名前変換設定
この小説には名前変換が設定されています。以下の単語を変換することができます。空白の場合は変換されません。入力した単語はブラウザに保存され次回から選択できるようになります
1 /
目次
あの日の傘を。
︎
コツ、コツ、コツ
まただ。
また聞こえる。
彷徨き回る足音。
気味が悪い。
無視すればいい。
なのに頭から離れない。
小さな違和感が、俺の好奇心を掻き立てる。
--- 「あの日の傘を。」 ---
静寂の中、紙をめくる音だけが聞こえる。
俺はこの時間が好きだ。
小さな窓からはたくさんの星が見える。
虫の音や葉が擦れる音が聞こえるのも良い。
黄色がかった蛍光灯。
古びた木の机。
俺は村の小さな図書館で深夜、バイトをしている。
仕事内容が簡単だったというのもあるが、単純に俺は本が好きだ。
深夜だからほとんど人も来ない。
そもそも深夜までやってる図書館なんて珍しいだろう。
だから一人だ。
本も読めるしお金も貰える。
こんな最高のバイトがあるだろうか……
そう思っていた。
そう、昨日までは。
--- *** ---
いつも通りだった。
はずなのに。
--- コツ、コツ、コツ ---
誰もいないはずの図書館から足音が聞こえる。
お客さんかなと最初は思った。
だが、見に行っても誰もいない。
気味が悪い。
忘れてしまおう。
--- コツ、コツ、コツ ---
考えるな。
--- コツ、コツ、コツ ---
やめてくれ。
さーっとカーテンが靡く。
それが一瞬人の影に見えて心臓の鼓動が早まる。
気づいた時には俺は逃げていた。
得体のしれない足音。
不気味すぎだろ。
幽霊なんて信じるタチじゃねえからこんなバイトやってるのに、俺、まさかビビってんのかよ。
いや、ないない。
幽霊とか、いねえし。
だって、産まれてこの方、みたことねえし。
…まだ16年しか経ってないが。
この日は一旦、忘れることにした。
だが、忘れようとして忘れることができるなら苦労なんてしないだろう。
あの床を歩く音が耳から離れない。
考えてるだけでまたあの音が聞こえてくるようだ。
気にしない。気にしない。
そう思いながら今日は家に帰った。
--- *** ---
次の日も、その次の日も、あの足音は聞こえた。
そして、俺はあることに気づいた。
足音は毎日同じ時間帯に聞こえるということ。
その足音は、ある場所で止まること。
そして、その止まる場所の棚の本の一つが、ほんの少しずれていること。
不気味すぎる。
でも、調べずには居られない。
こういうホラーみたいなやつって一度見ると止まらないんだ。
結果を知れば怖くないってことが分かるんじゃないかって。
……それで結局怖かったっていうことがほとんどだが。
次の日、意を決して足音が止まる棚の前に足音が聞こえる時間に立ってみることにした。
足音が聞こえる時間帯は十二時ぐらい。
十分前からそこに立ってみた。
心臓が張り裂けそうだ。
でも試さずには居られない。
きっと、なにかが分かるはずだ。
--- コツ、コツ、コツ ---
きた。
来てしまった。
--- コツ、コツ、コツ ---
実際足音が聞こえると怖くてもう動けなかった。
足音がだんだんこっちへ近づくのを感じる。
こんなことしなければよかった。
そう思った時。
足音がぴたりと止んだ。
背筋に冷たい汗がつたる
--- バタン!!! ---
「わああああああああああああ!!!!!!」
咄嗟に恐怖で目を瞑ってしゃがみ込んだ。
マジでなに、さっきの音。
目開けれねえよ、怖すぎて。
ただこのまま目を瞑って過ごすわけにはいかない。
そっと目を開けた。
目の前には表紙が薄く汚れた本が落ちていた。
ああ、なんだ、本が落ちただけか。
そう、落ちただけ。
別に本が落ちることなんてよくある。
いや、1人でに本が動く訳ない。
なんで……
いや、いやいやいや、幽霊とかいる訳ないだろ。
普通に考えてみろよ。
いるわけない。そんな……。
じゃあ幽霊とやらがいなきゃこの状況はどうやって説明するんだ。
頭が著しく回転する。
心臓が信じられないほど強く脈打つ。
--- ペラ… ---
「………え」
その落ちた本があるページを開いた。
勝手に。
「いやいやいややめてくれよ……」
怖いのに、目が離せない。
忘れたいのに、もっと知りたい。
俺はそのページを凝視する。
なぜか色褪せた便箋が挟まっていた。
それは暗闇の中でこちらを覗いていた。
触っては行けない、頭はそう言っている。
