「さあさあ、オールしまっか! 疲れも悩みも、うちの舞で吹き飛ばしたるえ!」
八百万の神々が集う湯屋『油屋』。
そこには、かつて天岩戸の前で八百万を熱狂させた芸能の女神――天宇受売命(あめのうずめのみこと)がいた。
名を奪われ、看板娘「ミコト」として、朱色の髪をなびかせ華やかに舞い踊る日々。
親友のリンや後輩の千尋に囲まれ、賑やかに過ごす彼女の前に、ある夜、圧倒的な神気を纏った巨大な影が現れる。
それは、神々を導く先駆の男神――猿田彦(さるたひこ)。
無口で無骨、けれどあまりにも優しい眼差しを向ける彼に、ミコトは人生最大(神生最大)の「一目惚れ」をしてしまう。
「……あかん、心臓止まるわ! なんだよあの男前、反則やろ!」
お座敷でのカリスマっぷりはどこへやら、彼の前では初心な乙女に逆戻り。
耳元で囁かれる真の名、サバの味噌煮を巡る献立バトル、そして――神界の自宅で開いてしまった「夜の扉」。
これは、賑やかすぎる女神と、独占欲の強い男神が、
「神隠し」の終わりに見つけた、永遠の愛の物語。
「……圧かけても知らへんからね! 彦さん、ちゃんと言葉で言うてよ!」
「……一日一回だと言っただろう。……全く、賑やかな妻だ」
八割のタメ口と、二割の敬愛。
今日も神界には、ミコトの照れ隠しの怒鳴り声と、旦那様の満足げな溜息が響き渡る。
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目次
【瑞穂の国・神事帳(しんじちょう)】
【|天宇受売命《あめのうずめのみこと》/ 通称:ミコト】
立場: 油屋の「お座敷盛り上げ特化型」看板娘 → 神界の奥様。
外見: 朱色の長い髪(提灯に映える)、橙色の瞳。踊り出すとしなやかで神々しい。
性格: 超・陽気でカリスマ。身内にはサバサバした姉御肌だが、惚れた男の前では「えぇえ!」とパニックを起こす初心な乙女。
特技: 宴会のコール&レスポンス、畳を叩きながらの献立ツッコミ、サバの味噌煮。
口癖: 「さあさあ、オールしまっか!」「なんだよ!」「知らへんからね!」
【|猿田彦《さるたひこ》】
立場: 八百万の神々を導く先駆の男神 → ミコトの旦那様。
外見: 圧倒的な体躯、岩のような胸板、鋭くも深い黄金色の瞳。
性格: 寡黙、無骨、超・不器用。独占欲が強く、ミコトを愛でるのが日課。
弱点: ミコトの作る「サバの味噌煮」。彼女の「なんだよ!」という怒鳴り声(実は心地よい)。
決め台詞: 「……愛している。一日一回だ」「……サバの味噌煮はどうした」「……グッジョブ(無言の親指)」。
【リン(同期・親友)】
立場: 油屋の湯女。ミコトの最大の理解者であり、ツッコミ役。
性格: 男勝りで面倒見が良い。ミコトの惚気(愚痴)の聞き役で、いつも白目を剥いている。
関係性: ミコトが神界へ行く際は、鼻をすすりながら「せいせいするよ!」と送り出すツンデレ。
【荻野 千尋/ 通称:千】
立場: 油屋の新入り。ミコトが可愛がっている後輩。
性格: 純粋で一生懸命。ミコトの美容への執念や、猿田彦へのパニックを見て「恋の力ってすごい……」と純粋に驚く。
役割: ミコトが現実世界の流行り(パスタや寿司など)を知るための情報源。
【釜爺(相談役)& ススワタリ(ファン)】
立場: 油屋のボイラー室の主たち。
釜爺: ミコトと茶を飲み、猿田彦との仲をニヤニヤしながら見守る。
ススワタリ: ミコトに金平糖を三回じらされるのがもはや「様式美」。ミコトのダンスのバックダンサー。
【第1話:神隠しの記憶】
「おーい、ミコト! 手を動かしな、客が来るよ!」
鋭い声に弾かれたように、私は手元の雑巾を動かした。
「わかってるって、リン! うちは看板娘やで? 準備運動も芸のうちや」
油屋の長い回廊。赤い欄干に手をかけ、私は眼下に広がる海を眺める。
かつて、私はどこにいたんだっけ。
天岩戸の前で、八百万の神々を熱狂させたあの夜。朱色の髪を振り乱して舞い踊り、世界に光を取り戻したあの高貴な記憶。
……けれど、今の私は「ミコト」。
湯婆婆に名前を奪われ、この油屋で働く、ただの「お座敷盛り上げ特化型」の湯女だ。
「……ま、ええわ。どこにいようと、うちが踊ればそこが祭や!」
私はパンッと自分の頬を叩き、気合を入れる。
