閲覧設定
名前変換設定
この小説には名前変換が設定されています。以下の単語を変換することができます。空白の場合は変換されません。入力した単語はブラウザに保存され次回から選択できるようになります
1 /
目次
プロローグ:私達の日常
ミアレシティの再開発が進む華やかな表通りから、入り組んだ細い路地を三つ折れ曲がった先。そこに
は、都市計画から完全に取り残されたような、ボロボロの3階建ての廃屋がありました。
壁には大人が一人通れるほどの大きな穴が空き、そこを拾ってきたビニールシートで雑に塞いでいま
す。玄関のドアは蝶番が壊れて斜めに傾き、開け閉めするたびに「ギギィ……」と悲鳴のような音を立
てる。それが、つばさ、しおん、らこ、このみの4姉妹が身を寄せ合って暮らす「家」でした。
1. 灰色の朝と、透き通ったお粥
カチ、カチ……。
長女のつばさ(12歳)が、火力の弱い古いコンロで鍋をかき混ぜます。
中に入っているのは、お米の粒が底に沈んで見えるほど薄い、味のしないお粥。一人あたり、スプーンでわずか2口分。それが彼女たちの朝食の全量でした。
「はい、みんな! 今日の特製クリスタル・スープ(お粥)ができたよ!」
つばさは、持ち前の陽キャ全開の笑顔で、欠けたお椀を妹たちの前に並べました。
「見て、今日のお粥は一段と透明感があるね! ミアレの高級レストランでもこんなに綺麗なスープは出ないよ!」
「本当だ! つばさ姉ちゃん、天才!」
三女のらこ(10歳)も、お腹の虫が鳴っているのを無視して、明るい声で応えます。彼女もつばさと同じく、場の空気を盛り上げるのが得意な陽キャです。
しかし、二女のしおん(11歳)と、四女のこのみ(10歳)は、静かに俯いたままお粥を見つめていました。二人は内向的な陰キャ。空腹は、彼女たちの心をより深く沈ませます。
「……ねえ。お父さんとお母さん、今どこにいるのかな」
末っ子のこのみが、消え入りそうな声で呟きました。
「『お前たちみたいな、何の役にも立たないいらない子は、この街のゴミだ』って言われた場所……。あの日から、ずっとお腹が空いてる気がする」
しおんが、細い手でこのみの肩を抱き寄せました。
「……考えちゃだめ、このみ。あの人たちは、私たちを捨てた。でも、私たちは死ななかった。このボロい家があって、4人がいる。それだけで、あの人たちに勝ってるんだから」
しおんの言葉は冷たく聞こえるかもしれませんが、それは彼女なりの守り方でした。感情を殺さなければ、空腹と孤独に押しつぶされてしまうからです。
2. ポケモンセンターという「戦場」
4人はボロボロの私服を脱ぎ捨て、大切に手入れしている「ポケモンセンター」の制服に袖を通します。
このピンクと白の制服を着ている間だけは、自分たちが「路地裏の捨て子」であることを忘れ、街の一部になれる気がしました。
ミアレシティの巨大なポケモンセンター。
ここは、カロス地方中からトレーナーが集まる場所です。
「おはようございます! 今日もよろしくお願いします!」
つばさとらこは、フロントで元気よく挨拶を振りまきます。彼女たちの仕事は、トレーナーの案内や、重い荷物の運搬、そしてロビーの清掃です。
「あ、そちらのケガをしたケロマツくん、こちらへどうぞ! すぐにジョーイさんが診てくれますよ!」
笑顔を絶やさず、キビキビと動く二人は、センターでも「元気な双子(のような姉妹)」として評判でした。
一方、バックヤードではしおんとこのみが働いています。
彼女たちの担当は、モンスターボールの精密洗浄と、傷ついたポケモンに与える「きずぐすり」や「きのみ」の調合補助。
「……この傷には、オレンのみの配合を0.5パーセント増やしたほうがいい。炎症がひどいから」
しおんが静かに指示を出し、このみが正確に秤(はかり)を動かします。二人の無口で完璧な仕事ぶりは、ベテランのジョーイさんからも一目置かれていました。
