山中の奥深くにて、一つの村が存在していた。
その村には日村家、梶谷家、神宮寺家、畠中家、八代家の五つの名家が強い権力を握り、それぞれが村民に支持され、何の問題もなく暮らしていた。
そんな中、不可解な変死体や謎の失踪事件など次々と事件が起こり、平和が崩れていく日々が始まった。
貴方はその村の名家の内、一つに雇用されることになり日々を過ごしていくことになる。
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目次
〖ある村の契機〗
異譚集楽〖プロローグ〗
冷たい雨が身体の熱を奪っていく。
雨に濡れた冷たい大地を裸足で駆けていく。
痛みが徐々に増していく。
今はただ、逃げなければならない。逃げて、逃げて、逃げて、追ってくる`奴`から逃げなければならない。
呼吸が乱れる。鼓動が激しく高鳴る。足が痛む。恐怖で身体が支配される感覚に陥る。
それでも、振り切れる気配がない。
必死に走って、逃げているのに、どこまでもついてくる。
やがて、身体全体が疲れて、目眩がした。
それが合図だったように濡れた地面に手をついて前に倒れた。
「__かひゅ__...!」
口から空気が洩れた。
そして、背中に何かが刺されるような痛みが走って、じんわりと熱く、暖かくなる。
すぐさまそれが抜かれ、何かが自分の身体から出ていき激しい痛みが広がる。
何度も、何度も、何度もそれが繰り返される。
だんだんと眠たくなり、痛みが引いていき、最後に首に刃が通るような感覚と共に意識が掠れていった。
---
都会の町のある新聞会社のオフィスにて、二人の男性が駄弁っている。
「本当に、行くんですか?」
同僚が聞く。
「ああ、良いネタになりそうだろ?」
「だとしたって、あんな辺鄙な村に取材に行かなくても...」
「良いんだよ、同業の人間もいるから」
「けど、危険じゃないですか?あの村...」
「大丈夫だろ。良いネタ持ってきてやっから、待ってろよ!」
そう男性の一人が言って、駆け足でオフィスから出ていった。
「......本当に、大丈夫なんですか...?」
残された男性が心配そうに独り言を呟いた。
慰める人間はいなかった。
〖某月某日、某村にて〗
青々とした木々の茂るトンネルを通り抜け、車道へ出る。
敢えて白線から踏み外さないように歩いて煙草に火をつけた。
左手に持つ年季の入った高級感のある金色の猫のマークの入ったライターは夏のうだるような暑さに熱を帯び、とても持ってられるものではなかった。
少し歩いた先に黒い長髪に白いシャツを着て灰色っぽいスカートを着用し、白い靴下に黒い靴を合わせた何とも無難な格好した22歳くらいの女性をバス停の近くで見た。
片手をあげ、額の汗を拭って彼女に話しかける。
「中居さん!」
女性に話しかけたのは金色に染まった髪を揺らす青い瞳の男性。これといって外傷も特徴もない普通な人物。
腰にある取材用の手帳の名前欄には、〖|上原慶一《うえはらけいいち》〗とだけある。
一方、女性の手帳には〖|中居百音《なかいももね》〗と記されていた。
バスが到着する音がした。
---
造花、生花を問わず様々な花が飾られた花祭壇の中央に20代中頃のように見える黒髪の女性の写真が飾られている。横の立て札には〖|田中栄子《たなかえいこ》〗と記されていた。
葬式場に線香の臭いが漂い、それが外で香典を受けとる女性の元まで届いた。
女性はなびくような黒髪に青い瞳をして、まるで西洋のメイド服のようなものを着用していた。
うっすらとその女性に香典を手渡す茶髪の男性が嫌そうな顔をした。しかし、その視線は黒い喪服を着たややクリーム色の髪に緑の瞳をした顔立ちだけは英国紳士を彷彿とさせる男性に向けられていた。
「...なんだよ」
「いや、別に?...日村らしいなと思って」
「......こんな場所に来てまで嫌味か?だったら、とっとと出てってくれ。場の雰囲気を乱すだけだ...故人の弔いにふさわしくない」
受付で喧嘩を始めた二人に隣の女性が香典に記された〖畠中家〗の黒いボールペンで書かれた文字を見て口を開いた。
「秋人様」
急に名前を呼ばれた男性が自分の目の前の男性を少し遮って反応する。
「なんだ?」
「失礼を承知で申し上げますが、香典にボールペンは良くないとされています。それに、故人の弔いの場でこのような話をしては...」
「......ああ、分かった、分かった。田中さんに挨拶だけして出てくよ」
機嫌を損ねたような、呆れたような態度を見せて目の前の男性に少し肩をぶつけ、会場へと進んでいった。肩をぶつけられた男性は少し痛そうに整った顔を歪ませた。
その男性、〖|畠中秋人《はたけなかあきと》〗より後ろでソファに座って少々休憩していたやや白っぽい銀髪に青いイヤリングをした姉弟が少々毒を吐いた。
顔のそばかすが目立つ黒い帽子を被り、黒眼鏡をつけた女性が先に口を開いた。
「...本当に、仲が悪いわよね...修と秋人って...」
一方で、髪の片方を三つ編みにしている以外特徴のない男性が応えた。
「...そうかな...。修さんと、畠中さんって...わりと...」
「わりと?」
「......ううん、何でもないよ。姉さん、落ち着いたなら...そろそろ行こうよ」
男性が女性に手を差し伸べて、ゆっくりと拐うように手を掴んだ。
女性は〖|神宮寺朔《しんぐうじさく》〗、男性は〖|神宮寺大和《しんぐうじやまと》〗。
そして、受付で忙しそうにするのは〖|日村修《ひむらおさむ》〗、〖|優月彩音《ゆうづきあやね》〗である。
---
会場の中で畠中の席に座るのは、俯いて黒髪に緑の瞳の女性と深い海のような青い瞳に水色の髪をした男性、これまた黒髪に黒い瞳をしたやや負けん気の強そうな男性だった。
全員が秋人の姿を目視した瞬間、一瞬だけ視線がずれた。
これも順通りに〖|山村由香里《やまむらゆかり》〗、〖|真宮真央《まみやまお》〗、〖|広竹悠斗《ひろたけゆうと》〗だった。
ただ、悠斗だけはしっかりと秋人を見ていたが_後ろにいた紺に近い青髪の男性の手によってゆっくりと視線を逸らされた。
「なにするんですか?」
「いや...少し、ね」
黒っぽい数珠をじゃらじゃらと鳴らして、軽く笑いながら答える。
「ま、良いじゃない。ほら...秋人だってすぐに出てくだろうし...君らは行かなくて良いの?」
そう言って、数珠を持った手でやんわりと手を合わせ帰宅するところの秋人を指した。
その手が引っ込むと同時に由香里、真央、悠斗の三人が追うように出ていった。
紺に近い青髪の男性の名前は〖|梶谷湊《かじたにみなと》〗。
その後ろに楽しそうにギザついた歯を見せて笑う赤髪を団子状にした橙色の切れ目よりの瞳の男性と黒髪に緑の瞳のはつらつとした男性、下が青くグラデーションのある金髪に青の瞳、こちらもまたギザついた歯だが所々に包帯や眼帯がある女性。
順に〖|茨崎棗《いばらさきなつめ》〗、〖|紀井天気《きのいてんき》〗、〖|夜久月《やくつき》〗という。
---
畠中、梶谷の向かって右の席には〖神宮寺家〗、〖八代家〗の面々が揃っていた。
神宮寺家の当主が畠中家とすれ違いに席に座り前を見た。神宮寺家の従者の席はあったものの、誰もいなかった。何かの火花が散ったような音がした。
八代家の面々は全て揃っているようで、長い黒髪を後ろ手に一結びにした水色の瞳のしっかりしていそうな男性、〖|八代亨《やしろとおる》〗と黒髪が瞳を覆い隠す男性、〖|八代十綾《やしろとあ》〗が座る後ろに三人が座っていた。
赤いメッシュの入った黒髪に黄色の瞳の痩せた男性、双方スーツを着た金髪で青の垂れ目の男性二人。
一人は長い金髪を一結びにし、一人は短い髪をしていた。
黒髪の男性は〖|大川隼人《おおかわはやと》〗、金髪に青い瞳の男性の内、前者は〖アンヴィル・タリー〗、後者は〖スーヴェン・タリー〗と名の兄弟である。
一見、平凡で平和そうな雰囲気だが、当主とその弟の席だけが異様に離れており、何とも気まずそうな雰囲気だった。
---
式中の一番前に横一列になって座るのは〖日村家〗だが、日村修やその妹の姿はなく、神宮寺家と反対に従者のみが席についていた。ただ、二つの席に人の姿はなかった。
淡い桃色の髪に青い瞳をして、瞳の下に黒子のある女性、赤い長髪をポニーテールにしてアーモンドのような形をした緑の瞳の男性とも女性とも似つかない人物、銀や白、灰色に近い髪を後ろに一つで結び水色の瞳をした男性。
女性は〖|佐久間春《さくまはる》〗。中性的な人物は〖|亡忌 真広《なきまひろ》〗。男性は〖|戌亥 蓮《いぬいれん》〗である。
やがて、修と彩音が着席し後から随分とお歳を召した僧侶が入り、ゆっくりだが、よく響く声で念仏を唱え始めた。
---
少し苔むした赤い鳥居をくぐる上品な雰囲気のややクリーム色の髪に緑の瞳の女性。
一歩を歩く度に周りの霧が濃くなるが、構わず進んでいく。
やがて、その女性が神社の本殿に辿り着いた時、一瞬にしてその深い霧は消え失せた。
「......こんにちは」
誰も答えない。
「...こんにちは、日村です」
誰も答えなかった。
「いるんでしょう?大和さんから、お話は聞いていますよね?」
その言葉が境内に響いた時、奥から複数人が近寄る気配があった。女性がその場で振り替えると、音もなくいなかったはずの四人の姿があった。
右から、眉が隠れるほどの前髪にトップを短く襟足を長くしたような髪型に猫目寄りの黄色い瞳の中性染みた人物、〖|葉狐 玖乃《はぎつねくの》〗。白髪に右へ結んだ髪型に身体中が異様に光る男性、〖|冷泉慧香《れいぜいけいか》〗。長髪の髪に縛った跡のある紺や黒、青に近い髪色に真っ黒な瞳をした男性、〖愛知雪名〗。淡い桃色の髪に青緑の瞳をした女性、〖|伊鯉明菜《いこいあきな》〗。
「やっぱり、いるじゃないですか」
その四人に動じもせず笑った女性を〖|日村遥《ひむらはるか》〗と言う。
うだるような夏の暑さはその日中、ずっと続いていた。
棺の中に入った田中栄子の遺体は形は崩れてはいないものの、グジュグジュと異音を立てて泡立ち、火葬されるまで永遠とその音が止むことはなかった。
**あとがき**
ご参加いただいた方々、誠に有り難うございます。
