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目次
第1話:トオルと、朝食
第5特殊消防隊の隊員宿舎に、朝の光が差し込む。
二段ベッドの下段。トオル岸理は、背中に感じる「重み」と「異様な熱」で目を覚ました。
「……おい。紫月。起きろ。朝だぞ」
返事はない。トオルのTシャツを指先でぎゅっと掴んだまま、シヅキは死んだように眠っている。能力の使いすぎによる異常代謝のせいか、彼女の寝息は驚くほど深く、時折その体温がさらに一段階上がるのを感じる。
「紫月、時間だ。……おい」
トオルは慣れた手つきで、自分にしがみつく紫月の腕をそっと外そうとした。だが、彼女は無意識にそれを拒み、トオルの胸元に顔を埋めてくる。
「……トオル。うるさい」
「うるさいじゃない。今日は第8との合同演習があるんだぞ」
「……やだ。行かない。寝る」
紫月は薄目を開ける。紫色の瞳はまだ焦点が合っておらず、トオルという「生存の拠り所」を認識するまで数秒かかった。ようやく彼だと理解すると、彼女は自分からトオルの首に腕を回し、完全に体重を預けた。
「……トオル。起こして」
「今起こしてるだろうが。ほら、座れ」
トオルは半ば強引に彼女を抱き起こし、ベッドの縁に座らせる。紫月は魂が抜けたような顔で、トオルに言われるがまま腕を通され、制服を着せられていく。第5の隊員が見れば「無口な鉄の女」のあまりの無防備さに腰を抜かすだろうが、これがトオルにとっての「日常」だった。
---
食堂へ移動する道中も、紫月はトオルの後ろを「てくてく」と歩く。彼の制服の裾を片時も離さず、まるで親鳥を追う雛のようだ。
「おはよ、紫月ちゃん! 今日も眠そうだね」
通りかかった同僚が声をかけるが、紫月は表情一つ変えない。
「……おはよう。……うるさい。……眠い」
きっかり三語。それ以上は話さない。話す必要を感じない。
だが、食堂の席に着き、トオルがトレイを置いた瞬間、彼女の「鉄の面」にわずかな亀裂が入る。
「……トオル。これ」
「分かってるよ。貸せ」
紫月は音速の箸さばきで、自分の皿に乗ったネギとナス、そしてキノコをトオルの皿へ移した。代わりに、トオルの皿にあった厚切りのベーコンを、当然の権利のように自分の米の上へと拉致する。
「お前な、少しは野菜も食わないとバーンズ大隊長に怒られるぞ」
「……|紅丸《お兄》が、肉食えって。|バーンズ《叔父ちゃん》ちゃんも、強い体、必要って」
「……都合のいい時だけ最強の二人を引き合いに出すな」
トオルは溜息をつきながら、押し付けられた野菜を口に運ぶ。
紫月は満足そうに肉を頬張り、少しずつ、その白い頬に赤みが差していく。食事が、彼女の「燃料」となり、脳を起動させていく。
「……トオル」
「なんだよ」
「……今日。ずっと、後ろにいる」
「はいはい。迷子になるなよ」
そのやり取りを、遠くからプリンセス火華が扇子を広げて眺めていた。
「全く、あの二人は……。トオル、あんた甘やかしすぎよ。シヅキも! シャキッとなさい!」
「……お姉様。……トオルが、いいって」
「言ってねえよ!」
トオルのツッコミが響く中、紫月はトオルの腕に頭を擦り付けた。
彼女にとっての世界は、この「トオルという盾」の内側だけで完結している。
たとえこの後、残酷な「焔ビト」との戦いが待っていたとしても。
🔚
第2話:無口と、三語
「第5特殊消防隊、および第8特殊消防隊。これより合同演習を開始する!」
訓練場に響き渡る号令。第5の大隊長・プリンセス火華が傲然と椅子に座り、その傍らには、無表情で佇むシヅキの姿があった。
「……第8。……騒がしい。……帰りたい」
シヅキの声は、隣に立つトオルにしか聞こえないほど小さい。彼女の視線の先には、緊張感のない笑顔を浮かべる森羅日下部や、騎士ごっこに興じるアーサー・ボイルの姿がある。
「我慢しろ。お姉様の前だぞ、シャキッとしてろ」
トオルの囁きに、シヅキはわずかに眉を寄せ、彼の影に隠れるように一歩下がった。
「おい、そこの不気味な女! さっきから俺の背後をジロジロ見やがって、何の真似だ!」
アーサーが剣の柄を握りながらシヅキを指差す。シヅキの『反響定位』が無意識に彼の筋肉の動きや呼吸をトレースしていたことに、野生的な勘で気づいたらしい。
シヅキはトオルの後ろから、冷徹な紫の瞳でアーサーを射抜いた。
「……騎士。……馬鹿。……黙れ」
「なっ……!?」
絶句するアーサーを無視し、シヅキはトオルの裾を掴んだまま火華の前へと進み出る。
「シヅキ。あんた、第8の新人どもに第5の格の違いを見せてやりなさい」
「……了解。……お姉様」
---
演習の内容は、高速で射出される標的を、指定されたポイントで正確に破壊するというものだ。
第8のシンラが足から火を吹き、派手な音を立てて標的を粉砕していく。
