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目次
絶望と、優しさと。
目の前が真っ暗だ。
ただひとつ、1本の細い道が見える。
僕は、震える足で進んでいく。自分がどこにいるのかも、どこに向かっているのかも、何も分からない。
でも、立ち止まったらもう二度と動けなくなりそうで。
それが怖くて、ゆっくりと前に進む。
何かに躓いて、転んで、それでも這いつくばって進んでいく。
いつも後ろを振り返りたくなる。
振り返って、走って。
ただただ楽しくて何も考えずに笑っていられたあの頃の記憶に、しがみつきたくなる。
でも、出来ない。
過去に戻ったって、どこにも行けない。苦しみから抜け出すことなんて出来ない。
だから僕は、前に進むしかない。
声が聞こえる。
「お前なんかいなくなってしまえ」
「お前はこの世界のゴミだ」
「邪魔なんだよ」
「死ね」
「消えろ」
耳を塞いでも、聞こえ続ける。
脳内で響く悪魔のような声。
どれだけ振り払おうとしても、どこまでもついてくる。
助けを求めて声を張り上げても、目を開いて周りを見回しても、救ってくれる人なんていない。そこにあるのは、果てしなく続く闇だけ。
頬を涙が伝う感覚。
呼吸が苦しくなる。
手足が痺れて思うように動かない。
冷や汗が出る。寒気がする。
視界が狭まる。
誰かが走ってくるのが見える。
誰だ───
そこで意識の糸が切れた。
---
体が落ちる感覚で意識を取り戻した。
道の上にいたはずなのに、全身が道の下に落ちている。でも、落下していく感覚はない。
視線を巡らせると、僕の手首を掴んでいる誰かの手が見えた。
そのまま上を向くと、可愛らしい少女の顔が見えた。
少女は、僕の顔を見つめて口を開いた。
「起きた? 上がっておいで」
少女の言葉の後、僕は首を振った。
このまま落ちてしまえば、全ての苦しみから解放される。これで解放されるならば、地獄に落ちてもいいとさえ思えた。
少女は、今にも泣き出しそうな、それでいて怒り出しそうでもある複雑な表情を浮かべた。
「ここで死を選ぶのは間違ってるよ。未来には君を愛してくれる人がたくさんいる。それを失ってもいいの?」
あぁ…
この子も同じことを言うのか。
もしかしたら救ってくれるかもしれない、なんて思ってしまった僕が馬鹿だった。
「もういいんだ。楽に…してくれ」
僕がそう呟くと、少女は一筋の涙を流した。
どうして君が泣くんだ? 君が泣くほど、僕は惨めか?
「辛かったんだね。…もういいよ。現実に戻らなくていい。こんなところで歩き続けなくていい。…私と一緒においで? ゆっくり休める場所、あげるから」
僕は小さく頷いた。
少女に対して怒っていたはずなのに、怒りなんてどこかに消え失せた。
視界が滲んで、少女の顔が歪む。
少女は、その華奢な体からは想像できないほどの強い力で僕を引き上げた。
僕は細い道の上で蹲って泣いた。
涙が枯れるほど泣いてきたはずなのに、次々と涙が溢れ出てきて止まらなかった。
少女は優しく僕の背中を撫で、僕が泣き止むまで待っていてくれた。
どれくらい時間が経っただろうか。
僕がゆっくりと顔を上げると、少女は優しく微笑んで手を差し出した。
「行こう?」
僕は少女の小さな手を掴み、立ち上がって歩き出した。
ふと、疑問に思ったことを口にする。
「君は…誰なの?」
少女は一度振り向き、すぐにまた前を向いた。
「誰なんだろうね。ずっと、ここに来る君みたいな人を助け続けてるんだ」
少女の答えに僕は何も言えないまま、歩き続けた。
「ここだよ」
少女に手を引かれて歩き続けた先には、真っ白な空間が広がっていた。
ただただ白く、何もない。
僕と少女以外には誰もいない。
「ここは…?」
少女は僕を見て優しく微笑む。
「ふふっ ここはね、辛いのも苦しいのも悲しいのも痛いのも、何もない場所。ここにはいつまでいたっていい。すぐに出て行ってもいいし、死ぬまでいてもいい。全部、君の好きなようにしていいんだよ」
少女の説明を受け、僕は少しだけ不安になった。
そんな自由な場所が本当にあるのか。後々何かを要求されたりしないのか。
そんな考えが頭の中で膨らんでいったが、僕はすぐに考えるのをやめた。
僕はひどく疲れていた。
やすりで削られ、カッターで切り刻まれ、ナイフを突き立てられ、傷だらけになった僕の心は、休息を求めていた。
いつまでも、眠っていたかった。
空腹に気づき、食事のことも心配にはなったが、それはもうどうなってもいいと思った。
僕はゆっくりとその場に横になった。
床は柔らかくて、温かかった。
すぐにでも意識を手放してしまいそうな中、少女に問う。
「君は…ここから出ていくの?」
「それも、君がどうしてほしいかによる。…どうしてほしい?」
