名前変換設定
この小説には名前変換が設定されています。以下の単語を変換することができます。空白の場合は変換されません。入力した単語はブラウザに保存され次回から選択できるようになります
1 /
目次
第1話:私の彼は若頭(高校生)
「ヒッ……! ご、ごめんなさいッ!」
県立高校の廊下に、情けない悲鳴が響き渡った。
原因は、窓際に立つ一人の男。大塚大雅(17)。
173cmのガタイの良い体躯に、シワ一つない制服。そして、室内だというのに深くかけたサングラス。黙って立っているだけで、そこは放課後の教室ではなく「どこかの組の事務所」のような重苦しい空気に変わる。
大雅はただ、そこに立っていただけだった。しかし、うっかり肩が当たってしまった他クラスの男子生徒は、魂が抜けたような顔で後ずさっている。
「……おい」
大雅が低く、地響きのような声を出した。
(あ、今の「おい」は『大丈夫か?』って意味なんだけどな……)
本人の心中は、実はいたって穏やかだ。いや、むしろ困惑している。だが、生まれつきの強面と、父親譲りの「威圧オーラ」がそれを許さない。
「待たせた、大雅くん!」
その凍り付いた空気を切り裂いたのは、太陽のような明るい声だった。
小走りでやってきたのは、大雅の彼女、大島琥珀。155cmの小さな体が、大雅の大きな影にすっぽりと収まる。
「……琥珀か」
「うん! ノート提出してたら遅くなっちゃった。……って、あれ? またみんな怯えてる?」
琥珀は、ガタガタ震えている男子生徒と、無表情(サングラスで見えないが)で立ち尽くす彼氏を交互に見た。状況はすぐに理解できた。
「大雅くん、また怖い顔してたでしょ。睨んじゃダメだって言ったのに」
「……睨んでない。普通にしていただけだ」
「嘘だぁ。さっき、声が『地獄の底』から聞こえてきたよ?」
大雅はふいっと顔を背けた。実は、琥珀の可愛い制服姿を間近で見て、「照れ」を隠すために必死で表情を殺していただけなのだが、それが周囲には「獲物を定める殺し屋の目」に見えていたらしい。
大雅の独占欲が、ほんの少し顔を出す。
「……さっきの男、お前を見ていた」
「え? ああ、肩が当たっただけだよ」
「……気に入らん。俺以外の男が、お前に触れるのは……」
大雅がぐいっとサングラスの縁を下げ、鋭い眼光を周囲に飛ばし始める。廊下の温度がさらに2度下がった、その時。
「たぁ〜い〜がぁ〜。」
琥珀が、まるでお気に入りのぬいぐるみを嗜めるような、おっとりした、けれど逃げ場のないトーンで呼びかけた。
「……ッ!」
大雅の肩がビクッと跳ねる。
これが大塚家の男を無力化する魔法の言葉、「鎮圧ボイス」である。
「めっ、だよ。すぐ威嚇するの、やめなさい」
「……すまん。……悪かった」
さっきまでの若頭の風格はどこへやら。173cmの巨漢が、琥珀の前でしゅんとして「正座」しそうなほど小さくなっている。その様子を、少し離れた場所から眺めていた親友の晴翔が、ニヤニヤしながら近づいてきた。
「よっ、若頭。今日も絶好調に彼女に転がされてるな」
「晴翔……。……余計なことを言うな」
「はいはい。琥珀ちゃん、今日も大雅の猛獣使い(鎮圧)お疲れ様。こいつ、琥珀ちゃんが来るまで『今日のリップの色、いつもより赤いな……可愛いな……どうしよう、直視できない……』って小声で呟きながら壁睨んでたんだぜ?」
「は、晴翔ッ!! 貴様ッ!」
大雅の顔が、一瞬にして耳まで真っ赤に染まった。
サングラスで隠れてはいるが、その内側では純情な17歳の男子高校生が、羞恥心で爆発寸前になっている。
「えへへ、そうなの? 大雅くん、私のこと見ててくれたんだ」
「……っ。……うるさい。果物、食べに行くぞ。……行くんだよ」
照れ隠しに琥珀の手を(折れそうなものを扱うように、そっと)握り、足早に歩き出す大雅。その後ろ姿はやっぱり本職の人にしか見えないけれど、繋いだ手からは、彼の不器用な優しさが伝わっていた。
「……キスのコツ、家で練習してきたのに……」
「え? 何か言った? 大雅くん」
「……なんでもない! 行くぞ!」
今日も二人の周囲だけは、物騒で、そして最高に甘酸っぱい。
🔚
第2話:伝説の黒スーツ職質事件
大塚家のリビングには、異様な緊張感が漂っていた。
ソファに並んで座る二人の男。大雅と、その父・和正。
二人は今、黒い高級スーツに身を包み、漆黒のサングラスを装着している。和正が太い腕を組んで黙り込むと、そこは家庭のリビングではなく「広域指定暴力団の幹部会議」にしか見えない。
「……親父。これ、本当にやるのか」
「大雅、男には引けぬ時がある。……母さんと琥珀ちゃんが、あんなに楽しそうに選んでくれたんだ。着ないわけにはいかんだろう」
事の始まりは一時間前。
遊びに来ていた琥珀と大雅の母が、テレビの極道映画を見て盛り上がり、「二人ともガタイが良いから似合うはず!」とノリノリでスーツを買いに行かされたのだ。
「お待たせー! 二人とも、バッチリ決まってるじゃない!」
キッチンから現れた琥珀が、パチパチと手を叩く。その横では母が「あらあら、本物みたいねぇ」と、恐ろしいことを笑顔で言っている。
「大雅くん、すっごくかっこいい! ちょっと怖いけど……守られてる感じがする!」
「……そうか。琥珀が言うなら、悪くない」
琥珀に褒められた瞬間、大雅の口角がわずかに緩む。サングラスの奥では「琥珀に『かっこいい』って言われた……明日命日か?」と、純情な思考が駆け巡っていた。
「よし、じゃあこのままみんなで夕飯の買い出しに行きましょう!」
母の鶴の一言で、この「あまりにも仕上がりすぎた一行」は街へと繰り出すことになった。
日曜日の昼下がりのスーパー。
大雅と父・和正が並んで歩くと、まるでモーゼの十戒のように人の波が左右に割れる。
「(おい、見ろよあの二人……本物だろ……)」
「(警察呼んだほうがいいんじゃないか……?)」
周囲の囁き声も、大雅の耳には「琥珀とデート(買い出し)だ、何をカゴに入れれば喜ぶかな」という思考で遮断されていた。
「大雅、あそこのリンゴ、美味そうだぞ」
和正がドスの利いた声で指さす。店員が「ヒッ!」と声を上げ、差し出したカゴを落としそうになる。
「ああ。琥珀、果物が好きだからな。……全部買い占めるか?」
「大雅くん、一袋でいいよ! 買い占めなくていいから!」
そんな平和(?)なやり取りをしていた、その時だった。
「……前の二人組、ちょっと止まってくれるかな」
スーパーの入り口で、四人の警察官が壁を作るように立っていた。
その顔は真剣そのもの。一人はすでに無線に手をかけている。
「えー、こちら中央署。不審な二人組を発見。応援を要請する。繰り返す、応援を要請――」
「「…………っ。」」
大雅と和正が凍り付く。
一方で、状況を把握した琥珀と母は、背後で「くすくす」と笑いを堪えていた。
「君たち、悪いけど署までご同行願えるかな? 鞄の中身も見せてもらいたい」
「あ……いや、これは、その……」
和正が弁解しようと、愛想笑いを浮かべてサングラスを外した。
しかし、その「和正なりの笑顔」は、警察官の目には「不敵な笑みを浮かべ、正体を隠そうとする老練な幹部」にしか映らなかった。
「笑って誤魔化さない! 手を上げなさい!」
「お、落ち着いてください! この人たち、ただのコスプレ……じゃなくて、着せられてるだけなんです!」
琥珀が慌てて割って入る。
結局、警察官に囲まれたまま、大雅たちはスーパーの裏口で一時間近く身分証の確認と職務質問を受ける羽目になった。
---
一時間後。
ようやく解放された一行は、家路についていた。
大雅と父は、道端で肩を落として歩いている。
「……散々だったな、大雅」
「ああ。……警察官の人、最後の方は俺の生徒手帳見て『えっ、17歳!?』って三回聞き直してたしな」
トボトボと歩く二人の後ろで、琥珀が明るく声をかける。
「ごめんね大雅くん! でも、本当に似合ってたよ? 用心棒みたいで頼もしかった!」
「……用心棒、か」
大雅はふいっと前を向き、サングラスをかけ直した。
(琥珀の用心棒……。悪くない響きだ。次は職質されないように、もっと『善良な市民』のオーラを練習しないと……)
その横で、和正も「俺は次はトトロのTシャツを着て歩こうかな」と呟いている。
大塚家の男たちは、愛する女性たちの笑顔のために、今日もその「強面」と戦い続けるのであった
🔚
第3話:嫉妬のオーラは核兵器級
翌朝、学校の廊下は異様な熱気に包まれていた。
「聞いたか? 大塚のやつ、週末にガチの警察官に囲まれたらしいぜ……」
「やっぱりあいつ、本職のスカウト受けてるんじゃねーの?」