でもこの好奇心は抑えられない。
なぜか、懐かしい感じがした。
便箋を開き、文字を見る。
ユウへ。
おい少年!!私のこと覚えてる??生きててよかった。ほんとに。昔ここの深夜バイトをしてたハルだよ。
小学生だったのに今では16歳??デカくなったなーチビだったのに笑笑
そんなことはどうでもよくってさ、伝えたいことがあるんだ。
お前、もう二度と諦めんなよ。自分がやりたいことやれ。
お前は前とは違うんだ。味方がいるよ。
それだけ。私はお前のこと見てるからな。残念ながらお前から私は見えんけどな!!笑笑
この手紙が、雨夜ユウに届くと良いな。
「俺……のこと??」
俺の名前は雨夜ユウだが、ハルという知り合いはいなかったはずだ。
でもこの所々文字が滲んでいるこの手紙には、たしかに夜雨ユウと書いてあった。
なぜか、懐かしい。
分からない。
なんで……
謎が多すぎる。
俺はこの手紙の主であり、おそらく足音の主である“ハル”が一体誰なのか、調べることにした。
--- *** ---
次の日もまたバイトに来た俺は、職員名簿からハルを探すことにした。
この分厚くて所々破れてしまっているファイルの何処かに、ハルがいる。
一ページ目から開くとそこにはズラーっと職員の名前が並んでいた。
「全部見てたら日が暮れるどころか、1年経っちまうぞこれ……」
有りえんほどの職員の名前。
どうやらこの図書館は随分長くからやっているらしい。
なにかいい方法は………
そうだ。
この手紙には、俺と小学生の時に会っていたと書いてある。
俺が小学生だった頃は十年前だから、十年前の職員が書いてあるページを開いた。
この職員名簿は、何年か親切に書いてあって良かった。
「ハル…ハル…ハル………」
ペラペラと本をめくっていく。
ひとつの名前に目が留まる。
それは黒く塗りつぶされていた。
「なんて書いてあったんだー……??」
雑に塗りつぶされているため、後ろが少し見える
よく見ると塗りつぶされている名前は、ハルだということに気がついた。
なんで塗りつぶされてるんだ……?
ハルの苗字までは読むことができなかった。
でも、職員情報欄は幸いなことに塗りつぶされていなかった。
●● ハル
性別:女
生年月日:2002/7/1
雇入れ年月日:2018/5/4
退職:2019/10/6
退職理由:死去
死亡……?
何があったんだ……?
退職した日がハルが死んだ日として考えていいだろう。
2002年に生まれたんだから死んだ時にはまだ17歳だ。
だいぶ若いな……
何があったんだろうか。
俺はハルの死因をくわしく調べるため、当時の新聞を見た。
事件や事故なら載っているかもしれない。
棚に整理されてあったため、これを探すのにさほど時間はかからなかった。
2019/10/6の新聞を開く。
新聞のある文が目に入った。
“朝日乃商店街にて、朝霧 ハル(17)が殺害されるという事件が起こった。
犯人は、雨夜 望(43)で特定の人物を狙った計画的な殺人と見て、警察は捜索を進めている。
また、雨夜 望(43)の息子、雨夜 ユウ(6)は行方不明になっており、殺害したとみて捜索を進めている。”
「……え」
文字が歪む。
歪んでいるのは自分が泣いているせいだった。
俺の記憶の中の父さんはこんな事しないはずなのに。
…………あれ。
父さんは………俺は…
幼少期の記憶がうまく思い出せない。
「なんで…」
うまく整理できない気持ちを無理やり押し込んで、今日は家に帰った。
--- *** ---
今日もまた小さな図書館へ来た。
“また、雨夜 望(43)の息子、雨夜 ユウ(6)は行方不明になっており、殺害したとみて捜索を進めている”か……。
俺は全然生きてるし、行方不明になっていない。
はず。
なぜか思い出せない。
何があったんだ……
足音、ハルの死、俺の行方不明、父親がしたこと。
不穏だ。
謎が解けないまま、時が過ぎていった。
「やべ、バイトの時間じゃん。忘れてた」
急いで家から飛び出す。
雨が降っていた。
夜だということもあり、周りがよく見えない。
急いで飛び出したから傘を忘れた。
体が冷えていく。
もう靴下がびしょ濡れだ。
--- ザーーーーーーー。 ---
強い雨音。
なにか……何かあった気がする。
こんな雨の強い夜に。
大切なことが、あった気がする。
--- **ドク、ドク** ---
--- “「うわあああああん」” ---
--- “さむいよ………さむいよ。” ---
