迷ヰ犬怪異談
編集者:眠り姫
此れは、大切なモノのために駆ける迷い犬たちの、一編のオルゴール。
文豪ストレイドッグス二次創作です。
オリキャラ(サブキャラ)が毎回出てくることになるかと思います。原作でこの人達が出てこないことを祈っています。
太中、芥敦、乱与が出てくるかと思います。
それ以外の腐カプは無い筈です。(リバもないです)
↑直接的なもの(R15以上のもの)は出てきませんのでご安心ください。関係性として、っていうだけです。
CPは完全に私の好みです。
ポトマも探偵社もゆるっふわです。
青鯖さんも、黒獣くんも黒くありません。ヘタレかスパダリかもわかりません。
蛞蝓さん、白虎くんが少々女々しくなるかもしれません。
おそらく、全てシリアスに見せかけた、シリアルです。なんならレーズンか、チョコレートまであります。
年代設定としては、いろいろ片付いた後、と言う感じで思考放棄お願いします。
オリキャラに関してですが、どんな設定となっていても、その方々を貶めている意図は全くありません。
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目次
藤夢 其の壱
ね、あの子もだって
うそ、これで何人目?
さあ?
でも良いよね、羨ましい!
え?何処が?
だって、幸せな夢に行けるんだよ?しかも目覚めさせるのは──
ロマンチックじゃない?
「ちょっと、敦、早く来てよ」
「ま、待ってください」
(うぅ……溶けそう……)
「其れ位でへばってちゃ駄目って僕、何回言ったらいいの?」
「わ、分かってます……」
今日は鏡花ちゃんでも太宰さんでもなく、乱歩さんとの共同調査だ。
日陰にいても刺さってくる太陽が鬱陶しい。
対して乱歩さんは気にする風もなくずんずんと進んでいってしまう。
今回の調査は、単なる人探し。
乱歩さんは奇怪奇天烈な事件ばかりを受ける。
そのため、この依頼は本当は彼の担当ではなかった。
なのに何故乱歩さんがいるかといえば、至極簡単なことである。
社長に応援されたから。
ただそれだけである。
今回の依頼は自分一人で受けるには色々な意味合いで難があるらしい。
例えば社会的な意味とか。
だが、今日は運悪く調査員が出払っていて、僕と組む相手が乱歩さんしかいなかったのだ。
(乱歩さんなら人探しなんて一瞬で終わるだろうな)
彼の素晴らしい推理力なら一瞬で解決できるだろう。
この茹だるような暑さの中外にはなるべく居たくないから、そうなれば嬉しい限りだ。
最近少し色々考えてしまって眠りが浅いから、少しふらついてしまう。
其の時。
トンッ
「あ、すみませ……」
関係のないことを考えながら歩いていたのが悪かったのか人にぶつかってしまった。
相手の黒い髪が舞う。
そのときふと、何かの花の香りが鼻をくすぐった。
「あら、失礼」
美麗な声だった。
思わず立ち止まってしまった僕には目もくれず、その女性は僕とは逆方向に去っていってしまった。
ぼんやりと其方を見ていると乱歩さんが手を振って主張してくる。
「あ、今行きます!」
僕は走りながら先程の女性が頭から離れなかった。
「長い黒髪、切長の目、背は160センチくらい……そんな女性山ほどいるじゃないか!」
何かといえば、探し人の特徴である。
社長の効力が薄れてきたのか諦めモードに入った乱歩さんを宥めながら僕も特徴を反芻する。
確かにそんな人はヨコハマにいくらでもいる。
「でも藤色の着物姿ですよ?流石に余り居ないと思うんですけど……」
僕はお冷を口にしながら言う。乱歩さんは大きな|芭菲《パフェ》をぱくついている。
今いるのは小洒落た喫茶店だ。
「んーまあ、調べによると、ここは彼女の行きつけだそうだ。一週間に一日やって来るらしい。今日来る可能性が高いとも聞いてる」
乱歩さんが|匙《スプーン》を左右に振りながら言う。|凝乳《クリーム》が飛びそうでヒヤヒヤするなあ。
窓の外に目を向けると、庭にあった花が目に留まった。
大きな藤の花が咲き乱れ、行き交う人々の多くが思わず立ち止まっている。
窓越しでも芳しい香りを感じられそうな大輪の紫の花。
その時、僕の頭に引っかかるものを感じた。
そう言えば、先程の女性は黒髪ではなかったか。整った顔立ちではなかったか。160センチほどの背丈ではなかったか。
詳細を思い出していけば行くほど焦りが大きくなる。
僕は冷や汗が流れるのを感じた。
真逆……。
「……依頼人が言っていた特徴ってどんな物でしたっけ」
「へ? だから、黒髪黒目の特徴のない容姿……」
「いえ、あの……香りについて。何か言っていませんでしたか?」
恐る恐る尋ねると乱歩さんは嗚呼、と言う風に手を打った。
「そういえば、藤の香りがするって言ってたね。其れが如何したの…って、敦?」
嗚呼、やってしまった。もっと特徴をよく覚えておけば良かったのに。
こてん、と首を傾げる乱歩さんに向かって口を開く。
「探し人、逃してしまったかも知れません」
「はぁぁぁぁああああ!?」
---
「敦! 何をしとるんだ!」
「御免なさい……」
僕は探偵社に帰ってきていた。
ドアを開けると、既に国木田さんや太宰さんは帰ってきていた。
あ、どうやって伝えよう、と僕が思った其の時には、乱歩さんは駄菓子を食べに行ってしまい。
そして、今に至る。
国木田さんが注意を続ける中、後ろから声がかかった。
「まあまあ、国木田くん。一週間に一度の明確な機会を逃したからって、そんなに怒らないでやってよ。反省してるみたいだし」
太宰さんだ。大方先ほどまでソファに寝そべってサボっていたのだろうが。
「すみません……」
謝罪しても仕切れない。
善意のフォローも申し訳ない。
そして太宰さん、少しあなたのは皮肉っぽいです。
傷を抉らないでください……
うぅ……結局は特徴を全部覚えてなかった僕が悪い……。
「でも、次は必ず引き止めます!」
大きく頷きながら反省を口にした時だった。
「…………!?……ッ……」
全身がピリッとするような感覚を覚えた後、何故か突然眠気が襲ってくる。
駄目だ、起きていなくては。
そう思うたびに瞼が重くなってくる。
こんな事は是迄起きた事も無い。
疲れを溜めていた覚えもない。
何故? 如何して? 頭がぼうっとする。
そして、此れは、きっと混乱の所為だけではない。
「……敦くん? 敦くん!」
遠くの方から太宰さんの声が聞こえる。
すみません。矢張り探し人、見つけられないかもしれません。
心の中で謝罪を再び口にすると、僕の意識は抗いようのない睡魔に引き摺り込まれていった。
---
「此れは困ったねぇ」
私、太宰治は突然床に倒れ込んでしまった後輩を眺めながら呟いた。
微かに健やかな寝息が聞こえることから、体調が悪い訳では無いのだろう。
先輩に叱られていると言う状況で寝て仕舞うなど、余程疲れていたのだろうか?
しかし、こんな床の上で寝るような子では無い筈なのだが。
悪い予感が頭をよぎる。最近聞いた悪い噂だ。
だが、そんなはずがない。
頭を振ってその考えを押し出した。
「だ、太宰? 敦は大丈夫なのか?」
恐る恐ると言った様子で国木田が声を掛けてくる。
「大丈夫……とは言えないかもだけれど、寝ているだけだよ。……よっと」
私は敦くんを抱え上げてソファに運ぶ。
「ふう」
移動させてもまったく起きない。瞼を閉じ、微動だにしない。
これで、微かに胸が上下しているのが解らなければ、精巧な人形と見紛うかも知れない。
敦君が微かに呼吸をした、その一瞬、ふわりと藤の香りがした気がした。
はて、と内心首を傾げていると、背後から人が覗き込んできた。
「おやァ、敦はおねむかい? 珍しい事もあるもんだねェ」
しげしげと眺めるのは与謝野女医。その横にはナオミくん。
「あらあら。敦さんも幸せな夢を見に行ってるんでしょうか?」
「?」
少々不思議な言い回しに与謝野が疑問符を浮かべる。
噂、その単語にぴくりと反応してしまう。
「あら、知りませんか? 最近の噂です。ある方法を使うと、|現実的《リアル》で幸せな夢を見に行ける。ただし、本人が満足する迄絶対に目覚めることはできない。一生眠り続ける可能性もある……一寸怪談めいた話でしょう?」
「そうなのかい。初耳だ。ねェ、太宰?」
「そうですねえ」
私が考えていたものとは少し違ったようだった。よくある噂だろう。夢見がちな若き少女や怪談好きの間で流行りやすい物だ。
「確かその方法を使った人は……」
「ん?」
敦くんを凝視して眉を顰めた与謝野に声をかける。
「如何されました?」
「いや、こんなの敦はあったかなァ、って思っただけさ」
そう言って指さしたのは首元だった。薄紫の蔦が這ったような痕がある。
其の痕を見て私はわずかに目を見開いた。
小さく、ひっという声が聞こえて顔を上げると、ナオミくんが顔を青くして敦くんを凝視していた。
「ナオミ? 如何かしたかい?」
与謝野女医が声を掛けても聞こえなかったかのように反応しない。
「ナオミ?」
与謝野女医が再度呼ぶと、ナオミくんはふるりと体を震わせて言った。
「……幸せな夢に行く方法を使った人の首元には、藤色の痕がつくのです。丁度…敦さんのように」
敦くんは微動だにせずに眠り続けていた。
眠り姫です!
長くなりそうなので此方で切ります
展開がうまくいかない……!!!
口調とかが変かもしれません
大丈夫だと思いますが……
誤字脱字あったら御免なさい
ここ迄見てくれた親切な方に心からの感謝と祝福を!
藤夢 其の弐
敦くんが目覚めなくなって今日で丸2日。健やかな人間がここまで眠り続けるのは困難だ。
その上、眠り始めてから一度も目覚めず、何も食していないのに見目はまったく変わらない。異能の類なのだろう。若しくは……あの噂か。
与謝野女医曰く、異能の類ならば不思議ではない事だそうだ。
異能無効化の異能を持つ私が触れても目覚めないと言うことは、この異能をかけた本人に触れないと解除されないのだろう。
異能ではない線も考えられはするが、今のところは異能の線が一番濃い。
「真逆、本当にあるなんて」
鏡花ちゃんがふと呟いた。
鏡花ちゃんはポート・マフィアに身を置いていた身だ。若しや、と思い話しかける。
「何のことだい?」
「『夢浮橋』。あなたも知っている。違う?」
「まあ、ねえ。矢張り怪しいと思うかい?」
そう問うとコクリと頷いた。
夢浮橋……裏社会で度々起こる不可思議な現象。
人が突然にして眠りに落ち、全く目が覚めない。
これまで再びその目蓋を開いたものは居らず、正体も不明。
おそらくは異能だとされているが、主犯も、目的もわからない。
森さんも対処を諦めていた。幸いにも、ポート・マフィアからは出たことがなかったけれど。
ナオミくんが言っていた噂にそっくりだった。
鏡花ちゃんは続ける。
「最近はルーシーに聞いたものだけど」
「ルーシー……それってうずまきの?」
「そう。眠り続けている人が何人も出ているらしい。噂にもなっていると。」
鏡花ちゃんはそこまで言うとちらりと敦くんの方を見た。
「私は、矢張りこれは『夢浮橋』だと思う。本物は初めてだから確信は無いけれど」
それに、と鏡花ちゃんは続けた。
「敦が逃してしまった女性。あの人が関係していると思う」
「矢張り、そうかなあ」
なんとなく予想はしていた。
藤の香りがするという、黒髪美人の女性。
敦くんは彼女とぶつかったそうだ。
(その時に異能に掛かったのだろうか)
「夢浮橋と幸せな夢の噂が同じなら、敦を目覚めさせる方法も見つかるかも知れない」
前向きに、けれど少し不安そうに話す鏡花ちゃんを見ながら、ふと思った。
そう言えば、抑も依頼人はなぜ彼女を探していたのだろう。
確かまとめられたファイルがあった筈だ。
自身のデスクに向かうと、パソコンを開き、スクロールする。
(あった)
見つけた件名にカーソルを合わせる。
数十分後。
「大した事も書かれていなかったなあ」
依頼者は何処ぞのお偉方。
探して欲しい理由は自身の愛人だが、少々難のある出自だから、と書かれてはいるが本当か如何か判りやしない。
その人物自身が《《表には出来ない代者》》──つまりは裏社会の者や、依頼人にとっての都合の悪い何か──である可能性すらある。
それも見越して、引き受けているのだろうが。
大きく伸びをしていると、私用の携帯電話が鳴った。
画面には覚えのない数字。
「?」
この番号は限られた人物にしか教えていないのだが。
怪しみながら電話をとる。
「はい、もしもし」
「太宰かえ?」
「……え、姐さん?」
掛けてきたのは姐さんことポート・マフィア五大幹部、尾崎紅葉だった。
「姐さんに番号教えていましたっけ」
「此れは中也の携帯じゃ。掛けさせてもらっておる」
「嗚呼、成程」
中也には番号を確かに教えていた。
嫌がらせの意味を込めて、彼が酔い潰れているうちに携帯に設定しておいたのだ。
そういえば番号を確認するのを忘れていたな、と思い出す。
姐さんが中也の携帯を使い、私に電話をかけている。その状況に胸のざわつきが抑えられない。
「……如何したんですか」
電話の向こうで少し躊躇ったような間が空く。
「幸せな夢、の噂、若しくは『夢浮橋』を知っておるかね?」
|現実的《リアル》で幸せな夢を見、藤色の痕がつく。と姐さんは続けた。
「ええ」
今、丁度後輩が目覚めなくなっているところです、とは口が裂けても言えない。
「……中也が目覚めなくなった」
「ッ!?」
ガタリとデスクが大きな音を立てる。
可笑しい。何故こんなに動揺しているのだろう。
中也が目覚めなくなった。あの蛞蝓が五大幹部もかたなしの滑稽な状況である筈なのに、何故、この心臓は跳ねたのだろう。
自分でも不思議に感じながら、何事かと此方を伺う同僚に、外に出ると合図をする。
階段を下り、ビル裏まで来てから再び口を開いた。
「……本当ですか」
「嘘を吐く必要がなかろうて」
声をやや抑えて問う私に、姐さんは溜息を吐く。
明らかに気落ちしている。
「そんなことを敵対組織に話しても良いんですか?」
「今は停戦協定中じゃ。今の所其れが破られる予定は無い故の」
「……そうですか」
姐さんは事務的な注意を続けた。
「此の事は余計な所に話すでないぞ? マフィアの幹部が目覚めぬとなれば一大事。何より、此の子が他人に知られる事を望んではおるまいて」
マフィアの幹部の弱点が知れることは、それだけで大きな損害を被る。
本人もだが、森さんも許さないだろう。
しかし……
「何故それを私に?」
訝しげに問う私に姐さんは何が可笑しかったのかころころと笑って答えた。
「私用の携帯に態々裏切り者の番号が入っておるのじゃ。何かあると考えるのは容易い事ぞ」
にやにやと笑う姿が見えるようだ。だが、言っている意味がわからない。
「何か、って……何のことですか?」
訊き返すと、間に沈黙が流れた。
気まずくなり、話題を変えようかとしたとき、姐さんが再び口を開いた。
「お主……真逆、何も? ……わかっておらぬのかえ?」
「はい?」
意味が分からない、と言うこちらの声に、姐さんが呆れ果てた溜息を吐く。
「……まあ、良い。では、此れにて……」
「あ、待ってください」
電話を切ろうとした姐さんを引き止める。
「此れは森さんも知っている事ですか?」
「そうじゃが。それが如何した?」
「少し待っていてください」
電話を保留状態にし、社内に入る。
社長室の前迄行き、断ってから入室する。
「太宰? 如何かしたか?」
社長が机の前に座り、僅かな疑問を目に浮かべて此方を見ていた。
私は其れを真っ直ぐ見つめ返す。
「突然すみません……敦君のことです。
今入った情報ですが、ポート・マフィアにも彼と同じ状況のものがいるようです」
「敦くんのことも伝え、協力する方が良いのでは無いでしょうか」
社長は黙ったままだ。続けて良い、と捉えて再び口を開く。
「今は停戦中ですし、先程、破る意思、予定は現段階では無いと言われました。一般人にも被害が出ているようですし、此度も|組合《ギルド》戦と同様に組んでみては如何でしょうか」
社長は思案するような表情を見せた後、口を開いた。
「それは確かな情報と言えるのか?」
肯定の言葉を返し、決定を待つ。
緊張した沈黙が流れる。
「……敦のことは未だ伝えるな。代わりに、一度話し合いの場を開こう」
「わかりました」
拒否されなかったことに僅かな安堵を覚えながら部屋を下がる。
社内から出てから再び電話を繋ぐ。
「お待たせしました、姐さん」
「大丈夫じゃ。如何したのかえ?」
「すみません。此方の電話は切ります。代わりに、森さんに伝えてくださいませんか」
「近々探偵社で会談の場を設け、『幸せな夢』についての対応を話し合いませんか、と」
大人の会話が書けない眠り姫です。
太中を投下しました。
上手く書けない……
前回から一ヶ月ですって!? 嘘……
もしかしたらちょこちょこ加筆修正してるかもです。
では、ここまで読んでくれたあなたに、心からの感謝と祝福を!
藤夢 其の参
「御無沙汰しています、福沢殿」
「此方こそ。森医師」
双組織の長が見掛けだけは和やかに会話する此処は、探偵社の応接室。
今日ばかりは臨時休業とし、こうして会談の場を設けている。
そんな状況に若干冷や汗をかきながら立っているのは、探偵社員である、ボク、谷崎潤一郎。
太宰さんが設定したこの場で、『幸せな夢』の異能への対応を話し合うらしい。
敦くんのいる医務室の方へちらりと目を向ける。彼が目醒めなくなってから、はや4日。
彼は人形のように、何も変わらずに眠り続けている。
太宰さんの話によれば、ポート・マフィアの中原幹部も目醒めなくなっているらしい。
嘘ではないかと疑ったが、あの人曰く「森さんや姐さんはこんなところで嘘を吐かない。吐いても利益が大してないからね」だそうだ。そういうものらしい。
「さて、前置きはいいでしょう。中原くんが目醒めなくなった件ですが。私の予想では、其方にも同じ状況のものがいると思うのです。どうです? 福沢殿」
出された煎茶を少し吸って、首領は話し出した。
流石は首領といったところか。的確な予想を立てて、其処をついてくる辺りは素直に凄いと思う。
だが、社長だって負けていない。
「若し仮にそうだとして、何か有るのか?」
「ええ、まあ。そうですねぇ……」
太宰くんから聞いているのでは無いですか?と問いかけるように、首領が目線を送る。
「何が言いたい?」
社長も何を彼方が言い出すかはわかっている筈だ。だが、この場では先に其れを言った方が後手に回る可能性がある。首領は胡散臭い笑みを浮かべて言った。
「共同作戦としませんか?」
「……」
(!?)
