を見ないほどの凶暴性だ。血狼は格上の魔獣であっても果敢に挑むし、他の魔獣なら見逃してしまうほどの弱者も皆殺しにする。
普通の大人であれば四体に囲まれただけで生還は絶望的だし、傭兵であっても十体ほどの群れに囲まれれば生存は絶望的だった。
奴らは、血のような赤い瞳と自らの血や返り血で赤く濡れた毛皮を持つことから、血狼と呼ばれる。
「これは報告に行くべきか、それともまだ警戒を続けるべきか」
ここでモルズが報告するために前に行けば、最後尾の護衛がいなくなる。もしその間に襲撃を受ければ、運んでいる商品が被害を受けるだろう。
血狼。狼と同じように群れるため、一匹いれば五匹、十匹はいると思って良い。
しばらくその場に立っていたモルズだったが、この場に留まることを決め、再び荷物に背を預けた。
他の個体が襲いかかってこないとも限らない。
ここまでの道程で、ダウニとデアはモルズと同じぐらいの腕を持つ傭兵だと分かっている。あの二人なら、血狼に遅れを取ることもあるまい。
「マジか」
モルズの判断が正しかったのか確認する時間が来た。
常人ならば立っていることさえままならない揺れから解放される。それは、先頭の馬車の停止を意味していた。
商隊を取り囲むように展開する血狼の群れ。それは数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほどで、ざっと見ても五十以上はいるだろう。そして、今も後ろからその数を増やし続けている。
真っ先に飛び出した二つの人影は、ダウニとデアだろう。一瞬遅れてモルズも飛び出す。
商人たちは、緊急事態に備えてあらかじめ決めておいた行動指針通りに先頭の車両に集まっているだろう。残念だが、荷物の方は諦めてもらうしかない。
抜剣し、一閃。
着地する前に、まずは一匹。
早くも、ダウニとデアは互いの背中を守り合いながら血狼と相対している。
一対五十。ともすれば、それ以上の差。
そんな多勢に無勢の状況下で、このまま一人で戦い続けるのはあまりにも無謀だ。せめて合流して三対五十に持ち込まなければ。
それでも多勢に無勢、勝利の望みは薄いと言わざるを得ないが。
すれ違いざまに一閃。顔面を蹴り飛ばす。身を低くして飛びかかりを躱す。剣の腹で殴り飛ばす。剣を持っていない方の手で下顎をかち上げた。意識を飛ばした個体を投げ、他の個体にぶつける。噛みつきをすり抜けた。
ありとあらゆる方法を尽くし、モルズはダウニとデアの方へ向かう。
背後からの襲撃に警戒しながら、ゆっくりダウニとデアに近寄っていく。二人の連携の邪魔になるようなことになってはいけない。
非日常からの逃亡
馬が|嘶《いなな》く。
ゆっくりとしたリズムで、馬車が動き出した。
次第にそれは速度を上げ、あっという間に道の彼方へ見えなくなった。
これで良い。守るものが少なければ少ないほど戦いやすいから。
モルズは馬車に追いすがろうとする血狼を追いかけ、一匹一匹葬っていく。ダウニとデアは、そんなモルズの隙をつこうとする血狼を殺していた。
繰り返す内に、血狼は馬車を追うよりモルズたちを始末することが先だと理解したのか、馬車の消えていった方角ではなくモルズたちに襲いかかるようになる。
「あとは――――っ、ぁ」
逃げるだけだ、そう言おうとしたモルズは。
いつの間にか道の奥からやってきていた血狼の大群に、引きつった声を漏らした。
避けることは叶わない。群れは道全体に広がっていて、端が見えないから。
迎え撃つことはできない。端が見えないので正確には分からないが、千は下らない大群だから。
あと数秒もすれば、モルズたちは血狼の大群によって死ぬ。その圧倒的な質量により轢き殺されるか、噛み殺されるか。
いずれにせよ、死ぬことには変わりない――と、ここでモルズはあることに気がついた。
「俺たちを、見ていない……?」
血狼たちが減速する気配が一切ないのだ。普通、モルズたちに何か危害を加えようとするなら、速度を落として攻撃を外す可能性を下げるはずだが。
それに、この一糸乱れぬ進行もモルズには不可解だった。血狼なら、ここに漂う血のにおいを前にして興奮しないはずがないのに。
そうして導き出された結論が、先の一言だ。
「もしそうなら、勝算はある――!」
モルズは大きく跳躍し、先程まで自分がいたところに突っ込んできた血狼の上に着地した。
モルズの呟きを聞いていたのか、デアは手に持っていた縄を木の枝に引っ掛けてぶら下がっている。ダウニだけは何も手段がなく、血狼の移動に巻き込まれて見えなくなってしまった。
適宜血狼の上を跳んで移動しながら、群れの端を目指すモルズ。
対するデアは、ここが木の少ない草原地帯であったことが災いし、その場から動けないでいた。
「――見えた!」
モルズの目が捉えたのは、血狼の群れの端。
そこに辿り着くまでに必要な跳躍の回数は、どれだけ多く見積もっても、あと四回。これまで通りにいけば、三回で済む。
一回。踏みつけられた血狼が不満げに唸る。
二回。ふいに群れ全体が加速し、モルズは危うく着地に失敗しそうになる。
三回。最後の跳躍。足元の血狼を力いっぱい踏みつけ、渾身の大跳躍。一瞬だけ重力から解放され、ふわりと浮く感覚。しかし、またすぐに重力に捕われ、地面が近づいてくる。
着地。調子に乗って跳びすぎたのか、普通に着地したのでは衝撃を殺し切れないと判断。手を地面につき、体をぐるりと一回転させる。
それでも衝撃が襲ってきたが、どこも折れていない。
「はぁ、はぁ……」
モルズは、肩で大きく息をする。
助かった。この疲労感と達成感が、モルズに生を実感させる。
依頼を受けていた商隊には申し訳なかった。デスペラティオまで護衛するという話だったのに、途中で放棄してしまった。
依頼が失敗扱いになっていなければ良いが。九死に一生を得たのだから、少しくらいは大目に見てもらいたい。
ダウニとデアは残念だった。あの危機的状況下で自分以外に気を配ることはできようはずもなかったが、それでも目の前で失われていく命を見るのは辛かった。
同じ依頼を受けた同業者の死に立ち会うのはこれで何度目かだが、いくらやっても慣れるものではない。
無駄な思考を巡らせる余裕が出てくると、疲れがどっと押し寄せてきた。血狼の相手をしていたことよりも、生きるか死ぬかの大博打を打ったことの方が疲労の要因としては大きい。
とはいえ、魔獣が現れる可能性のある場所で意識を手放すのは危険だ。眠るにしても、せめて街に戻ってからでなければならない。
そう決心すると、モルズは己の重たい体を引きずり、街――ポエニテッツの方へ引き返した。
◆
「すみません、一晩だけ寝床と食料を恵んでいただけませんか。一応これでも腕に覚えがあって、血狼の十匹ぐらいなら相手できるんですけど。護衛にいかがです?」
日はすっかり落ち、夜。
モルズが血狼から逃げおおせた場所から街に戻るには、どれだけ早く移動したとしても一度野営しなければならなかった。
今、その交渉を商人相手にしているところである。
「不要だ。食料だけでなく、金までむしり取ろうというのか? 護衛は足りている。すまないが、ほかを当たってくれ」
拒否されるのは目に見えていた。それでもこの話を持ちかけたのは、勝算があったからだ。
「食料と寝床を恵んでいただけるなら、料金はタダで良いです」
なおも話を続けようとするモルズに、商人は険しい顔をする。
「さっさと出ていけ。さもなくば――」
護衛が各々自身の武器に手をかける。
実力行使も辞さないという商人の姿勢。
だが、モルズは引かなかった。
「それに、その程度の戦力じゃ足りない」
商人の護衛を見ながら、モルズはそう言ってのける。
モルズの口調と共に、空気も変わった。
「――――ッ」
一人、顔を赤くして剣を抜こうとした護衛がいた。自分たちに戦力不足だと言われたのだ、仕方ない。
「やめろ」
そんな護衛を手で制したのは、他でもない商人だった。
「ふむ。話を聞かせてもらいましょう」
自分の腕と彼我の戦力差を測る目には絶対の自信を持つ傭兵にとって、相手の戦力が足りないなどとは軽々しく口に出せない重い言葉だ。
それを言ってみせたモルズに、商人の態度が変わる。
「血狼の大群が現れた」
「血狼の群れなら、そこにいる三人で十分対処可能ですが」
「群れじゃない、大群だ。……ざっと千は下らない」
そこで、商人は思案を始める。モルズは、それを固唾をのんで見守った。ここが、モルズが野営できるか、それとも夜通しで進み続けるかの分水嶺になるのだから。
やがて、彼の中で結論が出たのか、商人はおもむろに口を開いた。
「群れは、どちらから来たのですか?」
どちらだったか。無我夢中だったから、良く分からないが――確か、後ろから襲われたと思う。
進行方向は、デスペラティオ。後ろは、ポエニテッツ。
当然、後ろから襲われたのだから――
「ポエニテッツの方、からだ」
そこで、モルズは自身の言い分の致命的な欠陥に気がつく。
――大群が来たのはポエニテッツ側から。この商人は、自身がいた商隊より後ろ――ポエニテッツ側にいた。なのに、この様子を見る限り、ただの一匹たりとも血狼に遭遇していない。あれだけの規模の群れだ。一匹も見つからずに集まったとは考えづらい。
「そうですか。残念ながら、私があなたの主張を信じるだけの根拠がありません。真偽のほどは分かりかねますが、情報提供のお礼にせめて食料だけは分けてあげましょう。――お引き取りください」
門前払いとは違う、話を聞いた上での拒絶。もう取り付く島もないことを、モルズは正しく理解していた。
故に、モルズは悔しさを顔に滲ませながら、
「あぁ……」
商人が差し出した食料の入った革袋を持って潔く立ち去る判断をしたのだった。
◆
動物が活動を始め、盗賊が活発になる深夜。
普段は誰も歩かない街道を歩く人影が一つ。
モルズだ。
「疲れた……帰りたい……このまま倒れて寝たい……」
口では泣き言を言いながらも、足は決して止まらない。
革袋から水筒を取り出し、口に運ぶ。喉を冷たい水が通り抜け、一瞬だけだが目が覚めた。
「ぁ……」
今、微かな光が見えたのは、モルズの気のせいだったのか。
手で目をこすり、もう一度道の先を見てみる。
いいや、気のせいじゃない。
「……着いた」
正確に言えばまだ着いたわけではないが、それは|些末《さまつ》な問題だろう。何せ、モルズは激しい戦闘の後一切休まず半日間歩き続けたのだから。
暗いモルズの瞳に光が戻る。気がつけば、肉体の疲労など無視してモルズは駆け出していた。
今までの状況を鑑みれば、いつ倒れて眠りについてもおかしくない体。そんな体のどこに、ポエニテッツまで走る余裕があったのか。
街と外とを隔てる門の前に辿り着いたモルズは、門番の顔を覗き見る。暗くて良く見えないが、モルズの顔なじみのにーちゃんだろう。
運が良い。彼なら、身分証の確認云々なしですぐ門を通してくれる。
それは、今にも眠りに落ちてしまいそうなモルズにとって、もっとも重要なことだった。
「俺だ……モルズだ」
「あ、モルズさんですね」
意識が飛びそうになるのを必死に堪えながらモルズが言った言葉を、彼はいつも通り受け止める。
「おかえりなさい」
「あぁ……ただいま」
この街でモルズに「おかえり」と言ってくれる者は、彼以外にいただろうか。
そんなとりとめのないことを考えながら、モルズは自分が泊まっている宿屋に向かっていた。
「えっと……あぁ、あった、鍵」
ポケットの中から鍵を探し、無事取り出す。
鍵を開けて部屋に入り、後ろ手に鍵を閉めた。腰に下げた短剣を置くと、安全に寝られる場所に戻ってきたと体が認識したのか、モルズの意識は抗いがたい眠りへと誘われていった。
会いたい人
「ぁ……もう朝か」
閉め忘れていたカーテンの隙間から入り込む日光が、モルズの過去の残滓との決別を促す。
この季節の朝にしては空気が暖かい。既に朝ではないことは明白だった。
モルズは床から体を起こし、軽く伸びをする。全身の筋肉がほぐされるのが実感できた。
しばらくそうしてストレッチしていたが、あるとき落ち着いて一言。
「里帰りするか」
第三者視点からだと突飛な発想のように思えるが、モルズの中ではある程度筋の通った考えなのである。
両親を奪った魔獣に類似する魔獣の大量発生。
ある程度溜まった資金。
もう数カ月間妹に会っていない。
この三つの要素がモルズに里帰りを決意させた。
そうと決まればあとは行動するだけ。
モルズは元々必要最低限しか持っていない荷物をまとめ、宿を引き払う。
こうして里帰りするとき、直前までいた街に戻ってくる可能性が低いからだ。
宿の外に出たモルズは、空を見上げた。
空が青い。当然のことだが、今日はいつもより美しく感じられた。
背中には必要最低限の荷物。水と食料も入っているため重いはずだが、モルズの足取りはいつもより軽かった。
鼻歌が出そうな足取りで、モルズは乗合馬車の停車場へ向かう。
目指すは、村に最も近い街、カエド。
――停車場に着いたとき、ちょうど馬の|蹄《ひづめ》が地面を打つ音がリズミカルに響いた。来た方向からして、ちょうどカエドに向かう方向の馬車だろう。
自分の運の良さに、モルズの頬が緩む。
馬車が停まると、停車場で待っていた人々が馬車に群がった。モルズはその中をくぐり抜け、料金箱に銀貨一枚を投げ入れる。
乗降口に一番近い席に座った。
流石に馬車の中で帯剣しているわけにもいかないのか、傍らに立てかけられた愛剣の姿が見える。
やがてすべての乗客が揃うと、馬車が動き出した。馬が駆ける音に合わせ、車内が揺れる。最初は気にならないほどの揺れであっても、馬車が加速しきった頃には少しばかり不快な揺れになっていた。
ぼんやりと前を見ながら、モルズは思索にふける。
村の人たちは元気だろうか。
リーンは楽しくやっているだろうか。
あの血狼の大群は何だったのか。
次はどの街に行こうか。
そんな、考えても仕方のないことを考えながら、モルズの体は馬車に揺られる。
しかし、やがて考えることもなくなり、モルズはただぼんやりと前を見つめるだけとなっていた。
「――ん?」
馬車の停止。ここ数時間で日常となった揺れがなくなり、モルズの意識が浮上する。
カエドに着いたかと思えば、しかし見覚えのない風景が広がるばかりだ。
遠くから響く蹄の音でようやく気づいた。
馬を代えているのだ。長時間の走行は馬に負担がかかり、だんだん速度が落ちてしまう。
そうと分かれば、中でゆっくりしておこう。モルズは起こしかけた体を背もたれにすがらせ、腕を組む。
馬を代えれば、馬車はすぐに動き出した。決して心地よくはない揺れが車内に広がる。
荷物を盗まれないように、起きているアピール。血の染み込んだ短剣を持ち歩く人間から物を盗むような|輩《やから》はいないとは思うが、念のためだ。
ぼんやりと斜め四十五度ぐらいを見つめる。
そのまま、しばしの間モルズは馬車に揺られた。
◆
「…………く、あぁ」
馬車を降りたモルズは、大きく伸びをした。半日以上同じ様な姿勢をして馬車に揺られ続けるのは、いかに鍛えている傭兵とはいえど少しだけ疲れる。
「道、こっちだっけ」
カエドから故郷の村に行くまでの道を思い出す。
なるべく早く故郷に帰りたいからか、モルズは食事をとることを完全に忘れていた。
モルズが向かった先は、道なき道が続く街の外側。続く道は何本かある中で、モルズは迷うことなく森の中へ続くものを選ぶ。
ザリ、ザリ……と響く土を踏む音。途中で、それが草を踏む音に変わった。
手にした短剣で伸びすぎた木々の枝や草花を切り払いながら、モルズは村に向かって進んでいく。
「おっ、ドゥルセの実だ。これ、みんな大好きなんだよな」
森を進む中で見つけた木の実を摘む。
ドゥルセの実。小さいが甘い実で、村の希少な甘味となる。リーンを含め、子どもたちの好物だ。
小さな革袋がいっぱいになるまで詰める。それ以上摘まないのは、摘みすぎることによって森の生態系が崩れるのを防ぐためだ。
森の中にはモルズ以外誰もいない。村人たちは基本的に村の中で自給自足しているので、行く途中ですれ違うこともない。
ただ、風が木を揺する音だけが辺りを包み込んでいた。
モルズは、それに心地よさを感じながら進んでいく。自分が生まれ育った村の近くの森だと本能が認識しているのか、懐かしさも感じていた。
村に近づくにつれ、次第に道が開けていく。木の実や野生動物の肉など、森にしかない食料を求め、村人が採集や狩猟を行っているためだ。
モルズは逸る気持ちを抑え、ゆっくり一歩一歩進む。走ると、近くの動物が驚いて逃げてしまうからだ。それでこの辺りに寄り付かなくなったら、申し訳なさすぎてまともに話すことすらできなくなるだろう。
子どもたちの笑い声が聞こえた。
村が近い証拠だ。
平和な光景を想像し、モルズの口元が緩む。
普段は魔獣が出没することも稀な街道に複数の魔獣が出現したのも、ひょっとすれば夢だったのではないか。そう思ってしまうほどに、村は平和そのものだった。
森を抜ける。モルズの目の前に、故郷の村の相変わらず平和な様子が広がっていた。
ここまでくれば野生動物に配慮する必要もあるまい。心の中で言い訳しながら、モルズは村まで駆けていく。
「訪問者なんて珍しいな。兄ちゃん、用件は? …………ぁ」
普段は村人しか使わない村の出入り口を警備している自警団の青年が、モルズを来訪者と勘違いして声を掛ける。だが、言葉を言い切る頃には彼も気がついた。
「――モルズだ! モルズが、帰ってきた!!」
大きく息を吸って、村中に知らせる。
「なんだって?」
「モルズが?」
「にーちゃんが!?」
村中でそんな声が次々に上がり、それだけでどれだけモルズが村のみんなに愛されているかが分かるだろう。
しかし、当のモルズはそんなことにはお構いなしで、村の中心部――孤児院がある方へ進んでいく。
――孤児院の中を、モルズと同じように駆けていく姿があった。
「帰ってきた……!」
「こらこら、走っては危ないですよ。……まあ、今は仕方がないのでしょうが」
周りの大人にたしなめられても一切減速することなく、彼女は進んでいく。今の彼女には、聞こえていないのだ。彼女の頭の中は、兄のことだけでいっぱいだから。
――少しでも私にたくさん食べさせるために、自分は孤児院に入らなかった。
――少しでも多くのお金を稼ぐために、危険な傭兵になった。
――少しでも私にたくさん食べさせるために、孤児院に多額の寄付をした。
兄への感謝が彼女の胸を満たしていく。
階段を転がるように駆け降り、孤児院の入口の扉まで辿り着く。
彼女の手が扉の取っ手に伸び――
対するモルズも、自らに集まる人の波を全力で避けて進んでいく。
途中で大きく跳躍し、屋根に飛び乗った。
傭兵としての身体能力を最大限活用し、誰もいない道を疾走する。
――見えた。
孤児院を視界に捉えた。
勢いをそのままに飛び降り、危なげなく着地。残りの僅かな距離を限界を超えた速度で走る。
孤児院の扉の前に辿り着き、二度、三度と深呼吸。
意を決した様子で扉に手を伸ばし――――たところで、中から扉が開いた。
「お兄ちゃん!」
「うぉっと」
中から勢いよく飛び出しモルズに抱きついたのは、何を隠そう妹であるリーンだ。
モルズはよろめきながらもしっかり受け止め、リーンの頭を撫でる。
「おかえり!」
リーンの笑顔を目にして、モルズは、
「ただいま」
滅多に作らない満面の笑みを作って答えた。
妹と交わした約束
「元気だったか?」
「うん!」
リーンの求めるままに手をつなぎ、道の端に寄って話す。
「おや。モルズさん、お久しぶりですね。お元気でしたか?」
孤児院の維持管理をするグーラがモルズに声を掛ける。
「グーラさん! こちらこそ、お久しぶりです」
モルズにとって、グーラは大切な妹を預けている相手であり、最大級の感謝を抱くべきである相手だ。モルズは、リーンの保護者としてグーラに接している。それ故に、ある種の親近感と言うべき感情がグーラに対するモルズにはあった。
「リーンは元気にしてましたか?」
「ええ、もちろん。少し元気すぎるくらいですよ」
「ははは、もうすぐ成人なのに、やんちゃすぎますよねぇ」
モルズとグーラの保護者トークが弾む。その横で一人置いてけぼりにされ、しかも自分抜きで自分の話を進められているリーンは頬を膨らませた。
「むぅ……グーラさんばっかり。私だって、お兄ちゃんと話したいよ」
「こーら、お世話になってる人にそんな口の利き方しない」
叱るとまではいかないが軽く説教されている状況なのに、兄にかまってもらえて嬉しいのか、リーンは頬を緩ませる。
それを見ていたグーラも頬を緩ませ、
「お二人は仲がよろしいですね。……さて、モルズさんも数日で戻られるのでしょうし、私はここらで退散いたしましょう」
それでは、と手を振りながら孤児院へ姿を消すグーラ。
「やっぱり、今回もお兄ちゃんすぐ出ちゃうの?」
リーンは寂しげに瞳を揺らしながら言った。
「うーん、そうだな。長居するにしても、家がないから誰かの家に泊めてもらわなきゃならないし。自分の家でも建てるか? もうすぐリーンも成人だしな」
「もうすぐって言ったって、私まだ十五だよ? 成人までまだ二年もある」
「はっはは、成人のお祝いに家を贈ってやろう。二年後にはここに帰ってくるから、それまでにどんな家が良いか考えておくんだぞ」
「話が通じない……でも、うん。分かった。二年後には絶対また帰ってくるんだよね?」
「もちろんだ」
モルズの返答を聞いたリーンは嬉しそうだ。二年後には絶対に兄に会えると約束されたからか、成人を祝う品を兄が贈ってくれると知ったからか。その両方かもしれない。
「楽しみにしとくから。それまでに、絶対、欲しい家を考えておくから」
やけに力強い妹の言葉に、モルズは少し押されつつも、
「おう。俺も、リーンのためにしっかりお金貯めとくからな」
「もう。そうやっていつも私ばっかり。たまには、自分のことにお金使っても良いんだよ?」
「いんや。俺の望みはリーンの幸せな様子を見ること。リーンが幸せになることにお金を使う限り、俺のことにお金を使ってることになる」
何一つ嘘を言っていないモルズの屁理屈に対し、リーンは、
「照れるな。そこまで言うなら、全力で幸せになってあげる」
あくまでも冗談として対処しながら、モルズに「幸せになる」と宣言した。
「そうしてくれ。あ、そうだ。これ」
モルズは腰に提げていた革袋を外し、中身を見せる。
「あ、ドゥルセの実! 採ってきてくれたんだ、ありがとう」
リーンの顔に、ぱぁっと笑顔が広がる。
モルズはそれを見て癒やされつつ、
「ただし、これはリーン一人で食べちゃ駄目だぞ」
心を鬼にして言う。
「分かってるって。孤児院のみんなで分けて食べるよ」
「なら良いんだ」
「そういえば、お兄ちゃんって今回どこに泊まるの? やっぱり、村長のところ?」
「そうだよ」
「そっか。今、あそこ人手が足りてないから何かやらされるかも。気をつけてね」
「滞在中だけとはいえお世話になるんだ。それくらいはやらせてもらわなきゃ逆に俺が困る」
「お兄ちゃんがやりたいなら良いんだけど。……あ」
そこでふとリーンが空を見上げると、ちょうど日が地平線の下へ沈んでいくところだった。つられてモルズも空を見る。
オレンジ色に染まる空。
「綺麗だね」
「……ああ」
思えば、今までずっと下か前しか向かずに生きてきた気がする。何年かぶりに上を見てみると、そこには記憶にあるより綺麗な空が広がっていた。
「じゃあ、そろそろ時間だ。またね、お兄ちゃん」
「ああ。またな、リーン」
夕日を背に、兄妹は反対の方向に歩いていく。兄は村長の家の方へ。妹は孤児院の中へと。
「うーん! さて、俺も帰るかぁ」
少しだけ進んだあと、名残惜しそうに孤児院を見つめていたモルズ。やがて太陽が完全に沈み、辺りに夜の帳が下りた頃、再び歩き出した。
◆
――そんなこともありながら、五日後。モルズの滞在最終日。
「そんじゃ、行ってくる」
見送りにきた村人たちに囲まれながら、モルズは村を発った。
なぜか、今回はリーンがあまりモルズを引き止めてこなかった。そのことに首をひねりながらも、モルズの足はカエドの方へと――村から離れる方向へと進んでいる。
帰ってきたときとは逆に、村を出てすぐ森に入り、道を切り開きながら進む。やがて土の道に辿り着き、比較的歩きやすい道になった。
「グルルルル……」
魔獣が現れることもあったが、一体だけだったので、すぐに腰の短剣の錆にされた。
――そんなこんなでカエドに辿り着き、馬車の停車場にて。
「今回はどこに行くかな」
ちょうどそこに停まっていた馬車に乗り込む。行先は確認しないまま。
村に帰ったあとは、こうして適当にどこかへ行くのが通例だった。
どこへ連れて行かれたのか降りて自分の目で確認したいため、できるだけ外の景色は見ないようにする。
ガタガタと揺れる土の道から、比較的揺れの少ない舗装された道へ。モルズは、揺れの変化から行先が大都市だと予想する。
果たして、その答えは――
騎士の試験
三日後、モルズは王都へ降り立っていた。
「王都へ来たのは久しぶりだな」
久しぶりというか、三年前に一度来たことがあるだけなのだが。
「さて、仕事仕事……と」
当たり前だが、傭兵に仕事を斡旋してくれる便利な組織などない。ならばどうやって仕事を探しているかという話だが、それは現地民に混じってうまくやることでどうにかしてきた。それで十年持っているのだ。モルズはその道のプロである。
なので、今回もそうやって仕事を探そうとしたのだが。――どうやら、探す必要はなさそうだった。
騎士団らしい連中が、腕の立つ傭兵を募集している。報酬は一日で金貨四枚。一日の食費が銀貨二枚程度なことを考えれば、破格の報酬だ。
当然、それに群がる傭兵も多い。今、ある傭兵が騎士にやられていた。恐らく本当に腕が立つかを確認しているのだろう。それで騎士団のお眼鏡にかなえば良し、手も足も出ずに一蹴されるのもその程度だったということで。
モルズはちらりと横目でその様子を確認し、ぽつりと一言。
「いけそうだな」
手を挙げ、声を張り上げる。
「その依頼、俺も参加して良いか?」
「良いが、本当に腕が立つかテストを受けてもらうぞ。……口だけなら、何とでも言えるからな」
まるで傭兵が嘘をつくことが前提のように言っているが、はてさて。報酬のために自分の力を見誤る輩がいるのか。
「ああ、問題ない」
「なら、あっちへ行け。そこの強面のおっさんが相手してくれる」
騎士が指で示した方向を見れば、確かに中年の男性が仁王立ちしていた。
それにしても、仮にも国や貴族に仕える立場である騎士だというのに、少々言葉遣いが荒すぎやしないだろうか。
少々の疑問を覚えながらも、モルズは誘導に従って試験を受けに行く。
「武器を構えろ。行くぞ」
相手の得物は大剣か。確かにこの大きな体や筋肉から繰り出される一撃は、どれも必殺級の威力を誇るだろう。
対して、モルズの得物は短剣。リーチが短いのが難点だが、小回りの利く武器だ。大剣に対しての相性は良いと言えるだろう。
モルズは一気に相手の懐に入ろうと疾駆する。大剣使いも懐に入られると厄介だと自覚しているのか、モルズを懐に入らせまいと大剣を使って進路を妨害していく。
モルズが一歩踏み出せば、二歩先に大剣。
モルズが横に避ければ、目の前に大剣。
モルズが上に跳べば、前方から大剣。
そのことごとくを避け、モルズは大剣使いに迫る。
前方から大剣。しゃがんで躱す。風圧が髪を揺らした。
上からの振り下ろし。左右に跳んで避ければ問題ない――とモルズは考え、しかし直前に意見を改めた。
周りにはたくさんの人。無論多くの人間が、騎士団の人間か傭兵に属する者なので気を遣ってやる道理はないのだが。
それでも、無関係の人が大剣に薙ぎ払われていく様子を何も思わずに眺めていられるというわけではない。
ここでモルズが取った選択は――短剣での迎撃。
悪手だ。大剣に対して短剣。その差は歴然で、速度と重量のある大剣が短剣をはじき飛ばすのは決まり切っていたことだった。
武器がなくなった。誰もがそう思う中、ただ一人、モルズだけが口の端を少しだけ吊り上げて笑っている。
「これで武器はなくなった。まだ続けるか?」
大剣使いの男が確認する。武器がなくなったのならもう戦闘の続行は不可能だと判断したのだろう。
「ああ、続ける」
右腕を前に、左腕を後ろに。
左足は右足より一歩分前へ。
重心を下げ、重たい一撃を繰り出せるように。
モルズは拳を構えた。
「徒手空拳か。良いだろう」
モルズは無手。対して相手の武器は大剣。
リーチの差が更に開く形となったが、モルズに気負う様子はない。それどころか、先ほどまでよりもリラックスし、顔には笑みさえも浮かんでいる。
モルズが動き出すのと大剣が動き始めるのは同時だった。
大剣の刃がモルズのいた場所を叩き潰す寸前に、モルズはそこより数歩先の地点へ。当然モルズの体がミンチになることはなく、それどころか相手は自分の攻撃で自分の視界を潰す羽目になっている。
武器を失ってもなお戦闘を続行するモルズが珍しいのか、辺りには野次馬が集まり出している。
「なんだなんだ?」
「あいつ武器落としたよな?」
「クソッ、土煙で見えねぇ!」
ざり、と土を踏んでモルズが動く。
その視線の先には――短剣が。
幸い野次馬の声で多少の音はかき消されて届かない。
地面に落ちた短剣まで、あと数歩。
「なあ、確かあっちに短剣落ちてなかったっけ?」
とある野次馬の一言。
未だ土煙は晴れず、辺りの様子は窺えない。
それでも、大剣使いの男は短剣の落ちた場所は覚えていたようで――
「――――っ!」
モルズは咄嗟に体を伏せた。
頭上を通り抜けたのは大剣の刃。
ひゅん、と音を立てて大剣が戻ってくる。
土煙が晴れるまで、この場所が徹底的に攻撃されることは明白。
ここにいるのは危険だ。
更に、こうして短剣の存在を思い出させてしまった以上、もう取りに戻ることはできないだろう。
もうすぐ土煙が晴れる。早くここを離れなければ、土煙が晴れた瞬間にやられてしまう。
全力で左に跳び、大剣の攻撃範囲から逃れる。
土煙が晴れた。
「そこかぁ!」
一瞬で捕捉され、大剣が飛んでくる。
しかしモルズは意に介さず、全力で前に踏み込んだ。――正確には大剣を操る男の方に。
最短最速。踏み込んだ勢いを利用し、男の顎をかち上げる。
「俺の勝ちだ」
「…………っ、がぁ……」
男は苦悶の声を上げ、白目を剥き、地面に倒れ込んだ。
「勝った」
「……すげぇ」
「勝ちやがった!」
「おぉぉおお!!」
野次馬が盛り上がる中、モルズは、
「勝ったぞ」
大剣使いと戦う理由となった相手に勝ちを報告しに行った。
「え!? あちゃあ、気絶してる……分かった。そろそろ募集を締め切るから、少しばかりここで待っていてくれ」
「分かった」
指示通りに、腕を組み時間が過ぎるのを待つ。
騎士からの依頼
――一時間ほどが経った頃だろうか。
「申し訳ないが、今を以て募集を終了させてもらう!」
傭兵が集まりざわめくこの場でもよく通る大きな声で、募集の終了が宣言された。
「嘘だろ!?」
「待ってくれ!」
「たった今ここに着いたばかりなのに」
今到着した者たちだろうか、破格の報酬を諦めきれずに声を上げる者たちがいた。
「志願者――テストに合格した者はこれから私たちについてきてくれ」
しかし、周りから上がる声は無視されたまま、騎士からの指示は続いていく。
普段の依頼ではまずされることのない特殊な指示の出し方をされ、やはり報酬の額と釣り合うほどの《《ヤバい》》依頼なのだと志願者たちは理解した。だが、それでも|退《ひ》かないのが傭兵である。
モルズたちは警戒心を高めながらも、先導する騎士のあとを歩いた。
――やがて、王都を囲む巨大な防壁の外へ出た。
「ここからは馬車に乗って移動する」
馬車は十台。志願者はおよそ百名。一台あたり十人程度の計算だ。
モルズは適当な馬車に乗った。
全員が乗り終わると、全ての馬車が違う場所へ走り出した。
「まずは、私の自己紹介を。私は、エグシティオ王国騎士団所属、イバネスと申します」
モルズと一緒の馬車に乗っていたのは、礼儀正しそうな騎士だった。
この流れだと傭兵の間で自己紹介が始まるのではないか、とモルズは身構える。
「申し訳ございませんが、今は状況の説明をさせていただきたく」
当然か。こんなにたくさんの傭兵を集めなければならない状況で悠長に自己紹介なんてしている暇はない。
納得を得たモルズは、大人しくイバネスの言葉を待った。
他の傭兵も依頼主の言葉を遮るような真似はせず、静かに続きを待つ。
「数ヶ月前から、王都周辺の森に魔獣が出現するようになりました。それらは王国騎士団により十分対処できていましたが、つい先日、その群れが現れたのです。幸い、討伐することはできましたが、出動した騎士たちの実に半数近くが犠牲となりました。魔獣の出現は今も続いて――いえ、より活発になっており、戦力が足りない状況です」
イバネスは姿勢を正し、
「どうか、私たちの――王国のために、力を貸してはいただけないでしょうか」
そう、モルズたちに向かって頭を下げた。
「…………」
モルズは、妹の姿を思い浮かべた。
村で楽しそうに暮らす妹。もし、村がなくなったら、どんな顔をするだろうか。
「……引き受けた。――報酬をきちんと払ってくれるのならな」
なぜだか、情のみで依頼を引き受けるのは|憚《はばか》られた。この十年以上でモルズに染みついた傭兵としての考え方がそうさせたのかもしれない。
「報酬はきちんと支払わせていただきます。また、戦況が落ち着いていれば休みを取ることもできます」
報酬の支払いの確約と、休暇の取得許可。今までに国や貴族に雇われ、難癖をつけられて報酬が十全に支払われなかった経験を持つ者も、前者の条件によって依頼を引き受ける意思が固まったようで、
「……なら、やる」
「俺も」
「私だって」
「任せろ!」
次々に声が上がり、この馬車に乗った十名の傭兵が依頼を請け負った。
「皆様、ありがとうございます。皆様方には、特に魔獣の出現が多い場所に配置された騎士のサポートとして動いていただくこととなります。詳細は現地で担当の騎士に聞いてください」
「分かった」
「了解」
「承知した」
モルズたちが返事をしたのとちょうど同じタイミングで、馬車が停止した。
「それでは、私についてきてください」
◆
森の中を歩く人影が二つ。一つはモルズのもので、もう一つは――
「このように森の見回りをし、魔獣がいれば討伐します」
イバネスと共に森を巡回するモルズは、イバネスに倣って周囲を見回す。
魔獣を見つけ、短剣を抜き放つ。
先手必勝、一瞬で肉薄し命を刈り取る。
「……さすがですね。試験官を倒すほどの実力はあるというわけですか」
「そこまででもない。俺以上のやつはいくらでもいるし、現に騎士様は俺より強いだろう?」
「そうですね。ですが、彼我の実力の差を見抜くのも強さの一つですよ」
「……必ず、妹の元へ帰るために磨いたからな」
こうして他人に褒められるのはいつぶりか。なんとなく照れくさく、素直に受け取ることができなかった。
「……そうですか」
魔獣の出現により、会話はそこで途切れた。
◆
――あれから数日後、人類に「宣戦布告」が為された。
我ら、虐げられてきた者なり。
我ら、人類に反旗を翻す者なり。
我は、魔王。
我らは、魔王軍。
我ら、歴史に名は残らねど、人類を滅ぼす存在なり。
人類よ、待っておけ。
同胞よ、待っておけ。
我らが、新世界を作る――
◆
――はじめに攻められたのは、エグシティオ王国の南に位置するメギャナ帝国だった。
彼の国は王国より何倍も大きく、保有する軍事力は世界一と言われていた。
今回攻められたのは、帝国の東側の街、コメルチア。帝国最大級の交易都市として名を馳せ、訪れる商人や商品を盗賊から守るための強大な力を持っていたその都市が僅か一夜にして陥落したというニュースは、世界中を震撼させた。
現地には、「魔王」と名乗る存在からのメッセージが残されていたという。
――人類よ、これが我らの意思だ。これまでと同じように虐げることは決して許さぬ。我らは進む。人類のない新世界を作るために。
魔王の宣戦布告とコメルチア陥落のニュースが、主要な新聞の一面を飾った。
『交易都市コメルチア陥落! 「魔王」と名乗る存在の仕業か』
『人類のない新世界 「魔王」の目的とは』
二週間もすれば、魔王の目的を好き勝手予想して民衆の不安を煽るようになった。
そしてそれは当然、王国も無関係ではない。むしろ、最初に被害を受けた帝国の隣国であるのだから、関係は深いというべきだった。
「次は、俺たちか」
隣国が甚大な被害を被ったというニュースを聞き、王国民は次に狙われるのは自分たちが暮らすエグシティオ王国だと疑いもせず思っていた。
――けれど、いつまで経っても王国が被害を受けることはなかった。
それは、比較的早期に動き被害を食い止めていたからというのもあり――世界に与える影響が小さく、他の国よりも優先順位が低いからという理由が大半を占めていた。
それでも、魔獣が一切現れないというわけではない。現れた魔獣は、王国が大量に雇った傭兵が討伐していた。
――無論、モルズもその一人である。
幻の狼
「クソ、厄介だ、な!」
刃の先で魔獣の体がゆらめく。
モルズとイバネスを取り囲むのは、黒い体毛の狼である。
数はおよそ十数体。
イバネスが長剣を閃かせ、魔獣の体を一刀両断する。
刃が通った瞬間、魔獣はその体を幻だったかのようにゆらめかせ、霧散した。
『……』
すぐさま追加の狼がモルズたちを睨めつけた。
一体減ったと思えば、こうしてまたどこからともなく静かに現れる。
ずっと前からこの調子だ。
モルズたちは、この狼は幻に類するモノで、本体は別にいると睨んでいる。
「このままでは埒が明きません! モルズさんは一時離脱し、本体を撃破してください!」
「分かった」
モルズは今戦っている狼を倒すと、後ろに大きく跳んだ。モルズを逃がすまいと狼も前に出てくるが、イバネスがそうはさせない。剣を振るい、狼たちを牽制していた。
恐らく長くは持たないだろう。イバネスが限界を迎え、戦線が崩壊する前に本体を倒さなければ。
なぜ幻の狼を生み出す? |自分《本体》が倒されたくないからだ。ならば本体は戦わず隠れているはず。
そんなことを考えながら、狼が出現し向かってくる経路を見やる。
前へ、上へ。狼が通る経路から少しだけ離れたところを進む。
できるだけ狼との接触を避け、一気に本体を叩きたい。幸い、今はイバネスが引きつけてくれているため、モルズの方に向かってくるものは零に等しい。
徐々に、狼の群れの中心に近づいていく。
モルズは、大きく跳躍した。狼の群れを上から見るために。
モルズの体は宙を舞い、地面に落ちていく。しかしそれでも、モルズは変わらず狼たちを見据えていた。
――何か、他の個体と違う動きをする個体は?
