『記憶と引き換えに、羽の色が変わるなら そうしたいと思うかい?』
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原作元曲「ドラドの悲劇」↓
https://www.youtube.com/watch?v=QoUsw8SZ0og
曲パロ4作目。仕掛かり中です。
原曲を聞かないほうが楽しめるかもしれません……
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目次
一
「素敵な瞳だね」
そう言った彼の瞳を、私はいまだに覚えている。
どこか寂しげで、悲しげで、どこか安心したようで、嬉しそうで、———
———切り裂かれたような傷跡は、もう彼の中に魔力がないことを表していた。
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その日、おつかいを頼まれていたことをすっかり忘れて、慌てて急いで買いに行っていた。
慌てて急いでいるので、走るのは当然で———
ドン、と誰かにぶつかってしまった。
自分の小柄な体ではバランスを保てず、その場に尻餅をついた。
「……危ないだろ。そんなに道を爆走すんな」
私の脇の下に腕を通し、そう言いながら体を抱き起こしたのは、知らない男の人だった。
「あ……すみません」
やはり急ぐものではない。頭を下げながら、そう思う。
そのうちに、トントン、と肩を叩かれた。顔を上げろ、ということだろうか。
恐る恐る上げると、彼と目が合った。切り裂かれたような傷跡。
自分の顔を、瞳を、じっと見つめている。彼の瞳に、私の黄金色の瞳が映っている。
「あ、の……?」
恋愛経験があるわけではない。あまり見つめられると、ドギマギしてしまう。
しばらく彼は、じっと私を見つめていて、ふっと口を開いた。
「……素敵な瞳だね」
その声と、その瞳と、私はどこかで会ったことがあるような気がした。
---
「またいたのかよ」
ある日、おつかいついでに店の中を物色していると、誰かに話しかけられた。
振り向くと、あのときの男の人だった。最近よく会う。「レオ」という名前らしい。
「またいたのかって、こっちのセリフです。何で私の行く先行く先、あなたがいるのよ?」
私が反抗的に答えると、レオは目を細めて笑った。
目を細めてもなお見える傷跡が痛々しい。思わず視線を逸らしてしまった。
「……どうした?」
目を背けて黙り込んだ私を不審に思ったのか、レオが不思議そうに尋ねてきた。
「いや、……目の傷が痛々しいな、って」
なんとなく誤魔化せなくて、そのまま言ってしまう。
レオが大きく目を見開く。そして、ふっと笑った。
そうかもね、と言った彼の声は、空中に転がって消えていった。
「ところでさぁ」
露骨に話題を変えて、レオが話を切り出した。痛いところをついてしまったようでなんとなく気まずかったので、ありがたかった。
「ここで何してるの?」
ぐるりと店の中を見回しながら、聞いてくる。
「見て回ってるの」
それだけ言うと、「ふーん」という何とも興味のなさそうな反応が返ってきた。
何、自分から聞いておいて。
むっと唇を尖らせていると、「じゃあ俺もう出るわ」と手をひらひらさせながら出口に向かっていく。
すれ違いざまに、|囁《ささや》き声が聞こえた。
元気そうでよかった、と———
二
この世界には魔法がある。
いや、正確には魔力がある。
魔力には「色」があり、その色は瞳に反映され、そしてそれらはそれぞれ人によって違い、一人一色、必ず与えられる。
魔力は魔法を使う源となる。そして、その色はその人の思考・感情・意志・言動の中核となり、それらに大きな影響を与える。
事故や闘争などで、魔力を喪うことがある。その中核を喪うことにはなるが、性格がなくなるわけではない。
しかし、魔法が使えなくなる。そして———
———瞳は色を喪い、あとには切り裂いたような傷跡が残る。
つまり、瞳にそのような傷跡がある人——レオは、もともと魔力を持っていたけど、何らかの原因で喪ってしまった、ということになる。
聞いたことはある。
『どうして、魔力がないの?』
そのとき、彼はじっと私の目を見つめて、それから少しだけ顔を伏せた。
『……わけあって失くしちゃったんだ』
訳あって、がどういうことだったのかまでは教えてくれなかった。きっと、事故か何かなんだろう。そういうことが 無い、わけではない。
でも、魔力がないと魔法が使えない。