最後の一文につきましては、そこまでですのでPG12となりました。
遺体欠損があればもう少し高めに設定していたと思います。
また、現実において、遺体が熱でドロドロになるのは腐乱死体でもないかぎりあり得ないんじゃないかなと思います。ちゃんと棺に入ってるなら、冷えていそうですし...。
今回で人物の紹介は済んだと思いますが、性別が違う!やちょっと違うところがある!がありましたら、お申しつけ下さい。
流行に疎いもので、よく分からない髪型は少々調べて分かりやすく起こしました。
また、執筆中に気づいたのですが、〖愛知雪名〗のふりがなが不明だったことに気づきました。
アイチユキナ、で合っている、もしくは間違っているのでしたら、作者様にご確認いただけると幸いです。
ファンレターでも設定表に記載されてもかまいませんので、お教えいただけると有難いかぎりです。
本編に置きましては全く進展がない状態ですので、今後を期待して下さると幸いです。
余談ですが、神宮寺家の従者が日村家の葬式にいない理由については嫌がらせでも何でもないです。
設定上の都合です。
また、〖上原慶一〗の絡み台詞追加などは不要です。大抵、当主とその兄弟辺りとの会話があると思われます。仮に例外があったとしても、全て〖上原さん〗統一です。
ここまでお読みいただき、有り難うございました。
次もまた、あとがきがあると良いですね。
〖鮮血に彩られた美〗
永遠なんてないよ。
そんなことはない。
永遠はあるよ。
色はないよ。
そんなことはない。
色はあるよ。
希望なんてないよ。
そんなことはない。
希望はあるよ。
死んでもいいよ。
そんなことはない。
死んではダメだよ。
薔薇は咲かないよ。
そんなことはない。
薔薇は咲くはずだよ。
星は輝かないよ。
そんなことはない。
星は輝くよ。
誰もが、誰かを愛することはできないよ。
そんなことはない。
誰もが、誰かを愛することができるはずだ。
愛なんてものはないよ。
そんなことはない。
愛は確かにあるはずだ。
陽は笑わないよ。
そんなことはない。
陽は笑うよ。
月は見えないよ。
そんなことはない。
月は見えるよ。
運命は変えられない。
そんなことはない。
運命は変えられる。
---
蝉の声が響く村を歩く男女。
その二人を畑仕事に勤しむ村民が物珍しそうに見ては視線を外す。
誰一人として、藪な質問を投げかけたりする者はいない。
「...中居さんは、どちらへ取材に行くんですか?」
なんとなく嫌な雰囲気を破るように隣で歩く上原慶一が口を開いた。
「確か...日村家だったと思います。あんまりやる気がなくて、覚えてないんです...」
「へぇ、分かりますよ、その気持ち。僕も初めたては取材よりデスクにいたかったんですよ」
そう言って、愉快そうに笑う慶一。百恵もうっすらと釣られるように笑った。
---
「今から、なんですよね?」
「まぁ...そうだね。急な予定だし、私も外出するからどうにもできないけれど...遥はいるから、頼むよ」
風景に合わない豪邸な屋敷の庭園にて一人の男性が一人の女性と話をしていた。
男性はややクリーム色の髪を指でくるくると巻きながら淹れられた紅茶を啜った後、玄関ゲートの方を見た。
見覚えのない黒髪の女性で、とても質素な格好をしている人が目に入った。
すぐさま、真広が対応のために駆け出していく姿も入った。
その姿を一目見て、大丈夫そうだと判断したのか修が先程、話をしていた春に安堵したような顔を見せた。
「ああ、どうも...××××新聞社から参りました、新聞記者の中居百恵と申します」
そう言った女性に言葉を返して、後ろから迎えた他の従者も挨拶をする様子を去り際に見た。
後ろから楽しそうな会話が耳に入るばかりだった。
---
田舎の小道を進んで、たまに汗を拭う。特に変わった様子も変わることもない小道を一人で歩くのはとても退屈だった。蓮や真広でも連れてくれば良かったとつくづく思う。
蓮は紅茶の趣味が合うだろうし、真広に至っては護身もあるが甘い物で会話が発展するだろうと思ったが、先送りにするとしよう。それに、彩音は担当する事務が多く、とてもじゃないが一緒に出掛けてくれなど頼みづらい。
まぁ、伝言は春に頼んだのだから、何も問題はないだろう。当主一人が帰って来なかろうと、何も問題はないはずである。
しかし、少しばかり退屈凌ぎが欲しいと思えるだけだった。
強い日射しを受けながら、小道を歩いていると八代亨の姿を視認した。片手を挙げて挨拶をすれば、相手もそれを返す。黒髪が少し風に揺れた。
「修か、どこへ行くの?」
右手に持った葉書のようなものをズボンのポケットに入れながら口を開く亨の姿に葬式で十綾と気まずそうにする亨が思い起こされる。
読経が終わり、僧侶が帰った後に食事の為に同席してもらったが兄弟だと言うのに言葉を一切交わさない八代兄弟の姿に遥の姿と十綾の姿の差異が凄まじいと感じたあの日。
だが、人の家庭環境に口を出すのは些か非常識だろう。そう考えて問いに応えるように私も口を開いた。
「湊のところだよ。少し、話があるんだ」
その応えに亨の瞼が数回動いたが、すぐに納得するような顔をした。
「ああ...そういえば、見つけたのはそこの雇用された人だったっけ...確か、茨木みたいな名前の...」
「茨崎さんだな。別にその人に用件があるわけではないよ」
「へぇ、てっきり何か聞くのかと...ほら、子供の頃、修が中心みたいなところあったでしょ」
「何年前の話だ......それ、君がここを一回離れる前の話だろう?」
「ああ、中学生の時ね...十綾が専門行きたかったから、それでね。それでも秋人以外の全員が養父みたいなものとしての世話になってたし別にいつでもそうだったよ?」
「養父というか...半分、養祖父みたいなもんだろう...家はそれぞれの家柄ごとに別れてるんだから、結局全員が家を出たようなものだが」
亨が出した情報を補足するように養祖父という言葉を口の中で転がした。
別に秋人の祖父が自分たちの父親というわけではない。それぞれに親はいるが、祖父母は少なく、どれも大抵が共働きで夏休みになると子供の相手が好きだった秋人の祖父が一時期、父のような存在になっていた。久方ぶりに顔を出しに行こうかという考えが過ったが、一年前に事業を秋人に託して亡くなっていたことを思い出し、しみじみと喪失感を感じた。
「まぁ、やりたい事が一緒なのは少ないからね。そういえば神宮寺も出てたね、高校で朔達と一緒になったよ」
「全日制の普通科で?」
「うん。修もそうじゃなかった?」
「いや...飛び級で......海外に行っていた...から、とてもじゃないが...」
「あ...あ~......夏休みとか家にで遥ちゃんしかいなかったのはそういうことか!」
「......長期休みで、どれだけここに帰ってきてたんだ君...」
そう訊けば、そっと目を逸らす亨に幼稚な雰囲気を感じられずにはいられなかった。
---
周りの地面が抉れたり、何か巨大な岩が壁際に置かれた和風の屋敷。その大きさは人が何人と入るのだろうと考えられるほど大きなものだった。
壁に埋め込まれたインターフォンを押して暫く待つと、すぐに柑橘系の匂いが辺りに漂った。
葬式で嗅いだことのある匂いだった。三回ほど、扉をノックして名前を言った。
「日村です、ひ...」
日村修だと名前を言い切る前に扉が大きく開かれる。
黒髪に緑の瞳をやけに輝かせた女性が自分の姿を見て、瞳の輝きを落とし、少々落胆したような顔をした。
その辺りで、食事中に嬉々として遥の傍に座り、やけに話しかけていた天気だと気づく。
遥と自分は似たような顔をしていると思うのだが、何故こうも反応に違いが見られるのか不思議でならない。好みに関しては人によるから、仕方がないことではあるのだろう。
「...日村、修です」
「...遥様は...いらっしゃいますでしょうか?」
「残念ですが、今回は...」
「...お入りください。当主様の元へご案内いたします」
「......どうも、有り難うございます」
古くながらの屋敷の廊下とでも言うのだろうか。
障子と畳、木目の廊下で分けられた空間を進んでいく。途中、松の木などで山や川が表現された庭で洗濯物を干す男性を目にしている中、ちろちろと舌を出す青や紺に近い色味をした赤い瞳の蛇と目があった。
軽く会釈をしてから視点を変え、すぐに戻すと鼻がつきそうなくらいに急接近した棗がいた。
「うわっ...なん、どうしたんです」
「いいえ~...別になにもぉ?」
当主の梶谷湊もそうだが、いまいち何を考えているのか分からない者が凝縮したような家だとよく思う。
遠くの方を見れば珍しく鬱陶しそうな顔をしながら受け答えをする湊と傍で口を開きっぱのように見える月が廊下の奥を歩いて、こちらへ向かってきていた。
隣の棗が子供のようにぶんぶんと手を振って、それが何度か顔に当たりそうになる。
「い...茨崎、さん...手をもう少し...」
「はい?わたくしめが何かぁ?」
「いや...あの......」
その手が顔に触れかけた途端に棗の腕が強く掴まれる。呆れたような表情を浮かべた湊が棗の腕を掴んで、すぐに笑い手を離した。
「ダメだよ、客人に粗相をしたら」
「...すみませんねぇ...?」
双方、笑ってはいるが棗の感情がどうにも読み取りにくいと感じた。
ふと横を見れば楽しく話す月と天気が瞳に映る。
「月さん、午後から街へ櫛を見に行きましょう!良い装飾品が見つかりますよ!」
「いいよ!行こ行こ!!」
目の前で滅多に見られない威圧感のある湊と対比して、微笑ましいものだった。
客間の一室に通され、改めて湊と対面する。ソファに腰を下ろし、先に湊が口を開いた。
「田中さんのことはお悔やみ申し上げます...と、言いたいんだけど、ちょっと話聞いてくれる?」
開口一番にこれである。体格の良い大和や十綾を浮かべる身体ではあるが、話に土台はない。
「ああ、いいよ。それで、どんな話だ?」
「まず、棗が発見した時の田中栄子の遺体が背中に数ヶ所、首に一ヶ所の傷が何か鋭利なもので切られた、もしくは刺されたのは分かるよね」
「...?...分かるが、それは自警団からも聞かされた話だろう。誰だって知ってるはずだ」