いた。
他の個体がイバネスに向かっていく中、一体だけ真逆のイバネスから逃げるような向きになっている。
空中で姿勢を制御、着地した直後から狼の群れの中に飛び込んでいく。
もうここまでくればがむしゃらだ、本体でない狼も全て切り捨て、本体に迫る。
本体も己が狙われていることに気がついているのか、イバネスに差し向ける狼より自分の周囲に待機させる狼の方が数が多くなっている。
モルズは狼にもみくちゃにされながら、されど本体から目を離さない。
――狼の黄色く濁った瞳と目が合った。
その時、狼が何を思っていたか、モルズには分からない。
――チャンス。
狼と狼の間、モルズと本体の間。ずっと体を張って本体を守ってきた狼が、何の偶然か、今はモルズと本体の間をがら空きにしている。
モルズは、右手の短剣を大きく振りかぶった。勢いをつけ、手を離す。投擲。
さすがにこの距離で外すことはなく、短剣の刃は狼の頭をかち割った。
本体の死と共に、幻の狼は地面に溶けるように消える。
勝った。
イバネスは無事だろうか。
倒さなくても良かったとはいえ、あの数の狼を相手して無傷というわけでもないだろう。確実に疲弊している。
もし疲弊したところを別の魔獣に襲われでもしたら、イバネスはひとたまりもない。
――と焦ってきたが、それは杞憂だった。
「モルズさん、今回もお疲れ様です」
小さな傷がありこそすれ、大きな傷もなく、それどころか余裕すら見える笑みでイバネスが手を差し出した。
モルズも同様に手を出し、握手と呼ぶには勢いのありすぎる握手をする。
その顔には達成感に満ちた笑みが浮かんでいた。
「さあ、見回りの続きを行いましょう」
達成感に浸る時間は終わり。王都の安全を守るため、見回りをする時間が再び始まる。
「了解」
魔王軍の宣戦布告から早一年。
すっかりこの仕事にも慣れ、イバネスとの連携も取れるようになったモルズは、再び森の見回りを始めた。
――先ほどのような魔獣が出るのは、もう珍しくない。魔王が侵攻してくるようになってからは、一ヶ月に一度以上は発生するようになっていた。
角の生えた兎のような魔獣。
角にさえ気をつけていれば問題なし、討伐完了。
鼠と猫を強引にくっつけたような魔獣。
大きな前歯と高い脚力に気をつければ対処は容易だ、討伐完了。
羽の生えた犬の魔獣。
|上《空》を取られたのは痛かったが、攻撃するためには近づく必要がある、討伐完了。
数々の魔獣を倒し、夜、宿舎にて。
モルズはイバネスから今日の報酬を受け取り、革袋に入れる。
雇われた時は固定報酬制(毎日金貨四枚)だったが、魔王軍の侵攻が活発になった現在、報酬は出来高制となっている。それは魔獣から国民を守るためには金に糸目をつけない王国といえど、十分な数の傭兵を雇うのにお金が足りなかったからである。
革袋の中には、金貨がずっしり詰まっていた。
これでおよそ千五百枚。
家を建てるには金貨二千枚弱は必要だと聞くから、このままいけば後一年もしないうちに稼げるはずだ。
モルズはうんと伸びをした。
もう一つ革袋を取り出し、その中から銀貨を二枚取り出す。
それを持って、宿舎に隣接する食堂へ腹ごしらえに行った。
◆
夜、この場にいる全員が寝静まった頃。
――魔王軍は、ある作戦を決行した。
その作戦の内容は――
魔王の能力により次々に転送される魔獣たち。
血に濡れた狼。
遥か上空から獲物の頭を狙って降下してくる鳥。
大きな石が連結した巨大な岩人形。
無限に増殖する羽虫。
先端が鋭く尖った種を飛ばしてくる人型の植物。
空を泳ぐ爆発する魚。
|蟹《横》歩きという枷を取り払い、前後左右に素早く動く|蟹《かに》。
機動力の一切を捨て、全てを防御力に充てた亀。
全身に鋭い棘を生やした|鰐《わに》。
ひたすらに、呪いと疫病をまき散らす黒き|鼠《ねずみ》。
頭の角を掲げ、自らの命など気にせず突撃してくる牛。
遠くから獲物を見定め静かに狩る暗殺者、|梟《ふくろう》。
ありとあらゆる種類の魔獣が、もはや「獣」と呼ぶことさえはばかられる風貌の魔獣までもが集結する。
その数は百を超え、千を超えた今もなお増え続けている。
魔王から軍勢の魔獣に命令が出る。
その内容は、「全軍前進、王都に侵攻せよ」。
魔王軍は歓喜の雄叫びを上げ、戦意を昂らせて王都に迫る。
一年間も落とすことができず、耐え続けられていたことが余程腹に据えかねたらしい。
巨大な岩人形が腕を大きく振りかぶり、王都を囲む防壁を砕こうとする。
初めのうちは轟音が響くだけで一向に崩れる気配はなかったが、そのうちパラパラと石が落ちてくるようになり、ついには轟音を立てて防壁が崩れ落ちた。
防壁だったものを踏み越え、狼が、獰猛な鳥が、岩人形が、羽虫たちが、異形の植物が、爆発魚が、蟹が、亀が、鰐が、鼠が、牛が、梟が、王都の中に進軍する。
当然、王都も防壁が崩れれば落ちるような|柔《ヤワ》な作りはしていない。
すぐさま警報が鳴り響き、騎士が駆けつけた。
住民はこれまで何度も行ってきた避難訓練の記憶を頼りに、迅速に王都から避難した。
魔王軍はこれを意に介さず、視界に入ってきた|魔王軍《なかま》以外のものに対し破壊の限りを尽くす。
魔王軍の移動に巻き込まれ、家が粉砕された。
逃げ遅れた人々が踏み潰された。
駆けつけた騎士がその圧倒的な物量を前に敗北した。
――王都の危機は、近くの森にいるモルズたちにも届く。
夜間の出撃要請
「皆さん! 起きてください!」
突然のイバネスの大声により、モルズたち雇われの傭兵は跳ね起き、各々の武器を取った。
「どうしたんだ?」
双剣を構えた男が聞いた。
「王都が魔王軍に襲われました。総数、一万以上。騎士団はほぼ壊滅状態です」
「どうか、どうか……救援を、お願い、します……」
息も絶え絶えといった様子でそう懇願したのは、王都からここまで走ってきた伝令だ。
「報酬は」
だが、|傭兵《彼ら》は情だけでは動かない。
「……参加のみで金貨三十枚。追加報酬は、皆様方の働きで決めさせていただきます」
「そ、それは……!」
イバネスの傍らに転がる伝令が、それは許容できないといった様子で声を上げる。
金貨三十枚。それだけあれば、半年ほどは食べるものに困らない生活ができる。
ましてや、この戦争に参加する傭兵の数は三百以上。その全ての報酬を用意するとなれば、かなりの額となる。王国の財政が傾くとまではいかないが、余裕のある政治はできなくなってしまう。
それに報酬を上乗せするのだ。国の出費は無視できないものになる。
「ふむ……最低報酬がちと安すぎるが、引き受けよう」
「俺もだ」
「私も」
「やってやろうじゃねぇか!」
「やるか」
半年分の食費。それは、命を賭けるのには安い。安すぎる。
だが。これまでの依頼により培ってきた信頼。王国は必ず約束を違えず報酬を支払ってくれるという信頼。確かに一度雇用条件が変わったが、それはやむを得ないことであり、全員納得していることだ。
傭兵たちが期待しているのは参加報酬の金貨三十枚ではなく、追加報酬の方だ。
そして、それを必ず支払ってくれるという信頼があるからこそ、傭兵たちは動く。
これまで傭兵たちに誠実に接し続けてきたイバネスに対する信頼により、ここにいる総勢十名余りの参戦が決定した。
「皆さん……ありがとうございます!」
直立不動からの四十五度の礼。
イバネスの誠意がこもった態度を目にした一同は、
「良いってことよ」
「任せろ!」
「さあ、善は急げです。馬車の手配は終わっております。出発しましょう」
――騎士イバネスを中心とした十名余りは、戦意を漲らせ馬車に乗り込んだ。
◆
一方、その頃、別の場所では。
「起きなさい!」
「な、何かありましたか……?」
とある騎士の号令が響き渡り、傭兵がびくびくしながら飛び起きた。
「王都に魔獣が押し寄せてきました。行きますよ」
騎士――テトラは傭兵がついてくると信じて疑わない。
テトラが背を向けた時だった。
「ふ……」
傭兵の男――ヴィンが小さく呟く。
「だ、駄目だよ……」
気の弱そうな女が男を止めた。
「いいや、もう我慢ならねぇ」
ヴィンの拳が固く握りしめられる。
武器は寝首をかかれる危険性がある、と取り上げられた。だが、|テトラ《あいつ》をとっちめるにはそれで十分だ、とばかりにその拳が振りかぶられる。
「ふざけんな!」
ヴィンの拳が美しい軌跡を描き、テトラの頬に吸い込まれる。
流石傭兵、とでも言うべきか、テトラの体はそのまま一メートルほど吹き飛ばされた。
「くっ……な、何を……」
テトラは不可解そうにヴィンを睨んだ。
「何を? ふっ、反抗だよ。俺たちが今までお前にやられてきたことをやり返すんだ」
鼻で笑われたテトラは、怒りで顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
「そんなことをやって何になります? 私たちはこれからたくさんの魔獣と戦う仲間でしょう!」
「仲間? 俺たちにお前は何をした?」
ヴィンの脳裏に、今まで受けてきた数々の仕打ちがよぎる。
「力の差を分からせるためだと言って、俺たちを一方的に痛めつけた!」
私とあなたたちの間には、決して埋められない力の差があるのです。
そう言われ、一人ずつテトラと戦わされた。
案の定勝てるはずもなく、圧倒的な力の差によって心を折られた傭兵たちは、テトラに|唯《い》|々《い》|諾《だく》|々《だく》と従ってきた。
「危険な魔獣と戦う時、俺たちばかりに危険な役回りをやらせた!」
曰く、|騎士《自分》と|傭兵《あなたたち》では命の価値が違うと。
魔獣の攻撃を受け止める役は傭兵にやらせ、自分は安全圏からチクチク攻撃していた。
「ここで生活する時もそうだ、身の回りの雑用は全て俺たちに押しつけていた!」
衣食住のうち、食事は専用の仕事の者が用意してくれるが、衣服と住居はその限りでない。
服が汚れたら自分たちで洗濯しなければならないし、住居だって自分たちで掃除しなければならない。
テトラは、その全ての作業を傭兵に押しつけ、その隣で自らは悠々自適に紅茶を嗜んでいた。
「もう我慢ならねぇ! 俺たちは王国を見捨てる!」
「そ、そんなことが……!」
テトラは怒りで声が出ないといった様子で、口をパクパク動かしていた。
一度深呼吸し、多少は怒りが収まったのか、
「そんなことが許されるとでも、思っているのですか!?」
それは、言外の脅し。
「こんなことが許されるわけがない。今なら最悪の手段に打って出ることはないから、ここでやめておけ」と。
その証拠に、テトラの手が腰に|佩《は》いた得物に伸びかけていた。
もしこれが抜き放たれたのなら、ヴィンは圧倒的な実力差によって完膚なきまでに叩きのめされていただろう。
「許す許さないの話じゃないし、俺たちはお前に許されようとも思ってねぇ。これは、復讐だ」
「復讐は何も生みません!」
「何も生まない? そりゃそうだろ、負債の返済なんだから」
ヴィンの正当な感情論と、テトラの薄っぺらい正論。
二つの正反対の言い分による議論は、平行線のまま進んでいく。
あるいは、議論ですらないのかもしれない。
ただただ己の言い分を伝えたいヴィンと、己を正当化するために喚き散らすテトラ。
両者に相手と和解するという選択肢がない以上、話し合いは平行線を辿る他ないのだ。
「……分かりました。後悔したところで、もう遅いですよ?」
テトラの手が腰の剣に伸びる。
一応あれでも代々騎士を輩出し続けている家の出身だ。剣を抜けばヴィンなどの傭兵では手も足も出ない。
――が、それは互いに一人だった時の話だ。
ここにいる傭兵はおよそ十人。
各々が先ほどのヴィンの話を聞き、戦意を漲らせていた。
対して、騎士は――テトラの味方はテトラただ一人。
「悪いな。これが|傭兵《俺たち》の戦い方なんだよ」
テトラをズラリと囲むのは、ヴィンたち傭兵。
一人で勝てない敵は、複数人で囲む。
テトラを一人の人間ではなく、復讐すべき敵として認識し、手段を選ばなくなったから採れる策だった。
「汚いですよ……!」
正々堂々をモットーとする騎士から見れば汚いに違いない、とヴィンは笑う。
一対多。しかも一対一で話していた延長上での出来事だ。テトラの目には、ヴィンは一人の人間を複数で袋叩きにする人としての風上にも置けない人間に写っているのだろう。
「汚い? いいや、確実に勝たないといけない|敵《相手》に死力を尽くさない方がどうかしてる」
実際、テトラは剣を持ち、ヴィンたちは素手だ。
数的有利があるとはいえ、武装の差は大きい。
文字通り死力を尽くして戦わなければ勝てないだろうし、手加減なんてしている暇はない。
「殴れ!」
「これまで散々俺たちを馬鹿にしてきた罰だ!」
傭兵がテトラにわっと群がり、テトラを殴りつけていく。
抵抗しないようにするためか、特に手足に重点的に打撃が加えられた。
「……ぁ、ぐ」
「とはいえ、騎士様を殺すと俺たちがお尋ね者だ。このくらいでやめておくか」
「私、をどうする、つもりですか……」
「別にどうもこうもしねぇよ。|騎士《お前》が|傭兵《俺たち》をコケにしたことはこれでチャラだ。まあ、これから先|王国《お前ら》の依頼を受けることはないだろうが」
ヴィンが言いたいことは全て言い終わったし、やりたいこともやり終わった。
「じゃあな」
これ以上テトラを痛めつけることもせず、ヴィンたちは小屋の外へ出ていく。
仲間の死が日常である傭兵にとって、嫌な思いをスッパリ割り切ることが大切だ。
とりわけ今は戦争中。たとえどんな極悪人、大罪人だろうと戦力になるのなら枷をつけた上で使った方が良い。
ならば、ただ少々傲慢なだけの騎士など、生かしておいて後にいくらでも利用すべきだ。
――ヴィン一行は、王都とは真逆の方へ進んでいく。
目的地は未定。風の吹くままに。
王都奪還作戦
王都に集まった傭兵は百人弱。
現在王国に雇われている傭兵は三百人以上いるはずだから、かなり少ないと言える。
案の定、それを不思議に思ったイバネスがたった一人でここまでやって来たテトラに詰め寄る。
「テトラさん。あなたの預かりとなっていた傭兵たちはどうしたんですか?」
「逃げました。魔王軍との戦いに怖気づいたのでしょう」
テトラは不都合な事実は隠し、己の都合の良いように語る。
「彼らは、いずれ来る魔王軍との戦いにおいて貴重な戦力となるはずだった者たちです。その役割に応じた待遇は用意していたはずですが」
テトラは、何も間違ったことを言っていない。
ただ、少しだけ美化していただけで。
傭兵はいくらでもいる。なくなれば金で釣り、その都度補充すれば良い。
ならば、その傭兵が担う役割もそこまで重要ではなく、いくらでも替えがきくものだ。だからテトラはそれ相応の待遇をしたまでであり、そこに責められる謂れはない。
そんなテトラの考えが伝わったのか伝わらなかったのか、イバネスは諦めたように口を開いた。
「分かりました。あなたの対応についてはまた後で調査を行い、上に報告します。とにかく今は戦力を結集することが先決です」
「そうですね。では、私は武器の最終確認があるので、これで」
「……」
立ち去るテトラを無言で見送るイバネス。
「どうせ俺たちを見下しでもしたんだろう」
「まさか、そんな。……いえ、でも」
モルズの言葉を否定するイバネスだったが、心当たりがあったのか途中で言葉を変えた。
今の王国騎士団を構成する騎士の中には、少なからず騎士らしくない者たちがいる。
それは良い意味でも悪い意味でもあるが……少なくともテトラは後者だ。
|自ら《騎士》は傭兵より上の存在だと信じて疑わない。それが思想のみに留まるならまだしも、態度にまで現れてしまっては騎士失格だ。
「まあ、私たちのいざこざは後にしましょう。モルズさん、準備はできましたか?」
「もちろんだ」
綺麗に手入れされた腰の短剣の刃を少しだけ見せながら、モルズは言った。
今回の作戦において、騎士と傭兵の役割は主に三つに分けられる。
一つ、魔王軍の掃討。
一つ、強力な魔獣の撃破。
一つ、指揮官の護衛。
この内、モルズとイバネスは二人一組で強力な魔獣の撃破に回されている。
テトラたち単身でやってきた騎士は、優先的に指揮官の護衛に回された。だが、それでも数人ほど余る。
余った騎士は遊撃に回された。
「それでは、今回の作戦の最終確認をしておきましょう。私とモルズさんは、二人一組で強力な魔獣の撃破を行います。一組では対処が難しい場合は、他の人たちに援護要請を出します。その逆もまたしかりで、助力を請われたらできるだけ助けに行ってください」
「分かった」
話が一段落したところで、
――ゴオォォン、ゴオォォンと鐘が鳴った。
作戦開始の合図だ。
魔王軍の掃討を行う者たちが真っ先に前へ出て、強力な魔獣の撃破を担う者たちが先に進めるようにする。
前へ、前へ。
たとえ共に戦った仲間が魔獣の攻撃を食らってよろめいたとしても、モルズたちは決して足を止めず進んでいく。
掃討は行う者の数は一番多いが、一番死にやすい役割だ。
モルズたちが駆け抜けていくその横で息絶える傭兵もいた。
彼らの死を越え、モルズたちはひときわ体が大きく強そうな魔獣へと散っていく。
◆
コエトは魔王軍の掃討を任されていた者の一人だった。
「なん、なの、これっ……!」
足元をちょろちょろ動き回る鼠を相手に、身の丈ほどもある大剣を振り回す。
鼠の動きは意外と素早く、刃を当てるのは難しかった。
だが、剣を当てることは容易だ。
鼠はそこまで硬くなく、大剣で轢き殺すことはできた。
鼠の魔獣の死と共に、血狼がコエトになだれ込んでくる。
「はあ……」
一旦深く息を吐き出し、息を整える。
コエトがいたのは比較的魔獣の被害が少ないところだった。このレベルの密度は経験したことがなく、肉体的な疲労以外にも精神的な疲労が蓄積していく。
一対多ではなく、一対一を複数回繰り返す感覚で、血狼を一体ずつ確実に倒していく。
血狼の後ろには、刺々しすぎる鰐が控えていた。
相手もお行儀よく待つつもりはなく、隙あらばコエトへ攻撃しようとしているが、間が悪い。
鰐以上に攻撃的な血狼が、他の魔獣が入り込む余地のないほど勢いよくなだれ込む。
結果として、コエトは他の魔獣の乱入を受けることなく血狼との戦いを続けられているわけだが。
「さすがにっ、これは、不利でしょっ!」
単独で戦うコエトに対し、魔獣は群れで対抗する。質より量、数は力。
「上、下、左、右!」
まさに上下左右、四方八方から襲いかかってくる血狼の攻撃を避け、いなし、反撃する。
血狼の数が一時的に減り、他の魔獣が入る隙間ができる。
それを見逃さず、コエトと血狼の戦いに鰐が入り込んできた。
「針鰐……!?」
全身が鋭い棘に覆われている鰐。凶器の塊とも表現できるその鰐――針鰐が、コエトに突っ込んでくる。
食らったら確実に死ぬ。
回避するか、受け流すか。
既に周囲は血狼で埋まり、空白はなくなっている。
故に、回避するという選択肢はなく。
――本当に、受け流せるのか?
そんな不安がコエトの脳裏をよぎる。
幸い、コエトの得物は大剣。攻撃は大ぶりになりやすいが、面での攻撃ができる。
今まで一切挑戦したことのない大剣の使い方。
だが、やるしかない。やらなければ、その先に待っているのは死だ。
「おぉぉぉおぉ!」
雄叫びを上げ、針鰐とコエトの間となる地点に大剣を置く。
針鰐が衝突するまで、あと少し。
コエトは無意識のうちに目を瞑ってしまっていた。
「……へ?」
いつまで経っても衝撃が来ない。
恐る恐るコエトが目を開くと、目の前に迫っていた針鰐の姿がなくなっていた。
どこに――とコエトがあたりを見回すと、針鰐は針鰐がいた地点からそう遠くないところに倒れていた。
なぜ針鰐が倒れているのか。
その答えは、針鰐のすぐ側に倒れていた。
鉄猪。
コエトの体の二倍ほどはある大きな猪が、針鰐に突っ込んできていたのだ。
鉄猪の巨体の下敷きになり、針鰐は死んでいた。
鉄猪の体は鉄に例えられるほど硬く、針鰐の針では薄皮一枚を裂く程度の傷しかつけられていない。
鉄猪はコエトのことなど眼中にないのか、大きく吠えたあと明後日の方向に駆けていった。
その場に残されたのは、コエトと血狼。
割り込んできた針鰐は鉄猪に倒され、その鉄猪もどこかへ去った。
状況は振り出しに戻ったわけだが。
コエトは大剣の柄を握りしめ、血狼を睨みつける。
「いくぞ!」
◆
大きく吹っ飛んでいった鉄猪を追いかけ、モルズはイバネスと共に駆けていた。
この個体は鉄猪の中でも大きく、硬い。
モルズの短剣では傷一つ付かず、イバネスの長剣でも結果は同じだった。
「こっちだ!」
大声を出して鉄猪の気を引き、モルズはある場所に誘導する。
土煙を上げ、駆ける鉄猪。
その巨体に全くひるまず、モルズはさらに速度を上げた。
鉄猪もさらに加速する。
「――かかったな」
かなりの速度で走っていたモルズが急に後ろに方向転換、鉄猪を避けて上に跳躍する。
鉄猪は止まらない。
あの巨体を止めるのには、モルズが方向転換するのよりよほど大きなエネルギーを使わなければならない。
――ドオォォオォン!