しかし、華やかなセンターの光が強ければ強いほど、自分たちの現実とのギャップに心が削れることもあります。
昼休み、豪華なサンドイッチを頬張るトレーナーたちの横を通り過ぎるとき、4人のお腹は悲鳴を上げます。
「……いいな、あのご飯。私たちの1ヶ月分より豪華かも」
ふと漏らしたこのみの言葉に、つばさがパッと彼女の背中を叩きました。
「何を言ってるの! 私たちは、世界で一番価値のある仕事をしてるんだよ。あのトレーナーたちが冒険できるのは、私たちがボールをピカピカにしてるから! 胸を張って、このみ!」
3. 嵐の夜、雨漏りの歌
その日の夜、ミアレシティを激しい嵐が襲いました。
ボロ家の3階、天井の穴からは容赦なく雨水が滴り落ちます。4人は壊れたドアに板を打ち付け、バケツや空き缶を並べて雨漏りを受け止めました。
「わあ! バケツに落ちる音が楽器みたい! チン、コン、カンって!」
らこがリズムに合わせて踊り出します。
「つばさ姉ちゃん、これに合わせて歌おうよ!」
「いいね! ミアレ・レイニー・ライブの始まりだー!」
つばさらこが明るく歌い踊る中、部屋の隅ではしおんが、雨風に震えるこのみを毛布で包んでいました。
「……うるさいな、二人とも。明日の仕事に響くよ」
しおんが呆れたように言いますが、その口元はわずかに緩んでいました。姉たちの「無理矢理な明るさ」がなければ、この暗い夜を越えられないことを、彼女は知っているからです。
「ねえ、いつか」
このみが、毛布の中から顔を出しました。
「いつかお金が貯まったら、穴の空いていないお家に住めるかな。味がするお粥を、お腹いっぱい食べられるかな」
つばさは踊るのを止め、静かに3人の妹たちの横に座りました。
「住めるよ。絶対。私たちは、あの人たちに『いらない』って言われたけど、今の私たちは、ポケモンセンターに、この街に、必要とされてる。自分たちの力で、居場所を作ってるんだよ」
つばさは、節くれだった自分の手を広げました。
「私たちは、捨てられたゴミじゃない。ミアレシティの地下に根を張る、一番強い雑草なんだから。いつか、プリズムタワーのてっぺんよりも高い場所まで、花を咲かせてやろうよ」
4. 4つの鼓動
翌朝。
嵐が去ったミアレの空は、洗ったように澄み渡っていました。
4人はいつものように、たった2口の薄いお粥を分け合いました。
「よし! 今日も稼ぐぞー!」
つばさの声が、ボロボロの家に響きます。
「おーっ!」と元気に応えるらこ。
「……忘れ物はない?」と冷静にチェックするしおん。
「……頑張る」と小さく拳を握るこのみ。
壊れたドアを開け、4人は光の差す表通りへと歩き出します。
背後にある家は相変わらずボロボロで、お腹は空いたまま。
けれど、彼女たちの背筋は、昨日よりも少しだけ伸びていました。
誰にも必要とされないと言われた少女たちは、今、世界で一番ポケモンが集まる場所で、誰かの「ありがとう」のために生きています。
日常1:ある日の朝
ミアレシティの夜明けは、プリズムタワーの先端が金色に染まることから始まります。しかし、路地裏の廃屋に届くのは、湿り気を帯びた薄暗い光だけ。
「……うう、寒い。しおん、足、当たってるよ……」
一番下のこのみが、薄い毛布の中で身を縮めます。4人は狭い2階の一角で、お互いの体温を分け合うようにして眠っていました。
「ごめん。……でも、起きなきゃ。遅刻したら、ジョーイさんに迷惑かかる」
しおんが眠い目をこすりながら体を起こします。彼女の朝は、まず「家の現状確認」から始まります。
「つばさ姉ちゃん、起きて。……あ、もういない」
1階に降りると、長女のつばさがすでに動いていました。
「おはよー! 見て、今日の雨漏りバケツ、ちょうど満タン! これで顔が洗えるよ!」
つばさは、昨晩の雨で溜まった水を、ヒビの入った洗面器に移していました。ろ過なんてできていませんが、彼女たちにとっては貴重な生活用水です。
