神、宇宙、この世の真理。
それと対峙するちっぽけな人間。
このシリーズは一話読み切りの短編作品で構成されます。
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目次
【短編読み切り】華やぐわたしは棺の底
わたしは、とある村のしがない医者だ。
因習なんかが残っていて、人口も少ないこの村では
わたしのような、若くてそれなりに腕のある医者は重宝された。
草木も眠る丑三つ時。
今日も診療を終え、わたしは診察室の中で小さくため息をついた。
この仕事はやりがいがあるものの、疲れる。
仕事とは生来そういうものなのだろうが、たまには休みがほしい。
だが、わたしが休んでは困る人々がいる。
なんせこの村に医者といえば、会話もままならないような
手がずっと小刻みに揺れている老医者と、わたしだけだからだ。
わたしが休んでは、誰が手術をするのだろうか?
あの爺さんは、脳みその手術をしている最中に
うっかり手が滑って患者の心臓でも刺すのではないか。
そんな不安感から、悪疫に侵された村民を救えるのは
わたしだけだという使命感が生まれていた。
さあ、明日も頑張ろう。そのような意味を込め、頬を両手で張った。
その瞬間、部屋の隅に忘れ去られたかのように転がっている
手帳が目に入った。ここは診察室、きっと今日来た患者が
忘れていったのだろう。
ほんの出来心から、中身を覗いてみる。
”おおいなるかみ ここにありて”
子供が書いたような拙い字で、そんな一文が書かれていた。
神?馬鹿馬鹿しい。わたしはそんなものを信じるたちの人間ではなかった。
次のページには、人のような姿をした”なにか”の
スケッチらしきものが描かれている。
これが神、ということなのだろうか。ただの化物にしか見えないが。
子供騙しだ。そう思い、手帳を閉じた。
その瞬間、診療所の扉がけたたましく叩かれた。
急患だろうか、わたしはすぐに扉を開けた。
「もし、何か御用でしょうか」
「お医者様、いえ...わたくしは手帳を取りに来ただけでございます」
小太りの男性が、ハンケチで脂汗を拭きながらそう言った。
はい手帳ですね、言おうとしたところで留まる。
今日、この男性を診療した覚えはない。
だから手帳を忘れていくはずがないのだ。
自分で言うのはなんだが、わたしは几帳面な性格だ。
日々の診療所の清掃を怠るはずがない。
そして昨日清掃した際に、忘れ物などは見当たらなかった。
手帳はこの男性のものではない、なら何故取りに来るのだろう?
落とし主に頼まれて取りに来たにしても、最初に言うはずだ。
わたしは、この男性に手帳のことは黙っていることにした。
「手帳?さて、何のことですかな」
「隠さないでいただきたい。貴殿は手帳をご覧になったでしょう?」
その一言に、わたしは眉をひそめた。
カーテンはすべて閉めていた。
外から、わたしが手帳を見ていたことは分からないはずだ。
きっとカマをかけられている。
ここで慌てたらこの男性の思う壺だ。わたしは黙秘を貫く。
「失礼ですが、仰っていることがわからない。
一杯やってきた後ですか?ここに息を吐いて頂きたい」
「ああ、君は本当に失礼だね!わたくしは大真面目に聞いているのですよ。
手帳をさっさと出しなさい、わたくしも乱暴はしたくないのですよ」
男性の息が段々と荒くなり、急かすように地団駄を踏んだ。
なにか様子がおかしい、わたしは男性の顔を恐る恐る見てみる。
...両方の目が、まったく別の方向を向いていた。
目は血走っていて、小刻みに瞳孔は震えている。
光は無く、おおよそ生きている人間の目とは思えない。
それに気づいた瞬間、反射的に扉を締めて鍵をかけた。
何かがおかしい、いや、すべておかしい。
こんなことがあっていいのだろうか、科学的根拠に基づく現象なのか?
27年間生きてきて、こんな経験はない。いや、あってたまるか!