轟音を立て、鉄猪が王都を囲む防壁に激突した。
これはさすがに鉄猪といえど無傷ではいられず、頭からだらだらと血を流している。
「ようやく隙を見せましたね」
イバネスが鉄猪の傷口を穿つ。
鉄猪が硬いのは皮膚だけであり、筋肉や内臓は普通の猪と同じぐらいの硬さだった。
その程度の硬さならば、イバネスが斬り裂くのに支障はない。
鉄猪は断末魔の叫びを上げ、地面に倒れ伏した。
「次」
次なる強者を求め、モルズとイバネスは戦場を駆け回る――
◆
王都奪還作戦、本部。
「テトラ」
「はい、グラディオ指揮官」
この作戦の指揮官であるグラディオを、テトラ含む十五名ほどの騎士が囲んでいた。
「騎士や傭兵たちのサポートをしながら、戦場を見てきてくれないか」
「そのお役目、謹んでお引き受けいたします」
テトラは天幕の外に出て、向かう方向を定めると走り出した。
行うのは騎士のサポート。
傭兵のサポートは基本的に行わない。
そもそも、テトラがグラディオに命令されたのは戦場の様子を見てグラディオに伝えることだから、サポートを行うことがその命令より優先されることはない。
傭兵が血狼に噛みつかれ、血を流すところを見た。
テトラはそれを黙って見ているだけで、介入する素振りはない。
――あちこちで、これと同様の光景が見られた。
戦況は人間側の不利。
戦いの最中で力尽きたのか、傭兵の骸がいくつも転がっていた。
「……!」
テトラの目の前で、傭兵の男が角牛の下敷きになりそうになっていた。
近くで戦っていた騎士の男がそれに気がついて動こうとするが、間に合わない。
――見なかったことにしましょう。
テトラは傭兵が嫌いだ。
金に汚い傭兵が嫌いだ。
簡単に主を変える傭兵が嫌いだ。
「――俺がここで死んで、誰が王国を守るってんだ……?」
実際は、ここでこの傭兵が死んだとしても、この戦いの結果にさしたる影響はない。
だが、今はそんな無粋な事実よりも、己を鼓舞する言葉の方が大事だった。
テトラは騎士が好きだ。
金なんて俗っぽいものに左右されず、己の信念を貫く騎士が好きだ。
ただ一人の主君に忠誠を誓い、主君のために死んでいく騎士が好きだ。
だから、テトラは動いた。
今際の際に命乞いをするのではなく、生きることを諦めず己を鼓舞した傭兵の男に、テトラが好きな騎士らしさを感じたから。
傭兵の男の手を取り、角牛の前から脱出する。
「あ、ありがとう……」
男がおずおずといった様子でテトラに礼を言う。
テトラは、角牛の角を切り落としながら言った。
「ただの気まぐれです」
その言葉の通り、一度も傭兵の男たちを振り返らず、テトラはその場を走り去った。
グラディオに報告する内容を考えながら、テトラは戦場を駆け回る。
傭兵と騎士が連携して魔獣を倒していた。
たくさんの傭兵が死んでいた。
鉄猪が倒れ伏すところを見た。
傭兵と騎士の二人だけでは敵わない魔獣がいた。
あるところでは人類が優勢であり、またあるところでは魔獣が優勢である。
戦況は混沌を極めていた。
どちらか一方の何かが欠ければ、途端に戦況がそちらに傾く。
テトラは傭兵が嫌いであり、それと同じくらい王国を愛していた。
自らの手で王国を守ることに誇りを感じていた。
たとえ傭兵だろうとなんだろうと王国のためになら使うことができる。
テトラの傭兵嫌いが少し改善されたのは、やはりあの傭兵の存在が大きいだろう。
自らの理想の騎士像。
その正反対の姿を描く傭兵。
傭兵がテトラの理想を体現した。
彼によってテトラの考えが変わった。
目が覚めた、と言い換えても良いかもしれない。
先ほどまでの自分は異常だった。
今のテトラなら、そう確信をもって言える。
私情を優先し、王国を不利な状況にした。
テトラがあんな対応を取らなければ、テトラの元にいた十名余りの傭兵が参戦していたはずだ。
今の状況なら、それだけで戦況が一気に人間側に有利になったかもしれない。
個人の感情で綱渡りをする戦いに変えてしまったことに、テトラは深く後悔し、反省した。
「――グラディオ指揮官」
本部に戻ったテトラは、先ほど見聞きしてきた情報をグラディオに報告する。
「人間と魔獣で戦力は拮抗しています。恐れながら、我々の中から何人か援護に出すべきかと」
「ふむ」
グラディオは周囲の騎士に目配せすると、何人かの騎士が天幕の外へ出ていった。
「死者も無視できない数出ています」
「構わない。元々そういう作戦だった」
「報告は以上です」
◆
三者三様、各々が自らの信念に従い動く。
――信念を持ち動けるのは極少数で、大多数は状況に流されていただけだが。
約束を果たしに
――王都奪還作戦。
最終的に、死者九十人余りを出したところで王国騎士団と雇われの傭兵は撤退。
作戦は失敗に終わった。
◆
「テトラさん」
イバネスがテトラの方を振り向く。
「よく分かりましたね」
テトラが驚きに目を見開いた。
「足音のリズムで分かります。私、これでも耳は良い方なんですよ?」
「そうですか」
「……」
「……」
会話に一瞬の空白が生まれる。
次はどちらが口を開くのか、イバネスとテトラは互いに読み合っていた。
「私、意外でした」
先に口を開いたのは、イバネスだった。
テトラは、黙って続きを促す。
「私が処分を受ける時。テトラさん、かばってくれましたよね」
イバネスが知っているテトラは、頑固な傭兵嫌いで、しかもテトラがより嫌っている金銭で釣る行為をしたイバネスをかばうような人間ではなかった。
「……たまたまですよ。ある傭兵が、傭兵だって悪い人間ばかりではないと示してくれました」
「ふふっ、そうでしょう? 傭兵にだって、私たち騎士となんら変わらない心を持つ者がいるんです。テトラさんに気づいてもらえて良かった」
「…………」
テトラは、どんな反応をすれば良いか分からず、黙って笑みを浮かべた。
「それで、貴女はどうするんです?」
「そうですね……二週間も時間があるんです、自分磨きに|勤《いそ》しむとしましょうか」
イバネスは、現在二週間の謹慎処分中だ。
金はいかなる物資にも代わりうる貴重なものであり、それを傭兵を手っ取り早く動かすための手段として必要以上に使ったとして処分を受けた。
その処分に異を唱えたのがテトラだ。国の一大事に迅速に行動したイバネスの行動は、評価されこそすれ処分されるようなものではないと主張した。
結果的に、貴重な戦力を長期間失うのは良くないとし、元々一ヶ月だった謹慎期間が二週間に短縮された。
その影響か、それとも傭兵に取った態度が原因か、はたまたその両方なのか、テトラは一ヶ月の減給処分を受けている。
「良いですね。二週間後、楽しみにしてますよ」
「楽しみにしていてください」
「ああ、そろそろ見回りの時間です」
テトラが周りの様子を見ながら言った。
「そうなんですか? 頑張ってくださいね」
返事の代わりに、テトラはにこりと微笑み、
「失礼します」
そう言って颯爽と立ち去っていった。
「テトラさん、随分変わりましたね……」
悪い方向にではなく、良い方向に。
ほんの少し前までは相手が傭兵というだけで嫌っていたのに、今は相手の内面を見て判断するようになった。
「――話は終わったか?」
「モルズさん」
テトラと入れ替わるようにして現れたのは、モルズだった。
「どこかへ行かれるんですか?」
イバネスがモルズの荷物を見て言った。
「ああ、里帰りしてくる」
馬車で三日間かかる場所に行くのに、まるで近場に軽く出かけるかのように言うモルズ。
「そうですか。それで、何か用ですか?」
「いや、礼を言っておこうと思ってな」
二年もお世話になった相手だ。流石に何もなしに出立するわけにもいかない。
「二年間、ありがとう。それと、今回の報酬。あれは口約束のようなものだったから、あとから減額されると思っていたが、概ね当初の通りだった。おかげで、予定していたより早く故郷に帰れる」
「あれは……一度口にしたことですし、裏切るわけには」
「本当にありがとう」
気恥ずかしいのか、イバネスは少し顔を背ける。
だが、モルズの感謝の気持ちをきちんと受け取ろうと思ったのか、
「……どういたしまして」
礼に対する言葉を口にした。
「それより、出発しなくて良いんですか? ご家族の方も、モルズさんに会いたがっているんじゃ」
「ああ、そうだな」
モルズは、どこか陰のある笑みを浮かべた。
「それじゃあ、また会うことがあればよろしく」
「ええ」
モルズは軽く手を振り、馬車の停留所へ向かう。
魔獣が現れるようになり、街道の安全性は下がった。だが、腕の立つ者を護衛として馬車の運行は続いている。
モルズをはじめ、長距離を移動する者にとってありがたいことだった。
「家族、家族か」
先ほどイバネスに言われた言葉を反すうする。
モルズの家族は妹のリーンだけだ。
両親は幼い頃に他界し、祖父母もその頃には既に他界していた。
リーンに至っては、両親の記憶などないだろう。彼女がまだ赤ん坊の時に両親はこの世を去ってしまったから。
今の自分の姿は亡くなった両親に誇れるものかと、ふと考える。
傭兵として、たくさんの人を助けてきた。
同時に、魔獣をはじめとするたくさんの命を奪ってきた。
強くなった。
あの頃より、ずっと。
肉体的な面でも技術的な面でも、モルズは両親を亡くしたあの時よりもずっと強くなっている。
仲間との出会いと別れを繰り返し、精神面も成長した。
そんな自分の姿を、両親は天国から笑って見てくれているだろうか。
もしかしたら、危険な仕事をする息子を心配しているかもしれない。
そこまで考えたところで、モルズは考えるのをやめた。
両親の気持ちは両親にしか分からないから、モルズがあれこれ考えるのは違う。
これまでも、これからも。
モルズの両親は、モルズをずっと見守ってくれているはずだ。
いつか、自分の姿を誇らしげに見せられるよう。
今を、精一杯生きよう。
料金箱に銀貨三枚を投げ入れ、馬車の中に座る。
腰にぶら下げた革袋の中身が、歩くたびにじゃらじゃら音を立てる。二年間こつこつ貯めてきた千五百枚と、王都奪還作戦で得た五百枚弱。計二千枚弱を手に、妹に会いに行く。
ほんの二年前までは馬車の中身が埋まらないことなど考えられなかったのに、今はすかすかだ。
これも、街道に出現する魔獣の数が増えたことが関係している。
「頼むから、魔獣に襲われてくれるなよ……」
魔獣に襲われると、襲撃の規模によっては馬車が大破することも考えなければならなくなる。
ただでさえ足止めを食らってしまうのに、それ以上の走行ができなくなれば大損だ。
――そんなモルズの心配は杞憂に終わった。
道中には魔獣の一匹も現れず、魔獣が怖いのか盗賊も現れない。
恐ろしく順調に故郷の村の近くに到着し、光の射す森の中を進んでいく。
――妙だ。
魔獣どころか、動物すらいない。
不気味なほどに静かな森。
なぜだか胸騒ぎがし、モルズは足を早める。
村が近い。なのに、人の話し声が聞こえない。
嫌な予感がする。
早く村へ。
枝に足を取られそうになりながらも、モルズは今の自分が出せる最高の速度で村へ向かう。
「ぁ…………」
上ずった声が出た。
濃密な血のにおい。
何人が死んでいるのか。
「っ、リーンは」
妹の無事を確認したかった。
たとえ他の人たちが全員死んでいたとしても、リーンだけは。
足がもつれる中、必死に動かし教会に向かう。
――死んでいた。
血溜まりに倒れたリーンの手を取った。
まだ温かい。
だが、これだけ血が流れていてはもう助からないだろう。
モルズは血に染まった自らの手を見て、言った。
「……もう少し早ければ、間に合ったかな」
誰にも言わず、王都を出ていたら。
村への道を、もっと急いでいたら。
そう思わずにはいられない。
リーンは、モルズにとって生きる全ての意味だった。
喪失感が凄まじい。
これから、何を支えにして生きていけばいいのだろうか。
腰の革袋がやけに重く感じられた。
リーンが死んだのはなぜか。魔獣が殺したからだ。
魔獣を殺すにはどうすれば良いか? 魔獣が集まる場所へ行けば良い。
八つ当たりだと言われればそれまでだ。
だが、それが今のモルズを動かす全てなのだ。
「となれば……クライシスに行こう」
エクシティオ王国の東に位置する小国、クライシス。
小国ながら肥沃な土地に恵まれ、交通が発達した。
永世中立国を謳い、基本的にどの国にも平等に接する国である。
その重要度は非常に高く、生き残っている国が戦力を出し合い、協力して防衛にあたっている。
その分魔王軍の戦力も結集され、クライシス周辺は最大の激戦地といっても過言ではなかった。
行き先は、クライシス。
モルズの再びの旅が始まる――その前に。
「ちゃんと弔ってやれなくてごめんな」
村の人たち一人一人のところを周り、丁寧に埋葬していく。今のモルズでは土葬しかしてやれないが、誰にも弔われないままになるよりは良いだろう。
「リーン」
最後に、リーンを埋葬する。
これが終わると、もう顔を見ることもできないのだと思うと悲しくなる。
途中、何度も手が止まった。
このままリーンと一緒に朽ちるのも良いと思ったことさえある。
だが、そのたびにこれまで出会った人たちの顔が脳裏をよぎり、モルズにすんでのところで踏みとどまらせるのだ。
「ありがとう。……じゃあな」
リーンを埋め終わり、モルズは一息つく。
適当な大きさの岩を見つけ、村人を埋葬した場所に置く。
モルズは短剣をナイフのように使い、村人の名前を彫り始めた。
村長の名前、小さい時の隣人の名前、リーンと仲良くしてくれていた子の名前。
誰一人として名前を忘れることはなく。
埋葬した村人の名前を黙々と彫っていく。
「……ごめんな」
最後の一人、リーンの名前を彫り終わり、モルズは呟いた。
腰の革袋に手をかける。
袋の口を緩め、中身をぶちまけようとして――やめた。
こんなことをしても、リーンは喜ばない。
リーンは、貧しくても楽しそうに笑っていた。
モルズがリーンのために貯めた金をここに残して、その後。
盗賊が回収するか、動物に踏み荒らされてしまうか。
正確にどうなるかは分からないが、モルズのリーンに対する想いが踏みにじられるのは確かだ。
「…………」
無言でモルズは振り返り、一歩踏み出した。
悲しむのはこれで終わり。
次にリーンに会いに行くのは、全てが終わった後。
魔獣がいなくなって、世界が平和になった時。
たとえ道半ばで力尽きたとしても、モルズはそれで良かった。
リーンに会いに行けるのだから。
モルズの姿が村から遠ざかる。
行く先に光を見出し、後ろに大切なものを残して。
背後に潜むモノ
時間は少し巻き戻り、ヴィン一行が王都近辺を離れた頃。
「やってやりましたね、ヴィンさん」
先頭を歩くヴィンの真後ろで男がそう言った。
「ああ。だが、これで終わりにしちゃいけない。俺は王国を見捨てたが戦いを放棄したつもりじゃない」
「となると、どこか別の国に?」
ヴィンの話を黙って聞いていた者の中から、質問が出る。
「そうだ。俺はクライシスに行こうと思ってる」
クライシスという名を聞き、ヴィンが引き連れている集団がにわかに騒がしくなる。
「勘違いしてほしくないのは」
ヴィンの言葉で集団が静まり返る。
「勘違いしてほしくないのは、クライシスに行こうと思ってるのは俺だってことだ。どういうことか分かるか?」
最初にヴィンに話を振った男が口を開く。
「俺たちは、ついてこなくても良い?」
「そう。もし俺と同じ考えだってやつがいれば共にクライシスに行けば良いが、もう傭兵業をやめようってやつもいるだろうし、別のところに行きたいやつだっているだろう」
ヴィンは声を張り上げ、
「別の道を歩みたいやつは遠慮なく申し出てくれ!」
そう宣言した。
「私、一度故郷に帰りたいんだけど……」
「ああ、帰りな。物資も少しは分けることができるが、どうする?」
「いいえ、良いわ。そこまでしてもらっちゃ申し訳ないもの」
「俺も、次行きたいところが決まっているんだ」
「好きに行きな。物資は?」
「自分で持っている」
こうして二名の傭兵が離脱し、ヴィン率いる集団の人数は七人となった。
周囲に自分以外の人影がないのを確認し、離脱した傭兵の一人である男が一息つく。
男の輪郭がぐにゃりと歪み、崩れた。
『やっぱり、この姿の方が楽だな』
騎士の思考を能力で誘導し、内部分裂を引き起こすという大仕事を終えた魔獣が、少し弾んだ声で言った。
現在、この魔獣は魔王から『どんな手段を使っても良いから人間の連携をかき乱せ』という命令を受けている。
同様の役目を担う|魔獣《者》は他に百|体《名》ほどいる。
『次の目的地は、カエドの近くの小さな村ぁ?』
世界情勢に大した影響を与えないだろう小さな村が次のターゲットになっていることに魔獣は首を傾げるが、詳細な情報を見たところで納得の笑みを浮かべた。
『モルズの出身地かぁ。なるほど? モルズが自分の命より大切にする存在がそこにいると』
魔王軍の中で、モルズはほぼ年中無休で戦い、しかも強い厄介な傭兵であり、しかも引き際もわきまえているとして単純な強者と同じくらい警戒されていた。
そのモルズを潰せる絶好の機会。
それを逃すわけにはいかず、魔獣は自身が出せる最高の速度で移動した。
◆
『へぇ、ここが』
森の中で村の様子をうかがいながら、魔獣は興味深そうに呟いた。
『どこか侵入できそうなところは、っと』
他の魔獣に擬態して村に押し入る手段も考えたが、村の門を守る自警団の姿を見て考えを改めた。
かなり練度が高い。
モルズしかり、この村には武の達人でもいるのだろうか。
人間の姿ならまだしも、千差万別の性能である魔獣の姿で相手するなぞ考えたくもなかった。
『仕方ない。少し怖いが、これでいくか』
魔獣は記憶にあるモルズの姿を再現した。
もっとも、再現したのは見た目だけで、記憶や戦闘技術までは再現できていなかったが。
あれだけ妹に執着するモルズだ。
妹に村人を邪険に扱う格好悪い姿なんて見せたくないだろう。
村人にもそれなりの態度で接していたはずだ。
「ただいま」
森の中を抜けて歩いてきたのを装い、門番に声をかけた。
「ん……? あっ、モルズさん! おかえりなさい!」
慌てて返事をする門番を尻目に、モルズの姿をした魔獣は歩いて村の中を進んでいく。
モルズの妹の元へ向かっているのだ。
「お兄ちゃん! おかえり!」
二年ぶりのモルズ帰還を聞きつけてか、走って出てきたリーンが抱きついてきた。
「おう、ただいま」
まだ、周りにはたくさんの村人の目がある。
やるなら二人きりの時だ。
「お兄ちゃん、あのねあのね……」
「うん、うん」
優しい兄を装い、リーンの話に適当に相槌を打つ。
「あ、そうだ。今日はお兄ちゃんに会いたいって人たちがいるんだ」
「誰かな?」
「ついてきて!」
リーンに手を引かれ、孤児院に案内される。
そこには――
――村の自警団の青年が全員揃っていた。
自分にとっては良くない流れだ。モルズに扮した魔獣は密かに戦闘態勢をとる。
「モルズさん。あなたは、何者ですか?」
「何者って……俺は俺だよ」
まずい。バレた。
動揺しているのが伝わらないよう、不自然なほどに明るい声で言った。
「嘘はつかなくて良いですよ。あなたは、本物のモルズさんじゃないんですから」
ここまで分かっているのなら、必死に否定するより、あっさり認めて次につなげた方が良い。
「ああ、そうだよ」
「そうですか。何者かは分かりませんが、少なくとも良い輩ではないでしょう」
自警団の青年が全員剣を抜く。
それより前に、魔獣は動き出していた。
滑るように移動し、硬く尖らせた腕で自警団の青年の胸を貫く。
「……か、はっ」
「次」
無駄のない――というより、迷いのない動き。
自警団の間に動揺が走る。
戦いの中で仲間が傷ついても死ぬことはなかったのだろう。
武器の構えが乱れる。
その隙を見逃さず、魔獣は追撃を仕掛ける。
一人一人では対応されてしまう。だが、これは一対一ではなく一対多の戦いだ。
対応されるのならば、攻撃の寸前に狙う対象を変えて、油断している相手に攻撃を叩き込めば良い。
村の自警団が訓練していたのは魔獣との戦いだろう。人型の魔獣は珍しい。人型の、しかも強い敵との戦闘訓練はそこまで積んでいないに違いない。
そう見当をつけ、魔獣にない動きで自警団を翻弄する。
この場にいる非戦闘員のリーンに気を遣ったのか、自警団の面々は少し動きがぎこちない。
それに気がついた魔獣も、敢えてリーンの方に攻撃することで自警団を牽制していた。
しかし、その均衡が保たれることはなく。
リーンに注意を払い戦い続けていたことで、精神が摩耗したのだろう。
攻撃が一瞬乱れ、魔獣の一撃を食らって崩れ落ちた。
そうして一人、また一人と脱落していく。
最後に残ったのは、魔獣のターゲットであるリーンだった。
「抵抗するなよ。死体に余計な傷が増える」
恐らく抵抗するだろうリーンに、前もって言っておいた。
言っても言わなくても「抵抗する」という未来は変わらないだろうが、自分の意見を言わなければ相手が行動してくれることはない。言わないより言う方が確実に良いのだから。
やはりリーンは抵抗したが、モルズに扮した魔獣はリーンの胸を貫いた。
物言わぬ死体となったリーンを尻目に、魔獣は村の住民の|鏖《おう》|殺《さつ》に動く。
ほどなくして、村から音が消えた。
「…………!」
何者かの気配を感じた。
誰かが村に近づいているらしい。
これがただの旅人なら良いが、もし傭兵、さらに言えばモルズだった場合、この魔獣が今の状態で対処するのは少し厳しかった。
隠れて様子をうかがう。
野兎の姿になり、その優れた聴力で村の入口の様子を探った。
「…………ぁ」
村の惨状を目にしたのだろう。
感情の容量を超過したような、感情が言語を侵したかのような上ずった声が聞こえた。
「っ、リーンは」
ここで真っ先にリーンの心配をする。そんな人物は、モルズ以外に存在しない。
取り敢えず、今回の自らの行動はモルズの精神に少なからず影響を与えることができたようだと魔獣は安心する。
笑みの表情を浮かべそうになるのを必死に堪えた。もっとも、兎の表情が詳細に分かる者などこの場にはいないのだが。
野兎の姿のまま、魔獣は静かにその場を立ち去った。
これからの日常
飛びかかってきた魔獣を切り捨てる。
モルズは今、クライシスにいた。
「……ふぅ」
結局、貯めた金貨は各地の孤児院に寄付してほとんど使い切ってしまった。今モルズの手元に残るのは、僅かばかりの金貨に食事代となる銀貨と銅貨だけ。
おかげで腰がすっかり軽くなり、魔獣を狩る動きにもキレが出ている。貯めた金貨と共に、何かモルズを縛っていたものがなくなってしまったようだった。
魔獣の残党を探しに、モルズは更に先に進む。
視界が開けた。
辺りに点々と残っていた茂みや草地すらもなくなり、人や獣に踏み荒らされた地面が延々と続いている。
襲いかかってきた魔獣を処理しながら、モルズは前線を目指して進み始めた。
◆
魔獣のしなやかな体から繰り出される鋭い一撃を紙一重で避け、その礼に短剣での一撃を叩き込む。狙いは首筋。
急速に勢いがなくなった魔獣の体に、後続の魔獣がつまずく。それでも奴らは止まらない。止まれない。
体勢を崩した魔獣は後続の魔獣に踏み潰され、その姿は見えなくなった。
勢いそのままに魔獣がモルズに飛びかかる。
モルズはそれを難なく回避し、魔獣の首筋を掻っ切る。
それを皮切りに、魔獣が次々にモルズへ突っ込んできた。同士討ちを厭わぬ決死の攻撃。
だが、その攻撃もモルズにとっては烏合の衆の悪あがきに過ぎない。多少攻撃がかすりもしたが、無事に攻撃をしのぎ切った。
一方、魔獣たちは互いの攻撃を食らってダメージが入っている。運良くダメージを負っていないものもいたが、ほとんどはダメージで体力が削れていた。
万全な状態で歯が立たなかった相手に、今の消耗した状態での攻撃が届くはずもなく。流れ作業のように首を断たれ、命を絶たれていく。
数分後には、辺りにモルズ以外の生命は存在しなくなっていた。
赤子の手をひねるような戦いであったが、それでも戦闘は戦闘。モルズは、昂った戦意の赴くままに次の獲物を探しに行く。
モルズの短剣が閃き、魔獣の頭と胴体が永遠の別れを告げる。
戦闘開始からどれだけの時間が経っただろうか。
いかに無尽の体力を持つモルズと言えど、流石に息も切れ始める。
モルズの動きは戦闘開始時点と比べると精彩を欠き、しかしその動きは洗練されていた。
後ろから忍び寄る魔獣を振り向かずに短剣で一刺し。ぐっと短剣をひねってやれば、傷口から大量の血が溢れ出し、魔獣は絶命した。
「はぁ……、ぐっ」
全身に負った傷も痛む。
ずっと命のやり取りをしていたからか、集中力も切れてきた。
ここらが切り上げ時だろう。――今までのモルズなら、そう思って切り上げていたに違いない。
だが、今のモルズにはそうする理由がない。帰る場所も、帰りを待ってくれる相手もいないのだから。
「さあ……来い」
その言葉の意味を理解したのか、魔獣の攻撃が苛烈さを増していく。
激化する戦闘。
果たして、最後まで立っていたのは――
どさり、と何かが倒れ込む音がした。意識を失ったモルズが倒れ込む音だ。
ならばモルズは魔獣に負けたのかと言えば、それは違う。
モルズの周囲から、魔獣が消え去っていた。
モルズは勝ったのだ。そして、それまでの疲労を回復するために眠りについた。
規則正しい寝息。
たまに魔獣が現れては、まどろむモルズに鎧袖一触にされる。
そんな戦場の一角にあるまじき穏やかな時間が、丸一日続いた。
◆
「ふわぁ……よく寝た」
寝起きの伸びの代わりに、ちょうど付近を闊歩していた魔獣を切り伏せる。
やはり一日も経てば魔獣も他所から移動してくるのか、それなりの数まで増えていた。
モルズは、準備運動がてらにそこらの魔獣を鏖殺した。
新たな獲物を求め、モルズは更に別の場所へ移動しよう。ひとまず、魔獣の数が多そうな方へ。そう考え、移動を開始しようとしたモルズを呼び止める声があった。
「待ってください!」
しかし、モルズは動きを止めず歩き始めた。
人間には興味がないのだろう。
モルズの冷たい対応にもめげず、声の主はモルズの前まで回り込んで言った。
「あなたにとって良い話があるんです!」
無視。
「あなたは傭兵さんですね?」
モルズの返事を待たず、勝手に話し始めた。
「……」
「更に! お金がないとお見受けできます!」
モルズの沈黙を肯定と捉えたのか、更に話を進めていく。
「失礼だな」
流石のモルズもこの言われようには我慢ならず、口を開いた。
失礼な勧誘者は「してやったり」と口角を吊り上げた。
モルズが失策だったと悟ってももう遅い。
「そんなあなたにオススメ! 傭兵組合に加入しませんか?」
モルズにずいっと顔を寄せる。
「結構だ。それと、勧誘するならまず自分の身分を明かせ」
今さら組織に属し、縛られるのは嫌だった。
「はっ!? 失礼いたしました! 私は傭兵組合のスカウト、レイと申します!」
レイは勢いよく頭を下げた。
「傭兵組合への加入がダメなら、契約はいかがですか?」
取り付く島もない、といった様子で断ったモルズだったが、レイはまだ追い縋る。
「契約?」
興味を持ったモルズに隙を見出し、レイは更なる勢いを以てモルズに詰め寄る。
「はい! 期間を決めての契約で、内容は様々ですが、各人の能力に合った内容を提案します。報酬も働きに見合ったものが渡されますよ!」
「しがらみは?」
モルズは「期間を決めての契約」というところに興味を惹かれ、詳細を尋ねる。
「ありません! その代わり、組合からの支援も受けられませんが」
だから、傭兵組合と契約を結ぶだけという傭兵は少ない。いざという時の支援に期待できないからだ。
「ふむ……その話、受けても良い。案内してくれ」
モルズには金が必要だった。
「本当ですか!?」
「嘘じゃない」
レイは鼻歌を歌い始め、意気揚々とモルズを傭兵組合まで案内する。
「魔獣が寄ってきたらどうするんだ」
「はわっ!? そうですね!」
そんな一幕も交えながら。
歩きながらモルズとレイは互いに情報交換する。
「そういえば、傭兵組合って何のための組織なんだ?」
「それはですね……と、その前に! あなたのお名前を教えてくれませんか?」
相手に名を求めたのなら、自分も名を明かす。当然のことなのに、モルズはすっかり忘れていた。
「モルズ」
「モルズさん……ですね。それでは、傭兵組合についてお教えいたしましょう!」
やけに芝居がかった大仰な動作の後、レイが傭兵組合について語り始める。
「傭兵組合は、ここクライシスで魔獣に対抗するために作られたんです。魔獣は数と力で人間を上回っていましたから、組織力が必要でした」
「ん?」
モルズが疑問を感じ、声を上げた。
「どうしました?」
「いや、俺は国が戦力を出し合っていると聞いていた」
「そうなんですよ! はじめは傭兵だけでクライシスを守っていたのですが、今では他国の騎士団が守っているのです」
「へぇ」
「今の傭兵組合は、騎士団の手が及ばないところの魔獣の被害を抑える役割を担っています」
「ふむ」
そろそろモルズが魔獣を皆殺しにした地帯を抜ける。
モルズは魔獣への警戒を高めた。
「私からはお話ししたので、次はモルズさんですね!」
「得意武器は、見て分かるように短剣だ」
モルズはちょうど近くを通りかかった魔獣をロックオン。
滑るように体を動かし、魔獣の喉笛を掻っ切った。
「……とまあ、こんな感じの戦い方が多い」
「わぁ! お強いですね」
