毎日放送の某俳句番組「プレバト」より。
人と違う点や気づかない、見落としている景色や気づきを得て探り、17音の作品にしていくのが俳句。
毎週全部は無理なので、僕の心にぐぐっとなった句(夏井先生に添削済みなど)のみ、書いていきます。
こんな場面を詠んだのかなっていう自己解釈を書いていきたいです。
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目次
プレバトの俳句のやつ 上
毎週木曜日くらいにやってる番組「プレバト」にて。俳句で気に入ったやつだけまとめました。
・俳句
・自分なりの解説的な
この順番で。俳句の作者を載せると固定観念にとらわれそうなので伏せる感じでいきます。知りたければ自分で調べてどうぞ。
※夏井先生に添削済みの句などが多いです。
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**無事寄港願うかかあの三平汁**
北海道の郷土料理である三平汁を煮込んでいる|妻《かかあ》。
|夫《とと》は今、冬の海の漁に出かけている。港に帰るまで、きっと寒いだろう。危険だろう。
夫の無事を願いながらお玉でかき混ぜている。厳冬の海の様子と安全の願いが込められた渦が現れては消えていき、やがて温かい三平汁が作られる。
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**牛鍋の〆のうどんをさぐる箸**
具材たっぷりの牛鍋は食べられ、〆のうどんを煮込んでいる。
牛鍋の汁は濃く、潜っているように見つからない。箸の感触を頼りに、獲物を見つけようと躍起になる。
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**窓凍つや商談中の中華卓**
商談中のビジネスマンがいる。食事中だがどことなく緊迫感があり、交渉中といった雰囲気がある。中華テーブルは回すことで遠くの料理を取ることができる。
今は手に取れないが、商談のテーブルをうまく回すことで自分にチャンスが回ってくる。ルーレットのような不確定要素。
テーブルが不安定なのは、中華卓だけでなく窓を凍てつかせる冷たい外も関係しているのかもしれない。
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**かしましや干支の過ぎたる|祝箸《いわいばし》**
祝箸:おせち料理などを食べるときに使う特別な箸のこと。
毎年友人を招き入れて賑やかなお正月を過ごすのだが、人数が追い付かず、一部の席は去年の干支の祝箸が置かれていた
干支の入った祝箸は来年に持ち越すことができない。箸袋の模様しか違わないのにどこか申し訳なく置かれた箸。だが、参加者の賑やかな女性陣の会話と豪勢なおせち料理の前には最小限の誤差である。
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**「犯人は…」の静黙 客席のくつさめ**
「くつさめ」はくっさめと読み、大きなくしゃみの意。
サスペンスの舞台。客席に座って劇を見ていた。続きが気になるほどに身を乗り出すくらいに鑑賞していたが、「犯人は…」の小さな溜めの静けさに負けて、客席から「うえっくしょんっ」とすごいくしゃみが聞こえた。その途端、みんな劇の犯人のことなんて忘れて笑いをこらえてしまう。劇の余興感がにじみ出てしまった。
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**残業の|鍋焼《なべやき》M-1の|出囃子《でばやし》**
残業している人が、休憩中にM-1を見て、みんなで笑っている様子。夜中という陰湿な空気、残業というこれも陰険な時間。それらを吹き飛ばすお笑い番組の殿堂が、これから始まるのだというわくわく感もあるし、早く仕事を終わらせないとな、でも……とだらけてしまいそうになる空気を感じられる。鍋焼と出囃子の脚韻が音の調子として楽しくなり、それらもМ-1にかかっている。
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**爆笑や横隔膜に|去年《こぞ》の揺れ**
笑いながら年越しして、いったん笑いは収まったけれど、まだ身体の中は揺れているようである。揺れの原因は、もう年越しした去年の出来事である。そうだ。年を越したんだから今年の、いや去年のことの話でもして振り返ろうじゃないか。
ほんの数分前の時間が去年になる。時間の軸が新年という一瞬のタイミングでずれた。そのちょっとした衝撃が「横隔膜の揺れ」という部分に込められているのではないか。
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**初笑い追い出す寄席のはね太鼓**
新春の寄席小屋。
寄席が終わった直後らしい。お客さんが大笑いしながら出てくる。その中(寄席)からデンデケデンデンデン……と、はね太鼓の叩く音が聞こえてくる。
リズムよく響く、お客さんを外に追い出すかのような太鼓のうるささは、客のみならず、初笑いすらも小屋から追い出している。正月ならではの風景でとてもめでたい。
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**一月の笑いの外にひとりいた**
正月のおめでたい、華やげで明るい雰囲気のある親戚が集まっている。リビングから笑い声が聞こえているが、自分が一人だけ孤立して受験勉強している。
家族や友人の笑いの外に一人いた。それは孤独という意味ではなく、一人の時間を耐えることが必要である。このひたむきな姿勢を貫く姿を思わせる。
季語は「一月」で、二月・三月……という風に季語が動く可能性もあるが、その中で一月というのが最も季語の力が強く表れていて、説得力がありそうだ。
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**|鰤《ぶり》一本家族五人の目を集め**
立派な鰤を何本も釣り上げたという釣り師が、号外のような声を上げて立派な鰤をふるまっていた。
家族旅行をしに来た彼らは、その陽気な調子の釣り師につい立派な魚を受け取ってしまう。子供たちは目を輝かせるが、親はというと、どうやって調理すればいいのやら、と考えが入れ食いに。
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**|悴《かじか》むや|皺《しわ》の号外握りしめ**
冬が流れ込んで空気が冷えている駅前。
号外を配っている人の周りに山のような人だかりができている。やっとの思いで取れた号外はシワだらけで、大きく映し出されるのは高校野球、優勝の瞬間が軋んだ。手を伸ばしてもなかなか取れない号外を見て彼らの努力の一端を掴むような気分になる。
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**|極月《ごくげつ》の号外無傷のチャンピオン**
極月=12月。
2022年最後を飾る大一番。ボクシング世界チャンピオンに関する内容だろう。大晦日の試合。KOか、連勝記録更新か、日本人初の……など号外の内容に想像が膨らむ。無傷と言っているのだから、それはそれは素晴らしい号外なのだろう。そういった句。
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**子の指や冬のコントラバスぼぼん**
親が音楽家で、部屋にコントラバスが置かれている。
冬で楽器はよく冷えており、その弦に、まだ乳幼児の好奇心旺盛な手が伸びる。ぴんと張った弦は強く弾かれ「ぼぼん」と音が鳴った。力強く、しかし低く溶けて広がっていくように、ひんやりした冬の空気に伝わって消えていった。