背中で扉を押さえる。すると、バン!という音と共に、何かが扉を破壊した。
その何かはわたしの頬を掠め、恐らく傷を作った。
ズキズキと掠った部分が痛む。
こうしてはいられない、なるだけ扉から離れなければ、
わたしも一緒に貫かれてしまう。
そう考え、わたしはすぐに扉から距離を取った。
そして、念のため背後の窓の鍵を開ける。
なにかあれば、ここから外に出ればいい。
「お医者様、わたくしは手帳が欲しいだけなのです。
その手帳をもう人間には見せたくない。
わたくしの醜い姿は見られたくないのでございます」
不意に、懇願するような口調で男性は話す。
いや、もうそれは男性ではないのかもしれない。
にわかには信じ難いが、この口ぶりからするに
今扉の向こうにいるのは、まさに手帳に描かれていた”おおいなるかみ”。
それと同時に、この村の因習はこの神を祀るものだと納得がいった。
「手帳を頂けないのなら仕方ない...一旦この場は収めましょう。
ですが、一週間経っても返してもらえないようでしたら、貴殿には
華やかなる死が訪れるでしょう」
言い終わり、遠のいていく足音が聞こえた。
極度の緊迫感から解放された瞬間、わたしはその場に座り込む。
実にひどい目にあった。
夢ではないか、とも思ったが、痛む頬の傷がそう考える隙を生まない。
傷の具合を確認するため、手鏡で自分の顔を映してみる。
だが、想定外の状態にわたしは困惑した。
「傷口から...植物の芽が生えている...?」
その瞬間、”おおいなるかみ”が最後に言い残していった言葉が
頭の中で再生された。
華やかなる死、それは恐らく言葉通りの意味。
花になって死ぬ?前後の会話から察するに、一週間後までに
手帳を渡さなければ死ぬということだろうか。
冗談じゃない、と思った。
医者であるわたしが死んだら、誰が病に伏す人々を救うのだろうか?
手帳を渡さなければならない。しかし、”おおいなるかみ”は
一体全体どこにいるのだろうか?
そうだ、この村に根付いた因習を読み解けば、
それがどこにいるのか分かるかもしれない。
そうして、一週間のタイムリミットの中、
わたしの非日常が始まった。
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:
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:
:
:
:
:
:
:
ぐっすり眠れた、そう言うつもりはない。
そんなもの、全くの大嘘だからだ。
あんな出来事があって眠れる人間がどこにあるだろうか?
ベッドから重い上体を起こすと、どこからか花のいい香りが鼻腔を撫でた。
ここら辺に花なんて咲いていただろうか。
いや、もしや...嫌な予感がし、自分の身体の匂いを確認する。
花の、いい香りがした。
複雑な、なにかすべてを受け止めきれないといった感情に襲われる。
わたしはもう、人間では無くなりかけているのだろうか?
既に少しづつ、花になっていっているのだろうか?
手鏡で頬の傷を見てみると、少し芽が存在感を増しているのが分かった。
もしかすると、わたしに残された時間は一週間より短いのかもしれない。
今から6日後といえば、かなり花になっている頃だろう。
果たしてそんな状態で、まともに立って歩けるのか?
どのような形で症状が進行するのかが未知数であるため、
この仮説は定かではない。だが、なんにせよ早くことを済まさねばならない。
わたしは本棚の奥から、この村の因習にまつわる本を引っ張り出した。
ざっと見てみたところ、重要だと思われるものを見つけた。
ひとつは、すべての村民が労働を休み、一日中家にいなければならない日。
7月の26日だ。今日は19日だから、丁度一週間後。
この日が全くの無関係だという方が、かえって不自然だ。
本に記述されていた詳細を読んでみると、その日は神様が
”うつくしいもの”を探す日らしい。
神様が何をもって”うつくしいもの”と判断するのかが分からず、
その日は念の為、すべての村民が夜中息を潜めていなければならない。
”うつくしいもの”とされた人間や動物、置物などは神様の住処に持ち帰られ、
永久に美しいまま飾られるらしい。
過去に”うつくしいもの”とされ、持ち帰られたものの例は、