尾ひれが十枚くらいついた噂が飛び交う中、当の大雅は、地獄の番人のような顔で窓の外を睨んでいた。
(……職質された時の俺、情けなかったな。琥珀の前で警察に怯えるなんて……)
本人は反省会をしているだけなのだが、その深く沈んだオーラが、クラスメイトたちを震え上がらせていた。
「おい、大雅」
親友の晴翔が、いつもの調子で肩を叩く。
「お前の『職質デビュー』、もう全校生徒が知ってるぞ。おかげで廊下の渋滞が解消されて助かるわ」
「……黙れ、晴翔。俺はただ、市民の義務を果たしただけだ」
そこへ、少し困ったような顔で琥珀がやってきた。
「大雅くん、おはよ……うわ、今日一段とオーラが黒いよ?」
「琥珀……」
大雅の目が一瞬で潤む(サングラスで見えないが)。「ごめんな、昨日あんな目に遭わせて」と言いたいのだが、口から出たのは別の言葉だった。
「……さっき、あっちの廊下で他クラスの奴とお喋りしていただろ」
「えっ? ああ、隣のクラスの田中くんに、昨日の職質の真相を聞かれちゃって」
その瞬間、教室の空気がパキィィィィンと凍りついた。
大雅の背後から、黒い炎のような嫉妬心が立ち上る。
「……田中。……田中だと? どこのどいつだ、そいつは」
「えっ、大雅くん? 顔が、顔が怖いよ!」
「琥珀。……俺以外の男と、何秒話した。……なぜ笑った。……そいつ、そんなに面白いのか。……俺より、そいつの方がいいのか……っ!」
大雅の脳内では、すでに「田中」という見知らぬ男子が琥珀にプロポーズしている映像まで妄想が飛躍していた。
彼は嫉妬すると、無意識に殺気を放ちながらジリジリと距離を詰めるという、最高にタチの悪い癖がある。
「ヒィィッ! 大塚がキレたぞ! 誰か警察呼んで――あ、警察呼んだらまた職質になっちゃう!」
逃げ惑うクラスメイトたち。大雅は完全に「若頭モード」に入り、琥珀を壁際に追い詰めようとする。
「俺だけを……。俺だけを見ていればいいんだ、琥珀……」
低い、地の底を這うような独占欲の塊。
「…………。」
琥珀は一つ、大きくため息をついた。
そして、騒がしい教室の中で、凛とした、けれどどこか温かい声を響かせる。
「たぁ〜い〜がぁ〜。」
ドォォォォォン。
大雅の脳内に、衝撃が走る。
「……ッ!」
一瞬で殺気が消えた。大雅はまるで電池が切れたロボットのように動きを止め、その場に棒立ちになる。
「また嫉妬して暴走してる。田中くんはただのクラス委員だし、私は大雅くんが一番かっこいいって言ったでしょ?」
「……っ。……は、言った。……確かに、昨日言われた」
「じゃあ、嫉妬禁止。わかった?」
「……はい」
173cmの「若頭」が、155cmの彼女の前で借りてきた猫のように大人しくなる。
その光景を見ていた晴翔が、お腹を抱えて笑い出した。
「ハハハ! 記録更新だな! 今日は3秒で鎮圧かよ。お前、マジで琥珀ちゃんがいなかったら今頃独房だぞ」
「うるさい、晴翔! ……琥珀、さっきの『一番かっこいい』、もう一回言ってくれ」
「えっ、今!? 恥ずかしいよ……」
真っ赤になって照れる琥珀と、それをサングラス越しに必死で凝視する大雅。
恐怖の噂が広まる一方で、二人の世界だけは相変わらず平和で、どこまでも初々しい甘さに満ちていた。
🔚
第4話:大塚家へようこそ!
大雅の家の前で、琥珀はゴクリと唾を飲み込んだ。
目の前には、コンクリート打ちっぱなしの、どこか「要塞」を思わせる立派な一軒家。門には達筆すぎる字で『大塚』と書かれた表札。
「……琥珀。無理に入ることはないぞ。……怖ければ、今すぐ引き返しても……」
大雅がサングラスの奥で、不安そうに琥珀を気遣う。
(親父が変なことを言わないか……お袋が琥珀をいびらないか……俺の部屋の『キスのコツ・メモ』を見られたらどうしよう……)
彼の脳内は、国家機密を扱うスパイ並みの緊張感でパンク寸前だった。
「大丈夫だよ、大雅くん! お父さんもお母さんも、あんなに優しかったじゃない」
琥珀が笑ってインターホンを押すと、地響きのような足音が近づいてきた。
「おおお! よく来たな、琥珀ちゃん!!」
ガラッと扉が開いた瞬間、そこに立っていたのは「山から下りてきた熊」、あるいは「引退した伝説の組長」のような風格を持つ、父だった。
180cmを超える巨躯、浮き出た血管。黙っていれば誰もが道を譲るその顔面。
「ヒッ……!」
一瞬、琥珀の体が強張る。しかし。
「さあさあ、上がりなさい! 琥珀ちゃんの好きなメロンを買っておいたぞ! ほら、大雅! ぼーっとするな、エスコートだ!」
父がニカッと笑った瞬間、目尻が極端に下がり、凶悪な人相はどこへやら。そこには近所の子供に「トトロ!」と指をさされる、究極の癒やし系スマイルが降臨していた。
「……親父、近すぎる。……琥珀が困っているだろ」
大雅がムスッとして琥珀を背後に隠すが、和正はお構いなしだ。
「何を言うか! 息子が連れてきた天使だぞ! よし、まずは俺直伝の『紅茶の淹れ方(作法重視)』を――」
「あなた。……うるさいわよ。」
リビングの奥から、鈴の音を転がしたような、けれど絶対零度の声が響いた。
大雅と和正の肩が、同時に「ビクッ!」と跳ねる。
エプロン姿で現れたのは、大雅の母。おっとりとした美人だが、その瞳にはすべてを見透かすような鋭さがある。
「琥珀ちゃん、いらっしゃい。このむさ苦しい親子がごめんなさいね。……あなた、大雅。そこに座りなさい。」
「「……はい。」」
170cm超えの巨漢二人が、一言も発さずにリビングの床に「正座」した。
琥珀はその光景に、思わず目を丸くする。
「あら、大雅くん。お父さんとお揃いで正座してる……」
「……これが、大塚家の序列だ、琥珀。……俺たちは、お袋には勝てない」
大雅が消え入りそうな声で呟く。
その後、父がお手製のケーキ(見た目は岩のようだが、味は繊細)を運び、和やかな茶会が始まった。
和正は隙あらば大雅に「いいか、女子というのはな、指先の動き一つで――」と独自の恋愛哲学を吹き込もうとするが、そのたびに母の「あなた、何言ってるの(にっこり)」という一言で沈黙させられる。
「ふふっ。大雅くんの家族、すっごく仲良しなんだね」
琥珀が楽しそうに笑うと、大雅は耳まで赤くして視線を逸らした。
「……まあ、うるさいだけだ。……だが、琥珀が笑ってくれるなら、悪くない」
帰りがけ、玄関で和正が大雅の肩を叩き、ボソッと耳打ちした。
「大雅。……別れ際の『角度』だ。……忘れるなよ」
「…………わかってる」
大雅は意を決して、琥珀の手を取った。
父の教え通り、斜め45度の角度。心臓がうるさすぎて、もはやサングラスが曇りそうだ。
「琥珀。……今日は、来てくれてありがとう。……その、また、来いよ」
「うん! またね、大雅くん!」
結局、キスの「キ」の字も出せないまま、琥珀を送り出した大雅。
それを見守っていた両親の影。
「あなた、今の見た? 大雅のあのアプローチ」
「ああ……。……まだまだ修行が足りんな。よし、今夜はまた特訓だ!」
大塚家の夜は、愛と強面と、少しの勘違いで更けていくのであった。
🔚
第5話:晴翔の観測日記
俺の名前は高遠晴翔。大塚大雅とは幼稚園からの腐れ縁だ。
世間じゃあいつは「若頭」だの「歩く弾丸」だの恐れられてるが、俺から言わせりゃあいつはただの「重度の琥珀病患者」でしかない。
ある日の放課後。俺は大雅と二人で、琥珀ちゃんが日直の仕事を終えるのを待っていた。
大雅は校門の近くで、黒スーツに負けない威圧感を放ちながら仁王立ちしている。通りかかる生徒たちが、悲鳴を押し殺して避けていく。
「……おい、晴翔」
「なんだよ、若頭様」
「……今日の琥珀、見たか。……髪、3センチ切ったな」
俺は思わず持っていたスマホを落としそうになった。
「……よく気づいたな。俺にはさっぱりわからん」
「……バカか。琥珀のことは1ミリ単位で把握している。……可愛い。……短くなった首筋が、こう……眩しくて直視できない……ッ!」
大雅は突然、ガバッとサングラスを深くかけ直し、壁に頭を打ち付けた。
周囲の生徒は「うわああ! 大塚が壁を破壊しようとしてる!」とパニックになっているが、事実は違う。照れすぎて爆発しそうになった感情を、壁にぶつけて逃がしているだけだ。
「なあ大雅。お前、琥珀ちゃんの前じゃあんなにクールぶってるのに、裏じゃこれかよ」
「……うるさい。俺は……あいつの前では『頼れる男』でいたいんだ。……親父も言っていた。『男は背中で語れ』と」
「お前の背中、語るっていうより『語る奴は消す』ってオーラ出てるけどな」
そこへ、仕事を終えた琥珀ちゃんが駆けてきた。
「お待たせ! 大雅くん、晴翔くん!」
その瞬間、大雅のスイッチが切り替わった。
