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目次
【第1話】6つの精神
この世界には、数年前から化物が存在している。
ある原子力発電所が事故により爆発し、大量の放射能が蔓延した土地にて、
無尽蔵に化物が湧き出すようになってしまったのだ。
やがて化物は人間が暮らす街を襲うようになり、政府は対抗策を考えた。
化物と戦う兵士を雇い、対化物の軍隊を作ったのだ。
そしてその軍隊の、とある特殊部隊の専属精神科医として雇われたのが私。
特殊部隊”カルネアデス”。一際戦闘能力が高い、6人の精鋭で構成された部隊。
だが彼らはそれぞれ、精神にとんでもない爆弾を抱えていたのだった。
それが化物たちの戦闘によるものなのか、それともそれ以外の原因があるのか。
カウンセリングを続けていかなければ、それについては分からない。
私は椅子に座り、カルテをひとつひとつ眺めた。
ハイディ・ベーゼ、女性。27歳。5年前にPTSDを発症。
心的外傷、トラウマとなっている出来事の記憶を、何度も悪夢や
記憶としてフラッシュバックするのだという。
大きな音や破裂音に対して異様な恐怖心を示し、我を失うことがある。
PTSDを発症する原因となった出来事の記憶は曖昧らしく、
何度か話そうとしてくれたことがあるが、内容は不明瞭だった。
常時不安や焦燥感を抱えており、集中力が切れやすい。
客観的に物事を考えるのが難しく、他人と話が噛み合わないことがある。
今現在、カウンセリングや薬物療法で治療を試みている。
ジークリンデ・ファウルシュテフィ、女性。24歳。
ナルコレプシーを患っており、いつからなのかは不明。
時間や場所に関わらず、時折強い眠気に襲われる。
それが戦闘中だったとしても、彼女は睡魔に抗えない。
入眠時に鮮明な幻覚を見てしまったり、金縛り状態に陥ることがある。
化物との戦闘中に寝てしまったことで足を失っており、今は義足。
あの時のようになることを強く恐れており、一刻も早く
治してほしいと言われている。薬物療法で治療を試みている。
ヴァルター・ブロイアー、男性。23歳。異食症を患っている。
本人の話から、物事ついたころからの性質だと推測される。
主に地面に関連するものを食す。土、砂、泥、砂利、小石、
その小石の裏に虫が張り付いていたとするなら、それも食す。
何故そのようなものを口にするのか、本人に聞いてみたところ、
「食べたいものを食べるのに理由はいらない」と回答された。
本人に治療の意思は無いと判断し、積極的な治療は行わない。
異食により何らかの病気になってしまうことにだけ気をつけ、
月に3回は大きな病院で検査をしてもらうことを進めた。
フォルカー・ヴァルツェル、男性。31歳。境界性人格障害を患っている。
いつ頃から発症したのかは不明だが、彼の身の上を聞いたところ、
15歳以前の記憶がほぼ抜け落ちていることが発覚。
その間に何かが起きていたのだと推測されるが、それに関しては不明。
激しい怒り、悲しみ、不安、孤独、見捨てられたような気持ち、虚無感など、
気分がめまぐるしく変化し、それら一つ一つのコントロールが難しい状態にある。
不安や葛藤について、自分の中だけで処理することが難しいようだ。
破滅的、破壊的な言動が多々見られ、性的に非常に奔放である。
アルコール依存であり、夜はよく酔いつぶれている場面が見受けられる。
風呂場での目撃情報から、リストカット、レッグカットをしていることが判明。
その他にも、境界性人格障害の症状がかなり色濃く見られる。
カウンセリングによる治療を試みている。
コンラート・フィンガー、男性。24歳。潔癖症を患っている。
彼の幼少の頃の環境が発症の引き金だと考えられる。
両親を早くに失っており、劣悪な環境の孤児院で育ったそうだ。
彼の潔癖症は、生まれ持った性質的なものではない。
自分の意に反して不合理な行為を行ってしまう、強迫性障害の一種だ。
非合理的な行為だと分かっていつつも、彼は手の皮が剥がれて
出血するくらいまでに手を洗ってしまう。漠然とした不潔への恐怖心で、
無駄だと分かっていつつこんなことをしてしまうのだ。
行動療法として”エクスポージャーと儀式妨害”を取り入れることを
提案したが、本人はそれを拒否。従来通りに薬物療法と
カウンセリングで治療を試みている。
テオ・リヒテンシュタイン、男性。28歳。解離性同一性障害を患っているが...
正直、今の時点ではまったく普通に見える。もう一つの人格が
出てくる気配もなく、精神的にどこか異常がありそうにも見えない。
症状が見え次第治療を開始し、今のところは後回しにすることにした。
カルテを閉じて、天井を仰ぎながらため息を付いた。
この仕事をやる前から覚悟はしていたが、やはりとても疲れる仕事だ。
今日も誰かのカウンセリングがあった気がするが、誰のだっただろうか...
カレンダーを確認すると、今日の日付には”ハイディ”と書かれていた。
彼女のカウンセリング...骨が折れそうだ。
【第2話】狂気へのディスカッション
午後▓時、ハイディ・ベーゼへのカウンセリングを開始。
LOG記録プログラムにて、カウンセリングの内容は
自動的にすべて記録される。誤記に関しては、人の手での修正を要する。
表記について:
[Target:Heidi]→ハイディに対する第三者の行動。
ここでの場合、ドクターの行動はこう表記される。
[Target:Doctor]→ドクターに対する第三者の行動。
ここでの場合、ハイディの行動はこう表記される。
他にもプログラムが疑問を感じた点を括弧の中に表記する。
この文はあくまで機械から見た所見であるため、消しても構わない。
---
[▓▓:▓▓:▓▓][Target:Heidi]問診を開始
[▓▓:▓▓:▓▓][Same as above]最近なにか困ったことはあるかい?