ボクは驚いた。首領自ら、後手に回るような事を言うなんて。
弱みを見せず、蛇のように狡猾に。そんなイメージを持っていたのだが。
「鼠が去った後、我々は幾度となく協力して来ました。此度も、其れで如何でしょう」
「……魂胆は?」
社長が顔色ひとつ変えずに問うた。首領は慌てる事なく答える。
「私は、以前貴方に伝えましたよね。貸しを後に百倍で返してこそ、協力関係が結べると。此方も色々と困っておりまして。如何です? 今こそ返して下さっても」
以前、とは何時なのだろう、とボクは思ったが、社長は理解している様子だったので口を噤んだ。
「……此方の利は」
社長は未だ決めあぐねている様子だった。其の様子に、首領が意外そうな目を向ける。
「おや、珍しいですね、貴方がそんなにも迷うとは。利ですか。そうですねぇ……先ず、一つ。探偵社員を救う道が出来る。二つ、此方側への借りの返済ができる。」
そして三つ……と首領は続けた。此れが一番今後の投資としては重要なのですが、と前置きすると、話し出した。
「犯人を捕縛する際には、此方の芥川くん、そして其方の中島くんを使いたいと思っています。ヨコハマの街を守る新たな|双《コンビ》……。其の投資として、必要では無いかと」
ますます笑みを深めて言った首領を、社長は真っ直ぐに見ると、小さくため息を吐いた。
「承知した。だが……」
「何です?」
「敦は使えぬぞ。」
社長の言葉に首領は首を傾げた。嗚呼、其れか。とボクは思う。
「眠ってしまった探偵社員……それが敦だからな」
「……あれ、まぁ」
首領が其の時一瞬だけ見せた、心の底から気の毒そうな顔は、おそらくこの先、2度と見ることは無いと思う。
---
両者の茶会の翌日。社長から改めて伝達があった。
敦くんが眠ってしまった事について、他にも被害が多数確認されているためポート・マフィアと手を組む事にしたと言う事。
中也も目覚めなくなっている事。
「先ずは情報を探そうと思う。今日は、元々入っていた依頼を片付け次第、被害者の関係者に話を聞きに行くように」
社長はそう言って紙を出す。そこには幾人かの名前が書かれていた。
「此れは、ポート・マフィアの資料だ。彼方も元々探っていたらしい。被害者らの詳細がここに書かれている。他の事も書かれているが、それも含めてパソコンにも共有している。各々で確認するように」
社員が引き締まった表情で返事をした。
一般人は勿論、大切な後輩が関係しているのだから当然だ。
(他の事……ねぇ)
おそらくは、『夢浮橋』や飛び交う噂についてだろう。噂の方面については探偵社の方が明るい。噂や、其の裏どりは探偵社が、裏の話はポート・マフィアが進めていくべきだと森さんも考えている筈だ。自分自身そう考えている。あの幼女趣味と意見が同じなのは心底気に食わないが。
(性には合わないけれど、先ずは聞き込みかな)
周りの対応を見ようと辺りを見回す。
国木田くんは早く取り掛かろうと、今日の予定に元々あった仕事を片付けているし、谷崎くんも同様だ。賢治くんは既に出発しており、与謝野女医は念の為敦くんに付き添っている。
(私も行こうか)
却説、と私は立ち上がった。
自分の靴音が、何故だかかいつもよりも大きく感じられる。
五月蠅かったのかちらりと国木田くんが此方を見たが、何も言わなかった。
「太宰」
「?」
入口の扉に手をかけた私に乱歩さんが声をかける。
「……余り、無茶はするなよ」
「……はい」
首を傾げつつも返事を返すと、乱歩さんは興味を失ったように外方を向いて飴を転がし始めた。
探偵社の階段を降りる時、蛞蝓の赫い髪が頭の端でちらついた。
---
まずは一人目。
とある学校の生徒の家族に話を聞いた。
一般人の中では、この子が直近の被害者だ。
其の子は最近ヨコハマに越してきたらしかった。
最初の頃は残してきた友人たちを心配していたそうだが、最近ではけろりとしていたらしい。
「どうしてあんなに明るくて気の利く良い子がこんな……如何か、目を醒まさせてください」
話をしてくれた母親は窶れた顔でそう言った。
二人目はある会社員。
彼も被害者の中でも中でも最近の者だ。
其の人は一人暮らしであった為、彼が眠ってしまっているのを発見した人物に話を聞いた。
彼の部署では|力的加害《パワハラ》が横行しているという噂が有り、心配して家を訪ねたところ眠っているのを発見したという。
「彼奴、周りをよく見てる奴だから。噂の|力的加害《パワハラ》見てて辛かったのかも。ザマ無いっすね」
彼の友人だという人物は、そう言って乾いた笑いを溢した。
3人目は高校生。
其の子は何時もおちゃらけた人物で、周りからの信頼も厚い人物だったそうだ。
其の子の家族は捕まらなかった為、友人達を探して聞いた。
「あの」
他の人物達にした質問を再び行い、帰ろうとした時。
友人達のうちの一人が駆け寄って来て、私を呼び止めた。
「先刻、言ってなかったことがあるんです」
彼女は躊躇いがちに口を開いた。
「彼奴、最近|超自然《オカルト》に嵌ってて。占い師を推してたんです。なんだっけ……蝶壺?とかいう女なんですけど。最近其奴に会えたって喜んでたんです。関係ないかもなんですけど、怪しい感じだったので」
それじゃ、と去ろうとした彼女が、びくりと肩を震わせて此方を見た。
彼女の視線は、自身の手首に注がれている。
無意識のうちに私は勢いよく彼女の手首を掴んでいたようだった。
驚いたように手首を見ていた彼女は、私の顔を見た瞬間に瞳を恐怖に濡れさせた。
黒い瞳孔に薄らと私の姿が映る。
「どんな女だった」
低く、冷たい声が聞こえた。
自分の声であると気づくのに、それなりの時間がかかった。
「ッ……知りませんよ、離してください!」
私の手を振り解こうとする彼女を見て、手の力を少し強める。
「否、君は知っている」
私が確信を込めて問うと彼女はひっ、と小さな悲鳴を漏らした。
先程までよりも、僅かに瞳孔が開いている。
唇を戦慄かせながら彼女は言った。
「……わ、私は……ッ……女の顔はよく見ていませんッ、大きな編笠を被っていて。長い黒髪と、線香みたいな、藤の香りがしていた美女だってことしか知りませんッ! あんな場所に長居したく無かったし! 離して、離してください!」
怯えた様に此方を見る顔を見て、はっと我に返った。
私とした事が暴走してしまっていた様だった。
後輩の、そしてヨコハマの様々な人の今後が関わっているからだろう。
然うに違いない。
「嗚呼、済まない。手荒な真似をしてしまったね……けれど、如何して最初から言わなかったんだい?」
決して声を荒げない様に心がけながら訊く。
彼女はほっとした様に話し始めた。
「大丈夫です。……私と彼奴、仲良かったから。仲良い、というか、其の……」
「恋仲?」
言葉を濁した彼女の言葉を引き継ぐ。
然うすると、彼女は少し顔を赤らめながらも頷いた。
「皆には言ってなかったから。お兄さんから他の人に言われたら拙いと思って。其れに、二人とも、女だし。」
二人で言わない様に決めていたんです、と後ろめたそうに話す姿からは、嘘の気配は全くしなかった。
おそらくもう訊くべきこともないだろう。
「そうかい、有難う。目が醒めるといいね」
私は感謝を伝えると今度こそ踵を返した。
視界の端に、泣きそうな顔をする彼女の姿が映った。
---
其の後、二人程他の人物にも話を聞いたが、大きな収穫は無かった。
年齢、性別、住む所、家族構成。全てがバラバラだった。
収穫とするのならば、蝶壺とかいう占い師の話だろう。
蝶壺。長い黒髪に花の香り。着物。
敦くんとぶつかった人物と見て相違ないだろう。
矢張り其の人物が関係している線が濃厚だ。
だが……。
異能にかかった人物の共通点が分かりにくい。
(一つ、仮説があるにはあるけれど…)
それならば何故、敦くんや、中也がかかってしまったのかが不明だ。
(蝶壺を探すべきか)
蝶壺のいた場所は明確には教えられなかったが、彼女は『あんな場所』と言っていた。
高校生ほどの子が『あんな場所』と忌避するところといえば。
(擂鉢街などの貧民街に、近いところか)
擂鉢街。十四年前、ヨコハマに突如としてできた大きなクレーターの様な場所。其処は貧民街がひしめき、周辺も其の状態に近い。何がいても可笑しくなさそうな暗さを持っている。
特に、ポート・マフィアの目が行き届かない場所では、ある意味真の無法地帯。素性も、顔すらも分からない様な者たちが屯する。
そして、疚しいところのある者──例えば昔の私──などが身を隠すには都合が良すぎる場所でもある。
探し女は、恐らく依頼人から追われている。依頼書には一ヶ月程前から彼女が失踪した、と書かれていた。蝶壺が其の探し女だとしても辻褄は合うだろう。
(探し女──蝶壺には何か疚しい事がある。それ故に追われ、占い師として生計を立てていた。一週間に一度、決まった喫茶に出向く。恐らくは人を眠りに落とす異能者……)
ぱっと見、矛盾点は無い。だが……
(編笠で顔を隠して占い師をする様な人物が、顔を覚えられる程、同じ喫茶に訪れるだろうか)
其処まで考えた時、携帯電話に着信が来た。
「?」
開いてみてみると、賢治くんからの一斉メールだった。
『皆さんへ
夢の噂の女性を探していた依頼人ですが、少々黒い噂があったそうです。裏社会との癒着が主ですが、是迄表になったことは一度もありません。何でも、仲良くなった組織が、総じて潰れているからだそうです。長が不治の病にかかったとかで。都会には怖いところもいっぱいですね!
下に仲が良かったと見られていた組織の名前を入れておきますね。
(中略)
宮沢賢治』
・
眠り姫です
キリいいところまで、と思ったので長かったですね
聞き込み部分は蛇足が多かった、かな
次回はやつがれを出して、だざさんに自覚させる!!
そして陸くらいで終わらせたい…!
ここまで読んでくれたあなたに、心からの感謝と祝福を!
藤夢 其の肆
私、泉鏡花が、今回の「夢の噂事件」の聞き込みを一段落終え、探偵社に帰ってきた時だった。
ピロン、と軽い音と共に携帯が震える。
|電子手紙《メール》がきたようだった。
送り主は賢治。私は内容を読んで驚きで目を見張った。
総じて潰れていく組織。長の不治の病、そして聞き覚えのある組織名……。
(夢浮橋……!)
潰れていった組織は、夢浮橋の毒牙にかかったものとして噂されていたところばかり。
依頼主の探し女と、この『夢の噂事件』──否、『夢浮橋事件』の異能者は、やはり同一人物だったのだ。
おそらく、依頼人は異能者を雇い、利益を得ていたのだろう。
虫唾が走るほど卑怯な手管に、使われた異能者への同情を覚えたが、ふと不思議に思った。
(けれど、表社会まで被害が出始めたのは依頼主の元から失踪した時期から)
裏社会にしか手を出してこなかった異能者。何故、失踪し表社会にまで手を伸ばしたのだろう。
異能を使役し、他人を堕とすという卑き愉悦を知ったのだろうか。それとも──
(否、此れは私の考えるべきことじゃない。だって、今、優先すべきことは……)
更なる情報収集、そして、敦とあに様とヨコハマの人々を、死なせないことだなのだから。
美しい瑠璃の瞳に、輝く光を湛えた彼女を、そっと白き夜叉が見守っていた。
---
ところは変わって。
此処は、ポート・マフィア本部内の廊下。
其処を進む或る人物の圧に恐れをなしたように、居る者達はさっと脇に避けていく。
カツカツと、苛立たしげに足音を鳴らす其の人物──芥川龍之介は、心底苛立っていた。
否、苛立っていた、という言葉で済むほどではない。
上司を救うことができていない焦燥感と、このような時でさえも抗う敵への憤り、そしてなぜかは知らぬ不安感がない混ぜになっている。
彼は自身の執務室前に到着すると、ドアを開けて鍵をかけた。
思考を誰にも邪魔されたくなかった。
上司であり、恩人の中也さんが目醒めなくなってしまってから、既に数日が経っている。
彼の方の姿は、特段変わった様子は見受けられないが、だからこそ焦っていた。
何故ならば、それはつまり異能の術中に嵌ってしまっていることを如実に表しているからだった。
此度の原因の現象であり、異能──裏社会では『夢浮橋』と呼ばれているものだ──は、術中の者に幸せな夢を見させる。
だが、其の夢から目醒めたものはこれまで誰1人としていない。
何故、どんな夢を見させるのかわかるのかと言えば、近頃、そんな噂が増えていたからだった。
(『夢の噂』……探偵社の連中は斯様に呼んでいた)
今回の事件は、武装探偵社と共同で行なっている。
其のため、彼方が調べたことも逐一此方に共有されているのだ。勿論、此方のものも。
同一犯であるという証拠も、既に取れている。
だが、肝心の術中の者を目醒めさせる方法は見つからないままだった。
「チッ……」
思わず舌打ちが漏れてしまう。
周りに誰もいなくて助かった。
誰か居ようものなら、その者は自分の殺意に当てられていたに違いない。
ふと、殺意を向けるとそれに嬉々として応戦してくる白い虎が脳裏に浮かんだ。
(人虎……)
彼も、この事件の被害者だという。
全く、仮にも探偵社の主力戦闘員であり、|双《コンビ》の前衛を務めるものがそんなに不用心で如何する|心算《つもり》なのだろう。
(この苛立ちの半分ほどは、彼奴の所為やも知れぬ)
自分と人虎は、大変不本意ながらも、新しい双黒として経験を積んでいる最中だった。
だが、斯様な状況になってしまっては、自分は思い切り動くことが──
其処まで考えてから、芥川はふと思った。
(人虎が居るから、思い切り動くことができるなど、思っている筈がない)
そんな筈がないのだ。
何故なら、自分は元は単独。
二人であったとしても自分は後方支援なのだから、一人で任務を遂行する時よりもやり難いはずなのだ。
なのに、何故。
(何故こうも|僕《やつがれ》は人虎の身を案じている?)
そう考えてしまうと、他のことも浮かんできた。
彼の任務後のお節介が言葉で言うほど嫌ではないこと。
共同任務が決まった時の、少しの気分の高揚。
そして今の不安と焦燥。
これまで、それを含めて彼を“憎い”“嫌い”だとしてきたが。
違うのではないか。
芥川は初めてそう思った。だが──
だからといって、この感情に名前をつけてくれる人が、彼の周りにいるわけでも無かった。
---
「皆の報告から、依頼人が探していた女性は蝶壺と名乗っており、依頼人に利用されていたと見られることがわかっている。一ヶ月前ほどに蝶壺は依頼人の元から離れ、擂鉢街付近の◯◯街辺で占いを行っていたらしいが、証言以外の痕跡は見つかっておらず、発見されていない。だが、証言は多数寄せられている。また──」
私、太宰が聞き込みを行った翌日。
国木田くんが皆からの報告をまとめ、社員全員と情報の共有を行なっている。
流れるように喋り続ける彼の声を聞き流しながら、私は考えていた。
(警戒心の強い人物が、何故顔を覚えられるほどに同じ場所に通った? その|弊害《リスク》がわかっていないわけでもないだろうに)
占い師という人からは詮索されにくい職をし、顔も編笠で隠して生活していた人間。
そんな人間が何故、裏社会とは無縁の明るい町に足を伸ばし、同じ喫茶に通い詰めていたのだろう。
その喫茶が裏社会と通じていることも視野に入れて調べたが、そんな証拠はどこからも出てこなかった。
そもそもがチグハグなのだ。
自らを利用する人間から離れたというのに、似通ったことを自ら進んで行う。
裏から逃げ出したというのに、再び裏で生きる。
わかっている行動全てが、どこか噛み合っていない。
蝶壺という人間が全くわからない。
人間がわからなければ、異能を解く方法もわからない。
自分が触れても解けない異能、調べても何も出てこない人間。
顎に手を添えて考え込む私に、乱歩さんが話しかけた。
「太宰」
「はい?」
「何をそんなに考えているんだ?」
「へ?」
脈絡のない質問に目が点になる。
「だから、何でそんなに真剣になって考えているんだ? 貧乏揺すりまでして。」
「え」
言われてみてはっと気づく。知らず知らずのうちにカタカタと動かしていたことを知った。
音はあまり出ていなかったためか自分でも気づかなかった。
「何でそんなに余裕が無いんだ? いつもなら不真面目そうに仕事をするだろう?」
首を傾げる乱歩さん。不思議そうにしているが、薄く開かれた緑の瞳がきらきらと楽しげに揺れているところを見ると理由を理解した上で訊いているのだろう。
だが、私だって自分でわからないものは答えられない。
言葉に詰まった私をみてさらに楽しげな色を見せたその人は、咥えていた飴を取ると話し出した。
「しかも、今回は君の大嫌いな素敵帽子くんが被害者だ。敦も絡んでいるとはいえ、お前なら面白がってわざと何も分からないふりをしたりするだろう。そうじゃ無いか?」
何をそんなに焦ってる? と流し目を寄越した乱歩さんに言葉を返せずにいると、その横の与謝野女医までもが話に入ってきた。
「そんなに敦が大事なのかい? いやァ、でも太宰はそんな後輩思いには思えないけどねェ?」
にやにやと笑いながら、小声ながらも面白がっている風を隠そうともしない先輩たちに苦笑いを返す。
「しかし、まあお前さんがそんな風になるとは」
「そんな風?」
「「高校生並みに初々しいって話だよ」」
「はい?」
二人して声を揃えて言ってくるとは。高校生並みに……子供っぽいと言いたいのだろうか? 何処が?
「何処がですか……」
「好きな子に真逆の態度をとっちまうところとかだろ? そこまで来ると小学生か」
散々な言われようである。しかし、それ以上に聞き捨てならないことがあった。
「否、好きな子って誰の事ですか」
「素敵帽子君/中原中也」
「へ」
一寸意味がわからない。私があの蛞蝓を好き? そんなことがあるわけがない。
ぱち、ぱちと瞬きを繰り返す私をみて、乱歩さんが心底気の毒そうな顔をした。
どういう意味だろう。
紅葉姐さんもだが、よく分からないことを言われても困る。
「おい、太宰! 聞いているのか!」
会議から意識を完全に違う方向に向けていたことが露見したのか、国木田くんからお叱りが飛んできた。
「はいはい、聞いているよ国木田くん。私に話を聞いて欲しいのかい? 熱烈だねぇ」
揶揄ってやれば再びお叱りが飛んでくる。何時もはそれで気が晴れるのだが、今日ばかりはそうはいかなかった。
ちらりと、元凶のお二方を見てみれば既に二人は会議へと意識を向けていた。
数十分後。
会議は終了し、皆思い思いに過ごし始めていた。
国木田くんや谷崎くんは早々に会議室を出て行ってしまった。
敦くんのことを、谷崎くんも同い年なだけあり少なからず心配しているらしく、いつになく仕事に励んでいた。
(私も戻るかな)
そう思い席を立ち、扉へ向かった時。乱歩さんとすれ違った。
「素敵帽子君は知らないけれど、敦には確かにあった筈だよ」
そんな言葉をこそりと囁かれた。
「そうですか」
私はそう返すと、扉を開けて部屋を出て行った。
(全く、此のお方は何処まで分かっていらっしゃるのやら。)
・
どうも、眠り姫です
やっと…やっとやつがれが出せた……!!
自覚させられなかった……次回! 次回では必ず!
だってここまで謎解きandだざさんの自覚布石パートだったんだもの!!
芥川、自覚気味になるの早くない? と言うのは、若いからです。きっと
あと、鏡花ちゃんってやっぱりイケメンじゃないですか?
藤夢、もうちょっと続きます
最後の展開は決まっている上に、藤夢以外の話も頭にはあるんですよ
(一個だけなので、もしかしたら出してほしい文豪を募集するかもしれません)
だけどさ、そこまでの流れが大変
ここの皆さんとか、支部の方々の才をひしひしと感じる今日この頃です
あと、あの、皆さんが話の流れをわかってくれているのか心配で
特に夢浮橋の話とかが……自分でも一寸あれで……
あの、分かりにくい!意味わかんねぇ!って思ったらコメントしてくださると……
どっかで解説入れます
では、ここまで読んでくれたあなたに、心からの感謝を!
(2025/9/17あとがき加筆)
リクエスト箱を設置しました!
出して欲しい文豪など、送っていただけると幸いです
おすすめの作品名もつけてくれると嬉しいです!