さっきまで壁に頭をぶつけていた男が、スッと背筋を伸ばし、低く冷徹な(ふりの)声を出す。
「……遅いぞ、琥珀。……行くぞ」
「あはは、ごめんね。あ、大雅くん、髪切ったの気づいた?」
「…………。……ああ。……似合っている」
嘘をつけ!! 心の中じゃ「世界一可愛い! 銀河一だ!」って叫んでるくせに、口から出るのは「似合っている」の5文字だけ。
琥珀ちゃんが「えへへ、嬉しいな」と腕に絡みつくと、大雅の耳がみるみるうちに真っ赤になっていく。本人は無表情を装っているが、握り締めた拳がプルプル震えているのを俺は見逃さない。
「じゃあな、晴翔。……邪魔するなよ」
「はいはい、ごゆっくりー」
二人の後ろ姿を見送りながら、俺はポケットから一冊のメモ帳を取り出した。
タイトルは『大塚大雅・ヘタレ観測日記』。
「今日のハイライト……『髪3センチの微差に悶絶し、壁に自爆』、と。これ、いつか結婚式のスピーチでバラしてやるからな」
俺という「観測者」がいる限り、大雅のクールな仮面は、いつか琥珀ちゃんの前で完全に剥がれ落ちる日が来るだろう。
まあ、その「いつか」が今から楽しみで仕方ないんだけどな。
第6話:キスのコツ、伝授。
その夜、大塚家のリビングは、さながら「作戦会議室」の様相を呈していた。
父が、ホワイトボード(どこから持ってきたんだ)を前に、真剣な表情でペンを走らせている。
「……いいか、大雅。キスとは、ただ唇を重ねる作業ではない。それは、魂の……いや、『間合い』の攻防だ」
「…………間合い。」
大雅はノートを広げ、父の言葉を猛烈な勢いでメモしていた。
サングラスを外し、その鋭い眼光は、まるで国家機密を解読する暗号兵のようだ。
「まず、角度だ。右から行くか、左から行くか……相手の鼻の高さ、首の傾きを瞬時に計算しろ。そして、最も重要なのは『呼吸』だ。相手が息を吸う瞬間……そこが、最大級の好機(チャンス)だ!」
「吸う瞬間……。……わかった。肺活量も計算に入れる」
「バカ者! 計算しすぎてフリーズするな! 自然に、かつ大胆に……。これぞ、大塚家に伝わる『一流の技術』だ」
和正が胸を張る。その背後で、母が紅茶をすすりながら「……あらあら、また変なこと教えて。大雅、お父さんの真似すると、最後は正座させられるわよ?」と優しく(怖く)釘を刺した。
翌日の放課後。
大雅は校舎の裏庭で、琥珀を待っていた。
心臓の鼓動が、ワイシャツを突き破りそうなほど激しい。
(……角度は30度。……相手の呼吸を読み……。……よし。……やるぞ)
そこへ、琥珀が「お待たせ、大雅くん!」と駆け寄ってきた。
夕日に照らされた琥珀の唇は、果物のようにツヤツヤとしていて、大雅の脳内計算機を瞬時にオーバーヒートさせた。
「……琥珀。……ちょっと、こっちに来い」
「え? なあに、改まって」
大雅は、父に教わった通り、ゆっくりと琥珀の肩に手を置いた。
その指先は、生まれたての小鹿のように震えている。
(今だ……。……今、琥珀が息を吸った……ッ!)
大雅は決死の覚悟で、顔を近づけた。
30度の角度。……完璧だ。
琥珀の瞳が驚きで丸くなり、大雅の唇が、あと数センチで彼女に触れる――。
「…………っ、……あ、あ、あああ!」
至近距離で琥珀の「可愛い顔」を直視してしまった大雅。
あまりの破壊力に、父の教えがすべて脳外へ吹き飛んだ。
「だ、大雅くん!? 顔が、顔が真っ赤だよ! 熱あるの!?」
「……な、なんでもない! ……ただ、その……」
大雅は咄嗟に、琥珀のおでこを、自分の指でパシィィィン! と弾いた。
「いっ……!?」
「……デコピンだ。……以上だ」
「ええっ!? 何今の、怖い顔して近づいてきたと思ったらデコピン!? 意味わかんないよぉ!」
結局、一流の技術は「ただのデコピン」へと昇華された。
大雅はそのまま、逃げるように背中を向けて歩き出す。
(……親父。……無理だ。……中身が追いつかない……!)
背後で「もう、大雅くんのバカっ!」と怒っている琥珀の声を聞きながら、大雅は一人、夕闇の中で「正座したい気分」に陥っていた。
🔚
第7話:放課後フルーツデート
昨日の「決死のデコピン事件」以来、大雅のメンタルはボロボロだった。
(俺は最低だ……。角度だの呼吸だの言っておいて、結局琥珀に痛い思いをさせた……)
教室の隅で、どす黒いオーラを放ちながら項垂れる大雅。周囲の生徒たちは「大塚が何か重大な犯罪計画を練っている」と勘違いし、半径5メートル以内には誰も近づかない。
「……大雅、顔が葬式だぞ」
呆れ顔の晴翔が、大雅の机に高級フルーツ店のチラシを置いた。
「ほら、駅前に新しくできたフルーツパーラー。琥珀ちゃん、ここ行きたいって言ってたぞ。デコピンの詫びに入れてこい」
「……フルーツ……パーラー……」
大雅の瞳に、宿命のライバルを見つけた時のような鋭い光が宿った。
放課後。大雅は琥珀を誘い、その店へと向かった。
店内は女子高生やカップルばかり。黒ずくめの巨漢・大雅が足を踏み入れた瞬間、店内のBGMが止まった(ような気がした)。
「わあぁ! 凄ぉい! 大雅くん、本当にここでいいの?」
昨日の怒りなどどこへやら、琥珀はキラキラした目でメニューを見つめている。その無邪気な姿に、大雅の胸が締め付けられた。
「……ああ。好きなものを食え。……端から端まで注文してもいい」
「そんなに食べられないよぉ。……あ、この『特選完熟イチゴパフェ』にする!」
注文が届くと、そこには宝石のように輝くイチゴの山。
大雅は自分の「アイスコーヒー(ガムシロ3個投入済み)」をすすりながら、幸せそうに頬張る琥珀をサングラス越しに凝視していた。
(美味そうに食うな……。……今だ。親父が言っていた『食事中のさりげない気遣い』。これこそが、デコピンの汚名をそそぐチャンス……!)
大雅は震える手で、自分のスプーンを手に取った。
「……琥珀。……その、なんだ。……俺の、一口……」
「え? 大雅くんも食べたいの? はい、あーん!」
作戦を変更する間もなく、琥珀がイチゴを差し出してきた。
「……ッ!!」
大雅の思考が停止した。
女子からの「あーん」。しかも場所は、女子高生だらけのフルーツパーラー。
極限の緊張の中、大雅は逃げ場を失い――バクッ!! と、スプーンごと食べそうな勢いで食いついた。
「わっ、すごい勢い! ……どう? 美味しい?」
「……あ、甘い。……殺人的に、甘い……」
大雅の顔が、イチゴよりも真っ赤に染まる。
あまりの照れ臭さに、彼は思わずサングラスをクイッと上げ、視線を逸らした。
「……お前の方が、美味そうに食うから……。……その、また……連れてきてやる」
その瞬間、琥珀は見た。
いつもは怖いサングラスの奥にある、子犬のように優しくて、必死に照れを隠そうとしている大雅の瞳を。
「……うん! 約束だよ、大雅くん!」
デコピンの傷跡は、イチゴの甘さと大雅の不器用な優しさで、綺麗に上書きされた。
しかし、会計時に大雅が放った「……釣りはいらねえ(本人はかっこいいチップのつもり)」という言葉で、店員を震え上がらせてしまったのは、また別の話である。
🔚
第8話:ダブル鎮圧の恐怖
その日、大塚家のリビングには、時代錯誤な「男塾」のような熱気が渦巻いていた。
和正が腕を組み、大雅と向き合っている。
「いいか大雅。我々大塚家の男が、いつまでも女房や彼女に尻に敷かれていていいのか!?」
「……いや。……よくない、親父」
「そうだ! 今日こそは、男の威厳というものを見せつけてやるのだ。琥珀ちゃんと母さんが買い物から帰ってきたら、我々は一歩も引かず、ドッシリと構える。いいな!」
二人は黒スーツに着替え、ソファに深く腰掛けた。
和正は葉巻(チョコ菓子)をくわえ、大雅は腕を組んで足を組む。そこには「一切の妥協を許さない組織のトップ」二人が並んでいるような、圧倒的な圧があった。
ガチャリ。
「ただいまー! 重かったぁ、大雅くん手伝って……って、何その格好」
買い物袋を両手に下げた琥珀と、その後ろで微笑む母。
「……ふん。……琥珀、荷物はそこへ置け。……俺たちは今、重要な『男の儀式』の最中だ」
大雅が低く、地響きのような声で言い放つ。和正も深く頷き、「お出迎えは不要だ。茶を淹れなさい」と、震える声(緊張)で命じた。
静寂。
琥珀と母が顔を見合わせ、スッと目を細める。
「あら、あなた。……今、なんて言ったの?」
母の笑顔が、一瞬にしてマイナス40度の氷結オーラに変わる。
「大雅くんも。……私、お砂糖とか牛乳とか、重いものいっぱい買ってきたんだよ?」
琥珀もまた、いつもより一段低い、けれど逃げ場のないトーンで声を合わせた。
そして。
「あなた。」
「たぁ〜い〜がぁ〜。」
――ズドォォォォォン!!
