男四人と女一人のシェアハウス
直接表現はないですが性的な関係の匂わせがあります
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目次
カップやきそば
「おはよ、|三生《みい》」
気だるげな女の声がして顔をあげると、目の前に寝起きのユメが立っていた。
「おー」
俺はあまり返事になっていない返事をして、握っていたスマホに目をもどす。いつものことなので、ユメも気にした様子などなく通りすぎた。
タップとスクロールをくり返しながら、俺はちらりと横目でユメを盗み見る。
すっぴんのユメの顔は、ちょっとなんとも言えない。なんだろう、別に不細工じゃないけれど、なにかたじろぐ感じ。眉が薄くて、唇に色がない。長く垂らした髪が見事な白髪だから、幽霊のようだ。
ユメはキッチンに立ち、置いてあったカップやきそばの蓋を開封している。昨日からあったけどそれお前のなの、と思いつつ、口には出さない。そこはどうでもいいからだ。
とぽとぽとお湯をそそぐ音がする。俺は再度スマホを見る。
大学の先輩に勧められた、スマホ一台でできる副業。ちょっと怪しいなと思わないでもなかったが、今のところ特に危ない目にはあっていない。だからまあ、大丈夫だろう。たぶん。何かあったら、そのときはそのときだ。
生まれてこのかた20年間、ケセラセラの精神で生きてきた俺にとっては、杞憂や転ばぬ先の杖などという概念は存在しないも同然だ。あれ?杞憂ってこういうときに使うっけ。なんか違う気がするけど、まあ、まあ。いい。どうでも。
今日のタスクを終えて、LINEで結果を送る。ふぅ。今日は講義もないし、ちょっと寝るか。
のそりと立ちあがったとき、「あっ」と素っ頓狂な声がした。
ふり返ると、いつの間にかリビングに入ってきていた|真儀《まぎ》が、ユメの手元を見てふるふると震えている。
「ユメ、そ、それ、俺の…俺の朝メシ…」
「…あ?え、あー…そうなんだ。ごめん。食べるね」
「なんでだよ!まだ口つけてないなら返せ!」
「えー、だって私お腹すいたし」
「俺も腹減ってんだよ!」
真儀の必死の抗議もむなしく、ユメはさっさと自分の箸をつかんでキッチンをすり抜けた。キッチンで立ったまま食べるような真似はしないところに、俺たちとユメとの差を感じる。
一方、朝飯を奪われた真儀はへなへなと崩れおちた。ちょっと大袈裟だとは思うが、真儀がこういうポーズをとるときは機嫌が悪くないときなので、まあ、いいのだろう。知らないが。
「俺の…俺のUFO…」
眼鏡の奥の大きな瞳がショックに染まっている。が、ユメはそんなことを気にする女ではない。髪の毛を後ろに遣ると、ちゅるちゅると麺を啜りはじめた。
ソースの食欲を誘う匂いがリビングにたちのぼる。俺はさっきコンビニのおにぎりを食べたばかりだから特にダメージはないが、空腹の真儀にとっては拷問に等しいだろう。
うう、冷蔵庫なんかないかな、とうめきながら、真儀が立ちあがる。そんなところへ、|寧欄《ねいらん》が現れた。
「…なにしてるんですか、真儀」
「ユメが…ユメが俺のUFO食った…」
「おいしい」
「ふざけんな…」
真儀とユメのやりとりに、寧欄はわずかに目を細め、呆れた声で「またやってるんですか」と呟いた。そう、ユメの「他人のメシ横取り」は今回が初めてではない。前科が二件ある。
寧欄は中国人だ。黒目がちで、肌が白くて、物事をはっきり言う質で、俺たちにひときわ気に入られている。
寧欄はキッチンに入ると、細長い指で蛇口をひねり、コップに水を注いだ。その無駄がなくおだやかな動作に俺は、こいつはずっとこうやって丁寧にしなやかに生きてきたんだろうな、という、人生の差違みたいなものを感じる。
「げっ、冷蔵庫ヨーグルトしかない…」
「ヨーグルトしかないならヨーグルトを食べればいいじゃないですか」
肩を落とした真儀に、寧欄が庶民アントワネットなことを言っている。いまいちぱっとしない、俺たちのいつもの朝。
「ただいま」
ドアの開く音。次いで、リビングに第四の同居人——|楼《ろう》が入ってきた。手にコンビニのレジ袋を提げている。
「起きたんですね、ユメさん。…シュークリームを買ってきたので、一緒に食べませんか」
「シュークリーム?食べる食べる、やった」