はしゃぐレイ。勧誘した相手が強いと、スカウトとしても嬉しいのだろうか。モルズは少し首を傾げながらも、先導するレイに従って戦地を進んでいく。
「――静かに」
こちらへ近づいてくる魔獣の群れ。数は十体ほどだろうか。それほど強くない。
相手にするのは簡単だが、傭兵組合に辿り着くまでそれを繰り返すのは骨が折れる。
レイも魔獣の接近に気がついたのか、口を閉じた。
「……こっちです」
レイが小声でモルズに伝えた。モルズは小さく頷く。
音を立てないよう細心の注意を払い、モルズたちは素早くこの場を立ち去った。
「ふぅ、もう良いかな」
魔獣が別の方向に行くのを確認し、モルズたちは一息つく。それでも足は止めず、前へ進んでいった。
「これは……」
街。今までそれらしきものは見なかったが、ちゃんと存在していたのか。
「はい、見えてきましたね。もうすぐ、クライシスに着きますよ」
「クライシス?」
クライシスは国の名前のはずだが。そう、モルズが疑問の声を上げると、レイが説明を始めた。
「はい! 私たちが生活するのはほぼ街の中だけなので、国の名前がそのまま街の名前になっているのです」
「なるほど」
かつて国だった場所。今、そのほとんどは魔獣が闊歩する戦地へと変貌した。
人が安全に暮らせる場所を確保するのはかつてと比べて遥かに難しく、一つの街を守るのにも手一杯。
土を踏みしめる音が変化する。整備されていない戦地の土から、整備こそされていないが多くの人によって踏み固められた土へ。
たったそれだけの変化だが、モルズは街にやって来たことを実感した。
「ここです」
街の入り口に差し掛かり、レイが足を止める。
「――ようこそ、クライシスへ」
1月中に続きを出せそうにないです。ごゆるりとお待ちくださいませ。
引きずり出したい相手
レイがモルズを連れて最初に向かったのは、街の中央にある大きな建物だった。
道を歩きながら、モルズは興味深そうに辺りを見回す。
この環境のせいか、砂ぼこりが舞っていて視界が悪い。
道を行き交う人々は、剣や槍などを持って武装していた。傭兵か騎士だろう。
建物は手入れが行き届いているとは言いづらかった。建物の手入れを行える人材が不足しているのか。それでも、廃墟をそのまま使っているようには見えなかった。
街は特別綺麗なわけではないが、そこで暮らす人々には活気が満ち溢れている。
「良い街だ」
数々の街を渡り歩いてきたモルズから、ぽつりとそんな言葉がこぼれた。
「でしょう?」
レイも誇らしげだ。自身が住んでいる街が褒められて嬉しいのだろう。
大通りに出た。往来の人々の数もさらに増え、場合によってはすれ違うのも困難になる。
この光景だけ見れば、傭兵が多く立ち寄る他の街と同じだ。だが、細かいところまで注視すれば、他の街より行き交う傭兵のレベルが数段階上であることが分かる。魔獣の駆除を求められた結果だ。
大通りを真っすぐ進めば、すぐに傭兵組合の建物に着いた。
「……ここが」
赤いレンガ造りの大きな建物。砂ぼこりで少し汚れているが、レンガ自体は新品同様でひび一つ入っていない。
出入り口は二つあり、モルズが案内されたのは右側の方だった。
「この建物は、騎士団の方と共用しています。私たちの出入り口はこっちですよ」
左右の出入り口に目に見て分かる違いはない。それぞれの出入り口に、「傭兵組合」「各国騎士団」と書かれた立て札が立っていた。
モルズはレイに着いて歩き、傭兵組合の建物の扉をくぐる。そのまま、とある部屋に案内された。
部屋に着くとレイは懐から紙とペンを取り出し、モルズに椅子に座るよう促した。レイはモルズの対面に座る。
「こちら、契約書になります」
そう言って、レイはモルズに紙とペンを差し出した。
「依頼したい内容は担当区域の魔獣の排除。大体針鰐ほどの強さのものが銀貨十二枚、血狼ほどで金貨一枚になります。それ以下の魔獣は一律で銀貨四枚。これより強いものは滅多に出ませんが、出た場合は危険度に応じた額を進呈します。
死体はそのまま放置してもらって構いません。一日に一回、こちらの職員が回収に向かいます。その時に報酬額を確認するので、報酬は担当の方々の間での山分けになります」
レイの口から説明される内容を聞きつつ、相違はないか確認する。
契約書の中に自身にとって不利になる条件が書いてないか。見落としたら大変だ。
「良ければ代筆も行いますよ?」
書類を見て唸るモルズを見て、レイがモルズに言った。
「いや、大丈夫だ」
これまで、モルズは数々の商人たちの依頼を受けてきた。その過程で文字の読み書きを習得している。
契約書に署名した。
「……はい、ありがとうございます」
レイは契約書に折り目を付けないよう注意しながら、契約書を自分の方へ引き寄せた。
「モルズさんの担当区域はB-7、最前線の一つ手前になります」
「分かった。今すぐ行きたいところだが、あいにく腹が減っていてな。おすすめの店はあるか?」
「もちろん。案内しますよ。ちょうど、私もお腹が空いていたところですし。少々お待ちください」
レイは契約書を|懐《ふところ》に収め、立ち上がった。そのまま部屋を出て、上の階に上がっていく。
一分後、レイが戻ってきた。
レイが階段を下りる気配を感じ、モルズは立ち上がる。
古びた建物を出て、真新しい建物が並ぶ街へ出た。
レイはまるで自分の庭であるかのようにクライシスの街に詳しかった。人で混雑している大通りを避け、裏路地を駆使して目的地を目指す。
何度道を曲がったことか。進んでいる方向は把握できても、通った道は覚えていない。
「はい、着きました!」
レイが案内したのは、多くの傭兵でにぎわう串焼き屋だった。
今はお昼時を過ぎた時間帯。席に空きがあり、モルズとレイはすぐに席につくことができた。
「串焼き、塩、大盛りでお願いしまーす!」
入店早々の注文。しかも大盛り。
「お待たせしました! 串焼き(塩)、大盛りです!」
大皿と共に店員が現れ、伝票を置いて去っていく。
ごくり。モルズは唾を飲んだ。
「いっただっきまーす!」
元気よく手を合わせたレイは、早速串焼きにかぶりつく。
「う〜ん」
唸り声を上げ、一本食べ終わるとまた一本、と手を伸ばしていった。
モルズも串に手を伸ばす。
湯気を上げる串焼きを一気に頬張った。
「……!」
声にならない声が漏れる。
噛む度に溢れる肉汁。口の中を火傷しそうになりながらも、それを飲み込む。
――脂が旨い。
肉が柔らかい。店長の腕が良いのだろう。薄利多売で利益を得ているとおぼしき店で、ここまで感動するものを食べられたのは久しぶりだ。
モルズは無言で次の串に手を伸ばす。
肉の焼き加減が絶妙だ。
「ふぅ……」
結局、一息つけたのはモルズが五本目の串焼きを食べてからだった。
水を一口飲み、串焼きを求める体を落ち着ける。
モルズは少し冷静になった頭で、辺りを見渡してみた。
今日は休日なのか、仲間と酒を飲み交わす者たち。机の上には酒の空き瓶がいくつも転がり、羽目を外したのだと推察できる。
金欠なのか、一つの大皿を仲間でちまちまつついている者たち。四人で大皿一つは少ない。美味しい串焼きに目を輝かせ、それを心ゆくまで食べることのできない自らの懐具合に肩を落とす。
「なあ、聞いたか?」
ふと、隣のテーブルから聞こえてきた話。
耳が暇になったモルズは、何の気なしにその話に耳を傾けた。
「魔王のことか?」
「ああ、そうだ」
酔っているのか、少し滑舌が悪い。
「にしても、眉唾だよな」
笑い混じりに続けられた言葉に、モルズは目を見開く。
「――魔王を倒せば、全ての魔獣が死ぬなんて」
魔獣の皆殺しを目標に掲げるモルズにとって、それはまさに青天の霹靂。
「だよな、おとぎ話かよってんだ」
「がっははは!」
「……! 信憑性……いや、魔王はここにあれだけの魔獣を呼び出してる、確実に何かで繋がってるはず」
今すぐ飛び出そうとする体を押さえ、今までで一番頭を回転させる。時間はかけていられない。モルズには、この衝動を長時間抑える術はなかった。
「……」
レイも黙って物思いにふけっていた。
驚愕、動揺、懐疑。様々な感情がないまぜになった、なんとも言えない表情。
こちらは思考が言葉になって表れることはなく、本人以外には何を考えているのか分からない。
「魔王の存在こそ眉唾か? 姿を見た者は誰もいないと聞く。となると、魔王をここまで引きずり出す策が必要だ」
最初に出した声明以外、魔王は表舞台に姿を現していない。何が起ころうとも出てこない可能性すらある。
「あんなことを宣言したやつが、劣勢になると縮こまるなんてことはないか」
串焼きをかじりながら、モルズは自身の考えを検証していく。
人類への逆襲を謳った魔王。あの傲岸不遜な物言いは、自信がある故のものだろうか。 あの言葉からは、劣勢になった途端に逃げ出す小心者の気配は感じられなかった。
ほぼ確実に、魔王軍が壊滅寸前まで追い込まれれば出てくる。
ならば、モルズが取るべき選択は。
「今まで通り、魔獣を殺す」
串焼きを三本同時に頬張りながら、モルズは言った。
「私もお供しますよ」
いつの間にか思考を終えていたレイが、モルズに微笑みかけた。
「……」
いつの間にか考えが口に出ていたらしい。モルズは少し恥ずかしさを覚え、レイの言葉に返答することができなかった。
「……食うか」
モルズは少し冷めて適温となった串焼きを指差した。
「そうですね」
長らくお待たせしました。本日より、投稿再開です。更新は4日に一度となります。
強者と弱者
モルズの蹴りで魔獣が吹き飛ぶ。
あの後、レイの案内でモルズは自身の担当区域に向かっていた。
並の人間では追いつけない速度で疾走するモルズに、涼しい顔で着いていくレイ。揃って異常な二人だった。
「進路をもう少し右へ!」
背後から追い縋る魔獣を歯牙にもかけず、レイとモルズは戦場を駆け抜ける。
「分かった」
レイの指示に従い、進路を変更する。
なぜ、目印となる物がほとんどないこんなところでまともに道案内ができるのか。
モルズに追従できる脚力は一体どうしたのか。
はじめこそ疑問が尽きなかったが、今のモルズは黙ってレイに従うようになっていた。考えるのを諦めたとも言える。
「九時の方向より、魔獣の群れが接近しています。警戒を!」
「分かってる」
モルズは苛立たしげに答えた。向かってくる魔獣を殲滅できないのが我慢ならないらしい。レイの手前、急に立ち止まって戦い始めることがないように気をつけている故、余計に。
「いけるか?」
「はい」
短い問答。レイの承諾の後、モルズが速度を上げる。レイも同様に速度を上げ、未だ追い縋る魔獣を振り切った。
「お前、強いよな。戦わないのか?」
魔獣の攻撃を避けながら、モルズはレイに問いかけた。
あれだけの速度が出せるのだ。身体能力としては、並みの傭兵を凌ぐはず。
「私には、前線で戦い続けるより、誰かの助けになる方が性に合っているのです」
「そうか。まあ、事務方の業務だとしても、ある程度の力はいるだろうしな」
その最たる例が今の状況。クライシスに来たばかりで右も左も分からない傭兵を、前線まで案内する仕事。ある程度の力を持たなければ務まるまい。
「さて、着きましたよ」
レイが指差したのは、死屍累々といった言葉がふさわしい死の大地。魔獣の死体が積み上がり、傭兵の死体がそこかしこに転がる。
「すみません。回収の頻度が追いついていませんもので」
転がる死体を見やりながらレイが告げた。
回収し切れずに地面に散らばった装備を見て、ここで戦う傭兵の戦力を推し量る。――モルズと肩を並べて戦える程度。
身につけていた者が装備に見合う実力者だったならば、ここは名のある者でも命が危ない戦場。まさに死の大地。
そんな様子を目の当たりにして――
モルズは、己の戦意の昂りを感じた。
短剣を抜いて、軽く素振りをする。問題なし。それどころか、昼食でエネルギーを補給した分先ほどより調子が良い。
モルズたちに気がついた魔獣が吠える。数秒後、遠くから駆けてくる足音がモルズの耳に届いた。
そのまま仲間を待てば良いものを、魔獣は無謀にもモルズに捨て身の攻撃を仕掛ける。
その動きには迷いがない。
純粋な殺意。
常人なら足がすくんでしまうような迫力の攻撃を前に、モルズの思考は依然として冷静なまま。
――右。
魔獣の攻撃を見切り、首筋に致命的な一撃を叩き込む。
ほどなくして、魔獣は息絶えた。
赤い毛皮。美しい、というよりは禍々しいといった赤。
濁った赤黒い瞳が、光を失ってもなおモルズを|睨《ね》めつける。
「血狼か」
厄介だ、と言わんばかりの苦々しげな表情。
駆けつけつつある魔獣は、全てが血狼。数は、およそ五体。
生半可な態度で臨めば、死ぬ。
――血狼が姿を現した。数はモルズが感知した通り、五体。
仲間の死体を踏みつけ、モルズと対峙する。
モルズと血狼の視線がぶつかった。
お互い、相手の隙を探る。
ざり、と土を踏みしめる音。
読み合いに耐えかね、最初に動いたのは血狼だった。一拍遅れてモルズも動き出す。
五体が一斉にモルズに飛びかかる。
だが、接触の瞬間にモルズに触れたのは一体だけだった。他の四体は走る距離や速さを微妙に変え、モルズと接触するタイミングをずらしていたのだ。
ずらしたといっても一瞬のこと。最初の一体の攻撃が繰り出された次の瞬間には、二体目、三体目の攻撃が届く。
運の悪いことに、モルズが初めに迎え撃とうとした相手は、四番目に到達する血狼だった。
肩透かしを食らった気分になりながらも、モルズは一体目の攻撃に短剣を合わせる。
一体目の攻撃を弾いた。力加減や角度を上手く調整し、二体目の攻撃に当てる。
三体目の攻撃を、体をひねることで紙一重で躱した。
攻撃を躱したモルズに、四体目の爪が迫る。体と爪の間に短剣を滑り込ませ、間一髪のところで逸らした。金属と爪がぶつかり、不快な音を奏でる。
四体目の反対側から、五体目が現れた。
モルズは回避直後。短剣は血狼の反対側。避けようもなく、受け流すこともできない。
ようやく傷を与えられそうだと、血狼の顔が喜悦に歪む。口が大きく開いた。
モルズは足を大きく振り上げ、血狼の顎をかち上げた。
自身の思わぬところで強引に口が閉じられ、血狼が情けない悲鳴を漏らす。その際に少し暴れ、爪がモルズの肌を薄く切り裂いた。
血狼の気が逸れた隙に、モルズが体勢を立て直し、短剣を振るう。短剣は血狼の首筋に深々と突き立ち、血狼から血が噴き出した。
まずは、一体。
一度大きく距離を取り、状況をリセットする。間髪入れずに大きく踏み込み、呆気に取られる四体目の首筋を切り裂いた。
これで、二体。
モルズの接近に気がついた一体目が爪を振るう。モルズは避けて速度が落ちるのを嫌い、首を軽くひねって致命傷を避けるのみに留める。顔に浅い切り傷ができた。
短剣を血狼の腹に突き立て、内臓を縦に切り裂いた。
残り、二体。
血狼を切り裂くモルズの足に噛みついてやろうと、二体目が口を開く。
モルズは腰をひねり、その勢いを切っ先に乗せて血狼の喉に穴を空けた。
あと、一体。
残った三体目はくずおれる二体目の爪に運悪く巻き込まれ、胸に風穴が空いて死んだ。
――これにて、血狼討伐完了。
短剣を軽く振り、血を払う。
「わあ、すごいですね!」
足元の魔獣を片手で縊りながら、レイは言った。
「そうか? お前も大概だろう」
レイにとって戦闘とも呼べない行為。その中に一瞬だけ見えたレイの実力。それなり以上ではあるモルズに並ぶほどに見えた。
「それよりも。また、来てますよ?」
「ああ、全く。休まらないな」
騒ぎを聞きつけた魔獣の群れが、モルズたちの方へ向かってきていた。
群れの中で一番強い個体でも血狼以下。その代わり、数は多い。
――その数、およそ五十ほど。
モルズは、短剣を持って飛び出した。
魔獣の群れに突っ込み、内側から撹乱する。
初めはわけも分からず斬られていた魔獣だが、内側に|モルズ《侵入者》がいると気づくと攻撃を始めた。歯、爪、はたまた別の器官。モルズを殺すために繰り出される一撃を避け、弾き、躱し、いなして、群れを内側から破壊する。
――魔獣の爪が掠った。前足を根元から断ち切ってやった。
――魔獣の息が腕にかかった。隙だらけの口の中に短剣をねじ込んでやった。
――全身に凶器を生やした魔獣が突撃してきた。突撃を躱すと、複数の魔獣に針が刺さっていた。
全身に数え切れないほどの切り傷、打ち身を作りながらも、モルズは魔獣を殲滅する。
魔獣は寄せ集めの集団だった。血狼より遥かに弱い。知能もない。各個撃破するのは簡単だった。
「はあ……はぁ」
肩で大きく息をする。モルズの周囲に魔獣の姿はなく、全てが死体となって地面に積み重なっていた。
レイの周辺にも、いくつか魔獣の死体がある。モルズの戦闘音を聞きつけて寄ってきたのかもしれない。
「……帰らないのか?」
ここまで案内してくれたし、あれだけ強いのだが、それでもレイは事務方の仕事。帰ってやるべきことがあるだろうと、レイに声を掛ける。
「はい。初日ですし、最後まで見守ろうかと。本日の業務も終わっていますし」
「そうか。死なないように……は大丈夫か」
有象無象の相手ではレイに傷を与えることが精一杯だろう。それも、十体単位の群れでやってきてようやくだ。
「ご武運をお祈りしております」
「ああ」
モルズは力強く返し、再びやってきた魔獣の相手を始めた。
◆
魔獣の死骸が積み重なっている。
モルズが魔獣の群れの相手をすること、十回。モルズがその手でとどめを刺した魔獣は、二百五十体ほど。
魔獣の集まりが悪くなったため、五回目以降からは場所を少しずつ移しながら戦った。
「はあ……」
次の魔獣がやって来るまでの僅かな時間。モルズは立ち止まって息を整え、可能な限り体力を回復させている。
それでも、あと一度群れと戦えば限界が来そうなほどの体力しか残っていなかった。街に戻るまでの道のりでも戦闘が発生することを考慮すれば、ここらが引き時。
「……そろそろ帰ろうかと思う」
「ええ。相当お疲れのご様子ですし、そうした方が賢明だと思いますよ」
戦闘のほとんどはモルズが担っていたとはいえ、まだ十分に体力を残していそうなレイが言った。
「案内を頼む」
魔獣の死体を除き、辺りには目印となるものが何もない。死体の多いところを辿り、レイに連れてきてもらった地点に戻ることはできるだろうが、その先に進むのは無理だ。
「任せてください」
レイは自信満々だ。実際、ここまで連れてきた実績があるのだから、能力は疑うべくもない。
レイがモルズを先導する。
クライシスに戻るためにはただ直進すれば良いだけのはずだが、なぜか右に曲がったり左に曲がったり、時には戻ったりしながら進む。
「なあ、なぜこんな回り道を?」
「モルズさんはお疲れでしょうから、魔獣の少ないところを通っていこうかと」
レイの言葉の通り、ここまで一度も魔獣との戦闘は発生していなかった。それどころか、見かけた魔獣の数は片手の指で数えられる程度。
「実は、魔獣の密度にムラがあるんですよ」
レイは、魔獣の少ないところをほぼ全て把握しているのだとか。
「まあ、そんなところは無数と言って良いほどたくさんありますし、そこだけを選んで通るのは大変なので、オススメはできませんが!」
そう言ったレイの言葉には、戦場を案内できることへの誇りが滲んでいた。
レイが歩く道を、モルズは後ろにぴったり着いて歩く。
「なんでそんなに真後ろを歩くんですか?」
「ん、いや……」
レイと横並びで歩いていた時、一度モルズたちに気がついた魔獣に襲われかけたことがあった。そう話すと、
「ああ! あれですか。あれは私も悪かったんですよ。続く道との兼ね合いで、移動距離が短くなるように歩いていたら安全圏ぎりぎりになってしまって。もう大丈夫ですよ、次からはぎりぎりにならないように気をつけますから」
レイは申し訳無さそうにモルズに言った。
その言葉の通り、モルズたちが魔獣を見かけても、もう魔獣は彼らに気がつくことはなかった。
「もう少しですよ」
何度も回り道をして本来の距離の何倍も歩いたが、そろそろクライシスに着くらしい。一度も接敵がなかったおかげだろう、行く道に比べ体力の損耗が格段に少なかった。
「はい、着きました」
最後、残った道を真っすぐ進み、クライシスに到着。
レイ曰く、ここは魔獣の密度が小さい場所の中でも最大の空白地帯らしい。
「それでは、明日、傭兵組合までお越しくださ――」
い、とレイが言い切る直前。
「よう、レイ! 久しいな!」
現れた男がモルズの体に影を落とす。
服の上からでも分かる筋肉。それを十全に扱える体格。体の大きさに比例し、大きな声。
「呼び捨てにしないでください」
大切な出会い
「がっははは! 相変わらず手厳しいなぁ、レイは」
「あなたが戦場から出てくるなんて珍しいですね、グノン」
グノンと呼ばれた男は、何が面白いのかまた笑った。
「がはは! 食料の補給に来た!」
「そうですか。では、一ヶ月分の報酬も忘れずお受け取りくださいね。|傭兵組合《ウチ》は金庫ではないので」
なんと、この男、一ヶ月も報酬を受け取っていなかったらしい。
「おう! そうさせてもらうぜ。ちょうど金が足らんかったんだ」
「では、お引き取りください」
「じゃあな、レイ。……おん? そっちの兄ちゃんは?」
そのまま去っていくかに思われたグノンだったが、去り際にモルズが目に留まり、声を掛けた。
――厄介なやつに目を付けられた。
こういう手合いに絡まれたら、引き剥がすのは大変だ。自分がどれだけ距離を置きたくても、ほとんどの場合相手はそれを考慮してくれない。
「新規の方ですよ。では」
レイはモルズの腕を引き、勢いのままこの場から立ち去ろうとした。が、モルズを「新規」だと紹介したのがまずかった。
会話の取っ掛かりを得たグノンがモルズに話し掛ける。
「ほー! ということはクライシスに来たばかりか? 俺が案内してやろ――」
「結構です。私が案内しますから」
レイはグノンの言葉に被せるように言い、今度こそこの場から立ち去った。
◆
「ありがとな」
「いえ、礼には及びません」
モルズは、じゃあな、と言って立ち去ろうとする。その背中をレイが呼び止めた。
「良ければ、クライシスを案内しますよ」
「良いのか?」
モルズは、レイがあの状況を切り抜けるために言った方便だと思っていた。
「はい。一度言ったことですし。……それに、またあの男に出くわしたら色々問い詰められて面倒でしょう?」
後半部分は声を潜めて言った。
「そうだな」
「案内」の名目で連れ出され、出身やここに来た目的、戦闘スタイルについて根掘り葉掘り聞かれるに違いない。それに加え、なぜ嘘をついたのか聞かれるのも想像に難くなかった。
「なので、案内しますよ。さて、まずはここから!」
レイは辺りを手で示した。鍛冶場や武器屋が多く、武器を新調する傭兵で賑わっている。
「ここは鍛冶場が多い区域です。戦いに行くのにも近いので、新しい武器の試し切りにも行きやすいですよ」
レイは表通りの店をいくつか案内した。
「このお店はシンプルで質の良い武器を多く扱っています。珍しい武器でなければ、ここで買うのがオススメです」
モルズは店頭に並ぶいくつかの剣を見た。試し切りをすることはできなかったが、持ってみた限り使いやすそうな剣だった。癖がない。
「この鍛冶場は、お客さんは少ないですが鍛冶師の腕は確かです」
レイが最後に案内した店は、裏路地に入って少し歩いた場所にあった。
表通りに人が集中しているのか、裏路地には人がいなかった。モルズの目に見える範囲では、誰も。
「なんじゃ、レイ! 店に入った瞬間失礼な!」
奥から野太い声が響く。至極当然の抗議だった。
「スミスさん、ごめんなさい!」
レイは声を張り上げた。
「おう! 分かったなら良し!」
このやり取りだけで、レイとスミスがかなり親しいことが分かる。
「この人は?」
「スミスさんです。ここの店主で、腕の良い鍛冶師です」
そんな会話をしている内に、店の奥からスミスが出てきた。
「久しぶりやのう! どったんじゃレイ、恋人でも連れてきたか!」
強烈な爆弾を添えて。
「うぇ!? いや、そんなわけありません! 第一、私と彼は出会ったばかりです!」
狼狽するレイ。
スミスはそんなレイの様子を見て勢いづく。その表情にからかうような色が混ざった。
「ほーん、怪しいの……まあ、儂はどちらでもええんじゃが。それで、レイ、ここに来た目的は何や?」
からかうようなその態度に反して、スミスはあっさり引き下がった。
「別に、特に目的はありませんよ。ただ、モルズさんに……そこの彼に、この街の案内をしているだけです」
「ほー、てことは新入りか。よろしくの、坊主」
「よろしく、スミス。あと、俺は坊主なんて年じゃないんだが」
モルズのささやかな抗議。
「ほっほっほ! よろしくな」
モルズの発言の後半部分を華麗にスルーし、スミスは話を締める。
「ほんじゃまたの!」
何やらやらなければならないことがあるらしく、鍛冶場に戻っていった。
「……嵐のような人だった」
モルズがしみじみと言った。静けさを噛み締めている。
「はい。本当に。いつも大変ですよ」
レイが静かに言った。先ほどまで賑やかな人物に振り回されていたせいか、全てのものが大人しく見える。
「そのわりには楽しそうだったが」
スミスと話している間、レイは今までモルズに見せていたものと違う一面を覗かせていた。
出会って一日足らずの相手だから、知っていることより知らないことの方が多い。けれど、そんなモルズにも、レイは活き活きとしているように見えた。
「……」
「……」
お互い無言の時間が続く。レイはどう答えようか迷っているのだろうか。黙り込んでしまったレイに、モルズはどんな言葉を掛ければ良いか分からない。
「……行きますか」
◆
レイが次に案内したのは、飲食店が多く立ち並ぶ区域だった。
「表のお店は大体安めの値段設定がしてあります」
そのためだろう、夕飯時が近づいていることもあり、どの店も多くの客で賑わっていた。
「携帯食料はこのお店がオススメです」
そう言ってレイが案内したのは、出入り口が大きく取られた店だった。
携帯食料。食料の補給。嫌な予感がモルズの脳裏をよぎる。
「よう! レイ……とモルズ、だったか?」
店から出てきたグノンが、モルズたちに向かって片手を挙げた。その手には大きな袋が提げられており、どれだけの買い物をしたのかうかがわせる。
見つかった。
「さっきぶりですね、グノン」
レイはそっけなく返し、早くグノンとの会話を終わらせようと試みる。
「案内の途中か? 本当は俺も同行したいところだが、あいにくこんな荷物だとな!」
グノンはモルズたちに同行したがったが、手荷物を理由に辞退した。
「そうですか。それでは」
レイはグノンの脇を通り過ぎて店内に入ろうとする。グノンとすれ違った。
モルズもレイに着いていく。グノンと長時間顔を合わせるのはしんどそうだった。携帯食料を買っておきたかったのもある。
「お! 携帯食料を買うのか? どれ、俺がオススメのやつでも――」
「はぁ……好きにしてください」
レイは諦めたようにため息をついた。もう勝手にしろ、といった響きだった。
店に入るモルズとグノンを無言で見送る。モルズは視線でレイに助けを求めたが、レイはそれを無視した。
「安くてちゃんと栄養が摂れるものはあるか?」
人にものを教えてもらうのだ。相応の態度というものがある。嫌々教えてもらうよりかは、自分の要望を伝え、知りたいことを教えてもらう方がよほど良い。
そう自分を慰め、思考を前向きな方向に切り替える。
「む! そうだな、それでいてまともに食えるものと言えばこれだ」
「分かった。これにする。ありがとう」
グノンはある携帯食料を指差した。簡素な包みだ。
モルズはそれを手に取り、会計に進む。取り敢えず、明日の分だけ。明日試しに食べてみて、継続購入するか決める。
「あいよ。銀貨一枚だ」
銀貨一枚を店主に手渡し、携帯食料を懐に収める。
「ありがとよ!」
店主のお決まりのセリフを背中に浴びながら、モルズは店を後にした。
◆
「終わりましたか?」
「ああ」
グノンは再度入店したらまた気になったものがあったらしく、買い物を続けている。
既にかなりの量を買い込んでいるはずだ。一日三食全てを携帯食料で済ませるつもりなのか。
「では、行きましょう」
グノンが出てくる前に、と続きそうな言い方。
ちょうど夕食の時間だ。辺りは仕事を終えた傭兵でごった返している。
打ち上げでもするのか、やたら楽しそうな集団とすれ違った。
人にもみくちゃにされながら、モルズとレイはこの区域の外を目指した。ここに人が集まっているのだから、他の場所はむしろいつもより人が少ないはず。
「ぷはぁ!」
人混みから抜け出し、レイが息を吐き出す。人の熱気で息が詰まりそうだった。
「……ここ」
日中、レイに案内してもらった傭兵組合だ。騎士団と共用しているという。
「そうです、ここはちょうどクライシスの中心。その分人の行き来は多いですが、今は……」
人混みという言葉からかけ離れた状態。
日が傾き始め、多くの人は夕食か帰宅を選んでいる。そのため、外を出歩く人は少ない。
しゃがみ込んで床材の観察をすることもできそうだった。
「もう夜ですね」
「そうだな。……あ」
ここで、モルズは重大なことに気がついた。
「宿、取ってない」
「わわ!? そうですね、急いで取りましょう、お手伝いします!」
この時間となれば、大抵の人は宿泊の手続きを済ませているはず。完全に出遅れる形となったモルズでは、今から泊まれる宿を探すのは大変だ。
