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目次
恋に堕ちて。
わたしは、小学校のはるきくんがすきになりました。
はるきくんはね、すっごく足がはやくて、かっこいいんだよ。それに、やさしいの。
だから、すきっていってきたんだけど、はるきくんは、ごめんね、って。
かなしかった。
---
3年生になっても、はるきくんはわたしのことをすきにならない。
でも、お友だちでいられるから、ちょっとだけうれしい。
---
5年生になってから、男子と女子の間には見えない“かべ”ができた。
少し前まで男子と女子が交ざって遊んでたのに、今は男子と女子が2人でいればすぐカップル呼ばわりされる。
周りでは少しづつカノジョになる女子も増えてきたけど、そのにわかカノジョ達よりもわたしの方がずっと愛が長くて深い。1年生の頃からずっと春樹くんのことが好きだったんだから。
---
中学校に入ってしばらく経った。
私はまだ春樹くんのことが大好き。だから、そろそろ春樹くんも私の思いに応えてくれるはず。
そう思っていた。
雪の降る帰り道、だったかな。
春樹くんと学年で1番の美人、佳奈が恋人つなぎしながら歩いていた。
なんで?あの子、中学校に入って初めて会ったはずなのに。
もしも習い事が一緒だったりネッ友だったとしても、さすがに小1からずっと好きな私にとってはにわかも同然。
思い立ったらすぐ行動。
5年前調べておいた当時の習い事の名簿には佳奈の名前はどこにもなかった。
そこで、冬休みを1週間使って春樹くんの習い事にこっそりついていった。まずは5年前も通っていたスイミングスクール。次に、学習塾。剣道のお稽古。どこにも佳奈の姿はない。
少年サッカーの時、私は男子更衣室に入り、春樹くんのスマホを鞄から取り出した。4桁の暗証番号が必要らしい。そのために私は、春樹くんと佳奈の生年月日、付き合った日、その他もろもろの数字を把握している。
佳奈の誕生日がヒットした。会話は今年の秋から始まっている。
私は6年近く待ってたのに、他の|女《こ》はこの程度の期間で好きになるの?許せない。
怒りが最頂点に達した。
神様、もう1回やり直させてください。そしたら私は、
---
目を覚ましたら、私はベビーベッドの中にいた。あ、私、生まれ変わったのか。
佳奈のお母さんが私を見た。
「目が覚めた?佳奈」
その言葉を聞いて、私が誰に転生したのか、そしてその未来を察した。
笑いが止まらなかった。
やっと叶った。
今度こそ、春樹くんと結ばれる。
---
まだ幼稚園の春樹くんが遊んでいるのを見つけた。
私は、春樹くんが離れた隙に、その鞄からハンカチを抜き取った。
しばらく待って、そのことに気づいたあたりで、そのハンカチを持って彼の前まで歩み出た。
「これ、落としたでしょ?どうぞ」
「あ……ありがとう」
「お名前、なんていうの?」
「はるき」
「春樹くんっていうの。私は佳奈」
「かなちゃん。よろしくね」
春樹くんは笑った。
前世の私が知らない、幼い春樹くん。
好きだよ。
私も笑った。
「よろしくね!」
春樹くんは、ハッピーエンドは、もう私のもの。
小説一覧見てたら1番昔に埋まってたやつを仕上げてUP。
銀河の瞳
新学期、3tは超えた日差しを受けながら歩く。今日は使わないであろう教科書が入ったランドセルが重い。
教室、俺はみんなが好みそして嫌う席に着いた。1学期まではそこは端の席、通称「ぼっち席」だったから。34人が6×6に並ぶと、角じゃなくても端になる。2人分、欠けているから。
でも今日は違いそう。その2人分の“欠け”が机で埋まっていた。俺の席は、俺たちが夏休みをエンジョイしているうちにぼっちを卒業したようだ。
転校生か。
しかも、2人。
興味がないわけではなかった。でも、他の奴らみたいに興味津々でもなかった。
夏休みの課題を取り出そうと、ランドセルに手を突っ込んだ。
緊張が走っている。けれどざわめきがうるさいままだ。いよいよその転校生が入ってくるんだ、わくわくしない訳ねぇだろ……とでも言いたげな空気。そんなのお構いなしに、浜松先生がぽんぽんと手を鳴らして言う。
「じゃ、|春夏冬《あきなし》さん、入ってきて」
「はいっ」
その1歩が教室に響いた瞬間、強い風が吹いたような、それでいて空気がさらに固まったような感じがした。薄ピンクのポロシャツに、デニムのショートパンツ、髪留めで留めたショートカット。頬には小さな絆創膏。ちらっとこちらを見たその目は、黒だった。強い黒だった。それでいて、輝いていた。煌めいていた。その目の中に大きな銀河がみえた。田舎のばあちゃん家の裏山で寝っ転がって見るような、そんな空が広がっていた。
「春夏冬 |優《ゆう》です!よろしくお願いします!」
「じゃ、春夏冬さんはあそこに座ってください」
「はい」
そう言って、俺のぼっち席(元)の隣に座った。ちょっと人工的な葡萄の香りがした。
俺は緊張していた。余計に暑い。
「先生、もう1人はー?」
いつもの男子が言った。
「もう1人は、今日は来られないって。今のところ明日は来れるそうだから」
「せんせー!男子?女子?」「名前は?」「誰~?」
「はい、静かに。では今から課題回収しま~す」
先生にはカンジョーがあるのだろうか。冷淡だ。俺の隣に座った「|優《ユウ》」の葡萄の香りとは違って、鼻の奥を凍えさせる感じだ。冬のような。
「ハママツ先生って、どんな?」
ユウが話しかけてきた。
「え?」
「いや、だから」
「え、どんな、とは」
「厳しい?」
「う、うん」
「そっか~。課題とかも?」
「厳しい方だと思う」
もしかして、とユウが言う。
「|悠《ハル》くん、宿題出さない側だったりする?」
「え、は?違うけど」
「いやぁ、近くに経験者がいないかと思って!」
と、悪戯な笑みを浮かべるユウ。
もしかして、宿題が苦手分野の子なのか?
思ってみたけど、にわかには考えられなかった。
その目は、すべてを難なくこなせるような、完璧な銀河だったから。
ユウは明るくて気さくな子だった。笑顔を絶対に絶やさない。勉強もできて、運動も得意。誰が妬んでもおかしくないような完璧少女。
その頃には、皆、2学期になって1度もやって来たことのないもう1人の転校生のことなんか忘れ去ってしまっていた。
その中でただ1人、ユウだけがこの学級が36人いるということを忘れていなかった。
俺は、彼女の言葉でかろうじてその存在を認識していた。
2学期は静かに過ぎた。
粉雪が舞う2学期最終日、その日は漫画の発売日で、俺はダッシュで帰路についた……はいいのだが、学校に筆箱を忘れてきたことに気づいた。最悪。俺はまた学校に戻る羽目になった。
向かいからユウが歩いてきた。3か月で、ショートヘアは耳にかかるくらいに伸びた。前髪も少しずつ伸びてきて、学校では女子の輪の真ん中で「切らなきゃ~」なんて言ってた。
その伸びた前髪で顔が見えなかったが、ユウだとすぐ分かった。
「ユ……」
やめた。
声をかけてはいけない。
目が、見えたのだ。
真っ黒だった。ドス黒かった。星なんてなかった。
立ち止まらなかった。
走った。気付かなかったふりをして。
3学期のはじめの日、ユウは遅刻した。
2時間目に、ユウは1人の男子を連れてやってきた。2人は、手を繋いでいた。
「春夏冬 |竜《りゅう》です」
それだけ言って、|竜《リュウ》はユウに連れられて隅に座った。
あの日と同じように、カンジョーのない声で浜松先生が課題を出すように言う。
やはり転校生を前に黙れというのは、小学生にはキツい。2時間目が終わるや否や、リュウの周りには人だかりができた。ユウと俺の席も埋もれた。
リュウの「アキナシ」が聞き取れたのは俺と最前列の奴らだけらしい。みんなユウと付き合っているだかいないだか言い出した。
さすがにうるさくないか。そう思った時、ギィィッと椅子を引く音がした。
__「……うるさい」__
人混みが退けた。そこから逃げるようにリュウが出てきた。
俺は、見てしまった。
あの日のユウと同じ目。真っ黒な闇。
教室を出た足音に続いて、かちゃっと金属の音がした。
俺はあとを追った。廊下にはペンダントが落ちていた。隣のトイレのドアが軋んだ。
そっと、開けてみた。中には、リュウとユウと、2人の大人が移った写真。みんな笑顔だ。ユウとリュウの目は、今よりずっときらきら輝いていた。
でも、何か違和感がして、少しまじまじとその写真を見つめた。
あ、授業参観の時のお母さんと違う……のか?
少しの間、ずっとそれを見ていた。そのあと、俺は考えるのを放棄した。小学生だから。人の家の話だから。……本当は、そうやって都合よく他人事にして逃げたかったんだと思う。
でも、俺はその時、“もっと大切な理由”を見つけた。俺はペンダントを閉じた。
男子トイレに入った。ただ1つ使用中になっている個室に声をかける。
「リュウ?」
返答はない。
「このペンダント……リュウのやつ?」
そう言ったら、衣擦れの音が聞こえた。
「下から入れていいか?」
返事の代わりに、ドアの下から手が出てきた。それを渡して言った。
「体調とか悪かったら、言っていいからな。一応、クラスメイトとして、仲間を助ける義務と権利はあるだろ」
それっぽいこと言って、自分でもダサくねえか、と思い、でも訂正するのはいけない気がして、少し黙った。
__「……戻ってて。しばらく1人でいたい」__
「わかった、ユウを呼んだりは……」
「1人でいたい、って、言ったよね?」
震えた声だった。でもその声に、何か身体の大切な核を抜かれたような気がした。圧が強かった。あの真っ暗な目が蘇った。
「……うん、ごめん」
大して姿も見ていない、会話もしていない、今日初めて会ったリュウになんでここまでするのか。聞かれたらきっと答えられない。
わからない。
重い戸を開けると、トイレの中の夏でも籠るような生暖かさではなく、冬らしい寒さが背筋を震えさせた。
そして次に反応したのは聴覚だった。
「春夏冬さん、落ち着いて」
「だって、だって太一が……っ!」
浜松先生と、ユウの声だった。走るほどの速さまではいかない距離だったが、事実上走った。
俺の目に飛び込んできたのは、想像していたより酷い光景だった。
教室は、すこし荒れていた。野次馬が集まっていた。だが、問題はそこではなかった。
ユウが太一を殴った。
この状況を見て、そう判断しない人がいるだろうか。
隣のクラスの赤城先生に押さえられているユウと、鼻血を出して倒れている太一。ユウの手にも少し血がついているように見えた。
ユウと太一は、先生たちに連れてかれた。何事もなかったかのように、3時間目は始まった。
気づいたときには、ユウ、リュウ、太一のランドセルはロッカーから消えていた。
2月。
あれから、ユウとリュウは学校へ来ない。
太一はあの翌日、鼻栓1つで登校してきた。みんながなぜ殴られたのか聞いたけれど、太一は「知らねーよ」の1点張りだった。太一に都合の悪いことなのか、本当に知らないのか、はたまた一瞬の人気者をできるだけ長く気どっていたいのか。それは誰も知らない。殴られる直前話していた太一の友達も、何がユウの気に触れたのか見当もつかないそうだ。
教室は、空っぽになったみたいにつまらなくなった。クラスの中心は既にユウだった。みんなユウを慕っていた。思い出は全部、ユウやその近しい友達が柱だった。この教室は、主人公をなくした物語だった。
脇役だって、モブだって、主人公がいなきゃ成り立たない。ユウがいなくなったら、太一でさえなんだか静かだ。
---
冬の空って、綺麗に見えるんだって。
ユウは、空のことをなんでも知ってた。天気もだいたい予測することができた。
空のことを話すユウの目は、その冬の空より澄んで見えた。
そして、空のことじゃなければ、こんなことも言っていた。
『目は、心の窓なんだよ。目を見ると、その人の心がわかるんだ』
そういうところは、天気と通じるのかもね。……って。
じゃあ、ユウの目、あれは何?