「そうだね。でも、刺殺と出血多量までは出ているけど、その血が化粧みたいに口紅として唇に塗られたり、アイシャドウやチークみたいに塗られたりしてたってのは聞いてないでしょ?」
「...どこで聞いた?」
「棗。第一発見者なら、そりゃそうでしょ。でも、彼が見た時には既に血は黒くなって遺体は冷たく、固かったみたい。多分、修が知らないのは修が初めて見た時には、その化粧は落ちてたんじゃないかな」
「そうかもな。しかし、そんな化粧を...まるで死化粧だな」
「だね。でも一つ気になるのは、それが薄かったのか濃かったのかってこと」
「...どうだったんだ?」
「棗によれば、血はこびりついて薄くもなかったとのことだから...濃かったんじゃないかな」
「つまり、普通の化粧のようだったと?」
「おそらく。死化粧って薄いのが一般的みたいだよ。化粧って言っても死化粧で、見栄えを良くするだけだから通常の目立たせる化粧とは違うと思う」
「...なら、犯行した人物は死化粧をしたことがない人物かつ、女性であると?」
「死化粧がしたことがないってのは当たってると思うよ。でも、この時代だから女性とも限らないんじゃないかな」
「なるほど...それで...」
言葉を続けようと口を開いたが、湊の奥の時計がちょうど五時を指していることに気づく。
軽く話して終わるだろうと思っていたが、いつの間にか一時間が経過していた。
「悪い、そろそろ...」
「え?あぁ...気をつけて帰ってね。近いとは言え、事件が発生して間もないし...」
「分かってる、分かってるよ」
何も分かっていなさそうな無垢な男の姿を見ながら、先程まで話した内容を頭の中で反芻させる。
パタパタと廊下を歩いて離れていく音を聞き、障子の隙間から昼間に鳴いていた蝉とは違う別の声を耳に入れた。
**あとがき**
〖本作の時系列は?〗
最古。
異譚集楽(最古、過去)
↓
(鏡逢わせの不思議の国) 番外編:過去
↓
ネカフェのシャーロック・ネトゲ廃人(同時系列) 現在
地獄労働ショッピング(同時系列)
未来編だけがない感じですね、作成の予定はないです。
別作品の案だけはあるものの、何らかの作品の二番煎じっぽい感じがしてしまうんですねぇ。
上原の方で他キャラクターを入れるつもりだったんですが、次に回そうと思います。
この調子で書いていると三日、四日過ぎて十分から十五分で書いてる短編ばっかりになりそうだったのでひとまず、こちらで区切りをば。
まぁ、結局、別シリーズ投稿してからになるんですがね...。
〖結んで、開いて、手を捕って〗
熱っぽい額、荒い息、乱暴にまさぐる手、泣き叫んでも助けにこない大人。
全部が全部、嫌いだった。
---
嫌な思い出の夢で目が覚める。最悪な目覚めだった。
なんとなく、重い身体を起こして誰にも会わないように洗面所へ向かい、《《あの男》》と瓜二つの顔を見る。自分の顔が嫌いだった。
出来るだけ見ないようにして顔を洗って歯を磨くのに窓の外を見た。
朝早くから花に水をやる真宮の姿が見える。あれは既に朝食を作り終わった後なのだろうか。
だとしても、今は何かを胃に入れたい気分ではない。
口の中にたまった唾液混じりの歯磨き粉を吐き出して、白く濁った液体が口元を濡らすのを見た。
酷く疲れたような、怯えた顔が鏡に映った。
---
年季の入った古い机の上にきっちりと並べられた炊きたての白米に味噌汁、焼き魚、卵焼き。
豪勢な日本の和食の一つであるが、どうにも食欲が沸かない。胃に入れたとしても、吐き出してしまう嫌な自信がある。
「...秋人さん、食べないんですか?」
椅子に座って黙りこんでいる俺を不審に思ったのか、覗きこむ真宮。
少し離れた位置で食器を洗っていた広竹が心配そうに振り向いた気がした。
「ああ...そう、だな......」
「...体調...悪いんですか?」
「............」
「その...病院とか...」
「...いらない」
「いや、でも...」
「いらないって言ってるだろ!」
つい声を荒げて真宮を睨んだ。怖じけついたのか机を引いた身で動かして、その衝撃で味噌汁が溢れた。
手の空いていた由香里がすぐにそれを拭き始めたのを確認して、真宮の腕を強く掴んだ。
若干、痛みの残る頭を動かしながら、悲鳴や謝罪も耳に入れずに壁へ真宮の身体を押しつけて自分の拳を強く握った。
---
霧の濃い、不気味な神社の境内を迷わずに進んでいく。
歩く足を止めずに携帯から聞こえる声を音楽のように流し続ける。
「それで、どうですか。会社を立ち上げる気になりましたか」
この数ヶ月の間にすっかり聞き慣れてしまった声の応えを丁重に断る形で携帯を切った。
これが何度も繰り返されている。そろそろ、しっかりと断るべきなのだろうか。
境内の中の本殿から外れた民家のような建物の玄関からインターフォンを押し、「××××新聞社の上原です」と連絡した。
やがて、足音がして、やや白っぽい銀髪に青いイヤリングをした姉弟が出てくる。
一人はそばかすが特徴的な印象だが、双方を見比べるとなんとなく似ていないような気がする。
「...神宮寺、朔です。こちらは弟の大和で...よろしくお願いします」
「どうも、よろしくお願いします」
朔と名乗った女性に強く手を握られる傍らで、大和がこちらを睨んだような気がした。
---
風鈴が揺れて音を鳴らす。蝉の声は遠く、耳に入りにくい。
大きく開いた障子から境内を掃除する冷泉の姿が見える。落ちた青い葉が宙を舞って、一ヶ所へ集められるのを見た。
「...あの」
「ん?どうした?」
机に淡い桃色の髪の毛が散っているのを気にしながら、伊鯉の言葉に応えた。
じっと目を合わせると、何やら不安が頭へ流れ込んでくる。
さほど雇用して時間は経っていないが、それでも見知らぬ人間が敷地内で寝過ごすのは緊張することなのだろう。
「...大丈夫だよ。何もないから」
何もない。そんな言葉を舌の上で転がした。これで良いのだと、自分にも、彼女にも言い聞かせるように頭の中で反響させた。
刻一刻と時が過ぎる。午後一時四十分。何もない。
本殿の中で突き刺されたように広がる青々とした葉を広げ、風に揺れる大樹の傍らで、いつものように祈祷を続ける朔を見る。
御神木と肩書きをつけられた大樹を恨むように見て、側だけを愛知に作ってもらった暖かさの残るアップルパイを丁寧に包みながら、朔が前に書いたメッセージカードと共に葉狐へ手渡した。そこそこ強者の風格を感じる人物なのだから、熊や猪に襲われても、無事に届けてくれるだろう。
そうでないと困るのだ。それに当分、あの不良擬きに気づかれないと尚、嬉しいところだ。
---
凝った肩を回しながら写真立てに入った自分と、その横で笑う真っ直ぐな赤い瞳に黒髪の少年と目が合った。
写真に写る少年とは随分と背丈の差が違ってしまった。もし、ここを出れたら彼と会えることを願うばかりだ。
目の前の端末を線ばかりの画面から真っ黒な画面へ変え、髪の隙間から似つかわしくないもっさりとした自分の姿を見た。肌は色白で外に出ていないことがはっきりと分かり、兄貴と全く同じ瞳が隙間から覗いた。
下から|亨《兄貴》の声がして、いつもと違って高揚した声が響く。またあの白い女狐から物でも貰ったのだろうか。不意に昔、兄貴が幸せになれるという丸い貝を勉強机へ置いていたことを思い出した。非現実的なことを言い出すような人ではないから、何らかの理由で相当嬉しかったのだろう。
兄貴の声が止み、扉が閉まる男がした瞬間に自室から出て階段を下りる。目論み通り、兄貴が丁寧に包まれた贈り物を持って、いつものように笑って「おはよう」と挨拶をした。
「......おはよう」
敢えて無視してやろうかとも考えたが、気分を害してやるのも可哀想だろう。
挨拶をして黙っていると安心したような顔になって兄貴が口を開いた。
「朝ご飯...というか、昼ご飯、食べる?」
その言葉に腕の麻痺を感じながら強く頷いた。
時間が経って冷えた白米、ほんのりと暖かい味噌汁。いつも通り、何もない。
箸を手に取って、口に触れるとアンヴィルが三時間後の食事の準備をしている場面が目に映った。
近くでスーヴェンが掃除機をかける音もする。
口の中で広がる咀嚼音を止め、周りの音に耳を立てる。遠くで隼人と兄貴が話すような声が聞こえた。
「...で、朔......うん......有り難う......十綾は......だから、そう......無理...うん、ごめん......」
「いささか......それで......気味が悪い......避ける.........神宮寺......ダメで......」
関連性が結びつかない単語を頭の中で並べて、我関せずと言わんばかりに食事を取る手を動かした。
何もない。そう、何もなかった。
**あとがき**
ただの歯磨きで気持ち悪い表現すんなよって...みかえして思いましてね、書いた自分でも思いました。
珍しくシリーズで毎度あとがきがある理由なんですが、シンプルに〖気持ち悪さを緩和するため〗です。
当作者は気分を害しても一切の責任を負いません。
後、〖某月某日、某村にて〗で誤った点があったことに気づいたので直しておきました。
〖Q:誰から死にますか?〗
まず間宮(希望通り)。あとは気分。つまり、適当な順位。
今すぐでも良いけれど、それじゃつまらないじゃないですか、ヤダ~!
おまけですが、間宮さんはわりとすぐに死にます。
そこから油の引いたフライパンに乗せたコーンみたいに、ポップコーンばりにポンポンと...。
〖Q:犯人はだあれ?〗
〖ナゾトキ/ひなた春花〗みたいな聞き方ですね。
これはあまりお答えできない。
〖きみは答えを知ってるね〗と言われても名前は呼びませんよ。
ある程度、情報を開示したら、あ~、なるほど、この人(作者)怖いな~...ってなるんじゃないかな。
正直いうと、この村...闇深いです(最初から分かりきっている)
〖Q:天使って堕ちて神宮寺に来たりしない?〗
しないよ(決定事項)。でも天使が堕ちるのって...良いよね...癖ェ...。
まぁ私なら羽を折って堕天使にするけどね、でも今回はできない。残念!