[▓▓:▓▓:▓▓][Target:Doctor]いえ、特には…最近は寝られていますし。
(ハイディは、軽く目を逸らした。
供述に嘘の可能性あり。)
[▓▓:▓▓:▓▓][Target:Heidi]他の兵士とはうまく行っている?
[▓▓:▓▓:▓▓][Target:Doctor]うまく、というのがどういうことなのか
私にはあまり分かりませんけど…多分。
まだ話を噛み合わせられない時がありますけど。
[▓▓:▓▓:▓▓][Target:Heidi]無理はしなくていい。着実に治療を進めよう。
他に確認しておきたいことはあるかい?
[▓▓:▓▓:▓▓][Target:Doctor]…フォルカーさんと部屋を離すことはできますか
[▓▓:▓▓:▓▓][Target:Heidi]問題ないけれど、何かあったのか?
[▓▓:▓▓:▓▓][Target:Doctor]喧嘩があったとか、そういう関係のこじれでは
無いんですけど…ただ、夜うるさいんです。
私はまだ、大きい音が怖いので…
(ハイディの心拍数に若干の上昇が見られる。
軽くPTSDの症状が出ていると思われる。)
[▓▓:▓▓:▓▓][Target:Heidi]分かった、私の方から上に打診しておくよ。
[▓▓:▓▓:▓▓][Target:Doctor]ありがとうございます。助かります。
[▓▓:▓▓:▓▓][System]LOG記録を終了
---
カウンセリングが終了し、LOG記録システムの記録データに目を通す。
人間の目からは分からない細かな挙動や心拍数から、患者の心理的状態について
記述してくれるのは非常に助かる。この記録データから、彼女が今も
あまり眠れていないであろうことが考えられる。
何故嘘をついたのかは分からないが、恐らく自分に対しての失望から。
どれだけ薬を飲んでもどれだけ良くしてもらっても、一向に症状が
良い方向へと向かわないことに対する焦り、そして焦燥感。
それが彼女に”自分は大丈夫”だという嘘をつかせた原因だと推測する。
病気が治らないのは、彼女のせいではない。ましてやPTSDになったのも
彼女のせいではない。だが、彼女は物事を客観視することが難しい。
このことを伝えたとしても、彼女に言葉通り受け取ってもらえるかは不明だ。
なら、一先ずそっとするのが一番だろう。根気強く接していく。
精神疾患を抱える患者と接する際、最も大切なことはこの”根気”だと考える。
根気強く接していくことで見えてくる事柄もあるし、話を重ねることで
こちらを信頼してもらうこともできる。そして、回復への近道にもなる。
患者は皆口を揃えて”早く”と言うが、早くやっても何もいいことはない。
精神疾患において、一番危険なのは治りかけの状態である。
だから、我々は根気強く患者と接していく必要があるのだ。
カウンセリングの記録だって、出来ることなら私の手で取りたい。
だが見ての通り機械は正確であり、人間では分からないことも分かる。
そして軍からは、必ずこのシステムを使用しろとのお達しが出ている。
なら私がすべきなのは、自分が取ったメモとシステムのLOGを照合し、
私からの所見と機械からの所見のどちらも反映させたカルテを作成すること。
そうして見やすく正確に作成したカルテを、軍の上層部にしっかり見せることだ。
「これがハイディ・ベーゼさんのカルテです。今月の分すべてになります。」
「ふむ。一つお聞きしたいのですが、治療は順調なのですよね?
では、なぜ一向に回復に向かっている気配が無いのでしょうか。
むしろ素人目からしたら、悪化しているように見えるのですが。」
「はぁ、素人なのでしたら黙っていてください。
貴方がたは知らないかもしれませんが、精神疾患だって病気です。
癌が簡単に治るとお思いですか?いいえ、思いませんね?」
まったく、この老害には頭を悩まされるものだ。彼らは昼間優雅に
紅茶を啜る立場でありながら、こういう部分に頭を突っ込んでくる。
言い返せもしないくせにいけしゃあしゃあと吐きやがるのは、逆に感心できる。
話の切り替えに咳払いをしてから、私はハイディの部屋について、
フォルカーと離してやることは出来ないか打診してみた。
だが話の流れが悪く、老害はわざとらしくため息をついてみせた。
「正当な理由があるのですか?」
「だから、カルテにすべて書かれていますよ。よくお読みになってください。」
「ああ…要するに、彼女は大きな音が怖いということですか?」
「そういうことです。大きい音でPTSDの症状が…」
「分かりました。部屋は離しますから、どうかお静かに。」
「私は至って静かですよ、うるさいのは貴方だと思いますが。」
困った老害にそう諭すと、唇を噛んでからやっと静かになってくれた。
恐らくこの全自動紅茶啜り機は、若者にケチを付けたいだけなのだろう。
私は精神科医にしては若手の方だし、この老害に目をつけられるのは分かる。
地獄の時間が終わり、私は居心地の悪い小部屋を後にした。
人通りの少ない廊下に、自分のヒールの音だけがツカツカと響いた。