「らこ! 起きなさい! ほら、今日もミアレ一番の笑顔を作るよ!」
「……むにゃ。……おはよーっ! 今日はピカチュウを100匹なでる夢を見たから、縁起がいいね!」
らこが跳ねるように起きてきます。
4人は代わる代わる、冷たい水で顔を洗います。
そして、この家で唯一「綺麗」に保たれている場所へ向かいました。3階の、比較的雨漏りが少ない部屋にある、ガムテープで補強された古いタンス。
その中には、真っ白でシワ一つないポケモンセンターの制服が収められています。
「このみ、えりが曲がってるよ」
しおんが、このみの制服を整えてあげます。
「……ありがとう、しおん姉ちゃん」
壁に立てかけられた、割れて破片が足りない鏡。
そこに映る自分たちを、4人は真剣な目で見つめます。
「よし! 制服を着れば、私たちは『路地裏のゴミ』じゃない。ポケモンたちの味方だ!」
つばさがパン、と自分の頬を叩いて気合を入れます。
「……お腹、鳴っちゃった」
このみが恥ずかしそうに言いました。
「大丈夫! 仕事に行けば、お昼にジョーイさんがたまにくれる『余ったきのみ』が食べられるかもしれないよ!」
らこが励ますように笑います。
4人は、ガタガタのドアを丁寧にしめ、光の射す表通りへと歩き出しました。
日常2:ポケモンセンターのお仕事
華やかなセンターの舞台裏:4姉妹の戦い
ミアレシティの中心に位置する、巨大なポケモンセンター。
自動ドアが開くたびに、旅の疲れを滲ませたトレーナーや、元気をなくしたポケモンたちが次々と流れ込んできます。
フロントの太陽:つばさとらこ
「いらっしゃいませ! お疲れ様です、まずはモンスターボールをお預かりしますね!」
つばさ(12歳)の声は、高い天井に反響してロビー全体を明るく染めます。彼女は陽キャの資質をフルに活かし、不安そうな顔をした初心者トレーナーに駆け寄ります。
「大丈夫ですよ、ジョーイさんの腕は超一流ですから! その間に、このパンフレットでミアレのおいしいカフェでも探して待っててください!」
その隣で、らこ(10歳)は小さな子供連れのトレーナーをケアしていました。
「わあ、かっこいいフォッコだね! 毛並みがふわふわ!……ちょっと待っててね、今すぐブラッシングの道具を持ってくるから」
らこは、自分の空腹を忘れたかのような素早い動きでロビーを駆け回ります。彼女の笑顔は、重苦しい空気を一瞬で「希望」に変える力がありました。
二人は、自分たちが「路地裏のボロ家に住む捨て子」だとは微塵も感じさせません。
むしろ、この街で一番幸せな少女であるかのように振る舞うことが、彼女たちの誇りでした。
知識の砦:しおんとこのみ
一方、一般客の目には触れない「調剤・分析ルーム」。
そこには、無機質な機械の音だけが響く静かな空間で、しおん(11歳)とこのみ(10歳)が背中合わせに座っていました。
「……しおん姉ちゃん、このキズぐすり、少し色が薄い気がする。成分が沈殿してるかも」
このみが、試験管を光に透かしながら呟きます。陰キャで控えめな彼女ですが、視覚の鋭さは並外れていました。
「……本当ね。このロットは全部再検査しましょう。ミスは許されない。ポケモンたちの命がかかってるんだから」
しおんは表情を変えず、素早いタイピングでデータを更新していきます。彼女は、膨大なポケモンの症例データをすべて頭に叩き込んでいました。
「……第4診察室のルカリオ。さっきの波導の乱れからすると、ただの疲労じゃない。……このみ、ジョーイさんに伝えて。隠れた状態異常の可能性があるって」
「……わかった。すぐに行く」
このみは、影のように静かに部屋を飛び出します。
華やかなロビーで笑う姉たちが「太陽」なら、彼女たちは深海のように静かで正確な「知恵」。この4人が揃って初めて、ミアレのポケモンセンターは完璧に機能するのでした。
忍び寄る影と、4人の結束
夕暮れ時、センターの混雑がピークに達します。