”純潔を保った女性”、”墓に供えられていた花束”...だという。
その日までちゃんと動けているかは分からないが、花束をエサにおびき寄せて、
やって来た”おおいなるかみ”に手帳を渡すことが出来そうだ。
だが、そうなると自分の身体が心配だった。
あれは話せば分かり合えそうな知能を有していたため、手帳を渡してから
身体をどうにかしてほしいと頼めば、元に戻してもらえるだろう。
でないと、そもそもこんな真似はしないからだ。
そこでわたしが最も懸念しているのが、後遺症についてだ。
花化が進めば進むほど、元に戻るのは困難なのではないだろうか。
これについても、詳しいことが分からないため何とも言えないが、
可能性としては決して考えられないものではない。
だから、出来るだけもっと早く”おおいなるかみ”と接触できる策が欲しい。
そこで、もうひとつの重要となりそうな記述だ。
それは、村民たちがよく山菜を採りに行く山、宵ノ咲山についてだ。
この山には、決してひとりで立ち入ってはならない。
どのようなことがあっても、個人の責任とする...といった内容だ。
神様、やら書いてないのが引っ掛かりはするが、現状”おおいなるかみ”が
この因習に関わっていると仮定するのが合理的である。
なら、最も早く”おおいなるかみ”と接触できる可能性が高いのは
宵ノ咲山をひとりで堂々と闊歩することだ。
それで見つからないようだったら、先程の策を最終手段とするしかない。
ふと窓の外を見ると、日が暮れかけている。
今日は診療が入っておらず、急患も来なかった。
このままそんな様子であれば、今日はゆっくり出来そうだな。
そう思った矢先、扉をけたたましく叩く音が聞こえた。
昨日のこともあり、わたしは少し背筋が凍ってしまったものの、
普通に考えれば急患だ。不審に思われないよう、
芽が顔を出す頬の傷口にガーゼをあててから、わたしは扉を開けた。
「お医者様、大変です!この人が山に倒れていて...」
そう言った若い青年が抱えていたのは、なんと昨晩の男性であった。
一瞬身構えるものの、よくよく考えればこの男性は無関係だったのだろう。
”おおいなるかみ”に身体の主導権を奪われ、器にされていたとすれば、どうだろうか。
神がそう簡単に人間の前に現れるわけがない。
それに加え、あれは自分の見た目にコンプレックスを持っているようであった。
そう考えると、全てに納得がいく。
だが、それが原因でこの男性の身体に負荷がかかったとするならば、
あやつはとんでもない邪神だ。人が死にかけているのだから。
いや、女性を攫っている時点でとんでもない邪神だ。
そんなことを考えながら、わたしは男性の脈を測る。
...残念だが、もう脈はない。
”おおいなるかみ”に器にされた時点で、もう亡くなっていたのだろう。
念のため応急処置をするものの、男性が息を吹き返すことはなかった。
当然だ、もう死後かなりの時間が経っているだろう。
わたしは直ぐ側で不安そうな顔をしている青年に伝える。
「残念ですが...もう亡くなっているようで。蘇生も難しい状態です」
「...そうですか......」
青年は顔を曇らせ、俯いた。
「お知り合いですか?」
「いえ...ですが、他人であっても...人の死というのは、悲しいものです」
そう言ってから、青年は悲しげな笑みを浮かべた。
わたしは何かが引っ掛かり、青年に最後の質問をする。
「もうひとつ伺いたいのですが。この男性は、どこの山で倒れていらしたのですか?」
「宵ノ咲山、でしたね」
それを聞いて、わたしは唇を噛む。
やはり、そこに行くしかないようだ。
しかし、今日はもう遅い。ゆっくり休んで、明日行くとしよう。
葬儀屋を呼び、男性の死体は回収されていった。
青年も帰り、わたしにはひとまず安息のときが訪れた。
今日は早く寝よう、そう思って立ち上がると、ぐらりと視界が歪む。
思わず倒れ込み、同時に襲ってきた喉の違和感から激しく咳をする。
「ごほっごほっ、げほっ...」
少ししたら症状は収まり、わたしは胸を撫で下ろした。
だが、わたしの周囲に不自然なまでに落ちている花弁に気が付いた。
まさか、今の咳で口から出てきたとかではあるまいな。
もしかすると、口からも花が生えてくる?