銀河の目、真っ暗闇の目、輝いた目。
あれは……何を表している?
---
既にユウの家の前まで来ていた。
木でできた「春夏冬」の表札。
そっとインターホンを押す。
『……はい』
出たのは大人だった。
「ユウは、いますか」
『……』
すこし静かになって、ぶつっと音がした。多分、切られた。そして少ししてから、ドアが開いた。
「ユウ、久しぶり」
平静を保つのが難しい。でもユウにとってそれが1番安心できるのだろうから、無理してでも普通でいなければならない。
「元気してた?」
「うん」
久しぶりに会ったユウの髪は肩まで伸びていた。
「公園、行かね?」
「……いいね」
ランドセルを背負ったまま、お気に入りの公園に向かう。ユウは俺の隣だったり斜め後ろを歩く。
「……ここ、ユウは来たことある?」
「ないと思う」
ユウの目は曇りだった。重い雲が、何かを隠していた。
「……私ね、学校にいる間だけは現実逃避できたんだ」
「現実逃避?」
「誰か、家族以外と話してる間はね。でも……リュウとだけはまだ話せない。話さないんじゃなくて」
「……そっか」
「でも、リュウが大切な家族であることに変わりはない……だから、あの時、許せなかった。太一が、リュウのこと『ヤバい奴』って言った時」
ユウの目の空に、雨が降り始めた。
「殴ったのは、よくなかった。でも、もっと“言葉の重さ”を考えてほしい」
俺は何も言えなかった。
「陰で言えばいいのか。感想って体で言えばいいのか……。そうじゃないよね。だから……発言の自由にも、責任は伴う、って気づいてほしい」
「……難しいこと言うね」
「うん、だから、私は解ってくれるまで戦う」
いつの間にか雨は止んでいて、そこには、黒い太陽が燃えていた。
その強い眼差しに、俺はいつの間にか圧倒されていたようだ。
「また、ここ来ようよ」
ユウに言った。自分で呼んだ癖に、もう帰りたいと思ってしまった。
「……そうだね。その時は、晴れの日に夜空を見たい」
ユウは、曇り空を見上げて言った。
「3月の2日、夜7時にここで会おうね」
「晴れるの?」
「晴れなかったら会えないけど、その時はまた次、ね」
ユウは、それほどこの公園で空を見たいのだろうか。
そう思ったけど、うまく消化できなかった。
3月2日。
雨が降った。数年に1度の豪雨らしい。
真っ黒い雲が空を覆っていた。
金曜日で、学校は5時間だった。学校で会えないユウに、また今度をいつにするのか聞きに行った。
ユウの家は、売家になっていた。
静かだった。電気がついていなくて、窓から見える家の中はがらんどうだった。
ユウは嘘は言っていない。晴れていないから、俺に会う約束はなくなった。
でも、ひとつだけ。
また次、っていう約束を、ユウは破った。
あの目を、俺は噓つきの目と思えなかった。
あの日公園で見たユウの目よりずっと激しい雨が、ずっと傘に打ち付けていた。
---
---
来月から大学生になる。
特に何があるでもない3年間だった。
適当にコンビニで夕飯代わりの弁当を買った。近くの公園のベンチに腰かけた。
ゆっくり、空を見上げる。風が吹いて、若干ドライアイ気味の俺の目を乾燥させる。
瞬きを繰り返すと、一気に涙が出る。目を潤すためなのか、それとも……空が綺麗すぎてなのか。
あの日の約束は、一応守られている。
今日が、あれから初めての、晴れた3月2日だ。
ユウはきっと来る。
今日は、夜中まででもユウを待つと決めたんだ。
もう1度、あの輝いた目で空を見つめる君を見たい。
追記 春夏冬は実在する苗字だそうです。
Requiem for His Spirit.
後半が赤文字の使い方覚えた人の調子乗った祭典みたいなことになってるのおもろい
「キャーッ‼」
「|日花《ひばな》ちゃ~ん‼カッコいいよ~っ‼」
バスケ部の試合で、本来呼ばれるはずのない彼女の名が響き渡る。
コートを快走するショートカットの彼女は|葵《あおい》 |日花《ひばな》。助っ人である彼女は、他の部員を引っ張りつつ、誰よりも点を決めていた。
試合の結果は20点突き離す圧勝。
日花は陸上部と剣道部を兼部し、また水泳部の助っ人にも頻繁に足を向ける。それらを、1年生にしてエース並みの実力で勝利に導くのだ。彼女はその激務の中、少ない学習時間でも地頭の良さで勉強を余裕で乗り切る。成績優秀者の1人なのだ。
しかも彼女は、美しい容姿の持ち主である。そして、なによりも人当たりの良さで彼女に勝る者は校内にはいない。
そう。彼女は、老若男女問わず非常にモテる、完璧イケメン少女なのだ。
「葵先輩!」
そう声をかけたのは、中学の後輩だ。助っ人の噂を聞きつけて来たのだろう。
「あぁ、山田くん。久しぶり」
「あの、えっと、今日、先輩かっこよかったです!あの……先輩!付き合ってください!」
日花は、今まで幾度となくこのような告白を受けてきた。
しかし彼女の返答はいつも変わらなかった。
「ごめんね。君とは付き合えない」
「……ですよね」
巷では、日花に彼氏がいると噂されている。だが彼女は恋人いない歴=年齢である。
見事にフラれた日花リアコ勢の一員は、とぼとぼと友人に励まされて帰っていった。
「日花ちゃん」
そしてやっと、彼女の待ち望んだ声が後ろから聞こえた。
「|逢坂《あいさか》先輩……!」
「お疲れ様。頑張ったね」
「そ、そんなこと……!」
「いいんだよ、謙遜しないで。これ、あげるよ」
そう言って、彼女の初恋を奪った男・|逢坂《あいさか》 |夜空《よぞら》はドリンクを差し出した。
彼もまた、容姿の優れた心優しい人である。しかし少々頭は弱い。
「いいんですか……⁉」
「うん、箱買いしたけど好きなのと間違えてたみたいで」
夜空は今年受験生の3年だ。
日花は自分の恋が彼の受験の邪魔になることを、僅かながら恐れていた。
だから、告白は受験が終わるまでしないと心に誓っていた。
「ありがとうございますっ!」
「いいよ、大丈夫」
そして、彼と別れ、短いミーティングを終え、皆とバスに乗る。
あとちょっとで寮に帰れる。
そこには、彼女の“至福”があった。
「マジでメダー様最高!顔面国宝~っ‼」
布団の中で、今朝配信された漫画をスマホで読む日花。
「レミたんその笑顔は反則ですっっっ‼」
そう、彼女には“裏の顔”がある。
ロリとイケメンが大好きな、マンガヲタク。それが本当の彼女である。
しかし彼女の至福の時間は完全に阻止される。
「……え」
誰だって最推しの死は精神に来るだろう。
「 **レミたぁぁぁぁんっ‼**」
これで、彼女のモチベーションは皆無に等しくなった。
逆に試合前に読まなくてよかったのだが、どちらにしろレミたんの死は作者が書いた時点で決まっていたので、もう変えられない事実だ。
皮肉にもそのパーティはつい先日の話でヒーラーと魔法使いが脱落していた。彼女の蘇生はほぼ不可能。さて、剣士だけでどうするのか……。
「お願いだから……メダー様だけは……っ」
主人公が死んだら成り立たないのだけど、とツッコミたいところではある。
しかし彼女の方は瀕死である。黙っておこう。
そっと、ページをめくってみる。
『くそ…ッ、俺1人でこのデカブツ片づけなきゃいけねーのかよ――』
『あんた1人?誰がそんなこと言ってんのかしら』
「あ……あなたはライバルパーティの……⁉」
『アーヴィン⁉お前――⁉』
『言っておくけどあたしはあんたを利用するだけよ。勘違いしないで』
「共闘キターーっ‼アツい展開だぁぁっ‼」
布団の温度が20℃近く上がった辺りで、部屋が静まった。
推しの尊さでの発熱も相まって、疲労が限界に達したのだ。
日花は推しの共闘シーンと共に爆睡してしまった。
廊下からした物音で、日花は目を覚ました。
(なんの音……?)
時計を見ると、深夜の2時半。
土日の境、だとしても起きてていい時間ではない。
こっそり扉を開けると、階段の方に人影。
目を凝らすと、それは夜空だった。
(先輩……?なんでこんな時間に?)
そう思うや否や、夜空のポケットから何かが落ちた。
夜空はそれに気づかず、ゆっくりぼんやりと歩いていく。
日花も部屋をこんな時間に出ていることがバレてはいけないので、そ~っと歩いた。
そこに行くと、落としてあったのはハンカチだった。
(追いかけて、届けた方がいいよね……?)
