『俺たちは抗う。この、最低な運命を変えるために。』
『私は、もう諦めたんだ。』
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Lily #1『最低で最悪な世界』
とある時、とある場所に、ひとりの少女がおりました。少女は家族に蔑まれ、クラスメイトにいじめられ、誰も助けてはくれませんでした。少女は、世界に絶望していました。『みんなと仲良くなりたい』『誰かに愛されたい』そんな少女の願いは、いつしか消え失せてしまいました。そんな時、またもうひとりの少女が、とある箱を見つけました。その箱の名は『叶箱(かなえばこ)』少女はこの箱を使い、幸せを手に入れる事ができました。しかし、物語はこれで終わりではなく……
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1人の少女が、本を持って泣いている。暗い部屋の中に少女のすすり泣く声だけが響く。少女の名前は『燕』。大きな翼を広げ、この無限に続く空を羽ばたく、燕。
ふと、部屋の明かりがついた。
「燕、いつまで泣いてるの?お母さん、もう謝ったでしょう?いい加減拗ねるのをやめて、こっちに来なさい。」
ノックもせず、ずけずけと部屋に入り込む女。おそらく、少女の『母親』なのだろう。
「ごめんなさいお母さん。」
パシ、と。乾いた音が部屋に響いた。燕は顔を母親から背け、鼻から口へと赤い液体を垂らす。
「あぁ、もう。床が汚れちゃったじゃない。早く掃除して。鼻血もすぐ止めて。学校に遅刻しちゃうでしょう?」
「…はい、承知しました。お母さん。」
女は部屋から不機嫌そうに出ていくと、猫撫で声で誰かに話しかけている。燕の部屋までには内容は届かないが、|概《おおむ》ね良いものではないだろう。
燕は鼻にティッシュを詰め、カバンの中に筆箱と教材を入れる。制服に着替え、髪を結い、床を拭いてから玄関に向かう。
「行ってきます。」
女と見知らぬ男を背に、燕は家を後にする。同じ制服を着た、いわゆる『一軍』の人々を横目に、いつもと何も変わらぬ退屈な通学路を通っていると。
「ねー、昨日送ったTikTokのやつ見た?」
「見た見た!どんな願いでも叶う箱?みたいなやつでしょ?」
「そーそー!でもそんなの本当にあるのかな?」
「あったらちょー最高だよね!」
図ったかのように、同じクラスの女子2人が燕の後ろを歩く。あまりにも周りを気にしない声で話すので、後ろを振り返らずとも誰かわかった。
「あれ、《《鳥ちゃん》》じゃない?」
「そんな可愛い名前じゃないでしょ?《《飛べない》》鳥ちゃんね!燕ちゃん!」
後ろから、急にわっと肩を掴まれる。そのまま自然な流れで肩を組まれ、憎たらしくも愛らしい微笑みを浮かべる。おもむろに、女子の片方が燕の足の前に自分の足を出した。
当然そんなことを予想していない燕は、控えめとは言い難い音を立てて転んだ。
「あっごめーん。足が引っかかっちゃったー!」
「あはは!わざとじゃないし許してよー燕ちゃん!」
きゃあきゃあと声を上げながら、女子ふたりは燕を追い越して軽快に走っていった。
「…うん。」
許してよ、という言葉の返事を空気に述べながら、燕は立ち上がり膝についた砂を払った。幸い、かすり傷だ。
また退屈に戻った通学路を、重い足取りで歩き、ついに学校に着いてしまった。自分の教室のドアを開ける。
「あ!燕ちゃーん。アンタの机ダサかったから可愛くしといてあげたよ!」
「燕ちゃんも、可愛い机の方がいいよね!」
燕が自分の机にカバンを置く。殺伐としていた机の上には、黒1色で書かれた様々な模様と、ご丁寧に装飾用の一輪挿しの花瓶まで置かれていた。これを可愛いと思えるセンスは疑うべきだが、なるほど、随分と賑やかな机になったなと、燕は思った。隣の席には、いつも本を読んでいるつまらない《《男》》がひとり。反対側の隣は、馬鹿みたいに晴れ渡った空が見える。
ガラガラと音を立てて、教室のドアが開いた。なんとも正義感の強そうな顔をした少女…もとい、|藤原 奈緒《ふじわら なお》が教室に入ってきた。堂々とした歩きっぷりをこれでもかと見せつけて、奈緒は燕の前の席に腰を下ろした。
「燕、おはよ!…はぁ、アイツらも懲りないよねー。」
奈緒は燕の机の上の装飾たちを見つめてそう言った。
「私は気にしてないから。」
燕のなんの気にも止めていないような態度に、奈緒は眉を釣り上げた。
「ダメだよ!ちゃんとしなきゃ!机拭くもの持ってくる!