大塚家のリビングに、見えない雷鳴が轟いた。
琥珀と母による、究極の「ダブル鎮圧ボイス」。その威力は、通常の2倍どころか、二乗、三乗の破壊力となって男たちを襲った。
「「…………ッ!!」」
0.1秒後。
ソファで踏ん反り返っていたはずの180cmと173cmの巨漢二人が、まるで吸い込まれるように床へと滑り落ち、寸分の狂いもない綺麗な「正座」を決めていた。
「……すみませんでした」
「……調子に乗りました。……荷物、持ちます。……全部持ちます」
和正はサングラスを外してニコニコと謝り、大雅は顔を真っ赤にして琥珀の足元で縮こまっている。
「よし、よろしい! じゃあ、これ全部キッチンに運んで。あと、お風呂掃除も二人でやってね」
母の号令一下、二人の「若頭」はテキパキと小走りで働き始めた。
「えへへ、大雅くん。お風呂掃除終わったら、さっき買った果物剥いてあげるね」
「……ああ。……全力で、ピカピカにする」
結局、男の威厳など微塵も残らなかったが、琥珀の優しさに触れて、大雅の心はまたしても完敗(大満足)の状態に。
大塚家の「真の支配者」が誰であるか、改めて刻み込まれた午後であった。
終わり
第9話:サングラス越しの本音
事件は、あまりにも唐突に起きた。
放課後の教室。大雅が琥珀の消しゴムを拾おうと屈んだ瞬間、胸ポケットから「それ」が滑り落ちた。
――パキッ。
乾いた音が響き、大雅の魂とも言える漆黒のサングラスが、無残にも真っ二つに割れた。
「……あ。」
大雅の動きが止まる。世界が止まる。
いつも鋭い眼光を隠し、彼に「若頭」の風格を与えていた鉄壁のガードが、物理的に崩壊したのだ。
「ああっ! 大雅くん、大丈夫!? ごめんね、私が落とさせちゃって……」
慌てて駆け寄る琥珀。しかし、大雅は咄嗟に両手で顔を覆い、ガタガタと震え出した。
「……く、来るな。……見るな、琥珀。……今の俺は、無防備だ」
「えっ? 何言ってるの。顔見せてよ」
「……嫌だ。……俺の目は、その……。……鋭すぎて、お前を射殺してしまうかもしれない……ッ!」
相変わらずの勘違い発言だが、実態は違う。
大雅は、自分の目が「驚くほど垂れ目で、琥珀を見るとすぐデレデレになってしまう」ことを自覚している。サングラスがない今の自分は、中身の「純情ヘタレ丸出し」なのだ。
「いいから! 怪我してないか見せて!」
琥珀が強引に大雅の手を退けた。
「……ッ!!」
露わになった大雅の素顔。
そこには、周囲が恐れる「殺し屋の目」などなかった。
少し長めの睫毛に、潤んだ瞳。そして、琥珀を直視できずに泳ぎまくる、あまりにも優しくて初々しい「17歳の少年の目」があった。
「…………わあ。」
琥珀が、思わず吐息を漏らす。
「……ほら、見ろ。……変だろう。……威厳も何もない。……これじゃ、お前を守る用心棒になんて……」
大雅が自嘲気味に俯こうとした、その時。
琥珀の小さな手が、大雅の両頬を包み込んだ。
至近距離。大雅の視界には、自分を真っ直ぐに見つめる、世界で一番大好きな女の子の瞳しかない。
「変じゃないよ。……私、大雅くんのこの目、大好き。サングラスしてる時もかっこいいけど、こっちの方がずっと『大雅くん』って感じがする」
「…………っ、……あ、……う、……」
大雅の顔面が、沸騰したヤカンのように赤くなっていく。
父直伝の「キスの間合い」どころではない。ゼロ距離だ。逃げ場はない。
「……琥珀。……お前は、本当に……。……俺を、どうしたいんだ……」
消え入りそうな声で、本音が漏れる。
「どうもしないよ! ただ、もっとちゃんと見せてほしいだけ」
ニコッと笑う琥珀。その破壊力に、大雅はついに膝をついた。
「……晴翔。……予備のサングラスを、持ってきてくれ。……俺は、今、……尊死(たふとし)しかけている……」
遠くで見ていた晴翔が「はいはい、お幸せにね」と呆れながらスマホでその『素顔のヘタレ大雅』を激写していたのは言うまでもない。
結局、新しいサングラスを買うまでの数日間、大雅はずっと琥珀の後ろに隠れて歩くという、最強に情けない(けれど幸せな)時間を過ごすことになった。
🔚
第10話:雨宿りとゼロ距離
その日の放課後、空は予報を裏切り、バケツをひっくり返したような土砂降りになった。
「うわぁ、すごい雨……。大雅くん、傘持ってないよね?」
「……ああ。だが問題ない。俺の学ランを傘代わりにすれば、お前一人くらいは……」
そう言って学ランを脱ごうとした大雅だったが、風を伴う雨の勢いに断念。二人は近くの古い商店街の、狭い軒下へと駆け込んだ。
そこは、大人二人が並ぶのがやっとのほど、奥行きのない空間。
自然と、二人の肩と肩が触れ合う。
「……っ」
大雅の心臓が、雨音をかき消すほどの爆音で鳴り始めた。
新調したばかりのサングラスが、外気との温度差でわずかに曇る。
「……狭いな」
「うん。……でも、あったかいね」
琥珀が少し寒そうに肩をすくめ、大雅の腕に体重を預けてきた。
至近距離から漂う、琥珀のシャンプーの甘い香り。
大雅の脳裏に、昨夜、父・和正と交わした会話がフラッシュバックする。
『いいか大雅。雨の日の軒下……そこは、男が「一流」になれる聖域だ。狭さは味方だ。逃げ場のない空間で、相手の瞳の奥を……射抜くように見つめろ』
(……今だ。……今しかない)
大雅は意を決し、曇ったサングラスを外した。
雨に濡れて少し束になった前髪の隙間から、昨日の「優しい目」が琥珀を捉える。
「……琥珀」
「え……? なあに、大雅くん」
大雅は、父に叩き込まれた「黄金の角度」で、ゆっくりと琥珀の顔に自分の顔を近づけていった。
雨音のカーテンが、二人を世界から切り離している。
琥珀の長い睫毛が、震えるのが見える。
(角度、よし。……呼吸、読み取った。……いくぞ……!)
唇が触れ合う、あと数ミリ。
大雅の純情回路が焼き切れる直前。
「あー! 見つけたぞ、お前ら! こんなところで密会か?」
ガバァッ! と、横から巨大なビニール傘が差し込まれた。
声の主は、コンビニ袋を抱えた晴翔だった。
「……は、晴翔……っ!」
大雅は弾かれたように飛び退き、軒下の柱に後頭部を強打した。
「よお、若頭。顔真っ赤だぜ? 茹でダコかよ。ほら、このデカい傘貸してやるから、二人で仲良く帰れよ」
晴翔はニヤニヤしながら、大雅の手に傘を握らせ、自分はフードを被って走り去っていった。
「…………。」
「…………。」
残されたのは、気まずい沈黙と、一本の大きな傘。
「……あ、あの、大雅くん。行こうか?」
「……ああ。……行く。……すまない」
大雅は震える手で傘を差し、琥珀が濡れないよう、自分の右肩をびしょ濡れにしながら歩き出した。
父直伝の「一流の技術」はまたしても未遂に終わったが、傘の下で琥珀がそっと大雅の服の裾を掴んだことで、大雅の幸福度は限界値を突破していた。
(……親父。……一流への道は、まだ遠い……。……だが、この距離も、悪くない)
雨が止む頃には、二人の距離は、雨が降る前よりもほんの少しだけ縮まっていた。
🔚
第11話:他校の番長(自称)現る
放課後の校門前。そこには、見るからにガラの悪い集団がたむろしていた。
中心にいるのは、近隣の工業高校で「狂犬」と恐れられる男、鮫島。
「おい、大塚ってのはどいつだ! 警察に職質されるほどの若頭気取りがいるって聞いたぜ。この俺が格の違いを教えてやる!」
殺気立つ不良たち。通りかかる生徒たちが悲鳴を上げて逃げ出す中、校舎から一人の男が悠然と現れた。
漆黒のサングラス、隙のない制服の着こなし。大雅である。
「……来たか、大塚ッ!」
鮫島が鋭い声を張り上げ、一歩踏み出す。
しかし、大雅は鮫島を完全に無視。
その視線は手元のスマホに釘付けで、眉間に深いシワを寄せ、今にも誰かを殴り殺しそうな指つきで画面を猛烈に叩いていた。
(……クソッ、なんて返せばいいんだ……。琥珀から『今日の夕飯、オムライスなんだ!』ってLINEが来た。……『美味そうだな』じゃ普通すぎる。……『俺も食べたい』? いや、それはがっつきすぎか……ッ!)
