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目次
僕と彼の愛すべき日々
──午後三時。花村湊の仕事場には、薄い珈琲の香りと、散らかったネーム用紙と、沈黙だけがあった。
「……原稿、まだですか?」
声の主は編集部の不知火塁。いつも通りの黒シャツに、眼鏡越しの真顔。
少しだけ低いその声に、花村は条件反射で肩をすくめる。
「プレッシャーかけてる? そんな言い方しなくても、わかってるってば……」
「違いますよ。ただ、今月の入稿は木曜です。今日が月曜。作画がまだってことは…」
不知火はカチ、とペンを鳴らした。
「徹夜ですか?」
「……うるさい。ほんと、あんたって顔はいいのに、言うことが冷酷。」
「顔だけ褒められても嬉しくありませんけど?」
その一言に、花村は口をすぼめて不貞腐れる。
だけど不知火は動じず、すっと花村の前に新しい缶コーヒーを置いた。無言のまま。
「……またブラック。僕がミルク派なの、知ってるよね?」
「知ってます。けど、集中してもらうためにはこれでしょ。」
不知火が少しだけ笑う。その笑みが、どこかズルい。
(ああ、こういうとこだよな……こいつ、モテるの。)
彼の声のトーン、温度感、目線の使い方。
それらすべてが、花村にとっては“漫画の攻めキャラ”を地で行っていた。
「ねえ、不知火さん。そんなに冷たくされたら……僕、恋しちゃうよ?」
冗談まじりにそう言ったら、不知火は目を伏せて、小さく笑った。
「──したら?」
「えっ?」
「恋したら、原稿あげてくれるなら、いくらでも冷たくしますよ。」
彼の言葉は冗談に聞こえなかった。
その一瞬、心臓がドクンと跳ねた。
僕と彼の愛すべき日々
深夜、窓の外はまだ冬の名残を引きずるように冷たい風が吹いていた。
けれど湊の作業部屋は熱がこもっていて、Tシャツ一枚でいても汗ばむくらいだった。
「ふぅ……線、歪んでるな。集中切れたかな。」
そう呟いて、湊は作業台から背を離す。
冷えた缶コーヒーを取ろうとして、ふと視線が止まる。――そのままソファでうたた寝している、不知火の姿に。
(……なんで、帰らないんだよ)
不知火塁。
冷静で、的確で、口うるさくて、でも……ちゃんと、誰よりも自分の作品を読んでくれている編集者。
先月の打ち合わせのときも、
「このキスシーン、湊さんの描く“寂しがりな攻め”の描写としては少し甘すぎませんか?」
なんて、読者目線すぎるコメントをくれて、内心びっくりした。
(あれ、ファンじゃなきゃ出てこない分析だったよな……)
原稿の締切前になると、彼はよくこうして泊まり込みで様子を見に来る。
最初は鬱陶しかったけれど、最近はそれすら“日常”になってしまった。
「……ったく、寝顔まで整ってるとか反則でしょ……」
ぽつりと漏らして、湊はそっと不知火の足元にブランケットを掛けた。
その瞬間――
「……湊さん、もう少しだけでしょ?」
「っ……起きてたのかよ!」
「うん。寝たふりしてただけ。」
「……最低。」
「そう言うなら、原稿で黙らせてください。」
目元に微かに浮かぶ、眠気と優しさの混ざった笑み。
不知火はいつだって、ちょうどいい距離で、湊の「弱い」を見透かしてくる。
だからこそ──こいつを好きになったら、たぶん、負けだ。
(……でも)
負けてもいいかもしれない、なんて。
そんなことを考えている時点で、もう始まっているのかもしれない。
僕と彼の愛すべき日々
翌日の午後。
編集部の小会議室。
湊は机に肘をつきながら、不知火の顔を覗き込んだ。
「……あれ? なんで黙ってるの。感想、聞かせてよ。」
「……この“新キャラ”、湊さん、どこからインスピレーション得ました?」
「は?」
「この、無表情でクールな編集者。冷たく見えて実は甘党で、ネームには厳しいのに本編には優しい……ってキャラ。」
「……あっ」
湊の口が勝手に閉じる。
目を逸らそうとしたが、不知火の視線が鋭く追ってくる。
「まさか……僕じゃないですよね?」
「ち、違うし。たまたまだし。そんなのよくあるタイプじゃん、今のBL業界……!」