料理洗濯から移動まで、ほとんど魔法を使って事を済ます この世界では、きっとやりづらいだろう。
そう言ったら、そんなことないから 気にしなくていいよ、と微笑まれたけれど。
「じゃあ、飛ばすよー? レオ、ちゃんと掴まっててね!」
魔力から長めの杖を作り出し、レオと二人乗りになって座る。
力を込めると、ふっと杖が浮き上がった。空に向かって加速していく。ビュウ、と頬を吹き抜けていく風が心地いい。
「どこに行くんだよ?」
呆れたようにレオが聞いてくる。行き先を告げていなければ、決めてすらいない。当然だろう。
「んー。ちょっと杖に乗って空を回って見たいの!」
レオの方を見ずに答える。
空を飛んで回る時間が何より好きだ。小さくなっていく街並み、人影、頬を吹き抜け髪を撫でつける風、落ちてしまうかもしれないスリル。全部が私をわくわくさせる。
ああ、そう、とテキトーに反応するレオの声が聞こえた。
「ところでさ、」
握っている杖の先端を傾けて、グイインと旋回しながら、話しかける。
「何?」
「レオは、どうやって普段暮らしてるの?」
魔法が使えないのに、とまでは言わなかった。旋回するのをやめ、杖を水平にする。
「……何でそんなこと気にするんだよ?」
魔法が使えないのにどうやって暮らしているの、という意図であることはきっと、気づかれている。
「だって、大変そうだなって……。……手伝えることある?」
恐る恐る答えると、後ろから特大のため息が聞こえてきた。
「お前さぁ、ぶつかって出会って、行き先でよく会うだけの人間に、よくそんなお節介焼けるよな」
今だって一緒に飛ぼうとしてくるし。そう言ってレオは再び特大のため息をつく。
「だって、気になるのは当然でしょ? 魔力がない人なんて、珍しいし、———それに。」
———私たち、どっかで会ったことがある気がするんだよね。
後ろ、レオのいるほうから声はしなかった。息遣いも感じない。
「……レオ?」
何か良くないことを言ってしまっただろうかと名前を呼ぶと、
「え? ……ああ、」
いかにもハッと我に返りましたというような、少し慌てたような反応が返ってきた。
「なんでもねぇよ」
「ほんとに?」
聞き返しながら、杖の先を少し下に向けて、着地姿勢をとる。墜落しないように、スピードを出しすぎないように気をつけながら、地面に立てるように足を伸ばした。
「そろそろ着地するよ」
私がそう言った十数秒後に、私の足が地面についた。バランスを崩さないようにしっかり立ちながら、杖から降りる。
後ろを見ると、レオはとっくに降りていた。慣れているようだ。きっと、———魔力があったときはこうしてよく飛んでいたんだろう。
「なんで俺を乗せようとしたのかよく分からんが、久しぶりで楽しかった。ありがとう。」
ポケットに手を突っ込みながら、レオが礼を言う。
礼を言うときの態度かどうかは置いておいて。
———久しぶり、か。
切り裂かれたような傷跡を見るたびに、言葉の端々を聞くたびに、レオがもともと魔力を持っていた人なんだと思い知らされる。
「……ねえ、レオ」
去ろうとするレオの後ろ姿に、そっと問いかけた。
「あなたの瞳は、何色だったの?」
歩こうとしていた彼の動きが止まった。私のほうを振り返った。じっと私を———というか、私の瞳を見つめる。
なんとなく落ち着かない。初めて会ったときのようだ。
ふ、と彼が曖昧に笑った。答える気がないんだって分かった。
「……お前の、《《黄金色》》の瞳も綺麗だよ。」
三
レオと別れて、宿に帰って、ベッドの中に潜り込みながら ため息をつく。
「どうしよっかなぁ……」
魔力を喪う人なんて、そうそういない。
レオと会うだいたいの人は、レオの瞳に刻まれている傷跡を見て怪訝そうな顔をしていた。
レオは別に平気そうにしていたけど、こちらからしてみれば可哀想だ。
「言った、ほうがいいのかな……」
私は彼に、言っていないことがある。
私が、———人に魔力を与えることができるということだ。
私の持っている魔力の色は、黄金色だ。
黄金色の魔力は 他の色の魔力よりちょっと特別で、人にその魔力を譲渡することができる。
具体的には、『与える』という意思を持って与える人間の体内に自分の血液を両掌一杯分くらい注入することで譲渡が成立する。
そのかわり、私の魔力はなくなってしまうけど。
———レオになら、あげてもいいかな。
---
「あ、いた。レオ〜?」
レオが働いているという店に入って、彼の姿を探す。案外あっさり見つかった。裏口でなんだかぐうたらして座っている。
「何してるの。仕事は?」