藤夢 其の伍
『素敵帽子君は知らないけれど、敦には確かにあった筈だよ──』
先刻の乱歩さんの言葉が蘇る。
何が、あった、なかったのかと訊かれれば、“悩み”である。
あれから少し考えて、これまで話を聞いてきた三人、そして他の被害者には、ある共通点があることに気づいた。
それは、“悩み”。
|夢浮橋《ゆめのうきはし》にかかったもの達には総じて悩みがあったのだ。
あるものは友、あるものは|力的加害《パワハラ》。そしてあるものは恋、というように。
乱歩さんのあの言葉は、悩みがあるかどうかという話だろう。
敦君には、少なからずあったと云うことだ。
けれど。
(彼にどんな悩みがあったのだろう)
自分は彼の職場の上司ではあるが、極めて個人的な悩みを聞けるような間柄ではない。
と云うか、逆に此方が悩ませているような気がする。
抑も彼は、子供時代の所為でおそらく警戒心が強い。
そこら辺の者にはぽんぽんと悩みを口に出さない筈だ。
そんな彼が悩みを口に出す相手といえば……
「それで、私?」
彼と親しい者──鏡花ちゃんはこてん、と首を傾げた。
此処は探偵社階下の『喫茶うずまき』。
密談めいたものも無料でやらせてくれる、非常に親切な店だ。
探偵社の中では話しにくいものもあるだろう、と連れ出したのだが──
「そうだよ。君なら年も距離も近いから、と思ったのだけれど……」
そういうと彼女はふるふると首を振った。
「敦は警戒心が強い。私を頼る事はするけれど、自分の個人的な悩みを口に出す事はあまりなかった」
ある意味距離が近いのは芥川、と彼女は言った。
「悩みを言ったりはしないだろうけど、思い切り不満を口にできたりするのは彼奴。」
確かに。そんな気がしないでもない。
となると何も進展なしか、と私が頭を抱えていると。
鏡花ちゃんが口を開いた
「相談はされてない。けど……悩みの一部は知ってる。多分、芥川について」
「芥川くん?」
「そう」
彼が芥川くんについて何か悩むことがあったのだろうか。
共闘についての悩みだとしたら早々に解決しておきたいのだが。
「いつだったか独り言で溢してた。私の存在には気づいていなかった筈。こう言ってた」
そこで一呼吸おくと、鏡花ちゃんは口を開いた。
「『なんでなんだよ……芥川』」
「“なんで”……? 敦くんはどうしたんだと云うんだい?」
「分からない。でも、其の声が泣きそうだったから。凄く記憶に残ってしまった。それに最近、よく眠れていなかったようだし」
私たちは二人して首を傾げた。
最近、ポート・マフィアとの共闘は確かにあったが、敦くんが悩むような出来事の報告は彼らから上がっていない。
本人達なら分かるのだろうか。
けれど本人達は、其れこそ犬猿の仲に見える。否、狗虎の仲とでも云うべきか。
そんな彼等がお互いを把握しているのか。
否、把握していなかったとしても、理解できる可能性はある。
|側《はた》から見れば、彼等はとてもよく似ている部分がある。正反対な部分があれば、全く同じ部分も。
戦闘においては本当に息ぴったりだ。
それならば、若しかすると。
私はそんな|一縷《いちる》の希望に賭けて携帯を取り出した。
鏡花ちゃんに断りを入れて、『うずまき』の外へと出る。
電話をかけて数コールのあと、繋がった感触がする。
「もしもし、芥川くんかい?」
『太宰さん!? 急に如何されたのですか』
電話越しに相手方の驚いたような声が聞こえる。
そういえば電話を使って話すのはかなり久し振りだったか。
まあ、今其れは大した問題ではない。
「敦くんのことなのだけれど」
そう言って切り出すと、彼は電話越しにでも分かるほど、警戒を露わにした。
だが何時もとは雰囲気が違う。名を聞いただけでも発せられる、相手を貫くような殺気がなかった。
『……なんでしょう』
「最近彼に変わったところは無かったかい?」
『……あの人虎は生来変わった者だと記憶しておりますが」
つん、と答える声は普段通り。
何も無かったように聞こえる。だが。
(何か“あった”のだな)
私はそう思った。
憎まれ口を叩く前の、数秒間の沈黙。
その中に微かに混じった、困惑と図星からくる動揺。
伊達に数年間もの間彼を育ててきていない。
「そうかい、話すことがないのなら良いんだ。けど、こう言ったら?」
『……』
「それによって敦くんや中也を目醒めさせることが出来るかもしれない、と」
『!』
電話越しに、空気が変わったのを感じた。
喜びを内包した、更に強い警戒。
それを解くために、私はゆっくりと話しかけた。少しの圧をかけることも忘れずに。
「もう直ぐ其方にも報告がいくだろうが、『|夢浮橋《ゆめのうきはし》』にかかる条件は“悩み”だ。その異能者に会った時、悩みを抱え、そしておそらくは相談するか否かで『夢浮橋』となるかが決まる。……意味はわかるね?」
『……』
再び変化する空気。逡巡が見てとれる。
こんなにわかり易くて良いのかと、師としては複雑に思うが、今は其れが相手を見極める唯一の手掛かりだ。
『太宰さん』
数秒後、芥川くんは口を開いた。
『電話では話せないこともあるでしょう。出来るのならば、お会いしたい』
想定通りの返事に私は唇に笑みを浮かべた。
「君ならばそう云うと思っていたよ──今日の夕暮れ時、《《あの》》森で』
分かりました、という静かな承諾の声を聞き届けると、私は電話を切った。
今の時間は八つ時。今から向かえば充分に時間があるだろう。
ちらりと窓から『うずまき』の中の様子を伺うと、鏡花ちゃんはすでに居なくなっていた。
私が電話をしている間に、探偵社へと戻ったらしい。
勘のいい彼女のことだ。誰に何故電話したのかも分かっているだろう。
乱歩さんに伝われば、その後の行動も。
彼女に仕事を押し付けてしまったような雰囲気が否めない。
(全く、良い子すぎるのも難儀だねぇ)
私はそう心の中で呟くと、懐かしの場所へと足を向けた。
---
目的地までの道のりの中で、空は僅かに朱を溶いたように染まっていきつつあった。
その微かな鉛丹色を眺めながら歩を進めていると、先程の先輩方の声が蘇った。
(『好き』ねぇ……)
其れは、かつて──否、嘘はいけない。今もだ──数多の女性達から向けられた視線、言葉。
自分にとっては嘘八百の口先だけのものに過ぎない。
真逆、私がそんな気持ちの悪いものをあの蛞蝓に抱いていると思われているのだろうか。
自分の胸に手を当てて少々考えては見たが、全くそんな気がしない。
そんな気持ちの悪い、軽いふわふわとした気持ちは感じなかった。
代わりに思い出したのは、中也と最後にあった日のこと。
(確か……)
『げ、なんか小さくて黒いやつがいるー』
依頼の帰りに街中を歩いていたら、偶然出会ってしまったのだっけ。
彼方も此方を認知すると、顔を歪めて言い返してきた。
『ンだと包帯の付属品!? って……』
中也はそこまでいうとはたと口を噤んだ。
まるで、何かをみとめたかのように。
『中也?』
そう呼びかけると彼は我に帰り、いつもの調子で喋り出した。
『俺は手前相手に与太話するほど暇じゃねェんだ。さっさと死んでろスケコマシッ!』
『はぁ? あ、一寸!』
普段と様子の違う彼を引き止めようと手を伸ばしたが、その時には既に彼は人混みの中に紛れてしまっていた。
(全く、もう。何なのだか)
私はむっとしながらも、探偵社への道を戻り始めた。
(そう、そうだった。確かあのあと、私の首の包帯に覚えのない口紅がついていて一騒動起きたのだったっけ)
一応、それを行った熱烈なご婦人には、丁寧に諭してお引き取り願い、騒動は収まったのだが。
(ん?)
私はそこであることに思い当たった。
中也は私に“何を”みとめたのだろう。
真逆、その|接吻痕《キスマーク》?
だとしたらその直後に『スケコマシ』と私を貶したことにも説明がつく。
けれど──
(相棒に女性の影があったとして、中也に何の関係があるのだろう)
別に、今は居る場所も違う、謂わば元相棒の交友関係など、普通は気にするものではないだろう。
抑も彼がみとめたものが|接吻痕《キスマーク》だとは限らない。
(女性への嫉妬、とかだったら最高に面白いのだけれど)
その時、心臓がどくん、と跳ねた。
一定に保っている私の管理から外れた拍動。
口から、は、と息が漏れた。
(真逆、私、嫉妬されたら嬉しいと思ってるわけ?)
其れこそ、心臓が跳ね、それを制御できないほどに。
嫉妬をさせたい、して欲しい、だなんて。
嘗ての私の女性達のようではないか。
(嘘でしょ。それじゃあ私、中也のことが──)
私の不整脈は、無視できないほどに音を立てていた。
何処の誰にも今の顔を見られたくなくて、私は口元を覆った。
頬に触れた指先がひんやりと冷たい。
(好き、なの)
信じられなかった。
私がそんな悍ましい感情を持っている?
冗談にしても質の悪い。
──ああ、でも。
私を心配して欲しい。
私以外に尻尾を振らないで欲しい。
相棒になれるのは私だけにして欲しい。
私以外の誰にも殺させたくない。
汚濁を使った後、私の手に戻ってくるあの瞬間が何よりも嬉しい。
相棒と呼ぶのは、これまでもこの先も、中也だけ。
私を殺せるのは私だけだけれど、中也にされるのも気分が良いかもしれない。
私の言葉一つでころころと表情を変えてしまう単純な中也が、面白い。愛おしい。
──愛おしい?
そうか。
これは“好き”には荷が重すぎる。“嫌い”では足りない。信愛よりも、どろどろとしたこれ。
認めたくは無いけれど、これはきっと。
(“愛”と、呼ぶ人は呼ぶんだろうな)
すとん、と腑に落ちた。
けれど。
云える訳がない。
彼が私を想っているという可能性は、ほぼ0に等しい。
私が、一度それを真剣な心持ちで云ってしまえば、律儀な彼は正直に、誠実に、応えるだろう。
否、応えなかったとしても同じこと。
一度伝えてしまえば、もう元の相棒関係には戻れない。
任務遂行に支障が出ずとも、元の子供っぽくも罵り合う関係には戻れまい。
命も預けられる信頼関係にも、ひびが入ってしまう。
そんな|弊害《リスク》を冒してまで伝える必要など、個人の想いには存在しない。
私はふぅっと息を吐いた。
空を見上げると、少しずつ鉛丹色が銀朱色へと変わり始めている。
目的地はもう直ぐ其処。
私は一度目を閉じると、足を早めた。
---
「やあ、芥川くん」
聞こえたその声にハッと後ろを振り向くと、ここ数ヶ月で見慣れた姿の師が立っていた。
先程まで、首領から渡された夢浮橋の進捗状況の資料を読んでいたためか、気配に微塵も気付かなかった。
元々、気配を感じることが殆ど不可能に近い方ではあるのだが。
「太宰さん……」
師はちらりと周りを見ると、話し出した。
「此処で話してもいいのだけれど、少し歩きながらでも構わないかい?」
珍しい。
この人は話を人に聞かれるという|弊害《リスク》をいつ何時でも気にかける人物だ。
二人しか知らないこの場所を離れるということは、その|弊害《リスク》を冒すことでもあるのだが……。
「貴方が、宜しいのであれば」
「そうかい」
そう返事をすれば、静かな返事と、じゃあ、行こうか、と促す声が聞こえた。
暗い森の中を無言で歩く。
空にあった少しの明かりも消えかけている。
「それで──」
太宰さんが再び口を開いたのは、最初の地点から少し歩いた頃だった。
「敦くんと何があったんだい?」
「……」
本音を言えば、人虎自体とは何もなかった。
全ては、自分自身の問題だ。
だがもしも、言っても良いのならば。
「……|僕《やつがれ》が」
可笑しいのです、と続けようとした。
彼奴に、自らの領域を侵されることに嫌悪感を、不信感を覚えないのだと。
──けれど、こんなことで太宰さんの手を煩わせるわけにはいかない。
ただでさえ、今は中也さんが目醒めないことに焦っている筈なのだから。
そう考えると、続きの言葉を紡ぐことができなかった。
「……いえ。なんでも御座いません」
「……」
口をつぐんだ自分を太宰さんはちらりと見ると、ふいと目線を空に向けて喋り出した。
「そう云えば、昔、中也がね」
中也さんの話か。何か関係があるのだろうか。
「突然聞いてきたのだよ。『自分は手前の相棒に成れているのか』とね」
「……」
「私はこう答えた──『そんな単純で下らないこと考えてる暇があったら、さっさと敵を殲滅してきなよ』ってね」
実に此の人らしい。そして、こうも思った。万に一つ、人虎にそう尋ねられれば自分は同じように答えるだろうと。
相棒に成れているか、だなんてその関係が続いている現状から見れば、単純明快なことなのだから。
単独であるよりも良いと最近は不覚にも思ってしまっているのだから。
「中也は『そうか』とだけ言っていた。中也がどのように受け取ったのかどうかは知らないけれど、私は本心をぶつけた心算だった。で、質問なのだけれど、君は敦くんにそれを伝えたことがあるかい?」
「……!」
伝えたことなど無かった。訊かれなかったから。彼奴も同じ様に思っていると思っていた。
「私達や君達には、信頼と協力が必要不可欠だ。其の根底には自信がある。相手を使い、使われる資質に自分は欠けていない、というね──敦くんは悩んでいたそうだよ。『何でなのか』とね。私には君達のことはわからない。けれど、敦くんには少なからず不安があったんじゃないのかい?」
嗚呼、と思った。
自分はあの人虎に、信頼を伝えられていなかったのだ。
今の今まで、それを自覚していなかったにしても、“信頼”という言葉を使わずとも其の感情は伝えられた筈だった。
否、伝えようとも思わなかったのだ。
彼奴も、同じ様に思っていると、思い込んでいたから。
(だから、今彼奴は夢浮橋にかかっているのだ)
「……太宰さん」
「何だい?」
如何にも“不思議そう”な顔で振り返った師の瞳には、されども展開を確信した色が見えた。
「若し。若し、貴方が誰かに思いを伝えることができず、そして相手がそれを悩んでいるとしたらどうすれば良いのでしょう」
そうとうと、師はクスリと笑って答えた。
「そのまま伝えれば良いんだ。人は仮令眠っていても、声を聞いているらしいからね──
──そうでしょう、蝶壺さん?」
師の足が止まった。
目を師の目線の先に向けると、一人の女が月明かりに照らされているのが見えた。
編笠に隠された其の髪は黒く、長く。其の髪が流れる着物は藤色で。
「貴様が……!」
女は藤色の瞳を揺らし、此方を見詰めていた。
・
眠り姫です!
ファンレターをくださった方々、応援してくださった方々、そして読んでくださっている方々全員にこの場を借りて心より感謝申し上げます!
すっごく嬉しくて、嬉しくて。
ご感想やコメント、ついつい口角が上がってしまいます。
このまま、この藤夢を最後まで、そしてできれば迷ヰ犬怪異談の第二弾もお付き合いくださればと思います!(いつになるかはちょっと明言できない眠り姫をどうかお許しください笑)
キリのいいとこ目指したらこんな長さに……
待ってほんとにどんな長さよ。
今回の副題は自覚編。
芥敦は無自覚両片思いで藤夢完結を迎えるかもしれません。
もしかすると八まで行くな、これ。回想編と真相編と、完結編。うわぁ……
あと、これまで言い忘れていたのですが、私の小説を読む際は行間と文字サイズをいじったほうがいいかもしれません。
地の文が謎に長くなることがあるので。ごめんなさい 本当にご迷惑おかけします
誤字脱字の確認をするの忘れたので、変かもしれませんがどうぞよろしくお願いします
では、此処まで読んでくれた貴方に、心からの感謝と祝福を!
藤夢 其の陸
「貴様が……!」
そう云って羅生門をゆらめかせた芥川くんを、宥めるように肩に軽く触れる。
煙のように黒獣が消えると同時に芥川くんもハッと我に帰った。
「太宰さん……」
「大丈夫。予想してたからね──それより、蝶壺さん。私の考察は正解ですか?」
そう云い乍ら蝶壺に流し目をくれる。
今の私は絶対零度を下回るほどの冷たい目をしているだろう。
マフィア時代を思い出すような殺気に、隣で芥川くんがぴくりと反応したのが見えた。
蝶壺も体を震わせて此方を見たものの、負けじと言い返してきた。
「……何のことでしょう」
其れを聞いた私はスッと目を細める。
「何のこと? 貴女が一番解っているのではないですか?」
「……」
蝶壺はキッと此方を睨んできた。
私は口元に笑みを浮かべた。目は変わらず絶対零度の冷たさだ。
「実は、貴女に占いの客としてやってきた方々が今厄介な事件に巻き込まれていまして。貴女が何か知っているのではと──」
「知らない! あの人たちも、めざめさせる方法も!」
それを聞いて私は眉をぴくりと動かした。芥川くんも僅かに殺気を放った。
「目醒めさせる……何からですか?」
「ッ! ……ぁ」
失言に気がついたように蝶壺は口元を袖で抑えたがもう遅い。
「それに“あの人たち”ですか。会ったことがあるんですね」
「……」
私は笑みを消すと蝶壺の方に一歩踏み出した。芥川くんが静止するように手を伸ばしたが気づかないふりをする。
「彼等をどうした」
口からは思いの外冷たく低い声が出た。私は、私の想像以上にこの事件に対して苛立ちを抱えているようだった。
もう一歩と詰め寄ろうとした私の足を止めたのは、一人の人物の声だった。
「太宰」
特徴的なボーイソプラノ。
「其処までだ。落ち着け。蝶壺さんが怖がっている」
探偵社を支える要の名探偵、江戸川乱歩だった。
後ろには与謝野女医が控えている。
「乱歩さん……」
「全く、鏡花に伝令を任せるだけなんて報告が簡易過ぎるよ! おかげで僕の推理力を使わなきゃならなかった! 無茶するなって言ったろ」
やれやれ、と大きめの身振り手振りで乱歩さんが話す。
鏡花ちゃんに探偵社への伝令を任せれば、賢い彼女は知らせるべき人に知らせることができる。
鏡花ちゃんに知らせたのは正しい判断だった、というわけだ。
「あなたなら分かると思いまして」
「まあ、人に頼ることを覚えたのは成長した点だとは思うけどね!」
むすっとした顔で此方を見ていた乱歩さんだったが、徐に蝶壺に顔を向けた。
「それで、君が犯人? へぇ……」
しげしげと見てくる彼に、蝶壺が警戒したように「な、何ですか」と云った。
「君、|煙草《たばこ》は吸う? 長い話になりそうだから吸うならどうぞ?」
名探偵の質問を一瞬疑問に思ったが、其の疑問はすぐに晴れた。それと同時に、この事件の不可解な部分も。
──嗚呼、そういうことか。
「え? いえ、吸わないので遠慮しておきますわ」
困惑したように答えた蝶壺に、乱歩さんは笑みを深くした。
僅かな風が一同の髪を揺らす。
その風の香りに、私はこの仮説の確信を得た。
そんな私達を他所に乱歩さんは続けた。
「吸わない? 良かった、僕好きじゃないんだよね──
で、矢っ張り云うけれど、この“夢浮橋事件”の犯人は君だよ。蝶壺さん。
それは、被害者たちの共通点が君という占い師にあること、そして全員が悩みを抱えていたことからも明白だ。人は悩みを占いに頼る節があるからね……
質問があれば訊いてくれ給え! 僕が無知な君のために教えてあげるから!
え? 自分じゃない占い師かも知れない? 全く。忠告してあげるけれど、君の占い場の場所は利と害が半々だってこと、覚えておいた方が良い。素性が判りにくい代わりに、其処に行った人の足取りは驚くほど掴みやすい……真っ当な昼の世界に生きる者がホイホイ行く場所じゃアないからね。
少なくとも、君の周辺には他に占い師はいなかった。もう少しマシな質問を考えておくれよ。
悩みがなかったかも知れないじゃない、だって? まあ其の可能性があるのは認めよう。けれど、人から聞いた、生活と性格からの逆算は可能だ。しかも、全員の悩みが個人の根幹に関わるものばかりなのだから、推測するのは容易いよ。
ああ、それから。何故君が此処に来ることがわかったのか、と言えば簡単なことだよ。
君が占いをしていたという場所には寝食を行うには適していない場所だ。
そして街中の喫茶にも頻繁に通え、かつ寝泊まりのできる秘匿性の高い場所……といったら、此処のような街の片隅の広い敷地ぐらいしかないのだよ。
此処には偶然にも放置されていた小屋もあるしね。
他にも何個か場所自体は候補はあったけれど、それはどれもマフィアが良く出入りするような、裏の香りの濃いところだ。君がそんなところを好んで寝ぐらにするとは考えにくい。
却説、まだ反論があるなら聞くよ?