そろそろチャイムが鳴るなという燕の杞憂はよそに、奈緒は教室の外に出ていった。そして、燕の杞憂した通り。奈緒が廊下に出て10秒程でチャイムの音が鳴り響いた。同時に、担任が入ってくる。
「みなさん朝礼の時間です。あら、藤原さんは?」
誰が声をあげるでもなく、十数秒の時間が過ぎた頃。
「すみません、遅れました。」
手に雑巾を持った奈緒が教室に入ってきた。
「早く座ってください。遅刻ですよ。」
担任の至極真っ当な指摘をよそに、奈緒は自分勝手に|宣《のたま》う
「でも、燕の机に落書きがあって…」
「はぁ、このクラスに限ってそんな事があるわけないでしょう?」
「でも、本当に燕は…」
「藤原さん、早く座って。」
決して突き放してはいないが、有無を言わさぬ声で燕は言い放った。奈緒は燕の言葉に言葉を飲み込み、大人しく座席に座る。
「今日の連絡事項は特にありません。では、朝読書の時間にしてください。」
毎朝15分の読書の時間がとられ、担任はただぼーっとしているだけだ。やがてその時間が終わり、退屈でどうしようもない一日が始まる。
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今日もまた、退屈でどうしようもない一日が始まった。友達もいなければ、あそこにいる《《彼女》》のように、誰かに構ってもらうわけでもない。いや、むしろあの場合は構ってもらわない方が良いのだろうが。
今日もまた、誰にも求められない。今日もまた、《《俺》》は生きている実感も何も無いまま時間を浪費するだけだ。
「先生に媚び売ってんじゃねえよ。」
「男に体売って相手してもらって恥ずかしくないわけ?」
『広』の座っている席の隣で、そんな会話が聞こえてくる。友好的なものとは到底思えないそれは、会話というにはあまりに一方的だった。広は本を広げ、どうにか巻き込まれないように祈る。
また別の少年の名前は『広』。無限に続く広い世界を知らぬまま、狭い世界の中に囚われている、広。
「あれは、向こうから話しかけてきただけで…」
「話しかけられて嬉しいですってか?美人はいいよね、何もしなくても男が寄ってくるんだから。アンタのその顔、二度と綺麗なんて言われないようにしてやる。」
《《女》》は筆箱からカッターナイフを取り出し、カチカチと音を立てて刃を出す。カッターナイフが燕の顔に突き立てられる直前。
コロコロ、と、この場にはあまりにもそぐわない間抜けな音が響いた。
「ご、ごめん…鉛筆落としちゃって…」
広は足元に落ちた鉛筆を拾い上げる。その行動に毒気を抜かれたのか、女はカッターナイフをしまい込み、急に興味を失ったかのようにその場をあとにした。鉛筆を筆箱に直し、本をまた広げる。
「…私、助けてなんて言ってないけど。」
顔を切られる直前だったとは思えないほど冷静で、残酷な声色で燕は放った。
「俺も、君を助けたなんて言ってない。」
広は精一杯の虚勢で返した。助けて《《あげた》》なんて傲慢な考えは良くないと頭では分かっていても、ついそう考えてしまう。
「…変なの。」
燕は感謝の言葉も述べず、自席に戻った。
…それから、特に何も起きることもなく、学校は終わりの鐘を響かせる。
「今日の掃除は三班。号令。」
「起立、気をつけ、礼。」
藤原の元気のいい号令と共に、広は帰宅した。なんの面白みもない、いつもの通学路を通って家に帰る。その足取りは、いつもより少しだけ軽かった。
「ただいま。」
広は小さく呟いて、自分の部屋へと向かう。ドタドタと、明らかに必要以上の重量を持った肉体が動く音がした。
「あぁ、広おかえり。」
その肉体の正体は、広の父親だった。男は下から上まで舐めるような視線で広を見つめる。
「またこんな格好で行ったのか。」