「いや、大丈夫だ」
大変だとはいえ、ここまでレイを連れ回すのは気が引けた。
モルズもこれまで色々な街で宿を取ってきた身、宿の取り方ぐらいは心得ている。
が、そもそも空いていないとなれば話は別。
行く先々の宿は既に満員となっていた。
空き部屋がないかと受付の人に聞けば、返ってくるのは「満室」の一言だけ。外に「満室」の札を下げているところまであった。
「いっそ徹夜するか?」
泊まれるところがないのなら、その選択はアリだ。体の疲れは明日に残るだろうが、泊まれるところがないのだから仕方ない。
モルズが徹夜する決心を固めかけた、その時。
目の前の宿から店員が出てくる。その宿は「満室」の札がかかっていたが故に素通りした宿だった。
店員が札を裏返し「空室あり」にする。その様子を見て、モルズは店員に声を掛けた。
「空いてるか?」
「はい! 宿泊をご希望のお客様ですか?」
店員は突然声を掛けてきたモルズに面食らった様子だったが、すぐにモルズに対応した。さすがプロといったところだろう。
「ああ」
「今空いている部屋ですと、素泊まりで銀貨十枚、朝食付きで銀貨十五枚、三食付で金貨一枚となります。宿泊のお手続きは受付でお願いいたします」
「分かった。ありがとう」
店員に軽く礼を言い、モルズは宿屋の中に入る。
新しく宿泊の手続きをする人がいないせいか、受付にモルズ以外の客の姿は見られなかった。
「宿泊を希望する」
受付で端的に用件を告げる。
「あいよ。素泊まりは銀貨十枚、朝食付きで銀貨十ご――」
先ほども聞いた説明。
銀貨十枚をごとりとカウンターに置き、
「素泊まりだ」
あらかじめ決めておいた答えを言った。
モルズの場合、食事は三食全て外食か携帯食料で済ませる。宿に食事が付いてくるメリットは薄い。有料のサービスならば、選択しないのは当然のことだった。
「あいよ。鍵」
受付は手元の書類に必要事項をさらさらと記入した後、鍵を手渡す。
「ありがとう」
モルズは鍵に書かれた番号と立ち並ぶ扉の番号を照らし合わせ、目的の部屋に向かう。
どの部屋にも明かりがついており、誰かが中にいることを感じさせた。
「ここか」
明かりのついていない部屋を見つけ、そこの部屋番号と鍵の番号を確認する――同じだ。
手元で|弄《もてあそ》んでいた鍵を使い、扉を解錠する。
部屋に入った途端に睡魔が襲ってきた。今日一日の疲れ、それ以前に取り切れていなかった疲れ、色々な疲れが溜まっている。
荷物を置くのも、明かりをつけるのも億劫だ。が、このままベッドに倒れ込むわけにはいかない。
僅かに残った活力をかき集め、腰にぶら下げた革袋、短剣などを外し、枕元に置く。靴を脱いでベッドに寝転がった。
「……」
部屋が真っ暗なことも関係しているのか、眠気が一気に押し寄せてきた。
やり残したことはない。眠気に抗うのをやめ、モルズは眠りに落ちた。
戦況の変化
モルズにあたたかな朝日が照り注ぐ。
それに促されるように、モルズの意識が緩やかに浮上した。
「ふわぁ……っ」
大きくあくびをして、寝起きでぼんやりする頭を覚醒させる。
日の光によってぼんやりと照らされた部屋の中で、モルズが活動を開始した。
枕元に置いていた短剣の状態を軽く確認する。錆もなく、刃こぼれもない。状態は極めて良好。
荷物を全て身につけ、部屋に忘れ物がないか点検する。モルズが室内で動いた範囲は狭かったため、すぐに終わった。
外に出て、部屋の扉に鍵を掛ける。
昨日とは打って変わって、中に人の気配がない部屋がぽつりぽつりと見られるようになっていた。朝になって宿を引き払った者がいるのだろう。
「ありがとよ」
受付に鍵を返却し、宿を出た。
その足で傭兵組合に出向く。昨日、レイに来いと言われていたからだ。
「あ、モルズさん! いらっしゃったんですね」
大きいという言葉では表し切れないほどの巨大なカゴ付の台車を押したレイが、モルズに声を掛けた。
「少々お待ちください」
カゴの中には魔獣の死体がいっぱいに積まれている。昨日、レイが言っていた死体回収だろう。
レイは台車がぎりぎり通れる大きさの入り口をくぐり、魔獣の死体をどこかに運び込んだ。
「お待たせしました!」
三十秒ほど過ぎたあと、レイがモルズの元へやってくる。
「B区域の受付はこちらになります」
モルズはたくさんの受付カウンターが並ぶところの一角、右側に設けられた受付に案内される。
「あとはよろしくお願いします」
受付嬢に|囁《ささや》くように言ったレイは、そのまま階段で上の階へ上がっていった。
「モルズだ。報酬を受け取りに来た」
「はい、モルズ様ですね。報酬は、金貨五十七枚と銀貨十二枚となっております。金貨五十枚以上の場合、小切手とすることも可能ですが、いかがなさいますか?」
金貨五十七枚。モルズは、まずその数字に驚いた。
モルズが二年間で貯めた金貨は二千枚弱。一ヶ月あたり八十枚と少しの計算になる。
その半分以上を一日で稼げてしまった。
「……金貨五十枚を、小切手で」
「はい、かしこまりました」
前の二千枚の時のように、モルズに貯金のための明確な目標があるわけでもない。たくさんの金貨を持ち歩けば、無駄遣いしてしまいそうだった。
「こちらになります」
金貨七枚と銀貨十六枚に、金貨五十枚分の小切手。受付嬢が言った額面と相違ないことを確認し、モルズは報酬を革袋に収めた。
「ありがとう」
「ありがとうございました!」
モルズと受付嬢の言葉が|被《かぶ》る。それに少しの気まずさを感じながら、モルズは傭兵組合を後にした。
「行くかな」
屋台で朝食を摂り、自身の担当区域へ出向く。昨日レイに案内してもらったため、およその位置は把握した。
昨日より僅かに密度を増した魔獣がモルズに押し寄せる。夜間、魔獣を狩る傭兵が少なかったからだろうか。
魔獣が爪を振るう。強引に距離を詰め、密着した。魔獣の爪は空を切るのみに留まる。短剣を首に押し当てるようにした。
動かなくなった魔獣を蹴り、後続の魔獣に対する盾とする。同時に、後ろへ下がった。
全体を把握し、どの魔獣から|殺《や》るか決める。
一体目。魔獣の体で視界が塞がれているところを一閃。
二体目。倒れた魔獣の体につまずき、転倒。そのまま後続に押しつぶされて死亡。
三体目。懐に飛び込み、腹部を突き刺す。
四体目、五体目、六体目。短剣を持った腕を振り抜く。一直線に並んでいたため、斬りやすかった。
七体目。腕を大きく振ったモルズに隙ありと判断したのか、モルズの背後に魔獣が迫る。モルズは足で魔獣の体を踏みつけ、動きを阻害した。短剣を投げつける。
八体目。体を低くして魔獣の股下を抜ける。未だ気がつかない魔獣の足元から腹をぐさり。
九体目。群れの中にいた魔獣が突然血を噴き出し、群れ全体に動揺が走る。短剣を構えたモルズは、隙だらけの魔獣を屠ろうと踏み込んだ。
短剣を振るう直前――嫌な予感、死の気配を感じる。
体が悲鳴を上げるのを無視し、後ろへ飛び退いた。
急な回避、隙だらけの姿勢。魔獣がモルズに群がろうとするも、それは阻まれる。
――魔獣の後方、衝撃波を引き連れた拳によって。
「がっははは! 大丈夫か!?」
人の頭すら通りそうな風穴を魔獣の体に開け、グノンは高らかに笑った。
「助けに入ってくれてどうもありがとう。俺は大丈夫だ」
下手すれば死んでいたこともあり、モルズは喧嘩腰に返した。
「そうか。それは良かった!」
やはり、遠回しな表現では伝わらない。
「じゃあな! 俺は先を急ぐ!」
そう言い放った後、土煙を立てて走り去っていった。――モルズがいる更にその先、最前線へ。
「何だったんだ」
突然現れ、突然去る。破壊を添えて。
まさしく暴風雨。
モルズは、余計にグノンのことが分からなくなった。
モルズと同じくグノンに意識を奪われていた魔獣。モルズは魔獣より先に我に返り、魔獣を睨みつけてにやりと笑った。
今なら、呆気にとられた魔獣を、視界内の魔獣を一掃できる。
モルズは、まず目の前の哀れな獲物に狙いを定めた。
◆
数分後。
視界内の魔獣を撫で斬りにしたモルズは、次の獲物を求めて戦場を歩いていた。
短剣を体の一部であるかのように操り、そばを通りかかった魔獣を切り伏せる。
そうしていた時だった。
「ぬぅ、おおおぉぉー!」
モルズの進む先から、雄叫びが聞こえた。
その声は、先ほど会った人物――グノンのものに酷似している。
モルズは声が聞こえた方向に意識を向けた。
戦闘中。グノンが若干劣勢。
グノンの助けとなるべく、モルズは全力で走り、グノンの元へ駆けつける。
そして、グノンと戦う《《人影》》へと切りかかった。
足の腱を切り裂く。
「グノン! 大丈夫、か?」
グノンの安否を確認するモルズの言葉は、最後に失速する。
『あ? 誰だ……!?』
グノンと対峙する人影の顔を、その姿を見て。
「俺と、同じ顔?」
他人の空似と言うには、あまりに似すぎていた。
『チッ……!』
驚愕、というよりは焦燥。
「よく分からんが、こっちが敵で良いんだよな!?」
敵を殴りながら、グノンがモルズに確認する。
「あ、ああ……」
自身と同じ顔をした相手を攻撃する。奇妙なことだが、|躊躇《ためら》ってはいられない。
敵がグノンの拳を受け流す。
どこからか灰色の長剣を取り出し、グノンの脇腹を狙った。
「させるか」
足元の石を拾い、投|擲《てき》。敵の手に当たり、狙いを逸らした。
敵は苛立たしげに顔を歪め、足を踏み鳴らす。
地面に衝撃が走った。
普通ならありえない現象に、モルズの思考に空白が挟まる。が、すぐに我に返り、これから起こる現象に備えた。
「下か!」
振動の発生源が近づいてくる。
モルズが上に跳んだのとほぼ同時、地面から灰色の棘が伸びた。
高度が足りず、両足が傷つく。
高く跳んだモルズは、現在無防備な状態。追撃されれば避けられない。
格好の的のはずだが、攻撃は来なかった。
あの能力にも、何か制約があるのだろう。
「その特異な力! 魔獣だな?」
ただの人間には、あんなことはできない。
「がはは! そんなこともできたのか!」
グノンの楽しそうな声が響く。敵が強い力を持っていることに、喜びを感じているようだった。
『御明察』
棘を地中に戻しながら、魔獣は言った。
『ただ』
上から落ちてきたモルズが、魔獣の頭に短剣を振り下ろす。
『俺たちは』
魔獣の頭がぐにゃりと歪み、モルズの攻撃は無効化される。
『理性を持っているんだ』
魔獣が腕を伸ばし、モルズの短剣を掴む。
『獣と同じにしないでくれ』
グノンが魔獣に突進する。モルズと距離を離され、さらにモルズが短剣を握り込んだことにより、魔獣は短剣を取り落とした。
『そうだな』
魔獣の体が縮む。グノンの股の下を通り抜け、背後から奇襲した。
グノンは獣じみた反射で魔獣の攻撃を捉え、拳を打ち込む。
魔獣は体内で衝撃を分散させ、拳は有効打とならない。
『ぐっ……』
だが。拳によって生まれた衝撃が、魔獣の体を揺さぶる。
数秒間、魔獣は身動きを取れない。
「決めろ!」
グノンが吠える。
グノンがどれだけ頑張っても、この魔獣の命には届かない。
衝撃を分散させられる相手に、打撃というのは相性が悪すぎた。
「らあァ!」
短剣を構えたモルズは、魔獣の胸に迷わず飛び込む。
先ほどの様子を見た限り、頭は急所ではない。
ならば、胸。胴体の中心。
今までにない速度で足を動かし、刃先に力を集中させた。
キィン! と硬質な音が響く。
人体と刃物がぶつかった時にはおよそ鳴り得ない音。
『「魔人」とでも呼んでくれ』
あとに響くは、やけに静かな魔獣の声。
本体より一足先に停滞から脱した棘が、モルズの攻撃を防いでいた。
本当の敵
「チッ」
絶好の機会を逃した。己がもっと速く動ければ、と後悔する。
後悔したのは一瞬だった。
後悔しても相手には一切の痛痒を与えられない。ならば、さっさと立ち直るのが最適。
「グノン、さっきのやつ、もう一回できるか!」
「ああ!」
盾さえなくなれば、魔獣が持つのは|脆《ぜい》弱な人間の肉体。
モルズだって鍛えてはいるが、刃物を弾くような代物ではない。身体能力から見て、魔獣の肉体強度はモルズと同程度。
『舐めるなぁ!』
魔獣の触手がグノンの足元に這い寄る。
速く、|疾《はや》く、|迅《はや》く。
「速度」ただ一点に重きをおいたそれは、グノンの識覚をかいくぐる。
威力としてはお粗末で、妨害としては十分。
グノンは体勢を崩され、放たれる直前だった打撃は不発に終わる。
人体を切り裂くのに十分な硬度を持った棘が、グノンの心臓を突き刺そうと伸びた。
「ぬうぅぅん!」
グノンは体をひねり、棘を躱そうとした。
――血溜まりがグノンの足元に広がる。
心臓は辛うじて避けたが、太い血管が傷ついた。
これ以上の戦闘の続行は不可能。それどころか、このまま放置すれば間違いなく死ぬ。
次いで、魔獣は盾としていた《《自身の一部》》から棘を生やした。
数は多くない。が、一つ一つがモルズを害するに足る速度と鋭さ。
それらが一斉にモルズに迫った。
モルズは体をひねり、致命的なものだけを躱す。
モルズの目は、魔獣の命だけを真っすぐ見ていた。
『……っ!』
魔獣が手応えのなさに慌てて周りを見渡しても、もう遅く。
魔獣の背後、上空――盾の内側に回り込んだモルズが、渾身の力を以て短剣を投|擲《てき》した。
◆
『ああ、時間だ』
《《任務の終了》》。今回魔獣に下された命令は、「任務の終了後は速やかに撤退せよ」だ。
心臓――核ぎりぎりのところを貫いた短剣を体から引き抜く。
『またね、《《お兄ちゃん》》』
声帯をリーンのものにし、話し方もリーンに寄せた。
腕の先端を尖らせ、リーンをどうやって殺したのか匂わせる。
「……ッ」
モルズが息を呑む音がはっきりと聞こえた。
「お前、」
続く言葉は、怒りで声にならないようだった。
引き抜いた短剣を、片側の手でひらひらと振ってみせる。
『これは、次の時まで預かっとくぜ?』
その時、モルズがどんな顔をしていたかは、魔獣には分からない。
モルズに背を向けて、魔獣は歩き出した。
『ああ、そうだ』
モルズの負った傷が浅いことを思い出し、足を止める。
足をたん、と踏み鳴らし、モルズの全身を切り裂いた。
突然のことに、モルズは反応できていない。
――運が良かったら生きているだろう。
そんな言葉を、魔獣は口の中で転がした。
ふと。魔獣で溢れかえった戦場を進みながら、魔獣はグノンと対峙する直前のことを思い出す。
堕ちた一等星
『よう』
「モルズさん……ではありませんね」
傭兵組合内で作業しているレイに接触する。
モルズの姿だったため、怪しまれずにレイに接触できた。
「何の用ですか? 十一番」
彼らは、魔王軍に属した瞬間に名無しとなる。故に、配属された組織内での序列を名乗るのが通例となっていた。
『流石だ、こんなに短時間で俺だと見破るとは』
「話し方、癖、態度……あなただと断定する要素はいくらでもありますよ。それで、用件は?」
本筋から外れた話をする十一番に対し、レイはあくまでも用件のみを聞く姿勢だ。
『これから、この街に負傷した傭兵が数多く運び込まれる。そいつらを殺せ』
十一番は、何とも思っていないような様子で淡々と言った。
だから、次のレイの言葉を聞いた時、我が耳を疑った。あまりにも自分と考え方が違っていたから。
「お断りします」
『言っておくが。これは、俺たちの二割が動く大規模な作戦だ。その中でも、お前に与える役目は重要なものになる』
十一番はレイの仕事がどれだけ重要なものかを説き、レイから承諾の返事を引き出そうとした。
「何を言っても変わりませんよ」
初めの姿勢を貫こうとするレイに対し、十一番は相応の手段で打って出ようとする。
『そうか、残念だ。これは俺たちへの裏切り行為だと見なすが――異論は無いな、十二番』
裏切り者には制裁を。
特にそれが重大なものだった場合、「死」という罰が下されることがある。
『それとも、こう言った方が良いか? ――堕ちた天才』
かつて天才だった者へ、それを超えた者からの言葉。
かつてのレイは|紛《まご》うことなき天才だった。
同年代の誰よりも、力の精緻な操作ができた。それを活かす、いやそれ以上に引き上げる頭脳を持っていた。
かくいう十一番も、レイの背中を追う者の一人だった。
いつからだろうか、天才だったはずのレイは各分野のトップに負け始めるようになった。
そして、今は才能では圧倒的に劣っている十一番にまで追い抜かれる始末。
「……天才だの何だの言っていたのは、貴方たちだけですよ」
『はっ、嘘つけ』
十一番は、レイの瞳に炎を見た。
悔しいという気持ち。今まで勝っていた相手に追い抜かれたときの、あの気持ち。
すぐに追いつく。レイの目は、その強い意志を雄弁に物語っていた。
『まあ、放っておくわけにもいかない』
裏切り者を見逃したとなれば、十一番の信用にも関わる。
地面の中に這わせた自身の一部を戦闘状態にした。
「やるんですね」
レイが諦めたように言った、その時。
十一番は全力で棘を生成し、レイの心臓を狙う。
更に正確に言えば、狙いは心臓の中の核。そこを穿たれれば、十一番たちの活動は停止する。
十一番の攻撃を、同じく自らの一部を触手のようにしたレイが防いだ。
完全に初動がワンテンポ遅れていたはずなのに、防いでみせた技量に十一番は舌を巻く。
『誰だ、「堕ちた天才」だなんて呼んだのは!』
二人は触手の数を増やし、互いの命を狙う。
戦いは、物量戦へと――どちらが己をより精緻に扱えるかの戦いに移行した。
「なかなか……やりますね!」
レイは数十本以上の触手を生やし、その全てを十一番の攻撃を防ぐのに使った。
『まだまだぁ!』
一本、二本と。互いが展開する触手の数が僅かずつ増加していく。
二人とも、己の限界を超えて戦っていた。
『ああ、そうだ。言っておかなければならないことがある』
「なんですか?」
レイは焦り気味に答えた。
意識を会話に割けば割くほど、攻撃に割く思考は少なくなる。
『魔王様を倒せば俺たちが消えると思っているだろうが』
どこからその情報を入手したのか、当たり前のように十一番が言う。
十一番とレイがぶつかる。ぶつかり合って、互いの一部が弾け飛んだ。
『それは違うぞ』
レイたちが拠り所としていたものを、平然と否定する。
レイは衝撃を受けるだろうか。
だが、十一番の予想に反し、レイの反応はあっさりしたものだった。
「知ってましたよ」
十一番やレイには、自身と魔王との深いつながりは感じられなかった。
魔王が生きていようが死んでいようが、十一番たちには何の影響もない。
レイはそれに気づいていた。
気づいていたが、あの場でモルズに言わなかった。
まだ、あの頃は人間側に付くと決めていなかったのだ。
十一番が触手をゆるゆると伸ばす。
レイは当然のように限界を超えようとし――失敗した。
レイは十一番の攻撃を止めることができない。
『もらったぁ!』
十一番の攻撃がレイに届く。
己の限界を超えているが故か、その速度はひどくゆっくりとしたものだった。
『……あ?』
レイは相打ち覚悟で十一番に接近し、数本の触手を展開するエネルギーを剣にして突き立てた。
自分の胸から生えた剣に、十一番は驚きを隠せない。
なぜだ。十分に警戒していたはず。
こんな初歩的なミス、犯すはずが――。
「核を狙ったつもりでしたが……外しましたか」
レイの言葉は耳に入らず、思考は正解にたどり着く。
思考誘導か。十一番の言葉は、しかし声にはならない。
声の代わりに、血を吐いた。
十一番と同じく胸を貫かれたレイは、力なく首を振った。
レイの体から力が抜ける。
十一番の核は傷ついていなかった。
レイの核は傷ついていた。致命傷には程遠いが、動きを止めるには十分だった。
「おい、何だ!?」
「何があった!」
十一番たちの戦闘音を聞いてだろうか、人が集まってくる。
『チッ』
レイにとどめを刺せば、その間、隙を晒すことになる。
万全の状態ならば、あの程度どれだけ集まろうと後れを取ることはない。だが、今の消耗した状態だと、《《万が一》》が起こり得る。
触手の一部はレイによってちぎられた。
核から切り離された体の一部は、二度と本体に還ることはない。
口惜しく感じながら、するすると解けて空気中に還っていく自身の一部を見送る。
自身の全てを人間の形に押し込み、集まった職員や傭兵に紛れ、外に出た。
◆
『……ふむ、あと十二番のみですね』
クライシスの郊外、ある荒れ地にて。
三番が十一番の姿を認め、皆に聞こえるよう声を出した。
『十二番なら、裏切った』
十一番が重々しく言った。
『始末しましたか?』
三番が目を細める。十一番を品定めしているような目だった。
『しようとしたが、確実にとどめを刺せたか怪しい。生きていると思った方が良いだろう』
取り繕うこともなく、出来事をありのまま話す。
『ふむ……なるほど、良いでしょう』
三番は一瞬だけ本気で考えたあと、適当な結論を出した。
『さて、クライシスを《《落とした》》わけですが』
三番は、ここに集まった八体の顔ぶれを見ながら言った。
『役割の再振り分けをする前に、伝えておかなければならないことがあります』
数秒間、三番は沈黙した。
『この作戦で、七番と八番が死にました』
『そう』
『仕方ないよ』
『ふーん』
興味なさげに反応する面々。
『まあ、あいつらは魔王様への忠誠心でここまで来たクチだし』
実力は一段階劣っている、と口にする者も。
唯一、十一番のみが悔しそうに下唇を噛んだ。
『それに伴い、序列に変動があります』
二つずつ繰り上がる。きっと、この場の全員がそう思ったことだろう。
が、続く三番の言葉はその予想に反するものだった。
『十一番を七番へ。それ以外は、一つずつ繰り上がりになります』
不満の声は上がらなかった。皆、序列にそれほど興味がないのだ。
『報告は済みましたので、本題に入ります』
三番が姿勢を正す。
場の空気が変わった。
『クライシスから街道を辿って、一番はメギャナ帝国を落としてください』
『強そうなの、いる?』
『さすがに単独で一番に敵う者はいませんが、複数なら』
『そう』
一番は体を地面に染み込ませるようにして消えた。
まだ話は終わっていないというのに。
『二番はエグシティオ王国を。補佐として八番、九番を付けます』
『いいよ』
『任せて』
『了解しました』
二番と九番が消える。
『私、六番、七番でクライシスの残党を一掃しますよ』
『んー? そんなにいるかぁ?』
五番が三番に問う。
六番、七番は戦闘を得意とするタイプだ。
既にほぼ滅びた地に三体も必要ない、と言いたいのだろう。
『ご存知の通り、一番と二番は別格です。私たちが三人で束となっても、あの二人には敵いません』
戦力的に同格になるように。そう考えられている。
『へぇ、そっかぁ。まあ、たくさんいて困ることはないか』
『む、儂の名前がないぞ』
四番が声を上げる。
『俺もだ』
『四番、五番には別の役割があります。四番は全体の統括と助言を、五番には伝令を担ってもらいます』
『儂が|一番や二番《あいつら》を完璧にコントロールできるとは思えなんだが、尽力するとしよう』
『伝令……指示を伝えれば良いんだな!』
四番と五番が己の意思を伝え、役割の割り振りが完了する。
四番と五番が消えた。
『さて、私たちも行くとしましょうか』
三番が動き始め、六番、七番は後ろに続く。
各自、全く違う方向へ進んだ。
戦いの顛末
「良かった、目を覚ましたぞ!」
傭兵組合の建物内で倒れていたレイが発見され、手当てされてから一時間。
医者によるといつ目を覚ましてもおかしくないという話だったが、レイは一向に意識を取り戻さなかった。
何か見落としている異常があるのではないかと焦り始め、全身を検査しようとした時だった。
「ん、あ……」
レイが目を覚まし、寝台から体を起こす。
不安そうに見守っていたモルズと目が合った。
「……良かった」
「はい。モルズさんも無事なようで、良かったです」
「レイさんは三日は安静にしてくださいね」
医者が言う。
「いいえ、その必要はありません」
レイは、未だ血の滲む包帯を取り去る。
その下の肌には、傷一つ付いていなかった。
「これを聞くために来たんでしょう? 組合長」
レイを囲む人垣の中、険しい目つきをした初老の男がレイの前に進み出た。
「人払いをする。私とレイだけにしてくれ」
「モルズさんも残してください。彼に伝えたいことがあります」
「今でなければ駄目か? それは」
組合長がレイを|諭《さと》すように言った。
「はい。話が終わったら、私は隔離されるでしょうから」
隔離。なぜ、という疑問がモルズの脳内に浮かんだ。
この件について、モルズは詳しく知らない。
レイはモルズを傭兵組合へ導いた存在だ。
傭兵組合の中では、いちばんモルズと関わりが深い。故に、モルズにはレイについて知る義務があると考えていた。
「はあ……その通りだ。良かろう、モルズも残してやる。ほら、何をしている、さっさと出ていけ」
一連のやり取りを興味深そうに眺める傭兵や職員が追い払われる。
三人きりとなった部屋で、組合長がため息をついた。
「レイ。お前は、異形の姿で建物に倒れていたそうだが、間違いないか」
「はい。意識を失っていて記憶はありませんが、恐らくそうです」
異形。モルズの脳内に、グノンと共に戦ったあの魔獣が浮かぶ。触手のようなものを生やして戦っていた。
「お前は、何だ?」
組合長の抽象的で短い問い。
けれど、この場にいる二人にはその問いの意図するところがはっきりと伝わっていた。
「私は。魔王直属の部隊に所属する、魔獣、です」
レイは苦しげに息を吐く。
罪悪感、後悔のようなものが吐いた息に滲んでいた。
モルズの手が反射的に腰の方へ動く。そこにあったはずの短剣がなくなっていることを思い出し、心の中で舌打ちした。
短剣を盗った魔獣への殺意が膨らむ。同じような立場のレイにも。
そんなモルズの反応をよそに、組合長とレイの問答は続いた。
「名は」
「名前は、ありません。部隊に所属した時から、名前は名乗らないことになっています」
「それでは不便だろう。何か、例えば記号や数字なんかで呼ばれていなかったか?」
信頼していたのに。魔獣という共通の敵と戦う味方だと思っていた。
なのに、その相手も敵と同じ存在で。
なら、何を拠り所にしていけば良いのだろう。何を味方だと思えば良いのだろう。
今まで、敵か味方かしかない世界に身を置いてきたモルズには答えが出せない。
レイを敵だと断じることはできなかった。
ぐちゃぐちゃなモルズは置いてけぼりで、組合長の尋問が厳しさを増す。
「その通りです。部隊内での序列で呼ばれていました」
「いくつだったんだ」
「十二番、です」
レイの声が掠れる。
「ほう。何人いるか知らんが、結構な上位ではないか。有益な情報が期待できそうだな」
組合長の追及の手が止まる。
このあとも尋問がありそうだが、ひとまずは終わったと見て良いのだろうか。
「モルズに伝えたいことがあるのだろう。伝えると良い」
「あ、はい。ありがとうございます」
レイはモルズの方を向き、姿勢を正した。
何を言われるのだろうか。
ぐちゃぐちゃな感情を取り繕い、モルズはレイの目を見た。
「『魔王を倒せば全ての魔獣が消える』。覚えていますか?」
先日、串焼き屋で聞いた話だ。
覚えているも何も、今のモルズの行動の拠り所になっている話で。
「あれは、間違いなんです。実際は、魔王が死んでも私たちは死なない」
「そう、か」
モルズが|俯《うつむ》く。
受け止めきれない。
事実であると仮定して、|縋《すが》ってきたのに。
事実でない可能性は想定していた。
酔いどれが言っていた時点で、信憑性に問題があるのも分かっていた。
けれど、事実であってほしかった。
「けれど、もしかしたら」
モルズは顔を上げた。希望を探すように。
「魔王が魔獣を|喚《よ》ぶところを見ました。魔王を倒せば、この異常な魔獣の増加に、歯止めをかけられるかもしれません」
もう、何でも良かった。
|リーンを殺した魔獣《あいつ》を殺せるのなら。
あいつに命令を出した存在がいるのなら、そいつも。
モルズは、短剣の柄を握ろうとした――手元に短剣が無いことを思い出しても。ほとんど癖のようなものだった。
「短剣を新調したい。オススメの鍛冶師はいるか」
まずは、そこから。
「はい。スミスさんのところを訪ねてください。私の名前を出せば通じるはずです」
「分かった」
モルズとレイの会話が終わったのを感じ、組合長が口を挟む。
「話は終わったか? ここから先は極秘だ。一介の傭兵に同席させることはできない」
帰れ、と言外に告げている。
モルズはレイの処遇を知りたかったが、今聞けることでもなさそうだった。良いものになるように祈ることしかできない。
「じゃあな、レイ」
願わくは、これが今生の別れとなりませんように。
◆
街のほとんどが灰燼に帰した中、営業を続ける店があった。
もっとも、今の時間は「準備中」の札を提げていたが。
「スミス、いるか?」
瓦礫の山を踏み越え、モルズはスミスの鍛冶場を訪ねる。
「なんじゃ、モルズ。表の準備中の札が目に入らんかったか。……待て、レイのやつは?」
こんな状況でも変わらず鍛冶をするスミスに、モルズは毒気を抜かれる。
「……捕まったよ」
ここで嘘を言っても仕方ないし、きっと噂はすぐに広まるだろう。
「そうか。ついにバレたんじゃな」
「バレた? 知っていたのか?」
スミスは訳知り顔でうなずく。
今は何でも良いから情報が欲しい。モルズは、スミスに事の仔細を尋ねることにした。
「うむ」
「どうやって?」
