「神様、私はどうなってもいいんです。だから和音を元気にしてください……‼」
「元気な身体なんていらない‼お願いだからいつもの楽音を返して‼」
これは、互いを救うために自らを捧げあう、双子の物語――。
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目次
違和感
|和音《わの》は、僕が目を覚ましたときには変わってしまっていた。
「和音……そえ、髪……ろぉしたの……」
麻酔がまだ残っていて、うまく呂律が回らない。
「どうもしてないよ?ただあるべき姿に戻っただけ」
和音は、女の子らしい素振りは一切見せずに、歯を見せてニッと笑った。
「そんなことより!“俺”は|楽音《たの》の手術が成功して嬉しーんだよ!」
どうしても違和感は拭いきれない。和音は、自分のこと“俺”なんて言わないんだ。
僕の双子の弟は、男性の身体で生まれた女の子。髪に命を懸ける和音は、可愛くなるために、まだ10歳なのにアイロンや高いシャンプーをねだったとか、そんな話をママに聞いていた。
そんな和音のつやつやなロングヘアがばっさりと切り捨てられ、ボーイッシュカットになっている。服もだった。かわいいピンクのワンピースが、恐竜の青いTシャツに変わっていた。
「どうも、って……。和音は、えっと、なんだっけ……トランス、なんとかでしょ。治すものでもないし、治すこともできないんでしょ」
「知ってる?楽音」
病院のベッドで寝る僕に目線をしっかり合わせ、和音は言った。
「心の性別って変わることあるらしいよ?俺、多分それでさ」
「でも、そういうのって突然変わるんじゃなくて、グラデーションとかじゃ――」
「ほーら!余計なこと考えてないでゆっくり寝ろ!今は新しい心臓に慣れるのが最優先、だろ?」
和音の細い指が、それよりもか弱そうな僕の胸部を指す。
僕は、生まれつき心臓の病気があった。病気がお腹の中で判明して、帝王切開でいち早く治療室に連れていかれた。処置のために僕のほうが先に取り出されたから、身体の大きくて丈夫な和音は弟になってしまった。
「ゆっくり休んで回復したら、サッカー、しような?」
いたずらな笑顔で小指をさし出す和音に僕はもう何も言えず、震える手で指切りげんまんをした。
けれど……納得はできない。
こうも人が変わるなんておかしいだろう。まるで人格が誰かと入れ替わってしまったみたいだ――。
また書いちゃった
昔のこと
病気の僕は、病院から出たことがほぼない。
いつもの病室が僕の部屋で、病院が僕の家で――でも、ママと和音は別のところに住んでる。
たまに他の子の面会に来る大人は、ピアスを開けていたりよく分からないネックレスをつけてるけど、僕にとっては点滴がまるでそれのようだ。派手な人みたいに大量の管を身体に繋げて、心拍が上がらないように歩かなければいけない。
大人はみんなスマホを連れてないと生きていけないけど、僕には心電図がないといけない。
どこかしらみんなと似ているところが、病人にも案外あったりする。
1回だけ、まだ訪れたことのない我が家に行こうとしたことがある。
まだ経口薬と1袋の点滴だけで症状がなんとかなった5歳の時、面会から帰るママと和音のあとをこっそりつけて病院を抜け出した。――点滴袋を抜いて。
気づかれないようにトランクに忍び込んだ。会話が聞こえた。
「元気そうでよかったね、楽音!」
「そうね、よかったわ。あとは心臓のドナーさえ見つかれば……」
「どなーってなぁに?」
「心臓をくれる人のことよ」
そんな会話から、幼稚園のこととか、この間行ったらしいカフェレストランのこととか、僕の行ったことのない場所のことを話し始めた。
未知の世界の話で僕は好奇心を刺激され続けた。わくわくして、そして同時に家が近くなることへの喜びで胸が高鳴るのを感じた。
すると突然、胸に鈍い痛みを感じた。それはまるで鈍器かなにかで叩かれたようで、熱さえ感じる痛みだった。
声が漏れた。抑えることなどできるはずもなかった。
「ママ……後ろから楽音の声が聞こえる……」
和音が僕の声にいち早く気づき、ママに伝えてくれた。
「聞き間違いじゃない?楽音は病院にいるのよ。それより、そろそろ家だから荷物持ってて」