「でもこの人、主人公にコーヒーばっか差し入れして、寝落ちしたら毛布かけてくるし、原稿が遅れると目で圧かけてくるし……それ、僕ですよね?」
湊は思わず顔を両手で覆った。
「も〜〜〜! そういうとこだよ!! 本当にズルいよ、不知火さん!」
「え?」
「こっちは真面目に恋してないような顔して、あっちから攻めてくるんだから……気づかないわけないじゃん、こっちの気持ちなんかとっくにバレてるくせに……っ!」
机の下で、ペンがカタンと転がった。
不知火は、それを拾おうとしながら小さく笑った。
その笑顔は、編集としてではなく、一人の男としてのものだった。
「──湊さん。正直言うと、ずっと前からあなたの漫画の“受け”が、僕に似てると思ってました。」
「……うそ」
「でも、今日のネームで確信したんです。ああ、これは“湊さんが描きたい攻め”じゃなくて、“好きな人”だって。」
「……っ」
不知火は、ペンをそっと湊に返す。
その指先が一瞬だけ、湊の手に触れた。やさしく、でも、確かに。
「……編集と作家、って関係が壊れるのは怖いですよ。でも、僕は……それでも、あなたを知りたいと思ってます。」
「ずるい……ずるすぎるよ……そんなの……」
顔を伏せる湊の頬に、赤が差していた。
言葉を失くしたその瞳の奥に、彼は小さな「好き」が滲んでいるのを見逃さなかった。
僕と彼の愛すべき日々
打ち合わせの帰り道。
春の気配がようやく感じられる夕暮れの街を、不知火と湊は並んで歩いていた。
「今日のネーム、文句なしでしたよ。さすがですね。」
「……あんまり褒めないで。調子乗るから。」
「じゃあ、次のプロットの締切、早めていいですか?」
「やっぱ褒めなきゃよかった……」
ふたりの会話は、以前よりずっと柔らかい。
ふと肩が触れても、もうどちらも避けようとしない。
(ああ、少しずつ、ちゃんと近づいてるんだ)
湊はそう思っていた。思って、信じていた――その瞬間までは。
「……湊?」
呼び止められたのは、信号待ちの交差点。
聞き覚えのある、低く柔らかい声。
振り返ると、そこにはスーツ姿の男が立っていた。色素の薄い茶髪、穏やかそうな目元。
「久しぶり。……4年ぶり、かな。」
湊の体がびくりと強張った。不知火は横目で、湊の顔色を読む。
「……如月さん」
名前を出した湊の声が、少しだけ震えていた。
「そう。覚えててくれて嬉しい。漫画家やめたって聞いてたけど、まだ描いてたんだね。」
「うん……やめられなかったから。」
「そっか。……あ、もしかして今、一緒にいるのって……」
如月の視線が不知火に向く。
不知火はにこやかに、しかし目の奥では冷たい光を灯していた。
「編集の、不知火塁です。湊さんの担当をしています。」
「へえ……。担当編集。……そうなんだ。」
妙な間。妙な笑み。
不知火には、それが“男の縄張り意識”によるものだとすぐにわかった。
「……連絡、していい?」
「え?」
「また今度、ゆっくり話したいなって思って。……まだ、話したいことあるから。」
湊は返事をしなかった。ただ曖昧に笑って、視線を逸らした。
そして如月は、それを受けて静かに立ち去っていった。
不知火は、その横顔をずっと見送っていた。
ただの元彼、ではなさそうだ。何か“未完のもの”が、二人の間にはある。
「……大丈夫ですか?」
帰り道、不知火がぽつりと尋ねると、湊は少しうつむいて笑った。
「大丈夫。……たぶん。でも、ごめん。不知火さんには関係ないことだよね。」
その“線引き”が、胸を刺す。
あのネームの中に“自分”が描かれていたことが、あれほど嬉しかったのに。
今、この距離の遠さに、指先が冷えていく。
(関係ない……そう、言うんだ)
不知火はその言葉を噛みしめる。
それでも、まだ「担当編集」でいるしかない自分が、情けなかった。
僕と彼の愛すべき日々
一週間後の夜。
原稿の締切を終えたばかりの湊は、深夜の自室で一人、デスクに突っ伏していた。
ペン先のインクが乾く音すら聞こえそうな静けさの中、
ふとスマホが震える。
【如月 悠人】
――“久しぶりに会えて、やっぱり嬉しかった。時間が合えば、また話せるかな?”
