最後の奴です。50個くらい入る気がします。
なお、小説を書くモチベが尽きたようで、エッセイが中心のようです。
※途中でスマホが壊れました。どうしよか……
~第一弾~
https://tanpen.net/novel/series/9506337a-33f5-405c-bab5-ddf449f44075/
~第二弾~
https://tanpen.net/novel/series/0b1e4a8a-763d-460b-ac67-6df2d261a615/
~第三弾~
https://tanpen.net/novel/series/fd614f32-50ee-4697-8381-f445232a6036/
~第四弾~
これ
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目次
傘の中の秘密
2025/6/3 18:31:02
傘の中の秘密。
傘の柄と言えば、外側の布地を想定するが、別に裏地にデザインがあってもよいのだ。
外側と内側。同じ色、同じ布地、同じデザイン。
揃える必要のない遊び心が、日常を彩る。
そういうアイデアから商品が作られたのか、そういう傘を見たことがある。
傘を開けば自分好みの世界。見た目はただの紺の傘だが、裏地にはいっぱい推しのキャラがプリントされている。
傘を開けば、推しに会える。そういう風に、身近に寄り添う商品を思いつけるといいなって思う。
約束だよ
2025/6/4 12:10:02
約束だよ。
理科室に入ると、アルコール薬品とマッチの消えた残り香が溶け込む雰囲気に囚われる。
整然と仕舞われた試験管、ビーカー。厳重に施錠されたカシミール地方のような化学薬品棚。上下に移動する黒板。机、椅子、白い布で隠された顕微鏡。使ったことがある水道と、使ったことがない水道。ほこり臭い、カビ臭いにおい。
あそこだけ、教室とは違う世界観で動いているような。
一歩入る行為、それが誓願に似た何かを意味する。
授業だからという約束の元、縄張りに入ることを維持的に許可されているようで、本当は隠し階段のような目線で主は監視しているような。そんな不穏な気がするのだ。
恋か、愛か、それとも
2025/6/5 18:57:55
恋か、愛か、それとも。
Twitterに住んでるクリエイター紹介。
二次元のオリキャラの絵を描いてる人なのだが、オリキャラ絵と言っても人の形でなく、ゆるキャラ系の、擬人化した絵を描いている。つくも神風の道具に魂が乗り移る系だ。顔はデフォルメテイストにありがちな、黒い粒目に小文字のオーム。「ω」である。
道具に魂を宿すことは難しい。最近はAI絵師が絵師と名乗る者も割といるようだが、この人はそんな小細工、必要ないだろう。
かまぼこたん。ホットケーキたん。大根のヘタたん。
かまぼこたんは半月状に切られ、桃色に縁取られている。ホットケーキたんは、四角く切られたバターを乗せ、ハチミツを垂らされている。大根のヘタたんは、多少緑のヘタがリーゼント気味になっているが、白い身体であるダイコン部分を軽くつぶして、違和感を無かったことにしている。
絵師が中心であるが、時々暇になるらしい。
一日中、紙粘土をこねていたらしい。赤白緑など、色付き粘土を組み合わせ、オリキャラの実物立ち姿をSNSに投稿していた。それが精巧に作られていて感嘆の「いいね」を押してしまう。
先ほど紹介した3人?のオリキャラたちも紙粘土で作られていた。元絵と実物再現された紙粘土の比較があげられた。左は元絵、右は紙粘土。平面から立体への進化。瓜二つ。そっくりだった。
最近はグッズ化も挑戦しているらしい。
オリキャラの一つである金魚鉢たんも、何とかして平面から立体にさせようとクラウドファンディングをして寄付を募っている。紙粘土では飽き足らず、クッションにするらしい。鉢を透明なプラスチックケースにして、クッションケースとして出し入れする形。
アイデアがクリエイターだ。
鉢の形は、つぼ型で、口は人間の首のようにくびれているタイプだ。鉢の中には淡水と、揺らめく水草と、デフォルメされた赤い金魚が一匹いて、泳いでいる。
ふわぁ……と金魚があくびをすると、金魚鉢たんもあくびする。移るんだ! と金魚が快活に言葉を投げかけ、鉢はにっこり。鉢の性格はルンバに乗って降りられなくなったり、ずっこけて中の水を零して泣いたりなどおっちょこちょい。でも、泣いた涙で中の水が補充されるという、目がどこについてるのか考えたくなる。
つまり、かわいいということだ!
わるるぎ(@warurugi)
主にゆるかわいいものを描いている人。たまにレジンを使った創作もする。
https://x.com/warurugi/status/1929859405060755557
水たまりに映る空
2025/6/7 10:45:23
・水たまりに映る空
ツイッターからの着想。
しろ◯んむぎゅうのぬい活写真を投稿する垢をフォローしている。その垢は、社会人の傍ら家の窓から空を見るのが好きらしい。最近近場でクソデカタワマンが建設されそうで泣きそうになったらしい。
なぜか。いずれは狭く切り取られてしまう空だからこそ、しろ◯んと一緒に目に焼き付けていたい。景色が変わりゆくのは仕方ない。だから、今の豊かな空を少しでも見ていたい。
そのポストを見た時、お題とリンクした。
水たまりの浮かぶ空。これは、かわいそうな空だ。
アスファルトによって削られ、中央の僅かしか映らない。それで、地上の構造物で大半は遮られている。視点によりけりだが、大半の視点はつまらないものが前面に映し出されている。近づけば近づくだけ映像は微妙なものになり、やがて(時間経過により)真っ暗になる。
そして、水たまりとは儚い鏡である。蒸発皿を炙るように、日常の常識という熱で徐々に輪郭から失い、中心はしぶとく残って、やがて地面と馴染んでしまう。結晶が残れば詩的だが、現実的には大問題である。もしやマイクロプラスチックが雲を作り、雨として溶け、落ちてきたのだとしたら。
先ほどのポストは続きがある。
クソデカタワマンは、ギリギリ景観に問題ないかなー、位の階数の高さで止まってくれたらしい。涙は止まっただろうか。しろ◯んむぎゅうはやすらぎを恵んでくれる。
さぁ行こう
2025/6/7 10:45:23
・さぁ行こう
書いたような気がするので過去を調べてみた。
類題の「さぁ冒険だ」だった。
覚えていないが、絵描き初心者が自信なさげなのを見かねて、自分の手のほうが創作者の先導をするようになった話だった。きがする。
同じような意味で、こちらのほうが広範だ。どうしようか。
一旦保留と右上の「OK」を押し、短い広告が流れる。すると、今まで見たことがないものが流れてきた。部屋の間取りの形を自動で調べてくれるアプリの宣伝だった。間取りの形をなぞるように、床と壁の隅にスマホを向ける。それで、直線に次の隅に行く。1.25mという表示。直角に曲がって次の隅へ。3.67m。次の隅へ。
そうやってカクカクと進んでいき、リビングを一筆書きした。ピカッと演出があって、リビングの空間が浮かび上がった。今見ると小学生の面積を求める複雑な平面図形だった。一瞬で面積が出てきた。あなたの住んでいる間取りは〇〇平方メートルです。
外国産アプリなので、実際できるかどうかは不明だが、技術的にはできるんじゃないかと思う。こうやってスマホをかざして今目の前にあるものの面積、体積はどのくらいかなーって、AI技術をそれとなく使っていそうな感じ。ものの輪郭をなぞるだけで分かるのはゲーム感覚で良い。
スマホ側から計算したがっているみたいで、ウズウズしている。さぁ行こう。物は幾らでもあるぞ。飽きるまでやろう。
似たようなニュアンスになった。
夢見る少女のように
2025/6/8 17:26:27
夢見る少女のように
本日も晴天なり。けれど心は曇天なり。
お外に出たほうが良いと思うけれど、そういう気分にならない日曜日。
2週間前に風邪をいわして、ちょっと咳が出ている。
昨日コミュニティで会話をしたせいで、喉が若干痛い。昨日町なかぷらぷら散策をして、13000歩以上歩いたらしい。休日でこれは、大したもんだ。と褒め称える。