花弁が出てきたということは、体内のどこかで既に花が咲いているのでは。
考えれば考えるほど恐ろしい。
あと5日、無駄にしないように捜索をしよう。
...その日、夢を見た。
傷口の芽がどんどん育っていって、花になった。
口からも花が生えてきて、苦しくて声が出せない。
腕がかゆい。いや、全身痒い。全部痒い。
そして、その痒いと思った箇所から花が咲いた。
身体の中で既に咲いていたものが、皮膚を突き破って成長していった。
いまだ続く痒みと、皮膚が破れる痛み。
苦痛に顔を歪ませるも、助けに来てくれる人はいない。
そのうち、右の眼球からも花が生えてきて、見えなくなった。
人間の手には負えない、何かに侵される恐怖。
自分は何もできない、神の前ではみな等しく無力だと実感した。
怖い。怖い。怖い。
死ぬのは嫌だ、もっと生きたかった...
いつか村を出て、設備が整った病院で普通の医者として働くのが、
わたしのたったひとつの夢だったのに...
そこで、わたしは目を覚ました。
寝汗をぐっしょりかいているらしい。
部屋中に充満する花の匂いが強く、頭が痛くなりそうだ。
ひとまず窓を開け、花の匂いを外に出す。
そういえば、傷口の具合はどうだろうか。
ガーゼを取り、手鏡で映して見てみる。
すると、芽が蕾になっているではないか。咲くのも時間の問題だ。
こんな状態でまともに診療ができるわけがない。
扉の前に”事情により休院”、との看板を下げておく。
なんにせよ、今は”おおいなるかみ”との接触を優先すべきだ。
軽く朝食を済ませてから、手帳を持って宵ノ咲山へと向かった。
その道中、わたしは子供に話しかけられる。
「お兄さん、いい匂いするねぇ。おはなの匂い。なんで?」
「えっと...香水をつけてるだけだよ」
「へえ、おやまに行くなら、その匂いやめたほうがいいよ」
その言葉に、一体なぜかと問おうとするも、
子供は走って逃げていってしまった。
だが、この匂いをやめるっていったってどうすればいいのやら。
とりあえず今は割り切って、そのまま山に向かう。
そうこうしているうちに山に着き、わたしはひとりで足を踏み入れる。
宵ノ咲山の山道はあまり整備されておらず、一歩間違えれば
ルートを外れて、即遭難してしまう危険がある。
もしかすると、それが理由で単独での立ち入りを
禁じられていたのかもしれない。
そうだとすれば、”おおいなるかみ”との接触は不可能だが...
辺りを注意深く見回りながら、一歩一歩深く立ち入っていく。
すると、どこからか子供の笑い声が聞こえた。
『はははは...』
『やめたほうがいいつて いつたのに』
『あはははは...』
『おおいなるかみはいない べつのかみがおまえをみている』
別の神がわたしを見ている...?
はっとして振り返ると、3mはありそうな体躯の男性が後ろにいた。
ただしそれに頭は存在せず、木陰からわたしを観察しているようだった。
「ニンゲンだ...いい匂い...おおいなるかみに、食べられてしまうよ」
そう言って、無い筈の口でけたけた笑う。
”おおいなるかみ”に食べられる?あいつは人を食うのか?
聞きたかったが、こいつがおおよそ話し合える相手なのかが分からない。
わたしはじりじりと後退し、身を守ろうとする。
「怖がらないで、ニンゲン。ワタシより、おおいなるかみの方が恐いよ」
「貴方は...一体何なんですか?」
なるだけ丁寧に、当たり障りのない質問から始める。
やつは首を傾げてから、けたけた笑って答えにならない答えを返す。
「ニンゲンは知らなくていい」
さんざん匂わせておいて、この回答はあんまりではないか。
そう思っていると、瞬きの間にそいつが目の前まで来ていた。
驚いて声を出しそうになるも、うまく出ない。
「お前は選択を間違えた。祠に行くべきだったんだ。
あそこにならいたかもしれない。でも、ワタシを見てしまったからには、
もう全てが手遅れだよ」
瞬間、眼の前が真っ暗になった。
:
:
:
:
:
:
:
:
:
:
目が覚めると、わたしはベッドの上だった。
今までのは夢だったのだろうか。
そう思い起き上がろうとするも、うまく動けない。