けど、走ったら即バレるので、抜き足差し足をしながら行くしかなかった。
夜空を追いかけていくと、校庭まで来てしまった。
そして日花は気づく。
(いや、私、めっちゃストーカーっぽくない⁉)
ここまで来て彼の前に出るのを躊躇っていると、突然、爆破のような音が響き渡った。
日花は、目を疑った。
「せんぱい……?」
夜空の右半身が、奇怪な化け物に変わっていたのだ。
腐ったように黒くて紫のものが人の形に造形されたような、命があるとは思えない塊。そこに、目や口が開いて、まわりを見まわしたり、何か奇怪なことばを発している。
ぐちゃぐちゃと不快な音を立てるそのすぐ隣で、死んだように虚ろな左目をした夜空から、目を離せなかった。
「先輩!先輩‼」
日花は叫んでいた。
その途端、“それ”が日花をぎょろりと見た。数多の目玉で、日花を凝視した。
背中を冷たいなにかが這うような感覚を覚える。
日花は叫んだことを後悔した。
強い殺気を感じた。
(殺される。確実に)
1歩、1歩と後ずさりする。
静かな風の音、騒ぎに気付いて避難し始める生徒たちの声。
皆が日花とは反対方向に走る。誰も彼女の存在に気づいてはくれなさそうだ。
気を抜いてしまっていた。
気づいたときには、その気色悪い大きな右手がすぐ目の前まで来ていた。
日花は宙吊りになりながら、頭を化け物の大きい手で、文字通り握りつぶされそうになっていた。
ぎゅ、ぎゅ、と、少しずつ圧力が増す。
彼奴が情さえあれば、日花はその程度の拷問だけで放してもらえただろう。
だが、怪物に情などあるはずもなく、死を覚悟しなければならないと本能が日花に語りかけた。
(……最期に)
日花は痛みの中、願った。
(最期には先輩の顔を見て死にたい)
……そんな願いが届いたのか、僅かに化け物は掴み方を変えた。
指の隙間から見えた夜空の左側の顔は――哀しみだった。
虚ろなのには変わらないが、一応日花の側を向いている瞳から、涙が零れおちた。
たすけて
僅かな唇の動きは、確かにそう言っていた。
(……いや、まだ死ねないな、私)
日花の瞳は、さっきまでの死を覚悟するという一種の諦めと打って変わって、強い意志を宿していた。
(だって、大好きな先輩に殺しなんてさせられないもん――‼)
その瞬間。
「|魔霊術《まれいじゅつ》 |藍炎《あいえん》っ‼」
青い炎が日花の目の前を覆った。
「何……⁉」
化け物は『ヴェッ』みたいな声を発して、日花から手を離した。
「ふぅ、危機一髪だったミコ!」
そう言ったのは、青いロングヘアの和装の少女。青い火が2つ、頭から獣耳のように上がっている。10歳くらいといったところだろうか。
「あなた、誰?」
「ミコは|御狛《ミコマ》!日花の背後霊だミコ!」
「……は、背後霊?」
「聞いたことないミコ?ニンゲンの中では有名な話だと思ってたミコのに……」
「いや、聞いたことはあるし、知ってるけど……」
「なら話は早いミコ。早くあの子を救うミコ!」
非常に速い展開も、物わかりのいい彼女にとっては苦ではなかった。
「じゃ、じゃあ御狛、あの化け物をぶっ飛ばして!」
「アバウトすぎて無理ミコ‼」
しかし日花は突然バフッとしたことを言い出す。
「え~?面倒だなぁ……」
「面倒とか言ってられないミコよ!早く!」
「う~んと……じゃあ、さっきの藍炎?をもっかい‼」
「了解ミコ!」
御狛は化け物の方に飛ぶように走り、お札を取り出した。
「魔霊術 藍炎‼」
青い炎が、その右半身を炙った。
その瞬間。
『pyk4』
化け物が、聞いているだけで心をむしり取られそうな不快な何かを発した。
(何かの……呪文?)
―
「早く!あの子が焼け死んじゃうミコ!」
御狛のその声で、日花は我に返った。
そして見ると、夜空が《《自分の手で》》炎に触れていた。
「先輩⁉何して――」
「あの悪霊、多分、宿主を洗脳できるんだミコ。ああいうタイプほど“|呪壊《じゅかい》”になりやすいミコ」
「そっか……だからこんな時間に」
「だから、早く片付けないと被害が広がっちゃうんだミコ!」
「じゃ……じゃあ、洗脳解除できるのとかないの⁉」
「ミコはたったの9歳ミコ!できるわけないミコ‼」
「なら先輩のとこだけ消火できる技とかは⁉」
「……今までできたことないけど、やるしかないミコね‼」
そして、御狛は雪のように白いお札を出して、半分に破り、左側だけ構えた。
「魔霊術 |冷焼華《れいしょうか》!」
ジャッ、というような音や冷気とともに、左側だけに花が咲くように白い炎が上がった。
それはうまく夜空の側にだけ当たった。
「ふぅ……、あとは藍炎で呪壊が燃え尽きてくれればなんとかなるミコ……」
「ホントになんとかなる?」
「順調に行けばなんとかなるミコ。戦闘態勢は崩さないほうがいいミコ」
それから1分弱。
炎が消えた。
「燃え尽きたミコね……!あの子はじきに目を覚ますミコ!」
御狛が残りの使わなかったお札をしまいながら言った。
まだ焦げ臭い風が吹いている。
「先輩は無事かな……」
「見に行けばいいミコ!多少の火傷はあると思うけど、大きな怪我は負ってないはずだミコ!」
「先輩!大丈夫ですか⁉」
日花の声に返事はない。
「息してるから大丈夫ミコよ!人間って、そう簡単に死なないミコ!」
__「……すぐ死ぬよ、人間は」__
夜空がぼそりと言った。
「先輩――⁉」
「――あれ、元に戻ってる」
「……さっきのは寝言ミコ?」
「え、日花さん……と、誰?」
「ミコは御狛!ついさっきキミの悪霊を祓った、日花の背後霊ミコ!」
「背後霊……?」
日花とほぼ同じリアクションをしてくれた夜空。
「そういえばキミの名前聞いてなかったミコね!」
「あ、逢坂 夜空です」
「夜空!いい名前ミコね!よろしくミコ!」
御狛は一呼吸おいて、言った。
「で、本題ミコ。ミコは9歳ながら一応“祓い霊”をしてるミコ。“祓い霊”は悪霊を祓ったり、悪霊が暴れて“呪壊”になるのを防ぐ役目があるミコ」
「え、すごっ」
「御狛ちゃん、9歳なのにすごいね……!」
「えっへん!……で、夜空!夜空はまだ悪霊に狙われてるんだミコ!1度“呪壊”が発生すると、背後霊用の席みたいなのが汚れて、悪霊が過ごしやすかったりパワーが発揮されて“呪壊”が簡単に再発しちゃうんだミコ!」
「……はぁ」
情報量が多くて、当の本人である夜空の頭は情報を受け付けなくなりかけている。
「だから!早急に『|清祓神社《せいふつじんじゃ》』でお清めを受けなければいけないミコ‼」
「え?せいふつ……?」
「○○県××市の|八狐山《はっこやま》の頂上にある神社ミコ!すごく神聖な場所で、日本ではそこでしかお清めを受けれないんだミコ!」
「○○県⁉どんだけ離れてると思ってるの⁉」
「それでも行かなきゃ、夜空がまたあんな目に遭うんだミコ!日花はそれでもいいミコ⁉」
「……そういうわけじゃ」
「じゃあ行くミコ!」
「で、でも、僕たち、学校が」
「あの“呪壊”と同じように『洗脳』の能力持ちの“祓い霊”仲間がいるミコ!だから、学校・家族・その他諸々の記憶は心配しなくていいミコ!」
日花と夜空は、顔を見合わせた。
「先輩、どうしますか」
「……今だったからよかったけど、受験期にまた、その、ジュカイ?になるのはキツいかな。だから、今のうちに行こうと思う」
「そうと決まったら、早速準備を進めるミコ!1時間でなんとかできるミコ?」
「「うん!」」
「じゃあ、4時に校門集合ミコ!解散ミコ~!」
「……面倒なことになっちゃった。まさか“祓い霊”が味方にいるなんて。
`でも、気づかれないうちに✗✗✗だけ侵せれば、それでいいよね――!`」
---
「旅費は大丈夫ミコ?」
「お年玉だいぶ崩した……」
「僕はバイト代の貯金から出した」
朝5時。
2人分の切符で、××市の方に向かう新幹線に乗り込んだ。
ちなみに、背後霊というものは普通、宿主にも見えない。宿主のために力を発動させたものだけが、その宿主に見えるようになる。日花がそれだ。
例外は、夜空のように自らが“呪壊”になった人間だ。目が侵されると、色々な背後霊が見えるようになる。
今、日花は両目で御狛だけが、夜空は右目だけで御狛を含む多種多様な背後霊が見えている。
「今調べたんだけど、僕らの学校からそのなんちゃら神社まで、700kmあるんだって」
「夜空、いい加減覚えるミコ!清祓神社ミコ!」
(私もまだ覚えれてないなんて言えないな……)
そして、日花は無意識のうちに、論理的かつ非論理的な選択をしていた。
グループで乗る場合、席を隣や塊にするのが論理的だ。
そして、
(せ、先輩と隣だ……!)
思春期の乙女(一応)とその好きな人を隣同士にするのは、心臓に悪く非論理的なことである‼
本来のラブコメであればこれは幸なのだろうが、彼女はそうではなかった。
(こっそり鞄に忍ばせて持ってきたメダー様とレミたんのグッズ、さらに先輩……!圧死する……!)
そう、彼女は恋愛中のマンガヲタクであった。
そこに、思いもよらない奇襲が……。
とんっ。
夜空の眠気が、ついに限界に達してしまったらしい。
日花の肩に頭を預けて眠ってしまった。
(はっっっっ⁉先輩⁉せっかく助かった私の命また奪う気ですかっ⁉)
日花の心拍数はとうに180を超えている。でも先輩を起こすわけにはいかない、と、心臓破裂の危機を耐えるしかなかった。
道中のうたた寝がまさか日花の寿命を縮めているとも知らずに、夜空は日花、御狛と新幹線を降りた。
××市はとても自然が豊かで、初夏を過ぎた緑がよく映えていた。
「背後霊って、ほぼみんなについてるんだ」
「それが普通ミコ。でも今、夜空の背後霊枠は空席なんだミコ。変なのに憑かれる前に早く山に登るミコ!」
「まぁ……っ……待って……っ」
先ほどの心拍で呼吸をなんとか堪えていたので、運動するよりずっとバテている日花。
「……御狛ちゃん、休ませたげて」
それが自分のせいとは、彼はつゆとも知らない。そう。|罪な男《鈍感馬鹿》である。
「わかったミコよ、夜空はミコが見張っておくから、早めに戻るミコ」
「ありがと……」
なんとか自販機まで歩き、お茶を買う。
(……え?田舎ってお茶110円なの?安くない⁉)
「先輩の分も買おうかな……あれ、御狛はお茶飲めるのかな?」
日花は自販機の前で考え込んだ。
結局、夜空の分は買って、持って行った。
「お待たせしました!あの、先輩、これ!」
「あれ、お茶?買ってくれたの?いいのに……」
「こ……っ、こないだのお礼で……っ」
「ありがとう。けど――」
夜空はお茶を受け取り、日花の顔を見つめた。
「まだ、顔赤いよ?もう休まなくていいの?」
澄んだ黒の瞳で、じっと見つめられる。
(……あぁ、もうっ、先輩のせいなのに――!)
