障害を持っている自分の日常の苦労など書きます。
ほとんどノンフィクションで少しフィクション混じってます。
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目次
自分
7;兄
12;自分
12月3日この世に生まれた。
か弱い体で生まれてすぐ集中治療室行きだった。
長い管に繋がれて、そこで6ヶ月過ごした。
2回の手術を繰り返した。
お母さんは、相当ショックを受けていたって。
12(自分)が生まれる前の年の7月に7(兄)は、生まれ12と同じ状況で生きてきた。
12は、ずっとみんなより1テンポ遅れていたらしい。
自分ではあまり覚えていない。
幼稚園入園する前から、母は12の異変に気づいていたらしいけど気づきたくなかったらしい。
7と同じになって欲しくなかったから。
7は、視覚障害、聴覚障害、身体障害、知的障害、発達障害を持って生まれてきた。
母は信じたくなかった。だから病院にも連れて行かなかった。
そのせいで苦しんだ。
でも、今思えばそれでよかったかもしれない。
幼稚園の時もずっと一人、友達なんて欲しいと思ったこともなかった。
寂しいとも思わない。
今思っても記憶はない。
母から聞く話を頼りにしているだけ。
そのまま、小学校に入学してずっと一人
一学期間小学校に通っていたけど、いじめられて学校に行けなくなった。
あいつおかしいよ、とか
変なの
バカみたい
ただのアホじゃん
机に落書きされたり
上履きを隠されたり
一時期は石を投げつけられたり
砂をかけられていた
担任も見て見ぬふり
苦しかった
誰にも言えなかった
心も体も泥だらけで家に帰ってきて
一人で泣く日々
母がそのことに気づいたのは
一学期が終わる最後
二学期はずっと家にいて引きこもっていた。
母は様子を見ていたらしいけど一向に無理そうだったから
三学期になって転校することになった。
友達を作るためだけに。
別に必要なかったのかもよく分からない。
でも転校してなければ今の友達はいなかった。
そこで三学期を過ごして友達はあまりいなかったけど
数え切れるほどだったけど
少しはできていた
その時からかな
人の話していることがわからなくなったのは
またいじめられるのかな
小さいなりに考えた
悩んでるのに
それでも母は見逃し続けた
小学校2年生の時
APDと診断された
医者から説明を受けた
一部しか覚えていないが
人の話を聞いてその話が脳に行き届く前に
脳の間に障害が起きてうまく理解できない障害だって
雑音が多い場所などでは人の話が聞き取りにくい
実際にそうだった
訓練して治る人もいるって
今もし続けているけど
あまり実感できていないかもしれない
今だって聞き間違いや、聞き直しが多い
そのことが発覚してそのまま
治療のしようもないし
訓練したからって個人差が大きかった
2年生なりに頑張ってたらしいけど
友達の中の輪に入ることは
できなかった
できなかったていうより
できなくなった
人との関わりが楽しく積極的にしたいと思わなくなった
人間というものが嫌いになった
自分
前回のを読んでいない方は読んだ方が話の内容がわかりますので
そちらをお勧めします。
読んでくださっている方は今回の作も読んでくださりありがとうございます。
二年生の後半学校で全く喋れなかった。
場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)
ある特定の場所で自分の意思に関係なく脳が停止してしまうこと。
また、苦労するのか
悲しかった
自分が嫌いになった
診断されてから
特別支援学級に入った
そこの先生と相性が合わなかったせいで
1ヶ月で辞めた
また、引きこもった
こんなことばかりしてる自分が馬鹿馬鹿しかった
こうしたいわけじゃないのに
みんなできてる当たり前のことがなんでできないの
責められた
自分でも責めた
わかってるよ
わかってるのに
どうして
少しずつ学校に行って
慣らそうという話しになった
ほんとに少しずつだったけど
そのおかげで場面緘黙症は
今もあまり発症せずに済んでいる
それはよかったと思う
そして無事に2年生が終わり
3年生に入った
3年生になって
忘れ物とか
注意の散漫などがひどくなった
自分の感情のコントロールも効かなくなったり
また、自分を責めないといけなかった
なんで
次は、ADHD
そこで、コミュ障、パニック障害と
診断された
意味わかんない
なんで自分なの
なんで
そんなことを言いながらも
学校に行ってはいた
少しずつ友達は増えていた
でもいじめられて友達が減る
その繰り返し
疲れてた
呆れてた
でも、今までで一番苦しい思い出って
四年生だった
担任が最悪だった
え?
みたいな
全く理解してくれない
なんで?
ただの甘えじゃんとか
子供と同じこと言ってきてどうすんの
まじキモかった
あの先生の年は
不登校の子が増えた
自分もそのうち
なるんだろうなと見ていた
毎日泣いていた
毎日が
パニックだった
意味わからず
廊下で叫んでしまうし
おかしいよ
あんなのがよく先生とか言って
なれたよね
今、思い返すだけでも胸が苦しい
その頃、単純な疑問が湧いていた
ねぇ、なんでお父さんいないの?
初めは母誤魔化して
遠いお仕事に行ってるの
とか言ってたけど
ずっと聞いてたら
実は
お父さんと離婚したの
?
よくわからなかったその時は
6年生くらいになって
初めてわかった
少しショックだった
5年生はいい担任の先生だったおかげで
風邪で何回か休むだけで済んだ
嬉しかった
あんなに学校に行きたいと思ったことがなかったから
全てがその習慣のおかげになった
無事に6年生もそのように終えようと**していた**
自分
前回のを読んでいない方は前回のを読んでからの方をお勧めします
読んでくださっている方はこちらを見ていただきありがとうございます
今回は少し内容重めです
苦手な方はお戻りください
6年生を無事に終えようと**していた**
実は年長の時1(妹)が生まれていた
そんな6年生の終わりの頃
みんなで遊んでいた時
1が12だけなんか違うよねって言った
普通に障害のことを言っているのかと思った
そしたら
母が
だって
12だけ
お母さんの子じゃないもん
って
え?
みんな固まった
母がえ?
今更?
みたいな
こっちからしたら
は?みたいな
初耳だった
その後めちゃくちゃ考えた
どういうこと?
いや、結婚する時とか
戸籍抄本見てみ、みたいな
今もあまり理解できてない
だから自分は
お母さんの子じゃないって
今思っても苦しい
どうしてなんだろ
なんで養子なのって聞いても
ちゃんと答えてくれない
ほんとに赤ちゃんの時生まれた時の写真も
今のお母さんと写っている写真は一枚もない
7とか1はあるのに
生まれてすぐ心臓が弱いからって
捨てられたんだって
涙出てきちゃう
前のお母さんにあってもみたい
でも
今のお母さんに申し訳ない
なんか複雑
こんなの誰にも言ったことない
悲しい
ずっと信じてた
そんなことないよってずっと言い聞かせてきた
お母さんがあまりにまじめそうな顔するから
苦しい
自分は養子の
ただの落ちこぼれ
そら、お母さんと気も合わない
好みも合わない
1とも似てないし
はぁ
疲れた
自分にも
全てにも
疲れた
誰にも言ったことなかったのに
なんでだろ
そんな養子とか聞いて
なんだったんだろ
なんで
前のお母さんは
捨てたんだろ
理由はわかってるのに
納得できない
でもそれぐらい酷い人間がお母さんだったてことか
じゃあ今のお母さんのほうがいいのかな
どうなんだろ
なんか
わからない
今もたまに悩む
誰にも打ち明けたことがない
そんな悩み
を言うきっかけが
短編カフェだったなんて
おかしいね
今回のは全てノンフィクションです