--- 体がいたいよ、だれか、だれか助けてよ。” ---
--- “ここはどこなの。ねえ、だれか…………” ---
--- “もう、しんでもいいや……” ---
--- “「大丈夫かそこのガキ!!」” ---
--- “きゅうに雨がやんだ。と思ったけど、おねーさんが傘をさしてくれたみたいだ” ---
--- “「……おねーさん、ここ、どこ……?」” ---
--- “そう聞くおねーさんはぼくをぎゅーっとした。” ---
--- “「………だいじょーぶ。私がいるからな。」” ---
--- “くらい夜だったのに、あかるくなった。そんな気がした” ---
思い出した。
俺を救ってくれたのはハルだ。
父から虐待を受け、逃げた俺は、あの日、ハルに助けられたんだ。
その事を知った父は、俺を見つけ出し、殺そうとした。
そしてそれをハルが庇って、俺は生き延びた。
「なんで…………」
なんで死ぬのはハルなんだよ。
ハルはなんもしてねえだろ。
俺を殺せよ。殺してくれ。
--- ザーーーーー。 ---
強く雨が打ちつける。
気づくと俺は、図書館まで走っていた。
あの足音をもう一度聞きたかった。
ハルとまた、会いたかった。
急いで図書館のドアを開ける。
ほんのり明るくて、外に比べたらあたたかく感じた。
「ハル…………俺もう逃げないよ。」
「思い出したんだ。あの足音はあのときのおねーさんなんだろ。」
返事はない。
返ってくるのは寂しい静寂だけ。
自分の鼓動だけが嫌と言うほど響く。
でも、次の瞬間、感じた。
誰かが俺の後ろに______。
そっと、誰かが俺の肩に触れた。
あったかかった。
あの日、俺に傘をさしてくれた手。
抱きしめてくれたときの温かさ。
ふと本棚をみる
そこには新しく、綺麗な封筒があった。
真っ白でどこか神聖な雰囲気さえある。
そっと開けてみる。
ユウ、ありがとうな。
見守ってるからな、また会おうね。
すぐじゃなくていいけどね笑笑
おじーちゃんになったら、また一緒に本を読もう。
そこには力強いハルの字があった。
所々滲んでいた。
泣きながら書くハルの姿が想像できた。
思わず笑ってしまう。
「ありがとう。俺、頑張るよ。」
力強く、そう言った。
「頑張れよ、ユウ!!」
誰かがそう、答えた気がした。
さよならの一杯
この世の終わりまであと3日。
今日のニュースで伝えられた。隕石が落ちるらしい。
空にあるのはいつも通りの青空ではなく、巨大な星だった。
その星はもちろん光っていない。ここに冷たい影を落としている。
誰かの叫び声、泣き声、怯えた声。
その中で僕はいつものようにコーヒーを淹れた。
そこへ扉のベルがなった。
ありえないはずの、来客だった。
--- さよならの一杯 ---
『速報です。』
『東京都のある区で謎の星が観測されたとの報告を受けて以来、JAXAが調査を進めたところ、3日後には隕石の衝突があるとの調査結果が出ました。』
『中継です。現場の宮田さん』
『はい…こちら、新潟県の山間部です。ここは一番隕石が大きく見える場所です。見上げると信じられないほどでかい隕石があります……今にも落ちてきそうな圧迫感ですね……』
『今、各地では犯罪や、殺人、自殺が勃発しており、警察は対応に追われてい、』
カチッ
「はあ」
朝、ニュースをつけると世界終了のお知らせをされた。
とても大きい星がゆっくりと近づいてきているらしい。
まあ僕達からはゆっくりに見えるだけで実は結構進んでいるんだとは思うけど。
どうしてこんなことになるまで気づかなかったのか、どうしてこうなったのかはまだ解明されていない。
と、ニュースキャスターは顔を強張らせて事実を告げている。
今はどの番組も隕石のことについてしかやっていない。
隕石のことについて議論したって、返ってくる答えは絶望だけ。
今更どうなるっていうんだ。
そう思いながらいつも通り、コーヒーを注いだ。
僕は街の外れで喫茶店をやっている。
こんな世界の終わりを告げられた後にいつも通り、という訳にはいかないらしい。
今日は誰もお客さんが来なかった。
3日後に世界終了だと言うのに呑気にコーヒーカップを磨くのはどうかと思うが他にやることはない。
なんなら別に怖くもないし、このままさっさと終わってくれないかなとも思っている。
カラン
唐突に、ドアのベルが鳴った。
こんな日にお客さんか。
「いらっしゃいまーー。」
「はるくん!!!!!!」
え、僕???