当分、日花の心拍数は元に戻らなさそうだ。
「あぁっ……‼」
手を滑らせてしまった。
今日は暑いから冷えるようにと、手や首元に水を塗っていたのが悪かったらしい。
とぽとぽ、音を立てて、せっかく奢ってもらえたお茶を開けた瞬間にぶちまけたのは、山の3分目に差し掛かったあたりだった。
夜空は、人間が容姿、性格、知能の3項目なら、容姿と性格は完璧で知能を著しく欠いた人間なのである。
もっと分かりやすく言うと、見た目も中身もイケメンだけど馬鹿で鈍感でドジなのだ。
この出来事には、そのうちの「ドジ」が強く出ている。
「ごめん……せっかく日花ちゃんがくれたのに……」
「大丈夫ですよ、これくらい……」
夜空は半泣きのような表情で謝った。
反して、日花の方は。
(待って半泣きの先輩可愛いんですけどっ‼)
心を射抜かれていた。
それは、山の5分目で起こった。
「ごめん、ちょっと休憩させて」
顔が火照って汗だくになった夜空が疲れを訴えた。
夜空は元から運動が得意でなく、逆に半分まで耐えたのが奇跡である。
日花も、運動部とはいえど、新幹線の中で半分ほど体力を削っていたので、彼の誘いには賛成だった。
「ここは他に人がいないから、結界を張るミコ!安心して休憩していいミコ!」
そう言って、「あ!ちょうちょミコ~!」と、御狛は少し遠くに走って行った。
夜空は日花と座り込んで話をし始めた。
「……ふぅ」
「疲れたね」
「はい……登山なんて初めてで」
「だよね、僕も。それにしても日花ちゃん、優しいよね。お茶なんて」
「妹にも、よくそうしてたんで」
「そっか……。僕も、弟にそうしてたんだよね」
「……」
「病気で死んじゃったけど。……母さんは父さんに殺されて、僕も死にかけた」
「――!」
「もう、1人だからさ、せっかくなら寮で暮らした方がいいかなって」
聞いたこともない、真っ暗な話で、日花は何も喋れなくなった。
「――あ、ごめんね。こんな話」
「あ!いや、そうじゃ……!」
必死に取り繕おうと努める日花の隣で、頭部に手をやる夜空。
「大丈夫……傷は治ってるから」
――見た感じ、身体に怪我はない。
けど……。
(心の傷は――?)
そんなネガティブな感情に巻き込まれそうになって、(あ、いけないいけない)と、必死に話題を探す。
「あ、そうだ。そういえば先輩、喉乾いてませんか?」
「……さひ……」
明らかに不自然な返答に、日花は戸惑った。
「先輩……?」
すると突然、夜空が弱々しい力で、震えながら日花を抱きしめた。
「せ、先輩⁉何――⁉」
「あさひ……あさひ……ごめんねぇ……っ」
夜空は狂ったように、震えた声で「あさひ」と繰り返し始めた。
その時になって、日花はやっと気づいた。
夜空の顔が、異様に熱く赤くなっていたのだ。
体温の上昇、錯乱、震え、異常な汗の量――。
(熱中症――⁉)
日花は焦った。
どうしよう。長いこと水を飲んでいないから、かなり脱水が進行してるはず……。
そういう時に、無性に心の拠り所を求めてしまうのが人間だった。
日花にとって、この状況で近くにある拠り所は、――鞄の中に忍ばせてあった。
(助けてレミたん……天国から私に力を貸して……!)
鞄を、ぎゅっと抱き締め、思いと願いを、その鞄の中にある縫いぐるみに託した。
その時。
ぱこばこぱこっ、と、軽くて薄い音がした。
(……ペットボトル?)
その時、日花に降ってきたのは、非論理的で論理的なアイデアだった。
(……いや、論理とか、こんな状況で言ってられない!)
迷わずに鞄のジッパーを引き、自分が1/3ほど飲んだペットボトルの蓋を開けた。
「先輩!分かりますか⁉」
「ごめん……ごめん……」
「水!飲めますか⁉」
日花が差し出したお茶がどういうものなのか、彼の状況では分からなかった。
錯乱は続いたけれど、夜空はなんとかお茶を自分の手で飲むことはできた。
「……なんで……?」
「え、なんでって――」
「僕は、あさひを見殺しにしたのに……なんで優しくしてくれるの……?」
顔色がよくなっていく夜空と対照に、日花の心は曇りガラスのように濁っていった。
「……先輩、私、あさひじゃなくて日花です」
「……あれ」
そう言うと、夜空はゆっくりと日花を見つめた。
「なんか、弟と勘違いしてた。日花ちゃん、弟に似てるから」
夜空は笑ってそう言うけれど、日花は笑えなかった。
私は、先輩の死んだ弟に似ていた。
そりゃ、弟には優しくしたいよね。
弟に似てる後輩には……どうせ、弟の影を重ねて、あげるはずだった分の愛を注いで優しくしてくれてただけだ。
私――勝手に、両想いだって勘違いしてた。
心が押し潰されそう――。
「 `隙ありっ!`」
突然、少年の声が聞こえた。
その瞬間、
「夜空っ‼」
御狛がこちらに走ってきて、夜空に触れようとした。
けれど――遅かったみたいだ。
今朝と同じ、いや、だいぶ強い爆風。
「……っ⁉」
日花は吹っ飛ばされそうになった。
かろうじて自分の身は守れたものの、レミたんの縫いぐるみや食料などが入った鞄はやすやすと吹っ飛んで、崖の下に落ちた。
夜空は、その場所で死んだように眠っていた。
「魔霊術 |視霊《しれい》‼」
御狛が日花の額にお札を投げた。
その瞬間――夜空の背後に、少年の姿が見えた。
(身体が透けている……?)
「……遅かったね、うすのろ狐さん」
少年は、御狛をあおるように言った。
「なんで……なんで結界を壊さずに入ってこれたミコ?」
御狛は震えながら、少年に訊いた。
「そっかぁ、狐さんはまだ子供だからわかんないか!結界ができた瞬間に、中にいただけだよ!」
「子供って言うなミコ!あとミコは御狛ミコ‼」
「あの爆風――!」
日花は気づいていた。
今朝、夜空が“呪壊”になった時と、よく似た匂い。よく似た空気感。
極めつけに、その背後の少年は、おそらく霊――。
恐らく夜空は、既に“呪壊”になっている。
「御狛!」
「わかってるミコ。でも、“呪壊”部分が出てきてないミコ。これじゃあどうにも……」
「ねぇ、すごいでしょ、俺のコントロール能力。例え“祓い霊”の御狛でもここまではできないないよね~っ?」
まるで嘲笑うような声の調子だ。
「……キミに訊きたいことがあるミコ」
御狛は、少年をまっすぐ見つめて言った。
「キミは、3年前くらいに死んだ人間ミコね。霊になってから日が浅くて、その程度しか霊力を感じないミコ」
「そうだよ?」
「そして、キミはそれに不相応な魔力を、夜空に憑いてから発し始めたミコ」
「へぇ?だから何?」
「キミは、《《夜空と血が繋がっている》》ミコね?」
御狛はそこまで言って、もう1度少年を睨んだ。
少年はそれを睨み返すことなく、先ほどのように嘲笑の目で御狛を見た。
「……ははっ、なんでそんな当てずっぽうなことが言えるの?」
「当てずっぽうじゃないミコ。基本は霊力と魔力は同程度なのに、キミから突然魔力を感じ始めたのは、紛れもない『例外』ミコ」
そして、少年を指差しながら、御狛はひと息で言い切った。
「『背後霊と宿主に血縁関係がある場合、背後霊の魔力は最大限まで発揮される』――!」
真剣な表情の御狛に対し、微笑を浮かべ続ける少年。
「……ふふ、ははははっ。バレちゃったかー」
そう言って、細い腕を胸に当てる少年。
「 `俺は|逢坂《あいさか》 |朝陽《あさひ》。正真正銘の、夜空の弟`」
「弟――!」
日花は、御狛とは違って、“それ”を知っていた。聞いてしまっていた。
だから日花には、朝陽を名乗る少年の“悪意”がやすやすと理解できてしまった。
それでも、朝陽の笑みは純粋に見えてしまったのだ。残酷な程に。
「悪いけど、君たちに俺の計画は邪魔させられないんだ」
朝陽はそう言って、不敵な笑みを浮かべた。
「魔霊術 |茨檻《しかん》」
「御狛!避けて!」
「ふぁぁっ⁉」
ドドドド、と地鳴りが響き渡ったと思うと、地面から茨が生えてきた。
茨は、中が見えても入れないようになのか、わざとらしく絶妙な空き加減の間隔をとりながら檻に成った。
「――ん、」
丁度、夜空が目を覚ました。
「おはよ、兄ちゃん」
「……朝陽?今度こそ、本物の朝陽?」
「本物も何もないでしょ?」
夜空は、驚いたように朝陽を見上げた。
驚くほど自然な兄弟の会話。自然すぎて、いつの間にか日花と御狛の戦闘態勢は崩れていた。
「――そっか、僕、霊が見えるんだ」
「ねぇ兄ちゃん、俺、いいもの持ってんだ」
そう言うと、どこから出したのか、手に持っていたナイフを、座り込んでいる夜空の前に置いた。
「ナ、ナイフ⁉御狛、止めなきゃ!朝陽くんをなんとかして‼」
「どうにもできないミコ。見るミコ」
茨の隙間をよく見ると、薄いバリアのようなものが貼ってある。
「攻撃が効かないミコ。兄弟は、一番血が近いから、どんな弱い霊でもこんなことができてしまうんだミコ……」
「じゃあ、私たちはこれを黙って見てろって言うの⁉」
御狛は答えなかった。ただ、静かに彼らを見ていた。
「……なんでこんな危ないもの」
「何言ってんのさ。《《危ないから》》出したんだよ?」
そう言うと、朝陽は狂気じみた笑みで、落ち着いたような声色で言った。
「 `それでひと思いに、胸刺しちゃいなよ!`」