大雅の脳内は、琥珀への「完璧な返信」を構築するための超高度演算で埋め尽くされていた。
「おい! 無視すんじゃねえ! 俺の拳が見えねえのかッ!」
痺れを切らした鮫島が、大雅の胸ぐらを掴もうと手を伸ばす。
その瞬間。
大雅が、ガバッ! と鮫島の腕を掴んだ。
サングラスの奥から、文字通り「血走った目」が鮫島を貫く。
「……黙れ。……今、大事なところだ。……一文字でも打ち間違えたら、どうしてくれる」
「ひ、ヒィィッ……!!」
鮫島は、その圧倒的な「圧」に腰を抜かした。
彼には、大雅が「俺のシマを荒らす奴は、文字通り消してやる」と宣告したように聞こえたのだ。事実は、「フリック入力がズレて『だいすき』が『だいずき』になったら死ぬ」という焦りだったのだが。
「お、覚えてろよッ!」
鮫島たちは、尻尾を巻いて逃げ出していった。
そこへ、琥珀がひょこっと顔を出した。
「あ、大雅くん! 帰ろ……あれ? 今の人たち、知り合い?」
その瞬間、大雅の「若頭オーラ」が霧散した。
「……琥珀。……いや、知らない奴だ。……それより、今、LINEを……」
「あ、返信くれたんだ! ……えっ、『だいずき』? 大豆が好きなの?」
画面には、案の定、打ち間違えた「だいずき」の文字。
大雅は一瞬で顔面を真っ赤に染め、スマホを握りしめてその場に崩れ落ちた。
「……し、死ぬ。……俺は、もうダメだ……。……恥ずかしくて、オムライスどころじゃない……」
「あはは! 打ち間違いでしょ? 大丈夫だよ、私も大雅くんのこと『だいずき』だよ!」
琥珀の無邪気なカウンターに、大雅は本日二度目の「尊死」を経験することに。
「……晴翔。……俺を、豆乳に沈めてくれ……」
影で見ていた晴翔が「お前ら、一生やってろよ」と乾いたツッコミを入れた。
🔚
第12話:文化祭の「極道カフェ」
文化祭当日。大雅の所属する2年B組は、阿鼻叫喚の図に包まれていた。
出し物は、クラスの女子たちが「大塚くんのキャラを活かそう!」と悪ノリして決まった……その名も『喫茶・極(きわみ)』。
「……おい、晴翔。なぜ俺は、フリルの付いたエプロンではなく、ドス(偽物)を懐に入れているんだ」
「察しろよ。お前に執事の格好させたら、それはもう『若頭の休日』だろ」
大雅は黒シャツの袖を捲り、威圧感たっぷりに教室の入り口に立っていた。
コンセプトは「強面だけどおもてなし」。しかし、現実は非情だった。
「(きゃあぁっ! あそこ、マジの組事務所じゃない!?)」
「(入ったら指詰めさせられるよ、行こう……!)」
文化祭に浮かれる一般客たちが、2年B組の前を通るたびに凄まじい速度で逃げていく。開店から1時間、客数はゼロ。クラスの女子たちが「大塚くん、もっと笑顔で!」と泣きついたが、大雅が無理に作った笑顔は、「獲物をなぶり殺す直前の狂気」にしか見えず、逆効果だった。
「……ダメだ。俺がいると、クラスに迷惑がかかる……。俺は、裏で皿を割ってくる……」
絶望し、静かに去ろうとする大雅。そこへ――。
「いらっしゃいませーっ! 凄く美味しいお茶と、大雅くん特製の『愛の鉄拳(パンチ)ドロップ』があるよー!」
可愛いフリル付きの着物ドレスに身を包んだ琥珀が、客寄せパンダ(看板娘)として現れた。
「あ、琥珀ちゃん! か、可愛い……」
「(あれ? あの可愛い子がいるなら、大丈夫なのかな……?)」
琥珀の笑顔に釣られ、恐る恐る客が入り始める。
大雅は慌てて、父・和正から叩き込まれた「一流の接客(という名の仁義)」を実践しようと、客のテーブルへ向かった。
「……よく来たな。……命(タマ)の次に大事な注文を、言ってみろ」
「ヒィッ!? ブ、ブレンドコーヒーで!!」
客が震えながら注文する。大雅は無言で頷き、厨房へ向かうと、そこで琥珀が待ち構えていた。
「たぁ〜い〜がぁ〜。」
本日一回目の鎮圧。
「声が低い! もっと優しく! あと、メニューを渡す時に『お怪我はありませんか?』って聞くのやめて! 誰も怪我してないから!」
「……すまん。……だが、客が震えていたから、介抱しようと……」
「それは大雅くんが怖いからだよ! ほら、笑顔の練習!」
琥珀が大雅の頬を両手でムニッと持ち上げ、強制的に「笑顔(?)の形」を作る。
その瞬間、大雅の脳内は「琥珀に触られた……。顔が近い……。文化祭最高……」という多幸感で真っ白になった。
結局、琥珀にデレデレな大雅の姿が「ギャップがあって可愛い」と女子客の間で話題になり、店は大繁盛。
最後には、噂を聞きつけた父・和正が「ほう、これが息子のシマか」と、ガチの黒塗りの車で乗り付けてしまい、警察が校門まで来るという、いつものオチがついた。
「……琥珀。……俺、やっぱり普通の高校生にはなれないかもしれない」
「いいよ。大雅くんは、私の特別なんだから!」
夕暮れの教室。琥珀の言葉に、大雅はまたしてもサングラスを曇らせるほど赤面するのだった。
🔚
第13話:琥珀、怒る。
文化祭の後夜祭。校庭では焚き火が赤々と燃え、楽しげな音楽が流れていた。
しかし、校舎の屋上で一人、夜風に吹かれている男がいた。大雅である。
彼は、文化祭で自分の姿を見て怯えた客たちの顔が忘れられなかった。そして何より、自分の横で健気に笑い、客を呼び込んでいた琥珀の姿が。
(俺は……琥珀に、あんな思いをさせてばかりだ。……俺のような『凶器』が隣にいるより、もっと普通の、爽やかな男がいた方が……)
大雅はサングラスを外し、拳を握りしめた。
そこへ、足音が聞こえる。
「あ、見つけた! 大雅くん、こんなところで何してるの?」
琥珀だった。彼女は大雅の隣に並び、焚き火を見下ろして笑う。「楽しかったね、今日!」
「……琥珀。……俺じゃない方が、いいんじゃないか」
大雅の低い声が、夜の闇に沈んだ。
「え……?」
「……俺は、黙っていれば人を怯えさせる。……お前の評判まで落とす。……お前には、もっとこう……晴翔のような、明るい男が……」
その瞬間、周囲の空気が変わった。
いつもなら「鎮圧ボイス」でなだめてくれるはずの琥珀が、沈黙したのだ。
「……大雅くん。今、なんて言ったの?」
声は静かだが、そこには今まで一度も聞いたことがないような、鋭い「怒り」が宿っていた。
「……いや、だから俺は、お前にふさわしく――」
「何言ってるの……! バカたぁ〜い〜がぁ〜!!」
琥珀が、大雅の胸ぐらをつかんで(届かないので少し背伸びして)、精一杯の力で叫んだ。
「……っ、琥珀……?」
「大雅くんが決めることじゃない! 誰が隣にいたいか、誰が一番かっこいいかって決めるのは、私なんだよ!」
琥珀の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「警察に囲まれても、学校で怖がられても、私は大雅くんの隣にいたいの! サングラスの奥の、あの優しい目を知ってるのは私だけなんだよ!? それを、自分から手放すようなこと、二度と言わないで……っ!」
大雅は言葉を失った。
父から教わった「男の威厳」や「キスの技術」なんて、今の琥珀の前では何の意味も持たなかった。
彼女は、大雅という「人間」を、誰よりも真っ直ぐに愛していたのだ。
「…………すまん。……俺が、間違っていた」
大雅はそっと琥珀を抱き寄せた。
173cmの「若頭」が、155cmの女の子の細い肩に顔を埋める。
「……琥珀。……俺は、世界一の幸せ者だ。……もう二度と、逃げたりしない。……お前を守るために、俺はこの強面を誇りに思う」
「……うん。約束だよ。……あ、でも、変なこと言ったらまた鎮圧するからね?」
「……ああ。……受けて立つ」
二人の距離が、また一段と深まった夜。
校舎の影から「おーおー、青春だねぇ」とスマホを回していた晴翔が、後で大雅に追いかけ回されたのは言うまでもない。
🔚
第14話:はじめての喧嘩(?)