こんな格好、というのは、断じて広が染髪をしているとか、ピアスの穴がたくさん空いているとか、だらしない服の着こなし方をしているとか、そういうことではない。
「何を着ようが俺の勝手だろ。」
「着る物を買っているのは俺の金だ。買ったんだから着ろよ、スカート。」
広は、制服を着用するのにスラックスを着ていた。普通のブレザー、どこからどう見たって正しい服装。
「《《女》》は《《女らしく》》しろ。昔は可愛かったのになぁ。」
男の口癖だ。広が気に食わないことをする度に、昔のことを持ち出す。
「だから父さん、俺は…」
「その言葉遣いもやめろ。とにかく、明日は着ろよ。」
男は乱暴にスカートを押し付けると、足音を響かせながらリビングのソファに戻って行った。広はスカートを持ったまま重い足取りで自分の部屋に入った。
ベッドの上にスカートと荷物をほおり投げ、その横に倒れ込む。
いつも、頭を巡る考えがある。
『どうして、女に産まれたのか。』
もし男に産まれていたなら、父ももっと優しかったかもしれない。母も、こんな自分に絶望して家を出ていくなんてことをしなかったかもしれない。もっとまともに友達も作れたのかもしれない。全部、《《かもしれない》》なのだ。
翌日、広は財布の中に自分の全財産を詰め込んで、カバンにしまいこんだ。午前中の授業は実に退屈なもので、どうしようもなく広を現実に引きもどす。
昼休みになったが、広はずっとふわふわとした気分だった。軽い足取りで階段を上がり、屋上のドアを開ける。この高校の屋上は、日当たりがよく、真夏にはきつい。
隅には、無愛想な花壇がある。この屋上は気が利かず、フェンスなんてものはない。もっとも、この高校の生徒は主体性が無いので、そもそも屋上に入る人がいないから安心といえば安心だ。
広はふわふわした気分のまま、不思議な全能感に包まれていた。今ならなんでもできる気がする。今なら、《《どんな願いだって》》叶えられる気がする。広は、自分の中の願いの1つを叶えようと、その足を1歩ずつ踏み出した。
そして、最後の1歩を。
(俺は、何してんだ…)
…踏み出さなかった。
広の全能感は消えており、代わりに恐怖と、少しの自己嫌悪が湧き上がってきた。
不意に、屋上の扉が開く音がした。誰かが来たのだ。扉の向こうに見えた少女は、広に向かって歩く。そして口を開いた。
「…暑くないの?」
暑い、なぜだ。なぜそんなことを聞く。広は自分の姿と空を見た。真夏の昼間に、太陽に近いところに長袖のパーカーに窮屈なスラックスを着ている。そりゃあ、他人から見たら暑くないのか、という疑問があがっても不思議ではない。
「え、平気だよ。」
嘘をついた。本当は冷や汗ダラダラで、今すぐにでも上着を脱ぎたいくらい暑い。だが、脱いでしまえばこの現実を直視することになり、もっと惨めになる。
「そっちこそ、暑くないの?」
燕の服は、至って普通のブレザーだ。スカートを折ることもなく着用し、ショートボブの髪はそのまま下ろしている。この季節には似合わないセーターを着用していること以外は、至って普通だ。
「暑いよ。」
まるで当然のことのように、燕は素直にそう答えた。広の目の前にいる少女の苗字は確か…
「えっと、|葛城《かつらぎ》、だよね。どうして…。」
「燕って呼んで。その苗字嫌いだから。」
珍しいな、と思った。普通、嫌いになるなら名前の方ではないのか?
「…燕はどうしてここに?」
「どうだっていいでしょ。|只野《ただの》さんには関係ない。」
「あの、俺も苗字で呼ばれるの嫌だわ。」
「只野?なんで?」
自分の発言に自分でも驚いた。なんとなく、苗字で呼ばれるのがむず痒くて気持ち悪い。何か形容しがたい拒絶が胸の内に湧き上がるのを感じた。燕もこうなのだろうか?