朱色の髪を高く結い上げ、鏡に向かって不敵に笑う。橙色の瞳に、油屋の提灯の光が宿る。
「さあさあ、皆の衆! 今夜もオールしまっか!」
私の掛け声と共に、油屋の夜が動き出す。
巨大な神々が船から降り立ち、八百万の気配が建物全体を震わせる。
私は階段を駆け下り、宴会場へと飛び込んだ。
「いらっしゃいませーっ! 疲れも悩みも、うちの舞で洗い流したるえ!」
太鼓のリズムに合わせて、私はしなやかに、そして激しくステップを踏む。
神々が歓声を上げ、ススワタリたちがリズムを取る。
この場所は嫌いじゃない。働くことは、生きることだ。
けれど、心のどこかが、ずっと何かに飢えていた。
「(……うちを、本当の場所に導いてくれる神様なんて、おらへんのかなぁ)」
ふと、舞の合間に夜空を見上げた。
神隠しの迷路に迷い込んで、どれくらいの月日が流れただろう。
この時の私は、まだ知らない。
今夜、あの赤い橋を渡ってやってくる「巨大な影」が、私の運命を、そして私の「終着点」を、力強く引き寄せることになるなんて。
「……あれ? リン、あのお客さん……えらいデカない?」
宴の喧騒の向こう。
暖簾をくぐって現れた、岩のような体躯の男神に目が釘付けになった。
私の、本当の恋が。
ここから、音を立てて動き出そうとしていた。
🔚
第2話:衝撃の出会い
「……おい、ミコト! 踊りが止まってるよ! 客に失礼だろう!」
背後からリンの怒鳴り声が飛んできたけれど、今の私には蚊の鳴くような羽音にしか聞こえなかった。
私の橙色の瞳は、宴会場の入り口に立つ「そのお方」に釘付けになっていた。
「……なんや、あの人。……いや、あのお方」
暖簾をくぐって現れたのは、油屋の天井を突き破りそうなほど巨大な体躯の男神だった。
岩のように逞しい胸板。旅の埃を纏った無骨な装束。そして、何よりも目を引くのは、すべてを見透かしそうなほど鋭く、けれど深い黄金色の瞳。
他の神々とは明らかに違う。
圧倒的な「本物の神気」が、宴会場の喧騒を凪のように静めていく。
「……い、いらっしゃい……ませぇ……」
いつもなら「さあさあ、オールしまっか!」と威勢よく飛び出すはずの私の声が、情けないほど震えた。
喉の奥がカラカラに乾き、心臓が油屋のボイラー室みたいにドクドクと熱を帯びる。
「……ふむ。賑やかな宿だな」
地響きのような、重低音。
その声が鼓膜を震わせた瞬間、私の頭の中は真っ白になった。
「あかん。……これ、あかんやつや」
「何があかんだよ!」
痺れを切らしたリンが、私の脇腹を強烈に小突いた。
「ほら、お出迎えだ! 看板娘だろう! あのデカい旦那を、一番良いお座敷へご案内しな!」
「ひぇっ、……う、うちが!? 無理無理無理、死んでまう! あ、神様やから死なへんけど、心臓が爆発してまうわ!」
「何言ってんだよ、さっさと行きな!」
リンに背中をド突き回され、私は千鳥足でそのお方の前へと進み出た。
見上げれば見上げるほど、その存在感に圧倒される。
近くに寄ると、微かに雨上がりの土のような、生命力に満ちた香りがした。
「……あ、あの……。……お、お一人様、……ですか?」
蚊の鳴くような声。
看板娘失格。プロ失格。
でも、彼がゆっくりと視線を私に落とした瞬間、私の世界から音が消えた。
黄金色の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。
「……ああ。……一番良い湯を頼む」
「……は、はいぃっ!!」
私は裏返った声で叫び、そのまま脱兎のごとくボイラー室の方へ駆け出した。
背後でリンが「そっちはお風呂じゃないよ!」と叫んでいるのが聞こえたけれど、もう止まれない。
「……な、なんだよ、あの男前……。……反則やろ、あんな声……」
ボイラー室の隅に蹲り、私は真っ赤になった顔を両手で覆った。
ススワタリたちが「キィ?」と不思議そうに寄ってくる。
「……みんな、見てた? ……うち、もしかしたら、えらいもん見つけてしもたかもしれへん……」
恋の導火線に火がついた。
ターゲットは、あの巨大な「導きの神」。
ミコトの平穏な湯女生活が、今、ガラガラと音を立てて崩れ去った瞬間だった。
🔚
第3話:ボイラー室の尋問
「釜爺! 出して! 今すぐ出して、あの人の情報!!」