やきそばをほぼ食べ終わったユメは、無邪気に——それが計算なのか天然なのか知らないが——楼に笑いかけた。楼はユメの返事に口元を緩ませ、机に袋を置く。
くしゅり、みたいな軽い音がした。
それと同時に、リビングの空気が、なにか絶妙な雰囲気につつまれる。じんわりと張りつめると言えばいいのか、真水のなかにごく薄い緊張の液を垂らしたみたいな。ほんのり色が変わる感じ。そんなふうになった。
真儀はキッチンでおとなしくヨーグルトを食べている。
寧欄はソファで、大学のテキストを開いている。
ユメはこの微妙な空気を敏感にかぎとって、目をちょっと細めるみたいな妙な表情でうつむいている。
そして、この空気の犯人、楼は、わかっているのかいないのか、いまいち読めない顔で、ふんわり微笑んでいる。
俺はスマホから目を離さず、あーあ、と思う。
俺たちは、全員が同じ二十歳で、シェアハウスをしている。通っている大学もばらばら、趣味もさまざま、共通点は年齢くらいしかないのだけど、まあ、いろいろあって同居している。
俺たちのこの構成を見た人間は、みんな「女子が一人?」と眉をひそめる。当たり前だ。成人男性四人と、成人女性一人。訝しまない方がおかしい。
まどろっこしい説明を抜きに話すと、俺たちは全員、ユメと寝たことがある。一度や二度ではなく、それなりに。俺たちみんながユメに恋していて、そして同居をしている。同居の直接の理由は別にユメではない。
勘違いしないでほしいけれど、俺たち四人は決して不仲ではない。かと言って仲良しかと問われれば、俺が自信を持って頷けるのはそこそこ付き合いの長い真儀だけなのだが、寧欄と楼のことも普通に友人だと思っている。少なくとも俺は。
俺たちは恋敵でありながら、同時に友人で、同居している。そしてユメは、俺たち四人と同時に関係を持ちながら、誰のことも選ばない。関係性を曖昧にぼかし、躊躇いなく体を重ねる。
正直言うと、俺はそこまで本気ではない。恋愛感情はあるけれど、半分くらいは体だけの関係だ。要は遊び。真儀も似たようなものらしい。
四人の中で一番本気なのは、まちがいなく楼だ。現にこうして、わざわざ朝からシュークリームなんぞ買ってきて、ユメに献上している。健気なものだ。
寧欄は——よくわからない。あいつのことは。あいつの内面は、見えるようで見えない。ただ、この関係を黙認し、ここを出ていかないということは、まあ、そういうことなんだろう。
奇妙な同居のなかで、俺たちはつかず離れず、いつもそばにいる。すべてのことはユメに終着する。俺は、ときおり居心地の悪さを感じつつも、おおむねこの生活が気に入っている。
まあ、生活ってたぶん、そんなものだ。多少気まずいことでもないとつまらない。言い聞かせるように、俺は小さく息を吐いた。
ゲーム
講義がない日の俺の朝は、まあ遅い。前日に4時か5時頃まで起きているからだ。
なにしてるかって?大学のレポート書いてる日もあるけど、大体いつもゲームしてる。YouTubeで作成した洋楽だけのミックスリスト垂れ流しながら。
別に洋楽にすごい興味関心があるわけじゃなくて、ただなんか、オシャレだから。そんだけ。そんなもんでいい。
ゲームはバトルもの。プレイヤー同士で銃撃ち合って、先に全滅した方が負け。シンプルで、脳汁ドパドパ出る。すげえ楽しい。楽しいもんはいい。日付変わったら寝ようかなとか思いつつ、ほぼ毎日明け方までいる。
ただ、朝まで減らないプレイヤーの数を見ていると、こいつらゲーム以外ではなにしてんのかな、とは思う。自分のことを棚に上げるようだけど、俺は一応講義がある日はもう少し早く寝る。だけど毎日朝までガンガン戦ってる奴とかもいて、そういう奴らはやっぱりニートなんだろうか。それともフリーター、あるいは俺と同じように大学生。まあどうでもいいんだけど。ちょっと気になるってだけで、画面越しの顔も名前も知らない人間にそこまで興味はない。
そんなふうに時間のずれた一日を終えて、翌日の正午に空腹で目が覚める。確か今日はUFOを買ってあったはずだ。
カップ焼きそば特有の、明らかに健康に悪いであろう濃いソースが好きだ。舌にがつんとぶつかってくる味。きっと全人類がうまいと言うだろう。知らんけど。
とにかく、それなりに楽しみにしていたのに。
「あっ」
なんでユメが食ってんだよ!