人に紛れた魔獣を見分ける方法があれば、リーンを殺した相手との戦いで優位に立てるかもしれない。
「レイがお主をここに呼んだのなら教えても良いが、それを説明するには儂の秘密を教えんとならん。モルズ、お主は話さんと誓えるか?」
「ああ」
スミスの問いに、間髪入れずに答える。
たとえスミスの秘密が国家に関わるものだったとしても、モルズは話さない自信があった。
「ふむ。着いてこい」
壁際の大きな棚。スミスがその棚をぐっと押すと、棚が横に動いた。
床にある取っ手を引くと、下へ降りるはしごが現れる。
――隠し部屋だ。地下室。
慎重にはしごを下りるスミスに従い、モルズもはしごを下りる。
飛び降りてしまおうかと思ったが、着地の時に何かを壊してしまってはいけないと思い、やめた。
「儂の地下工房だよ」
上の鍛冶場よりずっと広い空間が広がっていた。
無駄に広いという感じではなく、素材を並べる棚がたくさん置かれている。
何かの動物の牙らしい、長く鋭いもの。
血狼を彷彿とさせる、赤黒い毛皮。
瓶に詰められた、灰色の石。
「これを見ろ」
スミスが取り出したのは、小さなナイフ。
棚にあった鋭い牙を擦り付けると、刀身に傷が付いた。
不可解な行動にモルズが首を傾げていると、スミスはさらに不思議な行動に出た。
瓶から灰色の石を一つ、無造作に取り出す。
ナイフの刃を石に当てると、石はナイフに吸い込まれるように消えた。
同時に、ナイフの刀身に付けられた傷が修復される。
現実ではありえない光景に、モルズは目を見開いた。
「儂は、ここで魔獣の素材の研究をしておる」
革新的な技術
「……は?」
モルズは|荒唐《こうとう》|無《む》|稽《けい》な話に、思わず声が漏れる。
だってそうだろう。魔獣の体は――。
「お主も知っておる通り、通常魔獣の体は死後三日もすれば消え去る。強力な魔獣であれば五日、|稀《まれ》に一週間持つやつもあるが、例外なく消え去る」
だが、ここに並ぶ素材はどうだ。
三日以内に集まる量ではないし、いずれ消えるのだから集める必要もない。
「が、特殊な加工を施したものは例外」
例えば、とスミスは手元の牙を見やる。
「これは一ヶ月前に倒された血狼から取り出した牙じゃ」
近寄ってみると、確かに血狼の牙のようだった。ずっしりと重たい質感で、触れただけで肌が切り裂かれる。
「これが一ヶ月前のものだという保証は?」
もしかしたら、昨日倒された血狼のものかもしれない。昨日のものなら、まだ体の崩壊は始まっていないはずだ。
「ない。だから、これを見ろ」
スミスが代わりに差し出したのは、先ほどのナイフ。
「刃に鉄と魔獣の素材を混ぜた合金を使っておる。柄は、全て魔獣の素材だ」
「振っても?」
「構わん」
モルズは、その場でナイフを軽く二、三度振る。
振った限りでは、一日で造られた急ごしらえの代物といった感じはしない。
柄も、既存の素材を使ったにしては軽くて丈夫そうだった。
「さっきも見てもらった通り、自己修復機能も付いておる」
自己修復機能。既存のどんな技術を用いても、実現するのは不可能な機能だ。
「ここにある灰色の石――魔石を使うことで発動する。魔獣の死体を吸わせても良いが、持ち運びに苦労するじゃろう」
魔石は、大量の瓶の中にぎっしり詰まっていた。それほど作製が困難なものでもないのだろう。
「一つ聞いて良いか?」
「何でも」
自身の技術を説明し、スミスは良い気分になっているようだった。
|鷹揚《おうよう》にうなずき、モルズの質問を待つ。
「なぜ、この技術を世間に公表しない?」
そうすれば、地位も名声も思うがままだろうに。
スミスにとっては意外な問いだったようで、目を丸くした後、
「ほほほ!」
何が面白いのか、急に笑い出した。
「ほほ! ほほほ!」
そうしてひとしきり笑ったあと、ひいひい言いながら答えた。
「そうするとの、|製作者《儂》と|使用者《傭兵》の距離が遠くなるじゃろう?」
「そうだな」
新しい技術の開発者として、スミスは他の技術者に教えることを迫られるはず。
それに、その技術が使われた武器も相応の高値で扱われるようになるだろう。
「儂はそれが嫌なんじゃ。儂が造った武器をお主らに渡し、お主らがその感想を儂に伝え、儂がまた新しい武器を造る。この距離感、この過程が好きなんじゃ」
根っからの職人気質。
天才として皆にもてはやされるのを嬉しく思わないタイプの人種だ。
「さて、話がそれたな。魔石について説明しようじゃないか」
魔石が詰められた瓶が並ぶ棚。その近くに、スミスは移動する。
「これが魔石を作り出す装置じゃ」
上に投入口らしき穴があり、下の穴には瓶がセットされている。
「ちょうど素材があるでの、作ってみせよう」
スミスはそう言って、装置の隣にある何かの山の布を取り去る。
「っ……」
モルズは、息を呑んだ。
死体だ。たくさんの魔獣の。
比較的綺麗な状態のものもあれば、ずたずたに切り刻まれたものもある。
スミスはそれらを一緒くたにして、上の穴に放り込んだ。
装置の駆動音が静かに響く。
数分後、小さく音を立てていくつかの石が出てきた。
セットされていた瓶の中に入る。
「見ろ。これが魔石じゃ」
瓶を傾け、スミスが魔石を取り出す。
モルズに手渡した。
「重……」
魔石は、その見た目に反してずっしりと重かった。
いびつな球形をしている。
じっくり見れば、灰色の中に濃淡があることが分かった。
「魔獣の肉体をそのまま圧縮しとるでな、どうしても重くなる。これにも特殊な加工がしてあるから、どれだけ時間が経っても消えんぞ」
手の中の魔石と、瓶の中にある魔石を見比べた。
遠目から見ればどれも同じに見えたが、よく見ると全体的に灰色が濃いもの、薄いものがある。
「ありがとう」
スミスに魔石を返した。瓶の中に入れる。
「材料を集めるのはレイに手伝ってもらっておったが、レイは絶対にこの装置に近寄らんかった」
スミスが、ふいに語り始めた。
レイが魔獣だったことに気がついた理由を話しているのだろうか。
「この装置は、魔獣であれば生きていようが死んでいようが、構わず魔石に変える。万が一のことがないようにしたんじゃろうな。それで薄々感づいておった。レイが魔獣だったことにな」
そんなことで、とモルズは思った。
ただ未知の装置に近づかなかっただけかもしれないのに。|一概《いちがい》にそう言い切れはしないだろう。
それでもレイが魔獣だと思えたのは、魔獣の素材を扱う者の「勘」故ではなかろうか。
「さて、これで説明は終わりじゃ。お前さんは何を造ってほしい?」
わざわざここに来たんじゃ、何か造ってほしくて来たんじゃろう。そう、スミスが付け加えた。
「ああ。短剣をなくしたから、その代わりになる剣を造ってほしい」
「む。少し待っておれ。上から短剣のサンプルを取ってくる」
上へつながるはしごを上ろうとしたスミスに、モルズが慌てて声を掛けた。
「いや、短剣にこだわらなくても良い」
それは、|クライシス《ここ》に来てからずっと考えていたこと。
モルズが短剣を使っていたのは、少しでも身軽になって、魔獣から逃げ延びる確率を上げるため。
なぜ魔獣から逃げ延びたいのかといえば、リーンに会いたかったから。
リーンがいないのならば、攻撃を捨ててまで逃走の確率を上げる必要はない。
当然、短剣より長剣の方が攻撃範囲が広く、殺傷能力も高い。
そろそろ短剣から長剣に持ち替えても良いかと思っていたところで、短剣を失ったのだ。
「……ふむ。分かった」
スミスは少し考えたあと、はしごを上っていった。
五分ほど経っただろうか。
スミスが数本の剣を持って下りてきた。
背に二本背負い、腰に三本くくりつけ、それでも持ちきれなかった一本を左手で抱えている。
「どれが良いかの」
大きいものから小さいものまで、片刃の剣もある。
一本目。
モルズが使っていた短剣に酷似した剣だ。
鞘から抜き、軽く振ってみる。
重心こそ多少違うが、使い慣れた剣だ。
二本目。
多くの騎士が使っている長剣。もっともメジャーな剣だと言って良いだろう。
短剣より重く小回りが効かないが、攻撃範囲は段違いだ。
三本目と四本目。
こちらは二本とも同じような造りだった。一対の双剣のようだ。
手数が増えるが、その分扱いが難しくなる。
五本目。
身の丈ほどもある大剣だ。
敵を斬るのではなく叩き切る。
攻撃範囲も圧倒的に広い。
周囲に気をつけながら二、三度振るったが、少し力加減を間違えれば床を傷つけてしまうところだった。
六本目。
不思議な剣だった。反りのある刀身。片側のみに付いた刃。
鞘から抜いて振ってみれば、なんでも斬れそうな気がした。
「気に入った」
六本目の剣を手に持ち、言った。
「刀じゃな」
「カタナ?」
モルズはカタナ、という耳慣れない言葉を口の中で転がした。
「うむ。遠くの国から伝わった武器じゃ」
道理でモルズは見たことがないわけだ。
数々の傭兵を見てきたが、この武器を使う者は一人もいなかった。
「この武器は扱いが難しい。刃は片方にしか付いていないし、下手に鍔迫り合いなどしようものなら折れる」
「じゃあ」
モルズは最初に見せられたナイフを指差した。
「あれと同じようにしてくれ」
「自己修復機能をつけるにしても、折れた刃の修復には相当なエネルギーが要る。修復のための魔石はどうする?」
「俺が用立てる。あの装置を小型化することはできないか?」
「ふむ……」
スミスは少し考え込んだ。
「不可能ではないの。しかし、なるほど、現地に赴く者に作ってもらうのか。ありじゃのう!」
スミスは興奮しているのか、少し声が大きい。
「今まではレイがこっそり盗み出してくれとったが、これからはそうするわけにもいかんでな。よろしく頼む」
「ああ、俺からも頼む。いつ頃できそうだ?」
モルズとスミスはがっちりと握手を交わす。
「今は普通の鍛冶依頼がよく来るでの、これにかかりきりというわけにもいかんから……」
スミスは何かを計算しているようだった。
「一週間後に取りにきてくれ」
「分かった、一週間後だな」
これから一週間、モルズはメインとなる武器を持たずに過ごさなければならない。
街の建物で無事なのは、中央の傭兵組合の建物と、いくつかの民家だけだ。
それに、街の中まで魔獣が平気で足を踏み入れるようになった。
武器を持たずに生活するなど自殺行為だ。
仮の武器を買わなければならない。スミスへの報酬の準備も。
この調子でいけば、初日に得た大量の金貨はすぐになくなるだろう。
モルズはため息をつきたくなった。
「それまで、これを使っとれ」
スミスがモルズに見本として提示した内の一本、刀を投げて渡した。
「良いのか?」
「ああ。本来なら数日で終わる仕事に、一週間も待たせる詫びじゃ」
「ありがとう」
そこらの武器屋で買うより良い性能の剣だ。
思いがけない拾い物だと、モルズの頬がゆるむ。
「今日はありがとう。じゃあ、また一週間後に」
「おう。またな」
スミスは片手を挙げ、左右に振った。
既にはしごを上り始めたモルズには、そんなスミスの姿は見えていない。
刀を手に持ち、モルズは寝床としている廃墟に向かって歩き出した。
再起
モルズが退室した後。
「お前が所属していた部隊の戦力を教えろ」
組合長の問いに、レイは少し話しづらそうに口を開いた。
「所属する魔獣はおよそ百。部隊内で実力に大きく差がありますが、最も弱いものでも血狼ほどはあります」
「ふむ。……こちら側になったとはいえ、昔の仲間のことを話すのは嫌か?」
レイの話しづらそうな様子を見て、組合長が聞いた。
「ええ、まあ」
「例えば、だが。ここでお前が我々にとって有益なことを証明すれば、私の口添えである程度自由に行動できるようにすることは可能かもしれない」
レイは目を見開いた。
「……それは。今まで通り働くことも可能、という理解でよろしいですか?」
「さあな」
組合長は言葉を濁した。立場上、確約するわけにはいかなかったのだろう。
レイは口を開き、情報の開示を再開した。主に部隊の戦力について。
特に脅威なのが一番と二番だ。
一番は、千の魔獣と同等の殲滅力を持つ。
二番は、一番には劣るが今も成長を続ける化け物だ。
その他、部隊には唯一無二の力を持つモノがいる。
思考誘導の力。特別に強いモノ、使い方が異様に上手いモノがいる。その強さは、埒外の強さの一番と二番の行動を縛ることができるほど。並の人間ならひとたまりもない。
「待て」
レイがそこまで話したところで、組合長が話を止めた。
「その、思考誘導の力というのはなんだ? 誰でも使えるのか?」
少し早口で問われたレイは、言葉を選びながら答えた。相手に与える印象によっては、レイがせっかく今の尋問で築いた信用が失墜してしまう。
「感情を増幅する力と言い換えても良いでしょう。得意不得意はありますが、基本的にみんな使えます」
組合長はピンと来ていない様子だ。
それを見て、レイは説明に具体例を交えた。
「例えば、ある者に心酔している人がいるとします。この場合、どれだけ思考誘導の力を使おうと、その人がある者を裏切ることはありません。真逆の思考にすることはできないのです」
あくまでも、思考誘導は僅かな感情の火種を業火に引き上げる力に過ぎない。呼称により勘違いされやすいが、人の思考を自らの望むままに操る力ではないのだ。
「ふむ。あくまで感情を増幅するだけで、人の思考の根本は変えられないと?」
レイがうなずくと、
「厄介な力だが、まだ対処する術はありそうだ。今、お前が使っていないという保証は?」
もし、今レイがその能力を使っていたとしたら。組合長は、知らず知らずの内に人間にとって不利になる判断を取っていたのかもしれない。
その点をはっきりさせておかなければならなかった。
「ありません」
レイは、そう言い切ってしまった。ただ自分の立場を不利なものにするだけなのに。
「しかし、まあ、私は核が傷ついているので」
そう言って、弁明を始めた。
「あれはかなり力を消費する能力です。今の私では使うことなんてできませんよ」
根拠となる事柄の正しさは、レイだけが知っている。適当なことを言われていても気づけないが、それではこの場を設けた意味がなくなってしまう。
全てを疑ってかかるのは良いが、今はリスクを承知でレイの言葉を信じるべきだ。時間が無い。
「信じよう」
「ありがとうございます」
レイは、部隊内の戦力についての話を再開しようとする。
「えーと、どこまで話しましたっけ……」
脇道にそれた話をする間に、レイは自分がどこまで話したか忘れてしまったようだった。必死に思い出しにかかる。
「ああ、そうでした」
魔王側の内情が、レイの口からすらすら語られ始めた。
格別に長生きしているモノがいる。その経験に裏打ちされた対応力は、大きな脅威だ。
魔王への底抜けの忠誠心を持つ双子がいる。特にこれといった強さはないが、ある意味でその忠誠心が最大の脅威だ。
|一番や二番《バケモノ》を|凌《しの》ぐ速さで動くモノがいる。その速さを奇襲に使われれば厄介だ。
全ての能力が高水準でまとまったモノがいる。高い能力を活かす頭脳は、それだけで強力だ。
全てを語り、レイは一息ついた。
「情報提供、感謝する。最後に一つだけ」
組合長が右手の人差し指を立てて言った。
「魔王はクライシスをどうするつもりなんだ?」
直属の部隊にクライシスを襲わせた。街は壊滅状態になり、多くの住民や傭兵が死んだ。だが、一部の建造物は生き残り、生き残った人々が復興を始めようとしている。
魔王がクライシスを潰すつもりだったのなら、中途半端に破壊したのはなぜだ。
行動の表面だけ見ると人類の敵だが、その裏の思惑まで考え始めると、やること成すことが不可解に思えてくる。
「……すみません。私はずっと外界との接触をほぼ断っていたので、分かりかねます」
数秒考えた後、レイが申し訳なさそうに答えた。
「そうか」
元々、思考を整理するために放った問い。答えが返ってきたところで、それを全面的に取り入れて対策を立てることはない。
「あの……私にも一つ、聞きたいことができました」
「なんだ? 可能な限り答えよう」
素直に尋問に付き合ってくれたレイへの、ささやかな礼。組合長ばかりが利益を享受しているのも良くない。
「なぜ、モルズさんに伝えたいことを後回しにしてくれたんですか?」
ただ伝えるだけなら、尋問が始まる前に伝えさせれば良かった。それをしなかったということは、尋問の最初の部分、レイが魔獣だったことをモルズに知らせたかったことになる。
組合長にとって一切の利益がない行動だが、なぜかと問われれば。
「さあな」
組合長は、答えをはぐらかした。
答えは言わなかったが、レイの推測を認めた形だ。
「……ありがとうございます」
「答えない」という答えを得た以上、レイにはそれ以上質問を重ねることはできない。質問は一つという約束だったからだ。
「これで質問は終わりだ。監視の者を一名つけておく。その者の監視下でなら自由な行動を保証しよう」
想定されるものよりずっと軽い処遇に、レイの目が軽く見開かれる。
監視者が付くため怪しい行動はできないが、そもそもしなければ問題ない。
「入れ――グノン」
監視者となる人物を、組合長が部屋の中に呼び入れる。
その名前を聞いて、レイは軽く顔をしかめた。
「がはは! よろしくな、レイ!」
胸の辺りに包帯を巻いたけが人の姿で、グノンはいつもと同じように笑った。閉じられた部屋の中に、グノンの笑い声が響く。
レイは|煩《わずら》わしそうに片目を閉じた。
「時と場合を考えて発言してください。特に声の大きさ」
「すまん!」
レイの苦言に、全く改善する気配のないグノンの大声が答える。
レイはため息をつき、組合長に向き直った。
「見ての通り、グノンが監視者だ。レイと仲が良いし、適任だと思った」
グノンは、レイと並んで戦えるほどの戦闘力を有する。レイの足手まといになることもなかろう。
「これで、全て終わりだ。解散」
組合長の号令で、レイたちは退室した。
◆
「まずはスミスのところだな!」
監視者がレイの意見を無視して何かわめいている。引っ込んでいるべき存在が積極的に我を出すとは、これいかに。
というか。
「スミスさんのことを知っているんですか?」
レイは二人を引き合わせないよう、気を配っていた。相性が良すぎる。
「もちろん。あんなに腕の良い鍛冶師、知らないはずがない」
グノンは革袋を取り出し、その中身をレイに見せた。魔石がじゃらじゃら音を立てている。
スミスの秘密まで知っているとは、二人の関係は相当深い。
「そちらもご存知のようですね。良いでしょう」
スミスの武器のメンテナンスと、レイを取り巻く状況の変化の報告。
今行うべきは、それだけか。
なお、グノンは拳を使うため「武器」というのは言葉の綾である。
ちょうどモルズが工房を出た直後に、レイたちはスミスの工房に入った。
戦場に不似合いな存在
「ん……難しいな」
モルズは、雑魚の魔獣相手に刀の取り回しの練習をしている最中だった。
刀は斬ることに特化した片刃の剣。当然、剣とは取り回しから立ち回りまで、何もかもが異なる。
振り抜いた後、別の向きに振り抜く時。刃の向きを変えなければ、相手を斬ることができない。
素早く向きを変えるのが難しく、モルズは何回か切り損ねていた。
及第点だが、合格点には及んでいない。そんな感じだ。
得物が変われば、要求される立ち回りも変わる。
今までなら適当に短剣を振って切り抜けていた場面だが、今はそれができない。
久しぶりに多数の魔獣とまともに戦う。しかも、モルズが使うのは使い慣れない刀。命が危険にさらされる戦いに、モルズの緊張が高まる。
はじめは己が傷つかないことに重きを置いた取り回しだったが、今は魔獣を殺すことだけを考えていた動きに変わっている。
人を睨むだけで殺せそうなモルズの眼差しに、一体の魔獣が怖気づいた。尻尾がだらりと垂れ、体が後ろに下がりたがっている。
――その感情は、戦場において悪だ。
怯えが隙となって、想像が現実になる。
戦場では、怯えを見せた者から死んでいく。
モルズは、怯えを見せた魔獣に狙いを定めた。
一歩の踏み込みで一気に加速。
体を低くして、魔獣の首筋を切り裂いた。
素早く跳躍して、後退する。
着地と同時に、もう一度前へ。
対複数の戦闘は、視界の外から攻撃を加えられることがいちばん怖かった。故に、こうして一度攻撃する度に敵を全て視界に収め、全体を把握してから突撃している。
魔獣も馬鹿ではない。一箇所に固まっていては、先の魔獣のように各個撃破され、全滅してしまう。
散開。適度な距離を取り、モルズに対して唸り声を上げる。
刀が魔獣を斬り伏せた。そのまま流れるように刀を振るい、他の魔獣も斬り殺そうとするが、虚空を撫でるのみに終わる。
余分な力を抜き、運動エネルギーが刀に伝わりやすくする。
跳躍。たった一度の跳躍で魔獣との距離を詰め、脇の下を切りつけた。魔獣が大量に血を噴き出したのを確認し、次の獲物に移る。
魔獣の顔に恐怖が色濃く浮かぶ。だが、魔獣には恐怖や怯えで攻撃を止める機能は搭載されていない。震える体に|鞭《むち》打って――といった感じで、魔獣はめちゃくちゃに突っ込んできた。
モルズは刀の間合いに慣れていない。
相手の首筋を裂くのに、どれぐらい腕を動かせば良いのか分かっていない。
そんな要素があればあるほど、今日モルズがここに来た意味がある。戦闘において邪魔な要素を排除し、動きを洗練させることができる。
残りの魔獣がモルズに殺到した。
敵味方の区別もなく、爪が振るわれる。
大半は避ける必要がなかった。が、一部がモルズ目掛けて飛んでくる。
このぐらいなら刀で受ける必要もない。そう判断し、モルズは全て回避した。
一旦攻撃が止んだところで、攻勢に転じる。
味方から受けた傷に気を取られる魔獣の首に一閃。
続いて、手頃な位置にあった脳天に一撃。
距離を取ろうとする魔獣の足を引っ掛け、転倒させる。無防備な脇腹を切り裂いた。
それに巻き込まれ、別の魔獣も倒れる。尻尾を踏みつけ、起き上がれないようにした。心臓の位置を一突き。
全ての魔獣を処理し終わり、モルズは一息つく。
刀を振って血を払い、納刀した。
体重を移動させて、前傾姿勢をとる。
軟らかい|魔獣《モノ》の斬り方は大体分かった。次は、硬い|魔獣《モノ》や大きい|魔獣《モノ》だ。
魔獣は、その特性によって配置場所がおよそ決まっている。モルズは、大体の種類の魔獣がどこにいるか知っていた。
◆
「らあァ!」
空を舞い、刀を渾身の力で振り下ろす。
圧倒的な巨体と硬さを誇る鉄猪が、脳天から一刀両断にされた。
轟音を立て、体の左側が地面に倒れる。一拍遅れて、右側も同じように倒れた。
モルズは軽い動きで着地し、残心をとる。
鉄猪の体が微動だにしないのを見て、刀を納めた。
先ほど自分がいた場所を見上げれば、そろそろ夕暮れ時。空が朱く染まり、太陽が地平線近くに隠れようとしている。
「……帰るか」
昼からずっと戦い続けている。そろそろ休憩を入れなければならない。
大きく跳躍し、廃墟と化したクライシスの位置を確かめながら進んでいく。
ここで戦い続ける中で、同じような風景の中から特徴を見つけ出すのが得意になった。
その他色々な要因が重なり、モルズがクライシスに戻るのは来たばかりの頃より簡単だった。
ねぐらにしている廃墟に向かう。街自体は廃墟の塊だが、そこに住む人々の活気は以前より増していた。
街の熱気を避けるように、モルズは路地裏を通る。途中、奇妙な――戦場に不似合いな存在を見かけた。
子供だ。リーンより小さい。
なぜ、こんなところに。
その小さな手で弓を握りしめ、矢筒を背負っている。中身は空だった。
茶髪は土ぼこりで汚れ、あちこちに跳ねて絡まっている。腹が減っているのか、モルズを虚ろな目で見た。
壁に背を預け、座っている。へたり込んでいるようにも見えた。
「ぁ……」
子供――少女の口から、掠れた声が出る。
小さくお腹が鳴った。モルズを|縋《すが》るような目つきで見る。
無言で、モルズは少女に金貨を投げて|寄越《よこ》した。
もし、ここで無視していたら。きっと、少女は明日もモルズを縋るような目つきで見ていただろう。
そんな様子をただ見ていられるほど、モルズは無関心でいられない。この先、少女と同じぐらいの年の子供を見た時、確実に後ろめたさを感じる。
だからといって、少女に宿から食料まで、何もかも恵んでやるつもりはなかった。
「ぁ、ありが、と」
少女を見ていると思い出す。もう、二度と会えないリーンのことを。
そのせいだろうか。少女を見ている間、モルズの心はざわつきっぱなしだった。
少女の乾いた口から懸命に紡がれた、モルズへの感謝の言葉。
それに応えず、モルズは先に進んだ。
クライシス防衛戦──開戦
魔王の再侵攻が迫る中、クライシスの復興は慌ただしく進められた。
初めに行われたのは、生存者の確認だった。その中から、戦える者をより分ける。
次に、戦力の再編。戦える者をいくつかの部隊に分け、組織だった戦いができるようにした。
建物の復興よりも、内部の復興の方が大切だ。そんな組合長の考えの下、戦力の再編は速やかに行われた。建物の復興は後回しだ。
現在、傭兵たちは傭兵組合の建物の近くで寝泊まりしている者が多い。何かトラブルがあった場合すぐに相談できるし、仲間も多いからだ。
モルズのように廃墟で寝泊まりする者は少数派だった。
大きな被害を受けたクライシスの人の出入りは大幅に減少した。入ってくる者は皆無。この危険な地にはいられないと言って、出ていく者が一定数いた。
当然、再編された傭兵組合では、見知った顔が多くなる。見知った顔しかいない、というべきか。
ただ。一人、誰とも顔を合わせたことのない傭兵がいた。街の住民から傭兵になった者でも、同じ街で暮らしている以上多少の面識はあるというのに。
あちこちに跳ね回る元気な茶髪がトレードマークの少女。短弓を一人前に操り、魔獣を一射で仕留める。
まるで英雄譚の登場人物のような少女に、クライシスで暮らす者の注目が一気に集まった。
あの日、モルズが出会った少女である。
名を、ユニア。
◆
ユニアは弓を構え、静かに深呼吸した。何本もの矢を一度につがえ、一気に放つ。
放たれた矢は、一つも無駄になることなく、全てが魔獣に突き立つ。
街近くの魔獣の掃討において、ユニアは十人分の働きをしていた。
廃墟が建ち並ぶ街。街の近くにも出没する魔獣。日常になりつつある光景。
日常になったと思った時がいちばん危険で、非日常が潜んでいても気づけない。
「だれ? お前」
故に、ユニアはそこまでの危機感を持たず、その存在に接した。
「怪しい者ではありませんよ」
男だ。うさんくさい笑みを顔に貼り付け、敵意がないことを示そうとしているのか両手を挙げている。
「助太刀しに来ました」
そう言って、腰に差した剣を見やる。
男の体はひょろっとしていて、荒事に向いていなさそうだ。いかにも頼りない。
「そう。《《本当に》》助太刀しに来てくれたなら、傭兵組合を訪ねると良い」
ユニアは、弓を構えながら続けた。
「敵なら、容赦はしない」
|牽制《けんせい》のつもりだった。
男は眉の色一つ変えずに答えた。
「まさか。そんなわけありませんよ。それでは」
軽く目で礼をしながら、その場を後にした。
「危なかった。バレたかと思いましたよ」
男が、自分にしか聞こえない言葉を|呟《つぶや》く。
男の肉体が、その意思に合わせ変化する。
ひょろりとした体は、しなやかな筋肉がついた体へ。
平凡な見た目はそのまま変わらず、うさんくさい笑みもそのまま。
しかし、どこか危険な雰囲気をまとうようになっていた。
「やっぱり」
ユニアの声と共に、必中の精度を誇る一矢が放たれる。
それをつかみ取り、《《三番》》は後ろを振り返った。
「お前、魔獣だな?」
『気づかれてしまいましたか』
肯定の言葉を返すと同時に、戦闘態勢になる。正直、戦闘が得意なタイプではない。が、今は戦う以外の選択肢がない。
『始末するしかありませんね』
「殺す」
同じ思いの丈を、全く違う言葉で表す。
二人の言葉が重なり、戦いの火蓋が切られた。
『私も、戦うのは不本意なんです。苦手ですし』
三番が言葉を並べ立てるが、ユニアは一切反応しない。そうして時間を稼ぎ、三番は《《その言葉》》を口にした。
『なので、やめませんか?』
「は? なにを――」
ユニアは攻撃を再開しようとしたが、その意思に反して体の動きが止まる。いや「意思に反して」ではない。「意思を捻じ曲げられて」の方が正確だ。
――思考誘導は、思考を操作する力ではない。だが、一つ例外がある。それが三番だ。
三番の思考誘導は、対象の意思を捻じ曲げることができる。
『私のことも、誰にも話さないでくださいね?』
三番が笑顔でそう言い、ユニアの反抗しようとする意思が失せる。
「――させません!」
三番の言葉に、駆けつけたレイが待ったをかけた。
同じく駆けつけたグノンが三番に殴りかかり、三番は吹き飛ばされる。
その隙に、レイはユニアに掛けられた思考誘導の解除を試みた。
「一緒に戦いましょう」
ユニアの戦意を|煽《あお》る。
三番の思考誘導が邪魔をするが、レイの思考誘導がそれに割り込みをかけている。塗り替えるのは不可能だが、相殺して軽減することはできる。
「援護は任せて」
前衛のグノン、基本何でもありな中衛のレイ、遠くから牽制する後衛のユニア。
偶然一緒になっただけの間柄だが、なかなかにバランスの良い構成。
『ん? 裏切り者ですか。あなたも含めて、全員始末しなければ』