いらっしゃいませを遮って放たれた言葉は僕の名前だった。
いや、僕の名前は遥(はるか)ではるくんと呼ぶ人なんて思い浮かばない。
ドアの前に立っていたのは、白い髪はボサボサ、服は乱れて、はだしで、でも顔立ちはきれいな少年だった。
僕よりも年下っぽい。
「……何名様ですか。」
「見りゃわかるでしょー!!ひ!と!り!」
「…。こちらのお席へどうぞ。」
「いや遠すぎ!!カウンターにしてよ、あからさまに避けてるじゃん!!」
「……………」
謎の少年はなぜかカウンターの、一番僕と近い席に座ってきた。
そしてホットミルクを注文し、僕のことをにこにこしながら見ている。
知らない人が僕の名前を呼ぶとか、気持ちわり。
頼むからさっさと帰ってくれ。
「ふふーん、やっぱり変わらないねーはるくんは。」
「……。」
「うん。無視しないで??」
「失礼ですがお客様、なぜ僕の名前を知っているんですか」
「え!!もしかしてボクのこと覚えてないの!!!?」
「…。」
なんだこいつ、めんどくせえ……、
「君って結構無口なのに思ったことはすぐに顔に出るよね………顔にこいつめんどくせえって書いてあるよ………」
「どうも。」
「どうも。じゃなくて!!ホントに覚えてないの……?」
「はい。」
「飼い猫の名前はなに??」
なんでそんなこと聞くんだ??
「ハクです。死にましたけど。」
できるだけ真顔で答えた。僕だって飼い猫が死んだことはちょっとは悲しい。
するとさっきまで笑顔だった少年は急に真顔になった。
見透かすような目。
少し不気味に感じる声。
「なんだー覚えてるじゃーん。それボクだよ。」
いやそんなわけ無いだろ。
髪が白ってこと以外にハクと似てるとこは無いし、猫が人間になるとかありえん。
「……そうですか。」
「反応薄くない………?愛猫が会いに来てるんだよ……?」
めんどくせーーーーーー。
「…………はあ。」
「まためんどくさいって思ったでしょ。」
「冗談もその辺にしてくださいね、そもそも猫が人間になるなんてありえない話です。」
「それははるくんの時代の話。」
「何言ってるんですか。じゃあハクが好きな食べ物は??」
「煮干し。」
「好きなことは?」
「寝ること。」
「好きなおもちゃは?」
「鮫のぬいぐるみ。」
全部合っている。
こんなことがあるのか。
まぐれなのか。
それとも……………。
「…………。」
「いい加減に信じてよ。」
「………分かりました。」
「おー!!!!ありがとう!!だいすきはるくん!!」
「……」
きもちわり
「…引かないで???」
その日は何気ない会話をして終わった。
正直まだ信じきれていないが、ミルクを飲む姿や、こちらを見つめる目がどことなくハクに似ていた。
喋り方は猫というより犬みたいな感じだ。
ハクが夕日の差し込むドアの前で振り向いてこっちを見た。
「明日も来るからね!!たくさん話そう!」
「そうですか。」
「…もうボクにもはるくんにも時間はあまりないからね。有意義に過ごしてね。」
そういってハクは、夕焼け色の街へ溶け込んでいった
後ろ姿にはどこか、寂しさを感じたような気がした。
***
真っ赤な炎。焦げた匂い。焦った人の声。
どれも僕の恐怖心を掻き立てた。
怖くて動けなかった。
隣の家が焼けていた。
バラバラと崩れてゆく。
その壊れていく様を僕は静かに見ていた。
「猫の鳴き声が聞こえるぞ!!!中に猫が取り残されている!!!!!」
それを聞いたとき、僕はすでに走り出していた。
真っ赤な炎に向かって。
僕と同じように怖がっている猫に向かって。
策はなにもない。
猫はいないかもしれない。
助けれないかもしれない。
ぼくも死ぬかもしれない。
それでも足は止まらなかった。
家の中に進むと案外すぐに猫を見つけることができた。
煤が付いているが綺麗な白い毛並みが見えた。
暑い。焦げ臭い。怖い。
でもそれはこの猫も同じ。
「大丈夫。安心して。僕がいるからね。」
「にゃあ」
弱々しくそう返事をした猫を抱えて僕は、燃え盛る炎からなんとか脱出した。