画面を見つめたまま、湊は返事をしなかった。
(……あの人に「嬉しかった」って言われると、まだ胸が痛いんだ)
二年前の春。
湊が心も体も壊しかけて、連載を一時中断した頃。
如月は、湊のそばにいながら「寄り添いきれなかった」男だった。
彼は優しかった。でも、それが湊には残酷だった。
「描くこと」から逃げそうになる湊を、彼は「描かなくてもいいよ」と言った。
それが、湊には――苦しかった。
「……不知火さんは、言わないのにな……」
あの人は、一度も「描かなくていい」なんて言わなかった。
代わりに、「まだですか?」って、いつも淡々と迫ってきた。
でもその手には、差し入れの缶コーヒーがあって。
そのまなざしには、「続けてほしい」という願いが透けて見えた。
(わかってる……わかってるけど……)
ピンポーン――
チャイムが鳴いた。
夜中の1時。思わずドアスコープを覗くと、そこには不知火が立っていた。
「ちょ、なに……!?」
「連絡がつかないから、来ました。」
「え、えっ、ええ!? いや、連絡は……」
「三通、未読。大丈夫かと思って。」
「う、うわ……」
スマホを見ると、確かに未読のLINEが。
『打ち上げしますか』『ちゃんと寝てます?』『原稿ありがとう』――
「……ごめん、気持ちがちょっと、落ちてて……」
「そうかなと思いました。」
不知火は、湊の頬を見て少しだけ眉をひそめる。
「……泣きました?」
「泣いてない。……泣いてないけど、なんかいろいろ、ぐちゃぐちゃになった。」
不知火は黙って、そのまま湊の額に自分の手を当てた。
あたたかく、確かめるように。
「会ってたんですね。如月さんに。」
「うん。」
「どうでした?」
「……やっぱり、あの人は優しいよ。でも……“僕が戻りたくなる過去”でしかなかった。」
「……」
「でもね、不知火さん……あなたは、“今の僕”を見てくれてる。描いてる僕、描こうとしてる僕を……」
湊の言葉が、夜の静けさを震わせた。
不知火は、その瞳からもう目を逸らせなかった。
「……湊さん」
「……うん」
「この手、離さないから。仕事でも、恋でも。」
言った瞬間、不知火自身が少し驚いたような顔をした。
けれど、それは本音だった。編集としての一線を、今、初めて超えた。
湊は、目を見開いて、少しだけ涙ぐんで、笑った。
「……それ、告白?」
「……はい。」
「……じゃあ、僕も言っていい?」
「……はい。」
「――僕、あなたが好きです。不知火さん。」
ふたりの距離が、やっと本当に、ゼロになった。
僕と彼の愛すべき日々
締切がひと段落し、編集部も比較的落ち着いたある休日の午後。
湊の部屋に、不知火が訪ねてきた。
「来るって言ったら、ちゃんと開けてくださいよ。」
「だって、突然だったから……」
少し照れた湊の声に、不知火は笑みを浮かべて言った。
「そろそろ、甘やかしてもいいですか?」
その言葉に、湊はドキリとする。
「甘やかされるの、初めてかも。」
「それはダメだ。甘え下手は治さないと。」
そう言って、不知火はゆっくりと近づいてきた。
「今日は何もしなくていい。僕が全部面倒見るから。」
そのまま彼の手が湊の頬に触れ、指先が優しく滑る。
目と目が合った瞬間、湊は呼吸を忘れた。
「不知火さん……」
「……好きです。だから、ちゃんと伝えたくて。」
彼の声は震えていなかった。強くて、あたたかい。
湊もそっと手を伸ばし、不知火の胸に触れる。
「僕も……好きです。」
二人の距離は一気に縮まり、唇が重なった。
最初はぎこちなくて、でも確かな感触に、心が跳ねる。
「……こんなに優しいキス、初めてかも。」
「……まだまだ甘いの、教えますよ。」
不知火は微笑みながら、湊の髪をそっと撫でる。
「この家が君の城なら、俺は王様になる。」
甘くささやく言葉とともに、ふたりは静かな時間に溶けていった。
僕と彼の愛すべき日々
翌朝、湊の部屋はやわらかな陽射しに包まれていた。
不知火がソファに座って新聞を広げていると、湊が小さく咳払いをして隣に腰を下ろした。
「おはよう、不知火さん。」
「おはよう、湊さん。よく眠れた?」
「うん……なんだか夢みたい。」
湊の頬はまだ少し赤みが残っている。昨日の甘い時間が、まるで魔法のようだったのだろう。
「昨日は……ありがとう。」
不知火は新聞を折りたたみ、静かに湊の手を取った。
「こちらこそ、君がいてくれて嬉しい。」
その手の温もりに、湊の心がふわりと柔らかくほどける。
「こんな関係って、どう思う?」
「?」