抑もね、反論を全て仮定形で行っている時点で認めているようなものだよ。
ま、それが無くたって、全部論破できる自信があるけれど」
──見事だった。
蝶壺は、もう何も言い逃れができないというように蒼白な顔をして乱歩さんを見ていた。
彼女は震える唇をゆっくりと開くと話し出した。
「いえ、もう何もございません。確かに。私が行いまし──」
其の時、異変が起こった。
「──ッ!? ぃ……ッ」
頭が痛くて堪らない、というように蝶壺が頭を抑えて蹲った。
苦しげにうめき、額には冷や汗が薄らと浮かんでいる。
「!?」
突然の状況に、何人かが蝶壺に警戒を示したが、乱歩さんが片手で制した。
「大丈夫。“彼女”には何も起こっていないから」
ゆらり、と蝶壺が立ち上がった。
其の顔はまだ青白いが、苦しげな様子は和らいでいる。
だが、其の顔は次の瞬間驚きの色で染まった。
「ッ……!?……貴方がたは…何故吾を取り囲んでいらっしゃるのですか?」
「!」
纏う空気が変わっていた。より高潔に、そして何処か攻撃的に。
嗚呼、矢張り。
私はそう思った。
乱歩さんもにやり、と笑みを浮かべて口を開いた。
「やァ、“初めまして”。蝶壺さん?」
自体を把握しきれていない何人かが、何を言い出すのだ、という目で乱歩さんを見る。
そんな空気にも動じず、蝶壺は微かに笑みを浮かべた。乱歩さんは再び話し出す。
「で、出てきて貰ったところ悪いんだけど、先刻の子はどうしたのかな?」
「如何云う事です?」
「君の前に出てきた子だよ」
乱歩さんはそう云うと、すっと蝶壺に目を合わせた。
蝶壺はそれでも笑みを浮かべている。
底知れない気味悪さと緊張感に、あたりの空気がぴん、と張り詰めたような気がした。
「君は……二重人格。
正式には──解離性同一性障害だ」
無言のどよめきが走った。
其の中で、乱歩さんと蝶壺、そして私は余裕の表情を浮かべていた。
医学の心得のある与謝野女医は、あァ、と納得したような声を漏らし、呟いた。
「あんたの、何処か矛盾した行動……それは異なる人格から来るものだったンだね?」
蝶壺は一瞬目を見張ると、口元に笑みを浮かべた。
「ふふ……。名探偵様、如何してお分かりになったのです?」
蝶壺はそう問うた。乱歩さんは蝶壺から一切目を離す事なく答えた。
「簡単だよ……最初の引っ掛かりは行動の矛盾。其の次は……其の香りだよ」
「香り?」
蝶壺は首を傾げると自らの袖を鼻に近づけた。
「煙草の匂いがしたんだ……しかも、先刻まで吸っていたかのようにね」
「!」
蝶壺が驚愕した表情を見せた。
これまでの何処か余裕ある表情が崩れた様子
に、乱歩さんが目を細めた。
「煙草は好き嫌いが激しい。吸わない人は一切吸わない……先刻までの“君”は『吸わない』とはっきり言っていた。だからだよ」
それに一人称も違うしね、と乱歩さんは付け加えた。
それを聞き、蝶壺は深くため息をついた。
「嗚呼……そしてそれを吸ったのが吾、と云う証拠は、此処に吾が現れたのが、働き場である占い場から、終業時間から徒歩でぴったりの時間に着いたことから──でしょう?」
「その通り! 良くわかっているじゃアないか!」
にこにこと笑い合う二人。
だがお互いに、目には鋭い光が宿されている。
「で、先程の質問に戻るけれど。あの子を如何したんだい?」
「嘘を吐いても意味はありませんね……無理矢理にですが交代させました。有りもしない事を口走り始めたんですもの」
その白々しい言葉に私は目を細めた。隣から芥川くんが口を開く。
「有りもしない事、だと?」
「ええ。そうですよ? 全く、裏から聞いていましたが、あの子は混乱に弱すぎます」
「貴様ッ」
その白々しさに耐えきれなくなったのか、芥川くんが重心を落とし、羅生門を構えようとする。
私はそれを片手で制すと、一歩彼女の方へ踏み出した。
「有りもしないこと……確かに、そうでしょうね。だって、“貴女は行なってはいない”んですから」
話しかけながら、すっと蝶壺に目線を合わせる。
彼女がひくり、と唇の端を動かした。
「どういう意味でしょうか」
「異能を使ったのは、確かに貴女ではない。けれど、貴女が発端だ。違いますか?」
澄ましたような蝶壺の顔が歪んだ。
「何故、」
「おや、当たりですか。鎌をかけただけなのですが」
「!」
しまった、という表情を浮かべた蝶壺。
そんな彼女に乱歩さんが追い打ちをかけた。
「つまり、君は先刻の子を唆して異能を使わせた。自分の欲望を満たし、“自分が”罪に問われないために──」
「違う!!」
蝶壺は声をあげて否定した。
先程までとは違い、その顔には嘲笑が浮かんでいた。
「全然違う。大外れ。あなたたちは結局……」
「──と! 先刻までは思っていた。けれど違うんだろう?」
蝶壺は藤の瞳が溢れそうなほどに大きく目を見開いた。露見するはずのなかったことが、暴かれたように。
「君は、先刻の子──“主人格”の願いを叶えてあげたかった。
だから、裏社会から逃げ出した。その子に願いを叶える方法を教え、そして混乱に弱い彼女を守るように自分の人格を表に出した。仮に逮捕されたとしても、自分が主人格であると偽り、他人格が行ったことにして仕舞えば、情状酌量も狙え、自分たち──否、彼女を守ることができる。そう考えたんだろう?」
蝶壺の顔が、炙られた蝋細工のようにぐにゃりと歪んだ。
・
眠り姫です!
六作品目!
蝶壺さまのご登場です!
モデルが誰かは事件の名前、服装、そして“蝶壺”という名前からなんとなくわかってらっしゃるかもですが……
誤字脱字があったらごめんなさい。
自分でも随時直しております。
そして。陸は無理でした! すみません!
応援してくださっている方々、ありがとうございます!
ここまで読んでくださった方々に、心からの感謝を!
The Comedy of X 1
親愛なる君へ
(中略)
この人物は、非常に子供っぽく、そして唯我独尊気味である事を除けば──それを含めたとしても、天才の名に恥じぬ探偵である。否、名探偵である。要するに、この人物に会ったものは総じて好感を抱かれるものと信じて疑わない。
そして、類は友を呼ぶと言うべきか、周りにいるものたちも総じて好ましい者たちばかりである。
では、この奇怪千万な喜劇と、その出会いにあたって、名探偵万歳! を唱えさせていただく。
「「は、はあああ!?」」
僕たち二人分──つまりはこの江戸川乱歩と、虫太郎くん──の叫び声に、ポオくんは罰悪さげに目を逸らした。
時は少し遡る。
昨日の夕方。
読ませる|推理小説《ミステリ》の新作が書けた、とポオくんからの知らせを受け、今日会う約束を取り付けていた。
今日の朝方に、道すがら確保した虫太郎くんも連れて行った程度には、楽しみにしていたのだが。
「ポオくーん」
「乱歩くん、それに虫太郎くんであるか!?」
何処か慌てた様子のポオくん。
其の手には手紙が握られている。
反対の手に|紙切小刀《ペーパーナイフ》を持っているところを見ると、開けて読んだばかりなのだろう。
「……どうしたの」
嫌な予感を見なかった振りをしながら問う。
絶叫の原因となったのは其の次の台詞だった。
「今から知り合いが訪ねて来るのである! どうしたら良いのであるか!?」
却説、今に戻ろう。
「ポオくん、お前、何故今になって其れを知る!? 知り合いはどんな奴なのだ?」
「待ってポオくん、其れって|推理小説《ミステリ》が読めないって事!?」
否、お前其方か? という呆れた目が隣から注がれたのを感じる。
けれど今そんな事は関係ない。
彼の知り合いがどれ程非常識か、ということよりも僕の予定が乱された方が深刻だ。
「僕は今日推理小説を読む心算で来たんだよ? 其れなのに──」
「済まない、乱歩くん。あ、でも謎解き自体はおそらく出来るのである!」
「は?」
どういう事だ、と虫太郎くんが訊いた。
けれど、僕は聞くまでもなく“謎解き”の部分を理解した。
閉じ籠りがちなポオくんの知り合いは、おそらく日本に来てからのものでは無いだろう。
つまり、アメリカに居た頃の知り合いという事。
そして僕に敗北するまでは比較的社交的な性格だったらしい。
其の頃の知り合いの可能性が高いとすると──
「彼らは我輩と同じ私立探偵であったからな!」
其れを聞くと、僕は大きな溜息を吐いた。
全く。ここまで予想通りというのも複雑なものである。
隣からも呆れ返った溜息が聞こえた。
「……一応聞くけど、どんな人なの、其の知り合い」
「ああ、アメリカの私立探偵で我輩よりも少しばかり年下なのだが──」
ジリリリリ
呼び鈴が鳴った。
「……」
部屋に沈黙が降りる。
ポオくんがびくり、と肩を揺らした。
そろり、と玄関の方に向かう。
途中、ペットのアライグマ、カールの尾を踏んでいたようだが、大丈夫だろうか。
後ろから僕と虫太郎くんもついて行く。
いかにも、“恐る恐る”という様子でドアがそっと開けられた。
「Mr.Poe! |I haven‘t seen you for a long time《おひさしぶりです》!」
現れたのは、男二人組だった。
出会い頭に声を上げたのは、陽気そうな雰囲気の男。
其れを後ろから軽く嗜めているのが理知的な雰囲気の男だ。
「ダネイ……其れにリー……」
ポオくんがぼそりと呟いた。
名を呼ばれた際の反応からして、陽気な男がダネイ、もう一方がリーという名の様だ。
然し、ポオくん。今ニホン語を使うのは悪手だというのに。
僕がそう思ったのと同じ様に、二人組は其れが引っ掛かったらしい。
少しばかり眉を上げると、今度はニホン語で話し始めた。
「ポオさん……其方の方々は?」
いかにも“不審”といった様子で此方を見るダネイ。
リーも気になるのか、ダネイを気に掛けながらも好奇心の覗く眼差しを此方に向けた。
其れに少しばかり苛立ちを感じたのか、虫太郎くんが目を細めた。
確かに、この目で見られる事は誰も好き好みはしないだろう──僕は気にしないけれど。
「やァ、僕は名探偵、江戸川乱歩! 此方は僕の友人の小栗虫太郎くんだよ──ポオくん、其の|格子縞首巻布《チェックネクタイ》くんは誰?」
「|格子縞首巻布《check necktie》?」
「君のことだけど」
僕が即興で付けた渾名を聞き返すダネイ。名前はとうに分かっているけれど、僕だけ自己紹介するのは何だか気に食わない。
「ハ、名探偵なら分かるだろう?」
何処か小馬鹿にした様に挑発するダネイ。
呆れながらリーが宥めているが、意に介していない。
(……本人が良いなら、いっか)
僕は軽く溜息をつくと口を開いた。
「……君の名前はフレデリック・ダネイだ。其方の無地|内衣《ベスト》くんはマンフレッド・リー。二人とも私立探偵で、同じ探偵事務所の経営者だろう。表だった顔は|格子縞首巻布《チェックネクタイ》くんの役割だけど、二人一緒に仕事はしているはずだ。ついでに言うと、君、最近交際相手と破局したんじゃない? あと、無地|内衣《ベスト》くんは文房具が好きなのかな? あとは──」
「おい、乱歩くん」
気持ち良く喋っていたところ、虫太郎くんが制止の声を上げる。
何か物言いたげに此方を見、二人組の方を見る。
(?)
其の視線の動きに合わせて二人組の方を見た。
「……」
流石に交際関係にまで言及するのは不味かったかもしれない。
僕だって“彼女”に意識されていない事に少なからず落ち込む事はあるのだ。
流石に悪かったなとは思う。
「あの」
「ん?」
「何故、分かったのですか?」
そっと問うたのはリーだった。
ああ、其のことか、と僕は腑に落ちる。
「仕事内容とかについては、今の君たちの話ぶりや靴の減り具合、服の日焼け具合とかからかな。
フルネームはちらっと見えた手紙に書いてあった。
交際については、其の|首巻布《ネクタイ》からだよ。それは少し前に発売された、有名ブランド物の新作。けれど、三揃は其処のブランドでは無いし、あまり頓着していない様に見える。詰まり、それは贈り物だ。消え物などでは無いものを送るという事は、ある程度は近しい人物だね。
で、其のシャツ。薄ら染みがある。贈り物を贈った親しい人は、其れを気にする様な人では無い、若しくは、其の人物が既に側に居ないか、だ。君が贈った可能性もあったけれど、其処のブランド品を、君は一切身につけていなかったから。
君が文房具愛好家、というのは、其のペンだこや衣嚢の染みから。このご時世、インターネットという便利なものがあるのにそんなものがあるという事は、日頃からそういったものを使用している証拠だ。染みになるほどインク漏れする、という事は、万年筆。万年筆は高いからね。万年筆を持ち歩く様な人は、余程の予定とメモ好きか文房具が好きなんだろうな、ってだけ」
理想好きな後輩を思い出しつつ、後半は喋る。彼もある意味文房具愛好家と言えるだろう。
呆気に取られた様にはあ、と息を漏らすリー。
流石、と言いたげなポオくんと、半分程度しか分からなかった……と悔しげな虫太郎くん。
突然、ダネイが声を上げた。
「それくらいは俺にも分かる! リー、訊かなくても……」
其の言葉に、僕は察した。
ポオくんへの言葉遣いに、僕たちへの視線。そして今の言葉──。
(一寸前までの黒外套くんを思い出すなぁ)
黒外套くん、つまりは芥川龍之介のことである。
先の『夢浮橋事件』『鏡の怪談』の中でうちの敦と少しずつ近しくなっていき、今では交際関係にある。
そうなる前の彼と言ったら、太宰への敬意と執着が恐ろしかった。
彼らは其処迄では無いが、近しいものがあると云えよう。
(ポオくんが、“謎解きは出来る”と言っていたのはこのことか)
挑発が発展していき、何かしらの、僕が心動かされるほどの事件の謎解きをできる可能性がある──そう言いたかったのだろう。
「面白そうだなァ」
ぽつり、と呟いた一言が聞こえたのか、虫太郎くんが僅かに頬を引き攣らせる。
けれど、そんな事も気にならない程には、僕の好奇心には火がつき始めていた。
「ああ……」
虫太郎くんの、呆れと諦めの浮かんだ声色にも、僕は耳を貸さない。
「ポオくん」
僕が名を呼ぶと、ポオくんはびくりと肩を揺らしたが、僕の目を見て察したらしかった。
「……矢張り、そうなるのであるな」
彼の顔には、諦めと、ほんの少しの期待が混ざっている。
彼は僕が“推理小説”なんてフィクションよりも、“謎”を求めていることを知っている。
そして、ダネイの挑発が僕の心を動かす可能性も予測していたのだろう。
僕はダネイに向き直る。
彼の顔にはまだ先程の動揺と、僕への対抗心が浮かんでいた。
「君の『それくらいは俺にも分かる』──てことは、君は僕と同じ『名探偵』なんだよね?」
ダネイは一瞬ためらったが、すぐに挑発に乗った。
「もちろんだ!俺たちはアメリカで何件も難事件を解決してきた探偵だ」
「ふうん。じゃあ、ポオくんの書いた“フィクションの謎”じゃなくてさ」
僕は口角を上げた。
目は猫の様に爛々と輝いていることだろう。
「君が今、僕という名探偵が心動かされる程の“現実の謎”を持ち込める? 君たちが日本に来た理由は、ただの“知り合いの心配”だけじゃないでしょう。その目の下の微かな隈と、鞄の草臥れ方から分かるけど」
僕の言葉に、ダネイは再び言葉を詰まらせ、その隣でリーが小さくため息をついた。
「乱歩くん、少し落ち着──」
虫太郎くんがたしなめる声を上げるが、僕は意に介さない。
謎の専門家は、常に刺激的で不可解な謎に飢えているものだ。
虫太郎くんも知っていることだろう。
ダネイは何かを考える様な沈黙の後、挑戦的に僕を見た。
「……いいだろう。ちょうど今、ポオさんに相談しようと思っていた、“解けない謎”がある」
リーが制止しようとするのを無視し、ダネイは続けた。
「元々俺たちが追っていた案件だ。殺人事件の様に|sensational《センセーショナル》なものではないが──確かな『|密室空間《locked room》』だ。江戸川乱歩。あなたなら此れが解けるのか?」
ポオくんは緊張した様に此方を見、虫太郎くんは僅かに目を広げさせた。
僕は自分の口角が上がるのを感じる。
「良いじゃないか。その『密室の謎』、話を聞かせてもらうよ」
眠り姫です!
新章、シリアスミステリーになると思いましたか?
なるわけありません!
作者はあの眠り姫ですよ?
こんなうら若き少女がセンセーショナルな事件なんて書ける訳ないじゃないですか(⌒▽⌒)
(紫:自分でうら若きって言うのか……)
多分、後半からしっかりと乱与が入り、そして物奇組+αがわちゃわちゃします。
ミステリーのカラクリは、天久鷹央や薬屋、スープ屋しずくetcのオマージュになると思います。多分。
ちょっと変えるかもですが。
(おう、がんばれ)
では、ここまで見てくれたあなたに、心からの感謝と祝福を!
藤夢 其の漆
「何、で」
「君の考えなんてお見通しさ」
何てったって僕は名探偵だからね! と胸を張る乱歩さん。その輝きとは対照的に、蝶壺の方は希望が潰えたかのような顔をしていた。
「解離性同一性障害を発症する人は……まあ、これは与謝野さんの方が詳しいんじゃない?」
「え、妾かい? あー、発症する主な原因は、大きな精神的ショックなど。それらから身を守るために、異なる人格を生み出す……ああ、もしかして、蝶壺が、アンタが、生み出されたのは──」
「ええ、裏社会で異能目当てに使われていた時です」
与謝野女医を遮るようにして言葉を発した蝶壺。その顔は深く踏み込んではならないような気配があった。だが、蝶壺は乱歩さんに向かって口を開いた。
「……そこの、名探偵様」
「なに?」
「もう貴方は全てわかっているのですね?」
「そうだね」
その肯定の言葉を聞くと、超壺は心を決めたような顔をして語り出した。
「主人格……あの子の名前は、藤式部。又の名を|藤原香子《ふじわらのかおるこ》、といいます──」
「事件の顛末は、名探偵様の言った通り。
二重人格の副人格である吾が、主人格であるあの子の願いを叶えるために事件を起こしました。
“吾”が生まれたのは、暗い屋敷の中でした。
そのきっかけは知りません。けれど、あの子は……藤式部は疲れていた。
吾は時折、あの子の代わりに表へ出ることがありました。
あの子の生活は、人間とは思えなかった。まるで、ただの異能の塊に対して行うような。
だから、吾は自分が表に出ているうちに、屋敷から逃げ出しました。
それからというもの、吾はあの子の唯一の話し相手でした──その中で知ったのです。あの子の夢を。
『人を幸せにしたい』彼女はそう言いました」
蝶壺はそこまでいうと、ふう、と息をついた。
蝶壺の、彼女たちの半生に触れようとしている。その緊張からか、それとも辺りに香る藤の香の所為か。
誰も声を発しなかった。
「そして吾は、蝶壺として、あの子が占い師として活動できる下準備を行った。
占い師として人の話を聞き、悩みを自らの力で癒すことができるように。
吾は癒す方法に、彼女の異能を挙げました」
木々でさえもざわめくことを躊躇うような沈黙が、私たちに流れていた。
何処か謎めいた雰囲気の所為か、彼女が話すにつれて藤の香りが濃くなっていくような気がした。
「あの子は当初は乗り気でした。
……あの子は、本来ならば広き世界を知るべき頃に屋敷に閉じ込められました。あの子は、香子は、幼過ぎた。そして、吾も。
夢だけを見せ続けることが、どんなに残酷で無慈悲なことか解っていなかったのです。
あの子は次第に渋るようになりました。けれども吾は……莫迦なことに、自分の行ったことの結果を認めたくなかった」
蝶壺は自嘲した。
矢張り、誰も口を開かなかった。
ただ、蝶壺に、その話に、魅せられていた。
「吾は、あの子に必死に説きました。『あなたが異能をかけたのは、世界に憤り、涙し、戦って傷を受けた人々。それでも生きたいと相談した人々。異能を解いて、現実に帰しても良いのか』と」
「……」
蝶壺の言い分を正しいという者もいるだろう。
けれど、異能を含めれば話は別だ。
生きて欲しいが故に幸せな夢を見せたのに、死なせているのだから。
「吾は……愚かでした。
愚かなものは、さらに愚行を重ねる。この場も、その一つです──
吾は、自らを消すために、舞台を整えました。其れが──此処です。真逆こんなにお客様がいらっしゃるとは思いませんでしたけれど」
「愚かな」
「ッ!」
蝶壺の首筋に、ぴたりと黒布が添えられていた。
芥川くんの羅生門だ。
「貴様の其れは、完全なる自己満足だ。この場を用意するためだけに、人虎と中也さんを手にかけたのか」
「芥川くん」
「単なる自己満足のためだけに、彼奴は今、悩みを晒されて眠っているのか!?」
「芥川くんッ!」
芥川くんが暴走しかけている。
蝶壺に詰め寄り、今にも黒布で締め上げようとした彼の肩を掴む。
与謝野女医も、医者としての矜持故か蝶壺を守るように側に寄った。
「ッ……ふふ」
「何を笑っている」
「いいえ──何も」
「、!?」
蝶壺がその言葉を発した瞬間、藤の香りが一気に立ち込めた。
笑っていた蝶壺の表情が、苦痛を耐えるような表情に変わっていく。
この表情は、真逆。
「待ちなッ!」
いち早くそれに気づいた与謝野女医が声を上げる。
そうだ、これは──
「アンタが消えても何にもならない!」
人格交代の、人格統一の、前触れなのだ。
蝶壺の額には、汗が浮かんでいる。
限界が近いのだ。
乱歩さんは静かに其れを見ている。
「……吾が消えることは、もう随分前から分かっておりました──ふふ、あの子に全てを背負わせてしまうことが如何にも口惜しいですが……」
辺りに立ち込めていた藤の香りは、薄まっていた。其れと比例するように、蝶壺の表情が苦痛に満ちていく。
立っていることもままならないようで、与謝野女医が駆け寄るが、彼女は其れを拒んだ。
「最後に訊かせて」
私は声を張り上げて尋ねる。
「見ている月は、同じ月?」
私の問いの意図を理解すると、蝶壺は地面に崩れ落ちかけながらも答えた。
「恐らくは、ほどは雲居に、巡り合う、まで」
蝶壺はその言葉を最後に、地面に伏した。
---
「ッ! おい!」
倒れて動かなくなった彼女に芥川くんが叫んだ。
「起こすンじゃないよ」
厳しい声を発したのは与謝野女医。
蝶壺──否、藤原香子を仰向けにし、脈を測っている。
彼女が異能を使わないところを見ると、気を失っているだけらしい。
「普通なら、人格の統一は時間をかけて行うものなンだ。けど、彼女はそれを一気にやった。負担が大きい筈だよ」
彼女はそう云い乍ら、不可解な顔をした。其れが気になったのか、乱歩さんが声をかけた。
「与謝野さん?」
「ン? あァ、いや。なんでもないよ」
与謝野さんは軽く笑って見せると、此方を向いた。
乱歩さんも同様だ。
「それで──」
先に口を開いたのは乱歩さんだった。
「答えは見つかったの? 太宰と、黒外套くん」
『|夢浮橋《ゆめのうきはし》』──中也と敦くんの“悩み”への、解決策のことだと、すぐに分かった。
芥川くんも察したらしい。
「ッええ」
「嗚呼」
「ふーん」
「──あァそういえば、敦がいる医務室の窓、開けっ放しにしてしまったかもしれないねェ」
「素敵帽子くんがいるところはマフィアの本拠地だっけ? 大丈夫かなぁ」
まるで二人だけで話しているかのように与謝野さんと乱歩さんが言った。
にやり、と二人が笑う。
其れはまるで、後輩を応援しているかのようで。
(行ってこい)
そう言われたようだった。
「社長の許しはもらってる。多分彼方の首領もじゃないかな」
「、 ──ありがとうございます」
「……感謝する」
私たちはそう云うと、その森から駆け出した。
どうも、眠り姫です!