***
あの隕石は昨日よりも心なしか近づいているような気がした。
カラン
ドアが開く音が聞こえる。
白い髪の毛の少年。
ハクだ。
また来たのか。
「いらっしゃいませ」
「ふふ、今日もはるくんはかわいいね。ボクのために店を開けててくれてたのかにゃ??」
うぜえ。
「………。」
「表情で語るのやめて……傷つく……。あ、ホットミルクで。」
「かしこまりました。」
しばらく沈黙が続いた。
ハクはなにかを考えているようだった。
笑顔ばかり見ていたから真剣な表情は余計に冷たく感じた。
「…おまたせしました。ホットミルクです。」
「はるくんはいつも何飲むの?」
「ブラックコーヒーですね」
「…………。」
眉間にシワを寄せて、変な顔をしている。
「君にはまだはやいですよ。大人の味なので。」
「うるさいなーあ、ボクだって飲めるよ。最後は一緒にブラックコーヒー飲むって決まってるからさ。」
「そうですか。」
沈黙。
昨日よりもハクが喋らない。
どこか変だ。
「……ねえ、はるくん。もうすぐ最後だけどさ、きみは逃げないの?」
隕石が最初に落ちるのは、日本。
最初に日本が潰される。
だからこの街の人は少しでも生きるためにブラジルへ向かっている。
「うーん、僕はそこまで死にたくないとは思わないので。」
ずっとそうだった。
自分はからっぽで。
ほとんど何も感じなくて。
全部全部、つまらなくて。
「逃げようよ、一緒に。」
「君だけ逃げたらいいじゃないですか。ブラジルに行っても生き延びる保証はないですし。」
「生き延びるよ。」
真剣にこっちを見ていた。
「ブラジルの、とある場所に行けば、生き残るよ。」
「………なんでそう言えるんですか。」
「知ってるからだよ」
そういってハクは笑った
どこか寂しそうだった。
「わかってるなら君だけ逃げればいいじゃないですか。」
「ボクは、助からないからサ」
笑っている。
でもなんか軽い感じがした。
心から笑ってない。
スカスカしている感じ。
「じゃあ一緒に死にましょうよ。」
そういうとハクは目を見開いた。
「だめだよ……ボクはきみを助けに来たんだ。」
「僕が望むのは、ハクとできるだけ長く一緒にいることです。ほんとに君がハクなら、僕は最後まで君といたい。」
本音だ。
いつもなら恥ずかしくて言えないけどさ、
本音だよ、ハク。
「んふ、変わらないなあ、ほんとに」
「なんでちょっと涙目になってるんですか。」
「泣いてないから。」
「………そうですか。」
「……ずっと、会いたかった。燃え盛る炎から助けてくれたあの時からずっと願ってた。神様がそれをかなえてくれたんだ。3日間だけだけどね」
「そんな事があるわけない。」
のに。
「ほんとだよ。はるくん。ボクを助けてくれてありがとう」
まっすぐこっちを見ていた。
あの日と同じ目。
「……それと同じくらい、僕はハクに助けられたんです。」
「んふ、よかった…」
ハクの頬に雫がひとつ、溢れた。
顔を伏せて泣くハクが、本当に猫に見えた。
思わず頭を撫でる。
「あったかいなあ、」
「会いに来てくれてありがとう、ハク。」
「もう!!!そんな事言われたら余計泣くでしょ!!!!ばか!!!!!」
世界の終わりの最後の朝。
青空だった。
でもその中心には隕石があった。
もうすぐ、終わる
なにもかもが。
また、扉が開く音がした。
「いらっしゃいませ。」
ハクが笑って立っていた。
相変わらず白い髪。少し幼い笑顔。まっすぐな目。
「おはよう、はるくん。ブラックコーヒー2人分ね。」
僕は頷き、最後の一杯を淹れた。
その間、2人とも何も喋らなかった。
ハクがにっこり笑ってこっちを見ている。
その笑顔があまりにも綺麗で、胸が痛くなる。
カップから立ち上る、暑くて苦い香り。
震える手でコーヒーを差し出した。
2人並んでそれを口にする。
「にがくないですか??」
「苦い。けど、嫌いじゃない。」
どこかで地響きがして、窓ガラスが微かに揺れた。
ハクが静かに僕の手を握る。