身体を疲れさせて、泥のように眠る予定だった。
けれど、どうしてか眠れず、精神的夜更かししたために起床はズレて午前中は二度寝の餌食。
十年以上活躍している、現役の扇風機のモーター音が始終ひびく。コードはくたびれて長め。割りばしのつながったバージョンを長くしたような、コードの中央に溝があって、その溝を埋める黒い汚れが見える。何度拭いてもとれない年代物の汚れだ。
首振りにすると、余計人工的な風が強まり、それに当たると僕は予後不良の馬みたいになってしまう。規則正しいリズムより、できることなら自然な風に当たりたい。そして放熱したい。
でも、だからといって、直あてにしたら肌がかさかさ乾燥しちゃう。誰かがアドバイスしたように、壁打ちの視点。首を若干上方向にし、壁に当てて、入射角反射角通りに。扇風機の流れる風を部屋中に循環させるようにしている。
夢見る少女のように横たわっている、130センチのしろ◯ん。
それを抱いて、週末の時間を溶かしっぱなしだ。
でも、いいんだ。これで。
と思うことにした。みんなはスマホに取り憑かれて、余計にストレスを掛けている。明日という週明けを知らせる月曜日に背を向け、怯えている。
それよりか、ずっとマシ。
だらだらしながら、ネットで、お題を調べていた。
「いつまでも夢見る少女のままじゃいられないよね、私たち」
夢は、どこからやってきて、どこに消えて、何を消費させるのか。その答えを探すように、再び三度、夢のなかに誘われる。読みかけの本のタイトルは「抽象と具体」。
君と歩いた道
2025/6/9 18:41:18
・君と歩いた道
君と歩いた道は、世間にとっては無名である。
通学路という名の無名。中学校からの放課後だったと思う。
その道中、駅の北口付近でイベントを目撃した。
それは、線路の向こう側へ行こうとする悪ガキたち。
今ではちょっとどころかどこにも見かけない。不良だった。
授業をサボり、校舎の片隅でワルをやって、吸い殻を足で踏み潰して消している連中だ。生徒指導の先生に見つかったら、しょんぼりするどころか生意気な|蹲踞《そんきょ》の格好で悪態をつく。学ランのボタンは全開、黒のスラックスはだらだら。学校というものをバカにした、未開社会の文明だった。
そんな不良に憧れた中学生が、5人くらいの徒党を組んで、道路と線路を区切るフェンスを乗り越えようとする。
あっ、と僕も思った。君も思っただろう。
けれど、止める間もなく、入って注意を呼び止める仲でもなく、距離もなく。いわゆる危ない香り、臭いラフレシアには億劫だったから、通行人のままだった。
手慣れたやつが先に入り、乗り越える。「おい、早くしろよ」とくすんだ緑のフェンス越しに徒党を急かす。小柄の坊主がフェンスの網目に絡まって、手足が引っかからずにガシャンと鳴った。それを怒るどころか喜んでいた。たぶんきっと。怒られるかもしれないことに欲求不満だったのだろう。
若干|躊躇し《もたつい》たが、20秒以内に踏破した。それからは、マリカーの「カラカラさばく」のステージみたいに、線路を通って近くのホームへ走り出す。無銭乗車。改札を通らないヤツら。
降りる時はバレると思うが。
きっと怒られるだろうなー。と思いながら、君と無名の通学路を青春色にした。
どうしてこの世界は
2025/6/10 18:40:48
どうしてこの世界は
少し前から哲学をかじっている。
一番わかりやすく、世の中の人口に|膾炙《かいしゃ》しているのはデカルトらしい。「我思う、故に我在り」で有名な奴だ。僕はこの一文を参考にして、現代社会にこれを生み出した。
私たちは「勉強しすぎ、仕事しすぎ」を正当化しようとして「忙しい」という病に陥っている。「忙しい」という病=無我夢中、労働過多、思考過多になっている。座ってボーッとして、何もしないのは時間の無駄、自分の人生に対して無責任だ。休憩は思考が中断するので非効率。そう思い込む。
思考があって行動を生むので、「我思う。故に我在り」のデカルト的思考論を基準とした「我行動する、故に我在り」が現代社会の行動論になっている。
常に何かしないといけない……と思い込んで、自分を苦しめている。この行動論の逆は「我行動しない、故に我なし」だ、これが若者の無気力症候群や軽度うつを生んでネガティブ思考を生んだり、登校拒否をしたり不登校になったり、あげく自殺しようと企図する。
こんな感じでデカルトのことは軽くかじったので、次の哲学者をかじりに行こう。……なんでこんな簡単な内容、どこにも書いてないわけ? 腹が立つ。
美しい
2025/6/11 18:59:41
・美しい
美しい国、日本。
そんなスローガンを引っさげて総理大臣に舞い戻ったのは誰であろうか。うろ覚えであれば、それで結構。すぐに出てくるのであれば、もう忘れたほうが良いのではないか。
当時も、辞任した後も、数年後の惨劇も。すべて含めてみても。「ったく、どこが『美しい国』だ」と嘲りの笑いを持った人は、きっとその人自身の目が腐りきっているのだろう。色眼鏡どころか、まつ毛も角膜も濁ってしまって、誰が誰だかよく分からない。水晶体にヒビが入ってしまっている。
先日、任天堂Switch2を取り上げたネットニュースがあった。転売ヤーによる価格釣り上げ祭の影響がある。対策しなければ、子供たちに……、欲しい人に……渡らない。ゲームは人の手に渡って娯楽になる。その前に、転売ヤーの玩具にされたら、娯楽にならない。
そんな世間の論調に対し、有名人は語る。
「いや、転売ヤーだって小売の一種なんだから合法だろ。まあ、俺は今すぐ必要じゃねーから、Switch2の価格とかどうでもいいけど」
「うわっ、正論おじさんだ!」と僕は思った。
相変わらず冷ややかな目を、ここぞとばかりに投げかけている。コメンテーターとしては正しい意見ではある。正論だからだ。
正論とは、被害者の気持ちを汲み取らない冷や水のことである。例えば野球特有の駆け引きがあって。投手がデットボールを投げてしまいました。あーっと、これはどういうことか。手元が狂ってしまったか。実況席はちょっと心配げに中継する。しかし、ここで、
「いや、デットボール投げるくらいなら、ストライクど真ん中を投げた方が良いに決まってるでしょ」
こんな現場に冷や水を浴びせるような意見を聞いたら、「いやいや……」ってなりますね。
なぜかと言えば、書いた通り、野球特有の駆け引きがあって、手元が狂ってデットボールに……という流れですから。
正論って、実際の試合は見なくても言える意見ですね。そして、正しいけど事実に即していない。状況把握の理解を捨てた意見が正論です。
「試合見てたか? ルール分かっとるんか? お前、野球の駆け引きの何たるかが分かっとらん」
投手が一体何の球種を投げようとしたか、葛藤があって「あっ」となった。その論点から一番遠ざかり、さらに論点ずらしまでやっていく。これはデットボールよりも悪い大幅なボールではないか。
それに違和感なく「そうだそうだ! バッターに謝れ!」と迫る同調者も、同じくらいズレている。きっとこれらは冷酷・冷笑主義。こんな奴らにはなりたくない。なぜならポテチばかり喰ってぶくぶくお腹で不健康で、何の努力もせず威張ってばかりだからだ。
「たく、どこが『美しい国』だ」
うるせぇ。顔洗え、歯を磨け、髪洗え。部屋片付けろ、ボロい服着て仕事しろ。
なに、そんな努力、もうやってる? なら、低賃金同士仲良く悪態つこうぜ。今の首相はダメだダメだってな。
雨音に包まれて
2025/6/12 18:55:38
・雨音に包まれて
雨の日特有の異変が職場内に現れる。どこぞのタイミングで流行った『8番出口』のような異変。
通勤時間の朝のタイミング。僕よりも先に到着したらしい人々のせいだ。自販機や休憩スペース、廊下など。一応PCやプリンター、課ごとの島に対して配慮されているが、職場の雰囲気を乱しているには変わりない。
正体は、広げたまま置かれた傘の数々である。
たぶん、というか絶対。確信犯だろ。
傘についた雫を乾かしている。回り疲れたコマのように、コロッと。傘の布地越しに斜めになった支柱が覗き見える。誰が最初にやったか、よく知らんが、この異様なアジサイの傘は、雨が降るたびに増えているような気がする。