「仕事と恋。どっちも大事で、でも、時々ぶつかってしまう。僕たち、うまくやっていけるかな。」
不知火は微笑んで、湊の肩に手を回した。
「ぶつかることがあっても、僕がそばにいる限り、君はひとりじゃない。」
「……ありがとう。」
その言葉に、湊は肩を預け、安心して目を閉じた。
「そうだ、今度の打ち合わせ、僕が君のこと守るから。変な話、周りにバレるのも時間の問題だけど。」
「……そんなの、別に気にしないよ。」
湊のその言葉に、不知火は軽く笑った。
「その強さが、僕は好きだ。」
二人はゆっくりと距離を詰め、朝の光の中で甘いキスを交わした。
それは、誰にも邪魔されない、二人だけの秘密の時間。
僕と彼の愛すべき日々
翌朝、湊の部屋はやわらかな陽射しに包まれていた。
不知火がソファに座って新聞を広げていると、湊が小さく咳払いをして隣に腰を下ろした。
「おはよう、不知火さん。」
「おはよう、湊さん。よく眠れた?」
「うん……なんだか夢みたい。」
湊の頬はまだ少し赤みが残っている。昨日の甘い時間が、まるで魔法のようだったのだろう。
「昨日は……ありがとう。」
不知火は新聞を折りたたみ、静かに湊の手を取った。
「こちらこそ、君がいてくれて嬉しい。」
その手の温もりに、湊の心がふわりと柔らかくほどける。
「こんな関係って、どう思う?」
「?」
「仕事と恋。どっちも大事で、でも、時々ぶつかってしまう。僕たち、うまくやっていけるかな。」
不知火は微笑んで、湊の肩に手を回した。
「ぶつかることがあっても、僕がそばにいる限り、君はひとりじゃない。」
「……ありがとう。」
その言葉に、湊は肩を預け、安心して目を閉じた。
「そうだ、今度の打ち合わせ、僕が君のこと守るから。変な話、周りにバレるのも時間の問題だけど。」
「……そんなの、別に気にしないよ。」
湊のその言葉に、不知火は軽く笑った。
「その強さが、僕は好きだ。」
二人はゆっくりと距離を詰め、朝の光の中で甘いキスを交わした。
それは、誰にも邪魔されない、二人だけの秘密の時間。
僕と彼の愛すべき日々
夜の編集部。
残業明けの不知火は、デスクの明かりを消して帰ろうとしていた。
そのとき、スマホが震えた。
【湊】
――「終わった。今から部屋に来ていい?」
不知火はすぐに返信を送った。
「もちろん。待ってる。」
数分後、湊が息を切らして部屋に入ってきた。
手には大きめの紙袋。
「お疲れさま、不知火さん。」
「お疲れさま。何それ?」
「差し入れ。ごめん、遅くなって。」
不知火は微笑みながら、袋の中身を覗き込んだ。
「チョコレートと紅茶、君が好きそうなやつ。」
湊は照れくさそうに肩をすくめた。
「疲れたでしょ。少しでも元気になってほしくて。」
「ありがとう。」
そのまま不知火はソファに腰かけ、湊も隣に座る。
「ねぇ、今夜は話があるんだ。」
湊の目が真剣だった。
「俺、もっと不知火さんのこと知りたい。仕事の顔じゃなくて、湊の前でだけ見せる素顔も。」
「……それは、俺も同じだよ。」
不知火は湊の手をそっと握った。
「君のこと、好きになってよかった。」
湊は少し目を潤ませて、ぎゅっと不知火の手を握り返した。
「俺も。これからもずっと、一緒にいたい。」
不知火は近づいて唇を重ね、静かな夜にふたりだけの世界が広がっていった。
僕と彼の愛すべき日々
雨がしとしとと降る午後。
湊は窓の外をぼんやりと見つめていた。
原稿の締切が近づく中、どこか落ち着かない気持ちが胸を締めつける。
その時、不知火からメッセージが届いた。
【不知火】
――「仕事終わったら、君の好きなカフェで待ってる。傘は持ってきた?」
湊は急いで返信した。
「うん。今から向かう。」
しばらくして、カフェのドアを開けると、そこには笑顔の不知火が立っていた。
雨に濡れた髪と服も、彼の魅力を一層引き立てる。
「濡れてるよ。俺の傘に入って。」
湊はすっと近づき、不知火の腕に触れた。
「ありがとう。」
ふたりはカウンター席に座り、温かいコーヒーを啜りながら、静かに話し始める。
「最近、なんだか不安で……」
湊の言葉に、不知火は優しく頷く。
「君が不安になるのは、俺のせいか?」
「違うよ。でも、距離が近くなったぶん、壊すのが怖くて。」
「壊れるはずない。俺たちなら乗り越えられる。」
そう言って、不知火はそっと湊の手を握った。
「君の隣にいることが、一番大事だから。」
雨音をバックに響くその言葉に、湊は涙をこぼしそうになる。
「……俺も、不知火さんがいるから頑張れる。」