今回、蝶壺こと、藤原香子/藤式部の独白編でした
ちょっと短かった、かな?
次回はおそらく『藤夢』完結編!
中也、敦が欲していた言葉はなんだったのか?
太宰と芥川の選択は?
どうか最後までご覧ください!
(最後と言っても、迷ヰ犬怪異談は終わりませんが)
最後に! ここまで読んでくれたあなたに心からの祝福を!
藤夢 其の捌
「太宰さん!」
「なんだい、芥川くん」
急ぎ足でヨコハマの街中へと向かう私に、芥川くんが息を切らしながらも追いついた。
私は歩を緩める。
「先ほどの、蝶壺との会話の意味は」
先ほどの会話──嗚呼、あれか。
『見ている月は、同じ月?』『恐らくは。ほどは雲居に、巡り合う、まで』
「あれはね、答え合わせだよ。異能の解除方法の、ね」
「?」
芥川くんが訝しげに眉を顰めた。
意味がよく理解できなかったらしい。確かに、この子が知っている可能性は低いか、と私は思う。
「昔から、“同じ月を見る”というのは“同じ思いです”ということだ。
そして、私が蝶壺に対し、一番最初に尋ねた、“人は眠っていても聞いているでしょう?”という言葉と合わせて考えると、“眠っている彼らを起こすには、彼らの思いと同じものを聞かせる必要があるのですか?”と私は尋ねたことになる。
そしてそれに対する返し……あれは、“どんなに遠く離れていても”という意味の、ある有名な短歌の一節なんだ。つまりは、“イエス”ということだよ」
「なるほど」
芥川くんは頷いた。矢張り、この子は理解が早い。……理解したものを使いこなすにはかなりの練習を要するが。
「彼らの思い……つまりは、悩みを解決するような言葉なのだろうね」
「……太宰さん」
「なんだい?」
「|僕《やつがれ》はなんと、人虎に云えば良いのでしょう」
そう言い乍ら視線を彷徨わせる姿は、私に拾われてきた当初の姿を思い起こさせた。
自分の道がはっきりとわからない迷子のような。
私はそれにくすりと笑うと、歩みを止めて芥川くんに目を合わせた。
叱咤されると思ったのか、芥川くんが体を硬くする。
「私にも其れは解らない。けれど、蝶壺と藤式部は其の答えを教えてくれた。
“同じ思いですか?”と私は聞いたんだ。私と彼は、同じ思いなのか、とね」
「、 」
彼ははっとしたように此方を見た。
何かを迷うように外套を握りしめる。
だが、数秒後には彷徨わせていた視線を確りと上げ、頷いた。
言うべきことが定まったようだった。
私は其れを確かめると、手を彼の肩においた。
偶には良いだろう。若い者を激励するのも歳上の仕事だ。
「!」
「頑張ってね」
「……太宰さんこそ」
「あは、一寸耳が痛い」
いつのまにか、私たちは森を抜け、街の中に入っていた。
右に行けばマフィアの本拠地が、左に行けば探偵社がある。
私たちはそれぞれの場所へと向かった。
---
嗚呼、疾くしなければ。
そう思っても、体の弱さは変わらぬもので。
羅生門を使っていても、直ぐに息が切れてしまう自分が恨めしい。
息も絶え絶えに、どのくらい移動した頃だろう。
「ゴホッ……、!」
建物の屋上から、探偵社の入るビルディングが見えた。
其の三階の窓の一つが開け放たれているのが見える。
(彼処か)
羅生門を使い、其の窓枠に足をかける。
清潔な白い|遮光布《カーテン》の向こうに、これまた白き姿が見えた。
音を立てても起きないと解ってはいるが、出来うる限り静かに降り立つ。
「……」
人虎は|寝台《ベッド》の上に寝かされていた。
其の首筋には、噂通りの藤の跡が付いている。
其の寝顔は、人形のようだった。
そっと近くへ寄る。
|僕《やつがれ》の言葉で、本当に目醒めるのだろうか。
此処に来るまでにもたげた疑問が再び頭を占める。
けれど。
『同じ思いですか?』
太宰さんの答えに、主犯の女は肯定を返した。
貴様と、思っていることが合致しているのなら。
それなら。
「────────」
此れが如何か、聴こえているように。
---
ポート・マフィアの黒いビルが見えてきた。
其れを視界に収めた頃、私は或る人物に連絡を取っていた。
私は仮にも裏切り者だ。
それなりの手引きというものが必要である。
ビルの真下に着いた時には、其の人物は私を待っていた。
「遅いぞ、太宰」
「すみません、姐さん」
手引きを引き受けてくれたのは紅葉姐さんだった。
時間は夜。赤い傘を差さない姿は久しぶりに目にした。
「行くぞ」
姐さんはくるりと踵を返して中に入ると、|昇降機《エレベーター》の釦を押した。
人払いをしているのだろう、ボーイや警備の者は目につくところには居なかった。
案外|昇降機《エレベーター》は早々にやって来て、私たちはそれに乗り込む。
姐さんが口を開いた。
此方には目もくれない。
「中也がこうなったのは、悩んでおった故のことなのじゃろう?」
「……そうですね」
「こうなってから、|私《わっち》は首領を問い詰めた。聞くに、彼奴は胃薬や睡眠薬を処方されておったそうじゃ。それも、随分と前から」
「……」
姐さんの声色は変化していないが、静かな怒りを湛えているのが空気でわかる。
其の怒りは、恐らく自分自身に、中也に、そして私にも向けられているのだろう。
「それが、お主等がムルソーから帰って来てから。もっと云えば、澁澤の件で汚濁を使ってからだとすれば、どう思う」
「……」
どちらも、自分と深く関わった頃だった。
「太宰、中也がお主の言葉で目醒めると、本気で思うておるのかえ?」
姐さんは静かな怒りを発散させつつ、此方に目を向けた。
「|私《わっち》は憤っておる。自分に、そしてお主にの」
「……知ってます」
「なら……」
「ですが」
「然うだとしても、私は伝えたいことがある」
此れは自己満でしかないし、彼が言い返せない状況で言うのは卑怯でしかないけれど。
漸く気が付いた、自分の気持ちを一度で良いから伝えたかった。
其れで彼が目醒めることが無いとしても。
彼が同じ気持ちで無いことなどわかっている。
然うだとしても、私は口に出したかった。
私は姐さんに負けないほどの強さを目に湛えて言った。
姐さんは私の目を見ると、ふいと目を逸らした。
「お主は、卑怯じゃな。そして、|私《わっち》も」
そう言うと、姐さんはふうっと息を吐いた。
「彼の子の悩みを、一度だけ聞いたことがある。」
「『彼奴は、どうしようもない放浪者で、社会不適合者で。俺のことなんて取るに足らない駒とでも思ってたんでしょうね』── |私《わっち》は何も云えなかった。此れを聞いたのも、随分と昔の話じゃ。|私《わっち》にとっては、の」
放浪者、社会不適合者。どちらも私を罵倒する時に、彼が使う言葉だった。
取るに足らない駒。
私がいつそんなことを言った?
莫迦も休み休み言って欲しい。
でも、きっとそう思わせたのは私なのだ。
どんな叱責も甘んじて受け入れよう。
「『俺が相棒であるか否かは、彼奴にとって下らないことだから』──不憫な彼の子に、そう言わせたのは太宰、お主じゃろう!?」
姐さんは、きっと此方を睨みつけた。
『俺が相棒であるか否かは、彼奴にとって下らないことだから』
──嗚呼、君はそんな風に思っていたの。
そんな意味ではなかった。
『そんな単純で下らないこと考えてる暇があったら、さっさと敵を殲滅してきなよ』
過去の自分の口下手さが恨めしい。
相棒であるか否か。そんなわかりきったことなど訊くな。僕たちは、相棒だろう、と。
そう言う意味で言ったのに。私はなんと言葉が足りないのか。
「そうです。だから、其れを改めさせて欲しい。どんなに卑怯で、不躾でも」
そんな言葉が足りない私に、其の言葉の継ぎ足しをさせてほしい。
今からでも、其れが間に合うのなら。
だから、私は君を守る砦のこの人に、会う許しを乞うているのだ。
「どうか、お願いします」
私は頭を下げた。
真剣なこの気持ちが、どうか伝わって欲しいと思い乍ら。
姐さんからは、今はもうなんの空気も感じられなかった。殺気ですらも。
「……|私《わっち》が言ってはいけぬことじゃろうが……彼の子は、相棒以上の繋がりを欲しておった。それでも、鈍い相手に其れが知られぬようにと隠し続けておった。
相手が勝手に、此処を出て行きおってからも……
お主に、今後を懸けて其れを満たす覚悟はあるのかえ」
姐さんの表情は、この体勢では見えない。
「ええ」
|昇降機《エレベーター》が開いた。中也の執務室が有る階だ。
「そうか……」
姐さんはそれからはもう何も言わなかった。
|昇降機《エレベーター》が閉まる直前に聞こえた嗚咽は、聞かなかったことにすべきなのだろう。
---
黒い扉を開けると、普段は|長椅子《ソファ》が置かれているのだろう場所に、簡易|寝台《ベッド》が置かれていた。其の上に、中也が眠っている。
「ッはは。これじゃあまるで澁澤の時と逆だ」
ふと、私が仮死状態になり、君が私を殴って目覚めさせた時のことを思い出した。
あの時は白雪姫と言ったが、今回は例えるなら眠り姫だろうか。
(目醒めのきっかけは、接吻ではなくて言葉だけれど)
『眠り姫』では、王子を手助けした妖精はこう言ったらしい。
『どうすれば良いのか、考えなさい』と。
(私はもう考えた)
自分でも卑怯だとは思っている。
けれど、真剣なのは、何に誓っても偽りではないから。
先ほど姐さんに言われたことを思い出す。
自惚れかもしれないけれど、思っていることは同じなのかもしれない。
少しくらい期待させて貰っても良いだろうか。
「──────」
私らしくない台詞になってしまったのは勘弁して欲しい。
---
僕は、不安だった。
彼奴に、引き合わされただけの僕が相棒として思われているのかどうか。
俺は、厭だった。
彼奴には駒としか思われていないと言うのに、こんな想いを抱えてしまっている自分が。
悩んで、悩んで。
でも、何も分からなかった。
消してしまおうとして。
けれど、出来なかった。
だから、異能にかかった。
だから、異能に屈してしまった。
これが夢だと気付いたのはいつだろう。
何故か、気付いてしまった。
自分に信頼を向ける彼奴が、
自分を大切にしてくれる彼奴が、
どうしようもなく辛くなった。
だけど。
『貴様は|僕《やつがれ》の相棒だ』
『愛しているよ』
嗚呼、これが本当なら。
((この夢から、目醒めたい))
僕は、俺は、差し込んだ声と光に手を伸ばした。
---
「ッ……んぅ……?」
「中也ッ!?」
声に手を伸ばしたところで目が醒めた。
耳馴染みの良いテノールが聞こえて横を見る。
「嘘、合ってたの……!」
「は?」
此奴にしては珍しく狼狽しているらしく、声が震えている。
「否、私が|先刻《さっき》言ったこと」
其の言葉を聞いて、夢の中で聴いた声を思い出す。
言われた言葉を頭の中で再生するうちに、頬が熱を持っていくのがわかる。
ちらりと太宰の方を見ると、此方の熱が伝わったかのように、頰を僅かに染めていた。
「……手前にしちゃ」
「わ、言わないで! 私らしくないのは分かってるから」
「え、」
「なに?」
「ほ、本気だったのか」
「は」
俺の言葉に太宰が間抜けな声をあげた。
言われた言葉の意味が分からない、と言った様子だ。
「え、嘘なわけないじゃない」
きょとん、という擬音が合いそうな仕草で首を傾げる太宰。
なに言ってるの君、と聞こえてきそうな顔を見て困惑する。
「いや、だって……」
「待って」
俺が理由を口にしようとすると、太宰が遮った。
額を抑え、気まずそうな顔をしている。
今日は表情豊かだな、と思い、少しばかり嬉しさが湧く。
「先ず、君の認識を変えさせて欲しい。君は、私に駒だと認識されている、と思っているのだろう?」
「ッ!」
理由として挙げようとしたことの一つだった。
こうも相手に言葉にされると、それなりにメンタルにくるものがある。
当たり前だろ、と返そうとすると太宰がまたしても遮った。
「違う。私は、君のことを駒だなんてこれっぽっちも思ってないし、相棒だと思ってる」
そう言うと、太宰は話し出した。
昔、自分が言ったことへの訂正と謝罪。
其れは、俺が思っていた鎖を少しずつ溶かしていった。
言葉が足りなかった、と力なく笑う此奴に、吹き出してしまう。
「一寸、なあに?」
「否、何でもねェ」
(嗚呼、でも良かった)
そう言う意味で、此奴が『愛しているよ』と言ったのなら。
此奴はこれ以上、俺に縛られることはない。
探偵社とマフィアが仲良くするなど、言語道断なのだから。
ましてや、恋仲になど。
抑も男同士なのだし、この気持ちは伝わらないままがお互いのためだ。
そう思っていたと言うのに。
「あと、もう一つ。言わせて欲しいことがある」
「この言葉で合ってるのか分からないのだけれど……中也のことがすき」
俺の目を真っ直ぐに見据えながら、此奴は願ってやまなかった言葉を口にした。
現れるはずがないと、とうの昔に諦めた未来だった。
「なん、で」
今にも、冗談だよ、そんなこと言うとでも思った? なんて返してきそうで恐ろしかった。
けれど、此奴は言葉を続けた。
「今回のこの事件、私は本当に怖かった。二度と中也が目覚めないんじゃないかって。考えてるうちに気がついたから。私が中也に向けているのは、“愛”なんだってね」
自分でもよく分かってないけど、と付け加える太宰。
だから──と続ける。
「中也、君が教えてくれないかな」
「、 」
息が止まる。
「君にこんなに悩ませていたことに気づきもしなかった自分が恨めしいし、こんな状況で告白する自分の卑怯さにも嫌気がさすけど──」
「私と、付き合ってくれませんか」
其の言葉を口にしているのは誰だ。
其の真剣な目を俺に向けるのは誰だ。
それが太宰だと認識した時、俺は同時に、自分の頬に何かが流れていたのを知った。
「え、中也? ご、ごめん泣くほど嫌だった!? そうだよね、ごめん」
俺は、慌てる太宰に首を振り、その砂色の|外套《コート》を引っ張った。
突然のことに僅かにバランスを崩す太宰の胸に飛びつく。
普段の自分ならこんなこと絶対にしない。
けど、今日くらい、こんなことがあった日くらい良いじゃないか。
「喜んで」
俺の小さな返事に、太宰は驚いたように肩を跳ねさせた。
其の数秒後に感じた、背中の暖かさと重みにこの上ない喜びを感じる。
お互いに一歩踏み出したばかりの二人が、窓に薄く反射していた。
---
「ッ……?」
「人虎……!?」
瞼の奥に光を感じて目が醒めた。
それと同時に、先刻まで夢の中で聴こえていた声が耳に届いて。
「へ?……ふぁっ!?」
「五月蝿い……耳に響く」
自分が寝かせられていたらしい|寝台《ベッド》の横に、芥川がいた。
体を起こし、周りをきょろきょろと見渡す。探偵社の医務室のようだ。時間は夜。
ふむ。
「いや、えぇえっ!」
「だから五月蝿いと言っているだろう」
「なんでお前此処にいるのさ!」
そりゃあ吃驚もするだろう。
敵対組織(今は停戦協定を結び、比較的友好な関係だが)の奴が隣にいるのだから。
しかも、自分の相棒が。……彼奴にどう思われているのか知れないが。
先刻の夢で光と共に聞こえた声を思い出す。
(あれが本当に言われた言葉だったら良いのに)
そう考えてしまい、軽く落ち込んでしまう。
そんな僕を気にもせず、芥川は先程の自分の問いに答えた。
「貴様を目醒めさせてやったのは|僕《やつがれ》だと云うのに、何で、とは。恩知らずめ」
「へ」
目醒めさせてやった? 僕が目醒めたい、と思ったのは夢で聞こえた声のお陰なわけで……
「『貴様は|僕《やつがれ》の相棒だ』と言ったではないか」
真逆、覚えていないのか? と首を傾げる芥川。
意味が分からん、みたいな顔をされても、僕の方が意味が分からないよ。
「僕の深層心理とかじゃないの!?」
「何故そうなる」
芥川が頭が痛い、とため息を吐いた。
(だって、お前がそんなこと言うわけないじゃないか)
人の脚を初対面で喰い千切り、その後の共闘でも憎まれ口ばかり叩くような奴が、そんなことを言うとは思えなかったのだ。
でも、言ってくれたと云うことは。
「だって、お前何も言わないじゃないか」
「其れは──貴様も同じように思っていると、ばかり……」
目を泳がせながら小声で言う姿に、ふは、と笑ってしまった。
むっとする芥川に、謝罪を返しながら思った。
結局、自分たちは言葉が足りなかったのだと。
此奴は思っていることを言おうとしなかった。
僕は、悩みをぶつけなかった。
けれど、お互いに“相棒”なのだと、擦り合わせができたのなら。
これからは悩みを抱えても、大丈夫だろう。
仮に同じように壁にぶち当たっても、話をすれば、きっと。
「ははっ……宜しくな、相棒」
「……此方こそ」
二人ともが、相棒だけでは説明できない感情を持っていることは。
空にある月しか、まだ知らない。
了
・
どうも、眠り姫です!
やった……やったぁ!
終わったぁ!
真逆の文字数約7000! 二倍! でも終わった! 嬉しい!
書き切った感があります!
(感嘆符多めだな)
あ、紫が初めてあとがきに現れた
(どうも、もう一人の主、紫です)
詳しいことは日記にあります
ってそれはさておき
満足です! まあまだ書く気でいますけどね!
特に太中! 紅葉姐さんグッジョブ!
もしかしたら今度番外編とかをあげるかもしれません。
でもひとまず藤夢編は終了です!
ここまでこの話を見届けてくれた方々、ありがとうございました!
また、私の小説たちを見てくれると嬉しいです!
そして! リクエストを募集中です
この文豪を今度出して欲しいと言うのがあればお寄せください!
どなたでも歓迎です
では、ここまで読んでくれたあなたに、私からの心からの感謝と祝福を!
