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目次
第1話:黄金色の花嫁
「……おい、いつまでそこで突っ立っとんねん。べっぴん以外は歩かせへん言うたけど、地味な女も目障りやねん」
禪院家の広大な屋敷、その廊下で私を迎えたのは、冷ややかな瞳をした婚約者――禪院直哉様だった。
私は京都の旧家から、この禪院家へと嫁いできたばかり。
呪術界の御三家、その次期当主と目されるお方の放った第一声は、期待していたような甘いものではなかったけれど。
(……なんて、綺麗な人。それに、なんだか少し照れておられるのかしら?)
私はお淑やかに袖を合わせ、深々と頭を下げた。
「柊の家より参りました、紬と申します。直哉様、これからどうぞ……よろしくお願いいたしますね」
顔を上げると、直哉様が言葉を失ったように目を見開いた。
西日に照らされた私の髪が、黄金色に輝いたからかもしれない。
直哉様は一瞬、耳の端を赤く染めたように見えたけれど、すぐにフンと鼻を鳴らして視線を逸らした。
「……フン、髪だけは立派やな。どんくさい真似したら即、叩き出すからな」
そう言って背を向けて歩き出す直哉様。
けれど、その足取りはどこか落ち着きがない。
その日の夜。
挨拶を終えた私が自室へ戻ろうとすると、廊下に使用人たちが集まってパニックになっていた。
「大変だ! 紬様がお見えにならない!」
「お部屋にもお庭にもいらっしゃらないなんて、もしや賊に……!?」
私はクスクスと笑いながら、柱の影で「認識阻害」の術式を解いた。
「あら、皆様どうなさいました? 私はずっと、ここにおりましたよ」
「……ひっ!? つ、紬様!?」
「今、何もなかったところから現れましたよね!? 心臓が止まるかと思いました……!」
腰を抜かす使用人たちの姿が可笑しくて、私はつい悪戯っぽく微笑む。
すると、騒ぎを聞きつけたのか、奥から直哉様が不機嫌そうに現れた。
「……何や、ガタガタと。自分、何しとんねん」
直哉様は私をじろりと睨んだ。けれど、その瞳にはどこか安堵の色が混じっている。
私はわざと、とぼけた顔で首を傾げた。
「ふふ、少し『かくれんぼ』を。直哉様も、ご一緒にいかがですか?」
「……アホか! 誰がそんなガキの遊びに付き合うか! 早う寝ろ!」
怒鳴りながら立ち去る直哉様の背中を見送りながら、私は確信した。
このお方は、きっと本当はとてもお優しい。
(直哉様。これからたくさん、私を見つけてくださいね)
黄金色の瞳を細めて笑う私の後ろで、物陰から様子を見ていた当主・直毘人様が「ガハハ!」と豪快な笑い声を上げた。
「直哉の奴、あんなに顔を赤くして。……紬ちゃん、この家は退屈させんぞ!」
私の、波乱に満ちた禪院家での生活は、こうして幕を開けた。
🔚
第2話:消える花嫁と、焦る若旦那
禪院家に来て一週間。私はこの広大な屋敷の構造をだいたい把握した。
そして何より、私の新しい「お仕事」も見つけた。
「紬様、またそんな高いところを……! 降りてくださいまし!」
「ふふ、大丈夫ですよ。ここ、埃が溜まっていましたから」
私は術式で姿を消したまま、ひらりと鴨居の上に飛び乗り、はたきをかける。使用人たちは、誰もいない空間からパタパタとはたきの音だけが聞こえる怪奇現象に、最初は腰を抜かしていたけれど。
「……あ、紬様。ついでにその横の欄間もお願いできますか?」
「はい、お任せください!」
今では、掃除の難しい場所を任される「便利なお嬢様」として、すっかり馴染んでしまった。
そんな和やかな空気の中、ドカドカと激しい足音が廊下に響く。
「おい! 紬! どこにおんねん!」
不機嫌さ全開の直哉様だ。私はいたずら心が疼き、術式を維持したまま声を殺して、彼の頭上から様子をうかがう。
「……チッ、またおらんのか。あの女、勝手に外出しとんのとちゃうやろな」
直哉様は私の姿が見えないと分かると、目に見えて焦りだした。キョロキョロと辺りを見渡し、しまいには使用人の襟元を掴まんばかりの勢いで詰め寄る。
「おい、紬はどこや! 隠しとんのか!」
「い、いえ……紬様は、その……」
使用人は私の居場所を知っているけれど、私の「しーっ」というジェスチャーを見て、必死に笑いを堪えている。
「……っ、どこや! 紬! 呼び捨てにして怒っとんのか!?」
直哉様の声が少し裏返る。相当焦っているらしい。私は鴨居から音もなく飛び降り、直哉様の背後、耳元でそっと術式を解いた。
「……ここにおりますよ、直哉様」
「うわあああっ!?」
直哉様は情けない声を上げて飛び上がった。弾かれたように振り返り、私の顔を見るなり、今度は顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