文化祭で絆を深めたはずの二人だったが、翌週、大塚家に激震が走った。
事の起こりは、琥珀が大雅の部屋で一緒に勉強をしていた時のことだ。
「あ、大雅くん。消しゴム貸して」
「……あ、ああ。……待て、そっちの引き出しは――」
大雅の制止も虚しく、琥珀が開けた小さな小瓶。そこには、白い砂のようなものが大切に保管されていた。
「……ねえ、大雅くん。これ……何?」
「…………。……琥珀が、テスト前に必死に勉強していた時の、……消しゴムのカスだ」
静寂。
時計の針の音だけが、虚しく響く。
「……えっ。……えええっ!? なんでそんなの取ってあるの!?」
「……お前が頑張った証だ。……捨てるのが忍びなくて、つい……」
「ついじゃないよ! 怖いよ! ストーカーだよそれ!!」
いつもは大雅を「かっこいい」と肯定する琥珀だったが、今回ばかりは本気で引いた。
「大雅くん、好きだけど……それは無理! ちょっと距離置かせて!!」
琥珀は荷物をまとめ、嵐のように部屋を飛び出していった。
翌日。学校の廊下。
大雅は、もはや「若頭」ではなく「亡霊」のような顔で立ち尽くしていた。
サングラスは曇り、放つオーラはどす黒く、周囲の生徒は「ついに大塚が、誰かを消す準備に入った」と戦慄している。
「……晴翔。……終わった。……俺は、琥珀に『怖い』と言われた……」
「当たり前だろ。消しゴムのカス集める奴が怖くないわけないだろ。お前、愛が重すぎんだよ」
晴翔の正論が大雅に突き刺さる。
そこへ、琥珀が通りかかった。大雅は咄嗟に声をかけようとするが、琥珀はぷいっと顔を背けて走り去ってしまう。
「……ッ!!」
大雅はその場に崩れ落ち、アスファルト(廊下)を拳で叩いた。
「琥珀……。……俺は、ただ……お前のカケラすら愛おしかっただけなんだ……っ!」
「だからそれが重いっつーの」
しかし、そんな二人の様子を影で見守る「真の支配者」がいた。
大雅の母である。彼女は「あらあら、息子がバカやってるわね」と微笑みながら、琥珀に一通のメールを送った。
放課後。屋上に呼び出された大雅。
そこには、少しバツが悪そうな顔をした琥珀が立っていた。
「……琥珀。……すまない。……カスは、すべて供養(処分)した。……だから……」
「……もういいよ。おばさんから聞いたんだ。大雅くん、お父さんに『どうすれば琥珀を応援できるか』って相談して、結局ああなっちゃったんだって?」
大雅の母経由で、「不器用すぎる応援の形」だったことを知らされた琥珀。
彼女はため息をつきながら、一歩、大雅に近づいた。
「たぁ〜い〜がぁ〜。」
本日一番の、優しい鎮圧。
「……カスの収集は禁止。……でも、私のこと、そんなに大事に思ってくれてるのは……わかったから」
「……琥珀。……俺は、もう一生、お前の消しゴムのカスは拾わない。……その代わり、……お前の手は、一生離さない」
大雅が真っ赤な顔で、父直伝ではない「自分の言葉」で告げる。
琥珀は顔を赤くして、「……それも、ちょっと重いけど……許してあげる」と笑った。
こうして、史上稀に見る「消しゴムのカス喧嘩」は、より一層深い(重い)絆を生んで幕を閉じたのだった。
🔚
第15話:修学旅行、夜の作戦
京都の旅館。消灯時間を過ぎた男子部屋では、異様な熱気が渦巻いていた。
大雅は布団の上に正座し、手元のスマホを神聖な儀式のように見つめている。
「……いいか、大雅。修学旅行の夜、それは『日常』が『伝説』に変わる瞬間だ。寝静まった廊下、薄暗い照明……そこでお前が放つ一言。それが未来を決めるッ!」
スピーカーから漏れる父・和正の野太い声。大雅は深く頷き、メモを取る。
「……親父。……『最終奥義』、しかと受け取った。……実行に移す」
「よし! 行ってこい、我が息子よ!」
電話を切った大雅は、スッと立ち上がり、漆黒のサングラスを装着した。
「……晴翔。……俺は行く。……止めるな」
「止めねーよ。お前のその『気合の入りすぎた夜這い(もどき)』が、どう自爆するか見届けたいだけだ」
大雅は忍び足で部屋を抜け出した。ターゲットは、琥珀がいる女子部屋近くの自動販売機コーナー。そこで「偶然」を装い、父直伝の『壁ドン&愛の囁き(重低音ver.)』を繰り出す計画だ。
自販機の灯りだけが浮き上がる薄暗い廊下。
大雅が壁に寄りかかり、角度を調整していると――パタパタと足音が聞こえてきた。
「……っ、来たか」
現れたのは、喉が渇いて飲み物を買いに来た琥珀だった。
彼女はパジャマ姿で、少し眠そうに目をこすっている。
「……琥珀。……こんな夜更けに、一人か」
大雅が、地響きのような超低音で声をかけた。
「ひゃいっ!? ……あ、大雅くん? びっくりしたぁ、サングラスしてるから不審者かと思ったよ」
「……不審者ではない。……お前を待っていた、……守護神だ」
大雅は、父に教わった通り、素早く琥珀の横の壁に手を突いた。
――ドォォォォンッ!!
力が入りすぎて、旅館の古い壁がミシミシと悲鳴を上げる。
「……琥珀。……この月が、綺麗だと思わないか。……だが、お前の方が……三千倍、……いや、五兆倍……」
「大雅くん、数字が多すぎて全然入ってこないよ! あと、壁が壊れそう! 怖い!」
あまりの勢いと「重すぎる愛の数字」に、琥珀が涙目になる。
その瞬間、大雅の脳内の「一流の男」スイッチがショートした。
「……す、すまん! ……数字は、その、……親父が『具体性を持たせろ』と言っていたからで……」
「もう! 大雅くん、かっこつけなくていいんだってば!」
琥珀が、壁に突かれた大雅の腕を、えいっと掴んで自分の方へ引き寄せた。
「たぁ〜い〜がぁ〜。」
静かな廊下に響く、究極の鎮圧。
大雅は一瞬で「借りてきた大型犬」状態になり、その場に崩れ落ちそうになる。
「……っ。……琥珀。……俺は、また……空回りを……」
「ふふっ。でも、待っててくれたのは嬉しいよ。……はい、これ。半分こしよ?」
琥珀が自販機で買ったリンゴジュースを差し出す。
二人は薄暗い廊下の隅で、一つの缶ジュースを分け合いながら、父の奥義よりもずっと甘い、静かな時間を過ごした。
翌朝、大雅が「壁に拳の跡を残した」として先生に大目玉を食らい、和正に電話で「親父……奥義が物理的に強すぎた……」と報告していたのは、晴翔だけが知る秘密である。
🔚
第16話:琥珀の誕生日は12月30日
12月30日。世間が年末の喧騒に包まれる中、大雅は人生最大の緊張の中にいた。
今日は琥珀の18歳の誕生日。彼はこの日のために、工事現場の警備バイト(立っているだけで不審者が逃げ出すと評判だった)で稼いだ給料をすべて注ぎ込み、ある「贈り物」を用意していた。
「……よし。……角度よし、身だしなみよし。……サングラスの曇り、なし」
鏡の前で自分を鼓舞する大雅。そこへ、背後から音もなく巨大な影が忍び寄った。
「大雅。……準備はいいか。……作戦名は『エンジェル・バースデー』だ」
父・和正である。なぜか彼もバシッとタキシードを着こなしている。
「……親父。なぜ着替えている。……これは俺と琥珀のデートだ」
「バカを言え! 琥珀ちゃんの誕生日は、大塚家全体の慶事だ! 俺が運転手を務め、母さんが後方支援(ビデオ撮影)を担当する!」
「「……ッ!!」」
リビングの陰から、最新鋭のハンディカムを構えた母が「大雅、もっと胸を張って。若頭らしくないわよ」と微笑みながら現れた。
結局、黒塗りの高級車(和正運転)で迎えに行き、琥珀をエスコートして予約した高級レストランへ。
店内は静かなピアノの調べが流れていたが、大雅が席に座った瞬間、周囲の客が「……取引か?」とざわつき始めた。
「わあぁ……! 大雅くん、こんな素敵なところ、本当にいいの?」
ドレスアップした琥珀が、少し照れながら笑う。その姿の眩しさに、大雅はメニュー表を握りつぶしそうになった。
「……ああ。……お前の生まれた日は、……この宇宙の、記念日だからな」
(……決まった。……親父のアドバイス通りだ!)
大雅は懐から、小さな箱を取り出した。
中身は、琥珀の誕生石があしらわれた繊細なネックレス。
「……琥珀。……これを受け取ってくれ。……一生、お前を……」
「はい、カットォォォー!!」
隣のテーブルの陰から、母の鋭い声が響いた。
「大雅! 今のセリフ、語尾が震えてたわよ! もう一回最初から!」
「……お袋!? なぜ隣の席にいるんだ!」
「大雅、角度だ! もっと左から、顎のラインを強調しろ!」
給仕係に変装していた和正が、ワインボトルを片手に身を乗り出す。
「……っ、……もう、……うるさいッ!!」
大雅の我慢が限界に達した。顔を真っ赤にし、サングラスをかなぐり捨てて立ち上がる。
「琥珀! ……家族がうるさくて、すまない! ……でも、俺の気持ちは、……このネックレスよりも、重いんだ……っ!」
レストラン中に響き渡る、剥き出しの本音。
静まり返る店内。琥珀は驚きで固まっていたが、やがてクスクスと笑い出し、涙を浮かべた。
「たぁ〜い〜がぁ〜。」
本日一番の、祝福の鎮圧。
「……ありがとう。……世界で一番、重くて温かいプレゼントだよ」
琥珀は大雅の手を取り、自分の首にネックレスをかけさせた。
その様子を「……合格ね」と泣きながら録画する母と、「男泣きだ……!」とハンカチを噛みしめる和正。
大雅は、もはや周囲の目などどうでもよくなっていた。
目の前で笑う琥珀の幸せそうな顔。それだけで、今年の警備バイトの苦労はすべて報われたのだ。
🔚
第17話:雪の日の独占欲
大晦日。除夜の鐘が響く直前、夜空から白い雪が舞い落ちてきた。
初詣に向かう参道は、着物姿の参拝客でごった返している。
「わあ、雪だ! 大雅くん、見て見て!」
琥珀がはしゃいで空を仰ぐ。慣れない振袖姿の彼女は、いつも以上に小さく、そして守ってあげたくなるほど愛らしかった。
「……ああ。……綺麗だな、琥珀」
大雅は、人混みから琥珀をガードするように、その大きな体で周囲を威圧しながら歩いていた。サングラス越しに、すれ違う男たちの視線を一つ残らずチェックする。
(……今、左の奴が琥珀を見た。……あっちの男は、琥珀のうなじを凝視した……。……許さん。……一秒たりとも、俺以外の視界に琥珀を入れたくない……ッ!)