疲労で足取りが重くなる中、4人は一瞬だけ、廊下ですれ違いました。
「つばさ姉ちゃん、あと少しだね」
らこが、汗を拭いながら小声で言います。
「うん、頑張ろう。帰ったら、また明日のお粥を煮なきゃね」
つばさがウインクして返します。
その時、しおんとこのみが、厳しい表情で二人の元へ歩み寄ってきました。
「……気を引き締めて。今、緊急搬送の連絡が入った。大規模な工事現場でポケモンたちが巻き込まれたみたい。ロビーがパニックになる」
しおんの言葉通り、遠くからサイレンの音が聞こえてきました。
「……わかった」
つばさが、キリリと表情を引き締めます。
「らこ、誘導準備! しおんとこのみは、裏で薬の準備を最大数で! 私たちが、この街のポケモンを守るんだよ!」
親に「いらない子」と呼ばれた4人は、今、誰よりも必要とされる存在として、嵐のような忙しさの中へと飛び込んでいきました。
空腹で震える指先を、制服のポケットの中で強く握りしめて。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
緊急搬送の嵐が一段落し、センター内に束の間の静寂が訪れた頃。
4姉妹は交代で、スタッフ用の小さなテラスへと集まりました。
そこは、再開発で見違えるほど美しくなったミアレシティを一望できる場所です。遠くには、香ばしいバターと甘い砂糖の香りを漂わせる「ミアレガレット」の屋台に行列ができているのが見えました。
3. 昼休みの約束:風に乗ってきた香り
「はぁ……。今日の午前中は、一生分動いた気がするね」
らこがテラスの柵にもたれかかり、ぐう、と鳴ったお腹を隠すようにさすりました。
4人の手元にあるのは、今朝の残りの「お粥」……と言いたいところですが、それはもう朝に食べきってしまいました。今は、冷たい水道水が入った水筒があるだけです。
「……ねえ、みんな。この匂い、届いてる?」
このみが、小さな鼻をひくひくさせて空を仰ぎました。
風に乗って運ばれてきたのは、ミアレ名物「ミアレガレット」の甘い香り。外側はパリッと、中はもちもちに焼き上げられた生地の匂いです。
「あーっ、もう! 匂いだけでお腹がいっぱいになりそう!」
つばさが、大げさに空気を吸い込んで笑いました。「いい? みんな。想像して。今、私たちの手の中には、焼きたてのガレットがある。一口かじると、口の中に幸せがじゅわ〜って広がるの!」
「……つばさ姉ちゃん、余計にお腹が空くよ」
しおんが呆れたように言いましたが、その視線もまた、遠くの屋台に吸い寄せられていました。1枚100円……。彼女たちの今の生活では、4人分揃えるのに何日分のお米代を削らなければならないか、すぐに計算できてしまいます。
「……いつか、食べられるかな」
このみが、ぽつりと呟きました。
「捨てられたあの日から、おいしいものの味、忘れちゃった。私たちには、あんなキラキラした食べ物、一生縁がないのかな」
その言葉に、テラスが少しだけ沈黙に包まれました。
高級な服を着て、親に手を引かれ、笑顔でガレットを頬張る子供たち。自分たちとは住む世界が違うのだと、突きつけられるような光景。
「……そんなことないよ!」
らこが、このみの手をぎゅっと握りました。「一生縁がないなんて、誰が決めたの? 私たちはここで一生懸命働いてる。誰かの役に立ってる。だから、いつか絶対に食べられるよ!」
「そうだよ」
つばさが、3人の妹たちを包み込むように肩を抱きました。
「今はまだ、このお水が私たちのご馳走。でもね、いつか4人で、仕事帰りにあの屋台に寄るんだ。『4枚ください!』って、胸を張って注文するの。ボロボロの家じゃなくて、新しいお家で、みんなで笑いながら食べるんだよ」
しおんが、静かに頷きました。
「……そうだね。その時は、一番おいしいって言われている、午後3時の焼きたてを狙おう」
「あはは! さすがしおん、冷静だね!」