「聞き間違いなんかじゃないよ、本当に聞こえる!だってずっと聞こえるし、耳塞いだら聞こえなくなるんだもん!」
「本当に?まさか……」
その後ほどなくして車が止まったらしい。酷い痛みに頭が回らず気付かなかったが、トランクが開いたときに見えたのが家近くの飲食店だったのは覚えている。
「楽音‼なんでここに⁉」
朦朧とする意識の中で、僕は霞のような声で言った。
「おうち……ママと、和音と、いきたくて……」
「和音!席の荷物除けといて!病院戻るよ‼」
ママは僕の答えをちゃんとは聞いていなかったかもしれない。
僕は和音の隣に寝かされた。
「楽音……」
すこし大きな手が、僕の胸に触れた。
「死んだらだめだよ」
そこで記憶は途切れている。
その後どうなったかなんて、いま生きている時点で分かる。和音には感謝しかない。
病気と、障害と、
和音は女の子なんだと、7歳ころまで本気で信じていた。兄としても、おしゃれを気にして少しませている和音は女の子にしか見えなかった。本当に。人生で一緒にお風呂も入ったことがないし。疑う理由がなかった。
アルバムの最初あたりこそ青い服を着ていたものの、徐々にピンク色の服を着る写真が増えた。僕が物心ついたときから可愛らしい服を着ていた上に、和音なんていう男子では聞いたこともない名前(僕の名前・楽音もその類である、その上女子でも聞いたことない)をしているもんだから、僕にとって彼女は妹以外の何者でもなかった。
「楽音……わたしね、変なんだって」
これは、和音の身体が男性だと気づいたときの話なんだけど、7歳くらいの面会の時にママが少し席を外して、僕と和音が2人きりになった。
「どこが?」
「男の子なのに可愛い服着たり『わたし』って言うのが、変だって言われたの」
うつむく和音。
「和音って男の子なんだ……」
「え?知らなかったの?」
「うん、ずっと女の子だって思ってた」
「……わたしもなんだ。女の子と一緒に遊んでる方が楽しいの」
僕がちょっと引っかかる顔をすると、「あ、ううん、楽音と遊ぶのがつまんないってわけじゃなくて」と訂正した。
「本当は、楽音と遊んでるのが1番楽しい!」
無邪気に笑い、僕の手を掴むひと回り大きな手。
リボンのついたカチューシャ、可愛らしいウサギのワンピース。日曜だからなのか、目元にラメがついていた。
こんなに女の子を頑張れる子が、どうして男の子として生まれてしまったんだろう。
---
「学校行くよ、楽音!」
「は~い、和音……」
手術成功から2年が経った。
あの頃はまだ子供だったから、僕たちの病気や障害のことは、概念として分かっていても詳しいことはまだ分かっていなかった。僕のは「心臓の病気」、和音のは「間違って男の子に生まれた女の子」程度にしか。そもそも和音が「障害者」に入ってしまうことさえ知らなかった。
けれど――和音は変わってしまった。目を覚ました時にはすでに、知らない少年に。
あれから髪も伸ばさないし、スカートも履かない。ピンク色なんてもっての外で、可愛いものは何も家に残っていない。
夏の通学路はアスファルトの反射のせいで嫌に熱い。
そのせいだろうか、馴染みかけていた「和音くん」に訊いてしまった。
「……和音」
「な~に~?」
「和音、なんで男の子になっちゃったの?」
「え~っ、だめ?」
「だめ、じゃないけど、なんていうか……変な感じがして。僕の妹がどっか行っちゃった感じ……」
「大丈夫だよ、俺はここに――」
「やっぱ変だよ!」
僕は差し伸べられた手を振り払い、耐え切れず言った。
「君は誰?和音をどこにやったの?僕の和音は男の子なんかじゃないんだ!」
陽射しがつむじ辺りに当たって熱い。けど、今首元を伝う汗はそれとは何か違った。
「和音を返してよ……‼」
顔が見れない。
「……そっかぁ」
そんな言葉を言う和音の声はトーンダウンしていた。
和音は僕の耳元で囁いた。
「気づいちゃったね、気づいちゃいけないこと――!」
「……どういう意味?」
僕が聞き返すと、和音はいつもの調子になって言った。
「今日の丑三つ時、学校の裏山においで!秘密、教えてあげるから!」
和音は瞳に怪しい光を|湛《たた》えていた。
「じゃ、学校行こ!」
「……うん」
悪い夜になりそうな予感がしていた。