大雅の脳内では「琥珀・鉄壁防衛ライン」が敷かれていた。
寒さで赤くなった琥珀の耳元を見て、大雅の独占欲がついに臨界点を突破する。
「……琥珀。……こっちに来い」
「えっ? ……わっ!」
大雅は、厚手のコートのボタンを外すと、琥珀をそのまま自分の胸の中に引き込み、コートごと包み込んだ。
いわゆる、「コートシェア」である。
「た、大雅くん!? 恥ずかしいよ、みんな見てるよ!」
「……見せればいい。……お前が俺の『所有物(彼女)』だと、全人類に知らしめる必要がある」
「所有物って……言い方!」
琥珀は大雅の胸に顔を埋める形になり、彼の心臓の音がドクドクと、まるでドラムのように激しく鳴っているのを聞いた。
「(……大雅くん、口では怖いこと言ってるけど、心臓が爆発しそう……)」
琥珀は少しだけ意地悪な気持ちになり、彼の腰にギュッとしがみついた。
「…………ッ!!」
大雅の体が一瞬で硬直する。サングラスの奥の目が、白目を剥きそうになるほど見開かれた。
「……こ、琥珀。……密着が、……密着が過ぎる。……これでは、俺の理性が……」
「理性がどうなるの?」
上目遣いで見つめる琥珀。雪の白さと、彼女の瞳の輝き。
大雅は、父に教わった「キスのコツ」を思い出そうとした。
しかし、あまりの幸せと、琥珀への愛しさが混ざり合い、脳内からすべての戦術が消失した。
「……俺は……。……お前が、好きすぎて……。……もう、自分でも自分が、怖いんだ……っ」
絞り出すような本音。
それは独占欲というよりも、ただの「一途な少年の叫び」だった。
「たぁ〜い〜がぁ〜。」
雪の降る音さえ消してしまうような、優しい鎮圧。
「……そんなに怖がらなくても、私はどこにも行かないよ。……ずっと、大雅くんの隣にいるもん」
大雅は、コートの中で琥珀をより強く抱きしめた。
降り積もる雪は冷たいはずなのに、二人の周囲だけは、真夏のような熱を帯びていた。
その頃、参道の屋台で甘酒を飲んでいた晴翔が、「あーあ、あのバカップルのせいで雪が溶けて地面がドロドロだよ」と、ぬかるんだ足元を見てぼやいていたのは言うまでもない。
🔚
第18話:お母さんからの試練
お正月。大塚家の広間には、ピンと張り詰めた空気が流れていた。
いつもはおっとりしている大雅の母が、琥珀を一人、奥の和室へと呼び出したのだ。
「……親父。……お袋は、一体何を企んでいるんだ」
廊下で正座し、襖の向こうを睨みつける大雅。サングラスが恐怖でわずかに震えている。
「大雅……。女の試練というのは、時に警察の取り調べより厳しいぞ。……こればかりは、父さんも助けてやれん」
和正もまた、隣で額に汗を浮かべていた。
和室の中。
母は静かに茶を点て、琥珀の前に置いた。
「琥珀ちゃん。……単刀直入に聞くわね。大雅は、見ての通りの『不器用な強面』よ。あの子と一緒にいたら、これからも職質されるし、変な噂も立てられるわ。……あなた、本当にあの子でいいの?」
その声には、いつもの優しさの奥に、母親としての切実な響きがあった。
「大雅は、あなたを愛しすぎるあまり、時々自分を見失う。重すぎて、あなたを傷つけるかもしれない。……それでも、あの子の隣に立ち続ける覚悟はあるかしら?」
襖の外で聞き耳を立てていた大雅は、心臓が止まりそうだった。
(そうだ……俺は琥珀にふさわしくない……。お袋の言う通りだ……!)
しかし、琥珀の答えは、一瞬の迷いもなかった。
「……はい。大雅くんは、確かに不器用で、ちょっと重いですけど(笑)。でも、あんなに真っ直ぐに私だけを見てくれる人は、世界中に大雅くんしかいません」
琥珀は茶碗を置き、母の目を真っ直ぐに見つめ返した。
「見た目が怖くても、中身が誰よりも優しくて、一生懸命な大雅くんが大好きなんです。……彼が職質されるなら、私が隣で笑って説明します。彼が暴走するなら、私が一生『鎮圧』し続けます!」
沈黙。
やがて、母の顔から険しさが消え、ふんわりとした笑顔が戻った。
「……合格。……ふふ、やっぱり大雅には、あなたしかいないわね」
その瞬間、襖が「バシャーンッ!!」と勢いよく開いた。
勢い余って転がり込んできたのは、涙で顔をぐちゃぐちゃにした大雅だった。
「こ、琥珀……っ!! お前……そんなに、そんなに俺のことを……っ!!」
「わぁっ、大雅くん!? 見てたの!?」
大雅は床に伏し、号泣しながら叫んだ。
「お袋! 俺は、俺は一生、琥珀を離さないぞ! ……たとえ明日、地球が滅んでも、俺が素手で隕石を止めてみせるッ!!」
「はいはい、暑苦しいわよ。……あなた、このバカ息子を連れ出して。琥珀ちゃんとゆっくりお喋りできないじゃない」
「了解した、妻よ! 行くぞ大雅、男の涙を見せるのはまだ早い!」
和正に引きずられていく大雅。
母は琥珀の手を取り、優しく微笑んだ。
「よろしくね、琥珀ちゃん。……あの子、今夜あたり、たぶん『決める』つもりみたいだから」
「え……?」
琥珀の顔が、一気に真っ赤に染まった。
🔚
第19話:ついに実践!?キスのコツ
お母さんから「合格」をもらった日の夕暮れ。大雅は琥珀を連れて、二人でよく行く公園のベンチに座っていた。
オレンジ色の夕日が、二人の影を長く伸ばしている。
「……琥珀」
「なあに、大雅くん」
大雅は、今日ほど「サングラス」が邪魔だと思ったことはなかった。彼は無言でサングラスを外し、それをベンチに置いた。
露わになった瞳は、決意に満ちていて、けれど壊れそうなほど優しく揺れている。
「……俺は、ずっと親父から『キスのコツ』を教わってきた。角度だの、呼吸だの、間合いだの……。でも、そんなのは、全部どうでもよくなったんだ」
大雅は、琥珀の両手をそっと包み込んだ。
大きな、少しゴツゴツした手。けれど、琥珀を包むその力加減は、羽毛に触れるように繊細だった。
「俺がやりたいのは、『技術』じゃない。……ただ、お前が世界で一番大切だってことを、伝えたいだけだ」
大雅の顔が、ゆっくりと近づいてくる。
父の教えた「30度の角度」でもない。計算された「呼吸のタイミング」でもない。
ただ、惹かれ合うままの、不器用な、まっすぐな距離。
「……大雅くん」
琥珀がそっと目を閉じる。
大雅の心臓は、これまでのどの「鎮圧」の時よりも激しく、誇らしげに鳴り響いていた。
(……親父。……俺、やっとわかったよ。……一流のコツは、相手を想う心そのものなんだな……)
二人の唇が触れ合う、その刹那。
「……あ、あったぁぁぁ!! 大雅のやつ、やっぱりあそこにいやがった!!」
公園の入り口から、バカでかい叫び声が響いた。
現れたのは、あろうことか第11話で返り討ちにした他校の番長・鮫島と、その一味だった。
「大塚ァ! 今日こそは決着をつけてやるぜ! ……って、あれ? お前、何して……うわっ、お楽しみ中かよ!?」
大雅の動きが、ピタリと止まった。
静かに、、ゆっくりと、大雅が立ち上がる。
その背中から立ち上るオーラは、もはや「若頭」を超え、「破壊神」の域に達していた。
「……鮫島。……貴様。……今、自分が何をしたか、わかっているか」
「ヒ、ヒィッ……!? 目が、目がマジだ! 殺されるッ!!」
「……この『一生に一度』の瞬間を邪魔した罪、……万死に値するッ!!」
大雅が吠えた。その迫力に、鮫島たちは一歩も動けず、そのまま脱兎のごとく逃げ出していった。
静寂が戻った公園。
大雅は肩で息をしながら、呆然と立ち尽くしていた。
あまりの怒りと恥ずかしさで、もはや顔は真っ赤を通り越して紫色に近い。
「……琥珀。……すまん。……また、台無しだ……」
膝をつこうとした大雅の首に、琥珀が後ろからギュッとしがみついた。
「たぁ〜い〜がぁ〜。」
今日一番の、とびきり甘い鎮圧。
「……邪魔が入っちゃったのは残念だけど、大雅くんの気持ち、今の『怒り』ですっごく伝わったよ(笑)」
「……そ、そうか」
「うん。……だから、続きは……また今度、ね?」
琥珀が大雅の頬に、チュッと音を立ててキスをした。
「………………ッッ!!!」
大雅は、そのまま真っ白な灰になってベンチに倒れ込んだ。
一流の技術を披露するどころか、彼女からの先制攻撃に、大塚家の若頭は完全KOされたのであった。
🔚
第20話(最終回):これからも私のコワモテ彼氏
3月。校庭の桜が、別れと始まりを告げるように舞い散っていた。
卒業式を終えた校門前。そこには、やはり異様な光景が広がっていた。