「自分、ええ加減にせぇよ! 驚かすな言うたやろ!」
「ふふ、あまりに直哉様が一生懸命探してくださるから、嬉しくて」
「……誰が一生懸命や! 暇つぶしや、暇つぶし!」
直哉様は吐き捨てるように言うけれど、その手は私の手首をぎゅっと、離さないと言わんばかりに強く掴んでいた。
「……おい、直哉。紬ちゃんをそんなに怖がらせるな。腰が引けとるぞ(笑)」
廊下の先で、直毘人様がひょうひょうと酒を煽りながら現れた。
「親父! 黙れや! こいつが、術式でコソコソ隠れるのが悪いんや!」
「ガハハ! 紬ちゃん、直哉はな、お前の姿が見えんとすぐパニックになるんや。愛されとるのう」
「愛とか言うな! 汚らわしい!」
顔を真っ赤にして私を引っ張るように歩き出す直哉様。その背中を見ながら、私は心の中で小さく笑った。
(直哉様、本当にお耳まで真っ赤……。可愛らしい方)
「……直哉様、明日は『かくれんぼ』、もう少し難しくしてもよろしいですか?」
「……二度とすな! ずっと俺の視界に入っとけ、命令や!」
繋がれた手から伝わる直哉様の体温は、驚くほど熱かった。
🔚
第3話:叔父様と、勘違いの特効薬
禪院家に来て一ヶ月。
直哉様は相変わらず「離れるな」「俺の視界におれ」と私を振り回しているけれど、今日はその直哉様が急な任務で不在だった。
そんな日に限って、私は少しだけ体調が優れなかった。
女の子特有の、お腹がずんと重くなるような、あの痛み。
(……うぅ、少し横になりたいけれど。お部屋まで戻るのが遠いわ……)
ふらふらと廊下を歩いていると、偶然にも扇様の部屋の前を通りかかった。
厳格で知られる扇様は、直哉様も少し苦手にしているお方。けれど、私にはいつもどこか視線が柔らかい気がしていた。
「……失礼します、扇様。……うぅ、少しだけ、休ませてください……」
襖を開けると、刀を研いでいた扇様が驚いたように顔を上げた。
「紬か。……どうした、顔色が悪いぞ。もしや、直哉の奴……」
扇様がスッと立ち上がり、私の肩を支える。その目が、一瞬で鋭い殺気を帯びた。
「貴様、腹でも殴られたか。あのアホめ、加減というものを教えねばならんようだな」
「……えっ!? い、いえ、違います扇様! 殴られてなどいません!」
私は慌てて首を振った。扇様の中では「腹痛=物理攻撃」という図式ができあがっているらしい。
「……違うのか? 隠さなくてよい。あやつが貴様に暴力を振るったのなら、私が叩き斬ってやる」
「そうではないのです……! その、女の子の……身体現象と言いますか。周期的な、その……」
真っ赤になって説明すると、扇様は一瞬、石像のように固まった。
研いでいた刀を置き、バツが悪そうに視線を泳がせる。
「……。…………。あぁ、……そっちか」
あの厳格な扇様の耳が、みるみるうちに赤くなっていく。
気まずい沈黙が流れる中、扇様は「……座れ」と短く命じると、部屋の奥から小さな小瓶を取り出した。
「……これを飲め。それと、これを腹に当てておけ。冷やすなと言われておる」
差し出されたのは、どこで手に入れたのか分からない高級な薬湯と、温石。
どうやら、実の娘たちにはしてやれなかった「父親らしいこと」を、私に対して無意識にやってくださっているようだった。
「ありがとうございます、扇様。……お優しいのですね」
「……。……勘違いするな。紬に倒れられては、直哉が騒いでうるさいだけだ」
ぶっきらぼうな言葉。けれど、扇様が淹れてくれたお茶は、驚くほど熱くて優しかった。
その時――。
「おい! 叔父貴! 紬に何飲ませとんねん!」
任務から爆速で帰ってきた直哉様が、勢いよく襖を開けた。
私の姿を見るなり、直哉様は駆け寄ってきて、私の肩を抱き寄せた。
「自分、腹痛いんやろ!? 使用人から聞いたぞ! 叔父貴、紬に変な術式かけんといてください!」
「やかましい、直哉。貴様が紬を放っておくから、私が介抱していたのだ」
「……っ、俺が一番に介抱するはずやったのに……! 紬、行くぞ。俺の部屋で寝かせたる!」
「あ、直哉様、引っ張らないでください……! 扇様、ありがとうございました!」
扇様の少しだけ寂しそうで、けれど満足げな微笑みを背中に受けながら、私は直哉様に抱きかかえられるようにして部屋を後にした。
(……この家の方々は、皆、不器用で愛おしい)
私のお腹の痛みは、直哉様の温かい手のひらと、扇様の薬のおかげで、いつの間にか消え去っていた。
🔚
第4話:黄金色の酔い、理性の境界線
扇様との一件から数日。直哉様は「俺以外に甘えんな」という独占欲がさらに強まり、夜は決まって私の部屋を訪れるようになった。