「ユメ、そ、それ…俺の…俺の朝メシ…」
俺がぷるぷる震えながら訴えているにも関わらず、ユメは一切気にしていない様子でごめん、食べるねなどと言っている。おかしいだろう。まだ口つけてないなら返せ。俺も腹が減っているんだ。必死に抗議したけれど、ユメには届かなかった。悠々と箸を持ち、通りすぎる。
空腹のところに楽しみにしていた飯を取られたショックで、俺はへなりと崩れ落ちた。あの脳を焼く匂いが立ち上る。ユメは平然と食べはじめている。恨めしい。
まあ、こんな態度を取ってはいるけど、本気で怒ってるわけじゃない。これでガチギレはダサすぎる。なにより、相手はユメだし。好きな女に飯を奪われた程度でキレるほどには飢えちゃいない。
リビングのソファに座ってスマホを弄っている三生が、ぼんやりと俺たちを眺めているのが視界の端に映っている。あいつはいつもそうだ。学生の頃から変わらない、傍観者ポジ。何にも興味がなくて、そのくせ何でも観察している。いつも冷静で、ちょっと淡々としすぎてないかと思うときもなくはないが、まあ、悪い奴じゃない。なんだかんだで俺と一番仲がいいのはあいつなのだし。
「…なにしてるんですか、真儀」
頭上から静かな声が降ってきて、顔を上げると、寧欄がいた。きた、我らが寧欄。寧欄は俺とユメのやりとりを見るとすぐに状況を把握して、「またやってるんですか」と目を細めた。
寧欄はいい奴だ。たぶん。少なくとも俺の中では、嘘も謙遜も言わない寧欄はいい奴認定されている。実際この家でも、彼はちょっとしたマスコットキャラ的扱いを受けている。なんだか放っておけない奴なのだ。
冷蔵庫にヨーグルトしかないと嘆いたら、寧欄はにこりともせずに「ヨーグルトしかないならヨーグルトを食べればいいじゃないですか」と言い切った。なんだそれ、お前が言うとちょっとかっこいいのなんなんだよ。名言的な。
仕方ない、ヨーグルト食べるか、と思いながら手を伸ばす。同時に、リビングに足音が入ってきた。
「ただいま」
楼だ。真面目で物静かで、一途で——はっきり言うと、ちょっとダサい奴。こいつも三生同様悪い奴じゃないんだけど、なんだろう、世の中には、「悪い奴じゃない」という評価がプラスになる奴と、冷笑の対象になる奴がいると思う。楼は後者だ。
ヨーグルトを食べながら、それとなく聞き耳を立てる。楼はシュークリームを買ってきたらしい。なんだ、二十歳の男がコンビニ行って買ってきたものがシュークリーム?はは。別にいいけど。ユメへの貢ぎ物だし。
楼にシュークリームを勧められたユメは、「食べる食べる、やった」などと言っている。本心か故意か。ユメは平気でこっちの感情を振り回そうとしてくるところがある。それが小悪魔的で好きなんだけど。
でも、なんというか——唐突にはじまった二人だけの空気に、なんとなく雰囲気が淀んだ。三生も寧欄も、静かに気配を消そうとしている。気配を消しつつ、気まずい空気だけはしっかり醸し出しておこうという絶妙な顔。俺もたぶん同じような顔をしている。
要因を挙げようと思えば、すぐ見つかる。俺たちは5人いるのに2つ入りのシュークリーム買ってきたこととか、俺たち全員がユメを狙ってる状況で、堂々と抜け駆けしてきたこととか。つまりは楼が悪い。悪いのだけど、なぜか楼を憎む気にはならない。なんだろう、こいつを憎んでもなんにもねえな、という気がするのだ。拍子抜けしてしまう、というか。拍子抜けという言葉の使い方がおかしいけど、そんな感じ。
まあ、楼はそういう奴なのだ。仕方ない。俺は楼のことが嫌いなわけじゃないし、変わってほしいとも思わない。多様性というやつだ。たぶん。楼には楼の生き方がある。この無関心さがあるから、俺たちはこんな修羅場一歩手前の生活を送れているのだ。4人の男と1人の女。うん、たぶんこれも多様性。知らんけど。
生活はゲームと似ている。クリアしなきゃいけない課題があって、乗り越えたらなんらかの報酬がある。ないときもあるけど、そのときは自分で設定すればいい。やる、乗り越える、報酬、やる。それの繰り返し。早送りはできない。スキップもできない。でもゲームみたいに早くHPを消耗するわけじゃない。心臓が止まるまでは何回でもやり直せる。その点では、ゲームより人生のが優しい。かもしれない。
そんなことはどうでもよくて、とにかく、この気まずい空気もスキップはできないけど、現実は修復できるものだから、別にいいよなと俺は思う。