「ありがとう、はるくん。ボクは君に会えて……ほんとに良かった。」
涙が頬を伝っても、その綺麗な笑顔は崩れなかった。
「こっちのセリフです。」
もう、僕はからっぽじゃない。
ハクがいるから。
窓の外が白く光る。
怖くなかったはずなのに。
ハクといる時間が壊れて欲しくない。
ずっと一緒にいたい。
「大丈夫。安心して。ボクがいるからね。」
そう言って笑っている。
なんか懐かしい言葉。
それでいて安心する。
握られた手が少しずつ薄くなっていく。
嫌だ。
消えて欲しくなくて僕は急いでハクを抱きしめた。
「もー、泣かないでよ、はるくん」
「いやだ、いやだよハク。」
白い光が一層強くなる。
ハクがどんどん薄くなる。
--- ゴオオオオオォォォォ ---
ハクは消える直前に、僕を庇うように抱きしめてくれた。
「はるくん、またコーヒー飲もうね。今度は笑って飲もう。」
「うん………また、会えるよね。」
最期の会話を噛みしめるようにそう返事をした。
ハクは笑って頷いてくれた。
最初からさよならが決まっていたとしても、この一杯は温かかった。
青い折り鶴
青い折り鶴は贈る人の想いが、大切な人の心に届くとされているそうです。
ある都市伝説には、願いを叶えるバケモノの噂があった。
それを知る者はごくわずかで、ほとんどの人間は気づくことなく、生まれて、笑って、死んでいく。
けれど、ごく稀に。
どうしようもない絶望の淵で、誰にも届かない祈りを叫ぶ者がいる。
そしてその声は、“それ”に届く。
夜の雨に紛れて現れるのは、黒い布をまとったバケモノ。
性別も年齢も、姿も曖昧で、黒い布のせいで顔は見えないがその裂けた口は見える。
それは、おぞましいほど楽しそうに笑っていた。
そして、願いを叶える代償に一番大事なものを差し出さなければならない。
雨の降る夜、また、ある少年が願いを叶えようとしていた。
--- 「青い折り鶴」 ---
雨の降る路地裏に1人の少年が立ち尽くしていた。
俺だ。
水たまりに映る俺は憔悴しきった顔をしていた。
弟が入院した。
そんで、もうすぐ死ぬ。
もうすぐってのは、1ヶ月くらいの猶予がある訳ではなく、俺がこんなことをしている今も、死んでしまう可能性が十分すぎるほどあると言うことだ。
そんなのはもちろん嫌だ。
どんな事があっても弟だけは絶対に守ると決めたから。
かといって何もしないのは死を待つと同然だ。
そこで俺は、都市伝説に頼ることにした。
雨の深夜2時、この路地裏で鏡にうつる自分に願いを言うと、それが叶うらしい。
ただの噂だ。本当な訳ない。
でも、頼るしかなかった。
今は猫の手も借りたいんだ。
……バケモノの手だが。
手元の腕時計は深夜2時になろうとしている
そして俺の手には母さんから盗んだ小さな鏡。
準備は整っている。
やるしかねえ。
生ぬるい風が頬をかすった。
雨音が遠のいていく気がする。
鏡に写った俺に向かって願いを言った。
「弟を守ってくれ__。」
返事はない。
そりゃそうだ。
噂はただの噂でしかないし、都市伝説は伝説でしかない。
と思っていがその瞬間、後ろに気配を感じた。
肩に何かが触る。
耳の近くでささやく声。
それは、悪魔の声だった。
「それが、キミ、時雨 アオの願いだね………?」
俺の名前を呼ぶ声がした方を向くと、そこに立っていたのはバケモノだった。
ぼろぼろの黒い布を身にまとい、頭まで覆われているため顔は見えないが、口だけはこちらを覗いていた。
裂けるように横に広がった赤黒い笑み。
それが、震えるほど楽しそうに俺を見ていた。
いつの間にか見える景色は雨の降る路地裏ではなかった。
どこまでも暗くて、どこまでも続いていた。
もう雨の音なんて聞こえなかった。
「叶えて……くれるのか…?」
バケモノに向かって聞いた。
「もちろんだよ」
「でも___、」
バケモノの笑みが深くなる。
「願いをかなえる代償に、キミの“一番大切なモノ”を貰うよ」
「一番大切なもの………?」
弟の命と引き換えにできるほど大切なモノって、あるのか……?