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**レノン|忌《き》やまだ利き手なき小さき手**
ジョン・レノンの命日「12/8」は、|奇《く》しくも太平洋戦争が始まった日でもある。
その日から何十年も経っているが、仮に将来そのようなことがあれば、未来の行く末を決定づけるのはこの小さな手であろう。
右利きか左利きか、まだ利き手の決まっていないこの手にかかっている。子供の利き手は、生まれてすぐではなく、物をつかんだり舐めたりしながら自然と決まっていく。果たして一番最初に何を掴むのか、そしてどちらの手なのか、どの程度時間が経てば分かるだろうか……というメッセージ性がある句。
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**|顔見世《かおみせ》や|贔屓《ひいき》待つ間の幕の内**
冬に行われる歌舞伎の顔見世興行。
いろんな役者さんが歌舞伎の白塗りの衣装をして観客の前に躍り出るが、贔屓役者(大物)を待つ間に、腹ごしらえしておこう。きっとこの弁当を食べ終わるころには……というワクワク感を抑えつつ食べている観客側の視点。
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**|白息《しらいき》や弁当運ぶ吊足場**
吊足場=高所作業するための足場。
弁当配達のバイトをする人が、マンション建設中の所へ大量の弁当を運ぶ。地上と、高所足場の往復で白い息が上がるが、吊足場の狭く不安定な隙間から緊張感のある高所の景色が覗けた。温かい弁当を運ぶ一方、身体は冬風も手伝って背筋が寒くなる思いをする。
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**セット裏鯛焼を|選《よ》るホシとデカ**
セット裏で|犯人役《ホシ》と|刑事役《デカ》が差し入れのたい焼きを選んでいる。「鯛焼を選る」とあるので、金時、粒あん、カスタードなど種類豊富なたい焼きがあるのだろう。ドラマの衣装のまま、友好的に食した後は、セットの表裏がどんでん返しの役割を担い、ドラマ内で敵対関係に戻るのだ。
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**万国旗小春の影を落としけり**
平和の象徴のような万国旗が並んで春の風になびいていて、だがその地に影を落としている。その影を見ると世界情勢の様々な出来事が心をよぎった。万国旗の地面の影はずっと前からあったのに、今ハッと気づいた。そういう感動を『けり』に込めた。
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**冬虹に溶けて万国旗の残像**
冬虹=今にも消えそうな冬雨の後に出る虹。
ひと筋の冬虹が、運動会の空に飾られる使い古しの万国旗のようにぼんやりとした色だった。時間とともに色あせた旗は、その色は空へと吸い取られ、それが冬虹として現れたのではないか。
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**万国旗抱くか白鳥の|羽撃《はたたき》**
白鳥の大きな翼が今にも飛び立つために開こうとする美しさ。その翼の中には、奇術師の握りこぶしから万国旗がするすると出てくるような、華やかな色を隠し持っているように思える。実際そんな色彩は見えないが、それくらいの美しさを秘め解き放っているのだ。
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**朝を待つ電話よロンドンは夜長**
電話主である自分はロンドンに滞在中だ。そのロンドンは夜長(=深夜)である。
電話の相手は時差があり、もうすぐ朝のはずだ。こちらはそろそろ深夜となるが眠ることはない。相手はもうすぐ起きるはず、その時に電話をかけるのだから。そうした何もしない贅沢な時間の過ごし方を詠んだ句。
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**夜食食うもうない王朝を覚え**
受験生の夜食。
自室で夜遅くまで勉強している。勉強机の明かりのみが灯され、それ以外は真っ暗。
「もうない」が一瞬食べ物のことだと読み手にミスリードさせるが、読み進めると「もうない王朝」となるため、勉強している内容が見えてくるという仕掛け。
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**荒星に冷えゆく眼鏡の死体役**
ミステリドラマの撮影中。
路上で寝そべると、スタッフが気ぜわしく撮影で動いているのに、自分は死体役なので動かなくていい。星空の美しさ、風の音、地面の冷たさを感じて、時がゆっくりと動いて別世界の人のようだ。
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**初冬のラグかの愛犬の|尨毛《むくげ》あり**
尨毛=動物の長くふさふさした毛のこと。
冬になってラグ(薄い絨毯)をだして、掃除をしていたら、今年まで買っていた愛犬の長い毛がコロコロの紙についていた。記憶上ではもう忘れかけていたというのに、在りし日の愛犬はまだこの中にいたのだと感傷的になる。
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**着膨れた背中猫の毛あちこちに**
歩いていると前の人の背中に猫の毛が。
背中にまで及んでいるということは、きっと出かける前、背中に猫を乗っけてごろごろしていたのだろうか。そんな背中越しに人の生活を想像して微笑ましく思ったという句。
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**コロコロのミシン目ずれている四温**
四温=三寒四温のこと。
使用済みのコロコロの紙を切り替えようとするが、ミシン目通りに切れず新しい部分と汚れているところのギザギザになってしまった。そこに、季節の変わりゆく三寒四温のアンバランスさを思わせた。
コロコロの「物」だけを描写し、「ずれている紙」の映像のみを切り取ったお手本。
解釈は作者の思いと感じた僕の感想の合成物。時折更新すると思われ。
プレバトの俳句のやつ 下
https://tanpen.net/novel/6687e7aa-2be7-45c1-9fc6-69960bcd81ba/
の第二弾。更新終了
**刑務所を囲む桜の仄白き**
慰問ライブで刑務所に赴いた。
陰鬱とした空気、規律を厳守しなければならない佇まい。その雰囲気を見守る周囲の桜だが、普通の桜よりもなぜか色が薄くみえた。
刑務所にて収容されている悪人。その周りを逃がさないとする桜の白さには、全量たる市民の目を光らせているように厳格で、怖さがある。異様に発光している桜のこわさに|戦《おのの》く。
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**|濠《ほり》の端を羽音走れり初桜**
皇居の堀沿いの桜。咲き始めの桜を目で愛でながら歩いていると、濠の端にて水鳥たちが起こす羽の音が鋭くピンと聞こえてくる。
堀の水鳥たちも春の水温を感じつつ、桜を楽しんでいるのだろうか。
端、羽音、走れり、初桜……と、「は」が連続で踏むのが、少しずつ桜が成長している日を待ち遠しく思っているのかもしれない。
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**さくらさくら子のたましいのさくら色**
もうすぐ幼稚園を卒園するうちの子を連れ添い、春の通りへ。
今この子を連れ添っている色は、頭上にて咲き誇るさくらのような色合いをしているのだろう。そんな叙情を託した句。