僕はその異様な傘の数に辟易しながら、傘立てに傘を立てに行く。そして、自席につく道のりにて、もう一度チラリと見た。
ここ、共用スペースなんだけど。
という、感想。異常。しかし、呆れたことに、もう慣れてしまっている。
コロナ禍みたいなものだ。内定を頂いたあと、初めてこの職場に来た時よりかは、マシになった。これが慣れというものか。
小中学生なら、傘の柄が華やかになるだろうが、ここは社会人の日常的空間。色合いは地味で、大きくて。燃えるゴミの日のごみステーションのように、くすんだビニール傘が置かれている。
あまりに異様さが際立ったのだろう。
先日、イントラネットでメールが流れてきた。
「床が濡れるし、湿気がこもるので、ちゃんと傘立てを使いなさい」
普段はひたすらに硬いWord文書なのだが、この時ばかりは清々しいくらいに文字の分量が少なかった。1枚の半ページも使っていない。職場内にてクレームが来たから対処したのだろう。「やれやれ」である。
効果はいかほどだろうか。この幼稚園児たちの多いビルが、雨音に包まれる日が少しだけ楽しみである。
君だけのメロディ / I Love…
2025/6/14 18:44:44
・君だけのメロディ
・I Love…
**君だけのメロディ**
サブカル系など、最近の中高生かハマっている曲がよくわかっていない。数年前はボカロなどを好んで聴いていたが、現在ではただ賑やかなだけ、急に始まって急に終わるような曲調が多く、心が離れてしまった。
RNAスプライシングを思い出す。RNAから不要な部分を取り除いて、タンパク質合成に必要な部分のみを繋ぎ合わせる現象。原核生物には見られず、真核生物特有の現象らしい。あれと一緒だ。
不特定多数だった彼女の耳から、機械でできた耳栓を取り上げる。サブカルのメロディを取り上げた。よく知らない音楽性だ。
まったく。限られた時間の中で、ほっとひと息つくところが見当たらない。これを中毒症状のように聴くから、頭が疲れるんだ。
僕は、そんなデジタル領域からノイズを取り除く作業をする。世に出たら、今まで必要だった領域が不要になるということを、コイツらの耳はまだ知らないでいる。
どうせ、ワイヤレスイヤホンのせいにする。
きっとそうだ。不出来な頭のせいにしない。
**I love…**
隣のスマホ画面を見ると、カビゴンが映っていた。通勤電車のことである。
カビゴンとは、ご存じ図体のでかいポケモンである。スマブラのモンスターボールにも出てくる奴である。
食いしん坊、よく眠る、体長35mで、道をふさいだりする。そんな奴限定の育成ゲームをしていた。
操作者の指が、ラムネジュースを作っていた。もちろん、スマホ画面のなかだ。素材の概念はあるのだろうか。お金さえあれば簡単に作れるタイプの代物だろうか。
完成したラムネがおぼんに置かれる。パフェで使われてそうなガラス容器に爽やかなで青いラムネの液体が入っている。ストローを差し、ライムを差し。カビゴンに差し出した。
奴はおぼんを持ち上げ、飲むという概念を省略して、そのまま豪快に傾けた。おぼんが平たいスープ容器に見える。顔が見えない。
数秒後、おぼんには空になったグラスのみが置かれている。そして、腹ごしらえが済んだように、ゴロンと眠った。
操作者の性別は女性だった。そのまま眠ったことを確認すると、カビゴンを弾き、別アプリを起動して、TikTokだったり、Instagramだったりと忙しない指を動かしまくった。
ノンデリカシーで仕方ないが、この女はカビゴンみたいな男が好きなんだろう。
もしも君が
2025/6/15 18:51:26
もしも君が梅雨だとしたら。
最近泣かなくなったね、気候変動で。
やっぱり心が原因じゃないんだね。結局外圧なんだよ。もっと泣けよ。
……と水を向けたら、短時間豪雨で洪水被害とか出てきたりするんだもん。ホント、最近の梅雨って付き合い方が難しい。
マグカップ
2025/6/16 18:55:07
マグカップ
うちの職場はサステナビリティ経営を|標榜《ひょうぼう》してから、コーヒーメーカーの横にあった紙コップを撤廃し、マイカップ推奨となった。
おかげで紙コップを発注する費用と、紙コップを持ってくる業者も、紙コップを潰す手間も、燃えるゴミの量などが格段に減ったようだが、来客対応時は困りものだ。だって、客に振る舞うべき粗茶代わりのコーヒーも、容れ物がないと差し出せない。
そんな一つ二つのモノ、百均の奴で何とかなるだろう。いいや、経理の奴が財布の紐を握っている。
サステナビリティを目指すためには、顧客もわが社のステークホルダーなのだから、サステナビリティについて考え、マイカップ持参で商談に臨んでいただきたい。サステナビリティしてもらおう。
最近の事務作業もペーパージャングルだったのだが、少しずつペーパーレスになってきた。こう書いてみると、サステナビリティというより紙を減らすことを優先しているらしい。
従業員としては、もう慣れた側だ。
僕の使っているマグカップは、ユニクロのものだ。たまたま当たった。
数年前に、8000円以上の会計で、マグカップが一つもらえるというイベント。ユニクロのシャツは1枚1500円とか余裕でするから、数点買うだけで目標値達成だ。何のことはない。マグカップを見た。紺色で、外側に白字で「UNIQLO」と書いてある。分厚い素材で、陶器っぽさ。
そのノベルティで頂いたのだから、これは持参して使うっきゃないと、以降使用させて頂いている。
最初の頃は、コーヒーを淹れていた。
しかし、コーヒーの渋みが内側についたのか、洗っても洗っても取れない感じになると敬遠してしまう。マドラーでぐるぐると擦られた跡が底に残っている。外側より内側のほうが汚れの居残りが多め。回転結果を反映している。
最近は、コーヒーメーカーが変わったようで、市役所によくあるマルチドリンクサーバーに切り替わった。コーヒー以外も飲める。紅茶、緑茶、ほうじ茶、オレンジジュース。若者達にはドリンクバーみたいで好評だが、あいにく年配の方々には不評のようだ。味が薄い。コーヒーがインスタンスになった。温度もぬるい。
温度というのは、内蔵されたお湯の温度である。よく浴室の温度を操作できるやつみたいに、お湯の温度が見られる。80℃なら「加温前だな」、98℃なら「飲み頃だな」となる。
いや、お湯の温度なので飲み頃は誤りか。いずれにしてもタイミングが重要になってきた。
まったく、コーヒーを飲むために、水温ならぬお湯の温度を気にしないといけないだなんて。昨今の天気予報かよ。気が休まらねえ。自販機を見習ってほしい。
糸 / 記憶の地図
2025/6/19 0:30:19
・糸
2025/6/17 18:43:26
・記憶の地図
**糸**
糸電話の糸が絡まりすぎて、雑音が響く。
一体相手は、何を言いたいのかよくわからない。お耳が遠いようでして。
そう言っても、電波には言語は通用せず。痛痒にも感じはせぬ。
ああ、失敬。お仕事のお話。
コミュニケーションコストが大きくて、エラーしっぱなし。こんなにもうまくいかないとは。
「Outlookが死んだ日」を思い出してしまう。通信手段が死んだのだ。
**記憶の地図**
記憶の地図を頼りに、小・中学校付近を散策した。
今やバーチャルで時代の変化を感じられるから、現地調査しなくて済む。いつでもできるという感覚になって、「そういえば」の感覚が薄れた。
そういえばこれ、記憶の地図に頼ってないや。
単にGoogleEarthに依存しているだけで、変化の網目を散策路にしたアニメーションを観てるだけなのだった。これでは、記憶を頼りにしていない。
いつかは現地を訪れて、十数余年の硬い息吹を感じたい。〜したい、〜やりたい。こんな風に考えてるから「いつか」は来ないで時間は腐食する。
雨の香り、涙の跡
2025/6/20 18:18:36
雨の香り、涙の跡。
誰かが零した涙も乾き始めるくらいの雨を嗅いでいない。一体いつからだろう。香りの少ない雨になったのは。気付くのが遅れてしまった。
コロナ禍のような、異常が正常になりゆくときに、「100分De名著」を拝読した。
「あなた方にはまだ、これが普段の生活だと思えないかもしれませんが、しばらくすればそうなります。これが日常になるのです」