〖Q:戦闘シーンは何処?〗
危なそうな場面になったら出てくる。
尚、当主関連な模様。
ホラーも基本そうかな?...ミステリーが基礎として、ホラーと戦闘が出張することが多いかもしれない。
〖Q:八代兄弟って不仲?〗
今はそうですね。不仲寄りの仲良し。
わりと兄弟って仲良く描かれがちですが、実際は不仲なことが多いです。
そういえば、キャラクタープロフィールを現状書いていますが、わりと多くてウェェと愚痴を吐きながらやっています。
過去の私に文句を言ってやりたいね(尚、20人程。メインじゃないのも合わせると30人ほど)
【日本宗教学全書 普及版 -異端の信仰と百年祭 酒内村に関する調査と研究-】
本文は数々の方々にご協力を得て、執筆・編集・出版したものである。
お力添えをいただいた神宮寺家、その他の方に今一度有り難く思う。
また、原文の鹿狩亨氏の行方が分からないため何か分かる方は遺族へ言伝をお願いしたい。
電話番号 092-617-6698(現在は使用されていない)
**異端の信仰と百年祭 酒内村に関する調査と研究**
--- 序 ---
---
現在の福井県北部、石川県との境の間に酒内村という村落があった。
現在も居住者は存在しており、古くからの村であることから文化的価値は高いものの、若者の出入りが激しく廃村に近い状態である。
しかし、実態を記した資料や記録のほとんどが破棄されており、世間的には非常に知名度の低い。
そのため酒内村での研究はあまり行われていなかった。
そこで今回、存命する同時の人たちへの聞き取りを行い、主に信仰に関しての調査を行った。
結果としては多くの情報を得られ、今まで不明とされた酒内村について詳しく知ることができた。
下記の記述はそれらの情報とともに酒内村と呪術の関連性について実態を考察したものである。
**1.地勢**
酒内村は福井市より約32キロの大野市に位置する山中にあり、南の九頭竜湖から北部の奥に存在する。
今回はその村の中でも更に奥深くに位置する宗教深い神宮寺家に焦点を当てたものである。
**2.生活のようす**
人口に関しては現存する資料が少なく、明確な断定はできないが、神宮寺家の話によれば老若男女合わせて約30名ほどとのことである。集落としては小規模で耕作や漁猟にて生計を立てていたようである。
**神宮寺家付近のようす**
神宮寺家の赤い鳥居を境に目の前には大きな湖(酒内湖)が広がっており、酒内村の酒内湖を周回する道は霊験あらたかな場所として崇められていた。
湖を取り囲む森の木々には霊魂が宿るとされ、熱意のある村人たちは朝夕に湖を一周するという巡礼を過去に日課としていたという。
その場合、順路が定められており、入口から湖を中心に右回り、すなわち時計回りしなければならなかった。禁を破ると災いが起こるというものがあり、村人の中にもそのような話を聞くことができた。
「福井の酒内湖には、神が宿るという話がある。東、南、西、北と行道の如く巡らねば、祟りが起きるという恐ろしい道だ」
(酒内村の酒内湖周辺に住む村民による話)
**3.神宮寺家の伝統について**
住居の中に大きな注連縄のある大樹が育ち、その一室の中が古来より続く伝統の“巫女”の部屋だという。
その巫女は朝夕にその部屋で祈祷を続け、部屋の外で待つ“宮司”はそれが終わるのを待たなければならない。
巫女は女性に限られ、髪を銀に近い白髪に生まれるか、染めなければならない。
また、宮司と決して血が繋がっておらず交わりもしない髪のように白く清い女であることや特別な出生であることのほか、人とは異なる能力を得ていることが条件になる。
その条件に当てはまる女性は必然的に生まれた当初から巫女になることが決定づけられるため、名前を“朔”と決まりとして名付けられる。
宮司は男性に限られ、髪を銀に近い白髪に生まれるか、染めなければならない。
また、巫女と決して血が繋がっておらず交わりもしない髪のように白く清い男であることや特別な出生であることのほか、人とは異なる能力を得ていることが条件になるが、宮司の場合は絶対的ではなく能力の有無は関係ない。また、神宮寺家とは何ら関係のない家系でもなることはできるが、宮司として襲名しなければならならない。
この巫女と宮司の関係性は名目上、姉弟であることが義務づけられる。
夫婦は認められない。
神宮寺の伝統は人ならざるものを神と崇め、信じる宗派によるカルト的なものであるが、その中に本来邪悪とされる鬼や九尾狐、天狗、大蛇、河童、火車などを主に信仰しているとされる。
古風なものが多い反面、西洋的な妖怪及び魔女や吸血鬼などにも寛容なようだが、天使などの良いものとされるものにはひどく毛嫌いする傾向にあるようである。
「天使?ダメだ!そんな気持ち悪いもの!あんなに気持ち悪いやつは見たことないね!即刻、滅亡するべきだ!」
(神宮寺家の従者による話)
「天使?...ああ、ああいった助ける人を選ぶようなものは好みませんよ。どうせ助けるなら全員助けてほしいですよね。博愛主義のくせに、ただの偽善者なんですよ、天使ってのはね」
(神宮寺家の従者による話)
**4.百年祭**
**様態**
巫女が依代の(神霊がとりつく対象物)となり交信する、古代シャーマニズム形態。
大自然における森羅万象を神として崇め、次の百年の豊穣を願う。
儀式の起源は分からずとも、百年以上続いているとのことである。
この百年ごとにの定められた年数以外では儀式を行ってはならない。
**時期**
儀式を行うのは秋の収穫が終わった頃、新月の日が選ばれる。
**供犠**
贄(神に奉る供物)として、“選ばれし者”が捧げられた。いわゆる人身御供の一貫の風習である。
贄の条件は出生は関係なく、肉体に著しい欠損や病がないこと。
巫女を崇拝し、心を託す者。
過去に恐ろしい罪を犯し、良心の呵責にあえぐ者(人殺し等)とされる。
**儀式**
儀式が行われる三日間、巫女は自室及び大樹の部屋(本殿である社)で籠り、祈祷を始める。その際、巫女の許しがあるまで他者の立ち入りや覗きは禁じられる。
薬物や呪術によって醒めない贄の身体は生きたまま四十九体に分割される。分割にも順番があるとのことだ。
新月の夜、巫女は宮司とともに社を出て、供犠(四十九体に分割された贄の肉体)を携えた村人・従者らと合流。宮司が鐘を鳴らしながら行列を成し、酒内湖を取り囲む霊道に入る。
巫女は祈祷しながら霊道を一周する。後に続く村人・従者らは、切断した贄の肉体を手首から順に、腕、脚、肩、胸、腹、耳、生殖器、頭...と、湖の神木に捧げるべく釘へ打ちつける。
更に儀式の際には行列の進む方向を左回り。すなわち、逆時計回りしなければならない。
所謂、逆打ちである。百年の一度のこの日は時計とは逆の方を回ると定められていた。
こうして巫女と宮司らの列は湖の霊道を逆打ちにして巡り、百年祭は終わりを告げる。
こうして、次の百年祭へ世代を通して祈祷を託すのだという。
---
--- 結 ---
---
筆者は酒内村の本来の由来は逆打ちの“さかうち”なのではないかと考えている。
一般的に読むと“しゅない”だが、“さかうち”とも読める。
儀式の際に逆打ちをすることから、そう読めてもおかしくはない話である。
また、今回の取材や調査により、よりよい研究ができたと考える。
私事ではあるが、今回で取材した“朔”と名の四十歳ほどの女性とはとても親睦を深められた。
今度の百年祭に呼ばれたほどである。行かない手はないだろう。
(鹿狩亨)
原文を著した鹿狩亨の行方は今も見つかっていない。
当社はこの本文を出版するか迷ったものの、どこかの熱い支援により、こうして貴方の手にある。
協力された神宮寺家の皆様や他の方々に改めて深く感謝を伝えると共に今もどこかにいる鹿狩亨が生きていることを願う。
(藤村龍生)
1923年 鹿狩亨 原文
1960年 藤村龍生 編集・改変
天命社 出版
__※本作品はフィクションである__
〖永い夜に〗
「ご興味、ありませんか」
我ながら古くさい居間で椅子に座って、本を差し出す上原慶一の顔を確認した。
本には、やけに長い名前で宗教について記載されている本だと分かる。読む気もなかった。
「生憎のところ、全く」
そう返せば驚いたような顔をして本を戻した。静寂が流れた。
気まずさに耐え兼ねて、席を外してリビングの冷蔵庫を開いた。
「何か...お食べになりますか?」
すぐに彼が「いえ...お構いなく」と返すが、何かに気を取られたのか冷蔵庫の中をじっと見つめる。
視線の先にはリゾットの入ったタッパーが一つ。
「そのタッパーは...」
「リゾットです。修...日村さんに、少し」
「はぁ、そうですか。仲がよろしいんですね」
「...ええ」
異性なら、こう言われることはなかっただろうか。時代の考えは些か理解し難い。
「いや、まぁ...素敵だと思いますよ」
「それは...どうも、有り難うございます」
また静寂が流れた。上原の視線は何も残っていないゴミ箱に向けられている。
やはり、牛乳のパックがないのは不審に思われるか。
わざわざ捨てたと言ったら、どう思うのだろう。家柄的に普通だと納得するのだろうか。
---
友人が持ってきたものを姿を見送ってから口に運んだ。
やけに白い色をした牛乳のリゾットで、まろやかで甘くしょっぱい味が口の中に広がっていた。
口の中がしばらくねばねばとしていたが、わりとすぐにさらさらとした水が抜けていった。
「お兄様」
不意に名前を呼ばれた。ややクリーム色をした長髪を後ろ手で結んだ妹だった。
「ああ...どうした?チーズの匂いでもしたか?」
「チーズ?...いえ、特には......」
「......そうか...?」
結果、独特な匂いが鼻から抜けているのだが、あまり匂わないのだろうか。
遥を呼んで隣へ座らせて語りかける。
「そういえば...最近、雇用した人とはどうだ?」
「可もなく、不可もなく...普通です。ただ、優月さんは、その...もう少し、お考えになられた方がいいかと...」
「...不信感は払拭できないか?」
「とても...神宮寺ですし......香典を取りに出向きましたが、霧はやはり深くて...」
その言葉に何も言えなかった。確かに神宮寺家はよく妙な噂を聞く。
山中の奥にある神社の中に位置している名家など確かに怪しいことこの上ないだろう。
しかし、それを私が言う必要はない。今のところはまだ、グレーなのだから。
---
テーブルに置かれた上原から渡された本を開いた。
興味がないわけではない。自分の出身の村と例の家のことが記載されたものなど誰でも手に取ってしまうだろう。
ぱらぱらと紙を捲って、顔に皺を寄せた。深く読み込んでいるわけではないが、どうにも嘘くさい。
彼女がそんなことをするわけがないと頭の中で考えが疼いている。
所詮、本も古いメディアの一つに過ぎない。
熱のこもった思考を止め、本をテーブルに置いた。これは大川にでも渡せばいいだろう。
---
痛みの残る手足を擦りながら、青く痕になったものを隠すように服を着た。
山村さんが何かを呟いて、すぐに顔を引っ込めた。血の滲んだ包帯が服と重なる度に微かに痛みが走った。
秋人さんは何を考えているのか些か分からない。
よく食欲がないと広竹さんと作った食事も食べることがない。いやに醒めたような、怯えるような瞳をこちらに向けて、感情のままに拳に力を込める。
何かをぶつけるようにして何度も、何度も身体にあたる。
怒っているのかと思って謝っても止まらない。悲しいのかと思って慰めてみても止まらない。
自分がひどく暴力を振るわれるようなことをした覚えもないのだから、常々、頭の思考回路は痛みと共に放棄してそれが終わるのを待つ。
終わった頃には頭の中をドリルで掘られ、抉りとられるような激しい痛みと涙と鼻水がぐちゃぐちゃになったものがそこにある。身体はうまく動かずにしばらくの間、隣で疲れたような顔の秋人さんが頭を抱えている姿が瞳に映る。そこまでが当たり前に過ぎない。
山村さんが引っ込んだ先の玄関を開いて、今にも泣きそうな曇り空を見た。
遠くから八代さんの姿が見えて、会釈をした。相手も会釈を返し、服の下の傷痕にも気づかずに横を抜けていった。
たった一人、泣きそうな空のじんわりとした夏の暑さの中で、助けの声も挙げることなく踞った。
誰も助けてくれないだろうと、物思いにふけた先で優しい救うような声がかけられた。
**あとがき**
リゾットって牛乳無しでも作れるそうですよ、今は食べたくないですが。
直接的な表現はしていませんし、惨劇の前置きということで全年齢です。
...暴力の描写......?...死んでないし、良いんじゃないですかね(*´・з・)
_______________________________
さて、優月彩音がやや不信され気味な理由については、
①
【日本宗教学全書 普及版 -異端の信仰と百年祭 酒内村に関する調査と研究-】
https://tanpen.net/novel/dcb9d288-1fe5-4185-b86c-b1b734a7241e/
②
Q :最初は別の名家に入ったけど(過去)、後から他の名家に入る(現在)のは有りですか?