藤夢 番外編
抜けるような青さの空だ。
こんな日には、同じ青さのラムネが飲みたくなってしまう。
今回の事件、夢浮橋事件に関わったきっかけも、こんな空の下だったことを思い出す。
太宰と黒外套くんが去って行った後、かなり時間が経ってから藤式部は目覚めた。
異能は自分の意思で解くことができるらしく、目覚めたあと、精神状態が落ち着いてから異能は解除された。
あの子を裁くことは難しい。
自らの中のうちの人格が犯行を教唆し、もう一つの人格がそれを実行した。しかも、実行した人格は次第に疑いを覚えていた。誰がどう頑張っても、正当に裁くことは不可能だろう。すでに教唆した人格は消滅してしまったのだし。
なので、僕たちは藤式部の身柄を異能特務課に引き渡した。
こんな特殊な事例も多数請け負っている機関だ。徹夜してでも頑張ってくれることを祈るしかない。
何より、僕にはそんなことは関係なかった。それよりも僕が気にしていたのは……
「よーさのさん」
「ン?……あァ、乱歩さん」
与謝野さんのことだった。
藤式部の容態を診乍ら不可解な表情をした彼女。
聞いてみれば、大したことはないとはぐらかす。
けれど、藤式部が特務課に引き渡されてから、何となくぼうっとしている回数が増えたようだった。因みに、今日の回数は12回。いつもが一桁なのを考えると多い方だ。
「まだ話してくれないの?」
「何がだい?」
「藤式部さんのこと」
ぴくりと与謝野さんは肩を揺らした。動揺が分かり易い。
でも、最初の頃はこんな動揺すらもできなかった彼女が、こんなふうに感情を見せてくれるようになったことに小さな喜びを感じる。
「後輩たちはくっついたし、もう一組も相棒としてやっていけそうだ。今後には何の問題もないだろう?」
「其れと此れとは話が別なンだよ」
因みにくっついた後輩というのは太宰とマフィアの素敵帽子くん。相棒の一組は敦とマフィアの黒外套くんのことだ。
人の幸福を誰よりも好む彼女のことだ。この二つの出来事は大いに喜ばしいこととして記憶しているのだろう。けれど、それを引き合いに出しても靡かないこととは。
「じゃあ取り敢えず僕の推論を言うけどね、君は、藤式部さんに何かを感じたんだろう? 感じたって言うのは、罪悪感か、もしくは懐古かな。ちがう?」
一先ず、今日までの数日間、考え続けて出した答えをぶつけてみる。
あの時の表情や其れからの表情、行動を読んでの推論だ。おそらく当たっていると思う。
彼女の反応を見るに、当たりらしい。
「乱歩さんには隠せないね」
「だって、僕は名探偵だから!」
「ハハッそりゃ違いない。……つまらない話だよ?」
「別に良いよ。与謝野さんのことを僕が知りたいだけだ」
僕がそう言うと、与謝野さんはくすくすと笑った。
それじゃアまるで口説き文句だよ、と言っている。
(本心なんだけどなァ)
与謝野さんは一向に気づいてくれない。
僕の気持ちはつゆ知らず、与謝野さんはそっと話し出した。
「|妾《あたし》と藤式部……藤原香子は知り合いだったんだ。否──友達だった。
妾が戦争で連れて行かれる前。家の和菓子屋を手伝ってた時だったかな。
彼の人は菓子を届けてた茶室の娘さんでね。妾よりも一寸歳上のお姉さんだった。
……人伝に聞いた話だけど、家があった一帯は、妾が戦争で騒動を起こした頃から寂れてったらしい。何でも、兵士からの手紙で妾のことを知ってた奴がいたみたいでね。まあ後はご想像の通りさ。
香子が裏社会へと引き摺り込まれたのは、話を聞いた年齢的に其れから少し後だ。
若し寂れて行かなければ、香子はそうならなかったかもしれないだろう?
然う考えると、虚しくてねェ……なんて、乱歩さんに言っても仕方ないか」
すまないね、と口にした彼女に、僕は言い返していた。
「仕方なくない」
「、 」
「だって、君。今どんな顔してるか分かってる? 教えてあげよう、泣きそうな顔だよ」
「!」
『虚しくて』然う言った彼女の表情は、今にも崩れそうな積み木のように不安定だった。
何が虚しいのか。
どんなに人を救っても、影に気づくその生がか。
馬鹿馬鹿しい。
だって、君は──
「君は、探偵社に入って、沢山の人を救ってきた。その分幸せになった。影がついて回るのは仕方ない。けど、それを上回るだけの幸せを、手に入れてやろうよ」
そうでしょ、与謝野さん。
自分を見据える僕に驚いたのか、与謝野さんはぱちぱちと目を瞬かせていた。
けれど、数秒後には先刻までの表情が嘘のようにくすりと笑った。
「全く敵わないねェ、乱歩さんには。惚れちまいそうだ」
然う言ってからからと笑う彼女に少々複雑な思いをする。
如何やら、僕の好意には全く気づいていなさそうだ。
後輩に恋愛術を教わる必要があるかもしれない。
(まあでも良いか)
僕は思った。
その顔に、『虚しい』と泣いた14歳の少女の影はもう無い。
その事実に僕は満足しながら青い空を見上げた。
一直線の飛行機雲が、明後日の方向へと伸びて行っていた。
眠り姫です
一応入れました番外編!
今後乱与も出てくるはずなのでその布石としてです!
今度藤式部についてまとめたものを出すかもです
では、ここまで読んでくれたあなたに、心からの感謝を!
白と黒のグリンプス 1
ねえねえ、こんな怪談知ってる?
何、それ?
寂れた裏路地に、時折現れる鏡の話!
その場には場違いなぐらいに豪奢な手鏡で、拾おうとして手を伸ばすといつの間にかボロボロになって消えていってしまうの
時折、その鏡に宿った霊に見初められるとその鏡を使う権利を得られる人もいる。
でも、その鏡を覗いた人はね──
「月は、いよいよ明るくなっていった……」
ふうっと蝋燭の火を吹き消す音が聞こえる。
蝋の燃える匂い。
膝を突き合わせて向かい合う部屋の中は暗い。
ゆらりと揺れる数本の炎が、謎めいた雰囲気を醸し出している。
「はい、ナオミ。次はあなた」
「分かりましたわ! 最近新しい噂を耳にしましたのよ」
そんな部屋の暗さを吹き飛ばすような楽しげな声が響いている。
きゃっきゃっと戯れる女性方を見て微笑ましいと思うと同時に、なぜ自分がこの場にいるのか不思議でならない。
「敦。ナオミの次はあなただからね」
「勘弁して鏡花ちゃん……」
僕の名前は中島敦。
故もわからず、怪談の集いに参加しています──。
何故こんなことになったのか。自分でもよく分かってはいないが、とりあえず整理してみよう。
ことの発端は、今日の昼休みだった。
「皆さん! 今夜怪談話をしませんこと?」
喫茶うずまきで昼ご飯をとっていたところ、ナオミさんが言ったのだ。
溌剌と話す妹の姿に、谷崎さんがツッコミを入れる。
「あのーナオミ、今はもう夏じゃないよ……?」
「やだ、お兄さま。怪談話の旬は決まっておりませんのよ!」
何でも、ナオミさんは“パジャマパーティ”なるものをしたいらしい。
けれども、ただするだけでは詰まらない。
ということで、怪談というコンセプトのもとで行いたいらしかった。
丁度明日は祝日。探偵社も休みだ。
ナオミさんの行動力は恐ろしい。
あれよあれよという間に、夜、僕は探偵社の応接間に集まっていた。
集められたのは、ナオミさん、与謝野先生、鏡花ちゃん、僕。谷崎さんはパスしたらしい。
正直羨ましい。
そして何故か……
「こういうのってすっごく楽しいのね、ギン! キョーカ、ナオミ、アキコ、ありがとう!」
「ぁ、ありがとう、ございます」
「これくらいなんて事ない」
「そうですよ、銀さま、エリスさま」
「うんうん」
……。一寸待ってくれ。
「本当になんでエリスさんと銀さんがここにぃ!?」
「別にびっくりさせる積もりは無かったのよ、ホワイトタイガーちゃん」
「敦、まだ言ってる」
何故ポート・マフィア首領の寵姫と芥川の妹さんがいるかというと。
この前、僕や中也さんが目醒めなくなってしまった『夢浮橋事件』。其の後、社長とマフィアの首領が同盟関係を強化したのだが。
愛弟子である中也さんが太宰さんと付き合うことになり、心配でたまらない尾崎さんが、それに乗じて鏡花ちゃんに定期的に報告をお願いしていたらしい。
そして、其の雑談の中で今日怪談をする、という話が上がり。
この二人にも伝わって行ったそうだ。
「怪談話は人が多い方が楽しいのです」
「鏡花が大丈夫だと判断してるし、社長も知ってるからねェ」
万が一があっても、と笑う与謝野先生。
何なんだこの二大ゆるふわ組織。平和なのはいいことなのだろうが。
平和にも程があるだろう。そして僕の場違い感が否めない。
「さあっ、次は私ですね! では、始めましょう……」
ナオミさんはそっと語り出した。
蝋燭のちろちろとした明るさが、ナオミさんの顔を照らし出している。
溌剌とした少女の声は次第に潜められ、百の声を持つ女性の声へと変化して行った。
学校で耳にした話です。ある生徒……仮にAとしましょう。
ある日のこと、Aは、学校も終わったため家へ帰ることにしました。
Aは裏路地を通り、歩いていきました。
家と学校を結ぶ道には二通りあり、一つは表通りを通る道、もう一つは裏路地を使う近道です。
その日はもう時間も遅く、空も暗くなってきたところでしたのでAは後者の道を使い、家へ帰ろうとしました。
ある裏路地を進んでいる時でした。
ふと、視界の端にきらりと光るものがあり、振り返りました。
……何もありません。
猫一匹すらも居ませんでしたので、ほっとため息をついて道に目を落としたのですが、その時Aは異物を見つけました。
それは、豪奢な手鏡。
美しい細工の施された“それ”は、寂れた裏路地には似合わないものでした。
天を向き、普通なら空を写すかと思われた鏡は、曇って何も写していません。
こんなに高価そうなものなら、探している人がいるに違いない。
Aはそう思い、その手鏡に触れようと手を伸ばしました。
しかし──
手鏡は指が触れた瞬間、煙のように跡形もなく消えてしまいました。
残ったのは、触れた感触だけ。
Aは不思議に思いながらも、家路につきました。
其の次の日。
Aは昨日の出来事を友人に話しました。
こんなことがあったの。
A……
何?
友人は目を見開いて、青ざめた顔でAに言いました。
命拾いしたね。
もし、鏡に写っている自分を見ていたら如何なってたかわからないよ──と。
其処迄言ってから、友人はしまった、というように口を塞ぎました。
冷や汗が、友人の頬をつうっと滑ったのを、Aは確かに目にし。
Aは友人に大丈夫かと問おうとしましたが、友人は、忘れてと言い、去って行きました。
それから、友人の姿を見た者はいませんでした──
ナオミさんはふうっと蝋燭目掛けて息を吹いた。
炎が大きなゆらめきを残して、ジュッと消えるのを、僕はぼんやりと見ていた。
隣にいたナオミさんがちょんちょん、と僕を突く。
「敦さん」
僕の番が来てしまったようだった。
僕は渋々、孤児院にいた頃に聞いた話を語った。
その後、銀さんが妙に現実味のある怪談を話したり、煙に酔ってしまったエリスさんを与謝野さんが介抱したりするなど色々とあったが、『怪談の集い』は特に何もなく終わった。
---
「芥川!」
「解っている」
僕は後ろにいる芥川に叫ぶ。
すると、不満げな声と共に彼奴の黒布が僕の前へ飛び出した。
僕は其れを駆け上がると、其の先にいた|標的《ターゲット》に向かって手刀を構える。
僕の姿を捉えた|標的《ターゲット》は、唇を戦慄かせて言った。
「まさか、あ、あの、“白と黒”……」
其の言葉を言い残し、標的は手刀で気絶した。
「遅い」
「煩いなぁ」
音もなく歩いてきた芥川は、黒布を操って標的を絡め取ると小言を放った。
捕縛された標的は、今からマフィアへと送られるのだろう。
彼は、危険ドラッグを売買した組織の長だった。
ヨコハマの夜を治めるポート・マフィアの預かり知らぬところで行った罰として、生き地獄を味わった上で消されるのだろう。
この数ヶ月で否が応でも覚えてしまったマフィアの掟を反芻する。
今日はポート・マフィアとの合同任務だった。
異能者がいる可能性があるため、僕と芥川が動員されたのだが。
「真逆またしてもあの名を聞かされることになるとは」
「本当だよ」
はあっと僕は溜息をついた。其れが不覚にも芥川と被ってしまい、気不味い思いをする。
「僕たちが“薄暮の白と夜の黒”なんて言われるようになるなんて……」
「全くだ」
“薄暮の白と夜の黒”。白と黒、なんて呼ばれたりもする。
探偵社に所属する僕と、マフィアに所属する此奴を表す渾名だ。
誰が言い始めたのかも分からないそれは、いつの間にか裏社会ではよく聞く名前になっていった。
勿論、先輩方の渾名である“双黒”には遠く及ばないが。
前をスタスタと歩く芥川を見る。
此奴に何の後ろめたさもなく背中を預けられるようになったのは此処最近からだった。
あの『夢浮橋事件』で相棒として認められていることが解ってから。
そんなことを思っていると、視線が気に障ったのか芥川が此方を見てきた。
「ほら、行くぞ。人虎」
「解ってるよ! ていうか其の“人虎”やめてくれない?」
「何故。人虎は人虎だろう」
「失礼じゃないか!?」
薄く笑った後、顔を戻した此奴の横顔を見る。
此の横顔を見ていられるのは後どれくらいかな、なんて。
そう思うと胸に乾いた風が吹いた。
---
僕は、厳しい孤児院育ちのせいか、人の感情が切り替わる瞬間が判る。
同じように、その環境の中思うようになったこともある。
それは、自分を信じてくれた人が、後どれほどで自分の元から離れていくのか。
探偵社の人たちは、僕のその疑いを何度も何度も壊して、正してくれた。
けれど、芥川はどうだろう。
僕に『相棒だ』と声をかけてくれた芥川。
あの仏頂面な相棒がそうでなくなってしまうのは、いつなのだろうか。
(分かってる)
それは、彼に対しての侮辱だと。
でも──お互いの思っていることが違ったら?
伝えればどんなことも乗り越えられると思っていた。
けれど違った。
これは、伝えればいいものじゃない。
だってこれはきっと──“恋”だから。
僕の一方的で、暴力的な思いだから、しまっておく方が賢明なんだ。
・
はい、始まりました。新章!
眠り姫でございます!
前に一度上げたのですが、大幅な加筆が出たのでもう一度上げなおしました!
すみません!
今回は題名からもわかるように新双黒組をメインにして書いて行きます
前回は取り敢えず相棒関係まで進ませて保留にしていた二人。今回は如何進むのか!?
次回、或る女性と敦。エリス、アンと遊ぶ。の2本です!
それじゃあ最後にー? ジャーンケーン、ポン! うふふっ
っと、ボケはここまでにしといて笑(紫:ボケが長い。読者が困ってるぞ)あ、はい。(今は日曜夕方の雰囲気はいらないんだよ)はい。
兎に角、ここまで読んでくれたあなたに、心からの感謝と祝福を!
そして気長に私を待ってくれると嬉しいです!
白と黒のグリンプス 2
芥川への、この恋に気付いたのはいつからだろう。
僕……中島敦は思った。
戦いの中でふと見た横顔を、綺麗だと思ったあの時には然うだったのかも知れない。
でも、彼奴の目に映るのはいつだって僕じゃない。
僕の先にある、太宰さんからの称賛と愛情だ。
彼奴がどんなに凍えていても、その手を温めてあげられるのは僕じゃない──
其処まで考えて、僕はふるふると頭を振った。
いけない。またぐるぐると考えてしまうところだった。
「敦」
凛とした声が耳に触れて、顔を上げる。
目の前には心配の色を含んだ鏡花ちゃんがいた。
僕はいつの間にか寮に帰ってきていたらしい。
「なあに? 鏡花ちゃん」
「……御飯、どうする? 夜だしお茶漬けが良いと思ったけど──」
「……ごめん、食欲が無くて」
僕はもう一度、謝罪を口にしながら押し入れの中の布団に入った。
お腹が空いていないのは事実だった。
如何しても食べる気がしない。
こんな時はさっさと寝てしまうのが良いものだ。
けれど、中々眠ることもできず。
襖を閉める前に不安げな顔を浮かばせた鏡花ちゃんに申し訳なさが募った。
---
私、鏡花はある悩みを抱えていた。
(最近、敦の元気がない)
自分を救ってくれた彼には、兄のような思いを感じている。
そんな彼がこうも元気がない。ましてや『夢浮橋』の直ぐ後ともなると……
そんな不安を感じ取ったのか、夜叉白雪が近くに寄ってきた。
刀を持たない袖でそっと背中を摩ってくれる。
白雪は独断行動もするから、こんなことがある。
「ありがとう。大丈夫」
そう言うと、背中の感触はゆっくりと離れていった。
けれど、この元気の無さが、異能の副作用のようなものであったら如何しようか。
「夜叉白雪、如何したら良い」
異能は自分の心理しか映し出さないとは分かっていても、こんな風に訊いてしまう。
夜叉白雪は、私の心理を映し出したようだった。
すっと差し出されたのは私の携帯。
其の画面には、或る人物の名前が映し出されていた。
「あにさま?」
あにさま──詰まりは中原中也のことだ。私の兄弟子のような存在でもあり、紅葉から其のように呼ぶよう言われた。
そして、私の異能に対する昔の価値観を否定せず、そして言葉を掛けてくれた、優しい人だ──あの時は其れを優しさとは捉えられなかったけれど。
そして、敦と同じ『夢浮橋事件』の被害者でもある。現在は探偵社の先輩の恋人でもある。
そんな彼の人なら。
「でも、連絡して迷惑にならない?」
少ししか接してはいないが、彼の人なら、こういう迷惑を迷惑とは思わない質の人物だろう。
けれど無理をかけるのは。
先ずは紅葉に連絡するべきだろうか。
抑も今は夜。彼方は仕事の時間だろうし──
其処まで考えて、私ははっと思い当たった。
あにさまの恋人である彼……太宰治に連絡すれば良いではないか。
彼の人なら敦を拾った人物でもあるし、師でもある。敦の状態は気にかかることだろう。
私は夜叉白雪と頷き合うと、携帯から連絡を入れた。
──この人の場合に時間を鑑みないのは、其れ相応の迷惑を、彼から受けているからである。
---
「其れで──」
「俺、というか、俺たちか?」
翌日の夕方、首を傾げる目の前の二人に、こくりと鏡花は頷いた。
「そう」
此処はあにさまの所持するセーフハウスの一つ。流石に申し訳なかったが押し切られてしまった。
そしてちゃっかりいる太宰。度が過ぎるようないちゃつきをちらとでも見せたら紅葉に告げ口しよう、と心に決める。
「けど俺は人虎──否、中島とは何の接点も何もないぜ?」
「でも『夢浮橋事件』の被害者同士であることは事実。何か分かるかもしれないと思って」
「なるほどねェ」
あにさまはふむ、と頷いた。あまり詮索するもんじゃないが──と前置きして話し出す。
「先ずは、其の悩みが『夢浮橋』での悩みが再燃し、発展したものなのか、似て非なるものなのか、其れとも全く関係のないものなのか──だな」
其の言葉に私は少し考える。いつ頃から悩んでいる様子が顕著になっただろう。矢張り昨日の状態が一番表に出ている気がする。
「昨日が一番悩んでいる様子が出ていたから、昨日何かがあったのかも」
「昨日?」
其の言葉に反応したのは、其れ迄黙って訊いていた太宰だった。
如何したのだろう、と私とあにさまは彼の方を見る。
然うすると、彼は少し思案するような表情を見せた後に言った。
「其の悩みには、私たちが口を出すのは野暮というものかもしれないね」
「何故?」
「然ういうものだからさ」
ぱちん、と片目を瞑ってみせる太宰。そんな気障な仕草をされても、意味がわからない。
……まあ、人の悩みにずかずか踏み分けて入るのは嫌厭されることだろう。
敦が言い出さないのなら、此方も口出すべきでは無い。
私だって、訊いてほしく無いことを詮索されるほど嫌なものは無い。
「確かに。あにさま、ごめん。押しかけて」
私はそう言って立ち去ろうとした。
けれどあにさまに止められる。
「気を使う必要はないぜ、鏡花。もう遅いし、夕飯食べて行くか?」
こてん、と首を傾げつつ、柔らかく微笑むあにさま。
夕飯。
其の言葉に私はぴくりと反応する。
あにさまは料理が上手だ。私は紅葉から料理を教わったので、彼も彼女から教わったのだろう。
けれど。
物凄く癪だが、恋人との時間を邪魔するのは。
そう思い、其の恋人の方を見ると、案外厭がるような素振りもない。
若しこれで厭がるような素振りを見せたら紅葉に報告するつもりだったので、命拾いしたと云う処だろう。
「じゃあ……遠慮なく」
「そうか!」
私がおずおずと云うと、嬉しそうな声を出し、あにさまは台所の方へ向かった。
其の後に続くようにして太宰も其方へ向かっていった。
ふと、自分が今はにかんでいるような気がして気恥ずかしくなる。
声が弾んではいなかっただろうか。
端ない姿を見られていないか、気になってしまう。
そんな彼女を、二人が優しい目で見ていたのには、気がついていないようだった。
---
鏡花が中也達に相談してから、数日後。
「これが、依頼……ですか?」
「そうだ」
そんなことは露ほども知らない敦は、依頼書を前に首を傾げていた。
書かれていたのは、妙に聞き覚えのあるもの。
(人を変える手鏡……?)