バターン! と勢いよくボイラー室の扉を蹴破り、私は叫んだ。
煤にまみれたススワタリたちが驚いて、金平糖を放り出しながら四方八方へ逃げ惑う。
「……なんじゃ、ミコトか。やかましいわい。見ての通り、今は薬湯の準備で手が離せん」
六本の腕を忙しなく動かしながら、釜爺が器用に薬草を刻んでいる。
私はその作業台に身を乗り出し、真っ赤な顔のまま詰め寄った。
「薬草なんか後でええ! さっきのお客さん……あの、山みたいにデカいお方! 誰なん!? 名前は! どこから来たん!?」
「……ああ、あの御方か」
釜爺の手が、ぴたりと止まった。サングラスの奥の目が、少しだけ真面目な光を帯びる。
「ありゃあ、|猿田彦《サルタヒコ》様じゃ。八百万の神々が道に迷わぬよう先頭に立つ、『導きの神』よ。……滅多にこんな俗世の湯屋には来られんお方だがな」
「さるた、ひこ……様……」
その名を口にしただけで、耳の奥が熱くなる。
導きの神。……うちを、この神隠しの迷宮から連れ出してくれる、本物の神様。
「……何じゃ、おめぇさん。まさか、あの御方に『当てられた』のか?」
「あ、当てられたやなんて! 違うわ! ……ただ、ちょっと、タイプやっただけや……っ」
「図星か。……やめておけ。ありゃあ格が違いすぎる。油屋の一湯女が手を出して良いお方じゃねぇよ」
釜爺の言葉が、胸にチクリと刺さる。
わかってる。湯婆婆に名前を奪われた身で、高貴な男神に恋なんて。
……でも、あの黄金色の瞳に射抜かれた瞬間、私の「神としての魂」が震えたのは嘘じゃない。
「……そんなん、知らへんからね! 格がどうとか、関係ないわ!」
私は照れ隠しに、足元に集まってきたススワタリたちに向き直った。
小さな袋から、色とりどりの金平糖を取り出す。
「さあさあ、みんなー! お仕事頑張ったええ子には、これがあるよぉ。金平糖、欲しいかー!」
「キィキィ!」と、ススワタリたちが一斉に跳ね上がる。
「……なーんて、やっぱりあげなぁい!」
サッと袋を隠すと、ススワタリたちは「えーっ!」とばかりにズコッと転がった。
「あはは! 嘘嘘、次はほんまにあげる。……欲しい人ー!」
「キィーッ!」
「……やっぱり、まだあげなぁい!」
「……おいミコト、ススワタリをいじめて八つ当たりするな」
釜爺が呆れたようにため息をついた
「いじめてへん! これは『焦らしの美学』や! ……あかん、焦らされてるのは、うちの方や……」
三回目のお預けをした後、結局バラバラと金平糖をまいてやりながら、私は深くため息をついた。
ボイラー室の窓から見える、夜の海。
そのどこかに、今、あの人がお湯に浸かっている。
「……よし。……もう一回、ちゃんとお座敷で舞うてくるわ」
私は立ち上がり、朱色の髪を強く結び直した。
「看板娘」の意地。……せめて、あの人の記憶に一瞬でも残るような、最高の舞を見せてやる。
「なんだよ、もう……。心臓、うるさいねん……」
私は自分の胸を叩き、再び喧騒の渦へと飛び出していった。
🔚
第4話:一対多の舞
油屋の宴会場は、熱気に包まれていた。
八百万の神々が酒を酌み交わし、笑い声が天井を震わせる。その中心に、私は立っていた。
「さあさあ、皆の衆! 今夜は特別やで! うちの舞、よう見とき!」
朱色の髪を扇子で跳ね上げ、私は畳を蹴った。
太鼓と笛の音が加速する。私は「ミコト」として、この油屋で一番の輝きを放つ瞬間を選んだ。
(……見ててや、猿田彦さん)
心の奥で、こっそりその名を呼ぶ。
上座に鎮座する猿田彦様は、杯を片手に、微動だにせず私を見つめていた。その黄金色の瞳が、私の動きを、指先の一つ一つを、逃さず追っているのがわかる。
「はっ!」
私は激しく、そしてしなやかに舞った。
かつて天岩戸の前で八百万を熱狂させた、あの記憶が全身を駆け巡る。
一対多。大勢の神々を相手に、私は場を支配し、空気を塗り替えていく。
「……おおおっ!」
神々から歓喜の怒号が上がる。私はわざと、彼の目の前でくるりと回り、長い髪の先が彼の頬を掠めるほど近くで足を止めた。
橙色の瞳と、黄金色の瞳が、火花を散らすようにぶつかり合う。
「……ふっ。賑やかな娘だと思っていたが。……見事な舞だ」
地響きのような、重厚な低音。
彼は口角をわずかに上げ、満足げに鼻を鳴らした。
(……笑った。……笑わはった……!!)