「――っ⁉」
「俺が呪い殺すより、ずぅっと楽だと思うんだけどね。それとも何?辛い方で死んで、赦されたいの?」
「『赦されたい』って……何を」
「あ、そっか!忘れちゃったか!兄ちゃん、 `自殺未遂で記憶失っちゃったんだもんねっ!`」
「自殺……未遂?違う、僕は……父さんに殴り殺されかけて――」
「大丈夫だよ、今思い出させてあげるから!そうすれば後悔せずに逝けるよ!」
そう言うと、夜空の頭に手を置いた。
「魔霊術 |花浜匙《かひんし》」
頭の中に、ガシャーンと何かが倒れる音が響き渡ったとき、夜空は目を見開いた。
---
薬が袋から漏れ出して、夜空の足元を濡らした。
夜空は、点滴スタンドに引っ掛けた上着から手を離すこともできなかった。
それが、大切な弟である朝陽の命。
それは知ってた。分かってた。
だから、どうすることもできなかった。
どうしよう。どうしよう。何をすればいい?わかるのに、わからない。
何もできない。
僕のせいで、朝陽が死んでしまう。
僕が、朝陽を殺してしまう。
でも、身体が、動かない。言う事を聞かない。
息もできない。
「に……ちゃ……」
酸素マスクの奥から、苦しそうな朝陽の声が聞こえる。
嫌、
嫌。
死なないで。
お願いだから。
心拍数を知らせる電子音が、だんだんとおかしくなっていく。
狂っていく音。
歪んで聞こえる。
遠い音。
壊れて聞こえる。
――やがて、遠くで、まっすぐに音が伸びた。
末期だった弟の寿命を、さらに縮めてしまった。
享年12歳。
葬式は機械的に進められた。
夜空が唯一鮮明に覚えてるのは、葬式の帰りの車で母親が独り言のように呟いた言葉だった。
「朝陽は夜空と違って優秀だったのに。人殺し……」
それから、家はカサついた空気が充満した、不快な空間になった。
夜空は、弟の死という大きな出来事に、適応できなかった。
人殺し。
それが、ずっと胸につっかえて、取れなかった。
息をするのも億劫な世界だった。
1回忌が終わって数日経った日。
夜空は、母と食卓を囲んだ。
夜空の母は、ここ数日、取り乱していた。
夜空のことを人殺しと言って罵倒するのが、最早、日課になりつつあった日のことだ。
手抜きな惣菜をぐちゃぐちゃに皿に並べた、申し訳程度の夕食に箸をつけて、母は、実の息子に対して、こう言ってしまった。
「朝陽じゃなくて、あんたが死ねばよかったのに」
我に返ると、夜空は手に花瓶を持っていた。
目の前で、母が頭から血を流して倒れていた。
「……え、」
夜空は飲み込めなかった。
「噓……」
途端、夜空に聞こえるはずのない母の声が聞こえた。
`人殺し。`
あぁ、僕は、本物の人殺しになってしまった。庇いようのない、本物になってしまった。
僕は、今度こそ、罪を犯した。
夜空は、血に濡れていない左手で、無意識のうちに父に電話をかけていた。
「父さんどうしよう、母さんのこと、殺しちゃった……」
妙に感情を感じないかすれた声で、父に話した。
なんでこんなことをしたのかは分からない、とも。
『わかった。警察には父さんが話しておくから、落ち着いて待ってなさい』
そこで、電話が切れた。
夜空の心は、もう既に壊れていたようだった。
先程まで持っていた花瓶を手に持った。
そして、自分の頭上に掲げ、思い切り強く、振り下ろした。
『速報です。__県__市の住宅で、妻を殺害し、息子に重症を負わせた逢坂容疑者(45)が今朝、無期懲役を宣告されました。逢坂容疑者は今月20日、「妻を殺した」と警察に通報しました。容疑者を知る方は、「優しくてそんなことする人じゃない」と、彼の人柄を語りました。凶器はいまだに見つかっていませんが、検察の調べによると、容疑者は鈍器で犯行に及んだとみられています』
「……なんで、殺しなんかしちゃったんだろ」
ニュース速報を見て、記憶障害を患い冤罪に気づけない夜空は呟いた。
---
「……違……っ」
必死に絞り出したのは、そんな声だった。
「僕は……僕は……っ!」
「違くないよ。これは兄ちゃんが忘れてた兄ちゃんの記憶だから」
「……うぅっ」
夜空は、頭を抱えて呻いた。そして、独り言のようにぶつぶつと早口で、それを否定した。
「……違う、違う違う。僕は殺しなんてしてない。僕は人殺しなんかじゃない。違う――」
「そろそろ自己暗示やめたら?そんなの、ただの現実逃避でしかないよ。自分を騙して、自分に噓ついて、それで楽しいの?楽になれるの?」
「……嘘つきじゃない」
「俺は兄ちゃんの背後霊になったんだよ?兄ちゃんが死ぬまで、ずっとこの“人殺しの証拠”がまとわりつくんだよ?それでも、自己暗示で逃げれると思ってんの?」
そう言うと、もう1度夜空の前に、ナイフをちらつかせた。
「今、自分の手で死のう?それが1番いいよ、兄ちゃんのためにも」
天使のような優しい笑みを浮かべて、実の兄に自殺を唆す朝陽。
夜空は、2時の太陽を反射したナイフを見つめて――それに、手を伸ばした。
ナイフを手に取り、刃先を、そっと自分に向ける。
「さぁ、刺しちゃって!」
夜空の肩に両手を委ね、耳元でそれを急かした。
「……嫌。なんで何もできないの……」
日花は、自分たちが何もできないで、大好きな先輩が自ら死を選ぶ瞬間を見るしかないことに打ちひしがれていた。
そして、御狛の袖を掴んだ。
「止めてよ。諦めるなんて、卑怯だよ。諦めるくらいだったら、1発くらいはあがこうよ……!」
「……諦めてなんか、いないミコ」
御狛は、強い眼差しで、檻の中を見つめていた。
夜空は手の震えを堪えた。
そして1度大きく深呼吸をして、目を瞑った。
朝陽はほくそ笑んだ。
夜空はそっと、何かを伝えるかのように御狛を見た。
その瞬間。
「魔霊術 |氷柱槍《ひょうちゅうしょう》‼」
御狛は棒のように円錐型に丸めたお札を投げた。
その尖った頂点は、パリンという音を立ててバリアを割った。
「御狛……⁉何もできないんじゃ……⁉」
「何するんだよ……‼それに、バリアを張っていたはずじゃ……‼」
「油断は禁物、ミコ。キミは一瞬、もう野望が達成されたと思って気を緩めたミコね?」
御狛はそう言いながら、右腰にかかっているケースから次のお札を取り出した。
「夜空には手を出させないミコ。ミコがキミの相手をするミコ!」
「……ふふ、まだ子供なのにいい度胸してるね!でも、その程度の力で勝てるとでも思ってるの?」
朝陽は崩れた笑みを取り戻し、また御狛を煽った。
「諦めなんかできないミコ。そんなの、“祓い霊”失格ミコ――!」
表情がさらに険しくなる。
「魔霊術 |風炎《ふうえん》‼」
瞬間、青い竜巻が朝陽を襲った。
「……魔霊術 |犬槇檻《けんてんかん》・|電種《でんしゅ》‼」
それを、朝陽も表面に受けるわけもなく、大きな木を地鳴りと共に現し壁にして防いだ。竜巻は爆散し、
「痛っ」
小さな木片が御狛に当たった。
「強すぎるミコ……!」
「どうにか隙を作れないの?」
「……あっちはミコ達を警戒してるミコ。日花が向かうのも無理みたいだから――」
御狛は、夜空のほうを見た。
「死角にいて、朝陽のことを1番知ってる実兄に、託すしかないミコ」
それを聞いた日花は、この状況がどれだけこっちに不利か気づいた。
――なら、相手に察させずに、味方に察せるよう合図すればいい。
「すみませ~ん!」
まずは、馬鹿を演じる。
「君、朝陽くんってんだよね~?いい名前だね~!」
「日花⁉何して――」
「ところでさ~、君、アイスでは何が好き⁉私はガリ〇リ君なんだけど~‼」
「……ふざけてる?お前、《《そんなんで隙が作れるとでも思ってんの》》?」
……もらった‼
日花は夜空に視線を送った。
夜空は、察してくれたようだ。
「……えへへ、バレちゃった?」
「馬鹿かよ――」
瞬間。
夜空がのしかかるように、朝陽を後ろから抱きしめた。
それは言うなればまるで、愛、慈しみ、そして、恐怖と後悔。
夜空は、弟の耳に何か囁いた。
朝陽は大きな目をさらに見開いた。
御狛はその一瞬を見逃さなかった。
夜空も、その一瞬によって放たれた一撃を見逃さなかった。
「魔霊術 |燃雷《ねんらい》っ‼」
その札から放たれた一筋の光が、ビシャッと音を立てて朝陽の左鎖骨辺りを貫いた。
「――っ‼」
朝陽は目を見開き、その辺りを押さえてただ茫然としていた。
そして、数秒が静かに過ぎ、朝陽は顔を伏せしゃがみ込んだ。
「……はは、」
馬鹿だな、と朝日が呟いた。
「なんで俺、自分で死んでもらうことに固執してたんだろ」
そして足元に転がったナイフを右手に取り、また乾いた笑いを零した。もう顔に笑みはなかった。
「はぁ、……どうでもよかったじゃん。 `俺がさっさと殺れば済んだ話なのに`」
「――っ!お札――」
その瞬間、御狛が突然倒れ込んだ。
「御狛――⁉」
「身体が……痺れてるミコ……⁉」
よく見ると、エフェクトのように電気が御狛のまわりを走り回っている。
日花は焦りとともに、夜空を見た。
夜空は動かず、座り込んだまま朝陽を見つめていた。
こうしている間にも、刃は夜空に1mmずつ近づいている。
……嫌。駄目。
けど……一か八か、私にできることがあるとすれば――!