それは、数日前にナオミさんから聞いた怪談に良く似た話だった。
確か──。
『手鏡は指が触れた瞬間、煙のように跡形もなく消えてしまいました。
残ったのは、触れた感触だけ』
『命拾いしたね。
もし、鏡に写っている自分を見ていたら如何なってたかわからないよ──と』
ナオミさんの語った話を、朧げながらに思い出す。
消える手鏡と、映ることによるナニカ──そんな話だった気がする。
「最近、謎の手鏡が発見されるようになってな。触れようとすれば消えてしまう手鏡だが、ごく稀に触れることのできたものは、自分の姿を見た後に何かに怯えるようになってしまったらしい。誰かの悪戯や異能であることも視野に入れての調査が必要だと云うことで、警察から依頼が来たのだ。また──」
国木田さんが話すのを聞きながら、依頼書にざっと目を通した。
矢張り、あの夜聞いた話にそっくりだった。と云うか、そのままに近い。
ぺらりと頁を捲ると、ヨコハマの地図が何枚かに分かれて書かれていた。赤い印が数カ所についている。
「赤い印の部分は手鏡が発見された場所だ。被害者の家は、青い印だが、話を聞ける状態ではないことを覚えておけ。変に心的外傷を刺激しては困るからな」
「……はい」
僕は資料を手に自分の机へと戻った。
(如何しようかなぁ)
被害者の方々に話を聞けないとなると、捜査は行い辛くなってしまう。
赤い印の所を回って、共通点を探してみた方が良いだろうか。
異能である事を視野に入れると、裏社会に根ざす者の可能性もあるわけで。
(裏社会……)
ふと、自分の相棒を思い出す。数日前の共闘以来、会っていなかった。
鳩尾の辺りがきゅっと重く締まるような心地がする。
会いたい、なんて思ってはいけないのに。
この調子だとまた鏡花ちゃんに迷惑をかけてしまうだろうか。
僕はふるふると頭を振って、後ろ向きな状態に喝を入れる。
仕事だ。仕事をしなくては。
そう思い乍らもう一度資料を眺める。
裏社会の可能性なども考慮すると、矢張り。
(現地に行くべきかな)
現地で周囲の雰囲気を見る事で、わかることも幾らかは有るだろう。
僕は大体の検討をつけると、探偵社を発った。
---
其の前日の晩。
「失礼致します、首領。芥川です」
「嗚呼、入って良いよ」
自分──芥川は許しを得ると、音もなく部屋に入った。
荘厳なデザインの部屋の中、ポート・マフィア首領、森鴎外が立っている。
エリス様は機嫌が良いのか、一人で絵を描いていた。
窓を眺めていたのであろう首領は自分が入ってきたのを確認すると、机の前へと向かった。
「芥川くん、早速で悪いのだが、新たな任務だよ」
そう云うと、任務の概要が記された文書を手渡される。
何かの調査のようだ。地図が何枚かと、幾人かの情報が書かれている。
「手鏡の話は聞いたことがあるかい?」
「薄らとは」
この前、銀が楽しそうに話してくれた。何処で知ったのかはよく知らないが、話振りからエリス様も知っているようだった。
「最近触れると消える手鏡の噂が多くてね。ごく稀にそれに触れることが出来た者もいるのだが、其の多くが錯乱状態に近い状態になってしまっている。君には其の調査を頼みたい」
詰まり、下手人がいるのであれば其の者を探し出し、異能力者であれば連れて来なさい、と云う意味だろう。殲滅に比べると、ある意味難易度が高いとも言える。
「暫くは此れが最優先任務だ。書庫の資料を使っても構わない──実は、これは異能特務課からの秘密裏な依頼でね。此方としても恩を売りたい。君に頼んだのは其の為だ。期待しているよ」
然う締めくくると、首領は柔らかく微笑んだ。
「承知致しました」
自分は返答を返し、下がることにする。
引き留める声がない為、下がっても良いと云うことなのだろうか。
そう思い、ちらりと首領の方をみる。
丁度エリス様が絵を描きあげたようで、首領は既に此方に意識を向けていなかった。
「……失礼致しました」
自分はそう云って首領室を後にした。
---
(近頃、人虎の反応が鈍い)
書庫に資料が無いか確認しながら、そんな事を思った。
戦闘の腕が鈍ったと言うわけでは無い。
だが、ふとした瞬間の反応が鈍いのだ。
例えば、用があって呼んだときや、共同任務の帰り。
隣を見たときに、彼奴が此処に居ないような空気を感じる。
朝焼け色の瞳にある光が曇り、下瞼に影を落とす。
其れを見ていると、何故だか許せない様な、見ていたく無い様な、そんな焦燥感を感じるのだ。
如何にか光が灯って欲しいと思うも、其れを灯す術を自分は知らない。
然う思うことすら、これまで無かったのだから──
「……」
自分の不可解さと愚かさに嘆息しながら、資料を漁る。
パサリ。
「、 」
袖が当たったのか、其れとも羅生門が乱れたのか、積まれていた資料のうちの一つが床に落ちた。
羅生門を操り、其れを手元に持ってくる。
其れは、随分と昔のマフィアの構成員の書類だった。既に殉職している。
殉じたのは、自分が太宰さんの元へ行くよりも2年ほど前。
幻覚を見せる異能力者で、生前は準幹部だった様だ。
(斯様な人物が居たのか……)
惜しいものだろう。この人物が居れば、マフィアの力はより強大で有っただろうに。
(されど、今以上に強大な力を持っていれば、人虎になど会うことは無かったやもしれぬのだな……)
そんなことが思い浮かんだことに自分で疑問を感じる。
自分は溜息をつくと、再び資料探しを始めた。
・
お久しぶりです! 眠り姫です!
ちょっとずつ軌道に乗って来ました!
グリンプス以外に他のお話も書いておりまして、まだ速度は遅いとは思いますが、気長にお待ちください。
青春めいた雰囲気は苦手でして。太中の拗れたのは書きやすいんですけどね。なんででしょうね……
あと、最近私の文章って一文がかなり長いことに気がつきました。
並列と形容だらけで書いちゃう笑。
私は過装飾な文体が結構好きなんですよね。太宰とか谷崎とか。だからでしょう。多分。
では、此処まで呼んでくれたあなたに、心からの感謝と祝福を!
白と黒のグリンプス 3
「? 此処かな……」
僕、中島敦はヨコハマ市内のある裏路地を覗いていた。
中華街から少し離れた辺りの寂れた路地。
申し訳程度に取り付けられた街灯の硝子が割れてしまっている。塵が落ちていないところを見ると、定期的には掃除されているようだ。
此処は手鏡が目撃された地点のうちの一つ。
触れると消えてしまったケエスの場所だ。
そっと足を踏み入れてぐるりと見回してみる。
(まあ、有る訳ないよなぁ)
きらりと光るものは勿論、何かの気配すらもしなかった。
裏社会に根差していそうな場所を選んで見に来ているのだが。
(此処も収穫なしか……)
然う思って帰ろうとした、その時。
(ッ!?)
僕はバッと振り返る。
虎の暗視で、暗闇に蠢くものが見えた。
(なんで)
何で、お前が居る?
「!?……人虎?」
息が苦しくなるほどに惹かれる声。
「芥川……」
僕が、見ていたくて、けれど目を逸らしたくなる人物の姿だった。
「ッ何で此処に居るんだよ」
「愚問だな。……この依頼を入れたのは異能特務課。ならば探偵社にも依頼を入れていると思い、表社会からも接続しやすい場所を中心に探していたのだが……真逆貴様がいるとは」
対して表情も変えず──否、何時もよりも少し目が大きく開かれているだろうか。
彼方も少なからず驚いているらしい。
僕は然う思った。
(敵意は向けられていないみたいだ……良かった)
なんて小さく胸を撫で下ろしていると、芥川の纏う雰囲気が少し変わったことに気がついた。
ジリ、と画像が乱れるような、微かな不機嫌。
殺意とまではいかない微々たるものに、僕は心の中で首を傾げた。
芥川が口を開く。
「貴様、何故左様に目を遠くにやる」
「は」
僕の頭の中に疑問符が湧く。そして同時に警鐘が鳴り響いた。
僕の悩みを此奴に知られてはならない。
(だって、|露見《ばれ》たら、若しかしたら……)
そんな考えを頭から追い出すと、僕は芥川を見た。
「何でお前がそんなこと気にするんだよ」
「否定はせぬのか」
否定しないのは何故か、自分でもよく分からない。
若しかすると、“悩む”そのことを無い物にしたくない、と思っているのかもしれない。
僕の気持ちとは正反対な筈なのだが。
「貴様が現に有らぬようなのは気に食わぬ」
芥川がぽつりと漏らした言葉を耳が拾う。
雰囲気も更に苛立ったものに変わっている。
それに釣られるように、僕も眉を顰めてしまう。
「お前、其れはどういう意──」
然し、僕が口にした追及の言葉は途中から空気へ溶けていった。
同時に、芥川の注意も別のものへ向く。
「あれは──」
然う呟いたのは何方か。
目の端に映った、きらりと光るもの。
先程迄は、確かに無かった筈のもの。
僕はそれに吸い寄せられるように近づいていった。
「ッ人虎!」
芥川の声が聞こえたのは、夢か現か。
鈍色に輝く、豪奢な枠。
その中に嵌った霧がかる面。
近づくうちにその霧がすっと晴れ、僕の目は、僕を映した。
静止するように|帯《ベルト》が引っ張られる。
鏡に自分ではない黒が映った──然う認識したときには、僕の姿は白に包まれていた。
・
眠り姫です!
今回。死ぬほど短い。
でもキリいいのがここなんです!
許して!
でも多分此処からは筆が乗ってくる筈。
心情ばっかだから、私の好きな分野(キリッ)
ということで、更新遅くてすみません。
では、此処まで読んでくれたあなたに、心からのありがとうを!
白と黒のグリンプス 4
「ッ人虎!」
異変に気づき、叫んだ時には既に遅かった。
朝焼け色の目は催眠術に掛けられたように曇り、何も映していない。
否──手鏡のみを映している。
見えない糸を辿るように伸ばされた手は、手鏡に触れようと動いている。
(、 !?)
生気の感じられない、幽体のような形で引き寄せられていく人虎を引き留めようと|帯《ベルト》に手を伸ばした。
その時、気がついた。
此の行動は、悪手だと。
其の鏡に近づいてはならなかったのは、人虎だけでは無かったのだと。
(|失敗《しくじ》った……!)
然う認識した時。
其の時には、目は既に映り込んだ自分の姿を捉えていた。
同時に、辺りに霧が立ち込め始める。
掴んでいたはずの布の感触も薄れ、自分が立っているのかすら分からない。
妙に息苦しくなり、激しく咳き込んでしまう。
苦しさに瞑っていた目を開くと、霧が少し薄まり始めている。
(羅生門が扱えるところを見ると、澁澤のような異能ではないようだが……)
其の時、新たな気配を感じ、はっと顔を上げる。
霧の向こうに黒い影が見える。
いつの間にか人虎の姿は消えていた。
影の背格好は大人には到底見えない。
訝しみながらも少し其の影に近づいた。
あれは……
「銀?」
今の銀ではない。それはそれは幼い銀。
体調が悪いのか蹲って汗を額に浮かべている。
つい其の姿に近づこうと動くと、向こうからもう一つの影が動くのを捉えた。
『ぎん』
『にいに……?』
自分だった。
薄汚れた服を纏い、羅生門を満足に操ることすらできなかった頃の自分。
其の手には何粒かの錠剤が握られている。
貧民街では手に入れることが難しいような品。
(盗んだのだ)
自分のことだ。誰よりもわかっている自負がある。
幼い妹を治すために、人から強奪したのだ。
幼い銀がそれに手を伸ばしたところで、二人は砂のように掻き消えた。
「……」
幻像だろうか。
見ていて気持ちの良いものではない。
其の時。今度は後ろから強い殺気が感じられ、振り向いた。
殺気が向けられていたのは自分ではない。
だが、殺気を放っているのは自分自身だった。
後ろ手に、銀を庇いながら。
自分が羅生門を動かした。
相手を傷つかせ、怯ませたのだろう。
服に僅かに血が舞った。
幼子は其の姿のまま銀を振り返る。
『銀』
其の声は薬を渡した先程よりも大人びており、そして──
『もう大丈夫だ』
そして、僅かな甘さを纏っていた。
ぞわり、と背が逆立つ。
健全な甘さでは無い。この世の全てを相手に託したような、依存的な甘さ。
然うだ。
此の頃の自分の世界は、其の全てが妹に委ねられていた。
まだ七つにもならない、いつ死ぬか分からない妹を守り抜くことが、全てだった。
けれど、幼い自分は、幼い銀は、それに気付かない。
『うん』
銀が頷き、二人は砂城が崩れるようにして消えた。
その後も、二人は少しずつ大きくなっていく。
昔の仲間も現れた。
そして──
『ッ!』
あの出来事が起きた。
無惨にも殺された仲間たち。
命辛々逃げてきた銀。
彼らが砂のように消え去り、今度は別の場が現れる。
月、木、影、切株。
ここまでの幻像の傾向から、覚悟していた光景。
切り株の上に、王者のように座る──太宰治。
ぶら下がった希望と未来しか眼中にない自分。
『生きる意味を、与えられるか?』
『与えられる』
肩に掛かる外套。
慟哭。
月。
其れは、自分を象徴する、忘れられない場面で、そして──
恐ろしかった。
は、と息が漏れる。
自分の“其れ”は、悉く歪んだものだった。
太宰さんに、今の自分が向けているものではない其れ。
自分とは思えなかった。
けれども其れ等は、確かに自分が経験したことだった。
気付けば、二人は消え、場面は変わっている。
自分はもう18程だろうか。
殆ど今とかわらない。
『今度こそ、彼の人に認めさせる──今度こそ』
既に太宰さんがマフィアを離反してから数年が経った頃のことだ。
自分を部下として認めていないから、自分達の元から消えてしまったのだという思いが現れていた。
「……」
もう、見ることを辞めたかった。
けれど、然う強く願えば願うほど、幻像は存在感を増して行く。
惚けたように、それでいて確と幻像を見つめ続けた。
最後に現れたのは、白い|遮光布《カーテン》。
「、 」
何故。
然う思った。
『貴様は|僕《やつがれ》の相棒だ』
何故、此の場面が現れる?
ここまでの傾向からして、幻像として現れる基準は──。
其の時、|白い幻像《あつし》がふわりと笑った。
(嗚呼)
此れは──該当しているのかもしれない。
何故、太宰さんが中也さんの側にいる時に、あんなにも楽しげにするのか。
その理由がわかった気がした。
笑みを見た時に湧き上がる此れを否定することは出来なかった。
到底自分らしくはないもの。
其れを認めた瞬間、目の前にいた二人はふっと消え去った。
これまでのように、崩れるのではなく。まるで桜吹雪が舞うように。
(綺麗だ)
然う素直に思った。
此れは褒められるものではないが、隔たりが溶けていった姿は美しかった。
けれど、現実で此れが美しいものとなることは未来永劫ないだろう。
ふう、吐息を吐いた、その時。
「、 敦?」
小さな悲鳴が聞こえた。
(何処だ)
辺りをちらりと見るが、白い霧が纏わり付くばかりだった。
そんな間にも微かな嗚咽と悲鳴が続く。
焦燥感に駆られ、何処へともなく一歩を踏み出すと、白い霧が晴れた。
否、白い空間の中だった。
(此処は……!?)
思わず無防備にもぐるりと辺りを見る。
其処で、見つけた。
空間の端の方だろうか。
白い旋毛を此方に向け、座り込んだ姿があった。
「ゃ、ゃめ……ぃたいッ……ひっ」
時折上がる小さな悲鳴。痛みを耐えるように足先を掴んでいる。
守るように前に突き出された右手は、来るなと牽制しているようにも見えた。
(……何故)
何故、守るために異能を使わぬ。
然う思った。
それと同時に、少し前のことを思い出した。
『芥川』
『僕は、愚かか?』
『あの記憶から逃げたいと思うことは下らないか?』
あの言葉は、此奴の恐れと、心を如実に表した、叫びだったのではないか。
異能が恐ろしい。
記憶が恐ろしい。
師が、恐ろしい。
自分が──恐ろしい。
『ああ、下らぬ』
『何故ならば、苦しめる過去の言葉と貴様は、本質的に無関係だからだ』
|僕《やつがれ》の言葉もまた、叫びだった。
今、貴様は再び叫んでいる。
怖い。
痛い。
助けて。
他人の痛みを自らの痛みに変換してしまう故に言い出せない叫びを、自分は受け止めてられるだろうか。
相棒であると言うことすら出来なかった自分にも、叫びを聞き入れることが。
サラリ。
指に、何か通りの良いものが触れる感触がした。
気づけば伸ばしていた手は、確かに、白に触れた。
---
僕と、僕ではない黒が映った──然う認識した時には、僕は白い霧に包まれていた。
何で触れてしまったのだろう。
触れてはいけないこと、映ってはいけないことは分かっていたはずなのに。
自分の失敗で芥川までも巻き込んでしまったことが腹立たしい。
悔しさに唇を噛んでいると、小さな声が聞こえた。
後ろからだ。
(敵!?)
警戒心を露わに振り向くが、其処にいたのは敵では無かった。
──否、敵と言えるのかもしれない。
『ふぐっ……う……ふ、うぅ……ぁ』
痛い。
苦しい。
何故。
声を発する其れと、僕の心は同化していた。
白い、幼子。
僕だった。
懸命に目を擦りながら嗚咽を押し殺す子供。
堪えきれなかった雫が服に染みを作り出している。
その姿に足が竦んで動けない。
その間にいつのまにか幼い僕は消えた。
『彼奴がやった』
『自分の足に打て』
『私が憎いか?』
『地下に繋ぎなさい』
同室だったあの子。女性の先生。そして──
──院長先生。
絶望と、憎しみという歪んだ慈しみを渡してきた人が、入れ替わり立ち替わり現れる。
やめて。
然う口に出したのは、自分か、幼い自分か。
もう分からなかった。
痛い。
然う叫ぶ自分と。
仲間がいる。
然う背を摩る自分がいる。
弱い自分が嫌だ。
けれど、僕は強くなった。だから──。
──否、然う言えるか?
Qに襲われた時、僕は自分を憐れんだ。
船上で僕は芥川が倒れるのを指を咥えて見ているしか出来なかった。
空港では、芥川に叱咤されるまで、人々とドストエフスキーの何方を優先すべきか決められなかった。
異空間では、自分の幻想とはいえ太宰さんや芥川、院長先生を作り出さなければ進めなかった。
探偵社の人たちが空港に再び現れてくれた時、自分は安堵に涙を溢してしまった。
(否、違う)
だって、僕は。
探偵社の一員だから。
芥川の、相棒だから。
いつの間にか幻像は、その場面になっていた。
そうだ。
僕は芥川の相棒だ。
隣を許してくれる人がいる。
そう思った矢先。
幻像が変化した。
「僕……?」
それは、確かに僕だった。
同じ、齢18歳の僕。
けれど、何処かが違う。
僕は、そんな──
『邪悪じゃない?』
「!」
目の前の“僕”は言った。
そしてケラケラと笑う。
『嘘吐き』
童のような笑みのまま、素直な邪悪さを言葉に乗せて口から吐く。
『“僕”は暴力的で、邪悪な怪物だ。分かっているだろ?』
「やめ……」
喉が張り付いて声が出ない。
掠れた静止の声を絞り出すと、目の前の“僕”は掻き消えた。
“僕”は。
『敦くん』
「だ、ざいさん……?」
右の方から違う声が聞こえた。
嗚呼、これも何処か違う。
確かにあの人は意味不明で掴みどころがないけれど──。
『君には失望した』
偽物だ。
信じるな。
そう幾度も幾度も念じても、不信がヘドロのように溜まり始める。
本当に、彼の人にそう思われていないと確信できるか?
『君に“新たな私たち”は任せられない。私の目は間違いを起こしたみたいだね』
「待っ……」
外套の裾を掴むように手を伸ばす。
が、それは直ぐに痛みに変わった。
弾かれたのだと、考えるまでもなくわかる。
目の前の気配が消えた。
『人虎』
「ッ!……」
新たな気配は、後ろからだった。
「芥川ッ……」
『その口で名を呼ぶな』
ぴしり、と鞭を打たれたような痛みが言葉と共に降り掛かる。
『……』
その現像は、何も言わなかった。
ただ、僕が言葉を発そうとした事を、威圧で沈黙へと薙ぎ払う。
「待って、」
『弱者め』
その薄い唇が紡いだ言葉は、これ迄のどんな言葉よりも響いた。
『|僕《やつがれ》の、一障害にも成らん』
手が震える。
喉が渇いた。
痛い。
くるしい。
たすけて。
救いを求めて再び手を伸ばす。
その手には、痛みは感じられなかった。
ただ、何も感じられなかった。
向けられたのは、殺意も何も無い、凪きった瞳。
無関心だけが刻まれた二つの洞穴。
喉の奥から悲鳴が漏れた。
立ち上がれない。
孤独が、怖い。
こわい。
いたい。
たすけて。
……さむい。
その時だった。
頭の辺りに、細く、強い何かが触れた感触がした。
不確かな柔らかさで、一回。
確かめるように、二回。三回。
僅かに顔を上げたことにより、広まった視界に映ったのは。
「な、んで」
黒い、温かな外套。
嗚呼、これはきっと幻像じゃ無い。
「貴様はよく疑問を口にするな」
不器用で荒削りすぎる優しさは、本物の貴方しか持たないものだから。
・
眠り姫です!
まず謝罪をしましょう。
更新遅れてすみませんんん!
そして。
敦くんごめんねええ!