ひょいっと顔を出して唇を尖らせてみせると、レオはやっとこちらを向いた。
げっと明らかに眉根を寄せる。
「またお前かよ。……今は休憩中。従業員の休憩時間にケチつけるのはクレーマーのすることだぞ」
「うるさい」
なぜかクレーマー扱いをされ、私も眉根を寄せた。
隣に座る。
「なんだかホームレスみたいだよ」
裏口なので、薄暗い。そこに座り込んでいる人など、はたから見たら|曰《いわ》くつきの不審者にしか見えないだろう。
「サボり魔の次はホームレスかよ。なかなかひでー奴だな」
そう言いながら、レオは自分の目の下を指でトントンと叩いた。
「……もともと《《こう》》だから、問題はない」
傷跡のある目の尻を下げて、にっと笑む。
私は膝を抱え込んでいる自分の腕に目を落とした。
レオが、店の会計しかできる仕事がないのは知っている。だいたいの仕事が魔法を使うなかで、レオは魔力を持っていないからだ。
どれくらい稼ぎがあるのかも分からない。
「とりあえず、は、……暮らしていけてるし」
声に気づいて顔を上げると、レオがこちらを見下ろしていた。
どんな表情をしているか分からない。傷跡のある瞳は、なんとなく不安そうだった。
「……じゃ、そろそろ仕事に戻るわ」
|徐《おもむろ》に腰を上げて、レオの姿は裏口ドアの向こうに消えていった。
「———あえ?」
自分でもびっくりするくらい間抜けた声で、目が覚めた。
目を|擦《こす》って辺りを見回すと、薄暗い通りが目に入ってくる。ドアの近くで、座り込んでいた。
つまり。
レオが戻ったあとも、ここにいたのか。何やってるんだ、自分。
しかも空を見上げると、少し明るめの藍色と、それを染めるように橙の光がほんのり浮いている。
「もう夕暮れじゃん……」
よいしょと体を起こした。ずっと同じ体勢で寝ていたからか、少し体が痛い。
少し伸びをしてから、ドアノブに手をかけた。ギイ、と音が鳴って、店内が映し出される。
品物整理をしている人影が目に入った。それと同時に、人影もこちらを向く。
「……お前、まだいたのかよ」
レオだった。手を止めて、つかつかとこっちに歩み寄ってくる。
「もう黄昏だぞ」
「あー……なんか寝ちゃってて」
一拍おいて、ものすごく呆れたようなため息が聞こえてきた。
「お前どこで寝るんだよ。……つーか、お前の住んでるとこ、門限厳しかったろ」
あ、と声が漏れた。確かに、門限は日没だったような……
しかも、逃すと建物内に入れなくなる。
「今夜、野宿でもすんの?」
「……」
答えられない。本当にどうしよう。瞬間移動ができるような大層な強い魔力を持っているわけじゃないし、もう日は暮れようとしている。高速で走る魔法を使って間に合うとは思えない。
しかも門限を逃した理由が「裏口の通りで寝ていたから」なんて、アホすぎる。
はーあ、と再びものすごく呆れたようなため息が聞こえてきた。
「もうしょうがね。」
「え?」
顔を上げて、レオの方を見た。
「俺の宿貸してやる。それでいいなら、泊まってけ」
「ほんとに!?」
半ば投げやりのようないい加減な口調に、私は心から感謝した。
四
「お邪魔しまーす……意外に綺麗ね」
「開口一番、失礼極まりねぇな」
ドアを開けると、自動的に玄関光が光った。簡素に片付けられている室内が映し出される。
レオの住んでいる宿は、店の二階にあった。店長の計らいで、部屋を一つ与えてもらっているらしい。
真っ先にソファを占拠する。ぎょっとするようなレオの顔が見えた。
「お前、人様の家だぞ」
無視してごろんと横になる。ものすごく呆れたようなため息が聞こえてきた。
お前、ほんと寝るの好きだよな。飯作ってくるからそこらへんで寝て待っとけ。
そう言って、レオは部屋の隅に取り付けられてあるキッチンのほうに向かっていった。
寝て待っとけ、とは言われたが、昼間に散々寝たせいで全くもって寝られない。
(なん、だろうな……)
レオといると、無性に懐かしくなる。どこかで会ったような、そんな気がする。
でも、いくら思い出してみても、記憶の中にレオの姿はどこにもなかった。
「……い、おい」
肩をゆすられ、我に返った。沈んでいた意識が浮上する感覚を覚える。
「え? あー……」
「出来たぞ。早よ食え」
テーブルのほうを見ると、二人分のご飯が並んでいた。慌てて身を起こす。
いただきます、と手を合わせて、頬張った。
「あ、結構美味しい」
「結構って何だよ。失礼な奴だな」
感想言って早々突っ込まれた。
失礼なことを言っている自覚はあるので、何も言わずにおく。
そのあとは黙々食べて、ご|馳走《ちそう》様と手を合わせた。