何でもないことのように言い切った三番。戦わずして勝つ力を持つ彼が、今までほとんど見せなかった「本気」を|揮《ふる》う。
◆
『……やりますか』
無事にクライシスの街に侵入した六番が、気怠げな様子で言った。
人が多く集まっている場所――中央広場の方に体を向け、移動を開始しようとする。
「待て」
そんな六番を、組合長の鋭い声が制止した。
ゆっくり振り向く六番に、組合長が長剣の切っ先を向けた。
「お前は、私が倒す」
『できるものなら、ね』
組合長の宣言を、軽い挑発で受け流す。
直後、六番は触手を展開し、組合長は長剣で切り込んだ。
組合長は、明らかに自身だけでは届かないような場所にも長剣を届かせる。そうして、六番が展開した触手を全て斬ってしまった。
六番は新たな触手を生やし、構える。
全てが平均的に優秀な六番と、人の域を超えた剣技を操る組合長。
勝敗の見え切った戦いが始まった。
◆
「お前、は」
モルズと同じ顔、同じ姿で現れた存在。唯一違うのは、短剣の有無。偽物は持っていて、本物は持っていない。
様々な感情に塗りつぶされて機能不全に|陥《おちい》る思考をよそに、体は反射で動いた。
鯉口を切り、抜刀する。
『久しぶり』
悪意をたっぷり込めた声で、七番が挨拶した。
そこに、モルズに対する警戒心は感じられない。それは、相手にとってモルズが取るに足らない存在だということだ。
数歩で距離を詰め、最高速度で刀を振る。
決めるつもりの一撃だったが、七番にあっさり防がれた。
とはいえ、想定内。
モルズは一旦後ろに下がる――と見せかけて、更に距離を詰める。
七番の間合いから、モルズの間合いへ。
刀と触手がぶつかり、空気を震わせる。びりびりと震える大気は、弱者の侵入を拒んだ。
モルズと七番。二人の戦いは激化する――。
クライシス防衛戦──集結
場面は、再び六番と組合長の戦いへ。
六番の攻撃が、尋常でない密度で組合長に迫る。避けるのは不可能なレベル。迎え撃つしかない。
襲い来る攻撃に対して、組合長はあくまで自然体で正対する。
組合長の手がブレた。目にも留まらない速度で動いている。
六番の触手が切り落とされていく。
やっていることは単純だ。剣を高速で動かし、六番の触手を切り刻んでいる。ただ、その速度が異常なだけで。
『あんたも、|一番と二番《あいつら》と同じかよ!』
余力を残さない攻撃。自身の体の全てを使って、組合長を圧殺しようとする。――そう見せかけて、本体は剣を持って組合長に接近していた。
組合長が、六番の居る辺りに視線を投げる。――気づかれた。奇襲は失敗だ。
組合長の手が更に速度を上げ、一瞬だけ空白地帯を作り出す。たかが一瞬、されど一瞬。
その隙に六番と距離を詰め、反撃する。
『待っ――』
六番に言い切る隙も与えず、剣で心臓――核を刺し貫く。
直後、組合長に押し寄せていた触手がぴたりと動きを止めた。
剣を振って血を払い、納める。
「あと二体だな」
二体の内、厄介そうな方に体を向ける。
足を踏み出し、一気に加速。一瞬で最高速度に到達すると、目的地に向けて減速した。
敵は組合長に背中を向けていて、彼の襲撃に気が付いていない。このまま、核を破壊することも可能だろう。
触手の密度も、六番に遥かに劣る。
到着の挨拶代わりに、一撃入れてやろうか。
『止まってください』
――組合長の動きは、三番が「敵対する人間」に向けて放った言葉により止められた。
その際の音が三番の耳に届き、三番が後ろを振り向く。組合長の顔が至近にあり、三番が顔をのけぞらせた。
「止まれ」という命令の影響が組合長の体から抜ける。
剣を振り抜こうとしたが、直前で気づいた三番に触手を収束され、防がれた。
三番が組合長に気を取られている隙に、グノンは攻撃を仕掛ける。
数歩で距離を詰め、大きく右の拳を引く。後ろに体重を移動させた。
体重を前に戻すと同時に、引いた拳を突き出す。
放たれた拳は衝撃を伴って三番に命中し、三番は体を硬直させた。
今度こそ、三番の核を破壊する。
組合長の長剣は、確固たる意思をもって振るわれた。
『止まりなさい』
減速する。止まらない。
『止まりなさい』
先ほどまでと速度はほとんど変わらない。
三番の体の硬直は未だ解けず、触手で防ぐことも逸らすことも叶わない。
『あァッ!』
組合長の剣が到達する寸前、三番は硬直から脱し、回避することに成功する。
外した――と思った瞬間、組合長は攻撃対象を変更し、触手をバラバラに切り刻んでいた。
三番は組合長やレイたちから距離を取り、組合長を睨みつけている。
『なぜ……私の力が通用しないのですか!』
先ほど、組合長の攻撃が減速はすれど停止はしなかった理由。
未知の現象を目にして、三番は取り乱していた。
三番の問いに、組合長は答えない。敵に情報を渡すような真似、愚かとしか言いようがないだろう。
「ここは私に任せて、グノンたちはモルズの応援に行け! レイ、場所は分かるな?」
「はい!」
レイたちが駆け出していく背中を見ながら、組合長は長剣を構え直した。
『私の相手など、一人で十分だと……そういうわけですね!』
組合長の言動が三番の逆鱗に触れたらしく、三番は組合長をまっすぐ見据える。
一人の相手に集中する三番と、足手まといがいなくなった組合長。
それぞれがそれぞれの本領を発揮する。
◆
一方、モルズは七番に苦戦していた。
前回はグノンと共に戦ったが、今回は一人きり。それほど時間も経っておらず、傷はまだ癒えきっていない。
七番の触手の動きに付いていけず、その密度にも押されている。
かろうじて戦いを演じているが、このままだとモルズが敗北するのは時間の問題だった。
『どうした?』
七番の触手がモルズのいるところを狙って放たれる。
刀で弾いて逸らすが、そろそろ限界だ。刀が折れてしまう。
七番はそれを分かっていながら、モルズに話しかけているのだ。集中力を削ぐために。
「ッ、あァ!」
最後の一本を気合いを入れて逸らし、七番に向かって駆け出す。刀が折れて打つ手がなくなる前に、せめて一撃を入れようと考えたのだ。
モルズの考えを読んで、七番も戦い方を変える。大量に展開していた触手のほとんどを消失させ、代わりに短剣を取り出した。見覚えのあるもの――あの日、モルズが奪われたものだ。
二人が同じように踏み込み、その手に握った武器を振るう。
モルズは刀を。上段から。
七番は短剣を。モルズの刀を掻い潜るように。
硬質な音を奏で、両者が激突する。
モルズは、この一撃に全てを賭けていた。故に、七番の攻撃をまともに回避していない。
対して、七番はただ「勝つ」ことのみを考えていた。
結果――モルズの刀は七番の触手に弾かれて折れ、七番の短剣はモルズの脇腹を掠めた。
「かえ、せ。それは、俺の……だ」
モルズが短剣に手を伸ばす。
『もちろん』
七番は、モルズに短剣を渡す――と見せかけて、モルズに刃を向ける。
それに気づいてか気づかずか、モルズはそのまま触れようとした。
あと少し動けば、モルズの手が短剣に貫かれる、そんな微妙な位置。
『……ぁ?』
七番が声を上げた。短剣を握った手に矢が突き刺さっている。
張り詰めた空気を打ち破るように飛来する、必中の一矢。
それを放った存在と共に、七番の因縁の相手がやってくる。
「がはは! 助けに来たぞ!」
「大丈夫ですか!?」
モルズは七番の手から落ちた短剣を掴み、折れた刀の代わりに構えた。
四対一、モルズの方に天秤が傾く。
クライシス防衛戦──決着
「モルズさん、手短に作戦を説明します」
レイが一本の触手をモルズの側に這い寄らせ、そこから声を響かせた。
「分かった」
モルズは、短剣で七番の攻撃をさばきながら言った。やはり、使い慣れたこの短剣がいちばん扱いやすい。
「まず、グノンには十一番の足止めをしてもらいます。私とユニアで全体の補助。モルズさんには、十一番にとどめを刺す役目を任せたいです」
レイが七番の攻撃を相殺する。
「了解し――」
『俺は十一番じゃない。七番になったんだ』
モルズの声にかぶせるように、七番が言った。グノンが抑えていたはずだが、いつの間にかレイに接近している。
七番がレイに向かって触手を伸ばす。側にいたモルズには目も向けずに。
レイは、うかつに動けない。思考誘導の対策、大量の触手の対処などを一人で行っているからだ。何かが狂えば、有利な状況から一転、圧倒的に不利な状況に陥るかもしれない。
モルズは、いちばん最初に到達した触手を短剣で弾いた。まず、一本。
続いて、一瞬の後にやってきた本命を目で捉える。十本余り。さすがに、相手も大部分の触手を一人に集中させるほど愚かではない。
短剣の角度、腕を振る向き、加える力の大きさ。物を弾いた後の結果を左右する要素全てを支配下に置く。
「セイッ!!」
グノンが裂帛の気合いを上げ、七番に拳をぶつける。なんとか追いついたようだ。
『ぐっ!』
衝撃が七番の全身に広がり、七番の動きが数秒間止まる。
モルズは、レイに向かって繰り出された触手を一箇所に集めた。折れた刀を引き抜く。短剣より、こっちの方が刃渡りが長い。
今がチャンスだ。奴の触手を一気に断ち、攻撃手段を減らす。
束になったところに、刃を思い切り振り下ろした。勢いが力に変わり、ほとんど抵抗を感じさせず触手が空を舞う。
本体から切り離された触手は、地面に落ちる前に空気に溶けた。
それとほぼ同じタイミングで、七番は動き出す。
触手が切り離されたのを確認すると、今度は逆に後方に飛び退いた。触手がほとんど無い一瞬の隙を突かれれば、負けてしまう可能性が高い。触手の長所を活かすために、距離を取ることが先決だった。
モルズたちと七番の間の空白地帯。モルズやグノンが攻撃を届かせられない距離。
それを埋めるように、ユニアが弓に込めた力を解放する。
つがえられた数本の矢が、七番に向かって飛来した。
七番は、遠くから飛来する矢を回避、または逸らしていく。見てから対応するのは容易にできた。矢を視認してから、矢が到達するまで、ある程度の時間があるからだ。
七番は最後の一本を握りつぶし、矢が飛んできた先を|睥睨《へいげい》する。既に射手――ユニアは、別のところに移動していた。
七番が矢の対処をしている間に、モルズとグノンは七番に接近していた。
モルズは短剣を突き刺す準備をし、グノンは殴打の構えを取る。
七番も触手を再展開し、攻撃に備える。
『っ!?』
七番が声にならない声を上げた。モルズたちに向けられていた意識が揺らぐ。
この隙を突かない手はない。そんなわけで、先手を取ったのはモルズたちだった。
モルズが、七番の|懐《ふところ》に切り込む。
平常を取り戻した七番の触手に襲われるが、もう遅い。触手が脅威だったのは、その数と可動域の広さ故だ。それらは、開けた場所で効果を発揮する――つまり、近づいてしまえばどうとでもできる。
グノンが七番の動きを止めようとするが、七番に警戒され近づくことができない。
触手を殴りつけさえすれば、本体にも衝撃が到達して全体の動きが止まる。だが、殴りつける前に攻撃を食らえば、そうはいかない。グノンが攻めあぐねているのは、そういうわけだ。グノンの元に伸びてくる触手は、総じて殺意が高い。
「ぬぉっ!?」
グノンの足元から伸びた触手が、グノンの体を絡め取る。グノンが他の触手に気を取られている隙を突かれた形だ。
そのまま、触手は空に向かって伸びる。七番の限界の高さまで伸びた後、触手が消えた。
グノンが空中に投げ出される。一瞬の浮遊感の後、体が地面に向かって落下を始めた。
このまま地面に衝突すれば、待っているのは死のみ。受け身を取ろうが取るまいが、その事実は変わらない。
グノンが地面に叩きつけられる直前に、七番のものではない触手がグノンへ巻きついた。レイだ。
グノンはレイに礼を述べ、戦いに復帰しようとした。
「助かった! ありがとう」
レイの返事はない。レイは、苦しそうに肩を上下させていた。
「レイ? 大丈夫か!?」
グノンがレイに駆け寄り、肩を揺さぶる。レイは僅かに体を動かすだけで、明らかに正常な状態ではない。
『まだ完全に回復していないのに、無理しすぎだ』
レイの様子を見て、七番がつまらなさそうに|呟《つぶや》いた。
七番の言葉を聞いたグノンは、レイの戦闘続行は不可能と判断。レイをユニアの位置まで後退させ、自身は前線に戻った。
グノンは、弾丸のように七番に突っ込む。グノン一人で対処できる量を超えた触手が殺到するが、構わずに。
レイが倒れた以上、今までのようにはいかない。主に戦っていたのはモルズとグノンだが、彼らが全力を発揮できたのは、レイが細かいところを全て対処してくれていたからだ。
故に、多少の負傷を許容してでもこうして攻め込む必要があった。
触手が、グノンの脚を、腕を、脇腹をえぐる。血が流れ、地面に染み込むが、一撃を届かせるだけならば十分だ。
何度も打ち込んできた拳を握り締め、七番に向かって繰り出す。当たる。確信した。
七番もそう思ったのか、狙いを変えた。
グノンの攻撃はほぼ防ぎようがない。が、決定打にはならない。
本命の攻撃を繰り出す相手を潰そうと考えるのは、当然のことだろう。
七番の触手が全て迫ってくる様子を見ても、モルズはそこまで恐怖しなかった。ようやくここまで来た。そんな気持ちの方が大きかったと思う。
触手がモルズに当たる――寸前、グノンの拳が七番の体を捉えた。
触手の動きが固まってしまえば、核まで到達するのはそう難しくない。
全ての触手が足場。邪魔な触手は切ってしまえば良い。
跳躍――加速。核へ一直線に進む。
顔の前に触手。切るしかない。
スピードに任せた一撃で、切断する。
――残り、半分ほど。
ここまで走り抜いた時間を考えれば、七番の硬直が解けるまでに核を貫ける確率は、半々といったところ。
トップスピードを維持したまま、風になる。
モルズが足を着けたところの土は、爆発するように飛び散った。
そろそろ時間だ。いつ七番が動き始めてもおかしくない。
最後の一歩を踏み入れた。七番はまだ動かない。
いける。モルズはそう思ったし、他の誰でもそんな判断をするはずだ。
勢いを全く殺さないまま、モルズは短剣ごと七番にぶつかった。
「なっ」
短剣が弾かれた。七番の胸元、鉄猪の皮膚によって。ただの鉄猪なら良かった。多少の抵抗はあるだろうが、それごと斬れただろうから。
運の悪いことに、鉄猪の皮膚は通常のものより五倍は硬いものだった。だが、大丈夫だ。もう一度振り直せば良い。今の失敗で、斬り方は分かった。
モルズは短剣をもう一度振り――
――さらに不運なことに、ここで七番の硬直が解けた。全力で後ろに飛び退かれ、短剣が空振る。
さすがに今の攻撃は危ないものだったらしく、七番は長く息を吐いた。
グノンは負傷し、モルズも体力の大半を使い切った。レイは戦闘続行不能。
モルズたちの詰みだ。
――だが、まだ天はモルズたちを見放していなかった。
七番の背後からユニアの矢が迫る。七番は、まだ気がついていない。
『フッ!』
矢が七番の体に触れる直前、七番が触手を伸ばした。矢を捕ろうというのか。一本だけしか使わないのは、自信の表れに見える。
『ッ! ……がっ』
その一本の触手を、弱々しい触手が払いのけた。決して打ち合う威力はないが、今はそれで十分だった。
ユニアの矢が七番の胸を貫く。幸い、背中側には何も仕込まれていなかった。
七番に、抗いようのない死が|訪《おとず》れる。
「大丈夫か?」
三番の対処を終えた組合長が、駆けつけるなり言った。
「ああ……一応はな。休めば治る、と思う」
モルズが最後に「思う」と付け足して言葉を曖昧にしたのは、レイがどんな状態なのか分からなかったからだ。
「分かった」
組合長は端的に言って、会話を終わらせた。顔には出ていないだけで、疲れているのかもしれない。
「他の二体は私が倒した。これで三体目、今回侵入したものは全部だろう」
組合長はモルズの方に体を向けた。モルズ、グノン、ユニア、レイの順に視線を移動させる。
「協力、感謝する」
軽く頭を下げ、言葉を続けた。
「被害は軽微だ。重ねて感謝する。うごけない者は私が連れて帰ろう」
肩にレイを担ぎ、組合長はこの場を後にした。
「……」
その場に残されたモルズとユニアは、無言で見つめ合う。話題がなかったから、そうするしかなかった。
気まずい空気の中、グノンの大声だけが場に響く。
「今回の戦いは危なかった! もっと強くならねば!」
下手をすれば命を失っていたというのに、グノンは高らかに笑った。
「帰るぞ。|凱旋《がいせん》だ!」
モルズたちのリーダーのように振る舞い、気まずい二人を引き連れて戻る。
いつもは迷惑だとしか思わない性格だが、今はありがたかった。
――クライシス防衛戦、被害は軽微で、人類の勝利。
滅亡する国
――メギャナ帝国。
「どうした? 嬢ちゃん。ここは子供が来る場所じゃあないぞ」
『……』
少女の姿をした一番は、宮殿の門番を無言で|一瞥《いちべつ》した。――弱い。
『雑魚には用がない』
門番を無視して、宮殿の中に足を進めようとする。
この対応は、一番なりの優しさだった。もっとも、そこに相手への思いやりはなく、ただ自分の都合の良いように物事を進めようとしているだけだったが。
雑魚を狩るのはいつでもできるが、上層部を皆殺しにするのは今しかできない。ここで騒ぎを起こせば、相手に警戒され、無駄な労力を払う羽目になる。
「悪いな。許可がない者を通すわけにはいかない」
門番が一番の腕をつかんだ。
『邪魔』
一番は、虫でも見るような目で門番を見た。押し通るだけなら簡単だ。後が面倒になるだけで。
一番は、構わず中に入ろうとした。隠密でもできれば違うのだろうが、あいにくと一番の得意分野は直接戦闘だ。
「待て!」
腕をつかむ門番の手に力が入る。絶対に入らせまいとしているのだろう。
『どいて』
一番は、攻撃の準備をしながら言った。これが受け入れられなければ、宮殿の人間を皆殺しにしてでも入ろうと思っていた。もう、そうした方が早いかもしれない。
「駄目だ」
門番の男がきっぱりと告げる。同時に、手に持っていた槍の穂先を一番に向けた。
「去れ。これ以上ここにいるのなら、攻撃するぞ」
子供が相手なら、その程度の脅しで良かっただろう。だが、相手は部隊内最強の一番だ。
『わかった』
一番は、溜めた力を解放した。とりあえず、この場の人間を皆殺しにする威力。
倒れた門番を見て、宮殿に出入りしていた貴族が悲鳴を上げた。その場に座り込み――いや、腰を抜かして立ち上がれないようだ。
やっぱり、一番にはこの方法が合っている。
宮殿の前に響く悲鳴。その発生源を消し去る。弱い人間は、残しておくと邪魔になるからだ。
その悲鳴に釣られ、宮殿から衛兵が虫のように出てきた。
『いいね』
一番が口の端を吊り上げる。準備運動にもならない程度の雑魚だが、集まればそれなりに楽しくなるだろう。
一番は徒手空拳だけで戦うという縛りを課し、衛兵の群れの中に突っ込んだ。
風のように動き、衛兵の命を一つずつ狩っていく。
やみくもに突き出される槍を軽く回避し、その上に乗った。そのまま軽く跳躍し、肩に飛び乗って槍の持ち主の首を締める。
首を絞められた男を助けようと槍が突き出されるが、足で挟み込んで止めた。男の首ごと体を揺り動かし、槍を飛ばす。
その衝撃で首が折れたのか、男は動かなくなった。一番は倒れる体に足を着けて跳躍し、一番を取り囲む衛兵に飛びかかる。
目で追えない速度の一番を衛兵が槍で叩き落とそうとするが、全く当たらない。瞬く間に懐に潜り込んできた一番に、為す術もなく殺される。
瞬間移動じみた速度で移動し、右往左往する衛兵を一つの方向に殴り飛ばしていく。
衛兵が団子になったところへ、一番は飛び込んだ。
『終わり』
あれだけ密集していれば、槍を振り回すこともできまい。
拳を振りかぶって、衛兵たちの命を終わらせようとする。
「騎士様が来れば、きっと……!」
まだ見ぬ強者の存在を叫びながら、衛兵たちは一番に胸を貫かれた。
『準備運動にもならない』
一番はぽつりと呟いた後、その場に立ち尽くす。
数分後『騎士様』とやらがやってきた。
死体になった衛兵たちを見て、無言で一番に武器を向ける。長剣と盾。騎士らしい装備だ。
『少しは楽しめそう』
一番は、自分にかけた縛りを少し解いた。
戦闘は引き続き徒手空拳にて行い、体の構成はいじっても良いものとする。
全く力まない状態。そこから、一歩で最高速度に到達する。
バカ正直にまっすぐ突っ込む――と見せかけて、直前で跳躍。一番との衝突に備えて盾を構えていた騎士の虚を突く。
騎士の頭すれすれを通り、後ろに着地した。右足を軸に反転し、盾を持つ手の肩を狙う。拳と鎧がぶつかる音が響き、騎士が盾を取り落とした。
騎士の攻撃が来る前に、バックステップで距離を取る。
騎士は、片手で剣を構えた。一番も、それに合わせて拳を構える。間合いとしては騎士が有利だが、距離を詰めさえすれば一番の方が有利になる。
二人の間に緊張した空気が流れる。互いに隙を|窺《うかが》っているのだ。一番は、攻め込む隙を。騎士は、反撃を加える隙を。
このままでは|埒《らち》が明かないと判断したのか、先に動き出したのは一番だった。今度は、先ほどのようなことはしない。まっすぐ正面から。
騎士の何も持っていない手――がある方に、|執拗《しつよう》に攻撃を浴びせていく。あわよくば、このまま使い物にならないことを願って。
そんな一番の攻撃を、騎士は冷静に|捌《さば》いていく。
動の一番と、静の騎士。対照的な戦い方を示す二人。
一番は手数で攻め、騎士は体力を温存している。一番が疲れを見せた瞬間に、反撃に出るつもりなのだ。そして、あれだけ激しく動き回っている以上、騎士より一番の方が疲弊するまでの時間が短いと予想される。
だが、その予想に反して、先に音を上げたのは騎士だった。息が乱れている。
一番は構わず攻撃を加えた。ぎりぎり反応した騎士が剣で防ぐが、力が入り切っていない。押し切ればいける。
騎士が一番の攻撃を逸らそうとするが、一番はその動きに逆らわず動く。騎士が制御をほんの僅かに誤った。一番の拳が騎士の鎧を大きくへこませる。鎧はもう使い物にならないだろうし、むしろ動きの邪魔になるだろう。
攻撃を受け、一瞬だけ騎士の呼吸が止まる。一番は騎士の後ろに回り込み、足に蹴りを入れた。
一番は四方八方から騎士を攻める。
鎧は無事な部分を探す方が難しいほどにへこみ、ただの重りになってしまった。
騎士が剣を構える。盾は落ちたままだ。
一番が騎士を前から攻撃した時、騎士の剣が一番に向かってきた。一番を追い続けるより、向かってきたところに合わせる方が良いと判断したのだろう。
『うん』
騎士の作戦に、一番は笑ってうなずく。ただされるがままだった騎士が、立ち向かう意思を見せたのが嬉しかったし、無理のない作戦で来たことに称賛を送りたかった。
『楽しい』
だから、このまま終わらせよう。
騎士の剣を手で掴み、止める。刃が食い込んで手が損傷するが、問題ない。核さえ無事であれば。
攻撃手段を奪われて無防備になった騎士の胴部に、本気の一撃を叩き込む。
「がッ!」
騎士の骨が折れ、内蔵に刺さった。このまま放置していれば、死ぬ。
『ありがとう。楽しかった』
手加減していても、楽しいものは楽しい。一番は、次の対戦相手を探して歩く。
――こうして、メギャナ帝国は守護者を失った。
――エグシティオ王国。
『王様を殺せばいいんだっけ?』
二番が、彼に近づく人間を皆殺しにしながら九番に尋ねた。
『はい』
九番は、笑顔で答える。
「待て」
一行の前に、立ちふさがる人間がいた。
「この大量殺人について、詳しく聞かせていただこう」
エグシティオ王国騎士団所属、テトラ。かつて七番に操られた者が、二番たちに剣を向けた。
『詳しくも何も、邪魔だから殺した。それだけだよ』
人を殺す手を緩めずに、二番はテトラの問いに答えた。その声には、罪悪感や特別な感情などが一切こもっていない。
「対話、連行は不可能と判断。制圧を行う」
テトラが、二番たちに向けてそう宣言した。
『キミごときが、僕を?』
二番が冷ややかな声で言い、テトラに向けて大量の触手を展開する。それまでに場に出ていた数の四割ほどの数だ。
複雑な動きを駆使し、二番はテトラを四方八方から襲った。
テトラが迎え撃とうとするが、力に任せて強引に押し切る。その圧力に負け、テトラは触手につぶされて死んだ。
『雑魚が』
吐き捨てるように言うと、全力で触手を展開し、半径一キロメートル以内の人間を皆殺しにした。その中には、国王も含まれている。
――エグシティオ王国は、二番の八つ当たりによって滅びた。
そろそろ完結も近いのですが、内容の充実を図るため、次回分の投稿はお休みにさせていただきます。ごめんなさい。
最終決戦──襲撃
今思えば、あれが現れたのは、クライシスに集結した戦力を一掃するためだったのかもしれない。
クライシスが七番たちに襲われてから一ヶ月後――。
傭兵組合の周辺は復興が進み、|瓦礫《がれき》が取り除かれて仮設の建物が建てられていた。現在、モルズはその中の一つに拠点を移している。
大きな変化はもう一つ。スミスの研究が認められ、スミスは一躍大人気になった。スミスの技術はクライシス中の鍛冶師に広まったが、未だにスミスがこの分野の最先端を走り続けている。
モルズも、己の全財産と引き換えに刀を得た。
そうしてクライシスの人々が前に進み始めた、その時。
轟音を立て、街の外壁部に何かが現れた。
『すまないが、死んでもらう』
およそ人とは思えない、異形の怪物。全身を縁が鋭く尖った鱗が覆い、腕の先からは鋭い爪が生えている。
人類に対して敵対的なその存在は、ようやく戻ったモルズたちの日常を壊し始めた。
瓦礫の中から使えるものを探しなんとか再建された建物は、再び瓦礫に戻った。
巻き込まれかけた人を、組合長が助け出す。
『見つけた』
一番が淡々とした声を弾ませ、組合長に駆け寄った。
モルズは怪物を睨む。怪物もモルズをまっすぐ見つめた。
見つめ合う二人を、他の傭兵が取り囲む。助太刀云々よりも、野次馬としての面の方が強いらしい。なにやら騒ぎ立てながら、二人の動向を見守っている。
『同胞を殺した罪は重いぞ』
同胞。魔獣のことだろうか。まるで魔王軍の幹部のような口ぶりだ。
『魔王様、戦ってきていい?』
一番が組合長と向き合い、怪物に尋ねた。ほとんど事後承諾のような形だ。
『ああ』
二人の会話を聞き、野次馬の中に動揺が広がった。
魔獣の王――魔王。世界がめちゃくちゃになって、人類が滅びかけた元凶。リーンを殺させた存在。
目の前の怪物は、その『魔王』だ。
そう考えてみれば、それにふさわしい威圧感があるようにも感じられてくる。
周りの野次馬の会話の中に「まずいぞ」「逃げろ」といった言葉が交ざり始めた。じりじりと後ずさりを始め、示し合わせたように一斉に駆け出す。
邪魔な野次馬がいなくなり、静かな街。互いの呼吸の音すら聞こえそうな静寂の中、二人はほぼ同時に動いた。
抜刀――から攻撃に繋げる。俗に抜刀術と言われるものだ。攻撃のキレを落とす代わりに、初撃を早く繰り出すことができる。
刀と爪が交わり、響き渡る硬質な音がその存在を主張する。互いに力を正面からぶつけ合う真っ向勝負。空気がびりびりと震え、腕が|痺《しび》れる。
このまま力をぶつけ合っても、疲弊するだけで有効打にはならない。モルズは体を後ろに引きながら、強引に爪を逸らした。
――本当に、これが魔王なのか?
今、魔王と刃を交えたモルズの感想だ。
王が最強である必要はないが、それでも他の強者に比べると劣る。
戦う以外の能力を持たず、その戦闘能力も特筆すべきところがない。そんな存在に、血気盛んな魔獣が付いてくるだろうか?
確実に、何か裏がある。それが具体的に何なのかは分からないが、警戒すべきだ。
と、モルズが警戒を高めた瞬間。モルズと魔王だけの世界に、魔獣が侵入した。
即座に攻撃対象を魔王から魔獣に変更。魔獣の排除を最優先とする。
戦闘に集中しても、相手に集中しない。
魔王だけでなく、周囲にも気を配っていた。そのため、急な魔獣の侵入にも気づくことができたのだ。
乱入してきた魔獣を一刀のもとに斬り伏せ、魔王に向き直る。
魔王は、奇妙な行動を取った。自身の鱗を|剥《は》いで空中にばらまき、そこに手をかざしたのだ。
モルズは止められない。下手に近づけば、爪の一撃を食らって即死だ。
なんとか止めようと隙を|窺《うかが》ったが、それより前に魔王の行動が完了した。
鱗を中心に空間が歪み、鱗の形が徐々に変化する。
鱗に大きな塊と、五本の突起ができた。鱗は、形を変えながら大きくなっていく。
――変化が完了した。
見覚えのあるもの――血狼の姿となって、モルズに牙を剥く。
今回生まれたのは三体の血狼。片手間での対処はできない相手だ。
それに加え、魔王本人。明らかにモルズの許容量を超えている。それでも、一人で戦えば。
「はっ……はっ……っ……」
――当然、こうなる。
乱れた息、折れた骨、刃こぼれの酷い刀。体中に数え切れないほどの切り傷ができ、未だに血を流しているものもある。
辺りに転がるのは、血だらけの血狼の死体。そして、余裕を見せる魔王。
戦闘を継続すれば、間違いなくモルズは死ぬだろう。だが、何もしなくても魔王に殺される。
故に、刀を握るしか道はないのだ。
足元がふらつく。腕に力が入らない。
疲労を主張する体に鞭打って、刀を持ち上げる。魔王の爪を弾いた。
緩慢な動きの体に反して、思考はいつにも増して冴えわたっていた。
この危機的状況下で、一体どうすれば良い?