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**苗代の桜や鬼の住まいする**
岐阜県の下呂に「|苗代桜《なわしろざくら》」という大木の桜がある。その大樹の桜が桜散ることで、空間に大きな穴が開くように散らばってゆく。
もしかして桜の花びらは空間のかけらなのかもしれない。桜好きの鬼が住んでいるのではないか。この奥に。この桜の中に。
この世界と、未知の異世界。この二つをつなぐのが、苗代桜という大木で、大量の花びらが「自然」という名の時間で覆い隠しているのかもしれない。
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**秋高し肉まんの湯気食らう犬**
コンビニの前につないだ柴犬。戻ってきた飼い主の手にはアツアツの肉まんが。
鎖をほどく前に嗅覚に呼ばれたのだろう。かぶりつくような、飛び上がるような。後ろ足のみで身体を支え、前足で肉まんをつかむようにしている。
飼い主は取られまいと防御して、肉まんを遠ざけ空へ。それが「秋高し」の空にかかっている。
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**終点は天空の城|春《はる》の|雷《らい》**
見渡す限りの雲海に、ちょこっと飛び出た天空の城。
その背後の、さらに高度を上げた雲から春の雷の光が柔らかく点滅した。
音はやさしげで、威嚇の雰囲気はない。おそらくこの雷は到着を知らせる警笛のようなものなのか。天空から天空城へ向けて、斜めに滑空しようとする架空の乗り物。
不思議な効果・世界観の広がりを持つ、ファンタジー的な想像をかき立てる句。
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**古城抱く雪あえかなる別れ雪**
三月の終わりごろに降る最後の雪。その雪の景色を抱きて江戸時代建城の古城は佇んでいる。この雪が溶けていくにつれて、春の陽気が影を差す。
不変たる季節の推移を知っているからこそ、古城は儚く雪を抱いているのである。
二回使われる「雪」は、そっと消えてゆくのが名残惜しく、だから雪は美しいと作者が感じているのだと思われる。
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**義母の立つホームや風の春ショール**
停車する東京行きの電車と上京する私。その私を見送りに来た義母。
さびれた田舎のホームに一人立つ義母の、着ている春ショールが風に揺れ、風すらも私の出立を見送っているように感じた。
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**旅ひとり「はくたか」を追う|百千鳥《ももちどり》**
北陸新幹線「はくたか」に乗って一人旅をしている。途中の駅で減速している車窓から、鳥たちが追うように飛んでいた。「ひとり」、「百」千鳥などの数詞が、私の旅が一瞬団体旅行にでもなった気分にさせる。
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**校印の長閑なかすれ学割証**
「長閑」が春の季語。
新幹線は高いので、学割を使うために事前に学割証を発行してきた。
いざ学割を使うために持ってきたが、押された大きな校印がかすれてしまっている。
証明書を発行する学校は厳格な雰囲気があって、きっとしっかり押されていると思ったのだが、春の陽気にぼんやりしてか、印字すらぼんやりさせている。
それを見て自分もぼんやり。
気が抜けるな。あれもこれも全部春の陽気のせいにしてしまおう。
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**スッカラの|窪《くぼ》みは浅し春の宵**
スッカラは韓国のスプーンの一種。普通のスプーンに比べるとくぼみが浅い。
春の宵は春の季語。夕暮れから間もない夜は|時間経過《バトンタッチ》が長く趣がある。
|春宵一刻価千金《しゅんしょういっこくあたいせんきん》だというように、夕暮れの空から時間をかけて満天の星空になるさまは、千金に値するほど素晴らしいと昔の人は説いた。
しかし、時間経過が長いとはいえ春の宵。一時間程度と貴重だ。
また夏の気配がすると、時間は確実に短くなっていく。一杯ずつ掬い取られ、やがて飲み干される一杯の高級スープのようである。
スッカラは掬い取れる量は少ないが、底に残ったスープも最後まで掬って食べることができる。高級スープも春の宵も、貴重な代物だが時間経過とともに少しずつ無くなっていく。だが、スッカラでいただくことでそれすらも味わえる。
スッカラの浅い窪みに気づいただけで、スプーン一杯に映り込む春の宵の陰影を|仄《ほの》めかし、そこから一杯の高級スープが出現する。贅沢なひと時を詠んだ一句。
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**春愁と一人焼肉持て余す**
ある日一人で焼肉屋に寄ったが、適当に注文した焼肉たちを持て余してしまった。
誰が注文したというのだろう。誰が食べるというのだろう。
すべて俺一人だ。
年波には勝てないな。この年で一人焼肉なんてだめだな。若くないのにどうして入ったのだろう。
春の日にふと感じる物悲しさ、原因不明な悩み――そういった春愁がエッフェル塔のようにそびえたつ。
20240418
この投稿からぐぐっと来たら投稿する感じになります。
前週を合わせて5句。
**入社式一人は白きコンバース**
新入社員の集まる入社式は、就活同様黒の革靴を履いて出席するはずだ。しかし、新入社員の一人が白いスニーカーでやってきた。
「なんであいつだけスニーカーなんだ?」
「まったくこれだからZ世代は……」
などと社員はひそひそ話をしながら後ろ指をさしている。スニーカーを履いた人は一人馴染めずに恐縮する。
欧米の文化を受けて、日本でもオフィスカジュアルなどスーツを着用しないで仕事をするものも増えているというのに、さすがに入社式からスニーカーは鳴り物入り扱いなのだろう。
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**風光るピボットの軸は|逞《たくま》し**
大会が近いのか、体育館のなかは熱気がこもっている。
体育館シューズの滑り止めの音がキュッキュッと響く中、バスケットボールの練習をしていた。
今、ボールを保持するプレーヤーが、敵チームに渡さまいとボール捌きを見せている。
秒単位で決められた厳格なルールである。それは片足を軸足として固定した筋肉量のある太い足と、もう片方の足を動かすステップの素早さを見れば、おのずとわかるはずである。
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**|故郷《ふるさと》と同じ遊具や春の風**
上京したてで不器用な新生活をしている自分。
この先やっていけるのか不安な気持ちを抱えたまま、まだ慣れない郊外の町を散歩していると、小さな公園とさびれた遊具を発見した。
こんなところに公園があるのか。あっ、このブランコ、地元と同じタイプのやつだ。なるほど……。
そう思うと、近くに地元が引っ越してくれたみたいで、母親のように陰ながら自分を応援しているのかなと安心した。
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**ふわっとふらここ水平になる手前**
ブランコを漕いでいる。
振り子のように上下運動をしながら自分の揺れが大きくなっていくのを感じる。ブランコに乗った自分が地面と水平になろうとした途端、身体がふわっと浮いていく。