ふたりは手を繋いだまま、静かに時間を共有した。
雨の音がふたりの想いを包み込み、優しく溶かしていくようだった。
僕と彼の愛すべき日々
夜の街は静かに星を散りばめていた。
湊の部屋の窓から見える景色は、まるでふたりだけの世界のように美しかった。
「ねぇ、不知火さん。」
湊がそっと声をかける。
「なに?」
「これからも、ずっと一緒にいられる?」
不知火は迷わず答えた。
「もちろんだ。君が望むなら、どこまでも。」
その言葉に、湊の胸は熱くなり、目に涙が滲んだ。
「ありがとう。不知火さん。」
ふたりは窓辺に寄り添い、夜空を見上げた。
遠く輝く星たちに、これからの未来を誓い合う。
不知火がゆっくりと湊の肩に腕を回し、そっと抱き寄せる。
「これからは、君だけの編集者じゃなくて、君だけの男でいたい。」
湊はその言葉を胸に刻みながら、そっと唇を重ねた。
甘く、切なく、そして確かな未来への約束。
ふたりだけの夜は、静かに、そして強く輝いていた。
僕と彼の愛すべき日々
湊が目を覚ましたのは、まだ夜明け前だった。
カーテンの隙間から微かに差し込む月明かり。
すぐそばには、不知火が眠っていた。湊の腕をしっかりと抱いて。
(……ほんとに、ここにいるんだ)
まだ信じられない気持ちと、胸の奥の静かな喜びが湧き上がる。
彼の寝息は穏やかで、どこか子どものように無防備だった。
湊はそっと、不知火の頬に指を這わせた。
「……寝顔、かわいすぎるんだけど」
思わず微笑む。
でもその一瞬、ふと不知火が目を開けた。
「……起きてたのか」
「うん、ちょっとだけ……」
「こんな顔、君にしか見せないんだ。見られるなら……君だけでいい。」
その声は、いつもより少しだけ掠れていて、甘くて、どこか色気を帯びていた。
不知火は湊の髪に指を絡ませると、唇を近づけた。
「朝になる前に……もっと、触れてもいい?」
「……うん。」
小さく頷いた湊の耳元に、不知火が低く囁く。
「君が欲しい。」
息が重なり、体温が交わり、ふたりの輪郭が、夜の中で溶けていく。
不知火の手が丁寧に湊の肌をなぞるたび、湊の声がかすかに漏れた。
「……っ、だめ……そんな風にされたら、朝なんか来なくていいって思っちゃう……」
「じゃあ、朝が来るまでに、何度でも君に言うよ。」
不知火は湊の唇に深く口づけて、真っ直ぐな想いを伝えた。
「愛してる。」
その言葉に、湊の瞳が揺れる。
ふたりは確かに、ただの“作家と編集者”じゃなくなった。
何度も名前を呼び合って、重ね合って──
そして、朝。
まぶしい光の中、不知火はまだ眠る湊の髪にキスを落とし、そっと囁いた。
「おはよう、湊。」
僕と彼の愛すべき日々
「……で、この“攻め”のキャラって、また編集者ですか?」
湊の担当BL作品の感想会議。
若手編集・相楽が冗談交じりに笑いながら、資料をペラペラめくっていた。
「無口だけど実は情熱家、仕事に厳しいけど差し入れを欠かさない──これ、前の新キャラにも似てません?」
「え、あー……まぁ、よくいるタイプというか……」
湊は苦笑しつつ視線を泳がせる。
その横、不知火は無言で資料をまとめながら、ふっと目を逸らした。
(バレた……? いや、まだ気づかれてはない、はず……)
湊の心臓は妙に速く脈打っていた。
会議が終わった後、ふたりきりの時間。
湊は編集部近くの喫茶店で、不知火にぼそりとこぼした。
「ねえ、やっぱりバレそうになってるよね……?」
「いや、まだ“察しがいい人”レベル。問題ない。」
「でもさ、さっきの言い方、ちょっと鋭かった……相楽くん、わかってて聞いてる気がした……」
「それなら、あえて堂々としていればいい。」
「堂々って……そんなことできるの、不知火さんくらいでしょ……」
「なら、俺の隣にいればいい。」
その一言に、湊の心がぐらりと揺れた。
「不知火さんって、ほんとずるいよね……」
「何度でも言いますけど、君の不安は、俺が全部引き受ける。」
「……頼りすぎて、離れられなくなる。」
「それでいい。」
その静かな強さに、湊はまた好きになってしまう。
僕と彼の愛すべき日々
春の終わり。湊の旧作《マーブル・ノーツ》が、突如SNSで再ブレイクしていた。
「この編集者キャラ、不知火塁にしか見えないんだけど!?ww」
「作者、明らかにリア恋でしょ……この眼鏡の持ち主……!」
「ていうか、描写が生々しい。これは経験者の手口」
そんなタグ付きの投稿が、深夜にバズった。
(やばい……なんで今……!?)