「なんとなく、かな。|只野広《ただのひろ》ってなんか嫌じゃん。」
「そう?」
「そういう燕は?」
「私もなんとなく、かな。」
「なにそれ、絶対嘘じゃん。」
「わざわざ広に本当のこと言う必要ある?」
「いや、無いけど…」
会話をする内に、違和感が出てくる。なんだろう、自分が思っていた感じとは、だいぶ違う感じの人だなと思った。
「けど、なに?」
「教室とキャラ違くない?」
「そんなことないよ。」
そんなことないわけない。普段の燕は、こうも掴みどころのない人ではなかった。教室ではもっと、厄介事を避けようと尽力し、他人との交流を嫌がるタイプだと思っていたが、案外おしゃべりさんみたいだ。
話題が途切れ、気まずい沈黙が流れる。広はどうにか沈黙を破ろうと、必死になって頭を動かす。
「なぁ、何しにきたの?」
「…屋上に花壇がある学校って珍しいなって。」
「確かに。」
咄嗟に肯定したが、実際に屋上に花壇がある学校は他にどのくらいあるのだろう?そもそも屋上に入れない高校もあるだろうし、他の高校に花壇があるかを確かめる方法があるわけでもない。また、気まずい沈黙が流れる。
「ねぇ、広の一番大切な人って、誰?」
今度は向こうから話しかけてきた。ただ、かなり困る類の質問をされてしまった。
「…いないよ。そんな人。」
少し身の回りの人の顔を思い浮かべた後、そう言った。他に大切な人がいないのなら、逆説的に自分が1番大切なことになるのだろうか。それとも、自分は自分自身すらも大切にできないのだろうか。
「実は私もそうなの。似てるね、私たち。」
「そうかな。俺は別に学校ではいじめられてないけど。」
似てるね、と言われて、広はすぐに違うなと思った。お互いに大切な人がいないという共通点はあるが、それ以外があまりにも違いすぎる。燕は容姿端麗で文武両道な才女だが、広はどうだろうか。
「『学校では』って、家ではいじめられてるってこと?」
「なんでそうなる…まあそうだけど。」
正直、広は少し肯定するか迷っていた。学費も食費も出してくれる、自分に手を上げたりもしない父親は、本当に広をいじめてると言えるのだろうか。広の心を理解せず、モラハラ気質ではあるが、成績にも特に口を出されず、衣食住がきちんとしているだけマシなのだろう。
「やっぱり似てるよ。私達。私も家でいじめられてるの。少しでも成績が下がれば叩かれるし、他にもあるけど。広はどうなの?赤点取りすぎて怒られてる?」
「違うよ。前回も一応…ギリギリ赤点無かったから。ってそんな話はどうでもいいよ。」
やはり、燕とは似ていないと思った。燕の方が大変、というより、どうしてそうも《《普通》》な感じでいられるのか、広にはわからなかった。
「ごめんごめん。で?本当はどうしたの?」
自分は、どうかしてしまったのだろうか。ただ、神様に容れ物を間違えられただけで、《《どうかした》》と言えるのだろうか。
さっきから広の頭の中に疑問が浮かび上がるばかりで、答えは何も出てこない。ただ、燕には本当のことを言っても、笑って軽く流してくれるような気がした。
「…俺、男になりたかった。」
「なれるよ。高いお金払って、病院に通うの。」
てっきり、『気持ち悪い』とかよくて『まぁ頑張って』とか言われるのだと思っていた。まさか、そんなあまりにも現実的な返しをされるとは思ってもみなかった。
「そんな金無いし、家族も…絶対許してくれない。」
あの父親が快くお金を出してくれるとは思えない。そもそも病院に通うことも許してくれないだろうし、仮に許してくれたとして、広の家にそんな蓄えはない。
燕もあまり追及すべきでは無いと思ったのか、そこで話題が途切れた。
「『叶箱』って知ってる?」
また燕の方から話を振ってきた。『叶箱』。聞いたことはある。
「どんな願いも叶える箱…だっけ。」
どんな願いも叶える箱。噂は聞いたことがある。この地域特有の都市伝説らしいが、今はインターネットによってわりと広く知られている都市伝説だ。