ブランコを漕いだことがある人ならわかるリアリティ、その瞬間を「手前」という単語に凝縮して、詠んだ者たちのあの頃の自分を追体験できるようにしている。
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**廃校や夜がぶらんこ揺すりおり**
四半世紀も経てば、すでに廃校となっているところがある。
日が落ちると、校庭だったところから、キィー、キィーとぶらんこのきしむ音が聞こえてくる。普通に考えれば風の仕業だろうが、昼になると途端に聞こえない。夜だけ、深夜中だけなのだ。
夜になると、廃校全体でぶらんこを揺らして、住民たちを驚かしているのであろうか。
そういえば数日前に某心霊スポット探索系YouTuberが来ていたな。廃校で一夜を共にするつもりだと意気込んでいたが、無事だろうか……
20240505
今回は過去1句+五句。
誰とは言えないけど、前週の某事故を起こした調子悪い芸人の句を見て「なんだこりゃ」と思ったのは事実。
**雲の峰まぶし掲ぐる大ジョッキ**
雲の峰=入道雲。
テラス席。乾杯時に掲げる大ジョッキのグラスの響きあいが空へ広がってゆく。同時にビールの入ったグラスのまぶしさが、雲の輝かしさと同期する。
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**連休の官庁街や|落椿《おちつばき》**
大型連休中の霞が関を歩いていると、車や人が全くいなくて、普段の光景と全く違い、静寂が住んでいた。
いつもは仕事の雰囲気がある忙しない通りのはず。おなじみのはずの足元に目を落とすと、地面に落ちた椿があった。普段は目が行かないところに色鮮やかない赤色を見つけ、季語との出会いをした。
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**二時間を待ってむくれる子と桜**
子供とレジャー施設に行って、二時間待ちを食らわされた。子供の唇を見ると、すでにむくれていて、上向きに動いている。近くの桜も小さな子供のように揺れて待っている。
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**渋滞や|柩《ひつぎ》の母とゐる深春**
母が亡くなって霊柩車の助手席に乗った。
斎場に向かう道のりで、連休によるものだろう渋滞に嵌った。いつもは渋滞のさなかの車内なんてたまったものではないが、今の待ち時間は母と長くゐる、もう少しだけ長く過ごせる、最後の時だと思った。それは一瞬の時であるが、深春のように長く感じた。
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**桜雨走れり色の無き渋滞**
一瞬フロントガラスに桜雨が通り過ぎた。
動きがあるのは桜雨のみで、私の車は「色の無き渋滞」の只中である。
それだけの句だが、対比をうまく切り取った俳句で、
色の失った渋滞と色のある桜雨。
動きのない渋滞と動きのある桜雨。
時間経過の長い渋滞と一瞬を切り取った桜雨。
人工的に作りだした渋滞と自然の作り出した桜雨。
など対比はさまざま。
渋滞に巻き込まれたときの何とも言えない憂鬱な時間を、さらりと桜雨が落ちる。
周囲は色を失うほどに身動きが取れず、しがらみにまみれている。一方桜雨は一瞬のみ咲き誇るが、散ってもなおこれが自由だと言わんばかりに踊り走る。
季語が主役になっている質の高い詩。
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**春休みの原宿四つ折りの紙幣**
まだ電子マネーが普及していない平成。
学生時代の特権ともいえる春休みに、若者最先端の原宿にやってきた。しかし学生ゆえに所持金は少なく、交通費を除くと一万円といった感じだろう。その一枚は財布の中に大事にしまうように畳んだ四つ折りの一万円札に表れており、それを取り出し「さあ何を買おうか」とこれからの買い物に想像をめぐらす。
20240519
五句ごく。
**迎え梅雨借りたノートに滲む文字**
梅雨の朝、傘をさしていたが、教室でカバンの中を見たら教科書やノートが濡れてしまった。自分のノートであれば「あーあ」と諦めがついたりできるが、その雨の犠牲に友達から借りたノートもあった。
写し終わって返そうと思ったのに、どう返せばよいのか……借りた手前濡れたまま返すのは忍びないし、かといって乾いてから渡すのも。
そういったハプニングに複雑な作者の心境が「滲む文字」に表れている。
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**虹の下クレヨンの箱踊り出す**
雨上がりの空に虹がかかり、子供があっと空を指さす。
虹は瞬間的なもので、長く出現しない。子供はその虹をスケッチをしようと描く。
急がないといけない。あの色を使おうか、この色か。いやこの色だ。そうやって弁当箱の中からおかずを選ぶように、クレヨンの箱から色を探しだしている。その無造作な手によって、飛び出るように、動き出すようになって、子供と一緒にテンションが高くなってしまう。
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**鉛筆に黒ずむ袖や|晩夏光《ばんかこう》**
勉強をし過ぎると、小指側の手の横がシャー芯の黒鉛で黒くなる。
特に受験勉強であればその黒ずみは濃くなるだろう。手のみであれば、休憩時間に手洗いをすれば落ちる。しかし、その黒は服の袖にまで及ぼし、そこに夏の晩になりゆく陽ざしが加わる。それは黒鉛の黒だけではなく、光による影の黒さも加味される。夏は一番昼が長いが、これから年末にかけて闇が加速する。その予兆も感じさせる。
※実際は鉛筆よりシャー芯だと思うが、季語の関係があるのかその辺はしょうがないと思われ。鉛筆が夏の季語。
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**|密《ひそ》やかに鉛筆登るてんと虫**
テントウムシが鉛筆を登っている。
それだけの句だが、「密やかに」の描写で様々なシチュエーションが想像できる。
例えば小学生のいる部屋。主はトイレから帰ってきて、夏休みの宿題の置かれた勉強机に戻ってきたら、テントウムシがいた。丸いペン入れに色とりどりの蛍光ペンや赤ペンなどが入っている。そのうちの一本の鉛筆に止まって、少しずつ登っている。
赤と黒の斑点模様から、採点の赤と鉛筆の黒を想像させ、先の尖った頂点を目指している。その一匹の挑戦を見守るように、小さな部屋の主はじっと見守っているのだ。
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**初夏のひかりのインク硝子ペン**
文房具店に行って、硝子ペンを見かけた。
硝子ペンは通常のペンとは違い、インクが充填されていない。購入後にインクを吸い込んで、使用するのである。
それまでインクを吸わない硝子ペンは、何が入っているのか。使用される直前までは、何の文房具……何の|器《うつわ》なのだろう。
硝子ペンの神秘な色合いは、もしかしたら「ひかりでできたインク」が入っていたのではないか。と思えてしまう。
使用直前で液体を吸い込んで一方、どこかに消えてしまう。その残滓がインクに混ざって、硝子ペンの先から描かれているのではないか。
20240519
四句。
「断崖は驟雨三分ノーカット」が、場面描写がえぐいなって思った。雨の必然性が出てる。
**春雨や祖父の先ゆくかえる寺**
福岡に「カエル寺」というお寺がある。カエルの由来は、一万体以上のカエルの置物が所蔵されているためである。
今日は雨の日だけど、だからこそ、そのカエルたちを見に行きたい。雨だけど雨脚は弱いし。
そうやって強引に祖父を連れだし、着いたとたん祖父を追い越してカエル寺に行く。カエルの置物好きな奇特な子供が、駆け込み寺のように、境内を走る。長靴を履いているから水たまりなんてへっちゃら。水音がばしゃんと弾ける音がしてきそう。