朝、湊が顔を青ざめさせながらスマホを見つめていると、不知火から連絡が入った。
【「問題なし。むしろ宣伝になっている」】
(いやそういう話じゃない!!)
編集部にも動揺は広がっていた。
そして、週末。不知火と湊に、出版社経由で小さなインタビュー依頼が入った。
「“キャラクターのモデルについて”一言、くださいと。」
湊は震える指先でスマホを握る。
「……どうしよう。不知火さん、僕、嘘つけない。」
「つかなくていい。」
「え……?」
「“読者の想像にお任せします”でいい。」
「でも、それって……」
「湊さん。君の描いたキャラクターを、君が本当に好きだったとして、それが俺だとして――」
不知火はゆっくりと言った。
「それを否定する必要は、どこにもない。」
「……っ」
「俺は、君の作品を守る。だから君は、好きなものを描いていい。」
その言葉に、湊は震えた声で答えた。
「……じゃあ、一緒にこの作品を守ってください。不知火さん」
「喜んで。“共犯者”として。」
ふたりは見つめ合い、まるで心の中で指切りを交わした。
僕と彼の愛すべき日々
あれから少しして。
湊は、次の長編企画を提出するため、不知火のもとを訪れた。
「見せていいかな……?」
「もちろん。」
不知火は、静かにプロット資料を受け取る。
ページを捲るたび、表情が変わっていくのを湊はじっと見ていた。
「……これは」
「……うん。過去に描けなかった話。でも、不知火さんに会って、描けるって思えた。」
新作タイトルは《one, and only》。
テーマは「編集者と漫画家の、10年間の片想いと再会」。
「フィクション、だけど……本当のことも、少し混ざってる。」
「わかる。読めば、君の心が伝わる。」
不知火は湊の手を取った。
「俺が編集として、そして恋人として、この物語を支える。」
「ありがとう……」
湊の目に光が滲む。
彼の中にあった“描くことへの恐怖”が、ゆっくり溶けていくのを不知火は感じていた。
「……俺ね。不知火さんがいてくれなかったら、もう漫画描けなかったと思う。」
「俺も。君がいなかったら、“作品を愛すること”を忘れてたかもしれない。」
ふたりは、仕事の顔のまま、指先だけ恋人の温度でつながっていた。
僕と彼の愛すべき日々
不知火の誕生日。
当日、不知火が帰宅すると、湊がキッチンで料理をしていた。
「……え? これ、全部……」
「うん、はじめて頑張って作った。誕生日、祝いたくて。」
テーブルには、不知火の好物がずらりと並ぶ。
シンプルな肉料理と、赤ワイン。そして、ケーキの上にはささやかな「Happy Birthday」の文字。
「……湊さん、泣いていいですか?」
「え!? そ、そんな下手だった!?」
「違います。君にこんなふうに思ってもらえるなんて、幸せすぎて」
湊ははにかんで、小さな箱を差し出した。
「プレゼント。開けてみて。」
中には、シンプルな万年筆と、小さなメモ帳が入っていた。
その表紙には、手描きでこう書かれていた。
“大好きなあなたへ。これからも、あなたのそばに。”
不知火は湊を抱きしめ、ゆっくりと耳元で囁いた。
「湊さん、君に出会えてよかった。恋人になれて、本当によかった。」
「僕も……不知火さんが、僕の初めてで、最後の人でいい。」
ふたりはろうそくの火を吹き消し、何度もキスを交わした。
恋人として、仕事相手として、
誰よりも深く理解しあえる関係になったふたりの夜は、
穏やかに、甘く、静かに流れていった。
完結っ!アイディア満載の一日でした。
番外編もありますけどね。
僕と彼の愛すべき日々
スピンオフ一気のせ!