「……おい、紬。親父がええ酒持ってきたわ。自分も少し付き合え」
そう言って直哉様が差し出したのは、琥珀色に輝く小瓶。直毘人様が「とっておき」だと言って渡した、少し度数の高い洋酒だった。
「お酒……。私、あまり強くありませんが……直哉様と同じものなら、一口だけ」
「ふん、子供やあるまいし。……ほら」
差し出されたグラスを一口、口に含んだ。
その瞬間、焼けるような熱さが喉を通り、一気に視界がふわふわと揺れ始めた。
(……あら、なんだか……すごく、いい気持ち)
「……紬? おい、一気に飲みすぎやろ。顔、真っ赤やぞ」
「……なおや、さま……」
自分でも驚くほど、声が甘く、低く漏れた。
普段の古風な口調が、熱に溶けて崩れていく。私はおぼつかない足取りで直哉様ににじり寄り、その胸元に黄金色の髪を預けた。
「……なおや。……あつい、です……」
「っ、自分……呼び捨てに、……待て、どこ触っとんねん!」
直哉様が息を呑む。
私は無意識に、直哉様の襟元を緩く手繰り寄せ、彼の首筋に顔を埋めた。
お酒のせいか、私の「認識阻害」の術式が不安定に暴走し、姿が消えたり現れたりする。それが余計に、私を幻想的で、ひどく扇情的に見せていた。
「直哉……もっと、近くに……。……ねえ、おねがい……」
とろんとした瞳で見つめ上げ、熱い吐息を彼の耳元に吹きかける。
直哉様の喉仏が大きく上下し、私を支える腕に力がこもる。
「……自分、自覚して言うとんのか……! 俺の理性が、いつまでもつと思とんねん……!」
直哉様の手が、私の頬に触れた。
普段の傲慢な態度はどこへやら、その指先はわずかに震えている。
「……明日、何も覚えてへんとか、……許さへんぞ」
直哉様は掠れた声で囁くと、逃げ場を塞ぐように私の顎をすくい上げた。
琥珀色の香りと、直哉様の熱い体温が混ざり合う。
その夜、禪院家の廊下を通りかかった使用人たちは、若旦那様の部屋から聞こえる「……紬、自分……っ、離れろ言うとるやろ……!」という、切実で甘い悲鳴のような独声を耳にし、そっと「ふふっ」と微笑んで立ち去ったという。
🔚
第5話:朝の光と、消えない熱
翌朝。眩しい日差しで目を覚ました私は、驚くほど体が軽く、清々しい気分だった。
けれど、隣の布団に座る直哉様の姿を見て、私は首を傾げた。
「……おはようございます、直哉様。……あの、お顔の色が優れませんが、もしや体調でも?」
直哉様は、深い隈を作った目で私をじろりと睨みつけた。その手には、飲み干したはずの酒瓶が虚しく握られている。
「……自分、ようそんな顔して起きてこれたな。……俺が昨日、どれだけ地獄を見た思とんねん」
「地獄、ですか? ……あら、私、昨夜の記憶が途中からなくて。何か、粗相をしてしまいましたか?」
私が申し訳なさそうに小首を傾げると、直哉様は「はぁー」と深い溜息をつき、乱暴に髪を掻き揚げた。そして、獲物を定めるような鋭い視線で私を見つめ、低い声で言い放つ。
「粗相どころやないわ。お前……昨日やばかったぞ、色気が」
「……へっ!? い、色気……!?」
真っ赤になって絶句する私に、直哉様はここぞとばかりににじり寄る。
「『直哉、もっと近くに来て』やて? 普段お淑やかなフリしといて、酒入るとあんなに大胆になるとは思わんかったわ。……俺の理性が、何回死にかけたと思とんねん」
「そ、そんな破廉恥なことを私が……!? 嘘です、嘘に決まっています!」
耐えきれず「認識阻害」で姿を消そうとした私の手首を、直哉様が電光石火の速さで掴んだ。
「逃げんな。……お前、俺の名前、呼び捨てで連呼しとったからな。……なおや、なおや、って。……今もっぺん呼んでみぃや」
「……っ!!」
耳元で掠れた声で囁かれ、私の頭は真っ白になった。
その時、絶妙なタイミングで襖が開き、直毘人様が酒瓶を片手に現れた。
「ガハハ! 直哉、お前昨夜は一晩中『紬、離れろ』『紬、服を着ろ』って格闘しとったな。……いやぁ、若いもんは精が出るのう!」
「親父!! 黙れ言うとるやろ!!」
「あらあら、紬様。……昨夜は本当に、大変でしたのね(ふふっ)」
後ろに控えていた使用人たちまでが、口元を隠してクスクスと笑っている。
「……あ、穴があったら入りたいです……!」
私は真っ赤になったまま、今度こそ術式を全開にして、直哉様の腕の中から「物理的に」消え去った。
けれど、背後からは「逃がさへん言うとるやろ、このパパバカ候補が!」という(まだ見ぬ未来を予見したような)直哉様の怒鳴り声と、それを楽しそうに笑う禪院家の人々の声が、いつまでも響いていた。
(……でも、直哉様。……私のこと、少しは『女』として見てくださったのかしら)
姿を消したまま、私は一人、熱くなった頬を押さえた。
🔚