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**夏雨のシーン子役の着替え手に**
夏の空より降る雨のシーン。
子役が演技をしているも、雨なのでびっしょり濡れている。
夏でもきっとつらいと思っているだろう。
近く、マネージャーがその子の着替えを手に持っている。
撮影中なので邪魔はできないが、それはきっとわが子を思うように、心配の目をしているのかもしれない。
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**雨の森独り|空蝉《うつせみ》見る少女**
独りになりたいときに逃げ込む森がある。
理由はどうであれ、今日も一人になりたいときがやってきた。
いつの間にか家路の道から外れてしまって、そのまま雨の森へ。何十本の樹根と泥まみれになりながらも、雨に濡れてまで、独りになりたいがために森の奥へ行く。そこで出会う虫の抜け殻。
この樹皮に張り付く空蝉を見に、少女は独りになるのだ。
空蝉の不透明な光。雨の粒が反射する光。濡れた木々の匂い、泥のまとわりつく靴裏の感触。
ささやかに響きあい、それが主役級の少女の孤独ごと、ずぶぬれにさせている。おそらく空蝉は雨に濡れていない。
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**断崖は|驟雨《しゅうう》三分ノーカット**
驟雨とは、急に降り出していきなり止む雨のこと。それが断崖の際にて現れた。
強烈な雨が降りそそぎ、しかし雲の流れからすぐに止んでしまうだろう。
失敗のできない撮影の現場。
鬼気迫る俳優の表情。
立て板に水のごとくセリフが流れ、相乗効果で強まる雨音。
今撮らなければならないシーン。
撮影の緊張感と真剣さ、臨場感。失敗の許さない一体感が「三分ノーカット」に伝わる。
20240603
ミニ四句
**上京や洗うTシャツ独りぶん**
独り暮らしの洗濯機を眺めていた。上京する前は家族の人数をまとめて洗っていたから、ずいぶんと重みのある回り方・音の鳴り方・洗剤、そして洗濯後の干す圧倒的な量があった。
しかし、今は自分一人分。
その軽い感じに回されると、なんか寂しい感じがしてしまう。
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**Tシャツに|昨夜《よべ》のキャンプの煙の香**
洗濯機が止まって洗濯物を取り出すと、洗剤の香りとともにけむりの匂いがうっすら残っていることに気づいた。
あれ、まだ洗い足りないのかな……くんくん。と、洗ったばかりのTシャツを顔に近づけて、匂いを確かめている。その行為により、うっすらと、このTシャツとともにキャンプを過ごした昨夜のことを思い出す。
林の中、枝葉、たき火、川のせせらぎ……かすかに宿った自然の香り。
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**ベランダの夏雲部屋からはサザン**
外に目を向けると、夏の雲が泳いでいるのが分かる。
あーあ、そろそろやらないと……。空の優雅さに憧れて、または雲に釣られて。
一人の若い学生が、洗濯物を干しにベランダに出る。
本当は閉めたほうが冷暖房的には良いと思うが、別に閉めなくていっか。自分のだけだし。
窓を開けっ放しにした自室からは つけっぱなしにしたサザンのリズムが流れ落ちる。
この場面から、何かが始まるストーリー……。
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**洗剤の封切る新緑の|朝《あした》**
夏の気持ちの良い朝に、まだ未開封の洗剤のパックを開ける。
手先をねじる指先の込める力により、洗剤のプラスチック袋の封が切られること。それらがリンクして一日のスタートを切ったと表現している。
直後、スパッと開封する際の気持ちの良い感覚や、その瞬間に漏れ出てくる洗剤の香りが「新緑の朝だなあ」と実感させられた。
おまけ 水彩画コンクール2024夏
おなじプレバト枠。
俳句ではありませんが、絵を見て、なんか書こうというやつ。
むずう。
先生が描かれたものがあったら、そちらを優先して書いています。
共通テーマ 風を感じる瞬間
**ウィンドサーフィン**
ウィンドサーフィンとは、風を使って水面を走るマリンスポーツである。
風を待ち、風を読み、風を頼り、風を使う。風に変わらずに一体感を持つこと。それがウィンドサーフィンの根幹である。ひとたび風になれば水面に浮きあがるように滑走することができる。
縦に長い赤い帆が海上に立って進んでいる。
風が帆の先に当たり、|皺《しわ》に沿ってなびく。
サーフボードも海を切り分ける船先のような鋭敏さがある。
風が吹いて帆が膨らむという動的な構図。
サーフボードの裏側、海と板の間に、海中に溶け込むような淡い影が。その影から伸びる帆のシルエットが赤く淡く海に溶け込んでいる。
筋肉質な操縦者であるウィンドサーファーは、片手は|艇《てい》を支え、もう片方の手を自由にしている。身体を斜めにさせ、こちらに手を振る余裕さえある。
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**サイクリング**
風の道が広がっているようである。
紙の上半分以上が空で、土手のサイクリングロードとアーチ状をした橋が悠然と隅田川を横切っている。
天気は快晴に近い晴天で、雲一つない。日差しを受けてサイクリングをしている。
男女二人が並走しており、後ろ姿を見せている。男性は重たそうな黒いリュックを、女性は特に荷物を携行せず、身一つだ。
女性のほうが先行しており、水色の服が自転車走行の風に揺らめき、後方へ爽快に流れていく。
手前側には土手の緑地を利用したか、サイクリングロードへ草はなびいている。その風を利用してタンポポは黄色の花と綿毛両方が窺える。
空を舞う綿毛。
風の道、白い綿毛が雲のひと欠片のように間違わせるほどの広い構図。空の明かるげな水色。
さわやかな風。
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**オープンカー**
風を切る赤いオープンカー。
小型車のようで、ナンバープレートの色は黄色だ。
右から左へと走っているさまを切り取ったもので、背の高い南国風の樹木がジャングルの一部のように生えている。
空は夏の日差しのように強い光が幾筋も走り、白く細い筋雲が、まるで光の剣のようにそのままアスファルトを突き刺している。路面の光の輝きも一種の車線のようでもある。
オープンカーの赤い車体にもその光の反射が見え、ダイナミックに斜めのラインを浮かび上がらせている。
助手席に座る長い髪をした茶髪の女性は、天井のない車でしか味わえない走行音と風を一心に感じ、髪を乱れ狂わせている。
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**誕生日**
ろうそくのついたホールケーキと、ろうそく火を吹き消そうとする幼い少女。手前側にケーキが、その奥に少女がいる。
少女の髪は三つ編みで、ろうそくの本数は七本。
ぎゅっとすぼめた口の形から勢いよく息を吹きかけ、ろうそくの火が一本、また一本と負けていく。消えたところから白い煙がゆらゆらと空気中にたなびき、彼女の顔の輪郭や幼い服装をぼやけさせていく。
絵の背景は赤や黄や青や、様々な色合いをした模様をしており、メルヘンな空気にさせている。それをぼやかしているのはやはり、計七本から生じさせるろうそくの煙となるのであろう。
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**バンジージャンプ**