「……で、どうやって作ってるの?」
暇なので、暇じゃないレオをお喋りに付き合わせる。
話題はあっちこっちに飛びまくり、なぜか、料理はどうやってやっているのか という話になった。
だいたいの人は魔法を使って火を起こして使っている。もっと高度な魔法を使える人は、料理自体を魔法任せにしている人もいる。
キッチンも、魔力を持っている人向けに作られているはずで———
「フツーに、テキトーに火起こして、テキトーにやったら出来る」
フツーにテキトーにの意味が分からない。
「……不便じゃないの?」
レオが作業をしている手を止めた。幽霊かと突っ込みたいほどゆっくりとした動作で、こちらを振り向く。
「……何が言いたいわけ?」
明らかに警戒が見て取れた。一瞬、息を詰める。それから、一気に言ってしまおうと口を開いた。
「私、人に魔力与えられるんだよ。」
ひりつくような空気を感じる。何とか笑顔を浮かべながら、自分の瞳を指差した。
レオは何も言わない。俯いていて、どんな顔をしているのか全く分からない。
「私の、黄金色でしょ。あなたに似合うかなー? なんて、なんちゃって」
冗談めかして、そう言った。
五
辺りはシン、と静まり返っていた。レオの動きは固まっていて、自分の体も|強張《こわば》っていて、まるで時間が止まったかのようだった。
ガチャン、と何か硬質なものが落ちる音がした。ハッと顔を上げる。
レオがゆっくりとこちらを振り向いた。まるでスローモーションでもかかったかのようだった。
「———せろ。」
「え?」
地べたを這うような声だった。泣いているかのように眉根を寄せて、怒っているかのように口元を歪めて。
彼は、私の瞳を見た。
「———今すぐ失せろ。」
---
「どう……しよう……」
レオの住み家がある店の前の路地をうろうろしながら、頭を抱えた。
まさかあそこまで怒るとは思わなかった。見たこともない顔だった。
「……あれ?」
聞き慣れない誰かの声と、ジャリ、と音がして、顔を上げた。
「どうかしたんですかい?」
若干頭頂部の禿げた小太りのおじさんだった。淡く光る街灯に反射して剥き出しの頭皮がよく見えた。自転車に|跨《またが》って、片足を地面についている。ちょうど困っていたので、ほっとした。
パタパタと駆け寄ると、おじさんは「……ありゃ?」と首を傾げた。不思議に思っていると、おじさんは じっと私の顔を見て、口を開いた。
「もしかして、セナさんです?」
「……え?」
———セナ。私の名前だ。
でもどうして、この人がそれを知っているのだろう。この人とは、面識はないはずだ。
「レオさんと会ったんですかい?」
戸惑いながら、でもどう聞くこともできず、頷いた。
自転車に跨ったまま、顎に手を添えて 何か考える素振りをする。少し間があって、おじさんは自転車から降りた。
「はぁ、なんとなく事情は見えました。こんな見た目ですが、私はこの店の店長をしておりましてね、レオさんのことは色々と知っているのです。」
自転車を引きながら、店の出入り口まで歩いていく。慌ててついていった。
「こんなひしゃげたオッサンのところで良ければ、泊めますよ」
なんとか凌げたようだった。
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それ以来、レオと会うことはなかった。
レオと出くわすこともなくなったし、私のほうからレオに会いに行くこともしなかった。
それでもずっと気になって、今、レオのいる店に行くためにこうして道を歩いている。
魔法を使ったほうが早く着くが、なんとなく使う気になれなかった。
ぶらぶらと歩きながら、空一面に広がる青を見上げていた。
店は いつかのように、そのままあった。
ギイ、とドアノブに手をかけた。
チリンチリンチリン、という鈴の音色とともに、「いらっしゃいませー」と間延びしたような声がする。
聞き覚えがある。———レオだ。
私が声の主を探り当てるのと、彼がこちらを見て目を見開いたのと、ほぼ同時だった。
「レオ、」
切り裂かれたような傷跡の残る瞳をじっと見つめながら、私は彼の名を呼んだ。
幽霊でも見たかのような表情で、レオは手を止めて、目を見開いて、じっと私を見ていた。
「……セナ。お前、」
氷が溶けるような緩慢な動作で、レオは手に持っていた品物を棚に戻す。
「……こっち来い」
そう呟いて、レオは顎で裏口のドアを示す。そのまま向かっていき、私もその背中を追いかけた。
六
「———俺は。」
ギイイ、と音を立てて裏口の閉まるのと同時に、レオは話し始めた。