とりあえず、手鏡だ。傷の具合を確かめないと。
起き上がれないのなら仕方がない。ベッドから転がり落ち、うまく受け身をとる。
そのまま這うようにして移動し、引き出しに仕舞ってある手鏡を取り出した。
そうして映した頬の傷からは、真っ赤な花が咲いていた。
こんなに早く咲くものなのか?不審に思った。
嫌な予感がし、カレンダーを見る。
「7月...25日...!?」
そんなはずはない。今日は20日のはずなのだ。
また這うようにして移動する。電話して、確認してみよう。
震える手で受話器を取って、番号を押す。
プルルル、プルルル、2回の着信音のあとに、
電話が繋がった。
「失礼、今何日か分かりますか?」
「お医者様ではありませんか、風邪ですか?5日もお休みになって。
今日は7月の25日ですよ」
それを聞いて、わたしは電話を切った。
今すぐに”おおいなるかみ”を見つけなければ、最終手段に出るしかなくなる。
まだ花化があまり進んでいないうちに探さなければ。
手帳を持ってなんとか立ち上がり、扉を開け走り出す。
目的地は、宵ノ咲山。
きっとあれは夢ではない。あいつに何かされてしまった。
あいつの正体について、わたしは心当たりがあった。
昔、母親が寝る前に話してくれた話。
山には精霊がいて、悪い神様から人々を守っていた。
だがその精霊は悍ましい姿をしていて、人々から邪神と呼ばれた。
そうして精霊は、悪い神を退けていたにも関わらず
自身が邪神と混同され語り継がれるようになり、
人を信じず、時にはとんでもない悪戯をすることもあった。
その悪戯のうちのひとつが、余命が近い老人などを
未来に飛ばしてしまう、という内容だ。
山は、今と昔が共存する場所。
故に山の精霊は、時間を操ることができた...
昔は信じなかった話だ。今も信じがたい。
だが、この話を真実とするしかない。
精霊なら、話せば分かるはずだ。元の時間に戻してもらう。
必死で走って、宵ノ咲山の中へと再び踏み入った。
『またきちやつたんだ』
『いまはほんとにだめだよ』
『はやくかえつたほうがいいよ』
『ほんとにだめだつて!』
『はやくかえれ!』
子供の声が、そう口々に喚く。
今はそれを聞いている暇はない、とにかく早く...
すると、目の前に首がない長身の男性の姿が見えた。
間違いない、前見たのと同じ見た目だ。
わたしは走るのをやめ、少しづつ近付く。
「もし、失礼致します」
後ろから話しかけると、精霊の肩が大きく跳ねた。
驚かせてしまったか、そう思った瞬間、振り返った精霊に身体を突き飛ばされる。
「ニンゲン!ワタシのことを許してくれ、全部あいつに言われて、
ワタシはあいつに逆らえなくなってしまった、ああ、早く逃げて!」
精霊の背後に、身体中に花が生えた人型の怪物が見えた。
あれだ、あれが”おおいなるかみ”。
手帳を渡せるチャンスだったものの、逃げろと言われた。
言うとおりにした方がいい気がして、わたしは走って逃げる。
ぐちゃ、と言う音が背後で聞こえ、振り返った。
そこには、精霊の身体を食い散らかす”おおいなるかみ”の姿が。
話し合いができる相手?まさか。
わたしは、一瞬でもそう考えていたわたしが恥ずかしくなった。
あんなものと会話ができるわけがない。まともに手帳を渡せるのか?
さっき、投げて渡したほうが良かったのか?
いや、そもそもわたしの身体を元に戻してもらえるのか?
走っているうちに、足音が増えていることに気がついた。
わたし以外にも、もうひとり走っている。
後ろから、なにかが。
”おおいなるかみ”が追いかけてきている。
口元を精霊の血液で濡らしながら、にたにた笑っている。
「もう少しで、26日ですね。お医者様、もう11時を回っていますよ。
なぜ逃げるのですか?」
「わたしはもう分かったんです、貴方とは話し合えない。
もし手帳を渡してほしいのでしたら、先にわたしの身体を元に戻していただきたい」
走りながらで呼吸が乱れる中、なんとか言葉を紡ぎ出す。
そもそも邪神とはいえ、こいつも神の端くれだ。
こんな駆け引きが通用するのか、疑問ではあるが...