ジャンプ台から飛び降りた直後を描いた構図。
両手を十文字に広げ、そのままの姿勢で飛び降りている。背中には固定具と命綱のロープ。ロープは右側にたわみ、伸びようとして、残りは画角の下側に抜けている。
彼女の飛び降りる先は渓流となっていて、遠景には滝のようなものが見えている。両脇は緑が押し寄せている。
彼女の感じる爆風はスリル満点であり、彼女を押しつぶそうかというような緑である。森の緑と渓流の青、そのはざまに彼女は落ちようとしているのである。
現場の感じる恐怖、高さ、落差、自然物に溶け込む一人。
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**大漁旗のある船**
向かって左側を見せている船体。右側から左へ、船先が及んでいる。
その上には原色を用いた大漁旗が。
日の丸に「第三忠彦丸」と書かれている。「祝」「大漁」もめでたい。
船の後ろには水平線と島影、それから雲があり、メインの漁船を目立たせない。
空の雄大さ、海の広がり、白波を立たせ港へ帰ってきたという漁船の躍動感のある海の絵。
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**扇風機**
縁側に置かれた扇風機の前で、淡い青を着た少女が座っている。
口を大きく広げ、扇風機の風を吸い込むようで、「あーー」と声を吐いているようで。
髪の毛の動きは風で乱れなびき、胸元からひざ下にかけて涼しげな服の皺を生み出している。
扇風機の近くに一杯分の麦茶が隠れるように添えられている。
ワックス仕上げの強い光の反射が、木製の床や壁に表れ、強い夏の日差しを受け返している。
淡い黄色のひさし。マツの木が植わった庭園。
帰省した直後の少女の姿。嬉しそうな笑顔。
参考:プレバト絵を載せてるブログ。
https://tmbi-joho.com/2024/06/06/pre24s/
20240707
四句。
特別永世名人の締めの一句がお粗末すぎて草生える。
**夏の雨電車が遅延したことに**
「電車が遅延してしまいまして……」
と電話を入れるが、それは遅れを取り戻すための最寄り駅へのダッシュの最中。本当は寝坊が遅刻理由なのだが、ちょうど雨が降っていたため遅延理由にした。
湿度と熱を含んだ空気が重い夏の雨と雰囲気をかけている。
「……したことに」の後を書かないことで余白が生まれ、まだ降りしきっているか、天候模様が回復しているのかわからない。
状況が不定なところも、遅刻理由が不明瞭なところとマッチしている。
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**オーディションへ向かう車窓の梅雨の|雷《らい》**
子役時代。
学校生活の合間にオーディションの日程が挟まることがある。
放課後、もう家に着く時間なのに、自分は疲れた身体を電車の車窓にべったりとつけている。つかの間の休息のようだが、これはオーディションに向かう厳しい道の合間であるのだ。
車窓の景色は曇天で、梅雨曇から鋭い雷の光、遅れてドーンと轟く音が聞こえてくる。雨音よりも雷。
これから行われるオーディションの予兆。
雷の音からくる緊張感。
真剣味、リアリティ……
オーディションの合格不合格の発表は、梅雨の雷のように湿っぽく、突然知らされる。そこに覚悟を決める時間の猶予はなく、次々と落とされるものである。
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**十度目のタクシーアプリ梅雨の雷**
スマホ一つでタクシーが呼べる配車アプリ。
電話がつながらないときは、こちらのほうが電話料金がかからず、便利な世の中になったものだ。
しかし、考えることはみな同じようで、特に雨の日はまったくつながらない。住所を入力して、送信……するが、ずっとぐるぐるぐるぐる……通信遮断。もうこれで十度目だよ。
季語「梅雨の雷」がタクシー難民となった作者の焦る気持ちを募らせるような雷の音をうまく表現している。
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**埼京線運転再開扇子閉づ**
夏の通勤電車。
早く動かないかなー、とぱたぱた扇子を|扇《あお》いでいる。
するとアナウンスより運転再開の知らせを聞き、ようやくかと扇子をしゅっと閉じる。
「扇子閉づ」という扇子を閉じる描写のみにとどめることで、運転再開前の扇子を使っている時を想像させるようにしている。
「運転再開」という瞬間的な時間軸。扇子で夏の季語。
そこから埼京線の車内の込み具合はどうだろう、扇子を使っているということは冷気と湿気の混在する空気感なのだろうか、など想像が湧く。
中八だが、リズムのある語句となっているためあまり気にならない。
20240716
3800文字以上。
プレバト「炎帝戦」の俳句たちを僕なりに解釈したもの。
(15句。添削後も含む)
・|雪渓《せっけい》のピザ屋品川ナンバー|来《く》
長野県に美味しいピザ屋がある。
友達がそう言って聞かないので、仕方ないな、と車を走らせ一緒に出掛けた。
夏の季節だというのに、長野県は冬景色の一部を残している。遠景の山々に溶けゆく去年の雪を見ながら、窓際の席でピザにかぶりつく。
すると、たった今、ドライなエンジン音が窓を突き抜けてきた。
お、俺たちの後続かな?
と目を傾けてみると、そこには前向きに駐車をしようとする品川ナンバーの車が。
白くて冷たいイメージの「雪渓」と、アツアツで様々な具材をのせカラフルな「ピザ」の色の対比、温度の対比。
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・USJセットファザードの|片陰《かたかげ》
マリオワールド、ハリーポッター、名探偵コナン。
USJには有名どころのアニメや映画の中にいるような舞台セットが押し込められている。
セットファザードは、夢と現実を分ける境界線のようであり、壁のようでもある。
リアリティを突き詰めると、とある現実の夏の午後の、家並みの景色になっていく。目が当然のようだと認識して、第一印象の強い感慨から遠ざかろうとしている。
入場者はそれらセットに一瞥をしながら贅沢に歩いていく。
夢焦がれた街並みとして、あるいは日差しから逃れるために作られた、作り物の日よけとして、日陰を歩いていく。
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・夏を追う|叡電《えいでん》の影チャリの影
鞍馬寺に行く叡山電車の景色。
大正時代をイメージしたデザインの、森林を写し取ったかのような濃緑の、ノスタルジックな車体。
その影と並走する自転車の影が車体に差す。
通学時間であろうと日中であろうと、叡電はゆっくりと走行し、自転車――チャリといい勝負である。
森林の自然に溶ける夏の影を追うように、叡電の影、チャリの影が長針と短針のように重なり合って、影の色――緑を濃くしていく。
それは、夏が始まったことを意味し、夏が少しずつ去っていく様子でもある。
景色に影の動きがリフレインする句の運び。
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・渡月橋の|騒《ぞめ》き干からびた|蜥蜴《トカゲ》
昭和の上皇さまが、橋の上空を移動していく月を眺め、「月の渡るに似る」と感想を述べたことから「渡月橋」と名付けられた。
京都嵐山を代表する名所であり、縁石で一段高くした石畳の歩道が車道の両脇に付いており、そこを通る多くの観光客でにぎわう橋だ。
夏の渡月橋もそれはそれは浮かれ騒ぐものである。
人でごった返す声や車の走行音。石畳の上を歩く足音。観光客の浮ついた雰囲気。
ふと呼ばれたように足元を見ると、うわっ。
干からびた蜥蜴、一匹の死体がある。