あらゆる手段を検討し、全てを却下する。
熟考しながらも、魔王の動きを見失いはしない。それどころか、いつもより世界が鮮明に見える。
雲が落とす影、遠くの戦闘音、微細な予備動作。世界の全てが見えているような錯覚に陥る。
魔王の動きがスローモーションに見えた。自身の動きも遅くなる中、ぎりぎりを見極め紙一重で避ける。
正しい体の動かし方がようやく分かった。
いける。渡り合える。
魔王の攻撃をくぐり抜ける度に、自分の成長を感じる。
集中力が研ぎ澄まされていく。
疲労に反比例するように、動きの熟練度が上がっていく。
魔王との距離を詰めた。反撃に移る。
魔王の動きを、見切ったと思ったから。
どんな動きをすれば、魔王は対応し切れないか。限界付近で稼働する脳が、複数のパターンを弾き出す。
――これだ。
今繰り出されようとしている魔王の攻撃を避け、自分の一撃を叩き込む動き。その中で、最も体への負担が小さいもの。
モルズは、この戦いに夢中になっていた。
――だから、意識外からの一撃が致命的なものになる。
魔王が、握り込んだ鱗をばらまいた。
モルズには見えていない。これまでのどの攻撃にも、こんなパターンはなかったから。
油断しているモルズに、血狼の牙が食い込む。
モルズの目が見開かれた。
反射的に腕を引っ込める。
結果として――モルズの左肩に深々と牙が刺さり、モルズの攻撃は空振りに終わった。
「ぐッ……!」
痛みに声が漏れる。全身に痛みが駆け巡り、高い集中状態が解けた。
頭が痛い。それに、どうしようもない眠気がする。
油断した罰と、超集中の代償。
先送りにした死が、モルズの喉元に迫る。
――ふわり、と風が通り抜けた。
モルズがそう認識した瞬間、血狼の首筋から血が噴き出し始める。
「大丈夫ですか?」
数ヶ月ぶりに会う相手からの問い。
「……ああ」
その問いに、モルズはうなずくことしかできなかった。
最終決戦──激化
なぜクライシスにいるのか、あの後王国はどうなったのかなど、聞きたいことはたくさんあった。しかし、それは今すぐするべきことではない。
状況の把握が先決だ。
イバネスが合流したが、依然として魔王が有利なのは変わらず。
モルズも、動きに影響が出るほどの負傷をした。
そして、この好機を見逃す魔王ではない。
体中の鱗を全て剥ぎ取る勢いで魔獣が生み出される。鱗は剥いだ瞬間に再生し、魔獣が尽きる様子はない。
一面、魔獣だらけ。それも、取るに足らない雑魚ではない。血狼、針鰐、鉄猪といった強力なものばかり。
それでも、モルズたちを殺すには少しばかり届かない。
万全とはほど遠い状態のモルズ。
モルズに配慮しなければならないイバネス。
二人の連携に手も足も出ない魔獣。
イバネスが、魔獣を後方のモルズに一体ずつ送る。モルズは、それを危なげなく処理していく。
魔王が生み出す魔獣の脅威は、その物量だ。囲まれたら不利になるだけで、一体一体はさほど強くない。
魔獣の数はみるみるうちに減っていくが、魔獣が倒される度に再生成される。
魔獣は容易に対処できる。問題は魔王だ。
某部隊で例えると、一桁台の本体性能に加え、上限十番台程度までの強力な魔獣を無数に生み出せる。魔王一体だけで、一国と渡り合える能力。
魔王を攻めようとすれば、強力な魔獣がそれとなく現れ、モルズたちは足止めを食らう。その対処に手間取っている間に、魔王は後退。
じりじりと体力を削られるモルズに対し、魔王の消耗はゼロ。魔王の消耗が皆無なのは、魔獣に戦闘を代行させ、自身は激しく動かないからだ。
まだモルズたちの余力があるうちに、何か手立てを考えなければならない。
イバネスも同じことを考えていたのか、モルズに目で合図を送ってきた。モルズはうなずき、了承の意思を示す。
作戦はこうだ。二人で全力で魔獣を討滅し、次の魔獣が生みだされるまでに全力で魔王を叩く。倒すのが無理そうなら、一時撤退を図る。
無茶な作戦だが、そもそも魔王を二人だけで倒そうとするのが無謀だ。早く救援が来ることを祈りながら、モルズたちは作戦を決行しようとした。
足を一歩動かした時。
「大丈夫ですか!?」
イバネスと全く同じ言葉を叫び、レイが救援に駆けつけた。その後ろには、グノンとユニアもいる。
レイがその力を|遺《い》|憾《かん》なく発揮し、魔獣を一掃していく。辺りには魔獣の死体が積み重なり、魔王までの経路が確保された。
予期せぬ形だが、モルズたちが望んだ状況だ。
予定通り、魔王に向かって突っ込んだ。
モルズとイバネスが切り込み、遅れて察したグノンが続く。
三人の行く手を阻むように魔獣が生みだされていく。
力を込め終わった鱗がモルズたちに投げつけられた。いきなり眼前に魔獣が現れ、モルズの体が硬直する。モルズの鼻先が魔獣にぶつかる寸前、レイが魔獣を串刺しにした。
それでもカバーし切れないものは、ユニアの矢が落とす。
五人の連携はうまく行っていた――魔獣を排除するという点では。肝心の魔王には、攻撃が当たっても消耗する様子が見られない。攻撃を当てるのはそう難しくないから、それが唯一の良い点といったところか。
グノンの拳が魔王の頭を揺らす。魔王が、少しだけバランスを崩した。
モルズの刀が魔王の腕を斬り飛ばす。放物線を描いて飛んでいく腕は、接地する前に黒い|靄《もや》となって消えた。
魔王の腕も元通りに生えてきている。
「チッ」
「がはははは!」
モルズが舌打ちし、グノンが大声で笑う。対照的な反応だった。
レイとイバネスは口を開かず、険しい顔つき。ユニアは無表情のまま、静かに気配を殺していた。
再生するとなると、生半可な方法では殺し切れない。
再生の条件を明らかにし、対策を立てる必要がある。
返す刀で、モルズは魔王の腕を肩から斬り落とした。先ほど再生した方と同じ腕だ。
――手応えに変化なし。再生速度も同様。
そう結論づけたモルズは、後方まで下がり、レイに耳打ちした。
「手応え、再生速度共に変化なし」
「分かりました」
こうしておけば、レイが触手を伸ばして仲間に情報伝達してくれる。
モルズは前線へ戻り、勢いのまま魔王の左脚を斬った。一瞬バランスを崩すが、すぐに脚が再生する。しかし、攻撃するには十分。
グノンが魔王を揺らし、イバネスが魔王の頭を落とした。
頭を落とし、思考能力を奪えば、再生も止まるのではないか。そうでなくとも、多くのエネルギーを頭を再生することに使わせられる。
そんなモルズの期待を裏切る結果が出た。頭の再生にかかる時間は腕の時と変わらず、魔王の思考能力や運動能力に影響があるようにも見えない。
「どうすれば……」
魔王の頭を落とすことが失敗に終わり、モルズの口から弱音が漏れる。
「ッ、よけて!」
遠くからモルズたちを見ていたユニアが叫ぶ。自身の居場所をさらす行為。それでも行うということは、相応の危険が迫っていることを示す。
モルズたちが周囲を見渡せば、危険は容易に察知できた。長剣を振りかぶる組合長。魔王がいる方へ逃げてくる一番。その延長線上に、モルズたち。
『魔王様、ごめん』
一番が魔王を盾にする。モルズたちは、攻撃に巻き込まれないよう退避した。
魔王の脳天に組合長の剣が当たり、真下へ振り下ろされて――
最終決戦──錯誤
魔王の体が縦に斬られる。組合長は攻撃対象を誤ったことに気が付いたが、構わず攻撃を続けた。
魔王の体が細かく刻まれ、塵と化す。塵は風に流され、消え去った。
あまりにもあっさりした結末。
無限とも思える再生力を持った魔王の死。
絶句の中、魔王が苦し紛れに生み出した魔獣の足音が響く。
それらを一撃で倒し、その中の誰かが言った。
「……終わっ、た?」
その言葉を聞き、ようやく実感が湧いてくる。ああ、魔王を倒したのだと。
実際に魔王を倒した組合長は、一番との戦いに戻っている。
「あ……」
モルズは刀に目を落とす。ひどい刃こぼれだ。
スミスから預けられた試作品、持ち運びできる魔石化装置を取り出した。
辺りに転がる魔獣の死体に装置を当てると、死体が圧縮されながら装置に吸い寄せられていく。
数秒で、地面に魔石がからんと転がった。
モルズがそれを拾って刀身に当てると、魔石は溶けるように消えた。
あるかは分からないが、次の戦いに備えるため、近くにある魔獣の死体を全て魔石に変えておく。
「加勢する、っ!?」
ぞ、とグノンが言い切ることはできなかった。
長い爪が、日光を反射し輝く。赤い液体が、先端から根元にかけて|滴《したた》っていた。
「が、っ……」
グノンが血の塊を吐き出す。
|咄《とっ》|嗟《さ》に反応したのか、心臓は避けていた。
「『魔王』……!」
レイが叫ぶ。
倒したはずの魔王が、グノンの胸を貫いていた。
レイが大量の触手を顕現させ、その全てを魔王に向かわせる。
魔王はグノンから爪を引き抜き、魔獣を生成した。
生成された一体一体はそれほど強くない。だが、レイの触手から魔王を守るには十分だった。
魔獣が倒れ、レイの触手が弾かれる。そうして生まれた奇妙な空白地帯に、ユニアの矢が切り込んだ。
魔王はそれを難なく払いのける。だが――一瞬の隙。
イバネスが魔王に肉薄し、頭を切り飛ばした。少し遅れたモルズが、頭を肉片に変える。
さすがに肉片にされれば再生に時間がかかるのか、魔王は首なしのままだ。
イバネスが魔王の胸を串刺しにし、縦に一閃。魔王を生きたままバラバラにしていく。
魔王の体が半分ほど肉片になった時、その姿が突如として消え去る。どうやら限界に達したらしい。
魔王の次の復活に備え、レイが辺りに触手を大量に|這《は》わせる。
先ほどの攻防から、魔王の復活にはある程度時間がかかることが分かった。
レイのところに集合し、これからの動きを相談する。
「魔王がいつ復活するか分かりません。手短に」
レイがそう前置きし、作戦会議が始まった。
「そもそも、これが本体なのでしょうか」
イバネスが|呟《つぶや》いた。
モルズがエグシティオ王国にいた頃、分身を作る魔獣と戦ったことがある。イバネスも一緒だった。その経験からだろう。
「そうだな。だが、分身ならこの場で何度も復活させるメリットが薄い」
一度死んだと思わせて別の場所に分身を作れば良いだけだしな、とモルズは付け足した。
「分かりました。ひとまず、分身説は排除して考えます」
レイがそうまとめ、議論は魔王への具体的な対策へ移る。
「さて、魔王はどうしましょうか」
「倒しましょう」
「倒す」
「倒そう」
「絶対倒す」
全会一致で意見がまとまり、魔王を倒す方向で話が進む。
「レイが魔王を捕まえる。わたしが|牽制《けんせい》役で、モルズとイバネスがとどめ」
これまでほとんど口を開かなかったユニアが、意見を言った。今までの攻防の中で行われていた役割分担を再度振り分けたようなものだ。
「良いんじゃないか?」
モルズが賛成の意思を示す。
いつ魔王が復活してもおかしくない。早く結論をまとめなければ。
「そうですね」
イバネスも同意を示し、グノンは深くうなずく。
「では、ユニアさんの言った通りで。私が魔王の拘束。ユニアさんが|牽制《けんせい》。モルズさんとイバネスさんがとどめを刺す。この流れでお願いします」
応、と返し、各々の場所へ戻っていった。
◆
魔王が復活した。すぐさまレイが触手で拘束を試みるが、魔獣に|阻《はば》まれる。それでも一部が魔王に到達し、拘束に成功した。
魔王が拘束を抜けるまでのわずかな間に、ユニアの矢が到達する。魔王はそちらに気を取られ、拘束から抜けるのが一瞬だけ遅くなる。
モルズとイバネスが一気に距離を詰め、魔王を四等分した。二人は、それぞれ四等分したうちの一つを切り刻む。
まもなく、魔王は霧となって消えた。
最終決戦──混沌
レイが魔王の復活を感知した。魔王の体が構成される直前の空間のゆらぎを感じ取る。
レイは、必要最低限の触手を魔王に伸ばした。
「――!?」
が、それらは魔王を守るような位置に現れた魔獣に阻まれる。
前回までなら、これで拘束できていた。できないということは、魔王も対応してきているということ。こちらも対応を進化させる必要がある。
今はそれより、魔王を倒すことの方が先だが。
魔王が胸を押さえて後退し、街の中へ逃走する素振りを見せる。
誰もがすぐには動けない中、一人だけ動き出した者がいた。戦力外となっていたグノンだ。
「ぬおぉぉお!」
自身の体から血が流れるのも気にせず、魔王を羽交い締めにする。
その隙にモルズとイバネスが接近し、魔王の四肢を切り落とした。
地に倒れ伏した魔王を細切れにする。魔王は抵抗しようとしたが、伸ばす手も足もない。
こうして、何度目かの魔王の復活は無事に終わった。
「すみません」
「いや、良い。それより、対策を考えよう」
レイが拘束し切れなかったことを謝り、モルズが別に良いと言う。
「魔王は、死ぬ前に魔獣を生み出しているようですね」
イバネスが事実の確認を行い、こうして話し合いは始まった。
◆
同時刻、組合長と一番の戦いは|苛《か》|烈《れつ》を極めていた。
一番の触手が組合長を囲むように展開され、一斉に襲いかかる。だが、全て組合長の剣に弾かれてしまった。
『ばけもの……!』
一番が顔に笑みを浮かべて叫ぶ。より密度を高めた触手が、涼しい顔の組合長に殺到した。
戦闘開始直後からずっとこれだ。一番は物量に頼った攻撃をし、組合長はそれをさばく。未だ、両者共に|疲《ひ》|弊《へい》は見えない。
組合長の目が細められる。触手の軌道と接触点を計算しているのだ。
そうして導き出した予測を元に、最適な動きで剣を振るう。
剣が触手を弾き、切り落とし、弾かれ、ぶつかる。一番はすぐに触手を引き、組合長も剣を引いた。
『あははっ』
一番が|嗤《わら》う。直後、辺りを黒い霧が包み込んだ。
突然悪化した視界。その対応に組合長が手間取る。
『いいや。補給はいくらでもある』
悩んだのも束の間、一番は組合長に次なる一手を打って出た。
右手に剣を作り出し、自身の触手を切り落としていく。生まれた欠片はうごめき、膨らんで、独りでに動き出した。傍目には黒い球体にしか見えない。
霧に目が慣れた組合長は、球体を両断しようとする。
『いけ』
一番の号令の下、球体が組合長に向かってきた。緩やかな斜面になっているのか、かなりの速度で転がる。
組合長の剣が球体の外殻を切り裂いた瞬間――爆発した。
球体内部の温度が上昇。
空気が膨張し、一瞬遅れて音の波が広がった。
爆炎が地を舐める。
「なるほど」
組合長は、球体が爆発することを一瞬で理解した。
残りの球体も剣で薄く切り裂く。組合長のところで爆発してしまう前に、一番へ蹴り返した。
『早い』
対応が。
組合長は、一番の称賛に眉一つ動かさなかった。
一番が高らかに指を打ち鳴らし、生み出され続けていた球体の姿を変える。球から、蛇の形へと。
一番の行動に気を取られ、組合長の動きが鈍くなった。蛇に対応する手は緩んでいないが、周囲への注意力が落ちている。
一番は、ひときわ大きい|塊《かたまり》を成形した。
二つの膨らみ、四つの棒。それは、不規則に形を変えながら、一番の姿を完璧に写し取る。
一番の複製体は、霧をまとって戦闘から離脱した。
離脱後、まっすぐ魔王の元に向かう。正確には、魔王が生み出す魔獣の元へ。
魔王と対峙するモルズたちを無視して、魔獣と向かい合う。
『ん』
自身を拡大し、魔獣を包んで、取り込んだ。魔獣の質をじっくりと味わう。
『魔王様、弱くなった?』
複製体の問いに、イバネスやモルズたち傭兵が勢いよく振り向く。
魔王は、答えなかった。
『おかわり』
複製体が組合長との戦闘に戻り、モルズたちの目に光が戻る。
魔王は死んだ。
◆
イバネスが肉片に変える。
グノンが拳で砕く。
乱入してきた一番たちに殺される。
ユニアの矢が地面に縫い留め、モルズとイバネスが塵に還す。
レイが爆破する。
何度も、何度も、殺して、殺して、殺して――
――それでも、魔王は蘇り続けた。
ああ、もうすぐ解放される――
最終決戦──決着
これで最後だ。百を軽く超え、数百は魔王を殺したモルズは、そう直感した。
最後の力を振り絞って刀を振るう。数え切れないほどの傷を負い、手にはまともに力が入らない。ほとんど気力だけで戦っている。
レイたちも似たような状態だ。
レイの触手は何度もちぎれ、小さくなっている。
イバネスの剣は、刃の一部が欠けていた。
グノンの拳はぐちゃぐちゃだ。
ユニアの矢はもうほとんどない。
魔王が軽く後ろに下がり、その眼前をイバネスの剣が切り裂いた。
魔王には後がない。もう一度死ねば、普通の魔獣と同じように消え去るはずだ。
だからなのか、今までほとんど使ってこなかった小手先の技術を使ってくるようになった。
雑魚を使った、相手の足止めを多用するようになった。
まともに戦えば五対一、確実に魔王が負ける。だから、真正面からのぶつかり合いを避けるようになった。
魔王が鱗をばらまいた。その一枚一枚がネズミの魔獣に変化する。それぞれは子供でも倒せる強さだが、魔王との戦いに割り込まれると|鬱《うっ》|陶《とう》しいことこの上ない。
視界がふさがる。踏み込む地面に多少の変化が生じる。体にまとわりついてくる。
感情が揺れ、狙いがズレる。
魔王の首を狙ったのに、手で受け止められた。
魔王の背後からグノンが襲いかかる。拳が振り抜かれ、魔王の体内に衝撃が走った。拳が鱗で切り裂かれようとお構いなしだ。肉が裂ける嫌な音。
モルズが魔王と鍔迫り合う。互いの全力を乗せた一撃。小手先の技術が介入する余地はない。
ややあって、両者は後ろに下がった。
モルズの刀が半ばから折れ、魔王の腕から血が流れる。
これまで、魔王は硬度の高い鱗をうまく使って戦っていた。だが、今回は角度や位置を誤り、柔らかい皮膚に刃が食い込んだようだ。
モルズは辺りに転がる魔獣の死体から魔石を生成し、新しい刃に変える。
レイの触手が魔王を襲った。物量に任せた攻撃は見切られているため、技術を活かした攻撃だ。
触手をいなす魔王の腕から、血しぶきが飛ぶ。
レイの攻撃は、魔王に直接傷を与えるようなものではない。魔王の傷は――治っていなかった。
魔王は再生しない。本当に、これを倒し切れば終わりなのだ。
モルズは、レイと交代するようにして前線に出た。
魔王の腕が頭を|掠《かす》める。血が舞い、モルズの顔を赤く汚した。そんなことは気にも留めず、魔王との戦いを続ける。
意図せずして眼前に来た魔王の腕をつかみ、投げ飛ばした。魔王が立ち上がる前に頭を切断しにかかる。数え切れないほど繰り返した作業のはずだが、今回はいつもより硬いと感じた。
魔王の首が宙を舞う――直前、魔王が拘束から脱した。モルズの刀は地面を叩く。
魔王を自由に行動させてはいけない。単体でも十分強い上、魔獣を生成する能力を持っているからだ。自由な魔王を殺すのは、拘束時よりはるかに難しい。
モルズは舌打ちして、魔王を追いかけた。
魔王はモルズを妨害するため、大量の魔獣を生み出した。弱い魔獣が中心で、強い魔獣は一体もいない。
それらがモルズとぶつかる前に、レイの触手に全てなぎ払われた。一番に吸収されるのを避けるため、レイは魔獣を全て取り込む。
開けた道に魔獣が再び満ちる前に、モルズが一気に距離を詰めた。
肉体の疲労は全力を出せないほど蓄積されているはずだが、それとは逆に体が軽い。無意識のうちに、最適な体の動かし方を実践しているようだ。
モルズの目の前に生まれた魔獣を、ユニアの矢が吹き飛ばす。
残り少ない矢では、ほとんどユニアの援護は期待できない。だが、矢があるうちは必ずユニアが助けてくれる。
仲間への信頼を以て、モルズは魔王に接触した。
走り抜けた勢いを刀に乗せる。
魔王が気づいた。だが、もう止められない。このままぶつかるしかない。
魔王が両腕を交差させ、衝撃に備える。
その交差のちょうど真ん中に、刀がぶつかった。
「ああぁぁああぁああ!!」
雄叫びを上げながら力を込める。
いける。このまま力を入れれば、魔王の両腕を切断できる。
ふっ、と抵抗が消失した。直前の勢いを殺し切れず、刀が地面にめり込む。
『っ……』
両腕が斬り落とされ、魔王が呆然と立ち尽くしていた。
追撃を加えようと、モルズが地面から刀を引き抜く。魔王は正気を取り戻し、後ろに飛び退いた。
そこへ、イバネスとグノンが遅れて辿り着く。
魔王は、モルズたちに向かって一歩踏み出した。
正真正銘の、最終決戦の始まりである。
グノンが魔王の足を払った。体勢を崩した魔王へ、イバネスの剣が迫る。
魔王は一部が欠けた腕を伸ばし、剣を強引に逸らした。鱗が剥がれ、宙を舞う。
さらに、グノンが魔王の股下を蹴り上げる。
魔王はグノンの腕を抱き込み、腕で胸を貫いた。幸い、グノンの心臓は無事に動いている。悪運が強いとでも言うべきか。
モルズがグノンごと串刺しにする勢いで突っ込む。
「危ないなぁ!」
大量に出血しながら、グノンは笑った。
すぐに処置しなければならないレベルの怪我。だが、グノンはそんな様子を一切感じさせなかった。
刀が魔王に深々と突き立つ。刀を動かし、傷口をえぐった。
ひとしきり動かし終えた後、刀を引き抜こうとする。だが。
「ぬ、抜け……」
魔王が傷口付近の筋肉を締め、刀を固定していた。モルズが渾身の力を込めても抜けない。
「どけ」
悪戦苦闘するモルズに代わって、グノンが刀の柄を握った。
拳を握り締め、刀身に叩きつける。硬いものと切り結んだ反動か、一度殴っただけで刃が折れた。
グノンがモルズに折れた刀を渡す。そのあんまりなやり方に、モルズは言葉を発せなかった。
「……ありがと」
モルズは、しぶしぶ礼を言った。すぐに魔石を吸わせ、刃を修復する。
一連の流れの中で、魔王は一度も攻撃してこなかった。まるで、モルズの回復を待っていたかのように。
レイが自身を黒い霧に変える。霧は魔王のところだけに流れ込んだ。
レイが指を鳴らす。空から、小さな球体がいくつも降ってきた。
爆発。球体の外殻が飛び散り、破片が魔王の肌に突き刺さる。大したダメージにはならないが、細かい動きの妨害にはなる。
不発だった球体をモルズやイバネスが割り、爆発させた。
爆発の煙の中から、魔王が飛び出す。モルズやイバネスには構わず、魔王はユニアの方に向かった。
煙の中にいる三人は、気づいていない。
ようやく煙が晴れた時には、
「おい、魔王は!?」
「あっちです!」
「クソッ!」
もう手遅れ。
今から向かっても、魔王の方が先にユニアに辿り着く。
そんな状況の中で、レイが動いた。
触手を勢いよく伸ばし、ユニアを掴む。そのまま、全力で触手を引っ込めた。
「はぁ、はぁ」
レイが荒い息を整える。
モルズたちは、魔王を仕留めようと動き出した。
モルズが一足先に魔王の元に到着し、一閃。
軽く避けられたが、問題ない。
イバネスが剣を振りかぶり、グノンが拳を構える。どちらかを避ければ、必ずどちらかが当たる。そんな位置取り。
魔王はどちらも避けなかった。カウンターをイバネスに叩き込む。攻撃直後のイバネスでは、迎撃も回避もできない。
「か、っ……」
イバネスが血を吐き、剣を取り落とす。
魔王が追撃しようとするが、モルズが防いだ。
最悪だ。残っていた中でいちばん怪我が軽くてよく動けたのが、イバネスだったのに。
これで、イバネスは全力の動きができなくなってしまった。これは、戦力の大幅な低下を意味する。
イバネスの負傷、グノンの負傷。加えて、モルズたちの体力も限界に近い。
そろそろ決着を付けなければ。
モルズは、魔王に刀を向けた。それが意図するところを理解し、魔王も構えを取る。
二人は同時に動き出した。
モルズは脇腹を狙い、魔王は刀を持つ腕を狙う。どちらも、防御は考えていなかった。
魔王の鱗が舞い、血が弾ける。
モルズの腕を衝撃が襲う。
ここからの戦いは、互いの精神力を試す戦いだ。
魔王の腕が肩から落ちる。
モルズの肋骨が折れた。
魔王から血があふれる。
モルズの脚の肉が削がれた。
魔王の脚がちぎれかける。
モルズの刀が折れた。
武器がない。
魔王の攻撃は目の前だ。
魔石は手元にない。修復不可能。
何か、何かないか――?
魔王が残った腕を伸ばす。
モルズは胸元に手を伸ばした。
魔王の拳が頭を揺らす。
モルズは《《それ》》を取り出した。
揺れる視界の中、モルズは魔王の胸に短剣を突き立てる。
次の攻撃は、来なかった。
何かが倒れる音がする。
この場にいる全員の動きが止まった。
飛んでいきそうになる意識を必死に繋ぎ止めて、モルズは周りを見る。
魔王が、血溜まりの中に倒れ伏していた。
起き上がる気配はない。
「ぁ……」
勝った。倒した。
達成感で胸がいっぱいになり、そしてモルズは意識を失った。
それにしても、なぜ魔王はモルズの誘いに乗ったのだろうか。
遅れてすみません。
魔王を倒した後の世界を旅する一人の青年。
混乱する世の中を生き抜く傭兵の物語、堂々完結。
次回、
「ある傭兵の大戦記、あるいは勇者の英雄譚」
ある傭兵の大戦記、あるいは勇者の英雄譚
人がいなくなって久しい、山奥の廃村にて。
ネズミの魔獣が群れを作って、モルズを威嚇している。
クライシスでの日々と比べればあまりにも平和な光景に、モルズは表情をゆるめた。
刀を一振りするだけで、二匹、三匹と両断され宙に舞う。
数分とかからずに、魔獣は一掃された。
「はぁ……」
モルズは、しゃがんで魔獣の死体を拾い上げた。
透明な液体を取り出し、魔獣の全身に塗る。
スミスに「魔獣素材を保存するためのコーティング剤だ」と言われて渡されたものを希釈した液体だが、どれほど効果があるのやら。千倍に希釈した液体を塗りながら、モルズはそう思った。
「一旦帰るか」
魔王との決戦から、およそ一年。
魔獣が新たに生まれなくなってから、それなりの時間が経っていた。
時間が経てば経つほど、魔獣素材は希少になっていく。スミスがモルズに素材確保を頼んだのはそういうわけだ。
素材が溜まり、旅のために荷物をまとめるのに時間がかかるようになった。手間がかかる旅はしたくない。
そんなわけで、数十体いたネズミの魔獣も、持ち帰る素材は三匹分ほどだ。
それに加え、いくつかの種類の魔獣の素材を持ち、モルズは山を下りた。
山を下りてすぐのところに、新しい町ができつつある。
娯楽が少ないのか、見る子供全てが町中を駆け回っていた。
モルズはうつむきがちになり、足早に子供たちの前を通り過ぎようとする。話しかけられたら面倒だからだ。
「あれー?」
が、そもそもの視点が低い子供にはあまり効果がない。
下から顔を見上げられてしまった。
「平凡な茶髪に死んだ目! そして短剣! 手に持ってるのは、魔獣?」
子供がモルズの特徴を口にする。前半部分には悪意が混ざっていた気がするが、モルズの気のせいだろう。
「おにーさん、もしかして『勇者』様!?」
モルズが魔王を倒したという噂は、ゆっくりと世界中に広まった。噂だけならまだしも、昔話の英雄になぞらえて『勇者』と呼ぶ風潮まで広まってしまった。
だから町中を出歩くのは嫌だったんだ。モルズはその言葉を喉元で飲み込んだ。
「ああ、そうだよ。だけど、みんなには秘密にしてくれるかな?」
努めてにこやかな笑みを浮かべる。
これ以上気づく人間が現れる前に、この場を離脱しなければ。
「わあ、本物だ! ねぇ、聞かせてよ。勇者様が魔王を倒した話!」
子供がモルズの体を揺さぶってせがんでくる。
無視することもできたが、そうした場合後が面倒だ。少しぐらいなら話しても良いだろう。
「良いぞ。あれは、魔獣の大群を撃退した一ヶ月後のことだったんだ――」
こうして魔王について話していると、一つの疑問が浮かんでくる。
なぜ、魔王はモルズの誘いに乗ったのか。
魔獣で圧殺すれば、モルズは手も足も出ずに死んでいただろう。魔王もそれは分かっていたはずだ。
あえて最適解を選ばなかった。そうすることで得られるものがあるならともかく、傍から見れば死にたかったようにしか見えない。
――と、ここまで考えたところで、モルズは思考するのをやめた。
魔王はもう死んでいる。どれだけ考えたところで、それが正解か不正解か確かめることはできない。
〈私もそう思いますよ〉
誰だ? 反射的に|誰何《すいか》しようとしたが、やめた。聞き覚えのある声だったからだ。
レイか。
納得し――てはいけない。
レイは、あの時モルズを助けて消えたはずなのだから。
魔王を倒して、モルズが気を失った後。
魔王が消滅したことに気が付いた一番が、半ば暴走するように、広範囲を触手でなぎ払った。
モルズは意識がなく、グノンとイバネスは動けない。組合長が撃ち漏らした触手から、動けない三人をレイが守った。
その結果、レイは体の大半を喪失。
命の危機に陥ったモルズを、その身と引き換えに蘇らせた。
目覚めてから、組合長がモルズにした説明だ。
あれ以来、モルズがレイの声を聞くことはなかった。
辺りには、モルズと子供以外の人間はいない。
あれは、聞き間違いだったのだろうか。
〈いいえ。聞き間違いじゃありませんよ〉
どこから聞こえる? 耳元、いやもっと近くから――。
〈当たらずとも遠からず、といったところでしょうか? あなたの中から、ですよ〉
あなたの中から。文字通り、モルズの中から語りかけているのだろう。理屈は分からないが、一体化したのだから、それぐらいはできるのかもしれない。
「……さて、話は終わりだ。約束通り、俺のことは秘密にしといてくれよ」
話を切り上げ、先に進む。
〈一年経って、ようやく馴染んできました〉
レイが話を続ける。モルズは黙って聞いていた。
〈……嫌でしたか?〉
嫌。モルズが何も発さないからか。魔獣を嫌っていることを知っているからか。
「いや。嫌……じゃない」
モルズが、考えながら|呟《つぶや》いた。軽く目を見開く。
魔獣が嫌いだった。世界から消えてほしいと思っていた。
だが、レイは嫌いではない。
例えるなら、誰かに家族を殺されたとして、人間全員を殺すかという話だ。普通は相手に復讐して終わりだろう。
あの時は、自暴自棄になっていたのだ。
自暴自棄。その言葉が、モルズの胸にすとんと落ちる。
自分の感情が理解できたような気がした。
ようやく、妹の死に折り合いをつけることができたのだと思う。
〈そうですか〉
レイの返しは、冷たい言葉でありながら、どこか温かいものだった。
モルズの一人旅改め、モルズとレイの二人旅は、これからも続く。
これにて完結です。12月から投稿を始め、現在5月。約5ヶ月間、お読みいただきありがとうございました。色々語りたいことはありますが、それはまたの機会に。
これから1ヶ月間、感想や質問等を募集します。ファンレターでお送りください。
6月末に「あとがき」を公開いたしますので、そちらにて返信を行わせていただきたいと思います。
改めて、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。