一瞬、足元がふわつく。
プロ失格。でも、そんなのどうでもいい。
「一対多」で場を盛り上げていたはずの私が、その瞬間だけは「一対一」の女として、彼に射抜かれていた。
「……あ、……おおきに」
私は精一杯の看板娘スマイルを作ろうとしたが、顔は自身の朱色の髪より真っ赤になっていた。
「……なんだよ、もう。……うちの勝ちやな」
私は逃げるように背を向け、次のステップへと飛び込んだ。
背中に感じる、彼の熱い視線。
それは、これまで受けてきたどの神様の視線よりも重く、優しく、私の魂を焦がしていた。
「……ミコト! 鼻の下伸びてるよ!」
脇を通り過ぎるリンに耳元で囁かれ、私は「うるさいわ!」と畳を叩きながら、さらに激しく舞い続けた。
今夜の舞は、一生忘れられないものになる。
そう確信した、熱い、熱い夜だった。
🔚
第5話:また会える約束
宴の喧騒が遠のき、油屋に深い夜が訪れる。
神々がそれぞれの客室へ引き上げ、あるいは千鳥足で帰路につく中、私は片付けの手を止めて、赤い欄干に身を乗り出していた。
「……帰らはるんかな」
胸の鼓動がまだ鎮まらない。渾身の舞を見せた後、彼――猿田彦様は、満足げに杯を干すと、悠然とお座敷を後にした。
追いかけたい。でも、看板娘が客を追いかけるなんて、湯婆婆に見つかったら何を言われるか。
「……あかん。……やっぱり、一目だけでも」
私は雑巾を放り出し、裸足のまま回廊を駆けた。
朱色の髪が夜風になびく。八百万の気配が渦巻く油屋の中で、彼の放つ圧倒的な神気だけが、私にとっての道標だった。
玄関先。大きな暖簾をくぐり、赤い橋に足を踏み出そうとする後ろ姿を見つけた。
「……あのっ、猿田彦様!」
思わず叫んでいた。
彼は足を止め、ゆっくりと振り返る。月明かりに照らされたその風貌は、昼間よりもずっと神秘的で、近寄りがたいほどの威厳に満ちていた。
「……賑やかな娘。……まだ起きていたのか」
「あ、……はい。……あの、お見送りを、と思いまして……っ」
嘘だ。ただ、もう一度その黄金色の瞳に見つめられたかっただけだ。
私は必死に、いつもの看板娘の余裕を取り戻そうと、顔を上げた。
「……うちの舞、どないでした? ……お口に合いましたか?」
「……フッ。お前は食べ物か」
不意に、彼が低く笑った。
その瞬間、私の心臓が跳ね上がる。
彼は一歩、私の方へ歩み寄った。天井を突くような巨躯が目の前に迫り、私はその影にすっぽりと包み込まれる。
「……見事だった。……久々に、魂が震える舞を見た」
大きな、岩のような掌が、私の頭にぽんと置かれた。
乱暴ではなく、まるで壊れ物を扱うような、あまりにも優しい手つき。
「……ひ、……ひぇっ」
「……お前の瞳は、油屋の提灯よりずっと明るいな」
「……っっっ!!」
顔から火が出る。熱い。耳まで沸騰しそうだ。
言葉を失い、金魚のように口を動かすだけの私を見て、彼は満足げに目を細めた。
「……また来る。……次は、もっと近くで見せてくれ」
「……ま、また……?」
「……ああ。……約束だ、ミコト」
私の偽名を、その低い声でなぞるように呼ばれ、私は崩れ落ちそうになるのを必死で耐えた。
彼はそのまま、一度も振り返ることなく、赤い橋を渡って闇の中へと消えていった。
「…………また来る、って。……約束、って言うた……」
私は自分の頭を両手で押さえ、その場にへなへなと座り込んだ。
彼の手の熱が、まだ髪に残っている。
「……なんだよ、もう。……反則やろ、そんなん……っ!」
夜風が火照った頬を撫でる。
数秒前までそこにいた彼の気配が、私の胸の奥に消えない火を灯していた。
「……リン。……千。……うち、やっぱりあのお方の嫁に行くしかないかもしれへん……」
遠くでススワタリが「キィ?」と鳴いた。
ミコトの、長く、そして甘い「恋煩い」が、本当の意味で幕を開けた夜だった。
🔚