地面の色と同化してきており、身体は褪せ、かろうじて形を保っているが、もう生物だったときを忘れている。
そうか、この橋上の騒音たるや、ひっそりとこの世を去り、抜け殻となった蜥蜴などを覆い隠すものなのだ。
私以外はみな、橋の下の水音や水の息遣いを眺めているのに、私だけはこの蜥蜴に気づいた。
蜥蜴の抜け殻は橋の上の騒きは、嘲笑のようなものだったのだ。
その騒きは、例外なく私も含まれる。
「うわっ」と驚いたからである。
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・始発待つ素足ぶらぶら|大三東《おおみさき》
日本一海に近い駅である大三東駅。
朝まだきのプラットホームに腰かけて、足をぶらぶらさせている。
足先を伸ばせば海に届くかという錯覚を覚える。
打ち鳴らす潮の粒が素足に飛んできて、水が近い。
おそらく海面には白い泡が浮かんでいることだろうが、自分には音しか知らない。
まだ今日の色を知らない夜明けの朝。
朝日を待つ、始発電車を待つ。
ぶらぶらさせている足の動き。
絶え間なく飛んでくる潮の粒。冷たさ。
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・カタカナの魚ばかりや|市薄暑《いちはくしょ》
初夏の汗ばむ暑さのある沖縄の市場。
予想通りというべきか、市場には知らない魚ばかりが売られている。
獲れたての鮮魚だろうが、知らなすぎて、魚より魚の名札が目に入ってしまう。
黄色い紙に書かれたカタカナの名前。
聞いたこともない見たこともない。
カラフルで不思議な形をした魚。珍魚。
何の気なしに氷の上に置かれ、売られている。
それを地元の人たちは特に疑問も感じずに買っていく。
異国情緒のある方言の飛び交う会話。現場。海産物。
ああ、沖縄に来たんだなあ、という感嘆、それから戸惑い。
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・スキットルの固き四角や花|梯梧《でいご》
梯梧は沖縄の県花。
赤い花の色が夏色を写し取ったかのように盛んに燃える。
スキットルとは、変な形をした水筒のようなもの。
中にウィスキーなど酒を入れて携帯し、のんべんだらりとしている酔っ払いなどに似合う。
夏の日差しから逃れるように、赤い花の梯梧の近くで休んでいた。
観光地の海を見ながら、水分補給をするかのようにスキットルを手に持っている。
夏なのに手は冷たい。重たい。
スキットルの冷たさ、重たさを実感しつつ、夏を客観的に観光する。
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・|舳先《へさき》より泡盛の|神酒《みき》一礼す
沖縄のお酒「泡盛」は、度数の高い蒸留酒である。
沖へ出る前、船が離岸した直後、若手漁師が大事そうに酒瓶を持って出てきた。
少量の泡盛を船の舳先より海へ。
船端部ではなく、船の先頭……舳先からである。
海の神様が先に、という敬意が垣間見える。
貴重な酒を海に垂らし、海の神様に豊漁と航海の安全祈願をしてから、この船は漁に出向くのである。
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・熱田守護なる亀の甲羅の|蛭《ヒル》を|剥《は》ぐ
熱田神宮の池にはたくさんの亀が泳いでいる。
中央には大きな石があり、晴天の日は池から上がって甲羅干しをしている。
ある日、この石で休んでいる亀の一匹に、おびただしい蛭がくっついていた。そのために甲羅干しをしているのだろう。
守り神たる亀だが、ちょっとかわいそうと思い、本当はいけないのだがこっそり家に持ち帰ってきれいにしてやることにした。
甲羅にくっついた蛭をピンセットで剥がして元通りになっていく亀。その最中は全く動かず、石のように動じず。
蛭を剥がし終わり、甲羅干しをしていた池に戻してやるが、亀は熱田神宮の手本のようにしばらく動かずにいた。
蛭を剥がす前と後、いでたちは全く変わらない。
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・|黴《かび》臭いホテルだけど海がデカい
ホテルに入ってみた第一印象は、黴臭いし湿気臭い。最悪のホテルだと思った。
海が近いからだ。それはそうだ、ホテルの敷地より海のほうが広い。納得の理由だ。
景色がよいからって、人間の経営する領域まで入ってくるとは。ホテルの採点がいやに甘かったらしい。
ちょっと嫌な気持ちになりつつ、窓を開けてみると、思ったよりも海が近く、前面展望が開けていく。
海と空の水平線がまろやかな青に溶けていて、境界線がないように見えた。自然と笑みで顔はほころんでいく。
黴臭さは海の香りとともに流れ、室内は清涼となり、今では良い思い出に。
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・|舷《ふなべり》や|腹《はら》蒼々と|海猫《ごめ》の|群《むれ》
遊覧船に揺られて空や海を眺めている。
|海猫《うみねこ》が空から海へ降りてきた。海中の餌を狙っているようだ。
その際、降りてきた海猫の白い腹は、空の青い光が海へと投射され鏡のように反射する海面の光によって青く映じていた。
海のサファイヤのように光り輝き、希少価値を高めた青が海上を優雅に飛んでいる。船べりの手すりに邪魔されなければ、手を伸ばしたくなるようだった。
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・釧路駅知らないコンビニの冷房
北海道に旅行しに行った。
釧路駅、まったく知らない場所。
セイコーマート?
地元にはない店の名前だったので入ってみた。
入店して分かったが、どうやらコンビニのようだ。
建物の中に入ったからか、安心感が心に宿ったことに気づいた。
コンビニの店内は相変わらず冷えており、変わらなく涼しい。
同じ冷やし方、空気、チルド弁当の陳列棚から匂ってくる普通感。
冷房能力のチープな気づきが、不慣れな土地を歩く旅行者に一定の安心感を与え、ホッと安堵する。
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--- 決勝戦 ---
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・宮古島ホースに溜まる水は|炎《も》ゆ
外に備え付けられたホースを持ち、蛇口をひねるが、中に溜まった水が燃えるように熱い。びっくりしてホースから手を放してしまった。
蛇口をひねらなければ気づかない熱気であり、それまで何も言わずに黙っているホースとその中の水は蒸気として逃げることもできず、熱湯になるほど日光で温められていた。
水は炎に変換される一歩手前まできていたのだろうか。
その際、最終的にホースはどうなるのだろう、破裂するだろうか?
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・油照り影が溶け出す|中田島《なかたじま》
静岡県浜松市に中田島砂丘というものがある。
海風によって風紋が砂上に浮かび上がり、夏はウミガメの産卵のために上陸する。それを見るために訪れる人も多い。
しかし、砂丘と夏は相性がよく、それから相性が悪い。
夜はいいが、昼はこの世の地獄を呼び寄せるかのように暑い。
観光客の影が溶けていっても構いなし。
油田のある国のように、砂浜は日光を喰らい続ける。
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・|夏暁《なつあけ》の|納沙布《のさっぷ》FMのノイズ
夏は明けが早い。四時から五時になるともう空は白んでくる。
気温も上がらないので一日のうちで最も清々しい。
――あれっ?