「御狛っ!」
御狛を後ろから支えて、震える札と右手を掴む。
それを、伸ばせるだけ高く、空に掲げた。
「……まっ、魔霊術 |火槍《かそう》……っ‼」
悲鳴に近い御狛の声が響く。途端、青い炎が槍のように線を成し、ナイフに音を立てて当たった。
パキン。
ひびの入る音が、小高い丘に響き渡った。
「割れ――⁉」
啞然。
戸惑い。
いうなれば、そんな感情か。
朝陽は、そこに浮いていた。
浮いていた。
ついさっき囁かれた言葉、それをただ反芻しながら、命拾いした兄の恐怖の目を見つめていた。
「――攻撃手段、断たれちゃったか」
俺、魔霊術でまともな攻撃できないしさ。
諦めのような声が、その口のあるべき場所から漏れた。
その瞬間、
「ひゃっ」
御狛の身体に纏わりついていた電気が、ふっと消えた。
日花はその身体を手で支えてあげながら、「大丈夫⁉」と声をかけた。
「いくら霊でも、魔力のこもった電気なんだから食らわないわけないミコ!」
言ってることこそ怒りを感じるが、声にはまったく苛立ちが感じられなかった。
朝日の眼光が、やや優しくなったように感じた。
戦意喪失。
「……魔霊術 |勿忘呪《ぶつぼうじゅ》」
静かに、本当に静かに呪った。
それは、悪い記憶や気持ち、嫌な思いを1度たりとも忘れない、一生もので最も恐ろしい呪いだった――はずだ。
「“《《朝陽は、生前で既に僕の心を殺してるんだよ》》”……ね」
反芻したことばを、元々それを発した元である夜空に返した。
「そうだよ……もっとわかりやすく言い直すなら、」
夜空が、口を開いた。
「 `朝陽は、存在自体が人殺しだったんだよ`」
「――は?」
日花は背中に何か変に冷たいものが流れる感覚をおぼえた。
これは、悪いことをしたときとか、そういうので感じるやつ。
私は、今、覗いてはいけない世界を見ている。
「ねぇ、ひとりっ子、楽しんでた?」
「さっきから一体何を――」
「母さんのなかに息子は1人、朝陽しかいないんだよ。僕は|弟の付属品《いらない子》だった、って、本当に知らなかったの?」
夜空は笑っていた。目の奥に笑顔はなかった。
もうすでに、救いようもなく壊れている。
山の空気が綺麗すぎるからなのか、はたまた空気が詰まってるからなのか、それが嫌でもわかった。
「夜空っ!」
御狛が止めた……にも拘わらず、夜空は朝陽の両肩を掴んだ。
「朝陽さえいなければ、僕は母さんの子でいられたのに。朝陽、お前が僕のこと殺したんだよ」
声は、震えていた。
まっすぐその両の目を見ながら。
「夜空!やりすぎミコ‼それ以上は――‼」
そして、発してはいけない言葉が、夜空の喉を通って、そこにいる者すべてに届いた。
「 `この人殺し……!`」
途端、バチンと大きな音が鳴り響いた。
爆風にさらされた野花のように朝陽が倒れたのは、そのあとだった。
山に音がこだました。
「なんで止めなかったミコ⁉」
御狛が夜空のほうに向かった。
日花はそこでただ呆然としていた。
目の前で起きていたシリアスな事柄を、頭がどうしてもノンフィクションだと解ってくれない。
大切な、大好きな先輩とその弟のやり取りが、まるで台本通りの人形劇みたいで。
頭が拒んでいた。“それ”を知りすぎることを。
それでも。
__「せんぱい……っ」__
私は護りたい。
自らに拒絶されようと、ちゃんと知って、助けたい。
けれど、日花が立ち上がった瞬間……夜空も倒れこんだ。
「先輩……?」
歩けば十数歩、なのに遠く遠く感じる。
「日花‼早く来るミコ‼」
ついさっき決意したことなのに、それでも動けない。
目を瞑った。
私ってこうだ。いっつも――。
『日花ちゃん!』
最初、それが何の声なのか分からなかった。
けど……。
「レミたん……」
『わたしは日花ちゃんの味方だよ!』
そこに現れたのは……いや、日花の脳内に、まるで命を持ったように浮かび上がったのは、日花の最推し・レミたんだった。
そう言いながら、日花に手を差し出した。
『あとちょっとだよ。一緒に頑張ろう!』
日花は、そこにいる自分の推しの目を見つめた。
ラベンダー色の、宝石みたいに透き通った、純粋な2つの瞳。
こんな綺麗な目に、この世界を見せたくない……。
『心配しないで、日花ちゃん』
日花の思ったことを見透かしたように、レミたんが言った。
『大切な人を助けに行こう!』
まっすぐ、日花の目を見た。
日花は、恐る恐る、彼女の手を掴んだ。
「――うん!」
そしてその手に引かれ立ち上がると、そこにレミたんの姿はなかった。
あの、ついさっき何かが壊れてしまった世界に、戻っていた。
温かくて小さな手の感覚がまだ残っていた。
助ける。絶対。
私には仲間がいる。
レミたんだけじゃない。
「御狛っ‼」
「日花――!」
夜空は静かに眠っているようだった。
けれど、明らかに顔色がよくない。息も荒れている。
「人間とその背後霊が互いの心を破壊し合う、“|魂の相殺《オフセット》”……。これだけの威力だと、夜空は最悪……死ぬミコ。でも、ミコだけじゃ、どうにも……」
御狛の言葉は、だんだんと遠く離れ、途切れ、苦しそうな声になる。
……死。
考えたくない言葉だった、それは、1番。
「何かできないの……?」
日花は絶望をこらえた。
「……1つだけ、あるにはあるミコ」
「なら、助けようよ!早く‼」
「……じゃあ、聞くミコ。日花は、《《自分の心と記憶を犠牲にしてでも》》、夜空を救いたいミコ?」
「ど……どういう、こと」
「日花がそれを失う可能性があるってことミコ。これは、人間へのリスクがあまりにも高すぎる方法なんだミコ」
記憶を、心を失う。
それは日花にとって、恐ろしいことだった。
友達と話して、笑ったりできない。
大会で勝って、達成感を感じれない。
推しを愛でて、幸せになれない。
先輩に、恋ができない。
記憶がなくなったら、私はどうなる?
またみんなと友達になれるだろうか。
またスポーツを楽しめるだろうか。
また推しを推せるだろうか。
また――。
やだな。
全部、心を失ったらできないことだ。
……けど、
「やる。私、絶対にやってみせる」
「本当にいいミコ⁉ゆっくり考えてみて――」
「いいよ。私にはこんなに味方がいるんだから、大丈夫。それに、」
日花は、だんだん顔色が悪くなっていく夜空の方を向いた。
「今の私が、先輩を助けたいから……!」
志。
「……わかったミコ。じゃあ日花、まず夜空との思い出をたくさん思い出すミコ」
わかった、そう言って、日花はまた目を瞑った。
思い出……か。
いっぱいあるようで、意外とないんだよな。
だって、高校に入った2か月前のあの日に一目ぼれして、話しかけたら意外と仲良くなれちゃって。
でも学校でお話するくらいしかないから、思い出らしい思い出って全然ない。
けど……幸せだった。とにかく幸せだった。
たった2か月の恋だけどさ、楽しかった。
そんな他愛ないことばかりが頭を駆け巡る。
「魔霊術 |鳴藍華《めいらんか》……‼」
御狛の声が、耳に届いた。
強い風が吹いて、甘い花の匂いがした。
青い薔薇の花言葉は、「奇跡」。
かつて、西洋にこんな物語があった。
ある男性が、好きな女性の心を射止めるために赤い薔薇を欲しがった。
けれど彼の庭に赤い薔薇は生えていなかった。
その夜、ナイチンゲールと呼ばれる鳥が、男性のために赤い薔薇を造った。
彼の庭の白い薔薇の棘に自らの心臓を突き刺し、鮮血で薔薇を赤く染めあげるという、恐ろしい方法で。
この話は結局バッドエンドを迎えるのだが、ナイチンゲールは自らの命を代償に、男性のための赤い薔薇を造った。
奇跡を“起こす”には、少なからず代償が必要なのだった。
しかし、奇跡が“起きる”のには、代償はいらない。
夕暮れの空の下で目を覚ました日花は、違和感を覚えた。
私は確かにさっき、鳴藍華を聞いた。
けど、なぜ、それを覚えてるのか。
……あぁ、失敗したのか。
先輩は、死んでしまったのか。
「……日花。日花!」
「ん……」
「わかるミコ?」
「うん……」
薄々気づいていたけれど、気づいてないふりをして聞いた。
「先輩は……?」
「無事ミコ!」
「ぶじ……」
無事。
「……え?」
「奇跡が起こったんだミコっ‼」
奇跡。
奇跡が、起こった。
先輩は、生きているんだ。
「先輩っ‼」
日花は跳ね起きた。
そこには、あたたかい顔色の夜空が、ゆっくり息をしながら眠っていた。
「もう危険な状態は過ぎたミコ。数分もすれば目を覚ますはずなんだミコ!」
その、大切な人の顔を見ていると、とめどなく流れるものがあった。
「よかった……!」
涙が止まらない。
止まらない。
奇跡って、本当にあるんだ。
日花は、夜空の手を掴んだ。
あったかい。
命がある。
「先輩……!」
涙がひとつぶ零れ、夜空の頬に落ちて流れた。
「……日花、ちゃん……?」
瞼が、ゆっくり開いたのは、そのすぐあとだった。
「せんぱいぃ……っ‼」
顔がぐちゃぐちゃになってて、恥ずかしくて、でもごまかせなくて。
手をぎゅうって握った。
細い指が、かすかに日花の手を握り返した。
「ごめんね、僕のせいで……」
「いやっ、そうじゃなくてぇ……っ!」
そこから言葉が出なかった。
ただ、嗚咽が日花の口から洩れ続けるだけだった。
「日花ちゃん……僕、何してたの……?」
夜空は、口を開くとそう言った。
「あの……割れたあたりから、記憶がなくて」
「あぁ、それは――いろいろ」
話を濁した。
けれど、記憶が霞んでいる以上、今の状況は夜空にとって複雑で違和感を感じるものだった。
「朝陽は……?朝陽はどこに行ったの……?」
「……え」
夜空は、今この状況で朝陽を探している。
彼の記憶の中では、ついさっきまで自分を殺そうとしていたのに。
「……朝陽は、奇跡の犠牲になったミコ」
御狛が重くそう言った。
「奇跡の、犠牲……?」
「奇跡は――起きたミコ。“奇跡の代償が変わる”という奇跡が」
「御狛ちゃん……けっきょく朝陽は」
「……魂が破壊されたミコ。成仏でも浄化でもなく、壊れたままで……」
「魂の破壊……?」
うそ……なんで。
夜空は絶望をあらわにした。
「……先輩は、なんでそんなに心配できるんですか?」
日花が訊いた。
「……なんでだろうね。嫌な思い出ばっかりなのに」
夜空は目を瞑った。そして、手を合わせた。
「それでも、大切な弟だってことに変わりはないんだよね」
桜が咲き始めた。
満開は卒業式に間に合わなそうだけど、それくらいでいいんだと夜空は言っていた。
日花はまだ、自分の気持ちを伝えないでいた。
大学受験が終わっても、合格を知っても、それでも勇気は出なかった。
……卒業式の前日、漫画の最終回が公開された。
ラスボスが主人公であるメダー様と仲間の弓使いによって討伐され、世界に平和が訪れる、というありきたりなハッピーエンド。
結局、作中でレミたんが息を吹き返すことはなかった。
最後のコマを画面に映し、そしてスクロールした。
幸せそうなパーティの5人の1枚絵が、「7年間ありがとうございました!」の手書き文字を添えて描かれていた。
あぁ、これは幸せだったころなんだな――と思った直後、3人の死後に負ったメダー様の顔の傷で、そうではないことに気づいた。
これは実は主人公死んでた系の考察要素?