つばさの笑い声に誘われるように、4人の間に明るい空気が戻ってきました。
「よーし! ガレットのために、午後の仕事もバリバリこなすよ! 待ってろよ、ミアレガレットー!」
4人は、お腹の虫の音を「景気付けの太鼓」に見立てて、再び戦場であるセンターのロビーへと戻っていきました。その背中には、冷たい水と甘い香りだけで膨らませた、確かな希望が宿っていました。
日常3:光と闇
ミアレシティに夜の帳が下り、プリズムタワーのイルミネーションが街を色鮮やかに彩り始めます。仕事終わりの4姉妹がセンターの外へ出ると、夜風が火照った体に冷たく刺さりました。
4. 帰り道:遠ざかる光と近づく闇
「お疲れ様でしたー!」
一歩センターを出れば、そこはきらびやかな別世界です。
つばさとらこは、さっきまでの「完璧なスタッフ」の仮面を少しだけ緩め、肩を寄せ合って歩きます。
「ねえ、見て! あのショーウィンドウのドレス、すごく綺麗……」
らこがふと足を止めました。高級ブティックのガラス越しに飾られた、フリルたっぷりのドレス。今の彼女たちが着ている制服も立派ですが、それはあくまで「借り物の居場所」です。
「……らこ、行こう。暗くなると路地裏は危ないから」
しおんが静かに妹の背中を押します。
光の溢れる大通りを外れ、街灯が一つ、また一つと減っていくごとに、彼女たちの足取りは慎重になります。華やかなミアレの影、そこが彼女たちの「現実」が待つ場所でした。
5. 帰宅:廃屋という名の城
「ただいま……」
ガタガタのドアを、外れないようにそっと持ち上げながら開けます。
家の中は、昼間の熱気が逃げてひんやりと冷え切っていました。電気は通っておらず、拾ってきたロウソクに火を灯すと、大きな穴が空いた壁の影が不気味に揺れます。
「よしっ、夜ご飯の準備だよ!」
つばさが努めて明るい声を出しました。
「夜は……えーっと、豪華に『お粥の温め直し』! 今朝よりさらにお米が柔らかくなってて、高級リゾットみたいだよ!」
実際には、鍋の底に残ったわずかな米粒を、多めの水で再び煮ただけのものです。
4人は薄暗い1階の床(畳も腐りかけているので、段ボールを敷いています)に輪になって座りました。
「……いただきます」
このみが、震える手でお椀を持ちます。
温かい水のようなお粥が、冷えた喉を通っていきます。たった2口分。胃袋を満たすにはあまりにも足りませんが、4人で分け合うその温もりだけが、彼女たちが「今日も生き延びた」という証でした。
「……ねえ、つばさ姉ちゃん」
このみが、暗闇の中で小さな声を漏らしました。
「私たち、明日もあそこで働けるよね? 追い出されたりしないよね?」
親に捨てられた記憶は、ふとした瞬間に彼女たちの足をすくいます。「自分たちはいつかまた捨てられるのではないか」という恐怖。
「大丈夫だよ、このみ」
つばさが、このみの頭を優しく撫でました。
「ジョーイさんも、みんなも、私たちのこと必要だって言ってくれたでしょ。私たちはもう、自分たちの力で立ってるんだから」
6. 就寝:夢の中のガレット
寝る準備といっても、ボロボロの制服を脱いで、大切にタンスへしまうだけです。
4人は2階の、一番雨漏りがマシな一角に集まりました。
「……しおん姉ちゃん、寒い」
「……おいで。みんなでくっつけば、少しは温かいから」
しおんが中心になり、4人は古い毛布を共有して、芋虫のように身を寄せ合います。
壁の穴から見える夜空には、ミアレの明るい光のせいで、星がほとんど見えません。
それでも、らこは天井のシミを指差して笑いました。
「ねえ、あのシミ、ちょっとミアレガレットの形に似てない?」
「えー、どこどこ? ……本当だ、ちょっと焦げ目のついたガレットに見える!」
つばさが乗り、二人の陽キャな笑い声が静かな廃屋に響きます。
「……ふふ。おやすみなさい、みんな」
このみが、姉たちの温もりに包まれながら、ようやく安らかな顔で目を閉じました。