「一緒に探さない?」
「いや、ただの都市伝説でしょ?」
燕の目は、気が狂った人間のそれではなかった。本気で叶箱を信じている人の目。希望に満ち溢れた人の目。
「でも実際、それを使った人がいるって噂だよ?」
「俺オカルト信じないから。」
「でも探す価値はありそうじゃない?」
「…まあ、本当ならね。」
その時、急に屋上の扉が開いた。おせっかいものの藤原奈緒が侵入してきたのだ。
「2人ともここにいたんだ。もうすぐチャイム鳴るよ?」
スマホで時間を確認すると、授業開始3分前だった。そろそろ戻らなければ、授業に遅れてしまうだろう。広はそう思い、藤原の方へ一歩踏み出した。
「私達は行かないよ。」
広は燕に腕を引っ張られた。心臓が小さく跳ねる音がしたが、きっと授業に遅れたくないだけだ。
藤原は燕の様子に酷く驚き、声を大きくした。
「どうして?あのいじめのせい?それなら私が…」
「藤原さんは優しいね。でも、私達はこれから願いを叶えに行くの。」
「願いを叶えるって…願いなんて、努力すればなんでも叶うよ!」
藤原の一言がまずかった。藤原はきっと、努力じゃどうしようもない壁にぶち当たったことがないのだろう。綺麗事を実行し、綺麗事だけで生きてこれたような人なのだろう。そうでなければ、燕の前で、広の前で、あんなことは言えない。
「そんなことより、教室戻ろうよ!」
「そうだよ燕、戻らないと。」
藤原は燕の腕を無理やり引っ張って連れて行こうとした。広も藤原に同意し、一緒に行こうとした。
「やっぱり、藤原さんは私の事わかってくれないんだね。」
「私は、燕の事ちゃんとわかってるよ!だからあの陰湿ないじめもどうにかしようって…」
パシンと、強い音が響いた。燕が藤原の手を強く叩いて振り払ったのだ。
「私、行かないから。」
燕がそう言った直後、チャイムが鳴り響いた。藤原はキツネに摘まれたような顔をしながらも、やはり授業の方が大事なようで。
「早く教室戻るよ!」
足早に階段を駆け降りて行った。広もまた、燕を気にしつつも屋上から出ようとする。しかし、燕に止められた。
「燕?授業遅れちゃう…」
「いいよ。チャイムに焦って走って、傍から見るとかなり滑稽だよね。」
「いやだから、授業…」
「いいって。広、スマホと財布持ってる?」
広は片手で自分のポケットに手を当てた。まるでこうなることが運命だったように、広の財布にはなけなしの札束が全て入っていた。
「持ってるけど…なんで?」
「じゃ、今から行こ!」
「行くってどこに…」
「そんなの、叶箱を探すために決まってるでしょ?」
「今から?!」
広は当然驚いた。学校を放り出してしまっていいのだろうか。
「別にいいじゃん。どこにいこうがどうしようが、私達の自由なんだよ?」
「自由って言ったって、目星もないのに…」
急に自由と言われても困る。高校生では、自由と言っても限定的なものだし、結局は敷かれたレールの上を自由に歩くというだけだ。
「じゃあ来なくてもいいよ。私一人で行くから。」
燕は広に背を向けて一歩ずつゆっくり歩いた。広は、自分でも予想外の行動に出た。
「……行く!一緒に、自由になろう。」
この言葉の理由を、広は自分でも説明できない。ただなんとなく、今ここで止めなければ、二度と燕と会えないような気がした。ただそれだけだ。
燕は一瞬面食らったような顔をして、そしてすぐに笑顔になった。
「私行きたいところ沢山あるの!」
(こんなふうに、笑えるのか)
広は燕の笑顔から目が離せなかった。誰がこの笑顔を見ただろう。誰が、この笑顔を奪ったのだろう。広はこの世界が、さっきよりもっと恨めしくなった。
「…行きたいところってどこ?」
「んー、カラオケとか、お祭りとか…とにかくいろんなところ!」
燕は旅行に行く子供のようにはしゃぎながら答える。とりあえずバレないように静かに校舎の外に出て、二人とも上履きのまま学校から離れるように歩いた。
この時から、きっと何かを間違えてしまっていたんだ。