1985年に書かれた本の内容。
過激で極端な設定でリアリティがないと当時は批判された――というのに。時を経て現実になりつつある、ディストピアへ。
涙の跡は、水たまりの向こう側に溶け、今や、水滴の跡のように汚く見えてしまう。
雨の降る日こそ、考えなければならない。雨の日に救われたという。神秘体験者の解釈を鵜呑みにせず、自分で考え、言葉を用い言語化して、情報の神秘化を崩していく。
翻訳するように、判断していく。それが、雨の行方を辿り、表現する言葉の力なのだ。それこそが、袋小路のような状況を打開する鍵になるだろう。
行こう、希望の光は鏡の世界へ。屈折しながら歪むように。言葉の力を駆使して、喰らいついていこう。
君の背中を追って
2025/6/22 13:46:09
・君の背中を追って
君の背中を追って、編入学試験をすることに決めた。
短大からの編入学試験だった、
先輩と後輩というポジションだった、
今思えば、1歳差でしかなくて、世間から見れば同級生のようなものなのに。まだ大学生時代、キャンパス時代だからこそ大いに勘違いできる。
君は、1年早くにこの短大を去った。
同じ大学の編入学試験に合格して、ここを去った。
私が短大2年をしていた頃、編入学先でキャンパスライフをしている。学部が違うのだから、キャンパス先も違う。同じ時間、同じ国にいるのに、その距離は物理的にも精神的にも距離がある。
でも、また会えるかも知れないという目標値でもあった。モチベーションでもあった。今のくだらない日常の通底に流れる井戸水のようだった。
時々記憶の地下に行って、冷たさが際立つ地下水を手で掬い、顔を洗った。シャッキリとなるような、あの頃の憧憬の味がする。
君の背中は、私の過去にある。
だから、私は受験勉強を頑張れる。
どこにも行かないで / 子供の頃の夢
2025/6/23 16:54:19
・どこにも行かないで
2025/6/24 14:20:34
・子供の頃の夢。
**どこにも行かないで**
どこにも行かないで、というしろ◯んのささやきから耳を背けて、今日も戦場に出なければならない。
……気のせいかもしれない。しろ◯んからしたら、僕がどこにいようとも、じっと寄り添って、応援してくれるから。気のせいにしてやる。
**子供の頃の夢**
僕はさておきまして、今の子供たちは電子化された夢を描いていたりするのかな。ははは、そんなのあるわけないじゃないか。
有名人のゆうこりん属性のアイドルがこう言ってた。「私は将来レモンになりたい」
これよりも難しいことを言っているから、今すぐ顔を洗ってデジタルデトックスしなさい。
空はこんなにも
2025/6/25 18:59:20
・空はこんなにも
空はこんなにも気難しいことを考えているのに、私たちは教授の講義について何一つ分かっていない落第生のようだ。
締め切りの設けていない卒業論文について、人生の一つや二つ。掛けた人も、掛けてない人も、あるいはアイロニー的に自死を選んだ人も。
きっとあの平和的で美しい空に溶け込んで、蒼天の色をみているのだとしても、けして、けして分かっちゃいない。
そして、教授である空も、それを由としている。
どこに居ても学び舎である。それを感じると、歴史上の巻物のなかに露として消える魂のようだ。
私も、あなたも、誰でも。最後は魂になる。
まだ見ぬ世界へ! / 最後の声
2025/6/28 17:27:38
**まだ見ぬ世界へ!**
お題とはずれるかもしれないが、脳みその中身を解き明かしたいとしたら、必ず立ちふさがるのは「忘却」であると思う。
脳内世界は、想像力豊かなものを包容して、最後にはどこかへ連れ去ってしまうのだ。
僕たちがまだ見ぬ世界。きっとその先を言語化したのが宗教的要素――神の創造だったのではないかと。
**最後の声**
抽象的なお題である。
なんにも思いつかない。もしかして声として発していないと思えてきた。声ならぬ声。意識のない声。記憶にない声。生気のない声?
健康で文化的で最低限度の生活を、という。
最高裁の裁判が話題となった。
税金を納めている身としては何とも言えない結果となった。日本を日本人として生きられるのは、ぜいたくなんだと思わないとやっていけない人が多いようだ。
苦しいという最後の声、それは、自分を発すること。
それまでは、だらけていよう。心に誓う。
夏の気配
2025/6/29 18:23:09
夏の気配。
(すでに夏です……)
(けど、まだ本気出してないんだよなこれ……)
(これから暑くなって、日向がグロくなって……)
(温度上昇試験をしていない、水蒸気でできた熱湯が……)
(もやもやしていくのが10月まで続くなんて……)
(何というか……)
(青いガラスで透かしてみたい……青空)
カーテン(二回目)
2025/6/30 19:03:45
・カーテン(2回目)
かぶりだこれ。と思って、過去のものを見たら、お説教をしていた。
締め切り近くになるとお題を取っておく人たちが現れる。なんだ君たち、お題だけ書いておいて、全然書いてないじゃないか。「書く習慣」だと銘打っているのに、君たちは書く習慣がなってない!そんなことを書いていた。
それからどうやってカーテンに紐付かせるのか、気になって読んだら、「自分は自分、他人は他人だ。カーテンを見習え。いつもふわりと揺れている」と書いてあった。
最近のカーテンの様子だが、春は花粉、夏は暑い。秋も暑い。冬は締め切っているので、ふわりと揺れているところを目撃していない。
しかしながら、ずっと閉め切ったままだと室内の空気が淀んでしまう感じがするので、換気のためだ、仕方ない。といって、時々窓を開けることにした。
すると、風を感じる。風鈴よりも風鈴に近い、揺れ方をする。音のしない涼風。
風鈴のように、涼しい音を掻き鳴らす――なんて、ぜいたくだ。と氷入りの麦茶を見て思った。
青く、深く
2025/6/30 19:03:45
・青く、深く
毎週金曜日の退勤後、都内を散策路としている。
秋葉原、新御茶ノ水、上野、田端、新橋……
この羅列通り、山手線の東側が選ばれやすい。
先々週は、神田駅で途中下車。ぶらりと歩き、将門塚らへんを通り、気の向くまま。
皇居外苑へたどり着いた。
ここはいつも走っている人を見かける。平日の夜になりゆく時間帯だというのに。志の強いランナーは、どこからどこへと走るのだろう。
僕は、会社員の格好で、カバンを持って、歩いている。夏の気配が近づいている。汗を吸い、汗を拭った。暑い、しかし、昼に比べたらそうでもない。
日没前の、暗くなりつつある都会のビル群。
南下中。小さく見える霞が関のビル群が、煌々と灯っている。横に目を向けると、皇居を囲むお堀の溜め池があって、表面がゆらゆらしていた。ビル群の背丈が上下反対向きになって、労働する意味の含んだ光が、暗い夜の堀の先に溶けていく。
青く、深く、溶けていく。思わず見惚れて、スマホを向ける。撮った写真を眺めた。ロウソクの炎のように、光が滲んで夜の一部を焼いていた。
夏の匂い / クリスタル
2025/7/2 17:12:05
・夏の匂い
2025/7/3 18:15:11
・クリスタル
カッと強い陽光に夏の匂いを感じさせた。
梅雨前線を砕くとは、きっと前世は瓦割りのできる有段者だったのだろう。天候にも体育会系の色味がある。
梅雨前線を砕くとか、発想になかった。
梅雨明けがここまで早いと、雨降ったっけ? となってしまう。まあ、忘れてしまう頃にガーッとゲリラをチョイスされるだろう。きっとそうだ、きっとそうに違いない。
そういえば、七月なんたらの日になんか予言があるらしいのだが。検索欄を打ち込む前に、なんかサジェストされたものが薄文字で勝手に入っている。それが気に食わない。
予報も予想も予言も。あまり当てにならない世の中だ。予言が外れたら、予言を信じた哀れな子羊を焚べ、夏の匂いを感じさせるほど炎上してくれたまえ。
大丈夫だ、安心しろ。火消しについては、七夕で上書きしてくれるさ。きっとそうだ、きっとそうに違いない。
**クリスタル**
ファンタジーに出てくるクリスタルって、どうやってできるの? 石油みたいなノリなの?