「もう少しで26日ですよ!!無理です、先に手帳を渡しなさい!」
「わたしだって命が掛かっているのです、取引に応じてもらいたい!」
堪忍袋の緒が切れ、わたしが思わずそう叫んだ瞬間、
がくんと足に力が入らなくなり、その場に倒れ込んだ。
身体が熱い。呼吸が苦しい。
やはりあいつは、重要なことを伝えずにいたんだ。
「一週間とはいっても、最後の7日目には大体みな動けなくなります。
我慢ができなくなって、彼に協力してもらいましたが」
そう言って、にたにたとした笑顔でこちらに寄ってくる。
あの精霊はきっと、何かの拍子にこいつより弱くなってしまった。
そこから逆らえなくなり、こいつの言うとおりに人間を未来に飛ばしたりした。
わたしが未来に飛ばされたのも、こいつが26日まで待てなくなったから。
食われるのかどうされるのかは知らない。
...腕に激痛が走った。生えてきた花は皮膚を突き破り、
ひまわりのように月を拝んでいる。
次々と花が生えてくる。手の甲、腕、首、うなじ、頬、口、眼球。
ありとあらゆる部位を突き破って生えてくる。
「うつくしい、まさにこれです。貴殿のその姿が見たかったのですよ。
その苦悶を浮かべたような仏頂面が、更に苦痛に歪むところ。
まったく飾り気も華やかさもない貴殿が、美しい花々に包まれるところ」
そう言いながら、”おおいなるかみ”はわたしの身体を触ってくる。
痛い痛いやめろ。傷口が開く。気持ち悪い。触るな。
そんな言葉も、もうわたしの喉からは出せない。
わたしは、芽を植え付けられた時点で
既に操られていたのだろうか。
”おおいなるかみは祠にいる”
本に書いてあったその一文を、まるまるすべて見逃した。
あのとき祠に行けば、なにか変わっていたのだろうか。
そもそも、手帳を見ていなければ...
「それは違いますよ」
わたしの思考を見透かしたかのように、”おおいなるかみ”は話す。
「あれは貴殿にいちゃもんをつけ、芽を植え付けるための罠です。
恥ずかしながら、わたくしは貴殿を初めて見たときに、自分のものにしたいと思った」
初めて見たときに?わたしは、どこかでこいつに見られていたのか?
だがわたしはそんなこと知らない。いい迷惑だ。
「貴殿こそ”うつくしいもの”。腐敗しきって、うつくしくなくなるその日まで。
共に我が家で暮らそうではありませんか」
WORST END
【邪神の嫁】
【作者のあとがき】
コズミックホラー、H・P・ラヴクラフトが提唱したホラーのジャンルであり、
メインとなるコンセプトは不可知性、無力感、狂気。
例えば、人間は未だ宇宙の端に到達、観測ができていない。
それを怖いとは思わないだろうか。宇宙に何が潜んでいるのか、
我々人類はまだ何も知らない。無力感に襲われないだろうか。
そう、それこそがコズミックホラーを構成する恐怖の正体だ。
今回私は、コズミックホラーを執筆するのは初めてである。
元々私が得意としているジャンルは二次創作やコメディ。
ホラーなどとは対極。ならなぜ、淡本中学校などの作品群や、
コズミックホラーに手を出すのか。
救いようのないものが好きだからだ。
私は、そういうものに対して魅力や美しさを感じる。
今作の医者である語り手、”わたし”には殆どの感情移入が不可能だった。
それがこの作品に若干のつまらなさ、物足りなさを生んだ原因だ。
なら、私は誰に感情移入したのか?無論、”おおいなるかみ”の方だ。
”わたし”に独占欲を抱き、花で飾り立て、最終的に自身の住処に持って帰る。
誤解されそうなラストだが、別に”おおいなるかみ”は”わたし”に
いやらしいことをするつもりではない。
ただ、部屋に飾っておくだけだ。
椅子に座らせ、向かい合って”わたし”のことを眺めてみる。
花冠を作って、被らせてみる。例えるなら、着せ替え人形だ。
傷口が膿んで虫が湧くのを見てみたり、皮膚が腐ってどろどろになり、
崩れ落ちるのを観察してみたり。
人間の知性ではおよそ何をしたいのかが分からない、”不可知性”。
すべてが”おおいなるかみ”の思うままの展開だった、”無力感”。
”わたし”に対する理由もない独占欲、”狂気”。
この時点で、コズミックホラーは完成しているのです。