「怖いのか??でも……叶えたいんだよね???」
愉しそうだ。人が怖がっているのをみて愉しそうにしている。
その笑みはバケモノそのものだった。
「あぁ、何でも持ってけ。」
「フフ、キミなら言ってくれると思ったよ。……さあ、ボクの手を握って__。」
バケモノが手を差し伸べた。
細くて角ばっていて、爪が長い。
握ってはいけない気がする。
そう、頭が言っている。
でも、俺はその手を握ってしまった。
それに触れた瞬間、世界が歪んだ。
何かが消えた気がする。
まあ、いい。
弟が生きてるなら、俺はそれでいい。
「_契約、成立だね。」
その言葉の直後、俺はあの路地裏へ戻っていた。
雨が強く打ちつける。
手に持っていた鏡が割れていた。
それぞれの破片に俺が写っている。
その背後に、不気味に笑うバケモノが見えた気がした。
***
「アオおにいちゃん!!みてみて!!」
小さな手がぐいとシャツの袖を引っ張った。
手には赤い、折り鶴が握られていた。
折り鶴というには少し不格好だが、5歳の作った折り鶴なら、これは素晴らしい出来だろう
「すごいね、これ、レンが作ったの??」
「うん!!!あやせんせーがおしえてくれたの!!……でもね、ちょっとぐしゃってなっちゃった…」
「んーん、すごく綺麗だよ。上手だね。」
そういってしゃがみ、小さな頭を撫でた。
するとレンはにかっと笑ってくれた。
10歳違いの歳の差。
熱を出して泣いた夜も、遠足の朝に眠れなかった夜も。
父さんと母さんがいなくなって、ふたりだけになってしまったあの日から、僕は心に決めていた。
この笑顔を守るためなら何だってする、そう思えた。
「これ!!アオおにーちゃんにあげる!!」
差し出された手には青い折り鶴が乗っていた。
「いいの?」
「うん!!アオおにーちゃんのために折ったの!!この赤い鶴はぼくの!!」
小さな鶴だった。
端のほうがしっかり折りきれていない。
でも、そんなのなんだって良い。
この手のひらにある折り鶴は世界にたったひとつしかない、弟の優しさだから。
「ありがとう。」
頭をくしゃっと撫でた。
***
雨は、もう止んでいた。
空気は湿っていて、生ぬるくて、いつもよりやけに静かだった。
昨夜の雨の香りがする。
今朝、病院から弟が起きたという連絡が来た。
素直に喜べなかった。
払った代償だって何か分からないし、それに全然現実味がなかった。
夢を見ているみたいだった。
もしかしたら昨晩の契約だって、夢だったかもしれない。
頭の中がぐちゃぐちゃだった。
心臓の鼓動がうるさい。
駅まで走る間も、電車の中も、ずっと胸が苦しかった。
もし助かってなかったら。
もし嘘だったら。
もし全部、俺が見た夢だったら。
でも、
もしほんとに治ってたら。
もう一度レンの笑顔が見られるなら。
あの、くしゃくしゃな青い折り鶴を渡してくれたあの手が、もう一度動くなら。
何度だって、バケモノに魂を売ってやる。
病院の白い廊下を駆け抜ける。
足音が反響するたびに、俺の不安が揺れた。
--- カツン、カツン。 ---
俺の靴音だけが、まるで誰かの足音のように背後から追いかけてくる。
バケモノの気配すら感じる。
でも構うもんか。
今は、ただ、
「おにいちゃん」って、またあいつの口から聞けたらそれでいい。
そう思いながら、病室の前で立ち止まった。
ドアの向こうから、誰かの笑い声が聞こえた。
弟の、声だ。
聞き間違えるわけがない。
何度望んだだろう。