「(おい、見ろよ……。あの卒業生、マジで『組の跡継ぎ』にしか見えねーよ)」
「(あんなに威圧感のある『仰げば尊し』、初めて聞いたわ……)」
大雅は、卒業証書を筒に入れ、脇に抱えて立っていた。漆黒のサングラスをかけ直し、直立不動で誰かを待っている。その姿は、卒業生というよりは「校門を警備する若頭」そのものだ。
「大雅ー! お疲れ! 結局、最後まで一回も職質されなかった日、なかったな!」
晴翔が、おどけた調子でやってきた。その手には、大雅の『ヘタレ観測日記』の最終ページが開かれている。
「……晴翔。……うるさい。……俺は、静かに琥珀を待っているだけだ」
「はいはい。あ、来たぞ。お前の『特効薬』が」
校舎から、花束を抱えた琥珀が駆けてきた。
「大雅くん! 卒業おめでとう!」
琥珀の笑顔を見た瞬間、大雅の肩の力が抜け、眉間のシワがわずかに緩む。
「……琥珀。……おめでとう。……お前がいたから、俺は……退学にならずに済んだ」
「あはは、そうだね! 喧嘩の仲裁とか、職質の言い訳とか、私、結構頑張ったもん!」
二人は、思い出の詰まった学び舎を背に歩き出した。
すると、校門の向こうに、見覚えのある黒塗りの高級車が停まっているのが見えた。
「おおお! 卒業おめでとう、大雅! 琥珀ちゃん!」
車から身を乗り出し、ハンカチで目を押さえながら号泣している父・和正。
「……親父、泣きすぎだ。……顔がさらに怖くなっている」
「うるさい! 息子が、あんなに立派な『角度』で証書を受け取るとは……父さんは感動した!」
隣では、母がビデオカメラを回しながら、「大雅、最後くらいサングラスを外しなさい。琥珀ちゃんに、ちゃんとお別れと『これから』を言いなさい」と、優しく、けれど絶対的な指示を出した。
二人は車を降りてもらい、少しだけ離れた桜の木の下へ向かった。
大雅はゆっくりと、サングラスを外した。
そこにあるのは、3年前よりも少し大人びた、けれど相変わらず琥珀を前にすると泳いでしまう、優しい瞳。
「……琥珀。……俺は、これからもお前を困らせるかもしれない。……嫉妬もするし、愛が重すぎて、……また消しゴムのカスを拾いそうになるかもしれない」
「……それは本当にやめてね(笑)」
「……ああ。……だが、これだけは変わらない。……俺の隣には、お前しかいない。……お前の隣には、俺しかいさせない」
大雅は、父直伝の「キスのコツ」を完全に捨て去っていた。
不器用で、まっすぐで、誰よりも純粋な18歳の想いだけを込めて。
「……愛している、琥珀。……一生、俺の『鎮圧対象』でいてくれ」
「……ふふ。……喜んで!」
桜吹雪が舞う中、二人の影が重なった。
今度は邪魔も入らず、角度も呼吸も、二人の心臓の音だけが完璧に重なり合う、最高に甘い瞬間。
「…………っ、……あ、あああ!」
キスが終わった瞬間、大雅は案の定、顔を真っ赤にして崩れ落ちた。
「……琥珀。……今の、……今の、100点だったか……?」
「もう! 採点なんてしないでよ! ……でも、120点……かな!」
「たぁ〜い〜がぁ〜。」
これからも続く、二人の日常。
強面な彼氏と、元気な彼女。
二人の恋の物語は、これからもたくさんの「鎮圧」と「キュン」を繰り返しながら、永遠に続いていく。
完
番外編:大塚家の『若頭』は、今日も味見に命をかける
結婚して一年。大塚家の朝は、琥珀のテキパキとした家事の音から始まる。
琥珀がコンロの前でフライパンを振るい、溜まった洗濯物を魔法のように捌いていく一方で、元・若頭の大雅は、キッチンの一角で正座していた。
「大雅くん、お醤油取って!」
「……っ! 了解した、琥珀。……キッコーマン、確保」
大雅は鋭い眼光で冷蔵庫を睨みつけ、醤油のボトルを聖遺物のように琥珀へ捧げる。
料理や洗濯などの「複雑な家事」は、大雅がやると「気合が入りすぎて服が破れる」「味付けが『男の戦場』のように濃くなる」ため、琥珀が担当することになったのだ。
「はい、大雅くん。お味噌汁の味見して」
「……ッ!! 重要な任務だな。……承知した」
琥珀が差し出したお玉を、大雅はサングラスを外して、神妙な面持ちで迎え入れる。
(……琥珀の作った味噌汁。……完璧だ。……この出汁の深さは、お袋の『支配者級』の味に、琥珀の『癒やし』が加わっている……!)
「……美味い。……琥珀、お前は天才だ。……俺は、この味噌汁のためなら、明日から隣町を制圧してきてもいい」
「しなくていいよ! 食べたら、おつかいお願いね」
琥珀に渡された「おつかいメモ」を、大雅は胸ポケットに大切に仕舞った。
書いてあるのは『にんじん、牛乳、琥珀の好きなゼリー』。
スーパーにて。
黒スーツ(私服)で野菜売り場に立つ大雅。にんじん一本を手に取り、産地を鋭く見つめるその姿は、どう見ても「密輸品の検品」にしか見えない。
「(おい、あいつ……にんじんをあんなに睨んで……何か仕込まれてるのか?)」
周囲の客が怯えて道をあけるが、大雅の脳内は「琥珀に一番いいにんじんを届ける」ことだけでいっぱいだ。
帰宅後。
「ただいま戻った、琥珀。……ゼリー、期間限定のやつがあったから、全種類買ってきたぞ」
「あはは、ありがとう! さすが大雅くん、おつかいマスターだね」
琥珀に頭を撫でられ、大雅の顔は一瞬でゆで上がった。
洗濯物を干す琥珀の背中を眺めながら、大雅は「味見」の幸せを噛みしめる。
「……琥珀。……俺は、料理はできないが。……皿洗いは、誰よりも『光速』で終わらせる。……だから、ずっと俺に、おつかいをさせてくれ」
「ふふっ。もちろん! これからもよろしくね、私の旦那様」
「たぁ〜い〜がぁ〜。」
幸せの鎮圧ボイスが響くリビング。
不器用な旦那様と、しっかり者の奥様。二人の「美味しい」生活は、今日も最高に平和で、ちょっとだけ物騒(見た目だけ)に続いていく。
🔚
番外編:晴翔の来襲と「家族のカタチ」
ある週末。大塚家の新居に、相変わらずのノリで晴翔が遊びにやってきた。
リビングでは、大雅が琥珀に指示された通り、眉間にシワを寄せながら「キャベツの千切り(味見用)」を真剣な面持ちで皿に並べていた。
「よお、若頭。相変わらず奥さんの尻に敷かれてんな。そのキャベツ、まるでドスで斬ったような鋭さだぜ」
「……晴翔。……私語を慎め。……今、琥珀が味の最終調整に入っているんだ」
キッチンでは琥珀が楽しそうにメインディッシュを仕上げている。
晴翔はビールを片手にソファへどっかと座り、二人の「完成された空気」を眺めてニヤリと笑った。
「でさ、お前ら。結婚して一年だろ? そろそろ『子供』とか作るのか? ミニ大雅とかミニ琥珀ちゃん、見てみたいんだけど」
「…………ブッ!!!」
大雅が飲んでいたお茶を、見事な放物線で吹き出した。
サングラスが曇り、顔面が急速に熱を帯び、耳まで真っ赤に染まる。
「は、は、晴翔……っ! 貴様、何を、何を唐突に……! 子、子供だと……!? 琥珀と俺の……そ、そんな……聖なる領域の話を……ッ!」
(脳内では、すでに琥珀に似た小さな女の子に『たぁ〜い〜がぁ〜』と鎮圧される妄想が爆走中)
「……っ、……まだ早い! 琥珀は、まだ俺だけのものだ! ……いや、違う、そういう意味じゃなくて、その……!」
大雅がパニックを起こして壁に頭を打ち付け始めたその時、キッチンから琥珀がひょこっと顔を出した。
彼女は少しだけ頬を赤らめ、けれど落ち着いた、優しい笑顔で晴翔を見た。
「ふふっ、晴翔くん。……今はね、二人だけのこの時間がすっごく楽しいから。……でも、いつか大雅くんみたいな、強面だけど心優しい子がいたら、賑やかでいいかもね」
「…………ッ!!!」
大雅の思考が停止した。
「今はね」という、未来を否定しない肯定の言葉。
そして、自分に似た子供を望んでくれているという事実。
「……琥珀。……お前……。……俺は、俺は今すぐ、育児書を全巻買い占めてくる……ッ!」
「たぁ〜い〜がぁ〜。」
本日一番の、幸せな鎮圧。
「気が早いよ! ほら、まずはこのキャベツ食べて。味見してくれないと夕飯完成しないんだから」
「……は、はい。……喜んで」
尻尾を振る大型犬のように大人しくなる大雅を見て、晴翔はスマホのシャッターを切った。
「はい、ご馳走様。今日の観測日記のタイトルは『若頭、未来のパパ修業に悶絶』で決まりだな」
大塚家の食卓は、今日も未来の幸せを予感させる、温かい湯気に包まれていた。
🔚