それともただ単に幸せな締めのイラスト?
ちょっと考えるけど、編んだ花冠をメダー様に掲げるレミたんの笑顔のせいで、涙が溢れてきた。
3年前に見つけてからずっと推してきたレミたん。
健気に頑張り続ける姿が好きだった。
どんな時でもメンバーを励まして、いつも明るかった。
日花自身も、“あの日”、助けてもらった。
……レミたん。
私のこともう1度、明日も助けてくれない?
そう、心で呟きながら、スマホをメールアプリに切り替える。
『先輩、
明日の卒業式の後、会えますか?』
すみません滑り込みでジャスト20000字エントリーしちゃいました。
作中にオスカー・ワイルド「ナイチンゲールとばら」を使用させて頂きました!
戦闘書くの難しいアイデアも少ないし……書きながら苦手なジャンルだと気づいた。
明け空のキリア
流血、殺人、微グロ(極力抑えたつもりではある)、死ネタ有
詳しいことはネタバレだから言えないが多分地雷の人が多い描写有
地雷が多い方は読むことをおすすめしませんが、
頑張って書いたので、地雷が少ない人は読んで欲しい‼
この物語は、西暦2X37年4月24日に起きたアステラ星人地球侵略計画事件の、アステラ星人唯一の犠牲者「キリア・レーズェ」、実験体として捕らえられ彼女とともに最後の1日を過ごした「日枯翔」の2人の手帳や遺体の脳解析などによって書かれた物語である。
アステラ星人地球侵略計画事件の犠牲者約120億人に、追悼の意をここに表す。
序
キリア・レーズェは、アステラ星人地球侵略計画のウイルス研究班長の娘として、地球の上で産声を上げた。
彼女にとって地球とは故郷、そして敵陣であった。
そんな星の上で、彼女は14年の生涯を過ごした。
彼女の父――すなわちウイルス研究班長・ミッケラ・レーズェは、研究班を率いる者として、人間を滅亡させるためのウイルス研究に大きく貢献していたそうだ。
キリアの暮らす家兼研究所は、ウイルスを投与され死にゆく実験体の家でもあった。
そんな彼女がアステラ星人地球侵略計画に批判的な考えを持った、彼女の死の2日前から、この物語は始まる。
1 4月22日 午後5時頃
私は、14年生きて初めて、父のやってることを嫌だと感じた。
そのことを父に話しに行こうとしたのだけれど、遅かったみたいだ。
研究所から、父のこう話す声がした。
「明後日4月24日午前0時頃、キラーウイルス|β《ベータ》を地球各地に投下する。それが1日後にはすべての地球人を殺してくれるだろう。ウイルスが消失するまで、我々はこの研究所に籠る。そして、遅くとも1週間後には、この資源の星は我らがアステラのものとなるだろう」
そして父は、移住者がどうたらと仲間に話した。
まさか、と思い、外に出た。
数日前から用意されていたそれは、そう思って見ると前衛的なミサイルだった。
私は絶望した。
そもそも私がなぜこの計画を嫌ったのか。
聞いて、そして見てしまったからである。
私は、私たちアステラ星人とよく似た地球人のことは知っていた。たまにこの星のニワトリという生き物の卵とか、爆発するシュリューダンを投げに来る、野蛮な生き物だ。
けれど……14年暮らした星の言葉だ。解ってしまった。
「俺たちの娘を返せ!」
「もう恐怖に怯えて暮らしたくないの!平和な地球を返して!」
その時、私は分かった。本当の意味で。
彼らは生きている。幸せな家がある。友達がある。だからそれを脅かす私たちを攻撃するんだと。
そして、私はそのタイミングで、偶然にも、実験体として捕らえられた女性の死を、目の当たりにした。
苦しみもがき、口から真っ赤なものを吐きながら、だんだん動かなくなっていく、その様を。
後から知ったのだが、それは私たちで言う血だったらしい。
だから、その計画が私にはあまりにも残酷に見えた。
私は、ここから逃げて父に反抗することにした。
だってもう計画を止めることなどできない。よほどの緊急事態じゃなければ。
なら、緊急事態を起こすのだ。
もし娘が外に出て帰らなかったら、愛する娘がウイルスに巻き込まれないように、父はウイルスの投下を先回しにするだろう。
けれど……。
ただ1人、よく分からない地球人の道を歩くのは怖いし寂しい。
誰か、一緒に逃げて。
そのターゲットは案外すぐ決められた。
私のやろうとしてることはアステラ星人にとって不都合だ。それに、外を歩いている地球人を捕まえるのもあまりにリスキー。
となると……。
私の目線は、自然と、実験体棟に向いていた。
決行は、今日の夜11時半。研究所のみんなが、眠りについた後だ。
2 4月22日 午後11時半頃
電気が消え、すべての生き物が消えたような静かさになった。
そろそろ、父が部屋へ来る。
準備中のかばんを隠し、布団に入って父を待った。
部屋のノブがぎぃと鳴った。
「パパ。お疲れ様」
「キリア、まだ起きていたのか」
「寝れなかっただけだよ」
「何か心配事でもあるのかい?そうだキリア、今日な、パパの研究が成功したんだ。もうじき地球が手に入るよ」
「そうなんだ、すごいね」
声は、震えてないだろうか。
だって私、今、全アステラを敵に回してるんだ。もしバレたらただじゃ済まない。
「がんばってね。じゃあ、おやすみ」
「おやすみ……」
父が(多分最後の)おやすみのキスをしてくれた。嬉しかったし、最後かと思うと寂しかった。
私は父が大好きだ。計画のことを知っても、それを嫌と思っても。だって、それで父との思い出が、人格が変わるわけではない。もう1度言いたい。私は計画が嫌だが、父は大好きだ。
父が部屋を出て10分ほど待った後に、そっと部屋を出た。
暗いが、もともとアステラが夜目が効いているのと、10分でよく慣らしたのとでよく見えていた。
静かだ。
それに馴染むよう、私も静かに歩いた。
実験体であれば誰でも良かった。適当に、手前の檻のドアを開けた。
そこにいたのは、少年だった。同い年か年下に見えた。
少年は私を見て慌てた。
何かおかしいと思った。
……あ、目の色だ。
この地球人の黒いまっすぐな髪、ベージュ色の肌であれば、目というのは一般的に黒か、稀に茶色、といった色が多いのだが……。
この少年の場合、それはイチゴという果実のように鮮やかな赤だった。
私は彼らの言葉をしゃべることができなかったので、少年に届く程度の微弱な波で|暗号波《テレパシー》を送った。これでなら、言葉の違う者とも会話をすることができた。
<聞こえる?あなた、そこの少年>
少年は、おそらく聞こえたのだろう、固まってこちらを向いた。
私は手を差し出し、暗号波を送った。
<一緒に逃げよう>
そう言うと、少年は目を見開いた。
そして、私を見つめ、小声で言った。
「あなたは……アステラ星人……ですよね?」
<うん>
「なら、なんで……」
<明後日、世界中に殺人ウイルスがばら撒かれる。それを止めるため>
少年は絶句していた。
けれど、最後にはそっと私の手を取ってくれた。
3 4月23日 午前5時頃
<だいぶ離れたね……>
6時間、ほぼ休むことなく歩き続けていた。
「……休憩、させて……っ」
少年はだいぶ息が上がっていた。
<休もうか、そろそろ>
近くにあった、切り倒された木に2人で座り込んだ。
<そういえば、あなた、名前は?私、キリア>
「僕は……|翔《しょう》」
そう言う少年――翔の瞳が、昇りかけた太陽の光を透かして赤く煌めく。
そういえば……と、聞かなければいけないことを思い出した。
<翔……あなたは実験台だったんでしょ?聞いておくけど、何の病気を投与されてたの?>
地球人を殺すために作られたウイルスは、どうやらアステラにも感染するものが多いらしいのだ。
「……言いたくない」
翔はそう言った。
余計に詮索はしないが、推測はさせてもらった。
翔の服の袖は余計に長い。右袖はまくってあるが、左はそのまま垂らされたままだ。
私は、恐らくその左腕に病気の何かがあるんだな、と思った。
記憶の限りでは、腕に症状の出るウイルスはあれとあれで……アステラには感染しないはずだ。
まぁ、うつらないならいいか。
そう思って、なんとか逃げ出せたことの安堵を、今更感じていた。
4 4月23日 午後0時頃
森のそばを沿うように歩き続け、太陽は真上から暖かく私たちを照らした。
アステラ星人は、お腹が空きにくい。だから、食事のことは昨晩の準備から1度も考えていなかった。
だから、翔のことを気遣わなかった。忘れていた。
翔は食事のことについてひとことも言わなかった。病気の関係で食欲がないのか、それとも走るのに夢中で、私と同様に忘れていたのか。
けれどもさすがにそろそろお腹が空いてきたので、翔に<食事にしよう>と送り、家から持ってきたリンゴを見せた。
「……食べない。食べたくない」
そう、お腹空いたら言ってね、と送り、私はリンゴをかじった。
「ごめん、ちょっと森入ってくる」
そう言い残し、はいもいいえも答えさせぬまま、翔は森へと入っていった。
数分経ち、私がリンゴを食べ終わるのとほぼ同時に、翔が森から出てきた。
「お待たせ……」
翔のその数分の変化を、私は見逃さなかった。
私は素早く翔の――小さな赤いシミのできた左袖を掴んだ。
<腕……血、出てるよね>
私はまっすぐ、シミよりも赤く鮮やかなその目を見つめた。
けれども翔は、すぐに下に目をやった。
「離して」
冷たい声が、その口から吐かれた。
<だいじょうぶ。治療キットも持ってきてるから――>
「だから、離してって言ってんじゃん‼」
それを掴む右手が、大きく外側に払われる。
苛立ち。
怒りの赤が、今度はまっすぐこちらを見ている。