A:有り。その代わり、“当主”からは不信の目で見られるでしょうね
(異譚集楽 キャラクター募集の自主企画 質問欄)
_______________________________
この2つに書かれていることが理由です。私はこれが参加に入った時に記載したんだ。
文句言われたって後の祭りだぞ。説明書、読んどきましょうね(参加された後の後付け)
それと、この不信感が払拭されることはないです。神宮寺家なら尚更です。
人外が人間の周りにいて注目されないわけがないんだよなぁ...(小並感)
村八分みたいなものですね。小さい集落の悪いところ。
一応例外として、日村修ならそこまで思ってないですね。
何故?
そういえば、プロフィールの追加等をしました。
この人だけこの子をこう言ってるな、ぐらいの呼称の追加などですね。
別に大した変更はしてないです。一回全滅エンドにするか生還エンドにするか迷ってるだけですね。
...ああ、そうですね。
次話は......うん......まぁ、たまには良いじゃないですか、はっちゃけても...。
何がいいかなぁ...何がいいかなぁ......。
調理...跡...無惨...無惨......鬼滅...見てないなぁ...どうせテレビで入るか...。
〖よだかの星〗
珍しくコンビニで見慣れない女性を見かけた。リビングで見たあの金髪の新聞記者とは違う、女性の新聞記者だった。普段、兄貴や雇用された人と話す機会が少ないせいか妙に緊張して震えた声を喉から出した。
「...すみません、酒内村にいらっしゃった方ですか?」
女性が振り向いて何かに気づき、すぐに挨拶をする。
「あ、わたし、××××新聞社の新聞記者、中居百音と申します」
「ああ...ご丁寧にどうも。俺、八代亨の弟の八代十綾です...休憩中でした?」
「八代十綾さん、亨さんの弟さんですね...いえ、大丈夫です。取材を_」
百音が話す横で不意に二人の双子が目に入る。紛れもなく、家の従者だった。確か、兄貴がカナダ出身の二人の日本での就職先が探しているところを助けるように雇用していたはずだ。
声をかける間もなく、すぐにこちらを見て駆け寄ってくる。
アンヴィルとスーヴェンが目の前で警戒するようにして挨拶をした。
「僕はアンヴィル・タリーです。こちらは_」
「僕はスーヴェン・タリーです。よろしくお願いします」
やはり双子、とでも言うべきか。例の女狐とエセ白銀男とは違い、似ている双子だった。
タリー兄弟に挨拶をして百音が口を開いた。
「...あの、取材をしてもよろしいですか?」
「どうぞ。時間もですから、酒場でもどうですか?」
「かまいませんが、近くに酒場はあるんですか?」
「少し時間はかかりますが、バイクで行けばすぐに着きますよ。...家だと、兄貴...兄が少々お酒が苦手ですので」
「それは.........二人乗りですか...?流石に、ダメじゃないです?」
「...ああ...バレなきゃ、大丈夫ですよ!」
横の仲睦まじい兄弟が聞こえていないふりをした。
---
優しい救うような声に誘われるまま、前を向いた。
前に逆光で顔の分からない誰かが立っている。伸ばされた救いの手をとって立ち上がり、そのまま泣いた空の雨粒が顔を濡らし始めた。
雨粒が地面で踊るのを真似するように脇の森へ入り、ひかれた手を離すことなく足を進め、不意に両目に激痛が走った。
今までの痛みよりもひどく、嗚咽が漏れた。頭の中の思考がやけに鮮明になり、叫び声をあげようとしたものの喉から赤く黒っぽい液体が漏れ、くぐもったような空気の音がするだけだった。
それを自覚した直後に喉と足首に鋭い痛みが広がった。移動することもままならず、濡れた地面に顔を埋める。倒れた身体の背中に足が乗せられ、後ろの首筋に冷たく細いものがあてがわれたかと思うと焼けるような熱さが広がり、真っ暗闇の世界の中で首だけに強い衝撃が走った。
---
頭部と胴体が切り離された若い男性の遺体から足をどかして、血が付着した刃物と雨粒が降り注ぐ地面に放られた抜いたばかりの二つの眼球を踏みつけた。
下手に弾力があるのか、靴底で柔らかな感触があり、踏み潰すことは容易ではない。
悪態を吐いて刃物で眼球を割り、細かく切って地面に隠すようにして埋めた。土のついた手を払って間宮の痣だらけの身体に指を這わせる。
腹や背中から足にかけての痣が想定よりも酷い。だが、十分なのは変わらない。
痣の浮き出た皮膚を削ぐようにして刃物を立てて、切られた首から足の痣の模様を削いだ。
紙のように薄くなった痣の皮膚を持参していた黒い袋に入れ、頭に手を伸ばす。
見事に眼球があった場所がぽっかりと抜け落ちて恐怖に染まった顔に少々身震いをした。
頭の髪を短く切って、顔の皮膚も全て剥いだ。そうして、できた真っ赤に染まった筋肉質の肉塊と見えるようになった骨を森の奥の崖へ放り投げた。
崖の先は波の激しい海で、早々遺体が陸地に到着することはない。それに到着するまでに海中の魚が餌だと思って喰らい尽くすだろう。
顔の皮膚も袋へ入れて、あらかじめ着ていたローブを裏地から丸めるようにして袋へ入れ、リュックサックにしまう。間宮の普段の扱いから捜索されることはないだろうが、念のためだ。用意は周到であれば、周到であるほど良いのだから。
---
ガシガシと頭を掻いた。嫌な思い出の《《あの男》》が頭から離れない。
単に晩酌をしていただけであるのに、忘れたい思い出が中々忘れられない。
湊や八代兄弟、神宮寺兄妹は同席を断り、何故か修だけが目の前で楽しそうに山葵のついたタコを箸でつまんでいた。
せめて遥だけでもいればいいのだが、梶谷の雇用にいる紀井と簪を買うだのとそういった理由で抜けていた。妹の方が警戒心があるのではないかと、妙に考えるがこの兄に言っても無駄だろう。
「......葬式でよく...ああ言った相手と酒を飲めるよな...」
「別に、いつものことだろ。相当荒れていたようだが、何があった?」
その本当に心配そうな視線に胸騒ぎがした。必死に絞り出したような声で言葉を綴る。
「...何でもない......黙って飲んでてくれ...」
その言葉に先程までの視線が外され、タコと山葵の皿からレモンサワーの入ったコップに手が伸ばされた。
しばらく静寂が続き、酔いが回って嫌な思い出が薄れかけた頃に口を開いた。
「その...田中栄子の件に関しては、お悔やみ申しあげる.........すまなかった」
「...大丈夫だ、気にしていない。ただ、このところ嫌な感じがあるのが気になるんだ」
「嫌な感じ?...そんなの、いつものことだろ」
「かもな。でも、そうじゃない。最近来た新聞記者の男女を覚えてるか?」
「ああ...あれか。それがどうした?ダム建設に伴って、消える集落の取材だろ?」
「本当にそれだけならいいんだ。中居さんの方は白だろうが、上原さんの方が何やら妙な本との関連性と興味の調査、神宮寺家の色々な話をしているみたいなんだよ」
「......それが、何か?...彼処は元々怪しいだろ」
「それは...その、否定できないが......他にもあっただろ、珍妙なカルト宗教的なのが...」
「...あ-...なるほど?......なぁ、ちょっとお手洗いに行ってきていいか?」
「...いいぞ。酔って人に当たるなよ」
「お前は...俺を、なんだと思ってるんだ?」
そう口に出して、睨むと日村が両肩をすくめた。
---
「珍しい...というか、意外ですよね」
淡い桃色の髪をなびかせて、キッチンの掃除をしながら春が酒のつまみを作っている蓮に話しかけた。
「器が広いのでは?秋人殿に言われても軽く言い返しただけでしたし」
「そういうものですかね?わりと不仲な気がしたんですが...」
春の言葉にやや蓮が斧に手を伸ばしかけたが、後ろから彩音の声がし、渡されたお盆に門番をしている真広の為の夜食を乗せて手渡した。それを確認して春に向き直り、「酒の力もあるのかもしれない」と言葉を続けた。
春もそれに納得したのか掃除を再開し、全員が各担当する業務に意識を集中させた。
彩音に手渡された夜食の食べる真広の視覚からかなり遠く、影に潜んだ横に小さな小包があった。
その中に立体正方形の紙のように薄く、青い痣のような模様のある皮膚の賽子が入っているのに気づくのは、酔いの覚めた朝方のことである。
**あとがき**
日村修と畠中秋人にが仲良いなと思いますが、単に酒の力です。
酒の力がなければ、お互いがお互いに警戒しまくって胸の内を話さないでしょうね。
そういえば、眼球は弾力性が強いみたいですね。踏んだことも抉ったこともないので知りません。
くれぐれも真似をすることがありませんように。
※本作品はフィクションです。
未成年の飲酒や他者を攻撃する思想、行動を推奨するものではありません。
また、バイクの二人乗りは違法です(罰金等が科される)
上記のことを推奨するためのものではありません。
〖神のみぞ知る賽子〗
「つきましては…ご協力をそちらにもお願いしたいのですが、決して悪いお話ではないかと存じます」
白髪混じりの髪の下で張りついた笑顔の中年男性が体のいい誘い口を言った。
黙って契約書に目を通していると、横の秘書が部屋を出ていった。
流れた静寂の中で、ダム建設を推奨する中年男性の社長が俺の横へ座って太腿を撫でるような仕草をした。
「畠中さん、いつものように何卒よろしくお願いいたします。
お祖父様が亡くなられたとのこと、心中お察し申し上げますが、ご容赦頂けますと幸いです」
そう大人しそうに言って腰回りへ撫でる手をまわす。言動だけは利口であるものの、行動は獣そのものだ。
「それは…その……」
答えに少し、躊躇っている中で携帯の着信音が鳴る。
電話に出ようと見やるとそこには、“|楓《かえで》”の文字。
やけに痺れる手で出ようとして携帯を耳元へあげた瞬間に、男性の手が俺のズボンのベルトに手をかけていた。