Spinoff:Episode 1「湊、風邪をひく」
「……くしゅんっ」
不知火が原稿の進捗確認に湊の部屋を訪れると、そこにはくしゃみ連発の漫画家がいた。
「……なんか寒気するなーって思ってたんだよね」
「湊さん、それ典型的な風邪の初期症状です」
「えっ、いや、でも締切……」
「はい、ベッド。今すぐ寝る。原稿は俺がどうにかする」
「む、無茶言わないでよ……って、ちょ、引っ張らないで……!」
有無を言わせぬ手際で湊を寝かせ、毛布をかけ、氷枕までセットされる。
「ほんとに……過保護すぎ……」
「当然です。君は俺の大切な作家で、恋人ですから。」
そう言って不知火は冷えピタを湊のおでこに貼った。
「うっ、冷たっ……」
「我慢。かわいそうだけど、かわいい。」
「なにそれ……」
少し熱で赤くなった湊の顔を見て、不知火はくすっと笑う。
「明日には治してください。君が寝込むと、世界が半分くらい沈む気がする。」
「……そんなん言われたら、元気出ちゃうじゃん……」
「それが狙いです。」
おかゆを食べさせられ、薬を飲まされ、湊は「看病される恋人モード」を全開で満喫することになった。
(……こんな甘やかされ方、慣れたらもう戻れないな)
湊はベッドの中、ふわふわした頭でそんなことを思っていた。
Spinoff Episode 2:「湊の手料理、再び」
湊が風邪から復活した数日後のこと。
「この前のおかゆ……すごく美味しかった。だから、お礼しないとって思って」
キッチンに立つ湊は、いつもより少しだけ真剣な表情。
不知火が帰宅すると、部屋にやさしい香りが漂っていた。
「これは……ビーフシチュー?」
「うん、初めて作った。市販のルーだけど、煮込みだけはちゃんとやった……つもり」
湊が照れ隠しに口をとがらせるのを見て、不知火は笑いをこらえきれなかった。
「なんで笑うのさ!」
「いや……こうしてキッチンに立ってる湊さんが、かわいすぎて」
「……バカ。不知火さん、食べるの禁止」
「許してください。代わりに……感想は真剣に言います。ほら、いただきます」
一口食べて、目を見開く。
「……美味い」
「……ほんと?」
「嘘だったら、今すぐ抱きしめない」
「え、どっち?」
「どっちもです」
湊の顔がぽっと赤く染まり、ビーフシチューの湯気より熱そうだった。
(こんな平和な夜がずっと続いたらいいのに)
湊の心の中に、ふとそんな言葉が浮かんだ。
Spinoff Episode 3:「初めての温泉旅行」
「――というわけで、湊先生には原稿が終わったご褒美として、二泊三日の温泉旅行チケットを贈呈します!」
湊の担当作品がコミックス累計10万部を突破した記念に、編集部が粋なプレゼントを用意していた。
もちろん、チケットは“二名分”。
「……で、来ちゃったね」
静かな山間の旅館。
二人きりの部屋、そして、露天風呂付き。
「久しぶりにゆっくりできるな。仕事のこと、今は忘れましょう」
「……できるかな。不知火さんとふたりきりだと、逆に意識しすぎて死ぬんだけど」
「じゃあ、死ぬ前に。浴衣、似合ってるって言っておく」
「う、うるさいっ……っ!」
夜、ふたりで湯に浸かり、湊がふいに不知火の肩にもたれた。
「俺……今、すごく満たされてる。これ以上欲張っちゃいけないって思うけど……」
「もっと欲張ってください。俺も、君にもっと与えたい」
唇が触れ合い、湯気の中で肌が重なる。
ふたりの距離は、もうどこにも隙間がなかった。
Spinoff Episode 4:「修羅場中、会いたくなる夜」
コミックスの締切直前。
徹夜が続き、湊は久しぶりに“不知火不足”になっていた。
(顔、見たいな……声だけでも聞けたら……)
深夜2時。
迷った末に、スマホを握ってメッセージを送った。
【湊】
――「声、聞いてもいい?」
【不知火】
――「今、電話できる?」
すぐに通話がつながる。
「……どうした、湊さん。声が疲れてる」
「会いたかっただけ」
「……甘えたい?」
「うん……声、聞いてたら泣きそうになってきた」
不知火は電話越しに、できる限りやさしい声で話しかけた。
「君が眠るまで、ここにいる。原稿は逃げない。俺も逃げない」
「……ありがとう。好き」
「愛してる。頑張ったご褒美、今度たっぷりあげるから」
ふたりは静かに言葉を重ねて、通話のまま眠りについた。
Spinoff Episode 5:「未来の話をしよう」
締切明けの休日。
湊はのんびりと、不知火の隣でコーヒーを飲んでいた。
「……ねえ、不知火さん」
「うん?」
「もしさ、いつか一緒に住むとしたら、どんな部屋がいい?」
不知火は少し驚いたように湊を見つめた。
「……それは、“将来”の話ですか?」
「うん、まだ先でも。でもさ、朝起きて、同じテーブルでご飯食べて、出勤前にキスして」
湊の声は少し照れていて、でもどこか真剣だった。
「俺、そういう生活……きっと、好きだと思う」
不知火は微笑んで、湊の手を取る。
「じゃあ、今から考えましょうか。ふたりで住む家の間取り」
「えっ、もう?」
「君がそう言ってくれた日が、始まりの日ですから」
未来はまだぼんやりとしている。
けれど、目の前のこの人となら、どんな形でも“愛せる”と思えた。
はぁ、、、我ながら尊いなぁ、、、(笑)
僕と彼の愛すべき日々
過去編!