あの声をもう一度聞けるなら俺は__。
俺は、震える手でドアノブに手をかけ、勢いよく開けた。
--- バン!! ---
そこには小さな体が、ベットの上で座っていた。
酸素チューブも点滴も付いていない。
あんなに苦しそうな顔をしていた弟が笑っていた。
話していた。
動いていた。
__生きていた。
「レン!!!!」
そう叫んで小さな体を抱きしめた。
「良かった……生きてたんだね…良かった…」
きょとんとした顔がこちらを見ていた。
「……えっと、おにいさん、どちら様ですか??」
「え……?」
理解ができない。
俺の知ってる声で、俺の知ってる笑顔で、俺のことを知らないと言った。
ありえない。
そんな、また、あの笑顔を見れたのに。
“願いをかなえる代償に、キミの“一番大切なモノ”を貰うよ”
そうか、これが代償なのか…。
赤い鶴がベットの隣の机にぽつんと置いてあった。
あの日くれた青い鶴は今、手に持っている。
まだ、この鶴はあの日のまま残っているのに。
レンは、あの日みたいに俺をおにーちゃんとは呼んでくれない。
この思い出も、忘れてしまったのかな
その日は家に帰った。
何も、考えたくなかった。
青い鶴は置いていった。
あの赤い鶴の隣で、青い鶴は寂しそうに赤い鶴の方を向いていた。
でも、赤い鶴は、青い鶴の方を向いていなかった。
看護師さんからはお兄さんの記憶だけ、忘れてしまったみたいです、と伝えられた。
どうやら本当に忘れてしまったらしい。
次の日の朝、またレンに会いに行くことにした。
色々と気持ちの整理がついた。
ドアノブに手をかける。
今、会っても傷つくだけかもしれない。
でもまた、話したいから。
そっとドアを開けた。
朝日に照らされているレンは青い鶴を見ていた。
じっと見るその目には、涙が浮かんでいた。
レンに向かって歩くと、レンがこちらを向いた。
涙を袖で一生懸命拭って、あの人同じ、笑顔を見せてくれた。
「あ、昨日のおにいさん……、すみません、なんか、懐かしい気がして」
青い鶴を手にとって懐かしそうに眺めていた。
「俺のこと覚えてる……?」
「…それは…ごめんなさい、思い出せなくて…」
「どこかで会った気がするんですけど…」
俺はただ、頷くことしかできなかった。
何かを口にすれば、せき止めていた涙が、あふれる気がした。
それからも俺はレンに会いに行った。
ほんの数分だけの会話。
レンがあの頃と同じように、俺のことをおにーちゃんとは呼んでくれない。
でも、会いに行くたびに少し嬉しそうな顔をする。
幼くて、明るい、切ない笑顔。
今日も俺はその笑顔を見るため、病院へ向かった。
レンは青い鶴を折っていた。
綺麗だった。
くしゃくしゃの折り鶴じゃない。
綺麗な青い折り鶴。
「これ、おにいさんにあげます」
--- 「これ!!アオおにーちゃんにあげる!!」」 ---
差し出されたいつの間にか大きくなった手。
そこには端まで綺麗に折れた青い折り鶴が乗っていた。
完璧におられたその姿に、なぜか涙が滲んだ。
きっと、思い出してくれたわけではない。
もう、思い出せないだろう。
それでも心の何処かにあるなら。
「………いいの?」
「はい!!おにいさんのためにおったんですよ!!」
--- “「うん!!アオおにーちゃんのために折ったの!!」” ---
「…………ありがとう。」
そう言って頭をくしゃっと撫でた。
ベットの隣の机に置かれたくしゃくしゃの赤い折り鶴と綺麗な青い折り鶴は、向き合って、少し楽しそうだった。