俺が7歳からの行為とはいえ、よく飽きないものだ。
もはや執着に近い気味の悪さにかえって呆れていた。
---
笑顔を崩さないようにして、目の前で堅く結んだ両手を解かない白い衣服に身を包んだ女性の頭を撫でた。
それが幼い子供や男性に変わるにつれ、後ろで満足気な父は「やはり、☓☓☓☓を皆得るべきだ」といつものように意味の分からないことを言った。
珍しく帰って来たと思えば、くだらない神の真似事を実の子供にさせているのは何を思ってのことだろうか。
しばらく、それが続き最後の一人が「☓☓☓☓の☓☓☓☓」だの「☓☓☓☓ようで美しい」だの、それらしいことを述べて両手を広げた。
愛してもいないし、愛する気もないが、演技をすることだけは昔から得意だ。
相手が好むような人を演じているのは窮屈な型の中に無理やり入るようなものではあるが、相手の信頼や信用を得るには非常に効率が悪い。
早めにそれを終わった直後、首にかかった首輪を引っ張るように父は僕の名前を呼んだ。
「じゃあ、私はまた、村を出るから…」
この男はすっかり物事にしか興味を抱かない。一度、骨が折れる程、抱きしめて欲しいものだが、あの僕だけの神様でしか満たされないのは分かっている。
この男は全く僕に興味がない。母が別の男に夢中になったように、この男も仕事や評価にしか夢中にならない。
その渇望する愛をそれを満たす器は、やはり、僕だけの神様でしかないのだろう。
して、神様は作品を気に入ってくれただろうか。
そう想いながら父のしみの目立つ首筋に手を伸ばした。
---
少し錆びの目立つカッターが赤く濡れるのと同時に、刃に映る紺に近い青髪の男性を見た。
「…夜久」
唐突に名前を呼ばれ、ひどく鼓動が速くなるのを感じた。
切れた肌から血液が流れるのも放って微笑み、つま先をぴんと伸ばして背中は腕を回す。
そのまま、その行動を返されるかと思えば腰を掴まれ、そのまま引き離すように引き剥がされる。
頰を膨らませて文句を並べるとすぐに彼も笑って、ごつごつとした男らしい手で頭を撫でた。
「まぁ〜…お熱いことでぇ……」
不意に廊下からからかうような声で含みをもった笑いが聞こえた。
見れば、面白そうに笑う棗が首に巻きついた黒蛇…黒梅だったか。その蛇から視線をそらしながら立っていた。
湊を見れば眉一つ動かない顔で棗に一切言葉を投げない。
そんな様子に棗も気分を害したのか、喜んでいるのか…よく分からない表情で高低の曖昧な声で文句を垂れた。
「…また無視ですかぁ?」
「……いいや?別に、無視したつもりはないよ。それで、どうしたの?」
「いいえ?なんでもありません〜」
「…そう」
なんとなく険悪な雰囲気を感じながら、腕に抱き着こうとして棗が先に口を出した。
「湊さまって、女性に抱きつかれても…お顔が、ぜんっぜん変わらないんですねぇ?」
その言葉に湊はただ、笑うでもなく、怒るでもなく、何も言わずに棗の顔を見た。
その横顔の瞳がいやに恐ろしく思えた。
---
「ああ…それで、何の話でした?」
机の中央に置かれた灰皿に煙草の火を潰すように消しながら、上原がとぼけたように質問した。
「近辺に属する出処不明の後を絶たない噂の件です。そちらから、貴方についてお話を伺っていまして」
「それは…一体、どのようなお話でしょうか?」
質問の意図を確かめるに少し覗いてみるも、あまり先程と差異はない。
本当に何も知らないだけなのだろうか。
「ところで、お姉さんの方はどうなさいました?お姿が早朝から拝見できないようですが」
「…八代の上と、用事があると」
「へぇ、それは…置いてかれでもしました?」
「……姉にですか?まさか、個人的な野暮用ですよ」
「一人の男の家に泊まるのも?」
「…小さな頃から仲が、非常によろしいので…」
「はぁ、そうですか。して、お話とは?」
途切れた話を再度くっつけられ、情報を更に引き出される形になる。
歳の差による経験のせいか話をする上では一枚上手な記者だと思う。
隠す必要性もないのだから、さっさと打ち明けて貸した部屋へ帰ってもらおう。
「その、近辺からダムの建設とこちらの話をよくお伺いしていらっしゃると数件の苦情がありまして…」
「自分は記者ですから、話がないと仕事ができないんです。
滞在の際に部屋を貸し出して下さっていることには感謝しています。しかし、職業柄上で人様へご迷惑を被ってしまうのも仕方のないことなんです」
「ですが…ダム建設については日村家辺りの有力者が特に詳しいですし、村に根付いたようなことを扱っている神宮寺とは無縁ではないでしょうか」
「…しかし、民俗学的な観点からすれば、もうすぐ沈む村に根づいた宗教面というのは孤立した山奥の集落というものも相まって、歴史的に価値があるのでは?」
「でも、その集落の人間が黙秘したいと言っているんですよ」
「…それは、とても残念です。私達、新聞記者は新聞という古くながらの紙に文字を印刷し、非常に古典的な方法で様々な年齢層に情報を与え、広めることが重要です。
そうでなければ歴史的に有名な一揆やストライキの協力者や、ある地方が必要としている物資、忘れてはならない伝統文化の素晴らしさを老若男女の塀を関係なく頭の中へインプットされることがないのです。
この|酒内《しゅない》村がいずれダムという建物に存在を消され、水に土地そのものが沈んでいくのなら、それを人々の胸の中へ留められるように我々がペンをもって走らなければなりません。
どうですか、大和さん。神宮寺の宮司として、お話をお伺いできませんか」
そう上原が啖呵を切った。
少しだけ目を泳がせて、今すぐにでも応答したい気持ちを抑える。
今はまだ早い。早過ぎる。
朔のことも心配であるし、亨や不良擬きなど様々な問題が抱えられたままだ。
それに何より、最も忌々しく恐るべき風習や歴史、超人的な力などと言った世間的には顔向けのできないものを何でも書くような人物へ渡していいものではない。
息を吸って、吐くようにゆっくりと声を絞り出した。
「……申し訳ありませんが、少々考えさせて下さい」
その言葉の返答は、お茶を啜る音だけで返されていた。
---
誰かの話し声と、啜るような音の聞こえる廊下で一人、立ち尽くしていた。
可愛らしいぬいぐるみのキーホルダーをつけた、今にも壊れそうなガラケーの画面に映るひび割れた自分の顔を見た。
腰まで伸びた黒髪に光が射さない黒い瞳がかえって、黒の棘の目立つピアスが光を反射し、眩しく思える。
この顔が朔さんや大和さんにとって、どう映っているのかとたまに考えることがある。
初対面で放られて、行き届く末も分からない伸ばされた手に縋りつくようにして懇願した願いは叶えられ、自分にとって神のような形で降りていた。
簡単に全てを話す軽い口は開かずとも、意思はしっかりと伝わり珍しく孤独を感じることは、ほんの少しだけ緩和されていた。
ただ、それも一定の時だけで他者からはやはり虐げるような視線が刺さる。
結局のところ、誰にも愛されないし、誰かを愛することもできないことを更に深く、深く認識する。
「それでもいい」
画面に映った顔が健気に笑う。いつかは、なるようになるだろう。
どんなに空回っても、どんなに尽くしてもいい。
そのいつかで、空回った空気も読む日が来るだろう。
---
いやに弱った鳥を白い鱗に覆われた手で撫でた。
鳥はすぐさま衰えた身体を動かし、羽を広げて手から開いた窓へ飛び去る。
その姿に、なんとなく羨ましいと思えた。
脱いでいた黒い手袋をつけ直し、目の前で誰かが持ってきた煎餅を喰む明菜を見た。
「…冷泉様も、お食べになりますか?」
「いえ…お気持ちだけで十分です」
明菜の誘いを断り、暫く形のある硬くも柔らかいものが砕ける音を聞いた。
それと同様に静寂が包み、入った一人である玖乃が扉を開けて疲れたように敷かれた座布団へ腰を下ろす。
赤い羽織で隠れた全身に何が隠れているのか分からないものの、鼻に通る汗臭さだけは明確に分かる。
黙って何も言わないまま、更に時間を過ごした。
やがて、雪名が入室し、「汗臭…」と本音が漏れた。
どちらかというと、部屋的には獣臭いの方が合っているような気がするが、それを言ってしまってはろくな結果にはならないだろう。
誰も何も言わない時間が続き、明菜がようやく口を開いた。
「鳥居前はどうでしたか?」
ただ、それだけだった。それに護衛として雇用されたと聞くが、謎に鳥居へ配置されて門番のような玖乃が応じた。
「特にこれといったものはないですね…朔様が早朝に出たぐらいで……ああ、いや、一つだけ変なことがあります」
雪名は何も言わない。代わりにまた明菜が口を開き、質問をする。
「変なこと?八代家の方ですか?」
「いや、そうではなくて…そもそも、あの家は平凡では?あまり変わりの見られない普通の家っぽいですけど」
「……それは、確かに……」
納得した明菜に代わり僕もつい、口を出した。情報の共有も必要だと思った故の行動だった。
「家のことではないなら、どんなことなんですか?」
その問いに玖乃がすぐに答えを言った。どことなく不安な印象だった。
「なんというか…一日に一回、どこかの宗教勧誘がいらっしゃるんです」
「宗教?集落の、元々ある…神宮寺のものではなくてですか?」
「そうですね…ちょっとカルト的なもので白いフードを纏っていました。知りませんか?」
その問いには誰も答えなかった。
誰も神宮寺以外のものに関心を向けないのだから尚更、無理な話だった。
これは一度、朔様や大和様と話をしてみる必要性があるとただ、思っていた。
それが噂の根源である可能性もあるのだから。
---
ガヤガヤと賑やかな店内で案内された個室の簾をあげた。
中にお兄さんと少し似た鼻筋の通る端正な顔つきのややクリーム色の結んだ髪を下ろした女性が鎮座している。
「…ごめん、待ったかな」
「大丈夫」
二人席に向かい合う形で座り、改めて瞳をみて話をする。