「おやすみ。いい夢を……。明日はもっと、いい日になるよ」
しおんが最後にロウソクを吹き消しました。
真っ暗な闇の中、4人の小さな寝息だけが重なります。
お腹は空いていて、家はボロボロ。
けれど、明日もまた、4人で「あの場所」へ行く。
彼女たちは夢の中で、きっと、昼間に約束した焼きたてのガレットを、お腹いっぱい食べているはずです。
日常4:遅刻と秘密
ミアレシティに深い霧が立ち込めた朝のことでした。
いつもは壊れたドアの隙間から差し込む光で目を覚ます4人でしたが、その日は厚い雲が街を覆い、時間が狂ってしまいました。さらに、連日の疲れからか、目覚まし代わりの古い時計が止まっていることに誰も気づかなかったのです。
「……大変、みんな起きて!!」
しおんの悲鳴に近い声で、4人は飛び起きました。時計の針は、すでに始勤時間を過ぎています。
「嘘、どうしよう!」「早く、制服着て!」
つばさとらこは慌てて着替え、このみは半泣きになりながら靴を履きました。4人は朝食のお粥
を食べる間もなく、ボロボロの家を飛び出し、ミアレの大通りを全力で駆け抜けました。
しかし、ポケモンセンターに辿り着いたときには、すでに大きな混乱が起きていました。朝の診察を待つトレーナーの行列ができ、受付にはスタッフが足りず、困り果てたジョーイさんの姿がありました。
その日の終業後、4人は事務室に呼ばれました。
ジョーイさんの前に並んだ4人は、心臓が口から飛び出しそうなほど緊張していました。
「どうしてあんなに遅れたの? いつもは誰よりも早いくらいなのに」
ジョーイさんの問いかけに、しおんは思わず身を固くしました。
本当のことなんて、絶対に言えません。もし、親に捨てられて、4人だけで穴だらけの廃屋に住んでいることがバレたら……。「子供だけで住むのは危ない」と大人たちに判断され、4人は別々の施設に引き離されて、バラバラになってしまう。それだけは、何があっても避けなければなりませんでした。
つばさが、慌てて前に踏み出しました。
「すみません、ジョーイさん! あの……実は、妹のこのみが、今朝ひどい腹痛になっちゃって。……でも、家には電話もないし、放っておけなくて、みんなで看病していたんです!」
「えっ……お腹が?」
ジョーイさんが心配そうにこのみを見ました。このみは咄嗟に話を合わせ、ギュッとお腹を押さえて苦しそうな顔をします。
「……うん。でも、今はもう大丈夫。みんなが、ずっとそばにいてくれたから……」
「……お腹が痛いなら、どうして連絡を入れなかったの? 近所の人に頼むとか、公衆電話からかけるとかできたはずでしょう?」
ジョーイさんの鋭い指摘に、しおんが静かに補足しました。
「……すみません。私たちの住んでいるあたりは、最近再開発で近所の方も引っ越してしまって……。パニックになって、電話のことまで頭が回りませんでした。本当に、すみません」
しおんの嘘は、半分は真実でした。確かに、彼女たちの住む路地裏には誰もいません。
ジョーイさんはしばらく4人を見つめていましたが、やがて小さくため息をつきました。
「……わかったわ。でも、次からは必ず誰か一人が先に連絡に来ること。いいわね?」
「はい! ありがとうございます!」
事務室を出て、人気のない廊下まで戻った瞬間、4人は一斉に肩の力を抜きました。
「……危なかった。心臓が止まるかと思ったよ」
らこが震える声で呟きました。
「……ごめんね、このみ。変な嘘ついちゃって」
つばさが謝ると、このみは首を振りました。
「いいよ。……離れ離れになるより、ずっといいもん」
嘘をついた罪悪感と、給料が減らされた絶望感。
それでも、4人は顔を見合わせ、お互いがそばにいることを確かめ合いました。
ボロボロの家、空っぽの胃袋。
けれど、4人が一緒にいられる「秘密」だけは、今夜も守り抜くことができたのでした。
日常5:アイスクリーム伝説(?)