車のFMラジオの調子が悪いな。
ノイズが。……まあいいか。
なぜなら僕らはこれから朝焼けを見に行くんだから。
北海道の納沙布岬は日本で最初に日が昇る場所だ。
北海道でも端のほう。ラジオの電波が届かないことも合点がいきやすい。別にラジオなんていつでも聞けるしな。
車の中でノイズがかかったまま、暗闇が薄くなるのを待っている時間帯。
期待感の収まらない、目線が行ったり来たりと泳ぎだす。
今に声をあげて、日の出を|礼賛《らいさん》するだろう。
20240904
6句
**|露葎《つゆむぐら》 |槌《つち》の子|誘《おび》きだす卵**
未確認生物であるツチノコ、どうやら生卵を食べるらしいと聞いた。眉唾物だが、子供のころはそういったことに何ら疑いもなく、素直に受け取るものだ。
村の守り神の、樹齢100年樹の根元に預けるように、生き生きと生卵を仕掛ける子供たち。後日確認してみたが、残念ながらツチノコは捕獲できなかった。その代わり、秋の低温と冬の予兆である露が、地面の葉に引っかかっていた。
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**曾祖父の出征|朱夏《しゅか》の卵焼き**
戦時中、卵が貴重だった時代。
卵焼きが大好きだった曾祖父の出征日に際し、曾祖母が卵焼きを特別に作って出してくれた。
「朱夏」という季語が、戦争に赴く曾祖父と黄色い卵焼きの焼き目。これから人を殺してしまうかもしれない近い未来。血の赤、背負う日の丸の赤、出征を通達する赤紙など、鮮烈な赤を添える働きがある。
出征、朱夏と音をそろえているのもポイント高い。
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**ゆで玉子ていねいに剥く野分の|夜《よ》**
台風が家全体を揺らすように夜を襲っている。
家の中で眠れない人が、丁寧にゆで卵の殻を剥いている。
パリ、パリ、の音で自分の心を落ち着かせようと努力している様子は、その時代卵が貴重であることの証左である。
殻の剥く音と台風の激しい音が乱雑にまじりあい、野分の強い風ですべてを吹き飛ばそうとしている。
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**|秋郊《しゅうこう》のビストロ放し飼いの|軍鶏《しゃも》**
秋郊:秋の郊外の草原。
郊外の美しくておいしいと噂のビストロへ、食事をしてきた。
軍鶏の卵料理は絶品で、放し飼いの軍鶏の鳴き声がくちばしで突かれるようにそこまで聞こえてくるようである。
都会の窮屈な場所より、このような土地の広いところで飼われた動物の卵は一段と高級っぽく見え、味も段違い。
ストレスの色が感じないからこそ、美味しいに違いない。
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**ほの青き地鶏の卵秋の宿**
宿以外何もない秋の宿。テレビもなければネットもない。
あるのは夜にいただく地鶏を使った料理のみ。
卵の殻の色は、白い色が強く出ているようで白というより青い。それを割って、卵を溶く。
静寂の温泉地で、卵を溶きまわす箸の音が室内に響く。自らが生み出している音に、若干の安心が|滾々《こんこん》と湧いて出る。
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**立秋のたまご水平線の色**
「たまご」という小さな生まれたての典型を出して、後半に「水平線」という海の色を示す。
そのたまごの色は本当に青かったかもしれない。白波立つおだやかな海から生まれたのだから。
あるいは、茶色のたまごでも、夕暮れの茶色に焦がす海を想像できる。
青を書かないで青と感じさせる、茶色と書かず茶色を感じさせる。
読者の想像の余地を残した句といえる。
20240911
五句。
**弁当を運ぶ自転車秋時雨**
ウーバーイーツのような、大きなかごを背中に背負った自転車が通った。
路面は秋の雨でうっとりと濡れ、天候も降ったりやんだりして中途半端だ。
デリバリーの自転車だから、時間指定があるのだろう。急がなくてはいけない。
雨宿りをしている暇はなく、かといって雨のなか走ると転ぶ危険もある。弁当が濡れてしまう可能性もあり得る。
そんな雨のトラブルは、ふとした瞬間に訪れるもの。
デリバリーの人も気を付けているかもしれないが、背中も不安定、路面も不安定。きっとハンドルを握る手元も、背中で揺れる弁当も。
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**綿あめや葉月のかかと浮かせたる**
綿あめを作る機械がやってきた。
普段は屋台などでしかお目にかかれない代物だから、すぐに行列になった。
待っていて、列の中盤までになると、綿あめを作る工程が見られるようになる。
自分は背が小さいので、わくわくしながらかかとを浮かして覗こうとする。
葉月(=夏)なので、靴ではなくサンダルを履いているだろうし、はだしの踵が上がったり下がったり。作者は子供っぽい感じがあって、いかにも夏らしい光景。
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**風爽か豚骨臭のシーン8**
撮影現場の最中に、豚骨ラーメンが差し入れで出た。
珍しさもあり、撮影現場なのに食べれられるとあって、大変喜んだ。
みんなで豚骨ラーメンを食べたので、「シーン8」の撮影空間は豚骨の濃い匂いに包まれている。まるでラーメン屋にいるようだ。しかし、ドラマ撮影を再開しないといけない。
撮影の合間に食べる豚骨ラーメンは美味しいなあ。しかもみんなで。ほかの現場だと匂いが強い食事は避けようとするから。
エネルギーチャージで一体感が出て、風爽かの勢いで一気に撮影できた。
ドラマ完成後になれば、その豚骨臭など到底分からない出来栄えだ。
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**差し入れの桃ゾンビらに二十切れ**
撮影現場のセットに置かれた桃の切れ端二十切れ。
すでに切られて放置されているのか、新鮮さは無く色褪せている。そこに、ゾンビ役のエキストラの方々が大量に押し寄せる。
慣れない現場で身体の動きは緩慢で、ゾンビのようにおぼつかない足取りをしている。
おそらくひと欠片も残さないだろう。
桃本来の色など気にせず、あっという間に集まって、跡形もなく食い漁る。
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**ロケ終盤夜食に並ぶ研修医**
研修医や看護師に扮した男女の混じった役者さんたち。
医療ドラマの撮影は深夜におよび、全員くたくただ。
さて、どれにしようかな……。
研修医に扮する役者ということは、若手俳優だろう。
疲れ果てた身体にエネルギーを得るために、テーブルの上に並んだ夜食を眺めている。
きっと本職の研修医たちも、夜にまで時間がおよんでいるはずだ。
こうやってADさんが選び取りやすいように夜食を整列させてはいないだろうが、頭の中では「どれを食べようか」と様々なメニューが浮かんでいるはずだ……教示する臨床医師の目を盗んで。