「今でも、他人は苦手なの?」
「…まぁ…少しは。でも、だいぶ落ち着いてる…兄貴と、あの子のおかげだ」
「そう。それなら、良かった」
兄貴と修さんが仲が良いように、妹と弟もそこそこ交流はあるものだ。
逆に女狐のお付き野郎とはあまり関わったことがない。神宮寺のアレとは異様な雰囲気を纏っていて、昔から関わりたくないと思うのだ。
まぁ、それを言ったら、日村の従者の一人もそうだ。性格だけは明るいくせして、纏う雰囲気は神宮寺の気味の悪さそのものだ。早めにご退去を願いたいところだが、あの呑気な当主がそれをするとは思えない。根っから人をいやに疑うことがないような人物なのだから。
そう考える内に目の前の遥がメニューに目を通しては楽しげに笑いかけた。
「ここ、カクテルもあるみたい。何か頼む?」
「へぇ…そりゃいいね。メニュー見せてよ」
手渡されたメニュー表にカシスソーダやライラ、ジンバック、ジントニック、マティーニ、カンパリソーダ、カルーアミルクなど様々なカクテルが綴られている。
「…ホーセズネックでも頼んでみるよ」
「じゃあ、私はカーディナルにしようかな」
そう他愛のない会話を広げて、届いたものと酒の肴を摘みながら箸を動かす手と共に口を動かした。
「その…来てくれて有り難う。修さんは今、元気?」
「それなりに。田中さんが亡くなって以来、自室で考え事をしているけれど…湊さんも考えてくれているみたいで負担は分散してると思う」
「梶谷さん?…ああ……結構、頼りになる人だよな。変わってるところあるけど」
「うん…この前、大学の時の後輩の方と警察学校の方はどうだって話をしてた。その時の返答が『可もなく不可もなく、良い塩梅の色味』だって…」
「……相変わらず、意味が分からないな…?」
「十綾君もそっちだったから分かるかなって、思ったんだけど…」
「いや、全然。あの人のセンスって独特なんだよ。でも、飛び抜けて上手い。こっちの仕事を手伝ってほしいよ」
「猫の手も借りたいぐらい?」
「いや…上手さに脱帽って感じ……。ダムの話は聞いた?」
「うん。確か、山奥に建てるダムの土地の為に人口が減少している集落にいる居住者の移動だよね」
「ああ。修さんは、なんて?」
「了承はするけれど、まずはこの土地に昔から住んでいるご老人の意見を聞くべきだと……」
「……なるほど。兄貴は特に何も言ってなかったな、ただ…」
「ただ?」
そう詰め寄った遥に生唾を呑み込んで、更に口を開いた。
「…俺が、ここを出たいなら了承する…と」
「……十綾のお兄さんって………結構、弟想いだよね」
「…さぁな」
流れた間がグラスに注がれたものに溶けるように時間が過ぎていった。
兄貴には色々と感謝しているが、時々、一つのことに夢中になって目標を達成するまでそれが続くものだから…それが続いた先を想像するのが怖くなる。
誰かが止めないと呑まれてしまいそうで恐ろしくて堪らないのだ。
---
「何?これ…|賽子《さいころ》?」
脳が酒に浸かって、ズキズキと未だに痛む頭を抑えながら包まれていた小包の中身を開けた湊に言葉を返した。
「ああ、今朝になって真広が持ってきたんだ。賽子にしては面の色味も肌色っぽいのにところどころ青いところがあって不気味だろう?」
湊の手に立方体の形状をした一つ一つの面が肌色を基調としていて、青い痣のような模様が浮かび上がり賽の目が刻まれた賽子が置かれている。
「……賽子にしちゃ………」
「変だよな…そういえば、秋人のところの従者の一人の姿が昨日から見えないそうだ」
「へぇ、天罰でも喰らったのかな」
「そう言うなよ。田中のこともある……近々、葉狐さんでも借りて少し夜明け程に出てみるつもりだが……」
「二人だけで行くの?」
「いや………駄目なのか?」
「…亡忌さんと戌亥さんも連れていったら?」
「……確かに、そうだな…人手は多い方がいい。湊はどうする?」
「僕?…僕は別にどっちでもいいけど……まぁ、行こうかな…修に突っ走られても困るし」
「…悪かったよ。じゃあ、また午後に」
「うん」
軽い会話を広げて席を立った湊を送る直前に、賽子をそのまま手渡したことに気づいた。
本人も何も言わない辺り、何かがお気に召したのだろう。今はただ、この後の調べに備えた方がいい。
気がつけば、頭の中で考えるよりも先に足が固定電話のある廊下へ動きを見せていた。
**あとがき**
様子のおかしい昼ドラかな?
朔さんと聞くと、酢酸カーミンが頭に思い浮かびます。
Q:描かれない視点は?
無い
“そのいつかで、空回った空気も読む日が来るだろう。”
???…いや…シンプルに愛知雪名さん視点だったんで……???
この一文が意味不明過ぎて……詩的だなぁ()
後、区切りの場面転換は視点変更です。
手袋有りで能力発動 → 手袋の意味
手袋無しで能力発動 → 手袋が防護的な…
伊鯉さんの参加者呼び:不明(大抵様っぽいから様でええやろ)
しかし、ここまで書いて戦闘描写がないって不思議だね。
気味の悪い雰囲気と心理と境遇の描写しかない。
空白が多いと見づらいね。
〖墓穴彫り師〗
毛のない絵筆の握られていない細い手を、ごつごつと男らしく成長した手に重ねた。
普段、何をしているのかなどと話をしてはくれないが、誰かと呑んだのか酒臭さが鼻につくほど纏わせて、おぼつかない口がゆっくりと開いていたことに今更、少しながらの驚きを覚える。
もっさりと顔を覆い隠す前髪をあげて、自分と同じような閉じた瞳を空気に晒す。
「髪、切った方が良いんじゃないかな」と提案することはあるものの、毎度「いらない」やら「必要ない」やら「関係ないだろ」と遅い反抗期のようなものが本人にはあるらしい。
そう言われては勝手に髪を切るなんてことは出来ないし、最も嫌がるような真似はしたくない。
痛い思いも、悲しい思いも、一生背負うことになる深く重苦しい思いも、彼には必要ない。
何せ、生まれてくる前から存在していたのだから。
僕…いや、僕達の両親は生前、非常に仲睦まじい理想的な夫婦だったそうだ。
まるで、出逢うことが運命的だったとも誰かが言っていた。
その夫婦が子を成す時、第一子は無事に出産したものの、第二子のみ相当のトラブルが巻き起こった結果、母体のみが死亡する結果となった。
要するに、母は弟を出産した代わりに引き換えとでも言うのか亡くなったことになる。
そこからは、それなりに荒れ始めていたと思う。
僕が物心ついた頃に既に父は酒に溺れてろくに仕事すらままならない状態だった。
そんな状態の親からここまで育ったのは、遠方の親戚が可哀想に思っての支援だが、父は決してその金で遊び回ったり、酒を購入したりすることはなかった。
しかし、家事をするわけでもなく、稼ぎを入れるわけでもなく、その金を生活費として子供に使って母の仏壇の前で酒を浴びるように飲むだけだった。
その酒がどこから出ていたものなのかはもう、知る由もない。
時折、父は僕を仏壇の部屋から最も遠い部屋に呼んでは呂律の回らない口調で激しく折檻することがあった。
その時に軽く吐いたり、叩いたりすることはあったが、酒が切れると子供のように大きく泣き出して当時の僕には分からない言葉を綴っていた。
僕はその度に怒るでもなく、泣くでもなく、父の背中を擦って襖の向こうで、こちらを見つめる歳の離れた弟を安心させようと笑っていた。
それも長く続かず、父は母の仏壇のある部屋で首を吊って亡くなった。
父の姿を見た当時の弟がそれをどう思っていたのかは分からない。ただ少なくとも僕は、解放されたと薄ら嬉しさが勝ったものだ。
その小さな地獄は今や見る影もなく思い出の一幕に居座ったまま、出ようとしないものの神様に会ってからはそれがゆっくりと抜けていくような感覚がある。
思い出に満たされたコップの中に入ったひび割れは、直されないまま溢し続けるのだろう。
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「ねぇ、大丈夫?」
粉を溶かした水を眺める彼につい、声をかけた。どうしようもなく途方に暮れた、あの時のような顔が胸の中に燻っていて反応せざるを得ないのだ。
彼はすぐに私の声に気づいて心配をかけないと言わんばかりに勢いよく水を飲み干して濡れた唇から言葉を絞り出した。
「あ…ああ、大丈夫。有り難う。今日は何の話?また、泊まっていく?」
「…ううん、流石に帰ることにするわ…十綾君の様子はどう?」
「結構良いよ。タリー兄弟や大川さんとも打ち解けているようだし…それに_」
言葉を続けようとした亨の“タリー兄弟”に反応したのだろうか。廊下から騒がしい足音がしたと思うと、金髪の双子が顔を出した。
その内の兄にあたるアンヴィルがよく通る声で、
「呼びました!?」
そう返事をした。彼を見ると、ほんの少し口角をあげて「呼んだ呼んだ、有り難う」と笑ってついてきた弟の方のスーヴェンにも礼を伝えた。
ただ、なんとなくそれが続けばいいのにと、変わらない運命の中で独りよがりな想像をした。
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どこへ行っても、奇異の目が呪いのように纏わりついている。
誰も彼もが噂話を好み、居場所がないことを明確に現してくる。
時折、自身がひどい夢の主人公などではないかと現実を歪ませたくなるが、どんなに頬をつねってみても痛みだけが現実を叩きつける。
自慢であるはずの羽ももぎ取られたような痛みばかりに似たものが心へ常々襲い来る。
関わりのない村民が噂話に尾ひれをつかせて風船を膨らませるように大きくしていき、“神宮寺が嫌がるほど落ちこぼれ”や“飛べない羽をつけた脂肪鳥”、“人でも天使でもない怪物”と有りもしない噂を立てては、何を言っても聞いてくれないのが非常に悔しい。
それでいて、私と関係のない人までもが悪く言われるのは理不尽極まりない。