給料が減り、お粥さえもさらに薄くなったある日のこと。
ミアレシティの街角にあるゴミ捨て場を通りかかったらこが、捨てられたばかりのファッション雑誌を拾い上げました。
そこには、眩しいほどの極彩色で描かれた「アイスクリーム」の特集ページがありました。
「……ねえ、みんな見て。これ、アイスっていうんだって。冷たくて、甘くて、口の中で消えちゃう魔法の食べ物なんだって」
廃屋の薄暗い2階で、4人はそのページを囲みました。
このみが、写真に写ったピンク色のストロベリーアイスをそっと指でなぞります。
「……冷たいのに、甘いの? お粥みたいに熱くないんだ……」
「これ、1個で私たちの1週間分のお米が買えちゃうよ」
しおんが冷静に、でもどこか寂しそうに呟きました。
今の彼女たちにとって、アイスは月にある宝石を欲しがるような、あまりにも遠い夢でした。
けれど、一度芽生えた「食べてみたい」という気持ちは、空腹と一緒に4人の胸を締め付けます。
「よし! 作ってみようよ!」
つばさが、いつものようにパッと顔を上げました。
「えっ、どうやって?」
らこが驚いて聞き返します。
「材料はないけど、冬の夜に溜まった『綺麗な氷』はあるでしょ? それに、この間ジョーイさんにもらった、薬の調合で余った『あまいミツ』の小瓶が少しだけ残ってる!」
4人はさっそく動き出しました。
しおんが清潔なボウル(もちろん、ヒビが入っていますが)に、屋根の影で凍っていた透き通った氷を集めます。それをこのみがスプーンの背で一生懸命に砕き、らこが「おいしくなれ、アイスになれ」と呪文をかけながら混ぜました。
最後に、つばさが大切に取っておいた「あまいミツ」を、宝石を落とすように一滴ずつ、砕いた氷の上へ垂らしました。
「……できた。私たちの、ミアレ特製アイス!」
4人は、小さなスプーンに一口分ずつ、その「ミツのかかった氷」を乗せました。
「せーの……!」
口に入れた瞬間、キーンと冷たい感覚が舌の上を走り、その直後にミツの優しい甘さがふわっと広がりました。
「……冷たい! でも、すごく甘いよ!」
らこが頬を抑えて声を上げました。
「本当だ……。本物のアイスじゃないかもしれないけど、こんなに幸せな冷たさ、初めて」
このみが、目を細めて味わいます。
「いつか、本当のアイスを食べようね」
つばさが言いました。
「カップに入ってて、チョコレートがかかってて、溶けちゃう前に4人で急いで食べるんだ」
「……その時は、頭がキーンってなっても、笑いながら食べようね」
しおんも、冷たい氷で少し赤くなった唇を緩めて微笑みました。
窓の外では、高級なアイスショップのネオンが輝いています。
けれど、穴の空いた家の中で、分け合ったたった一口の「氷のアイス」。
その冷たさは、彼女たちの絆を、よりいっそう温かく結びつけてくれるのでした。