ごめん、こんな可哀想すぎる仕打ちをしてごめん。
いや、本当。反省してる。
改善しないけど。
私の鬼畜振りが……w
そして、芥川くんがスパダリになった、だと……!?
なんか、よく分からなくなってまいりましたよ!?
更新なるべく早く頑張りますので、気長にお待ちください。
では、ここまで読んでくれた貴方に、心からのありがとうを!
白と黒のグリンプス 5
「あくたがわ……?」
「左様。芥川だ」
恐怖と寒さの中で捉えた其の人物は、ぶっきらぼうな返事を返した。
けれど、今は其の“普段通り”が何よりも嬉しかった。
例えば、彼に掛けられた言葉の幾つかのように。
過去と言葉は違うと、言ってくれた時。
相棒だと言葉にしてくれた時。
其の他の沢山の言葉のように、其の存在は、与えられた細く差し込んだ光だった。
「! さ、|先刻《さっき》は……」
「気にすることは無い。……まあ、確かに愚行ではあったが」
「うぐっ……」
フォローしきれていないフォローに言葉を詰まらせる。
けれど、其の会話の中で、安堵が確りと僕を包んだのも事実だった。
(嗚呼、矢っ張り)
好きだな。
口にすることは無いけれど。
幻像を見て、痛い程に知った。
矢張り、僕は弱いのだと。
誰か一人の、“特別”を望んではいけないのだと。
でも、特別じゃなくても良い。
貴方は、矢張り僕を繋ぎ止めてくれた。
其の目に映ったと言う事実が有るだけで、僕は。
(だから、言わない)
僕は裾を払うと立ち上がった。
「で、どうするんだ?」
先ずはこの白い空間から出なくてはならない。
突然立ち上がった僕に芥川は驚きを隠せないでいたものの、直ぐに返事をした。
「そうだな。先ずは鏡を探し出すか、若しくは首謀者を──」
「探す必要はないよ」
「「!?」」
突然聞こえた声に、僕たちは動揺した。
周りを見回しても誰一人いない。幻像さえも存在していなかった。
「嗚呼、このままじゃ見えないんだったけ。──っと、これなら見えるかい?」
其の声と共に、ぱっと人影が現れた。被せられた布を取り払ったように、無から忽然と。
その人物は、不思議な人物だった。
女性的な顔立ちに、中性的かつフォーマルな服装。肩あたりで切り揃えられた髪が、余計に女性的に見させる。だが、声の低さは明らかに男性だった。
その人物は、僕と目が合うとニコリと笑った。
「貴方は……!」
芥川は何かに気がついたのか、目を見開いてその人物を見つめている。
謎の人物は芥川に向かってシー、と指を唇に当てると話し出した。
「君たちは実に不思議だね。これ以上ないほどに似通っていて、そして正反対だ」
「貴方は……?」
僕が口に出した問いにはその人物は答えなかった。
「君たちには、わかるかい? 感情の恐ろしさが。鏡の恐ろしさが」
「……」
先程、知った。
自分の醜さを。
弱さを。
芥川の顔が見えないが、反応を示さないところを見ると同じようなものを見たのかも知れない。
「萎れぬ花は無い。花の美しさは大地に委ねられる。全てを委ねた花には、別の地で育った花の美しさを知る術はない。人もまた、同じ──」
その人物は悲しげに目を伏せた。
その瞼には、何が映っているのか。
「人は解らない。共にいても不幸にするだけかもしれぬ。人はその怯えを抱える」
「ッ先程から何なのだ。何を言いたい」
芥川が声を上げた。
彼の目には困惑と、その先を聞くことへの怯えが僅かな浮かんでいる。
その人物は其れが聞こえなかったかのように目を瞑る。
そして此方に目を合わせた。
映るのは、哀れみと、恐れと、期待と──何だろうか。
「君たちからは懐かしい空気がする。恐怖と思いやりと贖罪──」
そう言うと、何かを思い出すように目を逸らした。
僕たちに戻した視線は、此方を見ているようで、何処か遠くを捉えていた。
ゆっくりとした瞬きをすると、彼は懐から何かを取り出した。
「! 其れは……」
「鏡だよ」
そう言って此方に伸ばした手には、僕が触れたのと同じ、鈍色の手鏡が握られていた。
鏡が彼を、僕を、芥川を曇りなく映す。
「壊せ。そうすれば、出られる」
そう言った其の目は、水鏡のように澄んでいた。
抵抗のない其の姿に、警戒を露わにしてしまう。
そんな僕たちに、その人物はくすりと笑った。
其の目は、水晶のように澄み切っていた。
「私に君たちを捕らえる利点はないよ──私も其れを望んでいる。心から。抑も、私は」
「承った」
彼の言葉を遮るようにして発せられたのは、芥川の了承の言葉だった。
彼も予想していなかったのだろう。
少し目を見張る。
「割れば良いのであろう。至極簡単なことだ」
「! ……有り難う。もう、これ以上無駄な被害は起こしたくない」
「待って」
悲しげに微笑んだ彼を見て、僕は制止の声を上げる。
察した。
彼は、鏡を壊せば、共に消えてしまうのだろうと。
だからこんなにも、感謝を示し、そして悲しげなのだと。
根拠も何も無い話だが、僕はそう感じた。
そして其れは正解なのだろう。
答えは、彼の表情が物語っていた。
「ううん。良いんだ。言っただろう? 私は、望んでいないと」
「けど……」
「私は美が、強さが欲しかった。けれど──幻のような、永遠の美しさを欲するほど、穢れてはいない積りだ」
其の目の強さは、其れが嘘偽りなき答えだと言っていた。
罠も、何も無い。
おそらく、壊して僕たちが出られなくなるような事は、無いのだろう。
其れは、芥川が一切の疑問も口に出さずに信じたことからも分かっていた。
「……分かった」
僕の口から発した了承に、彼は嬉しげな笑みを浮かべた。
「有り難う、本当に。君たちは、強いね」
其の人物は、全てを見透かしたような目で此方を見た。
そしてそのまま、手に持った手鏡を、芥川へと渡した。
芥川は、其の手鏡を黒布で巻き取ると、此方に体を向けた。
僕も破壊の手伝いをすることを許されたと言うことだろう。
芥川は、最後に彼に目を向けた。
「ごめんね、こんな目に遭わせて。けれど、確かに君たちは──」
パリン。
儚く、繊細な音と共に、彼は、空間は、消えた。
---
「終わった……?」
「……其のよう、だな」
僕たちの周りの景色は、白い空間の前の、寂れた路地に戻っていた。
足元には、手鏡の映る部分が粉々になって消えた枠が残っている。
「彼の人は……」
「彼の人は、もう大丈夫だろう」
大丈夫かな、そう言おうとした言葉は芥川によって打ち消された。
何故、と目で訴える。
其れに気づくと、芥川は少し目を逸らして言った。
「貴様は分かり易すぎる。考えなど顔に書いてあるも同然だ」
「な……」
「彼の人は」
僕が反論を言いかけた時、芥川はぽつりと言った。
「元マフィア準幹部だ」
其の言葉に僕は目を丸くする。
「其れって……」
「否、違う。太宰さんのように離反したわけでは無い。……殉職者だ」
殉職。つまりは、故人。
どう言うことだ、と困惑する。
澁澤やガブのように、異能が具現化した存在だったのだろうか。
僕の戸惑いには気づかず、芥川は続けた。
「此の任務の際、首領は書庫を使っても良いと仰った……可能性を見越していたのだろうな」
「……」
其の目には微かな同情と敬意が滲んでいた。
夜の世界に生きるものにしか分からない、敬いなのだろう。
其の横顔をぼんやりと見つめていると、芥川は此方に視線を移した。
不意にあった視線にどきりとする。
「彼の人の異能は、何だと思う」
「急に何を……」
「『対象にとって最も忌まわしい記憶と愛情を見せる異能』だ」
「!」
愛情というものが、何を指すかは対象の深層心理によって変わるらしいが、と芥川は続けた。
「断じて、明かしたくて言うわけではないが。僕は、妹と、太宰さんの記憶を見た」
予想していたことだ。
此奴が妹さんを大切に思っていることも、太宰さんを深く、深く敬愛していることもよく知っている。
けれど、矢張り其処に僕は含まれる事はないのだな。
然う瞬間的に思ってしまった自分が恥ずかしかった。
芥川は続ける。
「そして──、ッ……も見た」
「、 ?」
真逆、聞き間違いだろう。
小さい故の聞き取りミスだ。
そんな事、ある訳が──
「貴様を、見た」
其の言葉に、息が止まった。
「え……」
僕が漏らした声に、芥川は罰の悪さげな顔をする。
其の顔に、僕はつい反射的に謝罪の言葉を口にしていた。
「ぁ、ご、ごめん」
「止めろ」
「!」
芥川は然う言うと、つかつかと此方に歩んで来た。
僕の目の前で止まると、ぴたりと視線を合わせる。
「其の目を、止めろ」
「此処に無いような、浮世でないような。そんな風に曇らせるな」
嗚呼、もう。
如何してそんなに真っ直ぐに此方を見つめるのだろう。
汚れて醜い僕を、如何して。
何故。
「僕は、其の目には光が差している方が好ましく思う」
如何して、何度も何度も、僕を救い上げてくれるのだろう。
「愚かな程に真っ直ぐに、百面相をしている方が貴様らしい」
なんで……こんなに嬉しいのだろう。
「……おい」
芥川は突然訝しげな声を上げた。
否、訝しげなだけではない。少し、焦っているような。
「何故、そう悲しげなのだ?」
困惑と焦りが見て取れる声色に、僕は笑みを溢した。
『だって、嬉しいんだもの』
得られるはずが無いものが、例え、気まぐれでも今、与えられていることが。
でも、言葉にはできなかった。
口にすれば、不器用な癖に何処か優しいお前は、気を遣ってしまうだろうから。
それならば、いっそ。
「なあ、芥川」
「僕、お前のことが好きだ」
自分から、壊してしまおう。
相手が自分を好きになる事は、どうせ無いのだから。
罵倒して、蔑んでくれ。
此処で口にして、もう相棒ごと壊して仕舞えば良い。
嗚呼でも、然うすると探偵社に迷惑が──。
そう考えていた時。
目の前の相手が口にした言葉は、予想とは真逆のものだった。
「其れは……真か」
「へ」
如何してそんなに、何処か嬉しそうにするのだろう。
どうして、そんなに純粋な喜びと羞恥を表情に浮かべるのだろう。
ねえ、其れは──
「其れは、僕と同じように思ってくれていると、認識しても良いのか……?」
そう言った、相手の顔は、僅かに羞恥と困惑に染まっていて。
純粋すぎる其れに、いつしか僕は暖かさを感じていた。
「其れ、は、如何言う──」
「じん──否、敦」
呼ばれたことのない名前に、びくりと肩が揺れる。
嗚呼、もしかして。
「好きだ」
なあ、いつから、こんなに世界は優しくなったのかな。
探偵社に僕が入ったときには、そうだったのかもしれない。
たぶん、この日に腕が感じた暖かさと、相手の驚きと、微かに感じ取れた喜びは、忘れる事は無いと思う。
---
「敦ー」
「はーい、一寸待ってください」
鏡の依頼が終結してから暫く経った。
僕は変わりのない日々を探偵社で過ごしている。
(否──変わったこともあったか)
例えば、もっと仲間を、自分を信じれるようになったこと。
僕は、もっと強くなりたい。
物理的に、という意味ではなく、精神的に。
しなやかで、何度でも立ち上がれる強さが、僕は欲しい。
僕を支えてくれた人たちのように、人に安堵を与えられるような人間に成りたい。
其れを支えてくれる人たちが、僕には居るから。
もう一つ変わった事と云えば──
机の上に置いてあった携帯電話が微かにバイブした。
必要事項の|電子手紙《メール》だろうか、と思い確認する。
通知の正体を知った僕は、僅かに破顔した。
今日は早めに退社しようか、と考える。
好きな人からの|逢瀬《デート》のお誘いを断る者が何処に居ようか。
不器用ながら、僕には勿体無いくらいに優しい彼奴。
外に出て会う事は彼方の職業柄出来ないけれど、会うだけでもこんなに嬉しい。
「敦ー?」
「あ、すみません! すぐ行きます!」
僕としたことが。
思考を飛ばしてしまっていた。今は仕事中なのだから。頑張らなくては。
そう心の中で思いながら、呼ばれた方へと急足で向かう。
真っ直ぐに奮闘する、健気な白。
其れを支える、不器用ない黒。
其の二つをそっと見守る者がいることに気がつくのは、もう少し先かもしれない。
了
・
どうも! 眠り姫です!
あとで番外編を入れますが、一先ず本編は終了です!
前回よりも急足だったな……
そしていつもの眠り姫産ジブリ感満載展開……w
なんか中也さんの時もこんな感じだった気がするんだが……?
否、あんときよりも素直か。二人が。
ごめん。マンネリになったらすまん。
では、此処まで読んでくれたあなたに心からのありがとうを!
そして、もう少しだけ続くグリンプスを、どうか最後まで!
よろしくお願いします!
白と黒のグリンプス 番外編
(おや?)
いつもの如く、探偵社でだらだらと過ごしていた太宰は、とある一点に気を向けた。
細かくいうと、携帯電話を確認し、微かに口角を上げた後輩に、である。
(あの様子では、芥川くんか)
他人の恋路にとやかくいう趣味は持っていないが、知ってしまったものは気になるものである。
其れに、あの二人が今回の『鏡の怪談』で少々進展したのは察していたことだった。
『鏡の怪談』の件が解決してから、既に十数日が経った。
噂も収束に向かい、被害者たちも少しずつ落ち着いてきたとの報告もある。
全ては偶々鉢合わせた探偵社社員とポート・マフィアの構成員が、首尾よく鏡を破ることに成功したおかげだ。
けれど。
(今回の事件は敦くんには酷なものだったかもしれないな)
悪いことをした、と心の中で独りごちる。
可能性としては見ていたが、よもやそんな事はあるまい、と考えてしまったのだ。
(真逆、“似た異能”ではなく、“同じ人物”とはね)
敦くんに回ったあの依頼は、元々私が気になって目を通していたものだった。
囁かれる噂や、状況。
まるで、“彼の人”の異能だと思いはした。
けれど、彼の人……有島武郎は、既に故人の筈だった。
私も書類でしか知らない存在であったため、異能の詳細を知らなかったのも良くなかった点だろう。
其の点においては、少しばかりは反省している。
まあ、其のお陰で芥川くんが自覚し、敦くんの低い自己肯定感を少しでも高められたのならば。
『終わり良ければ全て良し』と云えるだろう。
(……少しばかり、気になる事はあるのだけれど)
其れは又、追々する事にしよう。
思考に然う結論付け、私は大きく伸びをした。
よっ、と|長椅子《ソファ》から起き上がると、自らの|机《デスク》へと向かう。
軽い音を立てる椅子を引いて座ると、溜まりに溜まった今日の書類に手を伸ばした。
向かいの国木田くんの方から恐れ慄く声が聞こえた気がする。
全く、槍が降るなど起こる訳無かろうに。
失礼な事である。
私だって真面目に仕事をする日くらいあるものだ。
(例えば、数ヶ月振りに恋人に会える日、とかね)
全く、あの|仕事中毒《ワーカホリック》蛞蝓。
いつまで仕事をすれば気が済むのだか。
と心の中で毒づく。
数ヶ月も恋人を放置するなんて莫迦じゃないのか。
けれど、会える事が楽しみなのは否定しようのない事実なもので。
私は溜息をつくと、|薄型端末《ラップトップ》を立ち上げた。
空の色は鉛丹色だ。
私にとって美しいと分類される色。
安息と陰謀渦巻く夜へと繋ぐ色。
・
眠り姫です!
太宰さんの時は一瞬でかけるというのに……
私のメインは太中だから仕方ないな。うん。
だって書きやすいんだよ! 太宰さんの心情って。
私敦くんみたいに心が真っ直ぐじゃないからさあ……
なんか小難しい事ばっか考えて、企みを巡らしつつも、中也さんに好き(好きには収まらないと書きましたが)をぶつけまくる太宰さんはすんごく書きやすいのよ。
もちろん腐ってなくても太宰さんとか中也さんは結構書きやすい。
……私にとってはね?
まあ腐ってなくてもブロマンスにはしちゃうんですけども。
では、白と黒のグリンプスを、最後まで見届けてくれたあなたに!
心からの感謝と祝福を!
そして迷ヰ犬怪異談を、これからもどうか宜しくお願いします!
幕間
ほのぼのしかないです。愛しさと良妻感が半端ないです。まあ、だから幕間なのですが。グリンプス番外編の次の日あたりかな?
・
「ん……」
瞼の向こうに差す光と肌寒さに、私は無理やり起こされた。
私、太宰治という人間は、朝は好きではない。
今日も生きている事を再認識させるから。
何よりも、起きる感覚が嫌だ。
何か、抗いようのない力に引っ張られ、緩み、また引っ張られ、を繰り返す様な感覚。
心臓までも操れる自分が操られている様な感覚が腹立たしくなる。
其の上、軽い立ち眩みもするのだから気分は最低だ。
「………ふぅ」
気怠さから目を逸らして目を開く。
ふと隣に目を向けると、居たはずの人物がいなかった。
少し手を伸ばして触れてみる。
温もりも残されていないことから考えると、随分と前に寝台から出て行ったらしかった。
ほんの少しの──否、それなりの物足りなさを感じる。
今日は珍しく休みがあったもので、昨日から泊まりに来ていた。
昨日だって、まあ、それなりのことはしたわけで。
(……薄情者……)
久方ぶりに会えたというのだから、もうちょっと安眠と休息を享受したかった。
起きてしまうと、“明日”へのカウントダウンが始まってしまう様で不愉快極まりない。
“明日”になって仕舞えば、“今日”は幻の様に消えて行ってしまうのだろうし。
(て、明日も生きること前提じゃないか……)
彼──中也といるとこんなことが多々ある。
そんなことがあるたびに、
嗚呼、私は彼に生かされているのだろうか、なんて。
思ってしまう事もある。
こんな死にたがりでさえも生かしてしまう彼。
(だから、幻と恐れるのかもしれないけれど)
そんな思いを気だるさと共に唇から吐き出しながら起き上がった。
「お、やっと起きたか!」
のろのろとリビングの方へ続くドアへと動き始めると、丁度其のドアが開かれた。
其の微笑みに、私はすとん、と何かが収まるのを感じた。
日光にきらりと反射する|金盞花《マリーゴールド》色を見る。
僅かに珈琲の香りが感じられた。
朝食の準備でもしていたのだろうか。
彼はすたすたと窓の方へ歩くと、鍵を開けて風を中へ招いた。
微風を孕んで、金盞花色がふわりと揺れる。
満足気に口元を綻ばせると、彼は此方に目線を戻した。
「朝飯出来てるけど、どうする? キツイなら無理しなくても──」
予想通りだったようだ。
私を見上げる昊色と目が合う。
其処に浮かんでいるのは、其れこそ天のように分かりやすい慈しみ。
其れを見て、私は自分を恥じた。
(幻、だなんて。薄情者はどっちだか)
そうだ、幻なんかじゃない。
自分自身で言葉を継いで、繋いだ核と核を、現実と言わずしてなんと呼ぼう。
「太宰?」
もう。憎たらしくも惹かれる此の声が、姿が。
愛おしくて堪らない。
私は吸い寄せられるように其の首と腰に手を伸ばし、自分の方に引き寄せた。
中也は僅かに肩を跳ねさせる。
「!? ……如何した」
ほら、今の君の声には、純粋過ぎる心配が現れている。
「何でもないよ」
只、したかっただけ。
そう答えれば僅かに憂いを残しながらも、心配の色は拭い去られていくのだから、いじらしい。
素直で、単純で、優しい。
捻くれた私よりも、遥かに光が似合うとは思う。
けれど、それ以上に、夜を纏う君が好ましいから。
そして私は、夜を纏うことはもうしないことにしたから。
生きる世界が違う故に、明日見る世界は違う物になる。
けれど、夜も光もない今日という日は、どうか。
ゆるりと、過ごそう。
・
https://shindanmaker.com/1094390#google_vignette
太中:今日は【たまにはゆっくり/ぶつかり合うのも仲良しだから】をテーマに、かいてみませんか?
でした!
眠り姫です!
“たまにはゆっくり”を使いました。
中也さんの髪の色、金盞花と言ったり、鉛丹色と言ったりしてますが、其の中間ぐらいを思っています。
金盞花はシワスさんの中也さん、鉛丹色は原作絵中也さん(10周年絵を目安に)の少し濃いめくらいです。
色んな髪の色がありすぎて……。光の加減でどうにかなってる説で、どうか。
ついでに言うと、中也さんの目の色は昊色と言っています。大体そうな筈。もしかしたら文脈によっては宝石に例えたりするかもですけれど。
ちなみに、同じ青目の織田作さんは、思慮深い海の色だと言う認識でいます。小説では鳶色ですけど、青目が好きなので……
と言うか本文の文字数が1429で、下3桁が中也さんバースデイ……!
では、ここまで読んでくれたあなたに、精一杯の感謝を!