スマホが壊れたので、この日で終わり。
○○○○○○○○
スマホが壊れて強制終了したから、次から自由な。
不定期ね
僕のやつだよ。
https://kaku-app.web.app/u/6xLeH9e71qSiSCktPGKQAqnqQWO2
いいね一つ(再掲)
まだスマホがあったときの話。
駅の南口の階段を下りていたら、若い女二人組を見かけた。
ショートカットだけど髪がカラフルな奴だった。一方はオレンジで、もう一方は薄い緑。平日の私服を着崩し、カバンは高級そうな感じだった。天候はもう、すでに夜の支度をしており、夏の街灯は熱帯夜を予言している。二人は遊んでいそうな短大っぽさがあった。
「いいね押したらさ、反応されるかな」
「しないでしょ。そんな|男《やつ》じゃないし」
「えー、でも、DM来たらめんどくない? だからいいね押したくないんだけど」
「うーん。考えすぎじゃないの」
「いやだってキモイもん、こいつ……」
下から数えて4段目から0段目までの会話だった。階段を下りる速度が遅かった。しゃべり口調は速かった。上半身から上は畳みかけるように速いのに、下半身は備蓄米放出のように鈍重だった。
いいね一つでよくそんなにしゃべれるよね、って僕は追い越した。
それで、いいねが押せない意味を素早く考えた。既読スルーの防止。友人あるいは先輩。男女関係の変遷。SNSの画面。髪の色……。
わからない会話は遠ざかっていく。そして、消えていった。
デジタルデトックス日記
約3200文字。デジタルデトックス、又の名をDD日記である。
7/3(木)~7/7(月):DD日記。5日間。
7/8以降、SIM入れ替えで古いスマホが使えることに気づいたので、そっちを使ってる。仕事上の連絡が封じられるのがとても痛かった。風邪とか引いたらどうするんや。それ以外の場面は、なくても困らないことが分かった。
※デトックス=毒抜き。つまり、スマホから発せられる情報を浴びないことで、日常から毒抜きをしようという意味らしい。
**DD日記**
7/3(木) 1日目
帰宅して7時ごろにスマホ(Xiaomi redmi 12 5G)が壊れる。
アプリを操作中、突然電源が切れたかと思えば、再起動ループを繰り返す。あまりに突然すぎて、唖然になる僕。
自宅PCで「リカバリーモード」なる方法を試してみるが、うんともすんとも言わない。
「とりあえず、スマホの電池全部使い切って、また試してみれば?」
みたいな感じになり、暗く使われていない隣の物置に壊れたスマホを放置する。三秒単位で再起動ループをしているスマホをはた目から見ていると、かなり不気味に映り、ドアを閉めた。
夜、日常的にスマホをいじっていた時間が暇になり、明日平日のためどうするか悩みながら寝る。就寝時刻は前倒しになり、意外と睡眠時間はとれてしまう。
7/4(金) 2日目
朝、目覚まし時計に起こされて、スマホをいじろうとしたらできないことに気づく。何もできず、禁断症状。
隣の物置を見ると、再起動ループをしていなかった。ワンチャンあるか……? と電源につなぐと、残念ながら再起動ループ再開。これはだめだな、となり、物置へリリース、しようとした。
が、手帳型ケースなので、「あれ、スマホを外してSuicaで『ピッ』とするの、恥ずかしくね? あれこの人、スマホないのに手帳型スマホケース使ってる。なんでってなるくね?」となり、ケースから取り外さず、でくの坊スマホを持ち歩く。
暇つぶし用に、メモ帳とペンをカバンに差し入れる。
通勤電車の平日へ。
スマホを見ようとして、スマホができないという気づきを何度も得ては、その時間をメモ帳に書き込み。
無意識にスマホを開こうとするタイミング……駅のホームに座ったとき、トイレの個室に入ったらすぐ、昼休憩、会社から出た後のタイミング(歩きスマホ状態)、ふと調べようかなと軽く思ったときなど。
気付きしかないという状態。
時計を持参せず、部屋やコンビニに壁掛け時計がなくて現在時刻を調べるために、何か購入してはレシートを見た。レシートには現在時刻が印字されるからそれ目当ての購入。
壁掛け時計も、そこまで需要がないのか、若干の誤差を指し示し、苦労する。そうだ、腕時計を持とう。という発想を得る。今までスマホで代用していたから……ウォッチをウォッチする意識がなかったのだ。
上司にスマホが使えなくなったことを伝える。とてもびっくりされる。「不便だよね~」みたいな共感をいただく。
時刻が見れなくて地獄だったが、何とかなったからいいや。
7/5(土) 3日目
土曜日なのに、比較的忙しい日。
外出をしなければならないことが三つほどあり、腕時計を持ってテクテク歩く。ダイソーで、スマホが入りそうなサイズの鍵付き箱を購入。買ったはいいけど、以降使ってない。
夜はPCにかじりつく。
7/6(日) 4日目
午前、スマホ修理のために携帯ショップに行くが、断られる。
「そういうことはメーカーさんとやり取りしてください」
断られ、途方に暮れる。無駄足だった。HPと言ってることが違う。
ちょっと準備不足だった。修理するやり取りかな?という一つの算段だけだった。店員も、こちらから質問しないと情報をくれないような感じだった。SIM入れ替えて無事か確認、事前Telして確認など。しかし、心が折れてしまい、午後は休んでいた。
兄に連絡し、「SIMカードは無事だと思うから、昔のスマホにSIMカード入れ替えすればいいと思うよ」と言われる。
たしかに、と思って、しばらくはデジタルデトックスにハマることにする。しかし、夜はPCにかじりつく。
7/7(月) 5日目
平日、慣れてくる。ただ、仕事中にプリンターの紙詰まりが起きたり、サイトにアクセスできないなどの問題ごとが起きた際に、スマホでアクセスしてSNS閲覧とかしながらストレス発散していたが、それができないことに気づく。
不便さが強くなる。もうデジタルデトックスに飽きてくる。
SIMカード入れ替えで、古いスマホを使う。SIMが生きていることに安心。
しかし、古いスマホはもう使わないと思ってファクトリーリセット済みで、LineもSNSもGoogleもない状態。特にLineはちゃんと引き継げるんかなと心配。今まで引継ぎは、QRコードが出てくるタイプの引継ぎだったが、今回はスマホが壊れてるので一台での引継ぎ。結果的にできたが、メール登録してなかったら死んでたなこれ。
**セミDD日記**
7/8~7/10(火~木)
6日目以降。頭が働かない朝の時間は古いスマホでだらだら。
しかし、最低限のものしかないため、トイレ内、昼、仕事中はスマホをいじらず。メモ帳とかにメモったり、何もせずぼーっとしたりする。
通勤中は「100分De名著」とかを読んでいる。7月上旬にして、もう読み終わった。哲学系のあのよくわからん系が懐かしい。
木曜日の夕方、大雨。空は灰色で、雷の声がガラルファ、ガラルファとうるさい。雷で光った部分がうっすら緑がかっているなと思った。気のせい、壊れた機のせいかもしれない。
7/11(金)
もうスマホ見てる。意識的にはもうスマホに負けてる。
でも、前よりかはスマホを見てる時間は1/3になった。
「スマホを見るという目的」をやめ、スマホを単なる手段にするためにアプリはすっからかん。
本日は寒めの23℃。梅雨生きとったんかいと思いつつ現在に至る。
**スマホが使えなくなって気づいた何か**
・スマホが壊れてから、恐ろしいほど現実の何気ない変化に気づくようになった。変化に気づいたら、メモ。もはやここには書ききれないくらいに気づいてしまった。
・スマホから解放されると、時間がすごく緩やかで、ゆっくり流れて心地よい。スマホを見てるとなんだか忙しない。時間が溶ける……その感覚がない。スマホ禁止でその自覚ができた。
・デジタルデトックスしてみて、ノートや手帳を買いたいなと思った。スマホから価値が移動していく。変化で状況が変わる感覚。
・「時間が取れない」がない。無意識にスマホを開こうとするタイミングに気づく。スキマ時間を有効活用しようとして、逆に時間が溶けるようなことをしていたのだろう。スキマ時間なんて、まやかしだったのだ。
・スマホを使わないといけないのは、連絡、カメラ、AI。次点でポイントカードの使用。SNSは夜に一括チェックにしたら、さして時間がかからない。スクロールをすることが軽く報酬(ドーパミン分泌)になっていると思う。
・ただ、デジタルデトックスは長く行うものではないな、と。スマホが使えない時間を弄んでいた。デジタルデトックス四日目にして、不便、心細い……スマホですぐにチェックできず、不安。
→何もすることがないと、不安になってしまう。
→休憩時間はスマホに逃げ込めるから、心象が浅い。
**DDで学んだ何か**
・スマホを見ることが目的となっていた。スマホを見る=手段だったが、手段が目的化していたことに気づいた。再び目的から手段に置き換えることで、可処分時間(いわゆる手取り)が増加。
・「スマホを見ることが目的」をやめてデジタルデトックスをしたが、「デジタルデトックスをすることが目的」となり、数日経過すると目的の空洞化が起きていることに気づく。
・スマホが壊れることがあるんだという滅多にない体験
デジタルに一体化するのではなく、デジタルからアナログ(ノート)に分離して、リスク分散。
①スマホから切り離したほうがいい情報。
②スマホが壊れた時に困ったもの(Googleのアカウント関係)
③スマホが壊れていた間、PCで代用していたころ何を見ていたか?