僕は、近づいてきた少女に向けて手を伸ばした。
言葉がなくても、それだけで伝わると信じていた。
少女は僕の手を優しく握った。
その手は、とても温かかった。
「お疲れ様。おやすみなさい」
少女の言葉に微笑みを返し、眠りについた。
最初に意識を失うまでのことは、現実の僕の事です。それから先は、僕の願望です。こんな世界があればいいな、という気持ちを込めて書きました。
この物語に救われる人が一人でもいますように───
狂った世界を愛せた日。
屋上の縁に立ち、一つの封筒を足元に置いた。
その封筒は──遺書。
僕は今日ここで、十数年の短い人生を終わらせる。
顔を少しだけ前に出して、下の様子を窺う。
早足で歩いていく人。自転車で颯爽と通り過ぎていく人。街路樹の下のベンチに座って街を眺めている人。
そのどれもが小さくて、自分がいる場所の高さを知った。
ここから落ちれば即死するだろう。
僕は深呼吸を一つして体を前に傾けた。
その時───
「ねぇ、ちょっと待ってよ」
可愛らしい声がした。
ゆっくり後ろを振り向くと、同い年くらいの一人の女の子がいた。
僕が何も言わずにじっと見つめていると、女の子は僕の方に近づいてきた。
目の前まで来ると、僕の手を取って微笑んだ。
「少しだけ話さない?…死ぬ前にさ」
女の子にそう言われ、僕はよくわからないまま無意識に頷いていた。
塔屋の壁にもたれかかって、2人並んで座った。
僕が、この子は誰なんだろう、と考えながら女の子の顔を見つめていると、女の子は僕の視線に気付いたのか、こちらを向いて頬を緩めた。
「そんな不思議そうな目で見ないでよ、恥ずかしいじゃん」
「……君は誰なの? どうして僕に話しかけてきたの?」
僕がそう聞くと、女の子は僕の目を見つめて口を開いた。
「私が誰かなんてどうでもいいじゃん。君に話しかけたのは‥‥死ににきたら先客がいて気になったから、かな」
「死にに、きた…?」
予想外すぎる言葉に僕は目を見開いた。
女の子からは、死のうとしている雰囲気なんて少しも感じられなかったから驚いてしまったのだ。
「そうだよ。だから、君が死ぬのを止める気なんて全くないから安心して」
「安心って…。君は、死にたいの?」
「うーん、死にたいというか‥‥生きる意味を見失っちゃったからさ」
女の子はそう言うと、どこか遠くを見つめた。
僕も同じように遠くを見つめる。真っ白な雲が青い空に浮かんでいた。
「ねぇ」
僕は、女の子に呼び掛けた。
「うん?」
僕が今から言うことは、常識で考えたら本当にあり得ないことだと思う。
でも、今隣にいるこの子だったら否定せずに受け止めてくれる、そんな気がした。
僕はゆっくりと口を開いた。
「僕と一緒に、死んでくれない?」
数秒の沈黙の後、隣から小さな笑い声が聞こえた。
女の子の方を見ると、女の子は優しい微笑を浮かべて僕を見つめていた。
「ふふっ、そんなこと言われると思ってなかったよ。でも、そうだな‥‥私も一緒がいいな。君と一緒に、死にたい」
女の子はそう言って、僕に手を差し伸べた。
僕はその手を優しく握って立ち上がった。
2人で一緒に屋上の縁へと向かう。
今までのことを思い起こしながら、悪い人生じゃなかったな、なんてのんきなことを考えながら歩いた。
2人で並んで屋上の縁に立つ。手は繋いだままで、女の子の手の温もりが凍った僕の心を溶かしていく。
「あ!」
突然隣から大きな声が聞こえて、僕は思わず肩をビクッと震わせた。
「聞くの忘れてたけど、君はなんで死のうとしてるの?」
女の子にそう聞かれて、僕はあぁ、と声を漏らした。
女の子に聞いただけで、僕は何も言ってなかったことに気付いたのだ。
「僕も君と同じだよ。生きる意味を見失ったんだ。別に死にたいってわけじゃないけど、生きるのも辛いから」
女の子を誘ったのも、女の子が僕と同じ悩みを抱えていたからだ。死にたいわけじゃないけど、生きていたくもない、そういう悩みを。
「そっか」
女の子はそれだけ言うと、僕の方を見て微笑んだ。
僕も女の子の顔を見つめて微笑み返す。
「じゃあ、行こっか」
「うん」
僕たちは、2人同時に何もない空中に足を踏み出した。
今も手は繋いだままで、1人じゃないことに安心する。
地面に向かって落ちて行きながら、僕は思った。
この世界に苦しめられてきたけど、今だけは、世界に対してありがとうと思える。
死ぬ間際に素敵な出会いを与えてくれてありがとう、と。
僕は初めて、この世界が好きだと思った。
狂った世界を愛せた日、僕は新しい未来へと飛び立った。
数分間の輝く時間と、優しい仲間の笑顔と共に。
死ぬことを止めずに認めてくれる、そんな人がいたらいいのにと思います。
死ぬことを、新しい未来───来世に向かっていくことだと思えたら幸せですね。