「次は第5の平隊員、紫月!」
シヅキは一歩前へ出た。彼女は構えない。印も結ばない。ただ、標的を見つめる。
その瞬間、空気が変わった。
『|焦眉の紫眼《バイオレット・バースト》』
シュン、という小さな音と共に、標的の「中心核」だけが内側から弾け飛んだ。炎の塊ではなく、極限まで圧縮された熱の針が貫いたような破壊の跡。
標的が地面に落ちる前に、さらに三つ。シヅキが瞬きをするたびに、紫色の火花が空中で爆ぜる。
「……終わり。……トオル。……次」
シヅキは結果を確認することもなく、トオルの元へ戻った。
「相変わらずえげつねえ精密さだな……」
トオルが差し出したスポーツ飲料を、シヅキは黙って受け取る。
「今の……発火現象を視線で固定したのか? 手も使わずに?」
驚きを隠せないシンラが歩み寄ってくる。シヅキは彼を一瞥すると、すぐにトオルの背中に隠れた。
「……悪魔。……足。……臭そう」
「おい! 足が臭いのはひでぇよ……じゃなくて、悪魔って言うな!」
騒ぎ出すシンラを他所に、シヅキの呼吸はすでに乱れ始めていた。
精密発火は脳への負荷が異常に高い。こめかみを流れる汗を、トオルがタオルで拭う。
「……トオル。……脳。……熱い」
「頑張ったな。もう少しで終わるから、後で甘いもん食わせてやる」
トオルの言葉に、シヅキは「こくり」と小さく頷く。
鉄の女としての冷徹な眼差しは消え、そこにはただ、依存する相手の体温を求める、一人の少女の瞳があった。
だが、訓練場の隅でシヅキを観察する視線があったことを、この時の二人はまだ知ら
🔚
第3話:お姉様と、教育
合同演習が終わり、第5特殊消防隊の執務室。
「パキィィィン!」と、扇子を閉じる乾いた音が部屋に響き渡った。
「シヅキ! あんた、さっきの昼食もネギを残したわね!?」
プリンセス火華の怒声が、豪華なソファに座るシヅキに突き刺さる。シヅキはトオルの背後に完璧に身を隠し、彼の肩越しにじっと火華を見つめた。
「……ネギ。……毒。……いらない」
「毒なわけないでしょうが! この砂利が! 好き嫌いしてたら立派な消防官になれないわよ!」
火華が指を鳴らす。空中に桜を模した炎が舞い、威嚇するようにシヅキの周囲を囲んだ。普通の隊員なら腰を抜かす場面だが、シヅキは表情一つ変えず、トオルのシャツを「ぎゅっ」と握りしめた。
「……若(紅丸)が。……肉だけでいいって。……言った」
「……はあ!?」
火華の眉間がピクリと跳ねる。シヅキはさらに追い打ちをかけるように、淡々と、しかし決定的な名前を口にした。
「……叔父ちゃんも。……タンパク質、大事。……野菜、あとでいいって」
「浅草の破壊王と第1の大隊長の名前を出せば、私が黙るとでも思ってるの!?」
火華の背後に、どろりとした黒いオーラが立ち昇る。
トオルは冷や汗を流しながら、必死に間に割って入った。
「大隊長、落ち着いてください! こいつ、昨日も第7から届いた人型焼を主食にしてたんで、栄養バランスが崩れてるだけで……」
「トオル! あんたが甘やかすからこの子は付け上がるのよ! ほら、シヅキ! 今すぐこのナスを口に入れなさい!」
火華が差し出したのは、食堂からわざわざ持ってきた「ナスの煮浸し」。シヅキにとって、それは焔ビトよりも恐ろしい「敵」だった。
「……処罰。……トオル。……やって」
「俺に振るな! ……ほら、紫月。一口だけ食べないと、火華大隊長に本気で怒るぞ」
トオルが困り果ててナスの小鉢を差し出すと、シヅキは目に見えて震え始めた。
彼女の瞳に、うっすらと紫色の火花が散る。『焦眉の紫眼』が、あろうことか「ナス」に向けて精密照準を開始した。
「……分子レベルで。……消滅。……させる」
「食べ物を消すために能力を使うんじゃない!!」
トオルがシヅキの両目を手で覆い隠し、暴走を阻止する。
視界を奪われたシヅキは、そのままトオルの胸に顔を埋め、抗議の意を込めて彼の鳩尾を軽く蹴り上げた。
「……ぐふっ……!? なんで俺を蹴るんだよ……」
「……トオル。……ナス、味方した。……敵」
シヅキはそう言い残すと、トオルの背中にヒョイと飛び乗り、そのまま「死んだように」寝る体制に入った。
「……あ、こら! 寝逃げすんな! 重いって!」
「全く……。トオル、後でその子を私の部屋に連れてきなさい。……特別講習よ」
火華は呆れたように溜息をつき、扇子で顔を隠した。だが、その瞳には、自分の「義妹」であるシヅキへの隠しきれない愛情が滲んでいた。
背負われたまま、シヅキはトオルの首筋に鼻を押し付け、彼にしか聞こえない声で呟く。
「……トオル。……ナス、食べたフリ。……あとで、肉、ちょうだい」
「……お前、本当に……」
トオルは呆れ果てながらも、背中に感じる彼女の心音と、少しだけ軽くなった(1kg痩せた)体重を愛おしく感じてしまうのだった。
🔚