奇異の目が更に強くなり、こちらを見ている村民が口を開く。
きっとまた、僕の悪い噂話だ。
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せっせっと箒で庭を掃いている月を見ながら、紅茶を淹れている天気とわたくしめの前にあるクッキーを見た。
クッキーを一つ摘んで、凝視すると豆のようなものが入っていることが分かる。
不意に天気が向き合うような形で口を開いた。
「それ、悠斗様から貰ったの。納豆クッキーらしいですよ」
「へぇ…広竹悠斗様から……味の方は〜…どうです?」
「きな粉とバターの風味があって、納豆の食触もサクサクとして甘い印象を受けましたよ。お先にどうぞ、お好きでしょう?」
「…………」
摘んだクッキーを口の中へ放り込めば、砂糖ときな粉の甘さと焼かれた生地の柔らかさが舌で広がり、バターの香りが鼻を擽る。
美味しいのか、不味いのか、どちらに傾けばいいのか低迷していた思考が珍しくまとまり、床へぶち撒けようとしていた手が注がれた紅茶を口へ呷った。
「…そういえば、前に湊さまのご友人がいらっしゃいましたよねぇ」
「ああ、当主様の…美術大学の人でしたね」
「ええ…お顔がま〜ったく拝見できなかった人です」
「見られるのが嫌なんでしょう」
「そんな方が、わざわざ外に出ますかねぇ?」
「……何が言いたいの?」
「ちらっと見たんですけれど…来客のお顔、湊さまにそっくりだったんですよ」
「…そっくり…?」
クッキーへ伸ばしかけていた手を引っ込めた天気が少し考え込み、また再び口を開いた。
「……当主様に、ご兄弟なんていらっしゃったかしら…」
その言葉に敢えて、何も答えなかった。
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少し肌寒い風が古木の隙間を縫って顔へ吹いた。隣で前を歩く日村と梶谷の当主をじっと見つめた蓮は握られた斧を若干、こちらへ寄せつつある。
明らかな警戒を持ったそれにやんわりと諭すような言葉を投げかけた。
「そんなに警戒しなくても…」
「最近、怪しい団体が多く見られるんです。神宮寺家とは、どう違うんです?」
「…神宮寺家は怪しい団体ではありません」
「じゃあ、それを証明して見てくれますか?」
「……能力でも、良いですか?」
「…能力?」
更に警戒心の強くなった蓮に対して、薄ら笑いを浮かべて僕の能力である“|創造想像《クリエイト》”で柔らかくカラフルな色味のついた小さなお菓子を想像し、出てきたグミを蓮と真広へ差し出した。
「…マジックか何かで?」
「ああ…ええと……そうですね」
すぐに受け取って口へ入れた真広に対し、訝しんだようにグミを観察する蓮。
元々、共に護衛に関する関わりのあった真広からすれば当たり前ではあるが、初対面の人物に物を貰うのは些か抵抗があるのだろうか。
そんな蓮を見つつ、修と湊の会話に耳を傾けた。
「なぁ、前に持って帰った賽子はどうしたんだ?」
「賽子?ああ、あれね…普通に捨てたよ。ちょっと調べたけど特に何もなかったし…ただ、なんていうか……すべすべしてたんだよね」
「すべすべ?…材質が木材とか、石材ってことか?」
「いや…なんか……ちょっと脂があるっていうか…」
「じゃあ、動物か何かの皮だったんだろ」
「ああ…そうかもね。中身も白くて硬かったし、動物の骨なのかも」
「そう考えると変わった賽子だな…」
「…本当に、ね……」
静寂が訪れたその数秒後に修が思い出したように湊へ会話を投げる。
「そういえば、父の様子はどうだ?兄弟の方も」
「…いや、別に普通だね。相変わらず地方で営業しているし、兄弟は……凄く、積極的。酒内村から離れて一緒に暮らそうの一点張りだね」
「離れる気はないのか?」
「今のところはね。そもそも、20年も前から生き別れみたいな形の血縁上は兄弟でも、赤の他人と急に一つ屋根の下で暮らすって怖くない?それに…」
「それに?」
「…重いんだよね、あの人。夜久みたいに」
「ああ…そうか、なるほどな…」
そのまま、再び静寂が流れる。お互いに苦い顔をして、少し夜更けが深まりつつある空を見ていた。
やがて、懐中電灯の光が森の中を射した。視界は光以外真っ暗に染まって、奥からは蛙の鳴く声がする。
「じゃあ、僕は右へ行くから亡忌さんと戌亥さんは修を頼むよ」
僕の腕を掴んで右へ進もうとする湊がそう言った。
威勢よく「分かりました!」と返事をした真広と違って、蓮は黙ったまま頷いて僕から視線を外さなかった。
前で鼻歌を歌いながら歩く湊の先で長身の何かが見えた気がした。
---
湊と玖乃が消えた先で、何かを目視した気がしたが、気の所為だと思うことにした。
呑気に修と一緒になって月や星を眺めようとしている真広を引っ掴んで周りを見るように促した。
懐中電灯の光以外は真っ暗な森の中では何かをはっきりと目視することはできないが、微かな音だけが頼りになる。
前を進む修と真広の足音以外に遠くから低い男性のような「おぅい」と呼びかける声がした。
「…修様」
「……人じゃないよ」
俺の呼びかけに遠くからの声に結論から先に話した修へ問いを投げかけた。
「何故ですか。低い、男性のような声ですよ。もしかしたら、山の遭難者かも_」
「絶対に、ないよ」
「…何故?」
「そうだな……なぁ、真広。もし、君が誰かに助けてもらいたい時はどんな言葉を出す?」
そう投げられた真広が背中で驚きを表現して、すぐに答えた。
「…“助けて”…とかですか?」
「そうだろ?地元の猟師の話で“おぅい”や“おーい”などの男性の声は小熊の鳴き声、女性の声は鹿の鳴き声…という話がある。
そもそも、な……救助が必要な人間が呼びかけるような言葉だけなんて、おかしいんだよ。文末に助けてくれ、って言葉がつかなきゃそれはもう人じゃない。こっちを誘う為だけの罠だ」
話しながら懐中電灯の灯りが何かを照らした。それが修の目にも入ったのか勢いよく彼が駆け出して僕や真広がそれを追った。
やがて、修がある地点が腰を屈めた。屈めた地点を少し掘っているようで掘ったところには、少し平たく細切れになった白くも土で汚れた溶けたものがある。
「…これ、なんですかね?」
真広の問いに修は、「なんだろうな」と同じ返しをした。
しばらく視界に存在したそれを忘れるように潮の香りが鼻についた。
香りに誘われるまま耳を傾けると、蛙の声に混じって波が押し寄せる音がした。
「……海、か…」
耳に修の声が響いたと同時に湊と玖乃と思われる懐中電灯の光を瞳が捉えた。
---
黒い固定電話の先で中年の女性の声が耳へ届いた。
「その…もう少しだけ、考えさせて下さい」
『もう少し、もう少しって…貴女……こんな簡単な話があると思う?自分自身を殺して、ただ従っていればいいだけじゃない』
「…でも、|大海《おおみ》さんは…」
『遥ちゃん。貴女はもう日村じゃなくなるのよ、お兄ちゃんだって良い迷惑でしょう?もう少し、考えなさい』
「……すみません、失礼します…」
無機質な音を最後に受話器が置かれ、左手に握られた胡蝶蘭の花を模した淡い桃色の簪を壁に突き刺し、ぐっと力を込める。
壁に引っかかっている簪が弧を描くように曲がり、折れそうになった手前で、
「日村さん?」
佐久間の声が力を緩めた。簪を壁から引き抜いて佐久間に返事を返した。
「どうしました?」
「…あ、いえ…修様がそろそろ切り上げるとの言伝で……その簪は?紀井さんからですか?」
「……いいえ…大海|成也《せいや》さんからです。あの、40代の…」
その辺りで言葉が出なくなった。大海の顔よりも修の顔がちらつき、そちらに意識がいく。早めに忘れてしまいたかった。
何かを察したのか代わりに佐久間が話題を更に振った。
「そ、そういえば…最近、浜辺で鳥が異様に集まるところがあるそうですよ」
「…へぇ」
惜しくも会話の波は来なかった。
長い静寂は玄関の扉が開くまで続いていた。
---
薄暗い部屋の中で携帯の通知が鳴った。
窓の外は昨日の夜景の暗さよりも明るい太陽が輝いていて、異様に眩しい。
痛みの引かない腰と相変わらず続く頭痛を鬱陶しく思い、気分紛れに携帯を手にする。
真宮の捜索メールと、珍しく湊からのメール。
髪の毛を掻いて、乱れた毛布と裸体の間に携帯の画面を置いて湊のメールに目を通す。
メールの内容は、“朔が失踪した”となんとも不謹慎で夢のように奇妙な内容だった。
小鳥の囀りが醒めて急激に冷えていく頭の中で現実を呼び起こそうとしていた。
**あとがき**
本来なら一人死ぬ予定でしたが、もうちょい足掻いてもらおうかなと思い、優月村八分、朔失踪に走りました。
リーダーで最強なら耐えれるやろ。
Q:本当に優月は死なないのか
今のところ疑似精神崩壊フェーズには走ってる。
“あまり”追い詰めてほしくない、なのでOKということで()
__別に嫌いなわけではない__
Q:各キャラクター身長は?
・日村 修…175cm ・和戸 涼…178cm ・日村 遥…168cm
・桐山 亮…180cm ・鴻ノ池 詩音…170cm ・宮本 亜里沙…170cm
・酒木 楓…176cm ・橘 一護…173cm ・空知 翔…176cm
・柳田 善…180cm ・松林 葵…163cm ・上原 慶一…180cm
・梶谷 湊…185cm ・畠中 秋人‥176cm ・神宮寺 大和‥184cm
・神宮寺 朔…170cm ・八代 亨…179cm ・八代 十綾…184cm
・榊 直樹…180cm ・田中 虹富…185cm
Q:これを執筆していて思うことは?
地獄だなぁって感じ。過去の私は病んでいる。
Q:朔の両親に当たる鬼は悪鬼?
知りません。妖怪と人間のハーフとかいうのはさほど重要じゃないですね。
狐者異だと、従者としての巫女かつ跡継ぎ子生みな女性と跡継ぎ次の巫女を育てる宮司って感じ。
抽象的過ぎて分からんよなぁ。