**感想**
・インスタを|弾《はじ》き、TikTokを弾き。通勤電車を見ると、短時間で様々なアプリを弾いてばかりいる。これはもう、効率視聴という名の選択ではないか。効率の奴隷となって、思考の伴わない即断即決に憧れている。そう捉えてもいいと思う。
時間だけ浪費するのは、まともに視聴していないから。選択しているようでいて選択していない。自動的に動くエスカレーターに一歩踏み出して、以降何もしなくても動くから。それで主体的を捨て、行動を捨て、思考停止。判断能力停止。無意識の根源に触れたような気がした。
参考
・壊れたスマホが教えてくれた大切なこと
https://note.com/teachersapp/n/n929bfb6fb5db
・スマホを壊してから始める強制デジタルデトックス入門(ほぼ一週間!)
https://shakezu.com/1575/
・スマホの無い生活 セミデジタルデトックス
https://fromsaikasou.com/the-day-my-phone-broke-2024-08/50187/
架空か現実か
「13歳から鍛える具体と抽象」を読んだ。
最後まで読んだが、正直この本を13歳の僕が読んだら、途中でリタイアするだろう。この本を読む面白さが大人向きで、子供には面白いと思う前につまらんと言い出す部類だ。つまり、堪え性がない。授業に集中できないからと雑談を注文する(先生からすれば)モンスターチルドレンみたいなものだ。
今の僕はというと?
うーん、それでも、つまらないと言うだろう。でも、教養になった。なんとなく知っていた部分が重しになって、抽象と具体のシーソーゲームをしていく。「なるほど」と「うーん」を繰り返して、今もちょっと繰り返している。目の前にある事柄は、果たして抽象か具体か。思考の土台になるまで、もう少々時間がかかる模様だ。
抽象か具体か。考え方で違う色を呈している。例えば……
「ネッ友」は抽象か具体か。
「推し」 は抽象か具体か。
具体的に考える人は、依存しやすいと思います。
中身が重すぎて、外の枠組みを極限まで薄く伸ばすように膨らまして、やがて破裂する。具体性という実体にとらわれやすい。
逆に抽象的に考える人は、自分の定義した枠組みに囚われて、抽象に執着する。所詮抽象概念なので、ヘリウムのように中身が軽い風船。考える人の体重すら重しにならず、空に羽ばたいて神視点になろうとする。つまり、現実のあなたは、まるで行動しない。風船ばかり飛んで、それぞれ頭と身体は、頭でっかち冷笑主義。
抽象と具体。
どっちも悪いわけではなくて、極端が悪いということです。片方に偏る見方をすると、きっとてんびんに怒られる。重しをのっけてガチャンガチャンと音がするなら、それは|頭《てんびん》がイライラしている証拠です。錆で|軋《きし》むなら、それは固定観念のせいです。
目の前を抽象にしたり具体にしたりと頭の中で|捏《こ》ねる。両方とも、そういう見方で見れたら、|頭《てんびん》は楽しい。
具体という近眼的な見方をしすぎると目が悪くなる。なら、抽象という遠くを見よう。
かといって、形だけ景色だけ色だけ。抽象は、本来人間側の決めつけだから、抽象としての理由がなく、ましてや輪郭ばかりをぼんやり見てるとつまらない。もっと近くに行って、もっと観察しよう。我らはてんびんではなく、現代の観察者なのだ。
一つ考え方を提案しよう。
「目の前」 は抽象か具体か。
「頭のなか」は抽象か具体か。
いや、失礼。所詮「頭のなか」はどこまで考えても架空で、「目の前」はどこまで注意深く見ても現実だった。
なのに、頭でっかちになると「頭のなか」から架空が生まれ、架空は頭で溢れ、架空は頭の外へ流れ。「目の前」を霞ませる。霞む、曇る、時化る。
それを時々忘れてしまうのが、人間の|性《さが》というもの。
・13歳から鍛える具体と抽象 細谷 功
https://amzn.asia/d/75IC9Sm
アナログ時計
参院選がどうのこうの言ってきたので、土曜日に選挙に行ってきた。清き1票をどうぞよろしく、という話だが、残念ながら今回も清き2票になっている。
すみません。選挙、毎回よくわかっていません。地方選挙、総選挙、衆参……毎回忘れてしまう。
仕方ない。一応予習しよ。
えっと、一方が候補者の名前で、もう一方が候補者の名前または政党名を書けばよい……?