けれどそれもすぐに終わり、目を逸らした翔はもう私を見なかった。
1歩、1歩、ボロボロに履き潰された静かな靴の音が、遠ざかる。
少しずつ背中が森に溶けていった。
追えなかった。
足が動かないのに、息が上がった。
5ー1 4月23日 午後4時頃
キリアと名乗る宇宙人と別れてからずっと、歩いていた。
お腹空いた。
“あれ”じゃ足りなかった。
頭が回らない。
歩き続けて、足がもう棒みたいで。
1時間ほど前に降り始めた雨が止んで、森を潤し終わった。
ずぶ濡れになった服を脱いだ。
あ。そうだった。
無惨な姿に成れ果てた左手を見て、服を絞るのが困難だと今更気づいた。
そんな手を見てるとやはり食欲は増してしまった。
そっと、噛み跡だらけで肉が不自然に削られた手を口元にやった……その時。
がさがさ、と、草を踏み分ける音がした。
女性だった。
その女性は僕を見るなり、安心したように、僕に声をかけようとした。
けれど僕は――本能に操られて、近くにあった大きな木の欠片を握った。
僕は、病気だ。
5-2 同刻
私は立ち尽くすしかなかった。
そこにある光景は、あの世界がにじみ出たように赤く染まっていた。
生気を失い眠る女性と、こちらに背を向けて座り込んだ翔。
<翔……?>
無意識に発した暗号波に反応するように、翔は私の方を振り返った。
口元を、手を、身体中を赤く染めていた。
あの女性が吐いた血が、あの袖のシミが、その色と同じだった。
そして――目の赤は血の色だった。
一瞬、何が起きていたのか分からなかった。
けどちょっと考えればわかる話だった。
私は彼の病気を『腕に症状の出る病気』だと思っていた。けど、腕に異常を来したのは、その病気で現る“食欲”によるものだった。
翔に投与されていたのはきっと、イーターウイルス|γ《ガンマ》―― `喰人病`だ。
「違……っ」
翔は何かにおびえたようにこちらを見た。確実に混乱している。
焦らないで。一旦、深呼吸して。落ち着こう。
言葉が、出ない。
何かが暗号波を送るのを阻止する。
「やだ……なんで……っ‼」
抑えてたのに。ちゃんと抑えられてたのに。
徐々に翔の息が荒くなる。
ゆっくり息吸って。
説得力のない言葉ばかりが頭をかすめては、やはり暗号波にもならない。
「……もう、やだよ」
翔がぽつりと涙を零すように言った。
手を伸ばすと、触れないように自分の手を引いた。
「触れないで……今の僕なら、キリアのことも喰べかねない」
目元は見えなかった。
「ごめんね……」
僕は……、
その後、翔の口からは言葉が聞こえなかった。
――我に返ると、そこに翔はいなかった。
女性の欠損したまだ生温い身体と私だけが、そこにいた。
6 4月23日 午後11時半頃
目を覚ますと、もう夜だった。
時計を確認すると、11時半くらいだった。
眠っていたようだ。
暗い。
ここはどこだっけ。
……あぁ、翔を見失ってから1時間弱歩いたんだ。
私はあの女性の身体を草むらに隠して、翔を探しに歩いてた。
けれど……なんで寝落ちしてんの。
立ち上がった。
ただ、歩いた。
“あれ”のことなんて、すっかり忘れていた――。
どん、と大きな音がした。
空に花火が上がったみたいな、爆発音。
嘘――。
目を見開いた。
家の辺りから放物線を描いて、ミサイルが何発も上がった。第2軍、3軍……と、続々と上がるミサイルの明るい炎の線を、ただ見てるしかなかった。
父は、私を捨てた。
アステラのために娘を捨てた。
あぁ。
私のやってたこと、無駄だったんだな。
全部、無駄だった。
「何やってたんだろ……」
私の願いっていうのは、所詮、子供の正義感だった。
私は、かばんに入れていた酸素マスクを取り出して顔につけた。少なくとも半日はもつらしい。
もしかしたら、の『架空の事態』のために用意したのに、現実になってしまった。
1キロくらい先に、それの1つが着弾した。
ぬるくてちょっぴり風の強い日程度の、優しすぎる爆風が届いた。
地球人が生きれるのは、長くてもあと1週間。
7 4月24日 午前4時頃
この4時間で、私の精神はかなり削られた。
この辺りは殺風景で、なにもない平地が延々と続く。
暗い空が東に行くにつれ、青緑、エメラルド、黄色、そして白へと変わっている。
悪夢の夜が、もうじき明ける。
……その平坦な世界の向こうに、何か見えた。
かたまりが、歩いて近づくにつれ、生き物になった。
足を止めた。
“それ”――翔の身体まで、あと10歩走れば着くところで。
「翔……?」
アステラの言葉が出てしまった。
あまりにもそれは突然で、残酷で。
私に背を向けて地に横たわり、|呼吸《いき》を荒くしたそのいのちを前に、私は座り込んだ。
ウイルスに侵されたに違いなかった。
<……翔>
顔を覗き込んだ。
虚ろで感情も生気もない、あの血がついたままの顔。どこか暗く見えるのは、血が赤黒く変色していたから、だけではないだろう。
「キリア……っ」
翔がかすれた声を出した。
なんでだろう。
居ても立っても居られなくて、かばんからハンカチと飲み水をすこし取り出した。
飲み水に少し濡らしたハンカチで顔の血を拭いた。
<声、出さなくていいから>
翔の目から涙が零れ落ちた。
なんで。
翔が、それでも呟いた。
「なんで、こんな僕に……優しく、してくれるの……」
たどたどしい地球の言葉が続く。
私は止めなかった。救う術がないからだ。
「僕は、人殺し……人喰いに、なっちゃったのに。なのに、なんで……」
言いながら、突然、むせた。
上体を起こしてあげると、翔は赤黒い血を吐いた。ひゅ、ひゅ、と不自然な呼吸音が、血とともに彼の口から漏れる。
<なんでだろうね。なんで私、一昨日会ったばっかりの異星人に優しくできるんだろう>
さっき拭いたばかりの翔の顔がまた血で濡れてしまった。
その不自然な音も、だんだんと間隔があいていく。
「ありがと……」
その顔は、微かに笑ったように見えた。
……1分もしないうちに、その身体は呼吸をやめた。
翔は死んだ。
いのちの抜け殻をそっと地に横たわらせ、
<ごめんね>
届くはずのない暗号波を翔の脳に送った。
その時はじめて、私はそれに気づいた。
「……なんで」
なんで私、一昨日会ったばかりの異星人に――。
「泣いてるの……?」
ひとつぶ、またひとつぶ、零れてくるそれを袖で拭った。
けれどそれはどこからか、とめどなく出てくる。
いつの間にか私は、大声を上げて泣いていた。
残酷だ。
やっぱりこの計画は、残酷だ。
ひととおり泣ききってから、私は、その顔を見た。
顔が真っ白になっていて、血が対比されて余計赤く見える。
いのちは何処にいったのだろうか。
きっと、地球人で言う天国ってとこなんだろうな。
そして私は、身勝手で無計画な私を恨んだ。小さな微笑みで恨んだ。
私程度じゃ何もできなかった。
家で大人しく籠ってればよかったのかもしれない。
情緒がぐちゃぐちゃだ。
よくわからない。
あぁ、私は。
私は。
絶望の黒は空から消え去って、明るい緑の明け空が広がる。
代わりに、この辺りは黒に染まっているような、そんな気がする。
私は酸素マスクを外して、ウイルスで満たされた空気を吸った。そして、ゆっくり息を吐いた。
一緒に、笑いが漏れた。
かばんを背中から下ろし、地べたに寝転んで、また空気を吸った。
すごく静かだ。
そよ風が吹いた。
私はもうじき、翔と同じように死ぬ。
けど、なんだか気分がすがすがしい。
空が綺麗だ。
この空を見ながら死ねるなんて、幸せだな。
頭……ぼうっとしてきた。
明け空の下、意識が遠のくのを感じながら、そっと目を閉じた。
---
キリアが死亡したのは、その日の午前6時ごろだと言われている。
アステラ星人地球侵略計画事件で、120億近くいた地球人は1000人ほどまで減少した。
私たちアステラ人はこの悲劇を忘れてはいけない。
地球返還100年を記念して、この書を出版する
---
気が付くと、私は真っ白な世界にいた。
延々と白が続いていたが、右と左でやや明るさが違った。
「ここは……?」
『この場所は、天国と地獄の境でございます。右側に進めば天国、左側に進めば地獄がございます』
そして空は続けた。
私は耳を疑った。
『あなたの傍で亡くなっていた方は、地獄にいらっしゃいます』
地獄。
翔と結びついてはいけない言葉が、なぜ。
「な……なんで?翔が何をしたっていうの?」
『あなたも知っているでしょう。彼は人を殺し、食べました』
空は機械のように、淡々と述べた。
『彼は十分罪人ですので――』
「何言ってんの?」
苛立ちを感じているのに、なぜか不思議なほど冷静な声で反論していた。
「翔は病気だったの。限界まで耐えてたの。なのに、それでも罪人?そもそもこれは、」
私たちアステラが作ったウイルス。
翔は、翔たちは、悪くない。
言いたいことを一通り言い終わって、ひと息ついた。
空は、少し黙って、言った。
『わかりました。ですが今、彼は食した方がたの呪いに縛られています。救えるのは、私ではなく、傍にいたあなた1人です』
失敗したら、無罪のあなたも地獄に行く。
頼れる人はいない。
空は、私をひるませるようなことばかり言った。
けど。
「行きます、地獄」
私の思いはブレなかった。
『本当にいいのですね?』
「もちろん……!」
そう言って私は、左側の道に大きく力強く1歩踏み出した。
『――では、いってらっしゃい』
ジャスト7777文字‼なんかいいことあるかも‼
ということでこの長文読切読んでくれたあなたにも幸運を……
あれ、分けれるほどあるかな……?