「自分で魔力を切って捨てた。」
何の情緒も感じない、静かな声。
ドアを通ったときの体勢のまま、レオはこちらも向かず、俯いていた。
私の深いのか浅いのか分からない呼吸音がそっと鼓膜を|掠《かす》めては消える。
「これ以上は聞かなくていい。……とにかく、俺は自分で自分の魔力を捨てた。もう存在しないし、欲しいとも思わない。」
高貴な鉛のように、レオの声は 私の耳を通って胸に沈んでいく。
「魔力など要らない。想像されるのも不快だ」
突き落とすような声色だった。レオが振り返り、裏口のドアに手をかける。
「自分の黄金を誰かに与えようだなんて、考えるな。」
小さな声、でもよく響く音だけを残して、レオはドアの向こうへ消えていった。
---
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———数年前。
まだ俺が、魔力を持っていた頃の話。
当時、俺は魔術師として働いていた。
まあ、魔術師といっても、大したことはない。新しい魔法や呪文を考え、世の中に役に立つように応用する。いわゆる研究者のようなことをしていた。
そんなに魔力を持っているわけではなかったので、一般に『魔法使い』と言われるような、たくさんの魔力を必要とする職業に就けず、だがそれなりに給料も社会的地位も得られる魔術師になったのだ。
魔術師という仕事は、たいてい仕事場に泊まり込みである。何時間も経過観察しなければならない実験があったり、魔法使いから緊急で依頼が入ったりするからだ。
そして何より、魔術師という人種は基本的に面倒くさがり屋だ。家に帰ることさえ面倒くさがる。
そうはいっても、仕事場である魔術室——研究室のようなもの——は地下にある。さすがに地下の住人になるのは勘弁なので、月に一、二回くらいの頻度で外へ出た。
「さっむ……」
外に出る扉を押し開けた途端、氷を含んだ風が吹き込んできた。
しばらく中に閉じこもっている間に、季節はとっくに真冬になっていたらしい。なんとなく、外に出るたび出るたび、記憶喪失のジジイになっている気がしないでもない。
ぶるり、と体を震わせ、羽織っているコートを手で掴んだ。
行き先はだいたい決まっている。とある店だ。
「へーい、らっしゃい らっしゃーい」
チリンチリンチリン、とドアに取り付けられてある鈴が鳴る。それと同時に、その音色の美しさを打ち消しそうな 相変わらず変な掛け声が飛んできた。
「おー、レオさんじゃーないですか」
声の主は、レジのところにいた。椅子の上にどっさりと座って、やたら大きな新聞を読んでいる。
「お久しぶりですねぇ。最近はどうです? すっかり寒くなって参りましたが」
「そうだな。しばらく外に出ないうちに、すっかり冬になったもんだ」
店の中は暖かい。羽織っていたコートを脱ぎ、腕に掛けた。
「まーた魔術室の中に閉じこもっていたんですかい? そのうち|痴呆《ちほう》な|爺様《じいさま》になってしまいますよ」
「うるさい」
バサバサと読んでいた新聞を畳みながら、彼はよっこらせと立ち上がった。
「今日は何か買うんです? また物色したっきりでさようなら、なんてやめてくださいよ。」
それはどうだろうな、なんてテキトーな相槌を打ちながら、レオは店の中を見回す。
この店は雑貨屋だ。ハンカチなどの小物や香水から、よく分からないぬいぐるみ、ネックレスなどのアクセサリー、変な装飾の施された文房具、そしていつ作られたのか分からない菓子まで置かれている。
雑貨屋というには少し雰囲気が珍妙で、そのせいか客も少なく、いかにも店長が趣味でやっています というようだった。
まあ、そんなところが自分の好みだったりするのだが。
「どうせ趣味でやってんだろ。売り上げ考えるならもうちょっと……まあいいわ。これでも買っとく」
そう言って手に取ったのは、壁掛けフックだ。少しは生活に使えるだろう、と思ってのことだった。
「おお〜、お買い上げありがとうございま〜す」
陽気な声をテキトーに無視して、さっさと会計を済ませて腕に掛けたコートを羽織って外に出た。
チラチラと買った壁掛けフックを眺める。美しい銀色で、綺麗に澄まされていた。
鏡のように反射して、自分の着ている服や周りの景色を映す。
「鏡、か……」
魔法において、鏡は重要な要素だ。魔術室に置いていたら、研究に影響してしまうかもしれない。
もしかしたら、買い物に失敗したかもな。
そんなことを考えながら、レオは手の中のフックを覗き込んだ。
そこには、自分の《《黄金色》》の瞳が映し出されていた。