参院選とは、ややこしいシステムなので省略するが、基本これでよいのだ。
後者は比例代表らしい。
ドント式、どんとこいシステム。だから、政党名は略称でもいいし、余計なことを書かなければ有効票になりやすい模様。
投票所に向かう途中、遠くのほうでビラ配りの人を見かけた。
ただいま午前10時台後半。高架下で陰になっているとはいえ、こんな暑いなか、よくもまあ、と近づいた。
ちょうどよく、急行電車が通過する。その音が降り注ぐ中で、彼らはティッシュ配りと同じように、歩行者に声をかけながら。清き一歩、前へ。
「〇〇党でーす。よろしくお願いしまーす」
うわっ、〇〇党かよ、となった。
なるほど、どーりでだれも受け取られねえのか。
前の人は会釈をして素通り。対向者も素通り。
通行人はみんな無視。僕も会釈して無視した。
投票所に近く、それで穴場扱い。これってありなんだっけ? 数秒後に、この疑問は暑さで溶けた。
数分後、エアコンの高い電気代のする涼しい空気を受けながら、あー税金、ってなってしまう。この日のために、税金を支払っていたのだ、と思うことにする。
期日前投票のあの紙を渡し、投票用紙をもらい、鉛筆を持つ。アナログ時計のチックタック。
あの机のことを「投票記載台」と呼ぶそうだが、比例代表のほうは、政党と所属している候補者の名前がずらりと貼ってある。日本地図はないが、全国の、約170名くらいの人たちが載っているわけで、そのうち一人ないし政党名をふむふむなるほどと写し取ればよかろうなのだ。
清き2票を投票箱に入れ、きもちのよい挨拶をされる。
その後、なるべく涼んでいたいのー心で、これもまた税金で設置してあるのだろう自販機に120円くらい入れて、お水をなめるように飲んで。
あがいていたが、20分が関の山だった。
やれやれ、と再び灼熱になりゆく道のりを通ることにした。
誰かがこの道を歩かねば、家に帰れない。清き2票のような引率はいない。おうちでお留守番しているので仕方ない。そうする。そうした。
行きで見かけたビラ配りの若者は、どこかに消えていた。
なるほど、これが噂のタイミーさんか。
よくもまあ、こんな暑い午前中で、解散かいっ。
いつから配っていたのだろう。知らないが、朝7時からとしても労働時間は4時間足らず。
場所を変えたとしたらもっとやばい。
いやー、土曜でこれは、やってられないよなあ。
と見上げたら、ほら。もくもく白い雲。たぶんザーザーな夕立の雨、その気配がして、気持ち早歩き気味で家に避難する。清き2票は素晴らしいねっ、しろたん。
タイトルに深い意味はない。
吹き出し
しろ〇んのぬい活をしている垢をフォローしている。ここ最近発売されているしろ〇んのぬいぐるみについて「儚い」と嘆いていた。なんて詩的な表現だろうといいねした。
その垢が言うにはこういうことらしい。しろ〇んの顔つきを決めているのは、顔に縫い付けられている刺繍だ。目、ひげ、口、まゆげ。色はぜんぶ黒だったのに、ここ最近のしろ〇んたちは、茶色や薄い青などで縫われている。アニメ風のキラキラ目の顔つきもあった。その表情が、儚いと呟いていた。
閉じた口に黒い目で見つめてくれるのがキュートで安心できるのに……最近は刺繍の色が薄くて、消えないでほしいと書いてあった。
儚いとは、すぐに消えてしまうようだ、という意味である。
それは線香花火でいうと、どの瞬間だろう。ぱちぱちと火が|爆《は》ぜている瞬間〃なのか。あるいは、火玉が地面に落ちて、すぐ消えてしまう、そのあっけなさなのか。その両方を含めて儚いのか。火をつけること自体が運命づけてしまい、その行方を知る時間が一分も持たないことに対して、なんだか応援するような気持ちにさせるのが、儚いの正体なのか。
そのツイッターを見た数か月後のある日。バーチャル上で歩いていた。濃密なネットの空気だった。ソシャゲに似た画面上で、いくつものアバターが歩いていたり、立ち止まって談笑している。チャット内容が吹き出しとして表示され、数秒したらすぐ消える。リアルタイムのコミュニケート。ゲーム世界風の世界観。
噴水前を待ち合わせにしている人の群れのなかの、ある吹き出しに目に留まった。
「私、スマホしか生きる意味が見つからない」
その人のことは、ツイッター垢のようによく知らないが、吹き出しの連続性を見ると中学生をやっているらしい。性別は女。会話の相手は、ネッ友だろう。
当たり前のようにスマホを買い与えられたスマホのなかでしか、生きる意味が見つからないと呟く……人間味に欠ける機械的なメッセージなのに。その吹き出しは、すぐに消えた。なんて、儚いのだろうと思った。
それはまるで、駆け込み寺に駆け込んで住み込みで生活している人より、ずっとずっと修行僧じみていた。駆け込み寺が電子化されて、悩み事も電子化されていて。それでむざむざと悩んでいて。座敷童の子孫はこれではないか?
見えない概念だった。人間を辞めた、人間の作り出した概念みたいな。そんな儚さを、吹き出しに感じた。
座間事件のやつ
前にまとめたやつが微妙だったので、もう一回アウトプットしたイメージです。
適当に思いついた文章も乗っけておきます。
**アウトプット**
・普遍的でない、身勝手で自己中心的。特殊。
→社会の共通認識に即していない、ゆがんだ論理。想定以上にゆがんだ天秤(物差し)で、物事や相手の心情を推し量っている。コミュニケーションが表面的で、結果が決まっている。
・ゆがんだきっかけは学生時代のいじめ・両親の離婚。夜の世界へ足を踏み入れ、常習的に犯罪を犯すようになった。
→やり口がパターン化。金を得ても湯水のように溶かしてしまう。大金=金の価値が逸脱して、一般常識から離れた。
①金への異常な執着 VS ②罪への軽い意識
①彼のゆがんだ天秤一つで人の命が……。
②衝動的に沸き起こった性欲のために、一時的な享楽へ走る
**感想**
犯罪者が死刑になって、刑が執行される。
執行までの時間は異なるけど、判決以後の終盤の流れは同じ。同じところにオーディエンスは見ない。素通り。違いがない、同じところ、でこぼこの少ない道に、興味がない。興味をそそるのは、他とは違うところ。
「同じ犯罪者でも、もちろん動機は違うでしょう」
発端の出来事から、事件が起きるまでの流れで、犯罪者の動機がどのように変わっていったのか。
仮に動機がサイコパス過ぎ、クレイジー過ぎだった場合、オーディエンスは遡るのである。事件発生前よりも遡る。犯罪者が、犯罪者になる前のカコに興味はシフトする。
犯罪心理の種を発見して、ある程度の時間が経過して、その種が芽生えたから……この事件は引き起こされたのだ。そう思いたいのである。
種が成長するには、ある程度の時間が必要だ。
この「時間」という要素。種を成長させた|弛《たゆ》まぬ努力のように注がれた水……社会経験や生活の適合性で、この得体のしれない動機は成長したという確信が、どこかにある。入口が違う、土壌が違うということは、信じていることも、状況も、時代も違う。もっと深く掘れば、細かく見れば、話はややこしくなるだけ。
ただし一元的に、決めつけのように考えてはならない。だから、だれかが軽々しく「こいつはサイコパスだから、理解不能だ」などと簡単に説明しては意味がない。
動機は具体の領分であるが、オーディエンスの考える興味の筋道は、どちらかといえば抽象。冒頭のように、抽象的に考えれば同じになってしまう流れがある。それに十分憂慮して、自らの心に植えられた種にも注意しなくてはならない。
・参考にしたサイト
https://www.hrm-service.net/entry/200
・過去にまとめた微妙な日記
https://tanpen.net/blog/c864bcd5-abbb-46ce-b768-1c77a375b127/
普通とは
短くつぶやく。
普通を考える人って、もうすでに普通じゃない。だって、普通の人は、普通について気にしないから。
考えている時点で、普通と呼ばれる路線からすでに外れてることに気づかない時点で普通じゃないことに気づくべき。
あなた、何をしたの?
考えるきっかけは?
頭を|蝕《むしば》む異常は、頭のどこにある?
元にする量×99.7(%)
7.9%だそうです。中学受験をする小学生の割合は。
式で表せば、7.9%=0.079×100(%)です。この「0.079」は何らかの数式の結果です。僕的には特に確かめ算をする気は毛頭ありません。
僕が気になったところは、この数値を百分率にしなければならないところ……「×100」のところです。
しかし、不登校児をあらかじめ減算しておくと、実際はたぶん「×99.7」ではないでしょうか。「×100」を、素直にしてもいいのでしょうか。
いやいや、小学生の頃から不登校なんてレアケースだ。「1×(100-0.03)」なんてしなくていい。そもそも百分率だから「×100」なんだ。わかりやすくしているんだ。
そんな|概《がい》数に頭を支配された、頭でっかちで計算嫌いな人たちが大勢います。それはなぜでしょう? 簡単なことです。
「×100」と「×99.7」では、めんどくささが数字に表れるじゃないですか。計算が、とんでもないことになります。端数が生まれるじゃないですか。小数点以下が出てくるじゃないですか。例えば、1=1人の人間として扱うとしたら、1未満の、0.7みたいな数字が出てくるじゃないですか。
人間以下みたいなそんな人間、成人になる頃には「そうなったのは自己責任だ」と、どうせ四捨五入するのだから、少子化である日本には、とてもこんな簡単で、複雑な計算をしなければならない数式は、無慈悲に切り捨てなければならないのです。
小学生のどこかのタイミングで習いましたね?