【過去編】湊 × 如月樹(元恋人)
「はじまりの春」
春の終わり。まだ肌寒い編集部の一角で、湊は震える手で持ち込み原稿を差し出していた。
「あの……こちら、一次選考を通ったものなんですが……」
「──おっ、これ君が描いたの? ちょっと面白そうだね」
声をかけてきたのは、編集者の如月 樹だった。
柔らかい笑顔と、整った顔立ち。
きっちりとしたスーツに、どこか“余裕”を感じさせる年上の雰囲気。
湊はその瞬間、息を呑んだ。
(……綺麗な人だ)
彼の目はまっすぐ原稿を見て、そして一言。
「ねぇ、君。漫画、好きで描いてる?」
「……えっ」
「なんか、線が不安そうで。でもその分、必死に伝えようとしてるの、わかる」
その言葉が、湊の心にすっと染みこんだ。
「あの……読んでくれて、ありがとうございます……」
「如月って言います。良かったら、次のネーム見せてよ。俺、こういう“素直な線”嫌いじゃないからさ」
それがすべての始まりだった。
「嘘と本音」
数ヶ月後。湊は如月の担当で読み切り連載を決め、二人はプライベートでも距離を縮めていた。
「湊、今夜、編集部の飲み会抜けてうち来る?」
「……え、いいの? でも如月さん、明日出張って──」
「いいの。君と過ごす方が楽しいもん」
ソファの上でふたりは寄り添い、缶ビール片手にドラマを流し見していた。
不意に如月が言った。
「湊さ……君、重くなる前に止まれるタイプ?」
「……どういう意味?」
「俺、たぶん誰かに“本気”っての、よくわかんないんだよね」
湊の胸に、すっと冷たい風が吹いたようだった。
(それでも、側にいたいって思ってしまった)
「愛されてないことに気づいた夜」
ある雨の夜。
如月のスマホに表示された通知に、湊は偶然目をやった。
【ホテル 19:00 了解♡】
(……“ホテル”?)
気にしないふりをした。
でも、如月の言動の端々に、別の誰かの影があった。
「湊、ごめん。今日は編集部戻るって言っただろ?」
「……うん。わかってるよ」
“問い詰めたら、終わる気がした。”
だから湊は、何も言わなかった。
ただ一人、駅のホームで夜風に吹かれながら、携帯の画面を見つめていた。
(愛されてるフリをして、俺は何を守ってたんだろう)
「さよならを描くペン」
そして、決定的な夜が来た。
如月が他の作家と同じアパートから出てくるのを、湊は見てしまった。
(ああ、終わった)
自分でも驚くほど冷静だった。
そして、帰ってから白紙のネームを開き、ペンを握った。
描きたいと思ったのは、“愛されなかった人が、恋に終わりを告げる話”。
描きながら、涙がぽろぽろ落ちていく。
(なんで俺、こんなにバカだったんだろう)
完成したネームを、誰にも見せずに封印した。
それが、湊が“過去を手放すため”に描いた、唯一の自分自身の物語だった。
「あの頃の僕へ」
それから1年。
湊は仕事に没頭することで、自分を立て直していた。
もう恋はしない。
仕事だけに生きるんだ、そう決めていた。
そんな中、新しい担当が決まった。
「不知火塁です。今日から担当につきます。よろしくお願いします」
その瞬間、どこか遠くで止まっていた時間が、静かに動き出した。
穏やかで、ぶっきらぼうだけど優しくて。
“仕事”でしか繋がれなかった過去とは違い、
“信頼”で寄り添える関係が、そこにはあった。
(あのときの自分に言ってやりたい)
「いつか君は、本当に君を愛してくれる人に出会うよ」
だから、もう泣かない。
そのために必要だった、確かに存在した“痛みの春”だった。