×10、×100、×1000……。こんなの、ひっ算を使って素直にかける奴なんていません。小数点を、左か右か、移動させるだけのことに、ひっ算などという多量の思考と多量の時間を割きたくないのです。鉛筆なんて持ちたくないのです。なるべく、頭の中は簡単にしたい。大衆とは、そういうものなのです。
ほら、今月の参院選では、そういった政党が現れました。差別が生まれる原因は、これなんじゃないかと思うのです。つまり、端数を切り捨てたい。特に計算した答えのほうではなく、たとえば、比例定数のような数値を切り捨てたい。答えを四捨五入するなんて、無慈悲じゃないですか?
答えをすっきりさせたい。そういう衝動だと思うのです。
・過去の日記
https://tanpen.net/blog/c5c7d2c6-50b7-4d23-a98f-9b41478d1685/
・私立中学校に通う割合はどの程度?……学生全体の7.9%が私立通い
https://www.jili.or.jp/lifeplan/lifeevent/789.html
クリニックの待合室で
土曜日の午前、クリニックに行った。
受付をし、待合室の椅子に座ると、前の長いすに学生がいた。ほどよく短髪で、やや猫背ぎみである。黒い服装をしていたので、中学生男子か高校生男子か、背中越しではよくわからない。保護者として隣に母親が付き添いしていた。学生は、たった今心理検査から帰ってきたようだ。
「ずいぶん時間がかかったものねえ」
と、何の検査をしてきたのか、母親は気がかりそうにしていた。男学生のほうは、活気あふれる報告をした。
短い会話の内容から、どうやら「ロールシャッハ検査」だろうと推測した。ロールシャッハとは、一枚の影のような画像から、何に見えるか、何の特徴があるかを精神患者に発表させて、その思考を読み取るものである。
「学校だと周りの目線が気になって、気づきが多くなりすぎないように気を付けていたんだけど、こっちだと一対一だから、もう、どんどんと浮かんできて……」
と、心理検査の時間が長くなった理由を嬉々として話していた。母親の相槌は、ぴょんぴょんするようだった。
二人の会話は、ここが鬱々としたクリニックの待合室であることを忘れた風だった。学生はしゃべくりの口で、だが一通り話すとガス欠を起こしたように静かになった。
僕は、気づきが多い症状ということは、ADHDだと思うのだが、会話に論理性は感じない。感情が先に来る会話の仕方で、会話というより報告気味。脊髄反射的だった。
こんなに若くして精神科通いとは。
学校では|疎《うと》まれて仲間外れのようなことをされたのだろうか。あるいは、学校では社交的にふるまえず、この感情の高ぶりを押し殺し、家に帰れば打って変わって元気な調子に戻る。母親の前だから気が緩み、口も緩んでいる。そんな調子なのか。
ドーパミンが切れたのか、会話は感情的に静かになり、今後のクリニックの頻度について話していた。「半年に一回でいい」と学生は通院頻度を最小限にしようとする一方、母親はもっと通ったほうが良いとしていた。
学生は土曜日現在の時点で、今の調子のままに半年後でよいという話をしている。母親はそんなことはあるまいと、気分の波があることをそれとなく示唆しているようだった。
第三者的視点の僕も、密かながら母親の意見に同調的だった。今は学校に行けているから精神科に通わなくてもよいと思っているかもしれないが、半年足らずで不登校になる気がする。先ほどの会話から母親の心配を嗅ぎ取った。
参考:人生初のロールシャッハ・テスト(note)
https://note.com/mericanadesico/n/nf9098d92dcdc
肉体を捨てた魂の依り代
YouTubeのトップページをザッピング。
動画のサムネイル群の中を垂直気味に下降していったら、アンコウのともし火のように目立つとある動画が目に入った。VTuberの配信アーカイブらしい。よくある二次絵の等身大パネルのような顔立ちで、パステルカラー的な薄い色合いだった。
タイトルには「VTuber×○○」とあり、○○の部分には「トランスジェンダー」と書かれている。
ふーん、と冷めたピザの政治家みたいな表情で、スクロールの|錨《いかり》で貫こうかと思っていた。VTuberの仮面をつけて、あまつさえ要配慮個人情報の一部をネットに開示して活動している。再生数も三桁どまり。無名VTuberだ、その辺のものと大したことはない。しかし、そのすぐ下に、
「肉体を捨てて得たものとは……」とあって、ピタッ。ホイールで操る錨は、音もなく停止した。ちょうど、その動画のサムネイル上だった。
なるほど、肉体を捨てる……、か。深いかもしれない、と僕は肘をついた。
あらかじめ言っておくが、彼らの言っている意味はあまりよく分からない。最終到達目標も、どこへ行こうとしているか、制止するつもりはない。ただ、どこかの通過目標として、「肉体を捨てる」というのは当てはまるだろう。
僕たちにはくだらない最終目標のようにしか見えないが、スペースシャトル計画のように壮大なだけで、創造的だ。
デカルト辺りが提唱していた心身二元論は、自分自身を捉えるための要素として、肉体と精神を分けている。「肉体を捨てる」とは文字通り、肉体の部分を捨て去って、心のみの自分世界の統一を謀っている。
普通の人はそんなことはしない。だから、これは特殊なケースだと割り切ろう。
精神の成熟的解脱だけなら、思春期かモラトリアムの期間でほとんど完了する。精神の土台は物質的なものだ。当たり前だ。あくまで脳細胞内の、ニューロン同士の電気信号のやり取りの総集めなのである。その結果を受け取っているのが意識の働きなのであって、その先は身体の隅々まで張り巡らされた末梢神経。それにて伝達される。
一方彼らの精神の土台は、物質的なものに根ざしていない。不安定だ。性別違和と物質的な身体を否定する代わりに、精神は電気信号という無性でありながら精神的性という哲学的なものに思考的昇華をしている。難しく考えればきりがないが、単純に言えば架空からの再構築。後天的な擬人化による、精神の再構築だ。
「思考には○○という傾向がある。だから男性的、女性的な性格を……」
これは単純に、男神的 / 女神的とか、そういった神的要素に当てはまりやすい。精神的から「精」を取り、純粋な神として、「自分だったものを擬人化」して再構築する。
かつては自然的災害の人間への被害に対して擬人化し、神の存在を創造したのがそもそもの始まりだ。それを真剣に考え始め、世界の一部ではなく自分の一部にも当てはめようと画策したのが、彼ら、という感じだろう。まともな文献はないが、きっと昔の人も一部はいたのではないだろうか。
どうやら、彼らのいう身体とは、単に成長する物質的なものという認識ではないらしい。つまりはリミッターのようなもので、大地に縛り付けるしがらみや鎖である。いつか来る幽体離脱の時までの、ある|種《しゅ》さなぎのようなもので、乳歯のように抜け落ちなければならない。本質は肉体に埋もれた「魂」にゆだねられている。
それ以外は無駄なのか? ――無駄だ。
本当に? ――それは……
魂まで達するとは、もはや神域で、人間の手に負えるようなものではない。この「人間」とは、他人のことも指すし、自分自身も無論「人間」の領域である。
自他ともに、そして自分自身でさえ手に負えないから、ネット世界でさえ自分を持っていこうとする。精神は、ネット上では文字列に自在に変化可能だと、独創的な認識齟齬がある。
その自分について(心身二元論を当てはめようとすると)、片割れしかない。片割れだから不安定なのであり、その不安定を補う要素としてネットに求めた、ということにしたい。
彼らは三次元を嫌い、だから魂はどこへと浮遊している。
依り代は三次元に存在しなければよいのだ――という条件を鑑みるに、ここまでシンプルなものはないかもしれない。難題だが。例えばネット世界に化けて出てくるために、二次元絵に憑依して……、という可能性も無きにしもあらん。
性自認がどうこう言ってたら、数年後には「生物自認は人ではありません。しゃべれるアザラシです」とかなりそうで良い。その時代になったら僕は喜んでしろたんになります。